【鶴川団地 対談インタビューVol.1】 鶴川団地で新たな人との繋がりを “先輩”に聞く 団地での暮らし

東京都町田市の東側に位置する「鶴川団地」。部屋の多くがリノベーションされ、広場では夏祭りやバザー、餅つき大会などのイベントが行われ、1年を通して賑わいを見せています。

また団地の1階部分には鶴川団地センター名店街があり、スーパーや酒屋、郵便局などが軒を連ね、団地に住む人たちの生活を明るく支えています。

そんな鶴川団地に、6月からコミュニティビルダーとして石橋さんと鈴木さんがお引越し!鶴川団地で実際に生活しながら、団地に暮らす人たちとのさまざまな交流をしていく予定です。

今回は鶴川団地の魅力を教えていただくべく、初期から鶴川団地で暮らし、鶴川名店会のメンバーでもある富岡秀行さんにコミュニティビルダーのおふたりがお話しをお聞きしました。自治会長の佐久間弘雄さんにも同席していただき、これまでと今の鶴川団地についてたっぷりとお伺いしました。

団地と共にあった富岡さんの50年

――まずは富岡さんが鶴川団地に住まわれたきっかけについてお聞きしたいです。

富岡さん「当時、丸石家具っていうお店に勤めていたんだけど、当時の住宅公団から店舗として入らないかって打診があって。そのときに専務がしてきて。最初は住人じゃなくて、店舗として関わる形だった。それが25歳のとき」

石橋さん「団地内に丸石家具さんのお店ができた、という形なんですね」

富岡さん「そう、今の私の店がある場所に」

石橋さん「倍率すごかったんじゃないですか」

富岡さん「私は店舗だから抽選はなかったけど、そのころの入居率は40倍だったかな」

石橋さん「40倍! その抽選をくぐり抜けないと入居できなかったんですね……」

富岡「そう。私の場合は店の中にベッドを置いてそこで寝泊まりしていたよ。それからしばらくして、店舗の上に増築されて2階で暮らすようになった。あのときはすさまじいペースで増築されていったなあ」

――鶴川団地ができたころからお住まいということは、やはり今とは雰囲気や空気感は違いますか?

富岡さん「そうだね。そのころはどんどん入居があって、本当に活気があった。だいたい30代から40代の人たちが多かったね。世の中が変わっていく中で、やっぱり団地の中の雰囲気も変わってきたと思うよ」

石橋さん「商店街は今でも入居率が高いですよね。お店も変わってきているところはあるんですか?」

富岡さん「やっぱり昔からやっているところがだんだん少なくなってきてるよね。ずっと続いているところだと、酒屋さんとか肉屋さん。あとはお蕎麦屋さん、代は変わってるけど八百屋さん……それぐらいかな」

石橋さん「思い出に残ってるお店とかあったりします?」

富岡さん「うーん。20年ぐらい前かな。1度に3軒、なくなっちゃったことがあるのが一番印象に残ってる。2人は病気で亡くなって、1人は高齢で……。2人はまだ50代だったかな」

石橋さん「それはつらい……」

富岡さん「3人とも飲兵衛だったな。いつも夜の12時ぐらいに電話がかかってきて、『今スナックいるから来てよ』って。私も当時若いから行っちゃってたね」

家族のような商店街の関係

石橋さん「団地内にスナックもあったんですか?」

富岡さん「そうそう。スナックとか食堂があって。夜は商店街がやってないから、独身のときはそこで飲みながら食べに行っていたね。そのころはみんな飲んでばっかりだったな。昔は商店街の会合が終わったら、必ずみんなで飲んでた。今はそういうのないけど」

石橋さん「誰かの家に集まるみたいなことはあったんですか?」

富岡さん「うちにはしょっちゅう来てたね。酒屋さんでお酒を買って」

――団地の中の八百屋さんとか、買い物は基本的に団地内で、という感じなんですか?

