第2回:生きる芸術「ザンビアで発見したタイムマシーン」

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ザンビアの生活

こんにちは。アート活動のために妻と2人で旅をしている檻之汰鷲(おりのたわし)こと、石渡のりおです。今日は、アフリカ大陸の中央にある国、ザンビアに滞在した話をしたいと思います。

ぼくが滞在したンデケ・ビレッジは、空港からタクシーで30分、首都のルサカまでは約1時間、そんな村でのホームステイは衝撃の体験でした。
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都心に近い村なのに、電気・ガス・水道がなかったのです。朝起きて、井戸の水を汲むところから一日が始まります。中庭にあるタンクに溜めた水が、生活用水になり、食事の度に、炭で火を熾し、電気はない訳ではなく、小さなソーラーパネルを屋根に設置し、その電力で夜は電球を灯し、もっと必要なときは、ガソリンを買ってきて、庭に置いてあるジェネレーターで発電するという、なかなかのハイブリッドな生活でした。電気の供給はあるのですが、値段が高いから使わないという話でした。

日本とザンビアのギャップ

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この環境に放り込まれて、まずインターネットを求めました。ホストファミリーが用意してくれた1カ月分のネット回線をたった2日間で使いきってしまったのです。消費量も扱い方もまったく違っていました。それでも、首都ルサカまで行き、カフェやハンバーガーショップで2000円近くも払ってWi-Fiを利用しました。
ルサカの物価は東京とほぼ同じで、ホストファミリーは、ルサカに来ても何も買い物をしませんでした。その物欲のなさに感激しましたが、それは、単にお金がないだけでした。

滞在したンデケ・ビレッジでは、生活に必要なもの、例えば、トウモロコシの粉、トマト、キャベツ、ニンジン、玉ねぎなどは、安く手に入れることができます。トマトは3個で50円、マンゴーはひとつ10円、バナナは1本20円なので村にいれば、1日300円もあれば充分でした。
それに対して首都のルサカでは1000円、2000円が、すぐに消費されてしまうほど、人々の暮らしに格差がありました。

ザンビアの台所事情

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毎日の食事は、お母さんのエリーザが用意してくれました。朝は食パンです。マーガリンと砂糖をつけて食べます。昼にはンシマというトウモロコシの粉を捏ねてつくる食べ物におかず2品。夜は、トマトを煮たスープと白米。おかずやスープは、小さなお皿を家族でシェアするので、塩辛く、その粗末さに、「え、これが夕飯?」とビックリしてしまいました。
しかし、この生活にも慣れてくると、スープと呼ばれるトマト料理がとても美味しくなってきました。毎日、僅かな食材を工夫して調理するその暮らしが、すっかり心地よくなってきたのです。

「ない」を「ある」に変える魔法

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こんな生活をするうちに、ぼくはwi-fiを求めて街に行くこともなくなりました。空港まで自転車かバスで行き、無料で飛んでいるWi-Fiを使うようになりました。
ザンビアのホストファミリーは、お金こそありませんが、身の回りにある数少ない道具と自然の恵みをフル活用して暮らしていました。つまり、「ない」を「ある」に変え、便利を生み出しているのです。
その一方で、都市に暮らすことは、モノに囲まれて生きることです。便利の数だけ道具があります。あれを使い、これを使い、もっと便利にもっと早くスムースに、と追いかけることができます。

このサイトのテーマでもある、「豊かさ」とは何でしょうか。なんでも手に入れられることが豊かさだとずっと思っていました。しかし、ザンビアでの生活を経て、あえて、いらないという態度をとることで、もっと豊かになる可能性がみえてきたのです。

ZAMBIAとTOKYOを繋ぐタイムマシーン

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ザンビアの生活は、懐かしい匂いがしました。いま39歳のぼくが小学生になる前、生れ育った東京の武蔵野には、まだ井戸がありました。いま駅ビルになっている武蔵境の駅前は原っぱでした。そういう時代の夏の匂いがしました。

日本でガスも電気もない時代とはいつの頃でしょうか。例えば、戦後の日本、高度成長期の前、焼け野原だったと言われるような、そんな時代。本や映画でしか知らない世界。東京からザンビアに移動しただけで、50年も60年も前の日本の生活を疑似体験することができるのです。

漫画や映画のそれとは違うかもしれませんが、これはタイムマシーンです。都市を軸に経済を燃料にして動きまわれば、そこには「未来の生活」があります。また、身体を駆使して自然と共に生きようとすれば、そこには失われつつある「過去の生活」がみえてきます。

表面的に似たようなものになっても、現実はひとつではありません。生きている人の数だけあります。地球という全体のバランスのなかで、過去と未来を飛び回り、そのいいところを集めれば、信じられないほど快適な暮らしが、もっとあるのではないでしょうか。そう考えると、ワクワクしませんか?

ぼく自身は、通信環境を整えて、日本を転々とする暮らしに挑戦してみたいな、と思っています。

次回は、ザンビアで建てた泥の家=作品「インディペンデントハウス」、その話をしたいと思います。