【鏡祭トークセッション➂「馬鹿」ばか】一つを決めて、やりきるということ

2024年7月6日、YADOKARIは創業10周年を記念して、1人ひとりが自分の人生を取り戻し新しい世界を創っていくために、”自分と、他人と、世界と向き合い、共に行動するための集い”「鏡祭」を開催した。イベントテーマ「180 〜めざす、もがく、変わる〜 」の下、各界のゲストを招き、今向き合いたいイシューについて行った4つのトークセッションの様子を、YADOKARIに関わりの深い3人のライターが「鏡」となり、映し出す。​​​​本記事は、セッション➂「馬鹿」のレポートだ。

»当日の様子を見れるアーカイブ動画はこちら

トークセッション➂の会場となったのは、東急プラザ表参道オモカド内にある「LOCUL」

はじめに

「今度町田でイベントをやるから、レポートを書いてみない?」

そう声をかけてもらったのは2019年の秋、YADOKARIが運営していた高架下複合施設「Tinys Yokohama Hinodecho」でスタッフとしてアルバイトをしていた時のことだった。あの頃の私は22歳で、”文章を書くのが好き”という気持ちだけを宙に浮かせた何者でもない学生だった。

そのイベントレポートを皮切にありがたいことにYADOKARIから様々なお仕事を頂き、毎日毎日、馬鹿の一つ覚えみたいに文章を書き続けていたら、いつしか胸を張ってライターですと名乗れるようになった。YADOKARIは、”言葉を紡いで生きていきたい”という夢を叶えてくれた、私にとってとても大切な会社だ。

「YADOKARIの10周年イベントでトークセッションを開催するので、レポートを書いてくれませんか?」

2024年の夏、そんな大切な会社の10周年イベントにライターとして関われることが嬉しくて、私は二つ返事で快諾した。登壇者も思い入れのある顔ぶればかりで、私は勝手に、自分自身も一つの集大成のような気持ちで取材に臨んだ。

ところが蓋を開けてみれば、トークセッション前にどしゃぶりの雨が降って会場が屋内に変更になり、終盤でファシリテーターが登壇者の話を遮り、最終的に登壇者の一人が涙をこぼしていた。こう書くと収集がつかないイベントのように聞こえるかもしれないが、私はこのトークセッションが一番、鏡祭のテーマである「180 〜めざす、もがく、変わる〜 」を体現していたように思う。雷鳴をBGMに繰り広げられたカオスの一部始終を、ぜひ追体験してほしい。

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◆セッションテーマ:馬鹿|ばか
馬鹿、本能、囚われから抜け出す、揺さぶりとユーモア、バグ

【ゲスト】
●赤澤岳人|株式会社OVER ALLs 代表取締役社長(写真左から2人目)
1981年生まれ。ロースクール卒業後、数年間の無職ニート期間を経て29歳で大手人材会社に初就職。社内の新規事業コンテストで優勝し、新規事業推進室の責任者に。2016年、画家の山本勇気と共にOVER ALLs設立。年間で数十件の企業や組織などのWOW!をミューラル(壁画)で表現する活動を続ける。

●川口 直人|YADOKARI プロデュースユニットリーダー(写真右から2人目)
長野県長野市生まれ。大学卒業後、YADOKARIへ新卒入社。自社施設運営、メディア事業、セールス、企画プロデュース、事業開発など幅広く担当し、現在はプロデュースのユニットリーダーを担当。

●山下里緒奈|YADOKARI プロデュースユニット (写真右)
東京都国分寺市生まれ。デンマーク留学中、暮らしに溶け込む「遊び」の価値観にどっぷり浸かる。冒険遊び場やラジオパーソナリティ、国分寺のまちの寮での活動を経て、2022年にYADOKARIジョイン。名前の由来がリオのカーニバル。

