【インタビュー・前編】空き店舗だらけの商店街に、よそ者が吹き込んだ風。「hickory03travelers」迫一成さんの挑戦

日本各地で「町おこし」が行われている。町おこしは地元の人たちが地元で頑張るもの、というイメージがあるかもしれないが、成功例の中にちらほら見え隠れするのが「よそ者」のパワーだ。

新潟市の古町エリア活性化の立役者のひとりである迫一成さんも、実はよそ者。生まれも育ちも新潟から遠く離れた福岡なのだ。

迫さんが代表を務めるhickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)は、新潟市の商業エリア「上古町(かみふるまち)」を拠点に活動しているクリエイト集団。新潟の老舗や伝統工芸などとコラボしてつくる雑貨や日用品は、地元の常連客から観光客まで幅広い人気を集めている。また、商店街活性化など、地域に根ざした活動にも積極的だ。

福岡出身の迫さんがなぜ新潟で現在のような活動をするに至ったのか? インタビューの模様を前後編にわたって紹介する。

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<プロフィール>
迫一成(さこかずなり)
1978年 福岡県生まれ。新潟大学人文学部卒業。2001年クリエイト集団ヒッコリースリートラベラーズを結成。「日常を楽しもう」をコンセプトに、新潟市上古町の店舗を拠点に、イラスト、グラフィックデザイン、ブランディング、ブライダル事業、印刷物の制作、Tシャツやグッズの制作、イベント主催、商店街活動、地域産業との連携など幅広く活動中。

新潟大学への進学がすべてのきっかけ

最近、新潟市で注目を集めているエリアが上古町商店街(通称「カミフル」)。老舗から今風のショップが混在し、商店街主催のイベントも開催されている。

もともと新潟市の古町という地区は、江戸時代、北前船の寄港地として栄えた新潟の歓楽街として発展していた街だ。江戸時代以降も日本海側屈指の繁華街としてにぎわっていたが、2000年頃には大型商業施設進出のあおりを受け、空き店舗が目立っていた。そんなエリアが再び盛り上がるきっかけをつくったのが、「hickory03travelers」の迫一成さんだ。

hickory03travelersの店内
hickory03travelersの店内

とはいえ、なぜ縁もゆかりもない新潟の商店街に関わることになったのだろうか? 迫さんに活動を始めた理由を聞いてみると「場所にこだわりがあったわけではない」と言う。

「新潟に来たのは新潟大学に入学したから。行動科学を学びたいと思ったとき、たまたま千葉大と新潟大に該当する学科があったんです。どちらも福岡からだと直線距離で大して変わらないけど、飛行機の直行便があるから新潟かなあと。都会志向はなかったですね。福岡人は福岡が好きだし、どちらかというとアンチ東京、というくらい(笑)」

将来のことを明確に考えるようになったのは大学2年生のとき。骨折してしまい、1〜2週間ほど部屋にこもって安静にしている間「自分は何がしたいのか」と考え込んでしまったそうだ。

「大学の勉強を突き詰めたいわけではないなと。むしろ小難しい言葉は使いたくない。やさしい言葉でなにかを伝えることがしたい、それなら絵本をつくりたいと考えるに至りました」

就職活動の時期には、就活する代わりに週末ごとに東京に足を運び、イラストレーターや絵本作家を養成する「パレットクラブスクール」の絵本コースに通った。

「講師陣が豪華でした。長新太さん、荒井良二さん、スズキコージさん、谷川俊太郎さんなど。みなさんのお話の中で共通していたのが、『まずは始めること』『それを続けること』『人と出会うこと』が大切、ということ。僕が目指していることをやっている人たちだから、それを信じてみようと思ったんです」

市の支援や制度を活用して軌道に乗せた

このときパレットクラブで出会ったのが、のちに共同経営者になる遠藤在さん。彼も週末ごとに静岡から通っていた。この出会いがhickory03travelersが生まれるきっかけになった。

「遠藤くんが『Tシャツとか作るの面白そうだね』と言いだしたんです。僕も面白そうだと思って『作ったものを売ってそれが仕事になるならいいな』という話になりました。けっこう軽いノリですが、パレットクラブで感銘を受けたことの実践ですね」

2004年ごろデザインしたTシャツ
2004年ごろデザインしたTシャツ

創業の地は新潟に決めた。

「大学4年間を過ごして土地勘がありましたし。大学でメディアについて学んで、何かを始めるならメディアを活用したほうがいいだろうなと思っていたので、新潟なら大学の友達でそういった企業に就職する人もいるからある程度状況はわかるだろうなと。とはいえ、結構軽いノリでしたね」

