第1回:小さいからこそ自由になれる、バージニア・リー・バートン『絵本:ちいさいおうち』|住まいと暮らしの書店

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未来住まい方会議をご覧のみなさま、こんにちは。三輪舎という“ひとり出版社”を営んでいる中岡と申します。
このたび、「住まいと暮らしの書店」と題して連載することになりました。

本は人生を変えます。みなさんも振り返ってみてください。これまでの人生の岐路に、大切な本の存在がありませんでしたか。

本を読むことは、世界を自由に旅をすることと同じような意味を持ちます。しかも、水平方向だけでなく垂直方向に進めるように、本は想像力=創造力という名の階段を用意してくれます。書き手がつくった世界を、書き手と一緒に旅するのです。考えもつかなかった世界に連れだされ、事件に遭遇し、知識を得る。だからこそ、人生に悩んだり、行き詰まったりしたとき、私たちは本屋に行くのだと思います。

未来の住まいのヒントになる本を

私たちの暮らしかた、住まいかたは、経年劣化をおこしています。「未来住まい方会議」が何万人もの読者に支持されているということが、その表れです。きっと何かのヒントを求めて、ここに集っていらっしゃるはずです。

「住まいと暮らしの書店」では、未来の暮らしかた、住まいかたのヒントになるような書籍を、小説や絵本、写真集や社会批評、建築など、ジャンルを問わず紹介していきたいと思います。

第1回で取り上げるのは、バージニア・リー・バートン著『ちいさいおうち』(岩波書店)。1954年に日本でも翻訳・出版されたこの絵本は、これまでにたくさんの方に読まれてきました。

この本を改めて読みなおしてみると、現代に生きる私たちの住まいについて考えるための示唆にあふれています。そしてなにより、ちいさいおうち=スモールハウスですから、未来住まい方会議を購読されている方には、この本がスモールハウスへのあこがれのきっかけになっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

あらすじ

「ちいさいおうち」は長いこと、四季を存分に感じられる豊かな自然に囲まれた土地で、まわりに住む人間たちとともに暮らしていました。※「おうち」が「暮らす」というのも変な話なのですが、そもそも「ちいさいおうち」は絵本らしく人格を持っています

しかし、幸福で豊かな暮らしはだんだんと侵され始めます。おうちの周辺は工業化・都市化し、自然は壊され、街ができ始めます。ついには、高層ビルが取り囲み、鉄道は大きな音をたててまわりを走り始めました。
そんななかでもおうちはひっそりと生きていましたが、かつてはたくさんのひとに愛されていたのに、ついにはその存在を知るひとはいなくなってしまいました。

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しかしある日のこと、「ちいさいおうち」の前を通りかかった女性がこう言います。
「あのいえは、わたしのおばあさんがちいさいときすんでいたいえにそっくりです。」
調べてみたところ、おばあさんの家そのものでした。哀れに傷ついた「おうち」の住人がやっと見つかったのです。

「おうち」は、騒音と汚染された空気に満ちたこの街から出ることになりました。大工さんの手でトレーラーに乗せられ、新たな安住の地を探しに旅をします。さいごに、昔「おうち」が暮らしていた環境に似た田舎に腰を据えることができました。めでたし、めでたし。

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取り残されたちいさいおうちは私たちの身近にある

東京都心のど真ん中、例えば六本木のようなエリアでは、忘れられた家がたくさんあります。ビルに囲まれて、すすけて黒くなっている小さな木造の家。もはや住んでいるのかどうかもあやしい家。ごくたまに、くすんだ窓をとおして、部屋の奥に光が灯っているのを目にします。

この家の住人はどんな気持ちでここに住んでいるのか。「ちいさいおうち」同様、いまは決して幸福な住まいではないはずです。「しかし、かつては……」と想像してみます。
東京はオリンピックがはじまる60年代を境にして街の様相が大きく変わりました。『三丁目の夕日』に描かれているように、50年代までは都心とはいえコミュニティがはっきりと存在していて、家には頻繁にひとの出入りがあったのでしょう。そこには、きっと豊かな暮らしがあったことを想像します。

この絵本の作者であるバージニア・リー・バートンはアメリカの作家ですから、この絵本で描かれている寓話はきっとアメリカが近代化していく過程で実際にあったできごとをモデルにしているのでしょう。

しかし、この寓話と同じできごとが多く見られたのは、アメリカよりも日本だったのではないかと思うのです。日本は経済成長を実現するために、都心に商業環境を集中させ、新たな住環境を、「大きな家」を、都心から離れた郊外に求めました。その過程で、先ほども書いたように、忘れ去られた「ちいさいおうち」がたくさんあったはずです。

また、昔の日本人は非常に小柄だったので、入り口の高さが170センチを切っている家もあります。文字通りその当時のヒューマンスケールで作られた家でしたし、ものが少なかった時代です。当時の家は、本当に「ちいさいおうち」でした。そう考えるとなおさら、日本の状況と重ね合わせてしまいます。

小さいからこそ自由なのだ

また、見過ごされがちなのは、住人の孫によって再発見された「ちいさいおうち」は、造りがしっかりしていたために移動をすることができた、いわゆる“モバイルハウス”だったのです。小さくて頑丈だったからこそ、新たな土地へ移動することができたわけです。

現代の住居構造は、大きい割に華奢な造りをしています。それは2〜30年で建て替えることを前提に作られているためです(日本の家は平均して26年で建て替えられています)。結婚し、子どもが生まれ、巣立っていく、この期間はおよそ2〜30年です。つまり、一生そこで過ごすことを前提に作られていないのです。

スモールハウスで暮らす夢を知人に語ると、大概の返答は「こどもが生まれたらどうするの?」というものです。しかし、住まいが移動可能ならば、と考えてみます。子どもが生まれたら、同じ敷地にスモールハウスを追加すればいいのです。成長して、巣立つときには子どもとともに移動することができます。あるいは売却して、他のひとに譲ってしまえばいい。

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現代では、ライフキャリアとともに自由に住居を変えています。それは一見合理的ですが、一方で、ローンが家計を圧迫し、不自由な生き方を強いられます。

スモールハウスが多くの人を惹きつけるのは、そこに自由と豊かさがあるからかもしれません。
「ちいさいおうち」が自由に旅をしたように。最後に豊かな土地を見つけたように。

『ちいさいおうち』
バージニア・リー・バートン著
岩波書店

Photo Via:jagao1.at.webry.info