●ダバンテス ジャンウィル|ニューヤンキーノタムロバ住人 (ファシリテーター/写真左)
1998年、神奈川県生まれ、相模原育ちのフィリピン人。映画や音楽などアートに触れる環境で育つ。社会問題に変化を及ぼすアートについて興味を持つ。YADOKARIが運営を行う『クリエイティブ最大化』がコンセプトのシェアハウスニューヤンキーノタムロバに居住。自らのルーツであるフィリピンと生まれ育った日本の間でアイデンティティに悩みながら、日本に暮らす外国人が抱える差別や偏見、生きづらさを発信している。

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「馬鹿」になりたい

山下: 「馬鹿」という言葉はネガティブなニュアンスで使われることが多いですが、「生きるを、啓く」というパーパスを掲げ、暮らしの領域で新しい価値観の可能性を探ろうとする我々YADOKARIが、今向き合うべき態度ではないだろうかという思いから、今回このテーマを設定しました。

私はYADOKARIに入社して今年で3年目になりますが、実はここ数ヶ月は3日に1度くらい泣いていて。それは忙しない日々に疲れてしまっているというのもありますが(笑)、YADOKARIが「自分がどうありたいのか」を常に問うてくる会社だからなんです。私自身そこに向き合いたい気持ちがあるからYADOKARIにいるんですが、実際私は馬鹿真面目でもあるし石橋を叩いて叩いて結局渡らない理由を探しちゃうようなビビリな側面もあって。
でも、情熱があって、無我夢中で、本能的な感覚を頼りに突き進んでいく、向こう見ずなところもあるかもしれないけど誰よりも楽しんでいる。そういう「馬鹿」になった状態でものづくりができるともっと感動を与えられるのではという思いがあるので、今回「馬鹿」についてぜひ皆さんと一緒に考えたいなと思っています。…これ真面目すぎる?

ダバンテスさん(以下敬称略): 話を聞いていて、本当にこの人は馬鹿になりたい真面目な人なんだなと(笑)。今回このトークセッションのお話をいただいたときに『馬鹿の壁』という本を勧めたら、「課題図書ですね、貸してください!」と言って1週間でみっちり読み切った人間が、この山下里緒奈です。では改めて、赤澤さんの自己紹介をお願いしても良いですか?

赤澤さん(以下敬称略): 株式会社OVER ALLsという壁に絵を描く会社をやっています。アートでご飯を食べていくのが大変なこの国で、「ミューラル(壁画)」という、言葉が浸透していないくらい一般的じゃないもので会社を作るのはなかなか馬鹿なことだなと思いますが、そういう会社をやらせていただいています。

「馬鹿」と「迷い」

山下: 赤澤さんは、ご自身をいい意味で馬鹿だと思いますか?

赤澤: いや、思わないです。至極まっとうだなと思っています(笑)。今回の「馬鹿」というテーマを聞いたときに、現代はみんな暇かつ賢すぎるんだろうなと思いました。例えば今日を生きるのに必死なときに、自分のやりたいことは何だろうと考える人はいないですよね。だけど現代は情報だけはたくさんあって簡単にアクセスできるし、暇だからやりたいことを探さなきゃいけない。そうしてみんなが迷っているのを見ると、賢すぎて逆に馬鹿になっているところがあるんじゃないかと思いますね。

山下: 「馬鹿」を考えるうえで、「迷い」は良いヒントな気がします。とにかくまっすぐで、良いと思ったものを信じて進んでいく力のある状態が「馬鹿」だと思うので、「迷い」とどう向き合うかが、馬鹿になれるかどうかの分かれ道な気がします。

赤澤: 僕は、そんなにやりたいことがどうこうと考える必要はないと思っています。僕自身も、今はあまりやりたいことがないんです。僕の場合、それはできることが増えてしまったからだと思っていて。日本のアートの市場規模は2000億から3000億円ほどしかなく、そんな業界で会社を始めた当初は、2年間手取りが14万円でした。14万円だと生きていけないので、とにかく必死で。

