熊本の伝説エコビレッジ『サイハテ村』が、終わった。そして新たな再出発へーー。

サイハテ村の新たなスタートとなった12周年

photo by kojiro

2023年11月11日。熊本県の有名なエコビレッジ・サイハテ村が終わったーー。
「終わった」と言っても、村やコミュニティが終わるわけでは、決してない。

村の発起人&名付け親である工藤シンクさんが村を去って約1年半。
サイハテ村の12年というこの周年祭のタイミングで村の名前を変え、新たなスタートを切ることになったのだ。

今回は日本で有名なエコビレッジ/コミュニティの一つ・サイハテ村の区切りとなった本イベントを通して、垣間見ることのできた「村づくり」の醍醐味や、 “若者を惹きつける村”への考察、また滞在で感じた新たなコミュニティの可能性を紹介する。

周年祭に向け、眺めのいいコンポストトイレを手作り。photo by kojiro

サイハテ村とは、熊本県宇城市の山奥にあるパーマカルチャーを実践するエコビレッジ。山奥のガタガタとした坂道を進んでいった、その最果てにある小さな村だ。

2011年、東日本大震災をきっかけとして「水道・電気・ガス、政治経済がストップしても笑っていられる暮らし」を実現したいと言う思いから、発起人・工藤シンクが出資者と住人を募集し、村が誕生した。村づくりの当初は、30日間連続の音楽フェスを開催するなど “ヒッピー村”とも呼ばれていたそうだ。

サイハテ村には、ルールやリーダーも無い。

多くのコミュニティやエコビレッジでは、共通の目標や理念を持った人々が、一定のルールに則って生活を営んでいる。

しかし、サイハテ村は違う。開村当初から、型破りな独自のコンセプト「お好きにどうぞ」のもと、住人それぞれが自由にこれからの暮らしを模索・実践するコミュニティーとして有名になった。

例えば、村をふらっと訪れてひたすらのんびりしていても良い。住民は村で自分の得意なことを活かして事業を始めても良いし、外でお金を稼いできても良い。子供たちも学校に行くということに囚われず自由に遊んでいる。

工藤シンクさん曰く、村づくりを通し、多くの現代人に受け入れられる“幸せを追求した新しい暮らし”を模索するという、壮大な社会実験のような感覚だったと言う。

しかし今回の12周年祭を機に、村の「お好きにどうぞ」のコンセプトも実質無くなることになる。

アースバッグのベンチを塗装している様子。 photo by kojiro

村の発起人であり、村を既に去った工藤シンクさんは『日本中に村をつくり、繋げ、開放する』をテーマに活動する村づくり家かつアーティストでもある。

周年祭の前々日に村を訪れた彼は、ティピーテントの中で、焚き火で作ったコーヒーを振る舞いながら、サイハテ村の名称変更について「12年の区切りがいい年だし、美しいじゃん」とポジティブに語ってくれた。

「そもそも村に名前をつけたことが間違いだったのかもしれないな」と笑った彼は現在、自由に日本各地を転々としながら、愛知県に “名も無き村”を作っているそうだ。

イベントの準備をする工藤シンクさん。話の内容を記事にしていいか聞くと「お好きにどうぞ!」と快諾してくれた。photo by kojiro

サイハテ村の「お好きにどうぞ」という前代未聞なコンセプトを作ったのも、発起人・工藤シンクさんだった。

村で過ごす住民やその子どもが数多くいる手前、かつ村の発展途中というタイミングで、完全に「お好きにどうぞ」とはできない側面もあったというが、中にはそのコンセプトに救われた人も多くいるという。

社会には、“お好きにしてはいけない”、 “こうしなくちゃいけない”と思っている人が多いからね。」と、村のくらしのがっこう制度等を担当するゆうさんは言う。確かにここサイハテ村で、人生が変わったという人にも数多く出会った。

ステージを見つめる坂井さん夫婦。勇貴さんとゆうさん。 photo by kojiro
坂井家の次男が描いた絵をトートバックにして販売。 photo by kojiro

村の転機となる、今回の12周年祭には、熊本からだけでなくサイハテ村やパーマカルチャーに関わる人が数多く訪れた。中にはサイハテ村をきっかけに出会い、赤ちゃんを連れて帰ってきたカップルも。来場者の多さやそこで生まれる交流から、12年というサイハテ村の歴史を垣間見ることができた。

イベントでは、街コンの村バージョンこと “村コン”や運動会、アーティストの音楽ライブやDJ、サウナなど、様々な催し物が盛りだくさんだった。

運動会の応援合戦で大盛り上がりの会場。 photo by kojiro
住民達らによって結成された三角アフリカンクラブのパフォーマンス。ドネーションヘアカットや民族衣装の販売など、サイハテ村らしいユニークな出店も。 photo by kojiro
夜には、カンナヴィーナサヨコさんの歌が村に響き渡った。 photo by kojiro

若者を惹きつける村づくりには『時ならぬ恋の装置』が必要?

