CORE SESSIONS

Staple 岡雄大×YADOKARIさわだいっせい|持続する地域と仲間のつくり方【CORE SESSIONS Vol.4 後編】

2024年12月27日

株式会社Staple代表取締役の岡雄大さんをお迎えし、YADOKARI共同代表のさわだいっせいが生き方のコアに迫る対談。後編では、広島・瀬戸田でのご近所づくりや、その手法とこだわり、岡さんが描く未来の暮らしと幸せな人生の終え方などについて語り合う。

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この日の対談は、Stapleが手がけた施設「SOIL Nihonbashi」で行った。築38年のオフィスビルを一棟リノベーションし、都市とローカルで活動する人の拠点として2021年12月に開業。1階部分は、地域の子ども達が駆け回る、緑豊かな児童公園に隣接したカフェベーカリー、2階以上は公園ビューのコーポラティブオフィスからなる。

岡 雄大(おかゆうた)| 株式会社Staple代表取締役(写真右)
岡山生まれ、米コネチカットと東京育ち。世界や日本各地の多様な文化に魅了され、旅を仕事にすることを志す。早稲田大学政治経済学部卒業後、スターウッドキャピタルグループを経てシンガポールで独立、ホテルブランドへの投資戦略や経営企画を手がける。2019年からはStapleを本格稼働、K5やSOIL Setoda、SOIL Nihonbashi等のプロデュースやマネジメントを行う。広島・瀬戸田と東京・日本橋を拠点に「都市一極集中に依存しない社会」を目指し、場やまちの企画・開発・運営に情熱を燃やしている。

さわだいっせい|YADOKARI 代表取締役 / Co-founder(写真左)
兵庫県姫路市出身。10代でミュージシャンを目指して上京し、破壊と再生を繰り返しながら前進してきたアーティストであり経営者。IT企業でのデザイナー時代に上杉勢太と出会い、2013年、YADOKARIを共同創業。YADOKARI文化圏のカルチャー醸成の責任者として、新しい世界を創るべくメンバーや関係者へ愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人に会うことを惜しまない。逗子の海近のスモールハウスをYADOKARIで設計し居住中。

岡さんとアマンリゾーツ創始者エイドリアン・ゼッカ氏が協働して瀬戸田に誕生させた旅館「Azumi Setoda」。元豪商の屋敷を生まれ変わらせた。
(Photo : Tomohiro Sakashita)

地域の日常の美しさと、一緒に生きていけそうな感覚を大事に

さわだ: 瀬戸田のプロジェクトは、なぜやることになったんですか? リスクもあるチャレンジだったのではないかと思いますが。

岡雄大さん(以下敬称略): 自分のルーツの瀬戸内で何かやりたいという気持ちが元々ありつつ、きっかけを探していた時に、金融時代にお世話になった方が瀬戸内全体の地方創生ファンドを始められて、「一緒に瀬戸内を盛り上げよう」と声をかけていただいたんです。その方と車で瀬戸内一帯を走りながら、絶景の無人島とか、神様がいたとされる島とか、いろんな場所を見せていただいた中で、最後に「ここはシャッター商店街だから可能性は薄いと思うけど…」と案内されたのが瀬戸田の古いお屋敷でした。

瀬戸田は、瀬戸内海を尾道から今治へと渡る「しまなみ海道」と、呉から安芸灘を東西へ横切る「とびしま海道」がクロスする辺りにあります。僕の事業モデルは、「自分にお金があるからホテルを始めよう」ではなくて、そこに良いホテルをつくることで、その地域自体が素敵な場所になっていくという提案をして、自分が旗振り役となって投資してもらう形。だからこそ「なぜ自分がやるのか?」に立ち返ると、アマンリゾーツでエイドリアン・ゼッカさんがやってきたように、まだ見ぬ地域を掘り起こし、周囲の人々と一緒に地域を豊かにしていくのがミッションなんです。その地域で親子三代に渡って家業を営んでいたりすることが「美しい」し、その人たちが生きてきたライフスタイルがホテルに憑依している、みたいな感覚を大事にしたい。

