【対談後編】事業成長しながら個人もチームも学び続ける、これからの組織のつくり方|立石慎也氏(パフォーマンスデザイン有限会社 代表取締役社長)

独自のフレームワーク「識育コーチング®️」を軸に企業の組織開発やエグゼクティブコーチングを行う立石慎也氏と、YADOKARIの代表取締役COO上杉勢太が、これからの組織と個人の成長についての対話の後編。「成長し続ける個人と組織」のつくり方に迫る。

立石慎也(たていししんや)
パフォーマンスデザイン有限会社
代表取締役社長
意識の深化や発達を専門とする、エグゼクティブ・コーチ、プロコーチ養成トレーナー、チームコーチ養成トレーナー。成人発達理論やインテグラル理論等を援用しながら独自に開発しているフレームワーク「識育コーチング®︎」を用いて、プロアーティストや中小零細企業、ベンチャー企業の人材育成、組織開発に携わる。人材育成や組織開発コンサルタント会社の顧問、プロコーチのスーパーバイザも務める。
英国を拠点とし世界78カ国に15000名以上の認定コーチで構成される世界最大規模のコーチ組織ICC(International Coaching Community)で世界で唯一、成人発達理論を組み込んだ「ICC国際コーチング連盟認定講座 × 成人発達理論」トレーナー。2022年9月よりYADOKARI株式会社グループの人材育成・組織開発顧問も務める。

チームで学習する。成長し続ける組織のつくり方

上杉: 僕らは持続可能で拡張していくような、次の新しい「変わり続けられるチーム・組織」のようなものをつくりたくて、立石さんにも伴走していただいていますが、先日から「アクションラーニング」というチームで学習するフレームワークを実践させていただき、すごく良い機会になっていると感じています。

立石さんの導入レクチャーの下、YADOKARI・はじまり商店街メンバー全体でアクションラーニングに取り組む。

立石さん(以下敬称略): 僕の実践はもともと1on1のエグゼクティブコーチングから始まりましたが、エグゼクティブとチームメンバーとチームとが同時に成長していく関わり方にとても可能性を感じています。その際には、チーム学習が非常に有効的なんです。先にお話ししたICC国際コーチング連盟のエグゼクティブコーチ養成トレーニング(2011年開催)のご縁で繋がった日本アクションラーニング協会のシニアコーチ養成プログラムでは、「発達志向型アクションラーニング」を研究し発表しました(当時の記事はこちらです)。2018年3月には、オランダ在住の成人発達理論研究者、加藤洋平氏にプログラムを監修いただき「組織開発×成人発達理論」講座を開講し、多くの組織開発コンサルタントの方々にご受講いただきました。開講記念セミナーでは、加藤氏とオンラインでつなぎ、「個人」の発達段階と「組織」発達段階のプロセスや関係性についてインタビューさせていただきました(他ではあまり触れられていない情報がこちらに掲載されています)。

成人発達理論で言うと、発達に必要なダイナミクスには二つあって、一つは「何かを明らかにしてまとめ上げていく力(構築)」、そしてもう一つは「その明らかになった構造の前提や限界を批判的に見て、解きほぐし、手放していく力(脱構築)」です。直面した現実に対して「自分はこう思う」と精密にまとめ上げ堅牢性を高めていく関わりと同時に、「こう考えてみたけど、これは本当に確かだろうか?」とあえて批判的に見る視点も必要なんですね。

これを1on1でやろうとすると多面的に向き合う必要があるので大変なのですが、チームで行うとわりと自然とできる。メンバーのいろんな文脈や前提に基づく質問や話を聞いて、なるほどそういう視点や考え方もあったか、と思いを巡らせながら、徐々に心構えができてくると、「自分の思考の癖はこういう所にありそうだ」とか「自分の感情はこういう時に動くな」とか、いろんなことに気づいていって、「ということは自分の限界はこの辺りにあるんだな」と、たくさんの鏡の前で自分を振り返ることで自分自身が複眼的に見えてくる。

「学習する組織」という言葉がありますが、学習は、吸収してこれが正解だと凝り固まるだけではだめで、そこからさらに「ここはちょっと違うな」とか「ここはもう少し深掘りしよう」というふうに、チームが自ずと成長していく動きがほしい。アクションラーニングと成人発達理論の観点を入れることで、個人もチームも同時に成長・発達していくことができます。

上杉: アクションラーニングを実践する中で、まさにその「脱構築」の部分を他のメンバーのやりとりを見て気づけることにパワーを感じました。あの場での約束として、役職を取り払い、みんなフラットだから安心して、という前提の下でメンバーが発言し合えることで、僕らも経営者として多面的に手放すべきことが知れるし、みんなから発見できる。マネジメント層がエゴを捨てれば捨てるほど良い組織になりそうだということも体感できました。

