【インタビュー・前編 2/2】不動産業を核に、クリエイティブな自治区をつくる・ 株式会社まちづクリエイティブ|Re:Tokyo
── そこで新天地を求めて、松戸を選んだのですね。
寺井
特に松戸に思い入れがあったわけではありません。正直に言うと、最初はどこでもよかったのです。松戸は東京まで電車で30分。実は結構近いのに、心理的な距離がある場所で、陳腐化が進んでいる。それが僕達には丁度よかった。
── 小田さんは、クリエイティブ・ディレクターとしてまちづクリエイティブに参加されているわけですが、どういった意識でMAD Cityをディレクションされているのですか。
小田雄太さん(以下小田)
寺井も日頃から言っていることですが、一過性のイベントではなく持続性のあるまちづくりができるように心がけています。
僕はデザイナーとしてまちづクリエイティブ以外にも様々な企業と仕事をしていますが、その際一般的によく使われる「課題解決」という言葉を使いません。元の状態を「課題」と捉えるのは、ありのままを否定することに繋がります。その上に何かを打ち立てても、それは一過性のイベントとして消費されるだけだと思うのです。
地方にある古民家は東京の人間から見ると魅力的ですよね。でも実際に住んでいる人に聞いてみると、東京によくあるプレハブの新築住宅の方が、便利でスタイリッシュに見えるという話はよくあります。極端な例を出すと、それを理由に課題解決として新興住宅地を打ち立て、その時は便利でスタイリッシュだと地元の人に喜ばれても、デベロッパーが去った後には個性を失い過疎化する街が残るだけです。
つまり、ある種の差異を見つけたときに、それを課題と見なしてフラットにならすのではなく、視点を変えて面白がるのが大切ではないでしょうか。お互いに面白がって長期的な関係を保つのがまちづくりであって、一過性のもので何かを打ち立てるのはイベントをしているだけになってしまいます。
MAD Cityの7つのビジョン
「MAD City」という名前を聞いたときに、マツド=マッドという駄洒落的な緩さとともに、千葉に対する潜在的な負のイメージ(東京の郊外で、暴走族が多い)を逆手に取ったネーミングにインパクトを受けた。ノリでつけられたようなこの名前は、実は入念に練られたコミュニュケーションであり、「ありのままを面白がる」まちづクリエイティブの姿勢を表していたのだ。
「MAD City」の公式サイトでは、そこで暮らすうえでの価値観を表す、7つのビジョンを掲げている。
1クリエイティブな自治区をつくろう。
2刺激的でいかした隣人をもとう。
3地元をリスペクトし、コラボを楽しもう。
4変化を生み出そう。新しいルールを発明しよう。
5仕事場も住居も、DIY精神で自由に創造しよう。
6河辺でも通りでも駅前でも、街を遊びつくそう。
7東京のみならず、世界とどんどんつながろう。
この文言には、お二人の話から垣間見えたまちづくりエイティブの理想が込められている。寺井さんは「松戸に思い入れはなかった」というが、それはどこであっても、その場所を「面白がる」準備ができていたということなのだろう。
クリエイティブな自治区を生成するロジカルな戦略
いくら志が高くても、ステイトメントを立て、理想を描くだけでは人は集まらない。彼らは、彼らが目指す「独自のルール、独自の経済、独自の文化が生まれていくこと」をどのように実現しようとしているのだろうか。
── 「クリエイティブな自治区を生成する具体的な戦略」とは、どういったものなのでしょうか?