ちょうど僕が内覧を終えて屋敷から出てきた時に、商店街を、ママチャリのカゴにボロボロになった『月刊 将棋』みたいな雑誌を入れて竹刀を差したおじいちゃんが、鼻歌を歌いながら通ったんです。そしてまた別のおばあちゃんに「何してるの?」と話しかけられ、新しく会社を始めてここにホテルをつくろうと思ってると言ったら、「いいね!どんどんやりなさい」と言われた。そのお屋敷は海沿いでもないし、絶景が広がっているわけでもないから、一般的にはここでホテルをやりたいという人はいないのかもしれません。でも僕は、「むしろここだ」と思いました。

写真提供:Staple

岡: そのおじいちゃんやおばあちゃんの姿が、見ようによっては、僕がトスカーナでマンマが庭に洗濯物を干しているのを見た時に感じたのと同じくらい胸を打つ、価値ある情景になり得るんじゃないかと思ったんです。そのおばあちゃんの「いいね!」の一言にも力をもらいました。外から来た僕に、やめときな、ここは何もないよと言うんじゃなくて、根底にウェルカムな気持ちが流れているのを感じて。それから何度か通っているうちに、商店街は廃れていっているかもしれないけど、地元の人たちは希望にあふれているし、新しいものも受け入れてくれると分かり、瀬戸田は面白いなと。決め手はそんな所です。

あのママチャリのおじいちゃんとおばあちゃんは、いつ行っても会うんですよ、ロールプレイングゲームのキャラクターみたいに(笑)。「徒歩で生きてる」から毎回いるんですよね。家を出たら商店街があって、そこでずっと生きていけるということの証拠。そういう「有機性」や「偶発性」が生まれやすいのも徒歩圏内だし、昔から交易の要のまちだったから、外から入ってくるものを迎え入れてくれる風土がある。この地域の人たちと一緒に生きていけそうな感覚とか、徒歩で見える範囲で生活が完結しているかどうかは非常に大事にしているポイントで、そういうまちは1つ店ができるだけで生活やまち全体の空気が目に見えて変わったりする。今後、違う場所でプロジェクトを行っていく際にも、こうしたことは意識し続けていきたいですね。

「いかに良いホテルをつくるか」から「いかに地域に愛されるか」へ

さわだ: 瀬戸田では、地域の人とのディスカッションに2年以上時間をかけたと聞きました。

岡: 約3年ですね。瀬戸田のプロジェクトに投資を集める必要もあった中で、当初は僕らに近しい限定的な人にだけ想いを伝えていたんですが、地域の人たちともっと仲良くなりたかったし、尾道市の人や、投資会社の人たちにも知ってもらう機会を増やしたいと。僕らの動機はピュアだし、間違ったことをやろうとはしていない自信はあったので、このプロジェクトに対して良い声ばかりが聞こえていたわけではないからこそ、もっとコミュニケーションを取って仲良くなって、伝えたいという気持ちがありました。

ワークショップを始めた当初は10人ほどしか集まらなかったのが、最終的な発表会には200人くらい来てくれるまでになりました。皆でまちのスローガンを考えようとか、「Azumi Setoda」でこんなことをしたいがどう思う?みたいなことを、飲みながら皆で考えるとても良い機会になり、その結果、大浴場をホテルの中ではなく公衆浴場として外につくって地域の人も使えるようにしたり、バーも「Azumi」の斜め向かいにある地元の方がやっているバーに送客することにしたり。ワークショップがあったおかげで、僕らも「良いホテルをつくらなきゃ」という視座から、「まちの人にいかに愛してもらえるか、一緒にどう関係を築いていけるか」という視座に次第に変わっていき、結果、どんどん良い企画になっていったという感覚があります。

人生にB面やC面のローカルがあることの豊かさ

さわだ: そのワークショップが地域との信頼関係やプロジェクトの下地となって、「Azumi」から「SOIL Setoda」など、あのエリア一帯のまちづくりにもつながっていったんですね。

岡: そうですね。「SOIL Setoda」は僕らの自社事業でやっているホテルです。最初5部屋で始めたんですが、まちの人たちと地域のお祭りや行事などを一緒にやって年々仲良くなる過程で、空き物件や売りたい物件の話を地域の人からもらえるようになり、今では15部屋まで拡大できました。周囲にコワーキング施設やショップなどもつくることができています。一つの施設が回るようになったら、次の物件を紹介してもらって…というように徐々に拡大しているので、リスクは次第に低くなってきています。

さわだ: 瀬戸田のプロジェクトが成長していくいちばんのキーポイントは、何だと思われますか?

