”ほどほど”に生きるには?スウェーデンの“Lagom”に学ぶ『ちょうどよく』生きるヒント

あんまり頑張りすぎないでね。ほどほどに力を抜いて生きていいんだよ。どうしても自分に完璧主義を求めてしまう私は、幾度となく、そして幾人からこうした言葉をかけて貰ったことがある。本当に有難いし、まさにその通りだと思う。適度に力を抜いたほうが、長い目で見た時に持続性がある。だけれど、それが難しい。力の抜き加減が分からない。皆さんはどうだろうか。”適度”な頑張り加減、”適度”な休息。頭では分かっても、実際には「より良く」とか。「もっともっと」と、頑張りすぎてしまう人も多いのではないだろうか。

“ほどほどに”を表す、スウェーデン語『Lagom』とは?

スウェーデン語のLagom(ラーゴム)は”ほどほど”を表す単語だ。バイキング(約1000年前に北欧から活動を展開していた海洋民族)が活躍していた時代に使用されていた”Laget om”が省略されてできた単語。Lagetは仲間の意、omは”もし〜だったら”という仮定表現で、もし仲間と分け合ったらという意味だ。

バイキングの人々が仲間と輪になって1杯のお酒を飲む際に多すぎず少なすぎず、『ラゴムな量で』と自分が丁度いい量を飲むことで、仲間と分け合っていたことに由来する。必ずしも全員が同じ量ではなく、その日のその瞬間の自分に合った量を、それでいて仲間に回る量を飲む。そんな意味だ。
そして、この”ほどほど”という意味合いは会話の多くの場面で使用される。天気がいいこと、ご飯の丁度良い量も”ラーゴム”である。日本語の”腹八分目”や”適量””ちょうどよい”などという言葉も似たような表現と言えるだろう。

Lagomが生活に浸透しているスウェーデンの人々の暮らし

そして、このLagomは単なる言葉や概念としてだけでなく、実際にスウェーデンの人々の個人の観念や普段の習慣に落とし込まれている。
例えば、スウェーデンを始めとする北欧の市場やレストランでは旬が来ると、とことん同じ食材で埋めつくされるという。5月から6月にかけてはルバーブの時期。市場には真っ赤な茎のルバーブが山積みされ、レストランでは見事なまでにルバーブのコンポートやケーキがメニューに並ぶ。同様に、秋はキノコ、冬は根菜類が市場やレストランのメニューが溢れかえる。よく言えば、季節を存分に満喫できる。しかし、どのお店でも同じメニューが並ぶとなると少々マンネリに繋がる恐れもある。だが、敢えてメニューを定番化させ“やらないことを決める”潔さによって無理のなさを担保しているともいえる。

無いものはない、東京のスーパーで見かける光景は利便性が高いという長所とも言える。しかし、選択肢があまりにも多すぎることは、時に選択肢を設ける側も選ぶ側も“適量”のバランスが分からなくなってしまいかねない。

他にも個人レベルの例えで言えば、クリスマスの過ごし方も“Lagom”の考え方が伺える。クリスマスイブから当日にかけて、スウェーデンの町中は完全にオフ状態となる。それ以前に開催されていたクリスマスマーケットの賑わいから一転。24日の午後には殆どの店は閉まり、両脇にプレゼントを抱えて人々は家に帰ってしまう。夏季に4週間の休暇を取る例も然りだが、仕事をする期間を決め“やらない事を決める”徹底ぶりからも“ほどほど”の浸透具合が見て取れる。

“ほどほど”にできず、ついつい頑張りすぎてしまう私達

https://images.unsplash.com/photo-1434030216411-0b793f4b4173?w=600&auto=format&fit=crop&q=60&ixlib=rb-4.0.3&ixid=M3wxMjA3fDB8MHxzZWFyY2h8MjF8fCVFNSU4QiU4OSVFNSVCQyVCN3xlbnwwfDB8MHx8fDI%3D

