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暮らしを小さくすることで、消費社会から距離をおく。トレーラーハウス暮らしで見つけた、3つのこと|#02 とらわれる必要のない常識、価値観を手放すこと

タイニーハウスや小屋暮らし、ちいさな暮らしはまだまだ実践者も少なく、始めてみたいけど少し不安という方も多いのではないでしょうか?TINYHOUSE ORCHESTRAでは、日本国内で実際にタイニーハウス作りや暮らしを実践されている方にレポートを執筆いただき、新しい暮らしを始めるヒントをお伝えしていきます。

このコラムは、東京から長野へ移住し、“小さく暮らす”をモットーに賃貸のトレーラーハウスでDIY的暮らしを実践中のフリーランスエディター増村江利子さんによる、暮らしづくりの記録です。

脱衣室には、汚れを落とすときに使う石鹸、重曹、ときおり使うクエン酸が置いてある。

都心から長野県諏訪郡に移住して、まずは「電気」というエネルギーへの依存を最小限にしたいと考え、ついに冷蔵庫までも手放すことにした。その経緯はこの記事でも紹介されているが、手放して気づいたことは、これまでいかに、本当はとらわれる必要のない常識に自分が縛られていたか、ということだ。

どこの家庭にも、きっと当たり前のように冷蔵庫があると思う。もれなく私も、学生時代に一人暮らしを始めるとき、まず必要なものとして、洗濯機などの生活家電とともに買い揃えた。

以降、“食材を美味しいまま瞬間冷凍” などと聞くと心が躍った。そして、何度か買い換えたりもした。

電化製品の三種の神器とはよく言ったものだと思う。戦後の日本において、新時代の生活必需品として宣伝された3種類の耐久消費財、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫。当時の新しい暮らしや消費習慣をあらわすマスコミ主導のキャッチコピーは、豊かさや憧れの象徴だったはずだ。

そう、ここでおさらいしておきたいのは、電化製品の三種の神器とは、あくまでマスコミ主導のキャッチコピーだった、ということだ。

私たちは消費者として、日々、いろいろなメディアから流れてくる「宣伝広告」を受け取って暮らしている。いくら逃げようとしても逃げきれないほど、その宣伝網は隙なく張り巡らされている。

自分が必要だと判断してものを買うのではなく、必要だといつのまにか啓蒙されていて、その必要性が自分にとって本当にあるのかを検証することもなく、必要だと思い込んで買ってしまう。もっと言うと、買わされてしまう。

もしかするとほかにも、そうした「自分が必要だと判断していないのに、必要だと思い込んで買っているもの」がないだろうか。そう思って家のなかを見渡してみると、これがまた、驚くほどたくさんあることに気づいたのである。

とらわれる必要のない常識、価値観を手放すこと

私は、「一台何役」という言葉が好きだ。ひとつのモノの用途がたくさんあるって、なんて素晴らしいんだろう。ミニマリストとしての性のようなものかもしれないが、逆に言うと、それしか用途がないモノは、できる限り手元に置かないようにしている。

例えば、ティッシュペーパーは、自分にとって本当に必要なモノだろうか。あの大きさの箱は、決して広いとはいえないトレーラーハウスの中では、どんなに小綺麗なカバーをつけたとしても、何かと目立つ存在だ。思い切ってトイレットペーパーで代用したみたところ、特に困ることもなかった。客人に渡すときだけ、「うちはこれで代用してるから、ごめんね」となぜか謝る事態にはなるが、だんだんと気にしないようになった。

同じように、家のなかのモノを見渡して、あるときふと気づいたのは、“汚れを落とす、きれいにする” 用途のモノが、多種多様にあるということだった。

食器用洗剤、洗濯用洗剤、浴室用洗剤、トイレ用洗剤。うちには置いていなかったが、挙げてみればキリがないほどある。フローリング用洗剤、家具用クリーナー……。洗濯用洗剤ひとつ取っても、おしゃれ着用、部分洗い用、しみ取り用、漂白剤、柔軟剤があるほどだ。そして消臭剤なども加えれば、トイレ用、ペット用と、それこそ、ありとあらゆる商品が用意されている。

それらをすべて、やめることにした。石鹸と重曹さえあれば、代用できる。食器を洗うのは、アクリルたわしを使えば、洗剤をつかわなくても汚れが落ちる。お風呂やトイレ掃除にはクエン酸を使ったり、消臭にはミョウバンを使ったりもするが、汚れを落とす、きれいにするためのモノを、こうして減らしていった。