寺井
例えば、地方自治体がもっとも誘引したいと考えているのは、これから子供を産み育てる若い夫婦やカップルです。しかし若い世代が流出している街で、ある日を境にいきなり若いカップルがやってきて、街が活性化することは戦略なしには起こり得ません。
若いカップルが来るには、彼らが好む店がなければならない。彼らが好む店ができるには、その客となる層がいなければならない……と、突き詰めていくと、実はその大元には、ビジネスから比較的縁遠く、一般的な働き方をしているともいえない、芸術家みたいな層がいる。
街をめぐる文化経済学の一角にクリエイティブシティの研究があります。僕らの戦略は、そういったクリエイティブシティを踏まえた独自の解釈に依っています。
※クリエイティブシティ論とは、イギリスのチャールズ・ランドリーが提唱した概念。芸術文化などに代表される「創造性」が、脱工業化社会において新しい価値を都市にもたらし、活力につながるとする。そこから導き出された、住民の移り変わりにより都市が進化衰退する過程を、彼らはまちづくりに応用している。
小田
まず、地価の安い場所にアーティストが住み始め、その周りにデザイナーなど周辺の職能の人が集まって、次にカフェやショップがあり、最後に代理店やスタートアップの企業がやって来る。そうやってお金が集まり地価が高くなると、今度は真ん中のアーティストから抜けていくというモデルを想定しています。
実際にマンハッタンでそれは起こっています。去年寺井とフィールド・ワークしてきたのですが、既にジェントリフィケーションが起こって、アーティストの集まるエリアの中心がどんどん周縁に移動している。今は南側からマンハッタン島を出て、ブルックリンのさらに南側に文化の中心が移っている状態です。
ジェントリフィケーションを利用したまちづくり
富裕層が流入することによって貧困地域の家賃の相場が上がり、それまで暮らしていた人々が暮らせなくなったり、それまでの地域特性が失われたりする現象を「ジェントリフィケーション」という。地下が上がることで治安が良くなるなど、良い面もあるが、街の価値を押し上げていた創造性の源であるアーティストが居なくなってしまうとしたら、皮肉な現象だ。
寺井
今や、ブルックリンのなかでもアーティストが動いていて、その動きをデベロッパーも注視しているのです。日本から見れば、まだスラムに近いような場所を、アップカミングなエリアと見なして投資を始めている。
このように、住民層の特性を念頭においた開発やまちづくりの手法は、日本ではまだ一般的には取り入れられていないかもしれません。僕らはベンチャー企業として、そういったアイデアベースの先行性で勝負しているところもあります。
── 街の起源を人工的に作り、進化を促そうというわけですね。そのロジックでいうと、ゆくゆくはジェントリフィケーションが起こって、アーティストがMAD Cityから抜けていくわけですか。
寺井
長期的な視野で取り組まなければ、当然そういったことになってしまいます。お金が回りだすとジェントリフィケ―ションが起きるわけですが、一方でちゃんとお金が回っていれば既存のアーティストにも恩恵があるはずだし、事業主の我々が若いアーティストに投資的な取り組みをすることもできるようになるはずです。
要するに開発側が、長期的な視点をもって持続可能性を創り出せるかということなのです。アーティストにお金が回ったり、キャリアアップの仕組みを長期的に計画していくことで、我々はアーティストはもちろん、多くの方にとって魅力的な街を維持し発展させることができると思っています。
実際にMAD Cityはそういったモデルでいうと複数段階目のステップに入っているのですが、アーティストが居づらくならないような工夫も、少しずつ行っています。
アーティストが根付く街を目指して
まちづクリエイティブは、のべ200人ものクリエイティブ層を誘致した。それは業界において、とても大きな数字だ。しかも着々と次のステップに進んでおり、すでにアーティスト向け以外の物件も増やして、新たな層の住民を迎え入れているという。
── 今後アーティストを引き止めるためには、具体的にどんな試作を実行されるのでしょうか。
そもそも寺井さんのおっしゃる、「芸術家みたいな層」を千葉に移住させること自体、とても困難なことです。ひとりふたりではなく100~200人単位となると、自発的な流れを作らないとならないですよね。どうやって誘致されているのですか?
小田
誘致活動としては、公式サイトを運営していることぐらいでしょうか。公式サイトを他社のサイトで宣伝するといった特別なプロモーションはしていません。MAD Cityのような存在を見つけるべき人は、ちゃんと見つけてやってくる。実際のところ、現在は入居者に物件が追いつかないぐらいです。
僕達が集める物件と、そこに住む方々の活動が媒介となって、発信力のあるクリエイティブな人が集まってきます。
ジェントリフィケーションを防ぐのも手法は同じで、僕達は街の進化の段階が移り変わっても、あえてアーティスト向けの物件も仕入れ続けている。今後MAD Cityにお金が集まるようになっても、その姿勢を変えないということが、僕らが本当の意味でのクリエイティブな自治区を作るための戦略のひとつだと考えています。
── アーティストを惹き付ける物件とはどんなものだろうか。実はまちづクリエイティブが扱う物件には、大きな特徴がある。それがリノベーションや使い方の自由度が圧倒的に高いという点。後編では彼らがそういった物件を扱う為に採用する、サブリース(転貸)というビジネスモデルのこと、MAD Cityから東京を振り返って見えてきたことなどについて話を聞く。(後日、インタビュー・後編に続く)