【対談前編】保育園留学が変える子育てと暮らしと地域の未来|山本雅也氏(株式会社キッチハイク代表取締役)

1〜2週間家族で地域に滞在する、子ども主役の暮らし体験「保育園留学」。
開始から2年を経た2024年1月時点で累計利用者数は大人・子どもを合わせて約1600人、450家族を突破し、多様な地域の保育園に留学しているという。
この注目のサービスの運営元である株式会社キッチハイク代表取締役の山本雅也氏とYADOKARIの上杉、そして保育園留学を家族で体験した河村が対談を行った。このサービスがつくる新しい世界とは? 前編では、サービス誕生の背景とその魅力に迫る。

画像提供:保育園留学

家族ごと自然豊かな地方へ留学

都市部で子育てをする人なら「子どもにとってこの環境は本当に良いのか」と、一度ならず疑問を感じたことがあるのではないだろうか。排気ガスや騒音、いくら待っても入園できない保育園、外遊びが不可能なほどの酷暑、近隣との希薄な人間関係…。コロナ禍を経て社会が変わり、通勤に縛られなくても良くなった今こそ、子育てや暮らしの新たな選択肢を本気で模索してみる好機かもしれない。

2021年11月に誕生した保育園留学は、こうした子育ての問題に画期的なソリューションをもたらすサービスだ。1〜2週間子どもが保育園にのびのび通えて、親は働きながら多様な地域に家族で滞在できる、「子ども主役の暮らし体験」である。
在園していない未就学児でも受け入れをしてくれるさまざまな地方の保育施設をWebサイトから選んで、子どもを通わせることができるだけでなく、保育園のある地域の公共施設等を活用した宿泊施設に家族で滞在し、親はリモートワークなどをしながら、その地域での暮らしを1〜2週間ほど一緒に体験できるのだ。

保育園留学サイト内の「留学先一覧」から簡単に子どもの預け先・滞在先を選べる。園の特徴と共に、その地域での暮らしの環境や宿泊施設の概要、必要な予算も紹介されている。(画像:保育園留学Webサイトより)

子どもには、幼少期に大自然に触れて心身ともに健やかに育つ環境を。家族には、仕事も子育てもしながら多様な選択肢を。過疎地域には、子育て家族とのつながりと地域経済貢献をもたらす統合的な解決策であることも大きな魅力だ。
利用者は拡大し続けており、リピート希望率も90%を超えているという。提携先は2023年12月時点で、全国40地域にまで広がった。特に都市部で子育て中の30代・40代に圧倒的な共感を呼んでいるが、それもそのはず、このサービスはキッチハイク代表 山本さん自身の切実なニーズから生まれたのだ。

山本雅也さん/株式会社キッチハイク代表取締役CEO。1985年東京都生まれ。20代の時、450日かけて世界各国の見知らぬ家を訪ね一緒にごはんを食べる社会実験を行い「食と暮らしでつながる未来は豊かだ」と確信。その想いから2012年、共同創業者の藤崎祥見さんと共に同社を設立。同時期に創業したYADOKARIの上杉・さわだとは当時から刺激を与え合う仲。(写真提供:保育園留学)

山本さん自身の疑問から、娘を北海道の園へ

上杉: 保育園留学は、山本さんの実体験から生まれたサービスだそうですが、どのような経緯で始まったんですか?

山本さん(以下敬称略): 実は、このサービスが立ち上がる前の2021年春に、我が家の娘が北海道の保育園に留学したのが始まりなんです。当時は横浜駅の近くに住んでおり、市内の保育園を調べ尽くしましたが希望する園はいっぱいで、何ヶ月待っても空きが出ない状態。その間、園庭のない保育園に通わせながら、「このまま都会で子育てしてていいのかな?」と疑問が湧きました。週末はどこかへ連れ出すとしても、平日は難しい。でも娘にとって週5日間過ごす平日が生活の大半です。しかも娘に喘息の症状が出始めて、もっと良い環境はないだろうかと真剣に考え始めました。

山本さんが最初に娘を留学させた北海道厚沢部町の認定こども園「はぜる」。大自然の中の広大な園庭や地元木材の園舎、遊具で子どもたちがのびのびと遊べる。園庭の一角にある菜園では収穫体験も。(写真提供:保育園留学)

山本: そんな時、偶然インターネットで見つけたのが北海道厚沢部(あっさぶ)町の認定こども園「はぜる」の写真。雷に打たれたように、ひと目で「是が非でも娘をここに通わせたい!」と思いました。
一時預かり保育の仕組みを使えば、それが可能であることも調べ尽くして知っていたので、翌朝すぐに厚沢部町の役場に相談したところ、「制度上は大丈夫ですね」と。厚沢部町は過疎化がかなり進んでいて、この「はぜる」も2019年に移住定住の促進策の一つとして生まれた施設。周辺には移住のお試し住宅もありましたが入居者はいない状況だったので、「町としては前例のない滞在の仕方ですがいいですよ」と快諾してくださいました。それが全ての始まりです。

山本家が初めて留学した時の写真。大自然や、いつもとは違う仲間との遊びが、我が子のまだ見ぬ表情や可能性を引き出す。(写真提供:保育園留学)

滞在中に見えてきた地域の課題と事業の構想

上杉: 急展開ですね。それで実際にご家族で現地へ行ってみて、いかがでしたか?

