【レポート】廃墟が、街のランドマークとしてよみがえった! アメリカヤ再生プロジェクト(前編)
甲府市から車で北西へ約30分ほどの距離にある韮崎市の商店街に、「アメリカヤ」というビルがある。長く商店街のシンボルとして愛されてきたが、廃業後約15年間、空きビルとなっていた。それが今、生まれ変わって街のランドマークとなっているのだ。
この再生プロジェクトの立役者となったのは、建築事務所IROHA CRAFTの代表・千葉健司さん。先日、千葉さんをゲストに迎え、「なぜ再生しようと思ったのか」「どうやって・どんなふうに生まれ変わったか」等、気になるあれこれについて公開インタビューを実施した。そのレポートを前後編に分けてお届けする。
Profile
千葉健司さん
韮崎の隣町出身。韮崎高校卒業。京都で建築を学び、地元である山梨に戻りハウスメーカーや設計事務所等で勤務ののち独立。現在は自身がリノベーションを手がけたアメリカヤの4階に事務所を構え、住宅や店舗などの物件探しや資金計画、設計から施工までを手がけている。
インタビュー担当:
YADOKARI 川口直人、松倉和可
廃墟同然のビルは、高度成長期、地域のシンボルだった
1967年にオープンしたアメリカヤは、1階に土産物店と食堂が入り、2階が喫茶店、3階はオーナーの住まいで、4、5階が旅館。韮崎駅前の商店街のシンボル的存在だった。
千葉 創業者は星野貢さんという方で、もともと色々な事業を手がけていたそうです。そのうちの一つが井戸を掘ったこと。韮崎の商店街もにぎわっていた時代だったので、温泉を掘り当てればさらに人を呼べるだろうという思いだったそうです。温泉は出ませんでしたが、水温22度の鉱泉を掘り当てたそうです。星野さんはその水に「延命の水」と名付け、味を付けて凍らせた「ポンポンキャンディ」という商品を売り出しました。それが空前のヒット商品となり、建てたビルがアメリカヤ。いわばアイスキャンディ御殿です(笑)。
星野さん自身はカリスマ経営者として知られており、ベンチや時計を寄贈したり、駅への近道となる階段を作ったりと、利益を地域に還元していた。星野さんは2003年に96歳で亡くなり、アメリカヤも店を閉めることになった。
閉店から15年を経て、復活プロジェクトいよいよ始動
千葉さんは韮崎高校に電車で通っており、アメリカヤは駅からもよく見えたという。
千葉 ずっと気になる建物でした。何度か食事にきたこともあります。進学のため地元を離れ、社会人になって戻ってきたら、思い出の建物が廃墟と化していることを寂しく感じました。IROHA CRAFTではリノベーションに力を入れていたので、アメリカヤを復活できたら面白いだろうなあと、事あるごとに話していたんです。
やがて、アメリカヤを再生させたいという千葉さんの思いは、創業者である星野貢さんのご子息である星野三男さんも知るところとなった。
千葉 三男さんとお会いする機会に恵まれ、自分の思いを伝えたところ、三男さんも困っていらしたということでした。建物の損傷は激しいし、管理を続けるのは大変だけど取り壊すにも莫大な資金が必要だから、と。「僕は建築屋だから補修もするし、建物管理もするので貸していただきたい」とお願いしたところ、すごく喜んでくださると同時に、心配もされていました。大金を投資してビルを復活させたところで、その後の経営は本当に大丈夫なの?と。でも最終的には応援すると言ってくださいました。
鍵を借りた千葉さんは一人でアメリカヤを訪ねて内部を確認し、改めて手応えを感じた。
千葉 錆びついたシャッターを開けたらお化け屋敷のようで怖かったんですが(笑)。屋上に上がってみたら看板はインスタ映えするし「これはおもしろいな」と感じました。
着工前、まずは清祓いをして、高圧洗浄をかけて防水加工した。インパクト抜群でビルの歴史を伝える「アメリカヤ」の看板はそのまま残した。
できるところは自分たちでも手を入れた。2階のショップ「AMERICAYA」の内装はスタッフによるDIY。5階の塗装は、SNSで地域に呼びかけてイベントとして実施した。
実は、アメリカヤ誕生のきっかけとなった「延命の水」はまだ湧き続けている。
千葉 普通、地下水はモーターなどで汲みあげるんですが、延命の水は今も勢いよく自噴しています。この水をどうしても使いたくて水質検査をしたところ、非常に良質な軟水だとわかりました。飲んでもおいしいですよ。新築当初からアメリカヤビルは水道を引いていなかったんですが、今回も引いていません。トイレでさえ延命の水を流しているという贅沢な状況です(笑)。
2017年11月に着工したアメリカヤは、5ヶ月後の2018年4月、グランドオープンを迎えた。
千葉 工事中からたくさんの方がSNSに上げてくれていましたし、地元の新聞やテレビ局も取材してくださって、注目していただいているのはわかっていましたが、想像以上の人出があって感動しました。
インテリアもテナントも魅力的 新たなアメリカヤ
朽ち果てた廃墟のようだった1階には、ボンシイクという喫茶店が入った。都内から山梨にUターンした夫婦が始めた店で、ハンバーグやカレー、ミートソースなど親しみやすいメニューがそろう。
2階はIROHA CRAFTが営むDIYショップが入る。古材、植栽、照明器具、アイアン塗料、黒板塗料など、一般的なホームセンターでは扱っていないDIYグッズを販売している。
3階は、かつて住居だった当時の細かい部屋割りを生かし、店舗やギャラリーとして貸している。
千葉 IROHA CRAFTによるアメリカヤの運営方針に共感してくださった、魅力的なクリエイターやショップが入居してくれました。それから約2年を経て入居者はだいぶ入れ替わりましたが、また面白い人たちが集まりました。
4階が、IROHA CRAFTのオフィス。
千葉 初めてビル内部を見に来た時すでに、オフィスの場所は決めていました。決め手は4階だけバルコニーがあったこと。バルコニーがある事務所に憧れていたんです(笑)
5階はコミュニティスペース。弁当を食べたりハンモックに揺られて昼寝したり、誰でも自由に使える空間となっている。半日単位で貸し切りにできるので(要予約)、各種イベントを開催することもできる。これまでフリーマーケットやW杯のパブリックビューイング等のイベントが開催されてきた。
千葉 ちなみに、星野三男さんがレコード好きということで、アメリカヤを盛り上げるために月1回「昭和のレコード鑑賞会」を開催してくださっています。オープンリールデッキなど古い機材を使い、当時の音楽を当時の音で再生するんです。
多くの地方都市がそうであるように、高齢化や人口減少に伴って韮崎の商店街も元気がなくなっていた。しかしアメリカヤのリニューアルオープン後、市外はもちろん県外から多くの人が訪れるようになった。
千葉 やっぱり、オープンできた時は感動しました。三男さんも喜んでくださったし、「親父も喜んでくれているよ」と言っていただけたのが嬉しかったですね。
川口 思いがつながったんですね。それこそ空き家や空きビルをリノベする価値だと思います。
インタビューの時点で、5階のコミュニティスペースは新型コロナウイルス感染拡大防止のため閉鎖中だったが、緊急事態宣言の解除を受けて6月1日から再開した。きっとまた、以前と同じようなにぎわいが戻ってくるだろう。
後編では、アメリカヤの次に千葉さんが手がけたプロジェクトをご紹介します。