会社の悩みだけでなく、個人においても自分の人生の悩みを解決していく上で、多面的な視点を早く吸収できるし、他のメンバーの話でありながら自分にも問いが投げられるあの感覚は、組織としてだけでなく個人の成長にもつながりそうだと感じています。

葛藤に踏みとどまる力が人を成長させる

立石: 発達の視点で言うと「あわい」、つまり内側と外側の重なる部分、建物に喩えるなら「縁側」の部分に立つことがなかなか難しい。会社の文脈ですと、自分自身の本来性、やりたいことや価値観、ニーズと、会社の役割としてやらなきゃいけないことの「間」ですね。本人にとってここに立つことに葛藤があるわけですが、その葛藤にステイし続けることが発達にあたっては非常に重要な経験なんです。

自分としてはこうしたいんだけど、数字や品質を上げていくためにはそれをやっている場合じゃないとか、みなさんそういう葛藤の中にいる。それを安心安全な場で表明できるとすると、自分が苦しんでいることを受け止めてもらえるありがたみや、メンバーが苦しんでいることを理解できるやさしさが生まれるし、その複雑な状況に立つことが自分自身の葛藤に向き合い続けるレジリエンスを高めてくれる。発達のための筋トレみたいな要素もあるんです。

上杉: 確かに、あのアクションラーニングの安心安全な場を通じて、自分の本来性や自分らしくいることが、チームの中で再度容認された感覚があります。もちろんもっと深い本来性は各自あるでしょうが、若いメンバーはあの場があるだけで自分の中の本来性の一部を再確認して、またエネルギッシュに活動できそうだと感じました。

立石: 個人でもそういうことが起こるのですが、チームでもそれが起こるとダイナミズムがすごい。体験していただいたような形で、有機的な生態系のような「箱」がその場に生まれてくるので、そこから得た感覚を、仕事の中で誰かと関係性を構築したり、新たなプロジェクトをつくったりする際にも持ち出すと、いろんなステークホルダーと物事を進めていく時に役立ちますし、コミュニティビルディングの一つのフレームワークにもなるのではないかと思います。

メンバー全員が役員という株式会社

上杉: まさに僕もそう感じています。しかし個人や組織がより良く成長するためにこういうことをやっていこうとすると、やはり会社が急成長していくフェーズがある場合は、中央集権的な階層型マネジメントも一部取り入れていかないと難しいなと感じた部分もあるのですが、いかがですか?

立石: 僕はやりようだと思っています。例えばシンプルな静的な箱や、その次の少し変動的な箱に適応する、またはその箱を運営してもらう仕事はアウトソーシングして、社員の方々は有機的な生態系のような箱をつくれる人になっていただく。そうすると上手く回るのではないかと僕は考えています。数字も出しながら、メンバーもチーム・組織も成長していくことができる。もちろん、その複雑な箱をつくる仕事はハードルも高いので、例えば自分の人生をかけてそれをやりたいというような思いがないと、なかなか難しい。全ての人に求めるのは難しいですよね。趣味や活動の深掘りや介護とか育児の都合などのライフステージの変化に応じて、働き方や関わり方にも流動性があるでしょうから、多様な働き方(社員、業務委託、契約社員、パート等)もある程度自由に選択できるといいですね。

上杉: そうですよね。そう考えていくと最終的に、僕は今の資本主義の中で株式会社という形の中で実現するなら、会社人数は最大50-60名ほどで各事業主体になるメンバーは全員役員みたいなこともあり得るんじゃないかと思っているんですが(笑)

前職で近しい雇用形態に取り組んだ経験があるのですが、個人の自由度を高めてやりたいことや責任がフラットになると、かなりのプレッシャーとストレスで耐えられないメンバーの方が圧倒的に多くなることも経験しました。

実は階層型の方がストレスが少ないし、その心理的安全性は大きな役割を占めている事も理解しました。やりたいこともライフステージと共に3−5年スパンで変化していくし、幸せの尺度は多面的なので、個と組織のあり方は絶妙なバランスの制度設計や安全安心に対話できる場、事業変化し続ける風土、立石さんの言葉を借りれば「あわい 」という事でしょうか。

立石: そうですね(笑)、財務や人事、法的なリスク管理などはさすがに難しいと思うのでそれは会社でやって、プロジェクトに反映する価値の設定から企画、運営、後片付けまで丸ごと執行役員みたいな形でやっていただくということはできると思いますよ。