山本: とにかく娘が楽しそうだった、という一言に尽きます。それが親としては何よりうれしかった。子どもが主役の留学だなと心底思い、「保育園留学」という言葉も自然に降りてきました。ワーケーションなどの切り口もあるけれど、親にとっては「我が子が楽しそう」ということに勝る理由はないと思いました。

上杉: 本当にその通りですよね。そこからどんなふうにサービスが形づくられていったんですか?

山本: 厚沢部町に滞在している3週間ほどの間、役場の担当者の方と何度もビールを飲んだり、ラーメンを食べたりしながらお話しするうちに、保育園留学が地域の未来を切り拓いていく大きな可能性を持っていることに気づいていったんです。
きっかけは娘ファーストでしたが、地域に実際に入ってみることで、事業の構想がクリアに見えてきました。そこで滞在期間中に事業計画書をつくって役場に提案したところ、「やりましょう!」と力強く賛同いただけて、動きが本格化していきました。

北海道厚沢部町の認定こども園「はぜる」の遊戯室(写真提供:保育園留学)

上杉: 偶発的に始まっていった、という感じでしょうか?

山本: そうですね、偶発的でもあり、必然的でもあったと思います。娘が生まれて半年後くらいにコロナ禍になり、他の子どもとの距離をとりつつ無理やり遊ばせるなど不自然な子育て環境に困惑する一方で、妻も含めて僕たち親の働き方も変わってきて自宅でフルリモートで仕事するようになった。「何かおかしい。同じことをもっと自然豊かな中でやれる方法があるはずだ」と思い始めました。こうした都市部の子育て側の環境や働き方の変化と、地域の過疎や少子化、移住促進などの流れがタイミング良く交わった所に、このサービスが生まれたと思います。

(写真提供:保育園留学)

保育園留学が未来に希望と価値を与え続ける

上杉: 事業開始から2年ほど経ちましたが、この先はどのような展開を考えていらっしゃいますか?

山本: はい、これから特に3つの取り組みに力を入れていこうとしています。1つ目は、保育園留学の体験価値を最大化して、その後の定住の検討にもつながるような「寮」を用意しました。
住宅メーカーのBESSさんの協力を得て、現在2棟の平屋を建設中です。設計にあたっては「はぜる」の子どもたちや保育士さんの声を取り入れて、例えば洗面台の高さを低くしたり、室内の仕切りをできるだけ減らして広々としたスペースを確保するなど、子どもファーストの空間づくりを行なっています。
保育園留学に来たご家族に、この寮でまずは1週間〜2週間ほど、地域での新しい暮らしに楽しくチャレンジしていただき、園や厚沢部町が気に入って「ここに住みたい!」と思うようになったご家族には、賃貸住宅としても使っていただけるようになる予定です。

例えば子どもが一定の年齢になるまではその地域に住んで、その先はまた住む街を変えるかもしれない。ライフステージやライフスタイルの変化に合わせて中長期で地域に住む「やわらかな定住」も、これからの僕たちの暮らし方の選択肢として十分あり得ると思うんです。

保育園留学の2棟の寮は、厚沢部町の特産品から「アスパラ」と「とうきび」とそれぞれ名前がついている。子どもを介してお隣同士の交流も生まれるかもしれない。(画像提供:保育園留学)
(画像提供:保育園留学)

山本: 2つ目は、留学先納税です。留学先納税は、ふるさと納税の制度を使い、返礼品で保育園留学の費用の一部を支払うことができる仕組みです。ご家族がより留学に行きやすくなり、同時にまちを応援することができるとりくみを始めています。

3つ目は、厚沢部町と一緒に次の100年を創造していく取り組みです。保育園留学を核に、関係人口を増やし経済効果を高めていくために、厚沢部町とキッチハイクは2023年8月に連携協定を結びました。地域、子育て、暮らし方。これら3つの方向の未来に価値と希望を与え続けるのが、保育園留学だと思っています。我ながら良い事業だなと(笑)。

上杉: 本当に、ジェラシーを感じるぐらい良い事業だと思います(笑)。ご自身の娘さんへの愛情から始まるストーリーも山本さんらしいし、自治体と一緒に未来をつくっていくのもキッチハイクさんらしいですよね。

後編はいよいよ、保育園留学を体験したYADOKARI 河村の現地での実感や、厚沢部町がすっかり気に入って2022年に移住してしまった山本さん一家のその後の様子も交えながら、3名が子育てと暮らしと地域の未来について対話を深める。

後編へ続く>>