【公開インタビュー】佐々木典士さん vol.1 『ぼくモノ』出版から約2年、中道ミニマリストの次なる“実験”
2017年3月11日 、 YADOKARIが運営するイベントスペース・オープンカフェキッチン「BETTARA STAND 日本橋」で、「ぼくたちに、もうモノは必要ない。3.11から始まった豊かな暮らしを探す旅、ミニマリストから ◯◯ へ」と題し、佐々木典士さんへの公開インタビューを行った。この特集記事では、4回にわたって公開インタビューの内容を編集してお届けする。
第1回は、佐々木さんがミニマリストになったきっかけや、現在の暮らしについて伺った内容をリポートする。東日本大震災から6年のこの日、イベント冒頭に参加者とともに黙祷を行い、政府が公表している「全国地震動予測地図」を見ながら話はスタートした。
vol.1 『ぼくモノ』出版から約2年、中道ミニマリストの次なる“実験”
vol.2 マッチポンプ的生活をやめて見えた、自分が選んでいるという確信
vol.3 ミニマリストは一度通過すればいい。繋がりから生まれる幸福感
vol.4 依存を最小限にすることも、ミニマリズム
ミニマリズムを通して生き方への疑問を考え直した
佐々木典士(以下、佐々木):今お見せしている「全国地震動予測地図」は日本で30年以内に震度6以上の地震が起こる可能性を示した地図です。ご存じのとおり、日本は広い範囲で大きな地震が起こる可能性があり、負傷者のうち3~5割の方が家具などのモノによって怪我をすると言われています。防災の視点でいうと、モノを少なくしておくことが一番かなと僕は思っています。
──佐々木さんはモノを片付けるだけではなくて、減らすことを徹底的に見つめ続けて最小限の生活にたどり着いたそうですね。佐々木さんがミニマリストになった直接のきっかけは震災の影響が大きかったのでしょうか。
佐々木:日本だと地震と付き合っていかなければならないので、身軽でいたほうが良いとは思っています。でも、直接的なきっかけは「ミニマリスト」という言葉を人から教えてもらった時に見た、世界のミニマリストたちの画像でしょうか。当時モノを15個しか所有していなかったアンドリュー・ハイドや、アップルを創業して大金持ちだったはずの若きスティーブ・ジョブズの何もない部屋の写真など、自分とはまったく真逆の自由で身軽な存在として憧れました。
プライベートジェットを所有するほどの富を得た映画監督トム・シャドヤックがトレーラーハウスに引っ越したのはなぜか、マザー・テレサがノーベル平和賞の受賞金を自分のために使わなかったのはなぜか、ブッタが王族に生まれ恵まれていたのに出家したのはなぜか。
そんなお金やモノの価値、生き方への疑問をミニマリズムを通して考え直していったという感じですね。
──ミニマリストの生き方に触れる中で、これが自分にフィットするのかもしれないと思ったのですね。
佐々木:当時働いていた出版業界は正直お先真っ暗だし、キャリアに不安もありました。出版社を志していた時は「価値観に携わる仕事がしたい」という本当に熱い気持ちで飛び込んだんですけど、当然ながら売上目標を抱えながら段々大人になっていって。
そんな中、断捨離や近藤麻理恵さんの本を読んで少しずつモノを減らしてはいたんですけど、劇的に変わったのはミニマリストって言葉を知ってからですね。それからは寝ても覚めてもミニマリズム、それぐらい衝撃を受けました。当時はモノを減らすだけで、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(以下、『ぼくモノ』)という分厚い本が自分で書けるなんて思ってなかったですね。
──ミニマリストになって変わったことはどんなことですか。
佐々木:物を減らしてから、アクティブに行動できるようになって、剱岳っていうハードな山に登ってみたり、ダイビングの免許を取ってみたり、これまでやってみたかったことをやるようになりましたね。沖縄のマラソン大会にも参加して完走したんです。まあ、完走記念メダルは処分しましたけど(笑)。
モノを減らすことは、変化なので面白いんですよ。モノを減らした人が肉体を鍛えたり、瞑想をし始めるっていうのは、変化から得られる面白さをどんどん追求していって、それが身体へ向かった現われだと思いますね。
広大な施設に一人暮らし。孤独と自由を味わう実験
──自分のやりたいことに挑戦する中で、昨年は勤めていた出版社を辞められたんですよね?