富岡さん「だいたい団地内で間に合っちゃうから。あんまり外へは買い物には行かなかったかな。衣料品ぐらいだね、外に買いに行くのは。コンビニもまず行かないな」

石橋さん「顔見知りの人の数がすごそうですね」

富岡さん「そうだね。でも、だいぶ先輩たちも亡くなっちゃったからね……」

石橋さん「怖かった先輩とかいますか?」

富岡さん「特にはいなかったかな。年配の人が多かったからかわいがってもらったよ。しょっちゅう先輩と飲んでいたり、旅行も多かったな。商店街のみんなで年に1回行くんだよ。熱海とか箱根とか……」

鈴木さん「じゃあその日は、商店街は定休日なんですね」

富岡さん「そう。車で何人か乗り合わせてあちこち行ったよ。今はそういうことはなくなっちゃったけど。あとは商店街のみんなで川でバーベキューしたり」

――富岡さんがお住まいになったのと同じぐらいの時期に来て、今でも住まわれてる方も多いんですか?

富岡さん「いますよ。この土地が気に入って、一生ここに住みたいという人は多いね」

石橋さん「それって、52~53年の付き合いってことですよね。すごいなあ」

鶴川団地で人との繋がりを見つけたい

――今回コミュニティビルダーへの応募が多かったんですが、おふたりが入居するってなったきっかけとかはお聞きになられましたか?

富岡さん「そういえば、そこまでは聞いてなかったな。住みたい理由ってなんだったの?」

石橋さん「僕は父の仕事の関係でずっと転勤族だったんです。海外に住んでいたこともあるんですが、だいたいどこへ行っても、長くて4年ぐらいで友達ともさよならしなきゃいけない。そんな感じでずっと育ってきたんですけど、社会人になって結婚式関係の仕事に就いてからちょっと考えるところがあって。結婚式のゲストの方々は新郎新婦の中高の友達だとか小学校の友達とか、付き合いの長い人たちばかり。でも、僕はそういうのがない。地元があるというのは、ずいぶんと特別な体験のようだなあ、ってすごく羨ましく思い始めたんです。転々としてきた暮らしがあったからこそ、いろんな人との関係性を大事にしながらその土地にちゃんと住むっていうのをやりたいと思ったのが、大きかったですね」

富岡さん「募集はネットで見たの?」

石橋さん「そうですね。鶴川という場所には来た事がなかったんですけど、募集を見てこれだ、って思って。でもどうやらぺアで募集らしいということで彼女に声をかけて、一緒に住む? って」

鈴木さん「きっかけ自体は彼から誘われたことなんですけど……。繋がりを振り返る仕事をしたいと思って結婚式のウェディングプランナーのお仕事していたんです。そこでもやっぱりその彼が言ってたように、高校時代の友達だったりとかその人たちの話を聞いたりしたのは大きかったですね。それに、今コロナ禍で、結構人との関わりってすごい希薄になっているときに私ってやっぱり誰かと一緒にいるのがいいんだなって思ったんです。繋がりを大事にしたいって思い知らされて。この鶴川団地プロジェクトなら、道を歩けば見知った人と挨拶ができたり、商店街もたくさんあって、お店や物を通してでも、人と繋がるきっかけがたくさんここにはあるな、と思いました」

石橋さん「……とそんな感じでここにやってまいりました」

佐久間さん「勤め先はどのあたりにあるの?」

石橋さん「僕は横浜のほうですね。いま、どうやって通おうかな、って考えてるところです」

鈴木さん「私は新宿なのでここから小田急線で1本ですね」

佐久間さん「交通の便も悪くなさそうでよかった」

――石橋さんや鈴木さんのような若い方が入ってくることには、富岡さんはどういうふうに感じられていますか?

富岡さん「高齢者ばかりでバランスが崩れてきているからね。子どもたちのためのイベントも自治会でやっていたけど、子どもたちがいなくなってできなくなっちゃったからね。
このままだとちょっと先が思いやられる。若い人が自治会に入ってくれて、イベントの推進力が上がると良いよね。前向きにいろいろやってくれることには大賛成だよ」

――石橋さん、鈴木さんから富岡さんや佐久間さんにお聞きしたいことってありますか?