本イベントでは2日間にわたって、参加者が村づくりをテーマに自由に話し合う「村作り超会議」も開催された。

村づくりに興味がある理由や思いが参加者から語られ、様々な方向に話が進む中で「多くの村づくりの中で足りなかったのは、”恋の装置”かもしれない」という話になった。そう語り出したのは、1999年に沖縄・那覇市のゲストハウス『月光荘』を立ち上げた雨柊さんだった。

村作り超会議の様子。あたたかい焚き火を囲んで熱く語り合う。 photo by kojiro

過去、多くのヒッピーコミューンや村づくりの場において、やはり子ども世代が流出してしまうという課題があった。それは若者が、新たな出会いに胸をときめかせる”余地”のようなもの……『恋の装置』が足りなかったからではないか?ということだ。

雨柊さんが立ち上げた月光荘は、那覇市の街中にある、バラック屋根と独自の雰囲気が特徴的な老舗のゲストハウス。一階の別母屋には居酒屋があり、夜にはお酒やおつまみを提供している。

雨柊さんは、若者が胸をときめかせる『恋の装置』を居酒屋やバーなどの場で提供してきた。(著者も一度月光荘を訪れたことがあるが、旅人や長期滞在者が集まって、気づいたら夜中まで話し込んでいるような、そんな独特かつアングラな雰囲気があるゲストハウスだ。)

しかし、今まで多くの村づくりではその視点は欠けていた。工藤シンクさんは「5年目くらいで気付いたけれど、サイハテ村では恋がそこまで生まれないのが反省点だった。」と話す。恋沙汰で破綻する村は数多く見てきたと言うが、それでも『時ならぬ恋の装置』は若者を惹きつける村づくりにおいて、必要な要素なのかもしれない。

村づくりの魅力と3つのデザインとは

photo by kojiro

村のコミュニティマネージャーを務める坂井勇貴さんは、元ヒッピー。20歳の時に沖縄で出会った大人に影響を受け、約10年間世界各国の様々なコミュニティを訪れてきた。その後、ゆうさんと結婚し、サイハテ村の3年目のタイミングで引っ越してきた2人は、サイハテ村の村づくりにおいて重要な役割を担ってきた。

今ではよく聞くようになった「コミュニティマネージャー」という名前で活動を始めたのも、日本で勇貴さんが初めてだそう。発起人・工藤シンクが “大風呂敷を広げる人”だとするなら、勇貴さんは”その風呂敷を畳む人”だと笑う。

そんな勇貴さんは、村づくりの魅力は『世界の設定(コンセプト)を作れること』だと話す。それには、中学生の時「自分が望んでいた世界の住民でいられなかった」トラウマが原体験にあると言う。

現代は、YoutubeやSNS、メタバースなど自分が味わいたい世界に各自がアクセスできる時代。そんな自分が望む世界を実現した形の一つ……それが、村なのだ。村には衣食住があり、村はその人の人生を内包できる。だからこそ、向き合うしかない。

村づくりには、それ故の苦しさも幸せも、トラウマを解消できる種も、大きな夢やロマンを実現できるフィールドも、そのすべてが詰まっている。

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また12年間の社会実験としての成果を振り返り、村づくりには『3つのデザイン』が重要だと実感した、と勇貴さんは語る。

1つ目は、フィールド(場)のデザイン。
2つ目は、マインドのデザイン。
そして3つ目が、ストーリーのデザイン。

ストーリーデザインは「なぜ自分たちはここに集まって、どんなことをして、どこに向かっていくのか?」を村人達と共有し・実現するということだ。その3つのデザインが極上だと、良いコミュニティや良い社会が生まれていくのではないかと言う。(勇貴さんが定義する3つのデザインについて、詳しくはこちら。)

サイハテ村では、それぞれの役目をサイハテ村の中心メンバー3人が担ってきた側面もあるが、この12年間でサイハテ村に集まってきた人、一人一人、そのすべてに感謝したいとまとめてくれた。

photo by kojiro
photo by kojiro

また、著者が村に約2週間滞在する中で気付いたことは、「村の子ども達が非常に生き生きとしている」ということだ。住民にはシングルマザーも多いというサイハテ村。そんな中、住民同士で保育園のお迎えをお願いしあったり、子ども達がそれぞれの家を出入りしてご飯を食べたりお昼寝したりするなど、まるで村全体で子育てをしているようだった。

いわゆる“一風変わった大人”もたくさん訪れる日々の中で、子ども達は多くの人々の姿を見ながら、すくすくと自由に育っている。夜遅くまで村の中央にある遊具で遊び、大人達の宴会の場で自由に振る舞うーー。まるで兄弟のように生き生きと育っている、村の子ども達の様子を見ていると、子育てとコミュニティの新しい可能性を感じた。

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また正直にいうと、実際には電気やガスなどは外から供給されていたり、インカムスタッフには統制されたルール等があったり…….など、村に実際に滞在する中で、想像していた姿とは完全に一致しなかった面もある。

しかし、村づくりの形としてそれは流動的に変化していくものだろう。むしろ、住民同士で相談して、インフラを整備し住みやすい村を作ったり、問題が起きたらルールを作ったりする過程こそが、村づくりだと言える。

時と共に村そのものも形を変えていくし、人がいればコンセプトも変わっていく。やはり、既存の社会の在り方を問い直し、それとは異なる暮らしの場・コミュニティをつくることは難しい。

12年間で「お好きにどうぞ」のコンセプトは実現することはできなかった−−という結論も出せるが「お好きにどうぞ」なのだから別にそれでも正解なのだ。あくまで、その模索に意味がある。

サイハテ村の村づくりの裏テーマとして「人々の意識の変容をどのようにできるか?」という問いがあったと言うが、「お好きにどうぞ」をテーマにエコビレッジの新しい形を提唱したこの村は、この地を訪れた人々の意識変容を起こしていたと言えるだろう。

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今回で「サイハテ村」の名前としては一つ区切りがついたが、この土地での村づくりやパーマカルチャーの実践はまだまだ続いていく。

コミュニティマネージャー・勇貴さんは、今後次のステップとして、日常のあらゆるシーンで多くの人の判断基準となっている「損得勘定」のない暮らし(≒お金を介さない暮らし)を実現してみたいと話す。新しい名前もルールも特に決まっていない村の行方は、まだ未知数だ。

サイハテ村の唯一無二な村づくりや今後の歩みについて、また”未来”を見据えた新しい暮らしに興味がある方は、新しい再出発を切ったこの村を一度訪れてみてはいかがだろうか。