佐々木:昨年末にワニブックスを辞めて、20平米の東京の部屋から2月に京都に引っ越ししたんですが、その決断ができたのもミニマリズムを実践していたお陰だなと思っています。収入はさらに下がるでしょうし、将来どう生きていくかの不安もありますけど、ゆったりした時間といった、代わりに手に入れたことがたくさんあると気がついたんです。本当にね…皆さんに言っていいかわからないですけど、結構昼寝とかしてますよ(笑)。
──現在の京都に引っ越す際に、改めてモノと向き直したことはありますか。
佐々木:新しい生活で必要なくなるモノを「誰かいりませんか」とTwitterで呼びかけたらいろいろなところにもらわれていきました。机はデザイナーさんの娘さんが喜んで使ってくれているとか、ICレコーダーはチューバを演奏している人が録音に使っているとか。タダであげるというのはストーリーが生まれて面白くて、自分の喜びというコスパから考えてもいいものだなと思いました。
荷物が少ないので、東京から京都への移動は、一緒にブログをやっている沼畑さんの、デミオという小さい車のトランクに入れて引っ越しました。
──今のお住まいはどういったところで、どんな暮らしをされているのですか。
佐々木:僕が今住んでいるのは、広大な施設で僕ひとりしか住んでいないんですね。めちゃくちゃ孤独だけど、自然は豊かで、めちゃくちゃ自由でもある。公園の中に住んでるようなもので、夜は真っ暗で怖いんです。でもその分、ギターをかき鳴らしてもいいし、歌い出してもいいし。焚火を始めようかなとも思ってます。
備え付けのモノがたくさんあって、この僕が椅子がふたつもある部屋に住んでいるんですよ。家で過ごす時間が増えたので、お湯を沸かすポットや急須、コーヒーのドリッパーなど、癒しのモノが増えたなぁという感じですかね。キッチンが充実しているので三食自炊をするようにもなって、結構食に関するモノは増えました。
ただこれも、ずっと住む“終の住処”って感じではなくて、関西を知るための拠点であり、孤独を徹底的に味わうための場所でもありますね。実験ですね、まだ。
──日々どういった活動をされているのですか。
最近はDIY系のワークショップによく参加しています。漆喰を壁に塗ったり、微生物の力を使ったトイレを作ってみたり。この前は“ナリワイ”をつくることを提案されている伊藤洋志さんの床貼りのワークショップにも参加してきました。
あとは、海外メディアからの取材が増えていて、イギリスの「タイムズ」やフランスの「リベラシオン」紙といったところからの取材を受けました。37歳独身無職の男の、何もない部屋をわざわざ取材してくれるという、こんなことがあっていいのかっていう感じですけど。
『ぼくモノ』はお陰様で13カ国語の出版が決定しまして、これからもまだまだ増えると思います。4月には英語版も出て、ニューヨークで講演もさせて頂きます。日本でのミニマリストブームは既に落ち着き、広く知られるようになったので当たり前の選択肢になってきていると感じています。ブームはこれからは海外に移行していくというのが僕の実感です。
「ミニマリスト」という言葉が日本で存在感を増してきたのはわずか2年ほど前だ。そして、その言葉や概念を日本で先駆的に発信し、モノがあるメリット、ないメリットの両方を知る“中道ミニマリスト”として佐々木さんは本を出版した。
当初は最小限のもので生きるというビジュアル先行型のセンセーショナルさばかりが目立ったが、佐々木さんが定義するミニマリスト像はずっとぶれていない。ミニマリストとは「自分の必要なモノの量を自分の価値基準で決めている人」であり、ミニマリズムとは「減らすことを通じて、生きる価値を見直す」ことである。
出版社を辞め、佐々木さんは今、京都で一人、孤独と自由の”実験”をしている。一方で、ワークショップに出かけ、海外取材に対応し、心はより開襟に向かっている。
第2回は、佐々木さんの1日の過ごし方を具体的に伺うとともに、モノを減らすことで獲得した自分ルールづくりの重要性についてうかがっていく。