【インタビュー】山川咲さん、「それでも東京は美しい」都会に暮らし、時に自然へかえるという暮らし方の選択肢
コロナ禍で人混みを避けるように、地方移住を決めた知人がたくさんいる。事態がすぐに好転するとは到底思えないこの状況で、多くの仕事がリモート中心になり、人との物理的な距離が必要になってしまった以上、その選択肢は理にかなっている。
しかし、ほんとうにそれだけだろうか。私は仕事の関係で、昨年の7月以降、ほとんどの時間を北海道の山奥で過ごした。10年住み続けた東京を離れ、自然の中で暮らしてみた。そうして感じたのが「やっぱり東京はいいところだ」ということだった。今後の生活を考えた時に「地方移住」以外の選択肢はないものだろうか。
そんなことを考えていた矢先、CRAZYを創業したことでも知られる山川咲さんから「東京は美しい」という話を聞いた。ご存知の方も多いかもしれないが、咲さんはウェディング業界の風雲児とも言える人で、昨年の3月末に創業以来8年間率いてきたCRAZYという会社の代表を退任したばかり。その後、突然奄美大島での長期休養期間を経て、また東京に戻ってきたタイミングだった。
時は昨年末。久しぶりに会った咲さんは、SANUという組織に入るんだということを教えてくれた。SANUはゲストハウス業界のパイオニアでもある元Backpacker’s Japan代表の本間貴裕さんが立ち上げた「⼈と⾃然の共⽣をテーマにしたライフスタイルブランド」で、東京から片道数時間で行ける距離にある自然の中に、いくつもの自然と共存できるセカンドホームとしてのキャビンを作っている。
北海道から戻ってきて東京の不思議な魅力を感じていたタイミングだったこともあり、都会に暮らし、自然へと遊びにいくそのライフスタイル自体が私には新鮮に思えた。人生は「東京に住むか」「田舎に引っ越すか」の二択じゃないんだと。
奄美生活を経て気がついた「東京の美しさ」
咲さんは最初の緊急事態宣言が出る少し前、退任を機にたった一人の知り合いを訪ねて、娘の英(はな)ちゃんと二人で奄美大島へ飛んだ。幼少期は自然の真ん中で育ったが高校生以降、自然の中で暮らすという経験はなかったそうで、2カ月半滞在してみて自然という存在の大きさに気がついたという。「星を見上げて涙したり、明け方の海にぼうっと浮かんだりして、心から人生が洗われてるって感じがした。根底に自然があるんだって思えた」と咲さんは言っていた。
だけど、咲さんはそのまま住み続けるのではなく、2カ月半で東京へ戻ってきた。それで、最初の「東京がすごく美しい」という話になった。今まで気にも留めなかったような東京の景色が目に留まり、感動するようになったのだという。夕日を見てうっとりしたり、葉っぱがひらひらと舞う光景に足を止めたり、奄美を経たことでそんな気づきがあったという。
東京がどんな街かと聞かれれば、それは上昇志向のある街だと言えるかもしれない。いろんな人が集まり、切磋琢磨し、上を目指すような場所。咲さん曰く、東京という街では、高い家賃を払って、高いものを消費し、そういう生活で自分を保ちながら豊さを見つけるほかない。意識せずとも、気がつくと話題の店へ行き、生活のクオリティをあげている。咲さんもこれまではそんな生活を送っていた。現に私もそうだ。
だけど、東京にいても、それ以外の暮らし方があるということに、奄美での生活を経て気がついたという。「今はただ上を目指すことよりも『今日はこんな空気感に触れたいな』とか、そんなことを考え始めたよね」。東京に暮らしていてもみんなと同じような「上」を目指さない、別の選択肢はあるのだ。
東京に住み、自然へかえるという生活スタイル
咲さんの現在のライフスタイルといえば、基本的には東京を拠点に、出張という形で月に1〜2回、数日間地方へ行くような形。ただ、東京にいるといっても、早朝日の出の撮影のために海を訪れるなど、自然へと気軽に遊びに行くような機会は格段に増えたという。まさに、東京にいながら自然へかえるような日々。