岡: 新卒でStapleに入り、今は取締役の小林亮大くんの移住ですね。彼は新卒で入社すると同時に瀬戸田との関係が始まって、地域でのワークショップの初回に「この島はこのまま行くとみかんとレモン畑の継ぎ手はいなくなり、人口も半分になって社会インフラが維持できなくなり、まちは無くなります」という皆が凍りつくようなプレゼンをしたんだけど、キャラクターが良いから地元の人たちにも可愛がってもらえて。

彼は東京生まれ東京育ちで、シンガポールに住んでいた期間もあり、「地元がない」みたいな感覚は僕と似ています。そんな彼が自分の初めての地元感を瀬戸田に感じ始めて、「引越しをしたいかもしれないです」と言い出した。瀬戸田のプロジェクトの全体構想が最初から戦略的に整っていたわけではないので、会社側から移住を求めることはできない中で、自分から申し出てくれたんです。

月一でワークショップに1年通うのと、その地に2週間住んで得られる情報量や関係性は全然違って、断然後者の方が多いし深い。23歳の未来ある若者が瀬戸田に引越し、地域の人からも信頼され、今では映画祭やマラソン大会など新しい企画もどんどん生み出していて、彼がやってくれたことがStapleの文化もつくっている。人との接し方などの根底の文化をつくったのは僕かもしれないけど、会社と地域の関係性のあるべき形みたいなものをつくったのは、完全に小林くんだと思いますね。彼の背中を見て、その1年後に入社した新卒の子は函館に引越して頑張ってますし、山口の長門に引越した子も同じです。だから小林くんの瀬戸田移住は、大きな転機だったと思います。

もう一つのターニングポイントはコロナですね。経営には苦しみましたが、コロナの強制力が働いたからこそ皆の目が自国に向いた。次の長期休暇はどこの国に行こうかな、じゃなくて、どの地域に行ってみようかなという思考になったし、日本にもこんなに面白い場所があるんだということや、自分の人生のA面は都心でも、B面やC面のローカルが日本のどこかにあることの豊かさに、皆が気づくことができたのかもしれないです。

「熱伝導性を高める」チームづくりが生み出すもの

さわだ: 僕も瀬戸田のホテルに泊まらせていただいたことがありますし、横須賀の秋谷にある「Soil work in Akiya Village」の会員でもあるんですが、空間がすごく素敵ですよね。岡さん自身、設計やデザインへのこだわりって何かあるんですか?

岡: 僕自身もデザインへの愛は深く、会社の文化としてもデザインは大事にしていることですが、「熱伝導性を高める」というのが僕の経営テーマなんです。「熱源」と「熱伝導性」という言葉が、うちの社内会議では頻出します。プロジェクトの中にはプランを描く人、設計する人、タスクマネジメントをする人などいろんな機能を持ったメンバーがいますが、「熱源」はどの機能でもいいんです。「このプロジェクトは、この人の熱で持っている」みたいな熱源の存在がまず重要。それを社内で発掘することと、その熱源が、どんなデザイナーさんや設計士さんと組めば自分の熱が増幅されて次につながっていく感覚になれるか、というのが極めて重要なポイントだと思います。

だからデザイナーさんを検討する時も、その人の作品集を眺めながら…ではなく、「どう? 一緒に飲んだら楽しそう?」とか、そういう質問が飛ぶんですよ。熱を増幅させてくれる人がいて、その熱が最後、お客さんにコーヒーを差し出す人までつながっていくということを、僕らはとても大事にしています。

それは「K5」で組んだスウェーデンの三人組のデザイナー「CLAESSON KOIVISTO RUNE(クラーソン・コイヴィスト・ルーネ/CKR)」の影響が大きいかもしれません。「より良いものにしたい、完璧にしたい」と、オープン間際まで植栽や照明の角度など細部まで調整し続けてくれて、僕らが「もういいよ」と言うまでやめない。そんな彼らを見て、僕らは感動して泣いちゃって。そもそも僕らは事業者だから愛情を持って取り組んでいるけれど、そこにデザイナーのような「風の人」がもたらしてくれる増幅力を見せつけられました。それ以来、こういう化学反応を毎回起こしたいと思いながらやっています。

さわだ: なるほど。今のお話を聞いて、YADOKARIや僕自身を振り返り、何か湧き上がるものがありました。ありがとうございます。

インターローカルな未来へ向け、ライフスタイルごと創造する

さわだ: 今後は各地に拠点を増やしていく感じですか?

