【インタビュー・前編】東京から沖縄へ。移住した編集者が伝える『あたらしい移住のカタチ』:編集者 セソコマサユキ
東京の編集チーム「手紙社」勤務を経て沖縄に移住し、フリーランスの編集者として活躍するセソコマサユキさん。
2016年6月1日には著書『あたらしい移住のカタチ』を出版。同書では、地方に移住した10人がそれぞれ下した移住の決断や新天地での活動のほか、セソコさん自身の移住に関しても詳しく紹介している。
今回お届けするインタビューの前編では、移住を考え始めた経緯や移住先を沖縄に決めた理由、そして移住後のお仕事について、詳しくお話を伺う。
プロフィール
セソコマサユキ
編集者・ライター。出版社を退職後に広告代理店にて編集者としてのキャリアを積む。『カメラ日和』『自給自足』の制作を経て編集チーム「手紙社」に参加。2012年6月にフリーランスとして独立し、沖縄に移住。現在は、観光情報サイト『沖縄CLIP』編集長、『Here Now』キュレーターのほか、媒体を問わず独自の表現で沖縄の魅力を発信している。既刊の旅行ガイドブック『あたらしい沖縄旅行』『あたらしい離島旅行』(WAVE出版)のほかに、2016年6月には『あたらしい移住のカタチ』(マイナビ出版)を出版。
移住先の仕事は? 悩んだ末に見つけた答え
神奈川で生まれ育ち、東京で働いていたセソコさん。当時は毎日夜遅くまで仕事をし、週末はイベントの運営で家族と過ごす時間はほとんどなく、家には寝に帰るだけ……。そんな状況を変えようと思ったとき、転職ではなく移住という選択肢をとった理由を次のように語る。
「思い切って場所を変えてゼロから作り直す、やり直すくらいの勢いじゃないと生活は変わらないんじゃないかと考えたんです。家族ともっと一緒の時間を過ごしたいのはもちろんですけど、家や暮らしを気に入ったように育てて行くこともキチンとやっていきたい、居心地の良い場所を作っていきたい。そういう強い気持ちで決断しました。
場所を変えようとしたときに、高知とか香川とか関西とかも見て回ったんですが、でもやっぱり沖縄が自分のルーツでもあったし、妻とも何度も旅行で訪れていて、お互い好きな場所、良い印象を持っていたので『じゃあ行っちゃおうか』と」
とはいえ、突然移住しようとして動いたわけではない。実は沖縄に行く直前まで勤めていた「手紙社」に就職する以前から、移住したいと考えていたという。しかし移住先でどのような仕事をして行くか? 自分に何の仕事ができるのだろうか? 移住の成否を分けるとも言われる仕事について、ピンとこない日々が続いていた。
「自分が地方でできる仕事のイメージが浮かばなかったんです。どこかで修業してパン屋さんになろうかな? とかちょっと思ったんですけど……。僕がやっている編集という仕事はやっぱり東京が中心地なので、編集の仕事をしているのに地方に暮らす理由が見つかりませんでした。大きな仕事や自分が好きな仕事を考えると、東京にいた方がいいのかなと思ったりしていたんです。
そんなときに手紙社から声を掛けてもらってお仕事をさせていただき、『編集』という仕事の出口として、本も作れて、イベントも開けて、お店もできるという可能性に気付きました。手紙社でいろいろな経験が出来たことで、自分が地方に行ってもやれる仕事はあるかもしれない、と思えるようになったんです」
セソコさんが地方で働くイメージを描けるようになった頃、手紙社が立ち上げの黎明期から法人化というひとつの区切りを迎えたというタイミングもあり、セソコさんは思い切って沖縄への移住に踏み切った。
せっかく移住したのに、好きじゃない仕事をしてもしょうがない
移住したあとの生活の糧として誰もが気になる仕事について、おおよそのイメージは持てたというが不安はなかったのだろうか? また今回出版された著書『あたらしい移住のカタチ』で取材した方々はどうだったのだろうか?
「移住して仕事がなかったときの代替案は考えていませんでした。不安がないかと言えばウソになりますけど、割と楽観的でしたね。たぶん僕ら世代で移住する人って、勢いとか楽観的なところがある程度ないと移住できないと思います。年収は下がる可能性が高いし、仕事だってあるかどうか分からないし。でもせっかく移住したのに、好きじゃない仕事をしてもしょうがないとも思っていました。暮らしは大切だけれども、そうするためにも仕事を楽しまなくちゃいけない。常に自分がどう働いてどう暮らして行くのかは考えないといけないですね。
『あたらしい移住のカタチ』で取材した人も、わざわざ移住したのにやりたいことをやらなかったらもったいないと言っていました。でも実際にお話を聞いてみると、それぞれの地方で求められていることと自分の能力がマッチした人たちが上手く行っている気がしました。収入は下がった人も多かったんですけど、でもそれ以外の部分で豊かになったと口を揃えて言っていましたし、とても居心地が良さそうでした」
黙っていては仕事が降ってくることのない地方での生活。東京のみならず、日本全国に優秀な編集者がいる中で、セソコさんは自分をどうブランディングしていったのか。
「東京で働いていたら刺激的な仕事もいっぱいあるとは思うんですけど、たくさんの同業者がいる中で埋もれてしまう部分もあると思うんです。すごくいろんな人がいる中で、僕がいなくても当然世の中は回っていくし、僕がこの仕事をやる意味を東京で見つけていくのが大変でした。でも今は僕の視点で沖縄のことを紹介したり、沖縄にいながら全国で販売する書籍を出せたりするのが、ある意味、僕が沖縄にいる意義だと思っています。
沖縄でのライターのギャラって東京の仕事よりかなり低いことが多いんです。だから単純に沖縄の受注仕事だけやっていても、それこそワーキングプアじゃないですけど、忙しいだけで全然儲からない。だから沖縄に行ってこの仕事でご飯を食べて行こうと思ったときに、名もなきライターではなくて、『セソコマサユキ』の表現でお金を払ってもらえる仕事を増やして行かないといけない。誰でもいいからじゃなくて、『ぜひセソコさんに』と言われるような立ち位置に自分を引き上げて行かなければならない、と思ったんです」
著書『あたらしい移住のカタチ』を通じて、移住という選択肢がもっと一般的になればよいと語るセソコさん。けれども移住の前にもう一度、どういう生き方をしたいのかをしっかり考える必要があるとも言う。
「文化とか自然や人との距離感、歴史などはそれぞれで、地方によって個性や居心地は違います。だからもし、自分が今いる環境に違和感があるのなら場所を変えるという選択肢はアリだな、とすごく感じたんです。とはいっても、若いうちからどんどん移住すればよいかというとそうではなくて、ある程度の経験や技術は必要なのかな、と思っています。お店やカフェをやったり、自分で何かを生み出したい、自分の時間や暮らしを大切にしたいと思うのであれば、地方にはいろんなチャンスがあると思います」
インタビューの後編では、沖縄に移住してからの仕事と暮らしについて詳しくお聞きするとともに、編集者として沖縄に貢献していきたいことや、著書『あたらしい移住のカタチ』の取材を通じて感じたことを中心にお話を伺う。
写真提供:セソコマサユキ