石橋さん「(小声)あの……今部屋の畳がちょっと反っちゃってるんですけど、そういうのってどうしたらいいんですかね?」

富岡さん「新聞紙入れるとか……あとは管理事務所に行ってみるとか」

石橋さん「そういうときって管理事務所なんですね。普通は管理会社や大家さんに連絡するとかですけど」

富岡さん「管理事務所に畳がこうなってるよ、って言うのがいいかな。結構混んでるけど」

石橋さん「管理事務所がですか?」

佐久間さん「住まいで困ったことがあると事務所に行くことになるからね」

石橋さん「なるほど」

--鈴木さんは何かありますか?

鈴木さん「お店だったりとか、風景がここいいよとか、そういうことでもいいんですけど、お気に入りのスポットがあったら教えていただけたらなって。個人的にはジョギングが好きなので、坂道がちょうどいいトレーニングになるっていうのと、家の近くにベンチがあるので疲れたときに一緒にビール飲みながらゆっくりするのでもいいね、って言ってるんですけど」

富岡さん「大山丹沢、富士山が見えるっていうところがあって、そこが気に入って引っ越さないっていう人もいますね。坂が多いから、高齢者にちょっと大変だけど、基本的に起伏に富んでて変化があるという点ではいい場所だと思うよ」

――逆に富岡さんや佐久間さんから2人に期待することってありますか?

富岡さん「まずはコロナが収まってくれないとね。コロナが収まった時点でイベントはしたいですね。コロナ退散お祝いとか、そういう催し物はやりたい」

佐久間さん「そうだね、落ち着いたら」

石橋さん「夏祭りもこのあたりでは一番大きいって聞きました」

富岡さん「若い人が来てくれてるね。2~3年前に台風で中止にしたことがあったんだけど、どういう訳か集まってきちゃって。で、もう仕入れちゃったからってうちの娘と息子がヨーヨーとかゲームを出して、せっかくだからって別の人に音響を頼んだら今度はその人が綿菓子始めて……そしたらやっぱり人が人を呼ぶんだね。ものすごい人が集まっちゃった。やっぱり、地域の活気の元だからね、そういうイベントは。他にはバザーとか、餅つき大会とか」

佐久間さん「餅つきなんかは近くに大学があるからそこの学生が手伝いにきてくれることもあったね。バザーは春と秋にあるし」

鈴木さん「わー楽しそう!」

立ち話ができる場所があり続けてほしい

――最後にこれからの鶴川団地がこうなってくれたらいいな、という展望などをお聞かせいただきたいです。

富岡さん「商店街で、結構立ち話をしている人たちの姿を見るけど、そういう場所は良い形で残していってほしいですね。商店街がなくなったら本当に寂しくなるし、地域の繋がりもなくなっていくと思う。商店街って、生活の向上にも役立つし、コミュニケーションを取れる場所でもあるから」

石橋さん「立ち話ができる風景って結構貴重な気がしていて。今、都内に住んでいるんですけど、そういう立ち話ができるスキがないっていうか。そういう意味で言うと、商店街の中だったりとか、団地の中にあるちっちゃいベンチがこの鶴川団地の一番いい魅力になってる部分なんだろうな、ってなんとなく思っていて。そこに越してこれるっていうのが楽しみです」

鈴木さん「私は商店街で常連さんになっていく、っていうのが楽しみです。この前、酒屋さんでも積極的に話しかけてくれるっていうのが印象的で。そこも繋がるきっかけになってるのかな、って思いました」

富岡さん「そうだね、階段や棟では普通はなかなか会わないんだけど、買い物ではばったりと会えることも多いから。それが商店街のいいところだよね」

ほかにも富岡さんが育てた蕗をもらった話で盛り上がったり、佐久間さんとはこれまでの鶴川団地での催し物について話したりと、早くもたくさんの団地の魅力について教えていただきました。

少し先の未来のイベントにも胸を躍らせつつも、「早く友達ができるといいな」と言う石橋さんと鈴木さん。鶴川団地の魅力のひとつでもある密なコミュニケーションで、その日も近いかも?
これからの生活にますます期待が高まるばかりです。