【世界の道の上から vol.1】独立記念日のジャカルタの裏道で見えた、人々の繋がりと誇り

私がジャカルタに到着した翌日の8月17日は、ちょうどインドネシア共和国の独立記念日だった。

インドネシアは、1602年から約340年間にわたってオランダに統治されていた歴史がある。その後約3年間は日本の植民地となり、第二次世界大戦の終結とともに1945年の8月、スカルノがハッタと共に独立宣言を行った。

インドネシア国民にとって、この独立記念日は国の一番のお祭りだと言う。

朝6時、寝ぼけ眼の状態でテレビをつけると、華やかな式典の映像が目に飛び込んできた。民族衣装の色と、馬に乗った軍人の整列、伝統的なダンス。中央ジャカルタのタムリン通りで行われている賑やかなパレードの景色は圧巻だった。

ジャカルタのスラム街を歩く

そのようにお祭り模様一色だった街は、ジャカルタの中心地だけではない。

トタン屋根の家が立ち並ぶ、ジャカルタ郊外・スラム街でも、あちこちにインドネシア国旗が飾られていた。さらに、独立記念日にちなんだ町のゲーム大会が各地で開催されている。

道の上でゲーム大会を楽しんでいる人々 photo by writer

パン食い競争のように、クロポック(揚げせんべい)を早く食べる競技「Lomba makan kerupuk」や、米袋に入りジャンプして早さを競う競技「Balap Karung」、サッカー、歌唱大会など、その種類はさまざま。近年ではテレビゲームで競うこともあるそうだ。イベントのトリには、複数の町が集まって、ぬるぬるのヤシの木の上にある景品をとる競技「Panjat Pinang」が開催されると言う。

このゲーム大会には、赤と白の国旗の色の服を着た老若男女が集まり、みんな楽しそうにゲームを楽しんでいる。日本で言う、小学校の運動会が街全体で開催されているような雰囲気で、私は旅先の孤独が少し和らいだように感じた。

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線路沿いのスラム街。トタンの家がずっと先まで並んでいる photo by writer

イベントは、8/17から8/18の2日間にわたって行われる。このように一体感のある、人々の力を感じるのは久しぶりだった。町中が赤と白の国旗に溢れており、日本で1年間の間に見る国旗の数を、インドネシアの1日で見たのではないかと思うくらいだ。

このように国旗が数多くはためく通りを歩いていると、私は今インドネシアという国に、そしてその歴史の上にいるのだと常に実感させられた。

インドネシア国旗と歴史、そして国民性をつくるもの

町にいた様々な人に聞いてみると、インドネシア国旗は独立記念日だけでなく、常に街中に飾られていると言う。ペニダ島でダイビング講師をしている通称・G-MANは、「僕たちはインドネシアという国を誇りに思っているからいつも国旗を飾っているんだ」と語ってくれた。

インストラクターのG-MAN。刺激を求める彼は、最高3ヶ月と決めてインドネシア国内の様々なダイビングショップに勤めている photo by writer

「僕たちは植民地時代、独立するために、みんなで協力しなくちゃいけなかった。だから皆フレンドリーだし、知らない人にも笑顔で挨拶するんだ。それは、そうする必要があったからだと思う。それに、皆家族のような関係を築いている。家の通りの30-40軒の人のことはみんな知っているよ。もし誰かに自分の秘密を話しても、2日後にはみんな知っているから、面白いね。」

彼に人と仲良くなる秘訣を聞くと、一度距離が縮まったら遠慮なく聞くんだ、と言う。

そして彼は、横にいた同じインストラクターの男性に「Why are you that fat?(なんでそんなに太ってるの)」と笑いながら尋ねた。すると、その男性はニコニコしながら「This is happy stomach! because I love eating!(これは幸せなお腹だよ、僕は食べるのが大好きだからね)」とお腹をたたきながらニコニコと答えてくれた。それはもちろん、基本的な関係構築があった上のものだよ、と彼は強調した。

photo by writer

私の体感だけれど、インドネシア人は常にお喋りをしているように思う。街中では電話や立ち話をしている人がとても多く、仕事中でも店員さんやお客さんとカジュアルに会話を始める。そして、観光客にもまずはニコリと笑いかける人が多いのが印象的だった。

特に日本では、このような下町のような深い人間関係が、苦手だと感じる人もいるのではないかと思う。しかし、人柄や国民性というものは決して先天的なものではなく、環境や歴史によって作られるものだ。家同士の距離が近いジャカルタでは当然、周りの人と家族のように密な関係を築くのが自然だし、生活を送る上でその方が色々と上手くいくだろう。家同士の距離が遠くなる都会では、もちろんその傾向は薄くなる。

そうやって考えると、「その土地でどのような人間関係が構築されるか」を規定しているのは、実は自分たち自身ではなく、ほとんど歴史や環境などの外部要因なのかもしれない。

インドネシアの彼らの人懐っこい笑顔に触れることで、私はなんだか日本にいる家族が恋しくなった。独立記念日のインドネシアの裏道で出会ったのは町のイベントで溢れる人々の笑顔と団結力、そして国への誇りだった。

裏通りでも多くのインドネシア国旗が飾られていた photo by writer