洗濯するときは、石鹸を削って、お湯で溶いて使う。

つまり、用意されている商品を買わずに、代用できるモノを自分でつくるようにした。そして気づいたのは、家のなかから商品のパッケージがなくなると、落ち着く、ということだった。私は、モノの多さに落ち着かないだけでなく、主張の強い商品のパッケージに落ち着かなかったのだとわかった。もちろん、詰め替え容器を用意するなど工夫してはいたが、それも間に合わないほど、家のなかに商品があった。

暮らしに必要なモノを、すべて買わずに自分でつくれるようになりたいが、まだまだ道のりは遠い。そこで私は、せめて、商品のパッケージを家に持ち込まないようにしようと決めた。

例えば、煮干しを買ってきたとする。買うときは、もちろん商品を選ぶ。このメーカーの、これがいいと。でも家のなかに運ばれたら、その選択基準はもういらない。煮干しは煮干しであって、それ以上のものでも、それ以下のものでもない。だから、買い物から帰ってきたらすぐに、中身をビンやホーローなどの容器に移し替えることにした。

これがまた、大変な作業だった。いかにたくさんの商品を購入しているか、ということを思い知らされた。それでもめげずに、徹底した。続けているうちに、移し替えるほど使用頻度の少ないモノは、おのずと買わないようになってきた。

こうして、商品のパッケージが家のなかからなくなった。家のなかが静かになったように感じた。モノの主張がない。それだけで、暮らしが整ったような気がした。

ひとつひとつ、それは自分にとって本当に必要なモノなのか、と問いをたててみる。面倒な人だと思われるかもしれないが、その問いを、考える必要もない便利な世界に私たちは生きている。

思考を手放しても、生きていける便利な世界。でも、その思考を、私は自分の手に取り戻したいと思っている。自分自身の根っこにある価値観を取り出して、とらわれる必要のない常識や価値観を手放す。消費者から、つくり手に回る。そうした暮らしにこそ、ほしい未来があると私は信じている。


ライター:増村 江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経てフリーランスエディター。二児の母。長野県諏訪郡の賃貸トレーラーハウスにてDIY的暮らしを実践中。

タイニーハウスや小屋暮らし、ちいさな暮らしはまだまだ実践者も少なく、始めてみたいけど少し不安という方も多いのではないでしょうか?TINYHOUSE ORCHESTRAでは、日本国内で実際にタイニーハウス作りや暮らしを実践されている方にレポートを執筆いただき、新しい暮らしを始めるヒントをお伝えしていきます。

このコラムは、東京から長野へ移住し、“小さく暮らす”をモットーに賃貸のトレーラーハウスでDIY的暮らしを実践中のフリーランスエディター増村江利子さんによる、暮らしづくりの記録です。

脱衣室には、汚れを落とすときに使う石鹸、重曹、ときおり使うクエン酸が置いてある。

都心から長野県諏訪郡に移住して、まずは「電気」というエネルギーへの依存を最小限にしたいと考え、ついに冷蔵庫までも手放すことにした。その経緯はこの記事でも紹介されているが、手放して気づいたことは、これまでいかに、本当はとらわれる必要のない常識に自分が縛られていたか、ということだ。

どこの家庭にも、きっと当たり前のように冷蔵庫があると思う。もれなく私も、学生時代に一人暮らしを始めるとき、まず必要なものとして、洗濯機などの生活家電とともに買い揃えた。

以降、“食材を美味しいまま瞬間冷凍” などと聞くと心が躍った。そして、何度か買い換えたりもした。

電化製品の三種の神器とはよく言ったものだと思う。戦後の日本において、新時代の生活必需品として宣伝された3種類の耐久消費財、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫。当時の新しい暮らしや消費習慣をあらわすマスコミ主導のキャッチコピーは、豊かさや憧れの象徴だったはずだ。

そう、ここでおさらいしておきたいのは、電化製品の三種の神器とは、あくまでマスコミ主導のキャッチコピーだった、ということだ。

私たちは消費者として、日々、いろいろなメディアから流れてくる「宣伝広告」を受け取って暮らしている。いくら逃げようとしても逃げきれないほど、その宣伝網は隙なく張り巡らされている。

