【インタビュー・前編】本×コーヒーの極上空間 松本のブックカフェ栞日(しおりび)オーナー菊地さんに聞く「暮らしたい街に、お店を持つ」こと

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丁寧に、1杯ずつ、香り高いコーヒーが淹れられていく。網焼きでこんがりと焼き目がつけられたトーストには、同じ網のうえで溶かしたバターが、ジュワッと染み込んでいく。もちろんあなたの傍らには、興味のむくままに手にとった、数冊の本。自分の暮らす街に、こんな空間があったなら、ちょっと素敵な気持ちで毎日を送れるかもしれない。

ここは、長野県松本市の大通り沿いにある、ブックカフェ栞日(しおりび)。全国各地のリトルプレス(少部数の出版物)を中心に、店主がセレクトした、制作者の想いが伝わってくる本が丁寧に並べられている。本のテーマは、生活、料理・食事、子ども、旅、地方、写真集など多岐に渡り、3階のギャラリーではアーティストの展示が頻繁に行われている。

「自分が暮らす街に、あったらいいなと思える空間」をカタチにした、栞日の店主・菊地徹さん。気さくなお人柄と柔らかい物腰で、訪れるひと誰しもをホッとした気持ちにさせる。

インタビュー前編では、お店をオープンされるまで、菊地さんがどのような経緯をお持ちであるかお話いただいた。後編では、栞日について・そして毎年夏に開催されるALPS BOOK CAMPについてお聞きする。

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菊地徹さん プロフィール

ブックカフェ栞日(しおりび)オーナー。1986年静岡県生まれ。筑波大学在学中、スターバックスでのアルバイトをきっかけにサービス業を志す。卒業後、松本市の温泉旅館への就職を機に長野県へ移住する。その後軽井沢のベーカリー勤務を経て、2013年8月長野県松本市にブックカフェ栞日をオープン。

 

27歳までに、「自分のお店」を持つことを決めた。

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店内には、書籍のほかにも、菊地さんがセレクトしたセンスの良い雑貨が並んでいる。

いまは雇われて働いている人でも、いつかは自分のお店を持ちたいと考えている人は、結構いるのではないだろうか? しかし、その「いつか」は、残念ながら向こうからやってくるものではない。

栞日の店主・菊地さんは、独立するには比較的早いと思われる年齢でお店をオープンさせている。それも、特に生まれ育った場所とは関係のない、長野県松本市という土地で。菊地さんがお店をオープンさせるまでに、果たしてどのようなストーリーがあったのだろうか?

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店内にはYADOKARIの書籍「月極本1」も置かれている。

「いまの僕の原点は、大学時代に働いていたスターバックスコーヒーにあります。立ち寄ってくれるお客様に美味しいコーヒーを出して、ざっくばらんにお話をして、お客様がお店をあとにする頃、少し気持ちが晴れているような空間。当時からすでに、将来は自分の暮らしたい街で、そういったお店を持ちたいということを常々考えていたんです」

大学時代を筑波で過ごしていた菊地さんは、より深くサービス業を学びたいとの思いから、ホテル・旅館業界に絞って就職活動をすることにした。

「一流のサービスを学びたかったので、ビジネスホテルなどではなく、高級ホテル・旅館に絞って探していました。そしてわりと早い段階で、長野県松本市の扉温泉というところにある高級旅館が、僕を拾ってくれたのです。僕は静岡県の生まれで、松本には縁もゆかりもなかったので、今こうして松本にいるのもそれがきっかけなんです」

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コーヒーに合う焼き菓子は、全て店内で手作りされている。

旅館に隣接する従業員寮で、ほぼ住み込みのような形で働きはじめた菊地さん。この旅館では、菊地さんの人生に影響を与える大きな出会いがあった。何を隠そう、いまの奥様となる方との出会いである。

「彼女のほうが先輩で、同じ料飲サービスで働いていました。そして親しくなった頃から、将来は自分のお店をやりたいということは話していたんです。彼女は焼き菓子を作るのが好きだったので、じゃあいずれ一緒にやろうかという話をしていたんです」[protected]

