【インタビュー・後編】商店街に来てもらうために必要なこととは?「hickory03travelers」迫一成さんの挑戦
福岡出身ながら、大学入学を機に新潟市にやってきた迫さんは、市の助成制度を利用して友人とともにショップを立ち上げた。そして、迫さんたちを受け入れてくれた古町という商店街の活性化活動にも参加。さまざまなイベントを企画して、さびれつつあった商店街を「若者の街」に変えていった。
前編はこちら ⇒ 【インタビュー前編】空き店舗だらけの商店街に、よそ者が吹き込んだ風。「hickory 03 travelers」迫一成さんの挑戦
<プロフィール>
迫一成(さこかずなり)
1978年 福岡県生まれ。新潟大学人文学部卒業。2001年クリエイト集団ヒッコリースリートラベラーズを結成。「日常を楽しもう」をコンセプトに、新潟市上古町の店舗を拠点に、イラスト、グラフィックデザイン、ブランディング、ブライダル事業、印刷物の制作、Tシャツやグッズの制作、イベント主催、商店街活動、地域産業との連携など幅広く活動中。
趣のある古い建物を、フリースペースとして再生
迫さんは仲間とともに、商店街の活性化対策で新規出店を応援する制度「チャレンジショップ」を活用して、Tシャツの製造・販売を開始し、手応えをつかんだ。
そして2003年3月、古町三番町に店舗を構えたhickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)は、2006年頃から新しい取り組みを始めた。「ワタミチ」というフリースペースの運営だ。
「当時の店舗の向かい、つまり今の店舗ですが、ここはもともと老舗の酒屋さんでした。後継者の方が亡くなって、ご遺族が建物を取り壊そうとしていたとき、自分が借りたいと申し出たんです。古い建物がなくなってしまうのはもったいない、でも口で言っているだけじゃ意味がない、身近でそういう物件が出た今こそ行動しなきゃ、と思ったんです」
酒屋さんが「渡道(わたみち)商店」という名称だったことから、「ワタミチ」と名付けた。一部を商店街の事務所として使ってもらったり、知り合いのデザイン事務所に入ってもらったりして家賃を捻出しつつ、誰でも自由にイベントを開催できる有料の貸しスペースとしても運用。日本酒教室や音楽ライブ、トークイベント、ワークショップ、演劇やコントなど、多いときで年間60件近くのイベントが行われたそうだ。
「活動を続ける中で、建築や都市デザインの研究をされている方が興味を持ってくださったり、デザイナーとして第一線で活躍している方たちと繋がったりできるようになりました。全国で面白いことをやっている人や先進事例についても知る機会が増えて、自分たちのやっていることは間違っていないという自信にもなりました」
本業の店づくりへ軸足をシフト
2010年、迫さんは今まで借りていたこの場所を思い切って購入した。
「ある不動産屋が、家主のおばあちゃんと話をして『マンションを建てるから出て行ってほしい』と言ってきたんです。やめさせるには自分で買うしかないわけですが、高い買い物ですからなかなか決断できませんでした。今のヒッコリーの裏にあるお惣菜屋さんの『迫くんが買ってくれれば自分たちも商売を続けられる』『物件買うなら若いうちだよ』という言葉がきっかけのひとつだったかな」
新たにテナントに入ってくれる店も決まり、家賃収入のメドも立ったので、銀行から借り入れをして土地と建物を購入することに。これを機に今までhickory03travelersとして運営していた店舗は閉め、販売も「ワタミチ」のスペースに集約することに決めて、イベントスペースとしてのみの運用はやめた。
「ワタミチは、イベントのある土日はにぎわうんですが、平日になると閑散としてしまいます。イベントも何度か開催していると身内だけでやっているような雰囲気になり、開かれているようでなかなか広がりがないと感じていたんです」
ではなにに力を入れるべきか。そこで迫さんは「本業だ」という結論に至った。
「ワタミチ時代に半年ほど古本屋さんに場所を貸したことがあり、このときは曜日を問わずどんどん人が来てくれていました。商店街のために必要なのは一時的なイベントではなく、いつもいいものを扱っていて、来れば必ずなにか見つかると期待できる店の存在なんだと痛感しました。これは大きな気づきでしたね。ずっと自分たちがやりたいことや見て欲しいものを手がけてきて、みなさんに喜んでもらえるものを形にすることが大事だとわかったんです」
新潟のお土産をリデザイン
建物の購入、場所貸し、イベントの企画などを経て、町に必要なものに気付いた今、迫さんが力を入れているのが新潟のお土産品の開発だ。
