【インタビュー】日光デザイン・木村顕さんの挑戦(前編) 廃屋寸前の日本家屋を回収して、人が集まる宿「日光イン」をつくる

Via: 日光イン
Via: 日光イン

東照宮などのある日光から電車で約20分。畑や田んぼに囲まれた静かな無人駅「下小代」に、日本はもちろん、海外からの観光客が多く降り立つ。彼らが目指すのは「日光イン」という宿泊施設だ。

外国人観光客を惹きつける、伝統建築の宿

日光インは、書院造の住宅に泊まることがテーマの宿である。のどかな里山の風景に囲まれて建つ昔ながらの日本家屋で、日本人にとっては懐かしく、海外からの旅人にとっては新鮮。2006年のオープン以来、口コミでファンを増やしてきた。

オーナーの木村顕さんは建築士でもある。そんな彼がなぜ宿泊施設を開業したのだろう。

木村顕さん
木村顕さん

「もともと美大で設計を専攻していて、将来は設計を仕事にするつもりだったんです。大抵の大学の建築科って、スタジアムや博物館、高層タワーなど、街のランドマークになるような建物ばかりが課題になるし、学生もそういうものを手がけたいと考えるもの。僕もその一人でした」

転機となったのが、在学中に2ヶ月間ヨーロッパを旅したことだった。

「目的は大学で学んでいたような有名建築家の大規模な建物を見学することでしたが、実際に印象に残ったのは、古い建物が残る街並みでした。どの町でも築何百年という建物が現役なんです。外見はクラシカルでも内部は最新設備が整った店舗などに改装されていて、それがすごく魅力的でした」

「同時に、日本とはずいぶん違うなあ、と感じました。日本では古いものはどんどん壊して更地にして、新しい建物を作るのが当たり前になっていますが、それって変なのかな、と疑問が湧いたんです」

これを機に、今まではそれほど関心がなかった日本の伝統建築に興味を抱いた木村さんは、建築史を学ぶために大学院に進んだ。そこで惹かれたのが「書院造」だった。
書院造とは、室町時代から近世にかけて武家の住宅として発達した建築様式で、現在の和風建築の基本でもある。

「要は、畳や床の間、縁側があるような住宅のこと。『こんなに優れたものが放っておいたらなくなってしまう。なんとかしないと』という危機感を抱くようになって研究を続けているうちに、改めて日本の文化ってすごいと実感して、どんどん書院造の空間に魅せられていきました。
ただ、研究しているだけでは継承や保存はできない。どうしたら書院造の魅力を未来に残していけるかを真剣に考えていました」

ボロボロの古民家を自ら改修して、木造建築の優秀さを実感

そんなときたまたま訪れた日光に「運命の出会い」が待っていた。小さな書院造の建物が3棟、ボロボロの状態で放置されていたのだ。

日光で見つけた古民家。板の間から植物が生えていた Via: 日光イン
日光で見つけた古民家。板の間から植物が生えていた Via: 日光イン

持ち主に「研究のために改修させてもらえないか」と相談したところ「好きに使っていい」と快諾。週末ごとに東京から日光に通い、約3年かけてコツコツと修理した。

「この作業を通して『日本の家って簡単にできているな』と実感しました。『簡単』というのは、維持しやすいということ。部分的に入れ替えて修繕することもできるし、上の構造を持ち上げて土台を補強することもできる。日光の家は小さかったこともあり、車のジャッキでも簡単に持ち上げることができました。もし石造りの家が劣化したら、部分だけ入れ替えることはまず無理でしょう」

「木造建築は構造が簡単だから壊すのも簡単ですが、やり方次第で半永久的に使い続けられます。奈良時代に建てられた正倉院も、少しずつパーツを取り替えながら今まで残ってきているんです。大学院時代は国宝も含めた重要文化財級の建築物をたくさん見学することができましたが、改修を通して日本建築の可能性を改めて感じました」

改修を始めた当初、漠然とではあるが社会的なプロジェクトにしたいという思いがあった。

「もともと書院造は客人を招いてもてなすための建物です。そういう本来の機能を活かして宿にして泊まってもらえば、丸一日好きなように使える。その中で書院造の魅力を知ってもらえるといいなあ、と考えました」

結局、博士論文を書き上げる前に大学院を辞めて「日光イン」を開業。住居も東京から日光に移した。

日光インはいわゆるホステル形式。食事の提供はないが、自炊できる設備を整えた。そうしたのは、ヨーロッパ旅行での木村さん自身の体験が根底にある。

「ヨーロッパ旅行中、外食するとすごく高くつくので、キッチン付きのアパルトマンに泊まって簡単な自炊をしていました。
食材は日本より安いし、面白い食材は見つかるし、パッケージもかわいい。スーパーや市場の買い物自体が楽しかったんです。食事をつくることを通してその国を知ることもできるとわかりました。
この経験から、日光インでも自炊できる場を提供すれば、外国の旅行者は面白がってくれるんじゃないか、日本のことを知ってもらうきっかけになるんじゃないかと思ったんです」

水まわりは現代的 Via:日光イン
水まわりは現代的 Via:日光イン

3年をかけて改修してようやくオープンしたものの、最初の半年ほど宿泊客はほとんどいなかった。

「ホームページさえ作ればなんとかなるとたかをくくっていたんです。ほかにどうすればいいかわからなかったし、まあ誰も来なくて当然ですよね(笑)」

そこで、まずはショップカードを作り、東京の知り合いの店や、木村さんが建築士として参加した企画展の会場においてもらった。
最初の宿泊客は、その企画展でショップカードを見てくれた人。以後、新しいスタイルの宿泊施設として注目されていった。

「客室にはテレビやエアコンはありません。このほかのサービスも、一般的な宿泊施設と比べて常識から外れているかもしれません。それが嫌だという人もいるとは思いますが、気に入ってくれる人もいて、本当に徐々にですがそういった人たちが口コミで広めてくれたんです」

各国からも観光客が訪れるようになった Via: 日光イン
各国からも観光客が訪れるようになった Via: 日光イン

少しずつサービスを充実させて経営も軌道に乗ってきた、その矢先に東日本大震災が起こった。
日光に大きな被害はなかったが、原発事故の影響による風評もあって栃木県を訪れる観光客は激減。東電の賠償金が下りたため廃業には至らなかったが、日光インは開店休業状態になってしまった。

だが木村さんは立ち止まっていたわけではない。この時期に手がけたある仕事が、結果的に次の展開へ向けたステップとなっていくのだ。

後編では、木村さんが手がけるもうひとつのプロジェクト”WORLD BREAKFAST ALLDAY”を紹介します。

後編はこちら:【インタビュー】日光デザイン・木村顕さんの挑戦(後編)「朝食」は世界をつなぐ! 世界の朝ごはんを食べられるカフェ「WORLD BREAKFAST ALLDAY」