岡: そうですね、今、創業して6年目ですが、最初の5年は日本橋と瀬戸田に集中してやってきたので、次は函館や山口など、じわじわ増やしていきたいです。まずは10〜20拠点を想定していますが、100拠点とかの大きな規模にするつもりはありません。これまでの5年で、ホテルをつくることで、そこに従事する人や訪問者、ひいてはその地域に住む人が増えるのがやっぱり面白くて。今後もホテルをつくりに行くことは変わりませんが、つくったホテルの圏内の生活がより豊かになるように新しいものを産み出すことが、僕らのアイデンティティだと思っています。

今後、新たにつくっていきたいと考えているのが、YADOKARIさんにも共通する事業モデルかもしれませんが、共同所有型の住宅兼ホテルみたいなものですね。ホテルや飲食店は「風」や「水」で、流れてくる人たちがその地域に来て盛り上がる景色をつくってはくれるのですが、地域づくりをしていく中で、やはり通い続ける人・定着する人と、訪問者とのバランスが大事だと気づいてきました。その点で住宅という存在は定着をもたらしてくれる。僕らの強みは拠点にコミュニティがあって人がいることだから、住宅を販売するにあたっても面倒を見れるし、「Soil work」が充実していくと、普段は空き家だけど、一年のうち一定の期間は地域に来て、その家に滞在して仕事をするという人が増えていくかもしれない。

「インターナショナルの時代が終わって、これからはインターローカルな時代」と言われますが、やはり地域間のつながりの方が、国家間のそれより手触りやリアリティがある。地域同士で仲良くなって、刺激し合って、別にどこかに骨を埋める必要もないから違う地域に行ってみてもいい。そういう選び方ができる、ライフスタイルごとつくりに行くようなことを、次のステップとしてやりたいです。

さわだ: いろんなものを取っ払って、仲間になりたい人が横でつながって、コミュニティや自治区になっていけばいいし、そういう場所でちゃんと暮らしていける形をつくれたら、世界はもっと心地よく楽しい場所になると僕も思います。StapleさんとYADOKARIが何か一緒にできたら面白いですね。

岡:  本当に。僕らの地域にYADOKARIさんが来てくれたりすると、すごく良い効果がお互いに生まれるんじゃないかと僕も思ってます。

「旅と蛇行」。幸せな人生の終え方

さわだ: 最後に伺いたいのですが、岡さんは人生を終える時に、どんなふうになっていたら幸せですか?

岡: 一つは、ゼッカさんみたいに、何歳になっても死ぬ間際まで仲間と未来の話ができていること。これはどう考えても、僕にとって幸せのための栄養素です。それと、やはり旅を続けていること。

さわだ: すごく共感します。いろんな所を旅して、人生を豊かにしてくれるいろんな仲間と出会って、死ぬまで何か楽しいことを一緒にやっていたい。それは自分の人生でしかつくり得なかった景色ですもんね。

岡さんの人生にキャッチコピーをつけるとしたら?

岡: 「旅と蛇行」ですかね(笑)。会社も人生も、もっとシンプルにゴールを決めて突き進む努力をしたんですが、僕には向いていなかった。僕はもっといろんな経験をしたいし、いろんな人と出会って、いろんな“役の立ち方”をしてみたい。旅って、蛇行する余白がある行為だと思うんです。僕はそれが好きだし、こんな感じのペースで、人生をかけてそれをやっていくんだろうと思います。

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編集後記

「風を起こし、土を育て、豊かな風土を未来につなぎなおす。」
岡さん率いるStapleが、自分たちのアイデンティティを確信した今、新たに定め直した企業パーパスだ。
世界がいつまでも旅をしたくなる場所であり続けるように。岡さんは蛇行しながら、行く先々でいろんな人や地域の思いを掬い上げ、温かいつながりを丁寧に醸成し、次の世代へとその豊かさを手渡していく。蛇行するからこそ、多様な糸で世界を編んでいくことができる。
Stapleの躍進と共に編み上げられた、多彩なローカルがつながり合う未来はきっと、想像を超えた美しさであるに違いない。

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