あなたにとって「お金」とは?~あたたかい社会をつくる貝殻のお金の話~
「仕事をする」ということ。
対価であるお金をもらうことを通して初めて実感できるそのことに、私たちは多くの時間を費やしている。
しかしその「お金」というものがいったい何なのか、ということまでを考えて仕事をしている人はそう多くないのではないだろうか。
「お金」って何だろう。
世界には様々な種類のお金があり、中には私たちが想像するものとは違った形で使われているものもある。
その一例が、パプアニューギニアで使われる貝殻のお金だ。
今回は、その貝殻のお金を使用する人々について紹介する。彼らの暮らしに触れることが、あなたにとっての「お金とは何か」を考えるきっかけになるかもしれない。
貝殻のお金とは?
貝殻の貨幣、「タブ」。
これはムシロ貝という巻貝で、手の爪ぐらいの大きさだ。
この貝殻が使用されるトーライ社会は、パプアニューニアのラバウルという場所にあり、そこにはトーライ人以外にもたくさんの民族が暮らしている。
その中でも唯一タブを使用する彼らは、多くの民族が集まる町では一般的なお金を、トーライ人だけが暮らす村ではタブを使用するというようにして2つのお金を使い分けているが、彼らが最も貯めたいお金はタブなのだそう。
彼らの多くは町で働き一般的なお金を稼ぐ。そして様々な人と交友関係を持つことや、市場でビッグプライヤーとなり信頼を得ることでそのお金とタブを交換し、タブを貯めることが出来る。
なぜ彼らはタブを貯めようとするのか、これが彼らの価値観を物語るとても面白いところ。
なんと彼らにとってタブを貯めるということは、人生におけるゴールとも言えるほど大切なことのようだ。
これが貝殻のお金「タブ」。写真のように、複数の貝殻を一つの紐に通したものがお金一単位となって使用される。
人生のゴールは貝殻のお金を貯めること
なぜ、タブを貯めることが大切なのか。
それは、「いかにして死ぬか」ということを大切にする彼らにとって、自身のお葬式の際にタブを展示することは、自分が生前いかに親しまれていたのかということを示すための手段となるからだ。
しかし意外なことに、葬式で飾られたタブは葬式後に参列した人にバーッと全てばらまいてしまう。知り合いにも、そうでない人にもだ。そこには、故人がいかに立派であったのかをより多くの人の「胸に刻もう」という意味合いがある。
私たちの暮らしにおいて、「生きる意味はお金を貯めることだ!」なんて言ったら、なんだか寂しいことのように思えてしまう。それに、たくさんのお金が溜まったとしてもそれ自体がその人の人望を必ずしも示すわけではない。だからこそ私たちは家や服、車などを買うことで自身の経済力を示したりする。
しかしトーライの人々にとってタブは、それ自体が社会的地位を示すものになるのだ。一生懸命に貯金しているということ自体は、私たちとトーライの人々は似ているようにも思える。しかし「お金」そのものの意味合いはどうやら違うようだ。
友達を救急車で送迎?彼らにとっての「働く」とは?
タブを貯めることが人生の目的となっているトーライの人々。
タブを貯めるために彼らに必要なのは長時間働くことではなく、いかにして信頼関係を築くかということだ。そんな彼らの「働き方」はとてもユニークだった。
彼らは、子育てなど家の用事を理由に仕事を休んでばかり。
勤務中の救急車の運転手が、救急車を使って友人の送迎をしてしまうなどの不思議な光景も見られる。
しかし彼らに「サボっている」という意識はまったくないのだという。なぜなら私たちと彼らとでは優先順位が全く異なるからだ。
私たちにとって、「公」(個人のものではないこと)の時間とは仕事をすること、「私」(プライベートなこと) とは、家庭や友人との時間を意味することが一般的だ。
「公」である仕事を優先することがしばしば求められる私たちの間では、「仕事があるから遅れる…」、「会議が長引いてしまって…」なんて言葉をよく耳にする。
一方のトーライ社会では、「公」と「私」の概念が私たちとは正反対。
彼らにとっては家庭や友人づき合いが「公」であり、仕事が「私」にあたる。
だからこそ、家庭の予定があるからと仕事を休み、友人を見かければ救急車にのせて送迎をするといった光景がある。「自分の金稼ぎのために、家族や友人との時間を後回しにするなんてありえない!」といった感じなのだろう。
なぜこのような価値観が生まれたのかということに関しても、貝殻のお金「タブ」が大きく影響している。
彼らの人生の目的であるタブを貯めるためには、仕事してお金を稼ぐことよりも、親族や友人と過ごす時間の方がよっぽど大切なのだ。
「お金=名誉」なトーライ社会、お金のない人はどうなるのか?
多くの人々が一生懸命にタブを貯めつづけるものの、全ての人が順調にタブを貯められるわけではない。
しかし、貯められないからといって生きていけなくなったり、差別をされたりすることがないのがトーライ社会だ。
なぜなら若いうちから人と助け合い、ネットワークをつくっている彼らはそこでつくったつながりの中で食べていくことが出来るから。
彼らがタブを貯める根底には、人望のある人間にこそ価値があるという価値観が根付いている。
だからこそ、他者を大切にし合おうという温かさがこの社会にはある。
日本では耳にすることのある、
「お金がないと生きていけない。」
そんな言葉はこの社会に存在しないのだ。
私たちが忘れてしまっている大切なこと
今回は、パプアニューギニアのトーライ人に注目し、彼らの中で使用される貝殻のお金や彼らの働き方について紹介した。
タブを貯め、自分自身の人望を他者に示すことを人生の最終的なゴールと考えている彼らは、仕事よりも何よりも親族関係や友人との時間を大切にしていた。だからこそ、お金を貯めることが出来なくても、人とのつながりの中で生きていくことができる。
そんなトーライ人の暮らしは、人望のある人間になるべきだという大切な価値観が、一本の太い軸のように彼らの人生の中に定まり、お金との向き合い方や働き方などの全ての行動の指針となっているように思えた。
一方、私の日々の暮らしはどうだろうか。
コロナ禍で迎えた就職活動。「学生としてまだまだやりたいことがある」という想いに一旦はふたをして、就職をするという道を選んだ。
この選択の背景には、「理想の暮らしをするために、自分の好きなことをするために、まずはお金が必要だ。」という想いがあった。
しかし働き続ける現在は、「お金はあるのに時間はない。」と感じ、職場では「予算」、「コスト」といった言葉に頭を抱える日々。かつては自分の理想を叶えるためのものだと思っていた「お金」に、今は振り回されてしまっているようにも思える。
幸せな暮らしのため、家族のためにお金を稼ぎたい。そういった想いで毎日仕事に励む一方で、「仕事があるから…」、「お金が必要だから…」と本当に大切にしたい時間を後回しにしてしまう私たち。果たしてそのような暮らしを続けていて良いのだろうか。
働き続けることが当たり前のようになっている私たちは、
何のためにお金を稼ぐのか。
何のために働くのか。
どんな人生を歩みたいのか。
そういった問いと向き合うことを、置いてきぼりにしてしまっているのかもしれない。
「お金がないと生きていけない。」
はたして本当にそうなのだろうか。
トーライの人々の暮らしに触れて、そんなことを考えさせられた。
参考文献
書籍:松村圭一郎編, 働くことの人類学, 株式会社黒鳥社, 2021年