今はある程度生活ができるようになり僕自身もできることが増えたから、逆に選ぶのが難しくなってしまい、人通りの多い南青山の交差点にある事務所の1階を1年くらいほったらかしにしているんです。今の僕は、やろうと思えばここでタコス屋さんもバーも物販も、会社のプレゼンテーションもできる。できることが増えた結果、選択肢が多くなり、迷ってしまって動けていないんです。

山下: 昨今は場づくりにおいても、働き方や暮らし方においても、余白や選択肢をたくさん持っていることを豊かとする考え方が増えていますよね。私は、ここで言う「馬鹿」というのはそことは少し違う路線を行くことなのかなという感覚があって。何でもできる豊かさではなく、何か一つを決めきって、信じて進んだ先に見える景色があるのかもしれないなと思っています。

ダバンテス: 現代は情報に溢れていて、本当にいろいろな選択肢があるじゃないですか。だけどやりきれない、踏み出せないというのは、ここにいる多くの方も抱いたことのある感情ではないかと思います。選択肢が多いと選ぶのが難しい一方で、何かを選ぶにはある程度の情報も必要だと思うのですが、自分のやりたいことを見つけるために情報はどういうバランスで受け取っていくのが良いのでしょうか?

赤澤: やりたいことが見つからないという人に、「やりたいことをどうやって探していますか?」と聞くと、ちゃんと人に会って話を聞いたり、調べたり、本を読んだり、勉強したりしているんです。ですがやりたいことを探すうえで一番大事で一番身近な一次情報に当たってないんですよ。それは家族や親友など、周りの人に「自分に何をやってほしい?」と聞いて回ること。一番自分のことを見てくれる人たちに対して、自分のマーケティング調査を行うことですね。それが一番確かな情報なのに、みんな広いインターネットの海に飛び出していって、迷ってしまうわけですけど。

2,30人に聞いてみると、結構みんな自分のことを見てくれていて、あなただったらこういうことができるんじゃないかと伝えてくれます。そのうちの一つを選んでまずやりきってみたらいいと思います。

「情熱」が嫌いだ

山下: 今年の鏡祭のテーマである「180」は、180%でもあり180BPMでもあり、熱量を持って挑んでいくことで目指せるものがあるのではという考えのもとで設定されました。川口さんは今、何%ぐらいでYADOKARIに向き合っていますか?

ダバンテス: 正直に本音で答えてください(笑)。

川口: 入社して数年は180%でやってきたつもりですが、今は正直に言うと60%くらいの力ですね。一つに決めて必死にやり切ることで得られる感動や幸せはこれまでYADOKARIで何度も味わってきて、それが面白いことも知っています。

僕は初期からYADOKARIにいて、代表の2人以外に社員が僕1人だった時期もあるのですが、今は仲間が増えてきて、同世代も多く居心地が良い。プライベートではパートナーもいて幸せに暮らしている。最近はこの状態を守るのも一つの幸せだなと感じているので、馬鹿にならず、賢く60%で生きることも一つの選択肢だなと考えるようになりました。ですが一方で、「いや、そういうわけでもないよな」という気持ちも最近ニョキニョキと芽生えてきている状態です。

ダバンテス: そのニョキニョキはなんで出てきてるんだろう?

川口: 殻の中の幸せから飛び出さなければ、という感覚もあるのだと思います。一つに決めて必死になる自分を待っているんでしょうね。なので、やりたいこと決めなきゃ、と共感しながら赤澤さんのお話を聞いていました。

赤澤: 今おっしゃっていた60%というのはすごくいいなと思います。実は僕、最近情熱って言葉が大嫌いなんですよ(笑)。情熱っていう曖昧なものほどいい加減なものはないというか。この馬鹿というテーマも、「自分馬鹿なんですよね」と言って馬鹿を演出する人は本当の馬鹿じゃないんです。情熱の演出が入ってるから。本気でやっている人たちは淡々とやっていて、情熱なんてことを語らない。だから、180%で燃えつきてしまうよりは、60%で淡々とやり続ける、でも絶対に逃げない、そして諦めない。そっちの方が僕はよっぽど大事なことだと思います。

「馬鹿」になる恐怖

川口: YADOKARIが新たに「生きるを、啓く」というパーパスを掲げたとき、僕はまだ自分にできることがあるんだと感じました。山下さんはどうですか?

