【インタビュー】東野唯史さん vol.3 守るべき場所に拠点を置くこと

デザイナー東野唯史氏が立ち上げた「ReBuilding Center JAPAN(以下、リビセン)では解体現場から救済(レスキュー)してきた古材、古道具が並んでいる。店内には近所の方と遠方からきたお客さんが入り交じるカフェも併設されている。店内の机や椅子はレスキューしてきた古材だ。カフェの利用を目的として訪れた人が、古材に興味を持つきっかけになるという。

インタビュー3回目は、東野氏が拠点を構える地に選んだ「信州・諏訪」について。
なぜ、人の集まる東京ではなく諏訪に拠点を構えたのかをうかがう。
地域に溶けこむには「あいさつが大切」と東野氏。
元気に、礼儀正しく。地域の人との関係性は、当たり前の積み重ねでできていく。

インタビュー①:古材を通してつくり出したい「ReBuild New Culture」という理念
インタビュー②:古材屋のハードルを下げるカフェの役割
インタビュー③:守るべき場所に拠点を置くこと
インタビュー④:忘れられていた「ものを大切にする暮らし」

東野唯史(あずのただふみ TADAFUMI AZUNO)
ReBuilding Center JAPAN 代表
1984年生まれ。名古屋市立大学芸術工学部卒。2014年より空間デザインユニットmedicalaとして妻の華南子と活動開始。全国で数ヶ月ごとに仮暮らしをしながら「いい空間」をつくりつづけてきました。2016年秋、建築建材のリサイクルショップReBuilding Center JAPANを長野県諏訪市に設立。ReBuild New Cultureを理念に掲げ、「世の中に見捨てられたものに価値を見出し、もう一度世の中に送りだし、次の世代につないでいく」ことを目的に活動しています。

「medicala(メヂカラ)」の活動から出会った「諏訪」という街

リビセンが拠点を構える諏訪市。最寄りの上諏訪駅は新宿から最速2時間12分だ。

ーー東野さんが拠点に選ぶことになる諏訪との出会いを教えてください。

東野:2014年に「medicala(以下、メヂカラ)」の活動で施工した「マスヤゲストハウス」がきっかけですね。

ーーどこを拠点に選ぶかは重要かと思いますが、なぜ「諏訪」を選んだのでしょうか?

東野:メヂカラの活動でしばらく定住をせず、全国各地を点々としていたのでリビセン自体は、どこでもできると思っていました。ただ、リビセンをつくるにあたって大きく2つの条件を考えました。

ーー条件。

東野:ひとつは「古材の入手が容易であること」、すなわち取り壊しのある物件が多いことでもありますね。リビセンをつくるまで二年ほど諏訪に住んで、全国へ飛び三ヶ月ぶりに帰ってくると何個か建物がなくなっていることがあったんです(笑)。本当にすごいスピードで建物が取り壊されて。

ーー取り壊しが多い。

東野:もうひとつの条件は「アクセスがよいこと」です。

ーー確かに東京からのアクセスはとてもいいというのは身をもって感じましたね。

東野:東京からは甲州街道、名古屋へは中山道が伸びていて二つの街道が交わる場所がこの諏訪の地でもあるんですよね。

ーー交通の便も踏まえて場所を。

東野:車を持っていない人でも来てもらえる場所がいいという思いはありましたね。僕は古材屋としてビジネスを成功させるわけではなく、古材を使う人が日本に増える状況をつくりたかったから。たくさんの人が東京含む首都圏、もしくは名古屋などの大都市圏に住んでいて、メディアを使いこなして情報発信をする状況があるなら、首都圏に住む人が来やすい場所にリビセンがあることはいいことだと思いました。公共交通機関でこれて、なおかつ駅から徒歩圏内の場所という意味でも諏訪はよい場所ですね。

地域になじむことは「あいさつ」からはじまる

取材当日は3月下旬にも関わらず天気は雪。

ーー移住という形で諏訪に拠点を構えたかと思いますが、移住でのハードルとして「地域の方々とのおつきあい」ってあるのではないかと思っています。そのあたりはどうでしょうか?

東野:すごくちいさな範囲で見てみると、リビセンのある地区の方々はすごく歓迎してくださっていると感じますね。

ーーどういう時にそう感じますか?

東野:冬、雪かきをしていると通り過ぎる人がわざわざ車を止めて窓を開けて「今まで20年間誰も雪かきをしてこなかったから助かる」って言ってもらえたり、解体現場から古材や古道具を救済するレスキューの話をいただいた時ですかね。この建物は20年空き家の状態だったのですが、通りに面したワンブロック分の敷地にリビセンがオープンしたことで人の気配があることを地域の方に喜んでいただけています。

ーーご近所づきあいは良好なんですね。移住していきなり大きな建物ができると「よそ者」だと感じて、快く受け入れていただけないことも多いと思うんです。その辺り、どうやって関係性をつくってきたのでしょうか?

東野:まず、大きな声で誰にでも挨拶をすること。あとは区の仕組みをちゃんと理解することかな。このあたりは温泉が多くて地区の住民が毎月決まった金額を払うと鍵をもらって入れる住民専用の温泉があるんですけど、みなさんご家庭にも温泉が通っているんですよ。施設を維持するためにお金を払っているんです。そういう習慣を理解した上で、僕達も温泉が使いたいからお金を払っています。区の総会にも出席し、住民の方との関わりを持っています。

レスキューしてきた古材や家具広い店内に並ぶ。

ーーなるほど、当たり前のことを当たり前にやる。東野さんはコミュニティー構築がごくごく自然にできている印象があります。

東野:リビセンの目標はコミュニティーをつくることではなくて文化をつくることで、その軸はぶれないですね。文化をつくるために自分たちの情報をオープンにしたり、地域の人含めて色んな人を巻き込まなきゃいけないと思っていますけど、目的はあくまで文化をつくること。ただ、気づいたらそこにコミュニティーができている状況はあるかもしれないですね。

ーー気づいたらそこにコミュニティーができている状況。意識せずに気づいたら出来ているということでしょうか。

東野:はい。「コミュニティーってどうやったらできると思いますか?」と聞かれることがたまにあるのですが、本当に普通にご近所さんに元気にあいさつしていればいいんじゃないですかねって答えるようにしています(笑)。スタッフのみんなも人懐っこくて、色んな人を褒めることができる。それってすごくいいと思うんですよね。褒められて嫌な気分になる人っていないじゃないですか。本当に普通のことです。


普通のことを普通に行う。「挨拶」はその最たる例だろう。
決して気張らず、地域へ溶け込む東野さんの言葉にハッとさせられた。
地域に溶け込むことはむずかしいことではない。
自分がされて嬉しいこと、気持ちのいいことを積み重ねることなのだろう。
次回、東野さんの考える「豊かな暮らし」についてうかがう。

インタビュー④:忘れられていた「ものを大切にする暮らし」