結果として、この旅館には1年半ほど勤めることとなり、料飲サービスからレセプションまで幅広い経験を積んだ。「自分のお店」をオープンさせるまでに、もう少しイメージに近い業態である個人事業主のところで学びたいとの思いから、転職をすることにした菊地さん。それにしても、いずれお店を持つという軸がブレることなく、真っ直ぐに行動していく姿は、聞いていて少し羨ましくなるほどだ。

「27歳までに、自分のお店を持とうということは決めていたんです。どうして27歳だったのかは、なんというか直感ですが(笑)。ただ、栃木県黒磯市にある、1988 CAFE SHOZOの菊地省三さんが、27歳の時にお店を始められたというのをどこかで見たことがあって。1980年代の当時で、あのような卓越したセンスをお持ちになっていたことに衝撃を受けたというのが、あるかもしれません」

丁寧に、1杯ずつドリップされていくコーヒー。
丁寧に、1杯ずつドリップされていく。

菊地さんが次のステージに選んだのは、軽井沢にあるベーカリーだ。旅館で働いていた時、休みがあれば通っていたそのベーカリーは、パン屋にしては珍しく北欧雑貨やヴィンテージ家具などを扱っていた。

徒歩圏内で完結するエリア内に、たくさんの魅力が詰まっていた松本

「僕が軽井沢のベーカリーで働きはじめたあとも、いまの妻となる彼女は、松本市の旅館で働いていました。片道2時間の遠距離恋愛ですね。僕は休みの日には松本に通っていたのですが、そこで改めて松本の良さを実感したのです。何と言っても、街がコンパクトで、徒歩や自転車で周れるのが良い。そのエリアの中に、面白いお店やスポットがギュッと詰まっていたのです」

松本は、近年クラフトの街として注目を浴びることが多い。そのほかにも、民藝や音楽、芸術にもこと欠かない。有名な音楽祭であるサイトウ・キネン・フェスティバル松本(今年から、セイジ・オザワ松本フェスティバルに改名)や、信州・まつもと大歌舞伎など、小さな地方都市にしては驚くほど文化的な要素が詰まっているのだ。

「松本に通ううちに、松本でお店を構えている個人事業主の方との交流も増えていきました。どの方もキャラクターがしっかりしていて、信念を持ってお店をやられている。僕のような県外からの移住者も多いのですが、皆さん松本という地に魅力を感じていて、盛り上げようと積極的に活動されています」

この頃知り合った方たちとは、今ではお互い松本を盛り上げるべく、肩を並べる者同士だ。ちょうど今も、観光客がグッと減ってしまう冬の松本の活性の一助になればと、各店を回るスタンプラリーの企画を一緒に行っている。

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取材に訪れた日は、真ちゅう作家さんのモビールの展示が行われていた。

「松本は、人との距離が近すぎず遠すぎないのが良いところです。街がいい意味でドライなのです。お互い面白いことをしていると、興味を持って応援はするけれど、必要以上に干渉はしない。こうした絶妙な距離感が心地よかったですし、なんだか暮らしていて風通しが良いところだなと感じたのです」

静岡県出身の菊地さんは、富士山をバックにして育ったということもあり、暮らす街から山が見えるということも魅力の1つであった。

「やはり、山が見える風景は心が落ち着きます。それも、冬になると雪を冠る山が良い。僕が松本に初めてやってきたのが12月だったのですが、冬の真っ青に晴れわたる空と、雪を冠るアルプスの眺めが、とても印象的だったのを覚えています」

このようにして、菊地さんは松本への魅力を募らせていった。そして自分が暮らしたいと思える街・松本で、自分のお店を持つことを心に決めた。軽井沢のベーカリーに勤め始めて1年ほど経った頃である。ベーカリーでは製パン補助をはじめ、店内で売られている北欧雑貨のセレクトなど多くを学んだが、お世話になったその会社のオーナーに、松本でお店を開きたい旨を伝えることにした。

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どの書籍からも、製作者の熱い想いが伝わってくる。

結果として菊地さんは、書店や出版社を経験することなく、そのまま松本でブックカフェ栞日をオープンさせることになる。前職のオーナーの「いますぐに始めなさい」という言葉や、「スタートアップはさせてあげる」との両親の後押しが、菊地さんの背中を押したのだ。

後編では、他でもなく「ブックカフェ」を始めることにしたいきさつや、毎年夏に主催するALPS BOOK CAMPについて、さらに詳しくお話をお聞きする。[/protected]