人に対しても、自分に対しても”ほどほど”を求められるスウェーデンの人々。生活の至る場面に、そして何より個人の観念として“Lagom”の考え方が浸透していると言える。とはいえ、日本にも”腹八分目”や”適量”という言葉や概念自体は存在する。しかし“無理をしすぎない”とか“休み休み”など、言葉としては存在するにも関わらず、ついつい完璧を目指しすぎてしまう傾向にある。概念としてLagomの存在はあっても、観念にまでは“ほどほど”は浸透していなさそうだ。

ともすると、日本にバイキングがいたら、自分にとっての丁度良さではなく、仲間の為“だけ”のほどほどを目指し、自分にとっての“Lagom”を無視した我慢大会、あるいは遠慮大会になる未来が容易く想像できてしまう。そこで、なぜ北欧の方々には“ほどほど”という概念が個人の観念にまで落とし込まれているのか。なぜ、自分に対して“ほどほど”を許容できるのかを考えてみる。

“休むこと”へのハードルと“挑戦すること”へのハードルが低い北欧

何故、スウェーデンを始めとする北欧の人々はLagomを自分自身に対しても許容できるのか。調べる中で分かった事として、北欧には「休むことへのハードル」と「挑戦することへのハードル」が低くなるような環境が存在していた。

そもそも、「 “ほどほど”な自分を許容する」という事はすなわち、 “頑張りすぎない”とも言い換えられる。そして“頑張りすぎない”状態でいられるというのは、⑴頑張れない時に休むことに抵抗を感じない、⑵頑張れそうなときに、挑戦に対して壁を感じすぎない、という2つの視点が大切であると考えた。

⑴ “休むこと”へのハードルの低さの事例

https://images.unsplash.com/photo-1486591038957-19e7c73bdc41?w=600&auto=format&fit=crop&q=60&ixlib=rb-4.0.3&ixid=M3wxMjA3fDB8MHxzZWFyY2h8Mjl8fCVFNCVCQyU5MSVFMyU4MiU4MHxlbnwwfHwwfHx8Mg%3D%3D

スウェーデンの単語を幾つか調べる中で「休む時間」に該当する単語が多いことに気が付いた。
スウェーデン語には「居心地の良さ」を表す単語として、Mys(ミース)と呼ばれるものがある。そして、Mysと掛け合わせた幾つかの単語として「Frukostmys」(時間に追われることなく、ゆっくりと朝食を楽しむ)「Helgmys」(友人と集まるなど、充実した週末を過ごす)「Familjemys」(家族と過ごすための時間)などの事例がある。
「Fredagsmys」(金曜日の夜に、飾らない雰囲気でワインやおつまみなどを食べながら、家族や友人とリラックスする)はまさに「華金」と類似している。

“休む”というと、どこか後ろめたさを感じるのはきっと私だけでは無いはず。しかし、スウェーデンでは“休む”事を自分自身が居心地の良さを感じるための時間、とどこかポジティブな意味合いで使用される。また、そうした表現が多いことは自然と“ほどほど”を許容する心の持ちように繋がりそうである。
“休む時間”を設けて、何をしないかを決める。やらないことを切り捨てることは頑張りすぎることへの凪の役割を果たしてくれそうである。

⑵ “挑戦すること”へのハードルの低さの事例

https://images.unsplash.com/photo-1607962837359-5e7e89f86776?w=600&auto=format&fit=crop&q=60&ixlib=rb-4.0.3&ixid=M3wxMjA3fDB8MHxzZWFyY2h8MjN8fCVFMyU4MiVCOSVFMyU4MyU5RCVFMyU4MyVCQyVFMyU4MyU4NHxlbnwwfHwwfHx8Mg%3D%3D

“頑張れそう”、そう思ったはいいものの、あまりにも挑戦への壁を感じると“ほどほど”の考えは何処か遠くへ吹き飛ばされてしまう。そうならない為に、「これなら自分でも出来そう」「無理しすぎずに取り組めそう」と思える環境があることは個人がLagomの考え方を持つことを後押しできそうだ。