「今まで作っていたTシャツって年配の方はそれほど興味がないですよね。もっと幅広い人が興味をもってくれるものってなんだろう、と考えたとき『最近県外にもヒッコリーに興味をもってくれる人が増えたから、そういう人がきてくれたときのためのお土産はどうだろう?』と思いついたんです。そこで、新潟県内の伝統工芸や生産者のものを、興味を引くようなラインナップを意識してセレクトしたり、パッケージをアレンジするなど見せ方を工夫したりして扱うようになりました」
すると「自分の作ったものをおいてほしい』「一緒にものをつくりたい」と声がかかるようにもなった。
「もともと売り場を持っていたから、価格やニーズを意識したものづくりができるし、実験的に販売することもできる。売れなければ問題があるのは値段なのかパッケージなのかということも見えてきます。僕らって商品開発向きかなと思うようになりました」
県内外の多彩な人たちとのコラボも
仕事の幅もぐんと広がった。たとえば、新潟市内の障がい者施設との商品開発。施設の工房でつくられる石鹸、織物、リネンウォーターについて、商品づくりのアドバイスやパッケージのデザインなど、ブランディング全般を担当した。
新潟だけでなく、縁あって愛媛のコスメブランドyaetokoのブランディングデザインも手がけた。
「愛媛の柑橘農家さんの団体が新しくコスメを作ることになって、プロデュースする大阪のオーガニックコスメメーカーさんに声をかけていただきました。地方同士だし、僕たちのゆるい感じがはまるかなあということで一緒にやってみたら、結構評判がよかったんです」
最近では、新潟の伝統菓子の販路拡大に力を入れている迫さん。金平糖のような形で、お湯を注ぐと砂糖衣が溶けて中のあられが浮いてくる様子から「浮き星」と名付けた(元の名称は「ゆか里」)。もともと単色で売られていたものをミックスしたり、パッケージを新しくデザインしたりと、かわいらしい見た目を生かす工夫もした。
「『浮き星』は東京の展示会に出してみたら反応がよくて、今では有名な雑貨店やインテリアショップなどにもおいてもらっています。80歳近い職人さんがたった一人で作っていましたが、今では後継者もできて、製造を続けられるめどが立ちました。まだまだ伸びる可能性はあると思う。楽しいですね」
そのほか、3年に1回の「水と土の芸術祭」のショップ運営や、新潟市美術館のミューシアムショップの運営も手がけている。「あのチャレンジショップから考えると、相当な成功事例でしょう」と迫さんは笑いながら話す。
空気を読めない「よそ者」だからこそできた
地元出身ではなく、まちづくりに関心があったわけでもない迫さんがここまで活動できたのはなぜなのだろう。
「若くてよそ者だったことが功を奏したかな(笑)空気が読めないからこそどんどん意見を言ったし実行に移すことができたのかも。若くて時間があったから面白いと思ったことに熱中できたし、周りからも『若いのに商店街の理事なんてがんばってるね』と評価してもらえました。好きにやらせてくださった大人が近くにいたことも大きいです。ときどき講演に行ったりすると『迫さんみたいな若い人がいないんだよ』と言われるのですが、そうではなくて、周りの大人がもっと若い人を受け入れて活躍できる余地を作るべきなんだと思います。若い人も、大人とのコミュニケーションを学び、わきまえるべきのも必要。両者の歩み寄りが大切なんです」
新潟にいることに必ずしもこだわっているわけではないが、「まだまだやることがある」と迫さんは語る。
「縁もゆかりもない僕を受け入れてよくしてもらったことに恩返ししたいんです。何より、町全体がよくなることは自分の店にとってもいいことですから。町に人が来なくなって閑散として、下手をしたら治安が悪くなっちゃうより、町のために僕が頑張ることで、人がたくさん来てくれて、自分たちの町を好きになってもらって『また来たい』と言われる場所になったほうが、絶対的に楽しいですよね」
実は今回、約20年ぶりに古町エリアを訪れた。以前は古く寂れたような雰囲気が漂っていたのが、今回、見違えるように明るくなっていて驚いた。
何度かhickory 03 traveleraの店舗にもお邪魔したが、そのたびにご近所さんや県内の別の町から来たという観光客の方などが楽しそうに店を訪れる姿を見かけた。「ここに来ればなにかいいものが見つかる」という、お客さんからの信頼を得ている店なんだなあという印象を受けた。
よそ者でもできることはたくさんある。迫さんの活動には、地方で頑張りたい人にとっての、さまざまなヒントと可能性がちりばめられている。
hickory03travelers
http://www.h03tr.com