山下: 私が今回「馬鹿」をテーマにしたのも、「180」というキーワードが光になるなと思ったのも、「生きるを、啓く」というパーパスがあってこそだなと思っていて。赤澤さんの話を聞いて、生きる上で180%と60%は二者択一ではないというか、ある意味恋愛感情に近い部分もあるのかなと感じました。例えば恋は瞬間的で燃え尽きてしまう可能性もあるけど、それが愛になると、微熱くらいの温度かもしれないけれど下がることなく続いていくのかなと思っていて……

ダバンテス: ちょっと待ってください。うまく喋りすぎてませんか?

残り時間もわずかとなり、話が終盤に入っていくかと思われた頃、ダバンテスさんの一言で空気が一変する。

ダバンテス: 山下さんは話が上手くてファシリテーション慣れしている人だけど、今回はあなたたちYADOKARIが主役の場なんですよ。正直聞きながらずっとイライラしていて、なんでお前らうまいこと喋ってんだばかやろーと(笑)。そこじゃなくて、本当に心からの叫びみたいなのを語るのが今回のこのテーマなんじゃないですか?友達や家族にしか言えないようなあなたの内側にある悩みを聞く、そして答えもらう。それがいま一番正しい姿勢なんじゃないかと僕は思います。悩もう、待とう、大丈夫。

山下: うん……まさに(笑)そこを引き出してもらうためにダバちゃんに来てもらったんだよね。多分、私は自分の願いや欲求を宣言するのが得意じゃないんです。

ダバンテス: 怖いのかな?

山下: そう!怖くてビビリで、それを言ったらどう思われるかをすごく気にしてしまう。私の感覚では、日々働いたり社会と向き合うときには、自分がどこを目指したいかより、関係する人と向き合って、相手がどう思っているかを理解して情報を揃えたうえでしか、自信を持って自分の発言ができないと思っているところがあって。自分がこうありたい、こうしたいと決めて、楽しく前を向いて進み始めたら、一緒にやっていける人が自ずとそばにきてくれるんじゃないかと頭では分かっているけど、旗を掲げて突き進むのが怖いんだと思います。

赤澤: 突き進むのが怖い?

山下: はい。でもなんでだろう。私は何を怖がっているのか……

ダバンテス: どんな言葉が浮かんでくる?

山下: う~ん。自分が発言したことを相手がどう受け取るかや、他人の目にすごく自分の心が傾いてしまう感覚というか……

赤澤: 自分が言ったことに対する相手の反応が、あなたの人生に何の関係があるんですか?

山下: そうですよね。私は多分、調和みたいなものを強く求めているんだと思います。強烈な原体験があるわけではないけれど、だからこそなのか、何かと決裂したり、誰かに嫌われたり、呆れられたり、そういった人と分かり合えない状況を恐れている気がします。だから自分のスタンスとして、周りから応援・理解されてない状況で、「いや、でも私やりたいんで」と馬鹿になりきれない。

赤澤: 自分の発言や行動に対する相手の反応と、相手・自分の人格は切り離した方がいいですね。大人はみんな立場があってポジショントークをしているから、今ご自身がやられていることに対して相手が反応しても、それは人格を攻撃されたわけじゃなくて、あくまでやっている「こと」に対して発言しているだけ。その人があなたの全人格を否定しているわけではないという感覚を持って、そこは分けて考えた方がいいと思いますね。

山下: 自分が生み出すものは自分の化身だと思っている部分もあって、そうあることが自分にとっての美意識ではあるけれど、もっと自分が解放されていくためには、切り離すことも必要なんだなと赤澤さんの言葉を聞いていて思いました。