このように “挑戦へのハードルが低い”事例としては、週末に頻繁に開かれる蚤の市への出店が挙げられる。有名な蚤の市であれば、プロによる出店のみとの制限が設けられている所もあるが、ローカルな蚤の市では出店へのハードルが低い。

例えば、ストックホルムで開催される1kmロッピス(蚤の市の意)では特定の通りのここからここまで、という風に特定の範囲に住んでいる人の出品のみを認めている。プロの出店を禁じることで、参加へのハードルを下げている。また、ヘルシンキで行われる蚤の市では、誰でも何処でも出店が可能。公園や遊歩道など、思い思いの場所で、自宅にある不用品を並べることが出来る。

https://images.unsplash.com/photo-1637155120852-861f8f3e1443?w=600&auto=format&fit=crop&q=60&ixlib=rb-4.0.3&ixid=M3wxMjA3fDB8MHxzZWFyY2h8NTh8fCVFOCU5QSVBNCVFMyU4MSVBRSVFNSVCOCU4MnxlbnwwfDB8MHx8fDI%3D

東京で蚤の市と言えば、代表例として“東京蚤の市”が挙げられる。しかし、出店条件や審査基準を鑑みるに “ほどほど”の気持ちでの出店はどうも難しい。しかし、スウェーデンの事例のように、該当の通りの住人であれば誰でも参加が可能と言われると、「ちょっと出てみる?」なんていう家族会議が各家庭で行われても不思議ではない。そうしてちょっと頑張って挑戦した先に楽しさや人との繋がりが生まれると、自分にとっての“ちょうどよい頑張り”を肯定できそうである。

そして、東京蚤の市ほどの規模ではなくても、小規模かつ参加ハードルが低めのマルシェや蚤の市は案外多く開催されているものだ。勿論、マルシェや蚤の市への参加はあくまで参考例に過ぎない。しかし、思ったよりも案外近くに挑戦ハードルが低い環境は存在するものである。いきなりホノルルマラソンに出ずとも、近隣で3㎞マラソンの大会が小規模ながらあるように、だ。

休むハードルが低いこと。そして、挑戦へのハードルが低いこと。なかなか国や地域全体の仕組みを変化させ、外部的な環境の全てのハードルを低くすることは難しい。

しかし“今日は敢えて凪の日にして、仕事ペースを控えてみよう”とか。夕飯を敢えて手抜きにしてしまおう”とか。やらないことを決めて自分の心が少しでも楽になるような選択をする。そんな風に、休むことのハードルをやや下げてみる。あるいは、何かに取り組むときはまず「今の自分」にできそうな事から取り組む。そんな心持ちでいる時間が少しずつ伸びれば。Lagomが、 “ほどほど”を単なる形骸的な単語や概念としてではなく、個人の心の中にまで浸透してくるのではないだろうか。

そんな、ほどほどの締まり具合で執筆を終え、今宵は余りもので作った夕飯にありつこうかと思う。

(参考文献)
北欧「ヒュッゲ」の次に注目したい、スウェーデンの「ラーゴム」な暮らし方 | Houzz (ハウズ)
ミース(Mys)とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
ヒュッゲ(Hygge)とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
「私にとって、ちょうどいい」が一番。スウェーデンの幸せ哲学“LAGOM(ラーゴム)”な暮らしの実践が1冊に!
ほど良く、ちょうど良く。スウェーデン人に学ぶ《ラーゴムな暮らし》のすすめ | キナリノ
Why The Swedish ‘Mys’ Is A Must In Your Vocabulary
西田孝弘 北欧の小さな大国「スウェーデン」の魅力150 雷鳥社 2018
森百合子 北欧ゆるとりっぷ 心がゆるむ北欧の歩き方 主婦の友社 2016
松浦真也 スウェーデン語の基本単語 三修社 2010



QUOTE

“今日は敢えて凪の日にして、仕事ペースを控えてみよう”とか。夕飯を敢えて手抜きにしてしまおう”とか。やらないことを決めて自分の心が少しでも楽になるような選択をしよう。