ヒントは”日本人の信仰心”?未来のために日本人だからこそ感じられること

日本人の中の“神様”とは?

日本人は、宗教というものをあまり意識していない人も多い。熱意をもってご祈祷や礼拝に通ったり、教えを読んだりしたことがあるという経験がある人は少ないかもしれない。

一方で、新しい年を迎えると、初詣に行く人はかなり多いのではないかと思う。新たな年を健やかに過ごせるように、もしくは受験や試験を控えているひとは合格を祈願して、神様に手を合わせる。初詣の他にも、お宮参りや、七五三。親しい人の受験や出産の予定があるとき、神社で神様に手を合わせようと思うことは、とても親しみやすい風習だ。

「信仰を持っていなくても宗教的な心は 大切と思う」といった意見が多い日本人。
厳しい取り決めがあり、そこにさえ従っていればいいという規則的なものではなく、「神様に感謝すること」という漠然とした意識がある人も多い。

photo by Misa Utsunomiya

その要因となっているのは、日本ではどこに住んでいても、海や森、山といった大きな自然が暮らしのすぐそばにあったということにあるのではないかと考える。

欧州諸国は、エリアによれば平野部も多く、山や丘陵地にまったく面していない土地もあるが、日本は列島全体、しかもその真ん中に山脈が連なっている。
日本の東京―名古屋間は約340km。東海道新幹線でこの区間を走ると、たくさんのトンネルや橋がある。一方、フランスの新幹線であるTGVは、首都パリと2番目に大きい都市リヨンを結ぶ南東線は、約390kmという、日本の東京-名古屋間と変わらない距離だが、なんとトンネルが1つしかないのだ。

こうして、日本人は生まれたときから、山や丘陵地に囲まれ、海に囲まれた国で生きている。
だからこそ大きな自然に対しどこかで敬意をもっているのではないだろうか。

photo by Misa Utsunomiya

信仰の感覚と自然という存在

日本のなかでも特に、沖縄の風習には、日常の感覚に通じている自然への敬意が色濃く出ている。
沖縄には、神社がほとんどない。大小合わせると、日本全国に8万社以上あるという神社。沖縄本島には、なんと14社のみ。本土には各村に神社があるが、沖縄は村ごとに「御嶽(うたき)」というものがある。御嶽とは神社のような森や泉、川などの自然の中の空間のこと。島そのものを指す場合もあり、本土の神社で行うような祭祀は、御嶽で行われていたそうだ。

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神社ときいてイメージするのは、鳥居があり、本殿があり、人々は神様が”神様がここにいます”という、カタチが明らかなところが多い。本殿に向かい人は参拝をする。

一方、沖縄は神様を祀る建物や場所に参拝に行くという考えではなく、自然や暮らしのなか、日常のそばに神様がいるという考えに近い。沖縄の信仰には、経典や教義はなく、祝女(ノロ)と呼ばれる女司祭が神様の代わりに祈願を行ったり、お告げをする。現代の沖縄の村でも、このような役割をする方がいて、大切な取り決めなどには行事を行う。

風や、海や、森といった自然のすべてに神様が宿っていて、それに感謝するというのが、沖縄の信仰だ。まさに海に囲まれ、台風も多く、原生林が茂る、自然と近いがゆえのものに感じる。

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自然との距離が近い分、その怖さも、ありがたさも知っている。そんな日本人は、生活のそばには自然があふれ、「日々に感謝する心」が豊かなのではないか。
そして、「この当たり前にように訪れる日々は、当たり前ではなく、敬意と感謝をもつ」という心を、”信仰心”と呼ぶのではないかと考える。国や民族によってはその対象は具体的な神様の場合もある。
そういった面から、宗教色がないと言われている日本だが、生活の節目には初詣やお宮参りを行う。この自然との距離から、神様に感謝することの大切さを感じているのではないかと考える。

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自然という言葉は、ここ100年ほどで使用されるようになった、新しい日本語らしい。
英語のnatureの語訳として登場したが、定着にも時間がかかっている。自然とは、本来「おのずから、そうであった」「おのずと存在する」といった意味に近く、現在の使用しているようなモノやコトではなく、状態を示す言葉であった。

「自然と共生」「自然を取り入れる」…、現代では人と並列で並べている「自然」という言葉。人と自然とは、もともと分けられる言葉ではなかったのだ。

photo by Misa Utsunomiya

日本の環境だからこそ、視野を広げることができるのでは

この自然に感謝する心こそが、様々なライフスタイルの選択肢が出てきている今の時代に、ひとつの道しるべになるのではないかと思う。

日々の生活で使うもの、近年大きく変わったものといえば、ストロー。今やプラスチック製のストローを出す飲食店は少なくなり、紙製のストローが主流になっている。
また、自然のためにゴミを少なくするために、買い物袋は持参するものとして定着しつつある。その素材にはこだわったことがあるだろうか?
インテリアを選ぶときや、家をつくるとき、どんな素材を使うだろう?日々スーパーマーケットや、専門店で手にとる商品は、店頭にならんだ商品という表面上の存在ではなく、私たちが選ぶにいたるまでの道がある。
そういったものを受動的ではなく、能動的につかみ取っていくのだ。

photo by Misa Utsunomiya

私たちは間違いなく自然の中で暮らしていること。そして、これからも変わらず人間は自然と生きていくということ。切り離しては生きていけないのだと、感じていること。
価格が安いか、すぐに手に入るか、人気のブランドなのか。そんな「見えるもの」に囚われすぎている世のなか、数十年前までは、自然と分断されることなく生きてきた私たちが、暮らし方を選ぶときに忘れてはいけないことがこの感覚に宿るような気がするのだ。

風や空や海や木々を、体で感じ、感謝する。だからこそ、共生していける。
自然とともに暮らしてきた、”信仰心”をもつ日本人だからこそできることがあるのではないだろうか。

 

参照元
https://www.jice.or.jp/knowledge/japan/commentary07
https://hakken-japan.com/columns/naminouegu/
https://oki-park.jp/sp/kaiyohaku/inst/85/90
https://okinawa-nanjo.jp/sefa/sefautaki/

【沖縄の文化】琉球神道



QUOTE

この自然に感謝する心こそが、様々なライフスタイルの選択肢が出てきている今の時代に、ひとつの道しるべになるのではないかと思う。