【公開インタビュー】佐々木俊尚さん vol.2 今どきの共同体作りにフィットするのは、“ゆるゆる”したつながり方

2017年1月21日 に行われた『これからの共同体の作り方』会議(会場:BETTARA STAND 日本橋)公開インタビュー。その様子をお届けする記事の第2回は、これからの共同体のあり方について考えていく。

人とのつながりを求めてはいても、かつての“村社会”的な共同体は息苦しいと感じる人は多いのではないだろうか。そんな私たちの、今日的なつながり方は? 佐々木さんの提示するキーワード“ゆるゆる”とは? 実践例をもとにお話をうかがった。

vol.1 この時代に向き合うために、私たちに必要なのは“暮らし”と“共同体”
vol.2 今どきの共同体作りにフィットするのは、“ゆるゆる”したつながり方
vol.3 壁を取り払い、外に出よう! スモールな暮らしがもたらす広い世界
vol.4 進化した“ていねいな暮らし”が“つながり”を産み、私たちの糧となる

佐々木 俊尚(ささき としなお)
作家・ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。愛知県立岡崎高等学校、早稲田大学政治経済学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経て、2003年よりフリージャーナリストとして活躍。ITから政治・経済・社会・文化・食まで、幅広いジャンルで、綿密な取材と独自の視点で切り取られた著書は常にベストセラーとなっている。http://www.pressa.jp/

 

拠り所がない時代に、昭和のアウトサイダー像は響かない

––人のつながりを表すキーワードとして、佐々木さんの著書『そして、暮らしは共同体になる。』でも登場していたのが「ゆるゆるとしたつながり」です。佐々木さんが考える“ゆるゆる”とは、どんな状態を指すのでしょうか。

佐々木俊尚さん(以下佐々木):共同体って息苦しくなるものなのです。僕なんか昭和の人間なので分かるのですが、あの頃企業に属して終身雇用の会社に勤めていると、そこにいられることの安逸さよりも、ここから逃れたいっていう気持ちのほうが強かった。おそらくそれは他の人も同じで、昭和のコンテンツって、歌謡曲でも映画でも“逃げる”モチーフが多かったのです。今は、共同体がなくなって、逆に「共同体が欲しいよね」っていう感覚がすごく溢れてきているけれど、とはいえ昔のような息苦しい共同体を復興させたいのかっていうと……。

イベント当日は冬日。BETTARA STANDにはストーブの炎と参加者の意気込みで熱気があった

––今を生きる人々に、古いタイプの共同体を再生産したい気持ちは、なさそうですね。

佐々木:そうですよね。では、どうやって息苦しくない共同体を作れるのかということを考えないといけません。そのひとつの事例として『そして、暮らしは共同体になる。』のなかであげたのが、熊本のエコビレッジ「サイハテ」という25人ぐらいが住んでいるコミューンです。

70年代にも、同じようなヒッピーコミューンはよく見られました。当時は学生運動をやっていた団塊の世代の人たちが運動に敗れて、「じゃあ新しい村を作ろう」と、九州とか四国とかの山奥に移住して自給自足の生活を送るのが流行った。日本だけじゃなくてアメリカでもヨーロッパでもそういう動きがあったんです。でも当時のヒッピーコミューンは、実は大抵失敗しているんですよ。そのひとつの原因が閉塞感です。当時はろくに電話もなければ、もちろんネットもないなかで、限られた人数の人が山奥に暮らすと、すごく狭い世界になってしまう。だいたいそれで1年か2年でケンカ別れするか、変な宗教団体になるかして、終わってしまうわけです。

今どきの共同体作りにフィットするのは、“ゆるゆる”したつながり方

––現代のエコビレッジを運営する「サイハテ」は、かつてのヒッピーコミューンと何が違うのでしょうか。

佐々木:圧倒的に外に開かれています。まず、インターネットを使いまくっていますね。僕も彼らのイベントに呼ばれたりするのですが、ものすごくFacebookにタグ付けしてきますよ(笑)。情報をどんどん出しているんです。人の出入りも多いですね。ゲストハウスを運営していて、いつでも誰でも泊まりに行けるので、どんどん新しい人が見に来て、継続的に新規の参入者がいる。一方で出て行く人もいます。そして内部の人も村の中だけで暮らすのではなく、東京や福岡を行ったり来たりしています。その出入り自由なつながりが、継続性を保つ秘訣ではないでしょうか。共同体のなかに縮こまらないで、外とゆるやかにつながっている感覚。それを“ゆるゆる”と表現したのです。

 

サイハテのゲストハウスは、誰でも宿泊可能。佐々木さんの後ろに見える白い建物は、アースバックハウス。そのつくり方のワークショップなども行なわれている

––閉塞感のないコミュニティを作る「サイハテ」のスタイルは、SNSなどのインターネットテクノロジーが支えている。きっとマインドセットもかつてのヒッピーコミューンとは違うのでしょうね。

佐々木:70年代のヒッピーコミューンは、“普通の人”にはできないことをやろうという文化的エリートの集まりでした。一方で、いま共同体を必要としているのは、“普通の人”です。1970年代終わりぐらいには日本社会は「総中流社会」といわれていました。国民意識調査をやると9割の人が「私は中流です」と答えるような時代だったわけです。ところが、現在は総中流社会そのものがひび割れて壊れ始めています。非正規雇用が増えて、2000年頃には約450万円あった平均年収が今は300万円台になったように、収入もどんどん下がっていく。

––昔は中流に属して居た人々の、暮らしの拠り所がなくなってきているのですね。

佐々木:そうです。だから社会の中心にいる普通の人たちが、お互いの存在を確認しあい、「われわれはここに居るんだ」と感じられることを必要としています。新しいかたちの“ゆるゆる”とした共同体が生まれるのには、そんな背景があると思うのです。


“普通の人”が手を取り合い、お互いを認め合うことの大切さ

ファシリテーターの YADOKARI編集部。右)編集長大井 左)副編集長蜂谷

著書『そして、暮らしは共同体になる。』のなかで佐々木さんは、“普通”に背を向けてアウトサイダーになる人たちを“反逆クール”と名付けていた。

体感的に東日本大震災前ぐらいまでは、そういったアウトサイダー達はクールな存在だったし、彼らの活動には今でも触発される部分がある。ただ確かに、YADOKARIも含めて現在活動している人たちには、アウトサイダー的なスタイルの人が少ないように感じる。

トークで佐々木さんが紐解いてくれたように、今は多くの“普通の人”……つまり“私たち”は、拠り所を失くしつつある。そのなかで、何かに背を向けるのではなく、手を取り合って大きな変化に立ち向かおうとするのは、ごく自然な流れだ。

変化の波は大きく簡単には乗り越えられるものではないかもしれない。だからこそ“ゆるゆる”とつながりながら、前に進んでいこう。佐々木さんのお話から、そんな思いを新たにした。

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