自分が必要だと判断してものを買うのではなく、必要だといつのまにか啓蒙されていて、その必要性が自分にとって本当にあるのかを検証することもなく、必要だと思い込んで買ってしまう。もっと言うと、買わされてしまう。

もしかするとほかにも、そうした「自分が必要だと判断していないのに、必要だと思い込んで買っているもの」がないだろうか。そう思って家のなかを見渡してみると、これがまた、驚くほどたくさんあることに気づいたのである。

とらわれる必要のない常識、価値観を手放すこと

私は、「一台何役」という言葉が好きだ。ひとつのモノの用途がたくさんあるって、なんて素晴らしいんだろう。ミニマリストとしての性のようなものかもしれないが、逆に言うと、それしか用途がないモノは、できる限り手元に置かないようにしている。

例えば、ティッシュペーパーは、自分にとって本当に必要なモノだろうか。あの大きさの箱は、決して広いとはいえないトレーラーハウスの中では、どんなに小綺麗なカバーをつけたとしても、何かと目立つ存在だ。思い切ってトイレットペーパーで代用したみたところ、特に困ることもなかった。客人に渡すときだけ、「うちはこれで代用してるから、ごめんね」となぜか謝る事態にはなるが、だんだんと気にしないようになった。

同じように、家のなかのモノを見渡して、あるときふと気づいたのは、“汚れを落とす、きれいにする” 用途のモノが、多種多様にあるということだった。

食器用洗剤、洗濯用洗剤、浴室用洗剤、トイレ用洗剤。うちには置いていなかったが、挙げてみればキリがないほどある。フローリング用洗剤、家具用クリーナー……。洗濯用洗剤ひとつ取っても、おしゃれ着用、部分洗い用、しみ取り用、漂白剤、柔軟剤があるほどだ。そして消臭剤なども加えれば、トイレ用、ペット用と、それこそ、ありとあらゆる商品が用意されている。

それらをすべて、やめることにした。石鹸と重曹さえあれば、代用できる。食器を洗うのは、アクリルたわしを使えば、洗剤をつかわなくても汚れが落ちる。お風呂やトイレ掃除にはクエン酸を使ったり、消臭にはミョウバンを使ったりもするが、汚れを落とす、きれいにするためのモノを、こうして減らしていった。

洗濯するときは、石鹸を削って、お湯で溶いて使う。

つまり、用意されている商品を買わずに、代用できるモノを自分でつくるようにした。そして気づいたのは、家のなかから商品のパッケージがなくなると、落ち着く、ということだった。私は、モノの多さに落ち着かないだけでなく、主張の強い商品のパッケージに落ち着かなかったのだとわかった。もちろん、詰め替え容器を用意するなど工夫してはいたが、それも間に合わないほど、家のなかに商品があった。

暮らしに必要なモノを、すべて買わずに自分でつくれるようになりたいが、まだまだ道のりは遠い。そこで私は、せめて、商品のパッケージを家に持ち込まないようにしようと決めた。

例えば、煮干しを買ってきたとする。買うときは、もちろん商品を選ぶ。このメーカーの、これがいいと。でも家のなかに運ばれたら、その選択基準はもういらない。煮干しは煮干しであって、それ以上のものでも、それ以下のものでもない。だから、買い物から帰ってきたらすぐに、中身をビンやホーローなどの容器に移し替えることにした。

これがまた、大変な作業だった。いかにたくさんの商品を購入しているか、ということを思い知らされた。それでもめげずに、徹底した。続けているうちに、移し替えるほど使用頻度の少ないモノは、おのずと買わないようになってきた。

こうして、商品のパッケージが家のなかからなくなった。家のなかが静かになったように感じた。モノの主張がない。それだけで、暮らしが整ったような気がした。

ひとつひとつ、それは自分にとって本当に必要なモノなのか、と問いをたててみる。面倒な人だと思われるかもしれないが、その問いを、考える必要もない便利な世界に私たちは生きている。

思考を手放しても、生きていける便利な世界。でも、その思考を、私は自分の手に取り戻したいと思っている。自分自身の根っこにある価値観を取り出して、とらわれる必要のない常識や価値観を手放す。消費者から、つくり手に回る。そうした暮らしにこそ、ほしい未来があると私は信じている。


ライター:増村 江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経てフリーランスエディター。二児の母。長野県諏訪郡の賃貸トレーラーハウスにてDIY的暮らしを実践中。

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