赤澤: アートはその典型ですよね。アート作品というのは世の中に出した以上、非難にさらされるわけですよ。クリエイティブは全部そう。だけどそれは作品に対して批判があるだけであって、クリエイターの人格を否定されていいるわけじゃないはずなんです。そこを混同してしまう人も多いけれど、分けて考えられるようになると良いのではと思います。

山下: おっしゃる通りだなと思う一方で、「でも切り傷ぐらいは怖がらずにつけろよ、自分」という気持ちもあります(笑)一体何を守ってるんだ、と常に自分に問うてるんですよね。

ダバンテス: ここまで三人の話を聞いてきて、それぞれの悩みがあるなかで、赤澤さんと川口さんは同じような悩みの路線にいる気がしています。そのうえで、川口さんが今、一番悔しさを感じることは何なのか、感情的にネガティブになることっていつなのかを聞かせてほしいです。

川口: 最近はできることが増えてきて、いろいろなことがこなせるようになってしまったことに時折悔しさは感じます。それを踏まえて、僕はこの1年間山下と同じチームで仕事をして、さっき話していたような悩みを聞き続けているのに、まだ悩ませてしまっていることが、一番悔しいですね。

この川口の言葉に、「あたたかい会社…」と呟き、山下の目からは涙が溢れた。登壇者も、会場にいるお客さんも、彼女から溢れ出た葛藤をそっと見つめる。

ダバンテス: これは一つ壁を越えたんですかね?

川口: こうやって馬鹿になる姿が見たいじゃないですか。「生きるを、啓く」を掲げた今、YADOKARI社員全員が、こうやって「馬鹿になる」ことに向き合っているところだと思うので、山下が悩んでいることは、僕も一緒に悩み続けていきたいです。

「馬鹿」になるには

ダバンテス: 最後に、赤澤さんに改めて聞かせてください。馬鹿って何ですか?

赤澤: やっぱり、みんな賢すぎるんですよ。だからあえて馬鹿にならなきゃいけない。つい考え事をしている自分に酔ってしまうかもしれないけれど、悩むとか考えるって、実はすごく無駄かもしれない。とにかく一つやると決めたらまずそれを一生懸命やるだけで、世界は広がっていくんじゃないかと思います。

小林一三さんという阪急電車を作った創業者の言葉で、「君が下足番を命じられたならば、日本一の下足番になりたまえ。させれば誰も貴様を下足番などにしておかぬ」という言葉があります。今で言う良い仕事ではないかもしれない下足番ですら、やり切ってしまえば周りが勝手にチャンスをくれる。

力を抜いて適当にやるのは合理的で賢いかもしれないけれど、それでも全力でやった人間にだけ実は道が拓けている。そういうエピソードは世の中にたくさんありますよね。だから自分の生きるを、啓いていこうと思ったら、とにかく目の前のことに一生懸命になる。それをさぼって、いろいろな情報を見て勝手に迷って悩んで人生を浪費していくのは、それこそすごい馬鹿だと思う。悩んでいる暇があるなら、今目の前にあることをとにかく一生懸命やって、それで日本一になればいい。そうしたら自然と、道は拓けてくると思います。

終わりに

トークのなかで山下が語っていたように、YADOKARIは「自分がどうありたいかを常に問うてくる会社」である。そんなYADOKARIの周りにはいつも、自分の信じる美しさをめざし、もがき、そして変わろうとする人たちがいる。

私は「YADOKARI文化圏」にいる人たちの、馬鹿になろうともがく姿が好きだ。馬鹿になりたくて、なりきれなくて、でも諦めたくなくて、涙を流す人がいる。その姿が人を惹きつけ、YADOKARI文化圏は自然にその輪を広げていく。

激しい雷雨のなかにこぼれた一滴の涙が、少しずつ、けれど着実に水たまりの色を変えていくように、YADOKARIはこれからも温かく世界を変えていくのだろう。

私も、そんな「生きるを、啓く」文化圏の一員でありたい。水たまりに映った自分を見ながらそんなことを思う、27歳の夏の日だった。

取材・文/橋本彩香