罪悪感を抱かなくていい。オランダや韓国にみる、「なにもしない」の捉え方。

「何もしていない」とは、どんな状態のことを指すのだろう?

休日に、ソファで昼寝しているとき。その状態は間違いなく「ソファに寝転がっている」はずなのに、「自分は何もしていない。」そんなふうに捉える人も多いのではないだろうか。
その他にも、スマホを見ているとき、録画したテレビドラマを一気に見たとき…。実際はスマホを見ていたし、ドラマを見ていたのにも関わらず、「ああ、今日は何もしなかった。」そう罪悪感を抱く人も多いだろう。

この罪悪感を作り出す「何もしていない」という概念は、一体ナニモノなのだろうか?

今回は、「何もしないこと」が生み出す罪悪感を紐解いていく。どうやら世界には、「何もしないこと」に対する一風変わった考えやムーヴメントが広まっているようだ。

他者との比較が「何もしていない」を生み出しやすい…⁉

リビングのソファで寝ているとき、人は何もしていないわけじゃない。現に横になっているし、体を休めているのだ。しかし、その横に「世間一般で言う生産的な行為」をしている人がいると、たちまち肩身が狭くなる。どうも、人は自分より努力している人や、すべきことをしていると捉えられる人と自分を比べてしまうと、居心地が悪くなってしまう。

実は、この居心地の悪さは、現実世界でなくともバーチャルで感じることもある。特に感じやすいのが、SNSを見ているときだ。YoutubeやInstagramを覗くと、こんな投稿が目につかないだろうか。副業をするためのスキルを磨く人、空いた時間に資格を勉強したり、節約のための家計簿づくりをしたり…。いずれも、世間一般で言う生産的な行為、もしくは「できればそうするのが望ましい」「そうしたいと願っているが、できない人が多い」とされている行為だ。

頑張って何かをしている人がいる一方で、自分はSNSを見てただボーッとしている…そんな風に感じたら、人は「自分は何もしていない」と感じる。実際は、何もしていないわけじゃなく、何かをしていたはずなのに…。結果、気晴らしに見ていたはずのSNSで、罪悪感を抱く羽目になってしまう。

つまり、「何もしていない」と思い罪悪感を感じてしまう原因の一つには、他人との比較があるといえるだろう。

「自分は何もしていない。」そう罪悪感を抱いたときは、少し冷静になって、自分が今、自分自身を何と比較しているのか探してみる。
そうしてみることで、「何もしない時間」を過ごした自分を、やさしく受け入れることができるかもしれない。

「何もしない」ということ。海外ではどう捉える?-オランダ語の「niksen」-

世界には、「何もしない。」ということを少し違った解釈で捉える概念があるという。

オランダ語には「niksen(ニクセン)」という、何もしていないということを意味する言葉。しかしこの言葉に悲観的な意味合いはなく、「意図的に何もしなかった」というプラスの意味合いが意味合いが込められているという。何もしていない時間を過ごすために、何もしていないをしていた、とも言えるだろう。

家事や仕事などすべきことが多い上に、空いた時間・スキマ時間を埋めるアイテム(テレビやスマートフォンなど)が身近にある現代では、何もしないことをするのは少し難しい。ちょっと気を抜けば「あ、洗濯物を回さなきゃ」と思って動いたり、「あ、新しい映画配信されてた」とNetflixを付けてしまうこともあるのではないだろうか。
対して、意図して何もしないをする「niksen(ニクセン)」は、誰か何をしているかに関わらず、「私は何もしない、ということをする。」という独自の概念だ。そこに比較はなく、ただ自分はこうしていたという事実しかない。

「niksen(ニクセン)」は何かを生みだしたり、何かを進めたりする時間ではないものの、何もしないをすることで(一瞬かもしれないが)悩みやアプリの通知、他者との比較から解放されることができる。つかの間の息継ぎのような時間としての「niksen(ニクセン)」は、ごたついた心をしずめ、落ち着かせてくれるひとときと言えるだろう。

「今日はniksenの日だった」そんなあなたの発言に、周囲の人が「いいね」と声をかけてくれる、そんな会話が日常的なものとして存在してくれさえいいれば、何もしないでいることへの捉え方が大きく変わってきそうだ。

「何もしないこと」の概念を変えるために…。韓国「モンテリギ大会」

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韓国には、ただひたすらぼーっとするだけの大会「モンテリギ大会」というものがあるという。

舞台は、韓国を代表する大きな河川、漢江(ハンガン)。韓国のヒーリングスポットでもあり、人々の憩いの場所となっている場所だ。

そんな漢江で行われる「モンテリギ大会」では、参加者は90分間何も話さずぼんやりとした状態で維持すればOK。主催者側が15分に一度、心拍数を計測して、誰がもっともぼーっとしているのかを競う大会なのだそう。

心拍数のグラフが安定していたり、どんどん下がる参加者は評価が高くなるのだとか…。

一見、なんだかよく分からない不思議な大会のようにも思えるが、この大会が行われる目的にも、「何もしないこと」が劣ったことだとみなされたり、無価値だとされている現代社会の思考を破りたいという思いがあるのだという。

実はこの大会、今年の11月に日本でも開催された。
海外には、このように「何もしないこと」を捉えなおす思考やムーヴメントが存在しているが、その動きは海外だけにとどまらず、日本国内にも広まっているようだ。

「何もしないということ」、今後あなたはどう捉える?

「何もしない」ということ。私たちは、他人との比較などを理由に、無意識に罪悪感を感じたり、そんなふうに過ごした時間を無価値だと捉えてしまうことがある。

しかし、その罪悪感の原因を噛み砕いてみたり、世界には「何もしないこと」を捉えなおす動きや考え方が少しずつ広まっていることを知ると、その罪悪感も薄れ、心を緩めることができそうだ。

ときには、Niksenのような心地のよい「何もしない時間」をつくり、息抜きをしてみる。
そんな時間の中で、周囲の意見や視線、社会の流れに左右されない自分の好きなもの、大切にしたい価値が見つかることだって、あるかもしれない。
「今はNiksenの時間」、そんな時間を多く取り入れてみる人生も、なんだかよさそうだ。

 

参考書籍:

アンデシュ・ハンセン.”スマホ脳”

https://www.shinchosha.co.jp/book/610882/

東洋経済ONLINE.”ヒトだけが「他人との比較」に執着するのはなぜか”

https://toyokeizai.net/articles/-/678545?display=b

lifehacker.”オランダの概念「niksen」に学ぶ「何もしない」方法”

https://www.lifehacker.jp/article/learn-how-to-do-nothing-with-dutch-concept-of-niksen/

中央日報.”韓国の一風変わった「放心」大会が3年ぶりに開催…橋の近くで90分間、頭を空っぽに”
https://s.japanese.joins.com/JArticle/294605?sectcode=400&servcode=400