そこで住居兼アトリエとなる物件を見つけ、Tシャツのデザインと販売を始めたものの、なかなか結果は出ない。そんなとき、新潟市にある地下街「西堀ローサ」で、チャレンジショップへの参加者を募集していると知った。

チャレンジショップとは、行政や商工会議所などが中心になり、新規事業を始める人を育てる仕組み。小さな店舗を格安で借りることができ、経営に関するアドバイスを得ることもできる。この制度を利用して、迫さんたちは初めての店を構えた。2001年から2002年にかけてのこの試みが、hickory03travelersの始まりとなったのである。

「アパレル業界に関心があり服飾を学んでいた大学の先輩も誘って3人で、POPの作り方や確定申告のやり方も見よう見まねで始めました。これが結構売れたんです。地元のメディアが僕たちのつくるTシャツを面白がってくれて『若い人たちがこんなことを始めた』と紹介してくれて。今思えば本当につたないものだったんですが(苦笑)」

1年半ほど経ってそれなりに資金が貯まったところで借りたのが古町三番町、現在の店舗の向かいに位置する物件だ。

「商工会議所で市の空き店舗対策として家賃補助があることを教えてもらい、商店街側も受け入れてくださったんです」

商店街の活動にも参加

迫さん達が新しい店を構えてすぐの2004年ごろ、ちょうど古町の一番町から四番町がまとまって組合をつくり、アーケードのリニューアルなどに取り組もうとしていた。その前段階から迫さんもまちづくりについての勉強会や会議に誘われた。ここに参加することが、迫さんが町おこしに関わるきっかけになっていく。

「そういった会に出席しているうちに、やるべきことがだんだん見えてきたというか、自分たちにとっても商店街がいい環境になったほうがいいからと、積極的に発言していました」

上古町商店街のロゴマーク
上古町商店街のロゴマーク

迫さんたちは、町がひとつにまとまるための統一の愛称をつけた。それが「上古町」だった。口で言うだけではカッコ悪いからと、迫さんは自ら上古町のロゴや観光マップも作り、イベントも企画・開催した。

たとえば、アーケードにアート作品や写真を展示したり、道路にチョークで落書きするイベントを開催したり、上古町の飲食店で使えるチケットの福袋を販売したり。イベントを企画・運営する中で、迫さんはさらに町おこしにのめり込んでいくことになった。

商店街の道路にチョークで落書きするイベント
商店街の道路にチョークで落書きするイベント

「のちに上古町商店街振興組合の専務理事になる酒井さんが『こういうのやろう』と情報を持ってきてくれたり、僕がやりたいと提案したことを『いいね』と後押ししてくれるものだから、エスカレートしてしまった感じです(笑)。酒井さんはいろいろな方とまめにコミュニケーションを取っていて、それをきっかけにいろいろな人がこうした取り組みに注目してくださるようになったんです」

酒井さんの活動を見ていて改めて情報発信の重要性に気づいた迫さんは、意識的に地元メディアに対して情報発信をするようになった。

「新聞や雑誌などで取り上げられる機会も増え、徐々に空き店舗が埋まりだしたんです。若い人がやっている店も増えて、いつの間にか『カミフルは若者の町』なんて言われるようになりました。東京などと比べると規模の小さい地方都市の方が、情報発信はしやすいし効果があると実感しました」

「上古町=若者の町」のイメージ定着に成功

2006年に商店街振興組合が結成されると迫さんは27歳の若さで理事に就任。さらに2008年には、上古町の取り組みとその成果が評価されて、アーケード整備に対して国の補助金が交付されることが決まった。

「アーケードがすっきりして、一流の照明デザイナーさんの協力を得て照明もいいものに代えたので、以前より店舗が目立つようになりました。歩きやすくなり、お客様も前より来やすくなったようです。実は内心、ハードなんてそんなに大事じゃない、肝心なのはソフトだと思っていたんですが、やっぱりハードも大事でした(笑)」

上古町は、「若者が集まるエリア」というイメージがすっかり定着。近年はガイドブックにも「上古町」(カミフル)という区分で紹介されるようになった。それと同時に、「街にとって自分がすべきことは何か」という迫さんの考えも、少し変わってきたという。

後編で次回は、活動を通して迫さんの考え方がどう変わったのか、そして本業であるhickory03travelersの活動についてご紹介する。

写真提供:hickory03travelers

hickory03travelers
http://www.h03tr.com