【世界の道の上から vol.2】世界最大級のモスク・イスティクラルに垣間見えた”日常”と宗教的寛容への道
東南アジアで最大級のモスク・イスティクラルを歩く
インドネシア・ジャカルタの中心地、ムルデカ広場の北東角には、イスラム教のモスク「イスティクラル(Masjid Istiqlal)」がある。イスティクラルは、最大20万人を収容できる東南アジアで最大級のモスクだ。
インドネシア国民の約9割は、イスラム教信者。ジャカルタの町中を歩いていても、ヒジュラをかぶっている女性をよく見かける。その他には、キリスト教、ヒンドゥー教などを信仰する国民がいる*。インドネシア憲法では信教の自由が認められており、比較的異なる宗教や文化に寛容な国だと言われている。
ある日、そんなインドネシアの大部分を占めるイスラム教徒(以下ムスリム)が集うモスク・イスティクラルを訪れた。
正直、ムスリムの人達がどのように信仰生活を送っているのかを知る機会が今まで全くなかった。どんな光景が広がっているのだろうと、少し緊張しながらゲートをくぐった。
異なる宗教の人は入れないような神聖な場所なのかと思っていたが、モスクは意外と一般に広く開かれており、観光客も無料で中に入ることができる。
モスクのゲートを抜け、観光客用のルートに進んでいく。靴を脱いで建物の中に入るとツアーに参加することができた。
特に信仰心が深いというムスリムのガイドさんに続いて、モスクの中を進んでいく。
アラビア語で「独立」を意味するイスティクラルは、1945年にインドネシアの独立を記念し、スカルノの依頼によって建設されたモスクだ。
興味深いのは、建築家・フリードリヒ・シラバン(Frederich Silaban)自身はイスラム教徒ではなく、プロテスタントのキリスト教徒であると言うことだ。
彼のデザインしたイスティクラルは、建物そのものも非常に美しい。彼は中東地域の様々な建築スタイルをミックスし、デザインを行なった。
インドネシアは熱帯気候のため、換気のために扉や窓は大きく、大理石とステンレスで作られている。そのため、モスクの中は常に風が通り抜けて涼しい。風や自然光が入ってくる日中は、エアコンや電気がいらないので、環境にやさしい建物だとも言える。
礼拝堂に集うムスリムの人々
観光客はイスラム教の信者達が祈りを捧げる礼拝堂には入れないが、上の階から礼拝堂のドーム全体を見渡すことができた。
外から差し込む光がドーム全体を照らしており、ドームの天井は宝石のようなエメラルドグリーン色にキラキラと輝いていた。それと真紅の絨毯の対比が、はっと息を呑むほど美しい。
毎週金曜日の合同礼拝には、この広い礼拝堂が埋め尽くされるほど、多くの教徒が集まると言う。
礼拝堂の絨毯の上では、意外とみんなゆったり時を過ごしているように見えた。ゴロゴロと寝転がっている人もいれば、携帯をいじっている人もいる。廊下の大理石にべったりと顔をつけて眠っている人がいたり、子どもたちが遊び回っていたり。礼拝の時間までは、それぞれ思い思いにくつろいでいるようだ。
また、イスティクラルがインドネシアの宗教的寛容と多文化共生を象徴していると言える所以は、その立地にもある。
イスティクラルは、道(通称:教会通り)を挟んだほぼ真向かいに、キリスト教のカトリック教会「ジャカルタ大聖堂(カテドラル)」があり、そのもう少し向こうにはプロテスタント教会が建っている。
ジャカルタ大聖堂は、インドネシアのカトリック教徒の信仰の中心となっている教会だ。イスティクラルよりも建物の歴史は古いが、宗教的寛容の象徴として、スカルノ大統領があえてこの大聖堂の向かい側にモスクを建設したのだ。
また、2021年にはイスティクラルとジャカルタ大聖堂の地下に、お互いに行き来できるトンネルが建設された。(一般公開は未だされていない模様)トンネルは“brotherhood tunnel(友好的なトンネル)”と呼ばれ、象徴としての宗教的寛容が現在も進められている。
まさに、このイスティクラルそのものがインドネシアの宗教的寛容と平和を象徴していると言えるだろう。
モスクの中にある彼らの”日常”
イスティクラルの建物の中を、裸足でペタペタと歩いていく。暑い日だったけれども、足の裏に大理石の冷たい感覚が伝わって心地よい。
ガイドの人は忙しいようで、ツアーの途中に何度も電話がかかってくる。彼が電話に応答する度に、ツアーが中断されるのも面白い。
ガイドの彼は、なぜこんなに電話をしているのか(もちろん全然良いのだけれども)。もしかすると他の用事があるのか(電話越しの声が聞こえる限り、母親のような人と電話をしているようにも思える)、モスク関連の用事なのか(今日はツアー担当が彼一人だから?)。はたまた、プライベートの何か緊急対応なのか(それだとしたら大丈夫かな)——。
他にやることがなかったため、特に意味もなくそれについて色々と考えを及ばしていると、あることに気がついた。
いくつかの義務があり、1日5回決まった時間にメッカの方角を向いて礼拝をする。祈りを捧げるためにモスクを訪れる。そんな彼らの生活は、制約が多くて大変そうだと思っていたけれど、それはあくまでムスリムの彼らの日常の一部に過ぎない。
モスクは特別で、とても神聖な場所だ。それと同時に私は今、彼らの日常の一部にお邪魔しているのだ、と。
ムスリムの彼らの日々の中には、常にモスクという力強い存在がある。そして、そんなモスクの中には彼らの “日々”もある。
信仰心が深いというガイドの彼は、ツアーではない何かで忙しそう。それにモスクの中で、モスクの中で、人々がゴロゴロしていたり、子供たちが楽しそうにはしゃぎ回っている光景は、日本でもありふれたあたたかい日常の様子だった。
四方からの生温かい風に吹かれてガイドの彼を待つ間、私はなんだか自由で穏やかな気持ちを感じた。
インドネシア共和国のスローガンは、「Bhinneka Tunggal Ika(訳:異なっていてもみんなひとつ)」。モスクツアーの最後はガイドの彼に続いて、みんなでそのスローガンを叫んだ。不思議な一体感が生まれ、心強い雰囲気に包まれた。
ジャカルタを象徴するモスク、イスティクラル。そこには、宗教的寛容を目指す国の思いとあたたかい日常の風景があった。
参照:https://www.indonesia.travel/gb/en/destinations/java/dki-jakarta/the-grand-istiqlal-mosque
https://jakarta-tourism.picsidev.com/news/2020/06/the-istiqlal-mosque