上杉: 僕らのビジョンは「世界を変える、暮らしを創る」というものですが、それを実現するための選択肢は多様だと思っています。これまでは主に「住」の視点から様々な商品・プロジェクトに取り組んできましたが、暮らしの中には衣食やウェルネス、人間関係、環境エネルギーなど、いろんなテーマがあります。

自分が旗を振りたいテーマを持っているメンバーと、変容できるチーム・組織の形があれば、YADOKARIの中や周辺に、テーマやメンバーごとに小さな会社やチームができていってもいいんじゃないかと思うんです。仮説ではありますが、どうやったらそれができるかなと。

立石: できると思いますよ。新しい働き方と暮らし方を上手く統合するような柔らかい箱を用意して。ゼロからやってごらんというのはハードルが高いと思いますが、雛形があればアレンジできる人はたくさんいらっしゃると思います。

上杉: お金・場所・時間に縛られない暮らしを実現する、まさに「YADOKARI」といえる新しい組織体を見出したいですね。会社の視座やVision、自分自身の本来性とが重なる部分があって、それと一緒にアウトプットしたら世の中からすごく感謝される。それはとても幸せなことだと思うので、そういうことを生み出し続けるチームでありたい。そのより良い形を人生をかけて模索・実践したいと思っています。

立石: それを実現するのは最高に楽しそうですね。そうするときっとみんな幸せになるし、ストレス発散なんかする必要がなくなるから、地球にもやさしく、仲良くやっていけると思うんですよね。

自分の本来性と社会性との行き来から新しい箱をつくる

上杉: まだまだ葛藤中の僕らに伴走してくださっている立石さんから、これからの組織人や若い世代へ向けてメッセージをいただけますか?

立石: 世の中には、本来は純粋で素朴な魂(心)をまるで植民地化してしまうようないろんな箱やモノサシが流通していて、ゲームプレイヤーとしてその箱の中で成果が出せるかどうかを周りも期待しているし、知らず知らずのうちに自分自身もそれに追われてしまう場合もあると思います。そういう社会構造をつくってきた大人たちの責任もあると思いますが、若い方々も過剰適応しすぎてしまっているのかもしれません。適応できないがゆえに自分は存在としてだめだとか、逆にあの人は適応できないからだめなんだ、みたいに考えるようになってきているような風潮も一部にはあるように思います。

本来性(=生まれながらにして授かった種)という自分自身の本当の部分、自分の深くにある所に触れていくと、そこに十分なリソースも可能性もあると僕は思っています。でも、自分自身の本来性に気づくことも、他者の本来性に真に共鳴することも、決して簡単ではないんですよね。頭で「分かった」と思った瞬間に、自分という存在も、他者という存在も、その他の存在も、自我が抱く既成概念の檻に閉じ込めてしまうことになってしまう。だからこそ、「ひょっとすると、生きている間には分からないかもしれない(笑)」というような謙虚な気持ちで、自分自身とも他者とも対話をつづけていく姿こそが美しいと思うんです。「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があるのですが、僕は、この「ネガティブ・ケイパビリティ」は、分かり合えないことを前提に共感し続けるために欠かせない在り方を構成するとても美しい概念だと思っていまして、なかなか実践するのは大変なのですが(笑)、これからも大切にしていきたいと思います。

これまではそんな箱が外側や上から自分自身の人生の目の前に現れてきて、そのご縁に助けられたり、居心地が悪くなったりしながらも、結局、その箱に順応したり適応したりするゲームプレイヤーを演じてきたかもしれないけれど、その箱を誰かが意図的につくるんじゃなくて、さまざまな人がそれぞれの本来性に気づいて、そこで自分の内側にこもるのではなく、自分の本来性と社会性とを行き来しながらみんながそれぞれのペースとそれぞれの在り方で相互に関与していくと、そこに自然と新たな有機的で生態系のような箱が創発されると思いますし、その箱は大自然のようにどんどん変化していくのだろうと思います。

個人としての自分の本来性とつながり、個人として社会性を表現していきながら、そういう人が集まったところに生まれてくる新しい何かを僕は目撃したいし、そこに携わっていたいと思います。

上杉: 本来性を共鳴し合いながら人と何かをやっていくとパワーが何倍にもなるし、そういうことが会社や利益という枠に捉われず活動として各所で起きれば、その活動は世の中にとっても有益で持続可能なものになるんじゃないかと僕も思います。そういうことに僕は興味があるし大事にしたい。これを探求・実践する場所としてYADOKARI を選ぼうって、立石さんとの対話から改めてそんなふうに思いました。

(執筆/森田マイコ)