そもそも、SANUという組織で咲さんが何をしているのかというと、Creative Boardという役割で、「SANUを面白がる」「クリエイティブの力で人々を自然の中に連れ出す」というポジションを担っている。自分自身がまずは自然を楽しみ、まわりを巻き込み、自然へと人を連れ出す。SNSを見ていても咲さんは自然の中で本当に楽しそうな日々を送っているし、それだけでも今の生活はSANUでの役割をきちんと果たしている気がしてくる。
会うたび、子供のような笑顔で、いろんな楽しい話を聞かせてくれる。現に私も「SANUかっこいいなあ」と思ってしまっている。「歩んできた人生のその先に、自然とSANUがあった」という咲さん参画のリリースの言葉にある通り、彼女の生き方の中でのこのタイミングでSANUと出会ったことは素晴らしいことだし、なによりその引き寄せる地方自体が彼女の持つ人間としてのパワーでもある気がする。
今の生活は率直にどうですか。そう聞くと、咲さんは(いつも通りの)満面の笑みで「すごくいいよ」と言う。それでも、東京での生活は必要なわけですよね。「自然の中で暮らしていたとしても、日々落ち込んだり嘆いたり、何もなくてもどうせ悩むんだから、それなら東京で知らないものに触れたり、やったことのないことをやったりする方がいいんじゃない?特に時空を超えて何かを生み出したい今の私にとっては」。そんな考え方で住む場所を選ぶというのはやはり咲さんらしいと思ってしまった。
それにしても、なぜ東京という場所に惹かれるのか?
それにしても、私たちはなぜ東京という場所に戻って来てしまうのか。咲さんはこんな話を教えてくれた。「自然を求めて私は奄美の北部の何もないところに住んでいたんだけど、そこで唯一知っている友達がいて、その子は毎週必ず中心地に買い物に行っていて。美しいものだけでは落ち着かなくて、雑多なものに触れてその揺らぎの中で自分を保っていたいのかもって思った」。
たしかに、人が集まるところに、人は自然と惹かれてしまう。咲さん自身は「根源的に何かを生み出したい、表現したいという思いがあって、それは東京じゃないとできなかった」と言う。咲さんは奄美の生活を経て、自身が手がけた東京・表参道のIWAI OMOTESANDOという結婚式場で「Close Contact」という展示を実施した。自然がかえる場所なら、東京は生み出す場所なのかもしれない。
だから、東京を拠点に生活をして、たまに自然へとかえっていく生活はとても納得がいく。咲さん曰く、自然の中へかえるのは「立ち止まるため」。少し禅的な表現だが、それは自分しかない“それだけの時間”を確保するためだ。自然と、都会。それらをつなぎ、流れるように自由に往復するような生活。
たとえば、サウナで強制的に情報を遮断したり、自然の中へ移動するように、物理的な変化を加えることが、立ち止まるきっかけになるのは間違いないが、もしかするとそれは場所というよりも、感覚なのかもしれない。誰でも、自然の中にいることで、何かを得られるかというと、そうではない。ただ都会を離れ、自然の中で暮らすことで、心が満たされるとは限らない。一カ月自然の中に暮らしても何も感じない人もいるだろうし、一瞬でも自然に触れるだけで心が洗われる人もいる。もっといえば、東京にいながら一瞬でも脇道にそれるように、心を無にできる人もいる。
「ただその場所に行くんじゃなくて、自分がどこで何にチャネルを合わせるのか。だから場所を選ぶというより感受性をどう刺激するのかが大事だし、自然だけじゃなく、東京にいてもできることはある」。咲さんがそんなことを呟いた。たしかにそうだ。どこに住むかではなく、どうすれば自分は心をリセットできるのか。「都会か自然かの二択ではもはやない。自分であるか否か、その二択の中で私たちは今いるべき場所をデザインしていくのだと思う」。そうも教えてくれた。
都会に暮らし、自然に癒しを求めるという生活それ自体も素晴らしいが、咲さんのライフスタイルから学べることは、それ以上に自らの感覚を保つための自分にフィットした暮らし方を見つけることの大切さだったのかもしれない。