SANU 福島弦 × YADOKARIさわだいっせい|“肯定的な革命”で自然との共生を目指すわけ【CORE SESSIONS Vol.1 前編】

YADOKARIと共鳴共振し、新たな世界を共に創り出そうとしている各界の先駆者やリーダーをお迎えして、YADOKARI共同代表のさわだいっせいが生き方のコアに迫る対談シリーズ。今回は、株式会社Sanu CEOの福島弦さんだ。中目黒に移転したばかりのSANU新オフィスにて、福島さんの思いがけない素顔も垣間見えた対談の様子を前後編でお届けする。話は資本主義社会の中での経済性と文化性の両立という、YADOKARIが今直面しているイシューから始まった。


福島弦|株式会社Sanu CEO(写真左)
北海道札幌市出身。2010年、McKinsey & Companyに入社し企業・政府関連事業やクリーンエネルギー分野の事業に従事。2015年、プロラグビーチーム「Sunwolves」創業メンバーとなり、ラグビーワールドカップ2019日本大会の運営に参画。2019年、本間貴裕氏と「Live with Nature. /自然と共に生きる。」を掲げるライフスタイルブランドSANUを創業。2021年、SANU 2nd Home事業をローンチし、現在21拠点の自然立地で事業を展開する。雪山育ち、スキーとラグビーを愛する。2024年9月、目黒に地球を愛する人々が集うラウンジ「SANU NOWHERE」をオープン。

さわだいっせい|YADOKARI 代表取締役 / Co-founder(写真右)
兵庫県姫路市出身。10代でミュージシャンを目指して上京し、破壊と再生を繰り返しながら前進してきたアーティストであり経営者。IT企業でのデザイナー時代に上杉勢太と出会い、2013年、YADOKARIを共同創業。YADOKARI文化圏のカルチャー醸成の責任者として、新しい世界を創るべくメンバーや関係者へ愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人に会うことを惜しまない。逗子の海近のスモールハウスをYADOKARIで設計し居住中。

資本主義に食われ切っていない

さわだ: YADOKARIはメディアから始まりましたが、2年前からタイニーハウスの製造・販売をするようになりました。それが少しずつ売れるようになってきたものの、それだけでは「物売り」なので、幅を広げるためにプラットフォーム化やAI導入も含めたIT化、コミュニティ化などに取り組んでいます。元々タイニーハウスは、アメリカでリーマンショックが起こり、住宅ローンが払えなくなった人たちが集まってコミュニティビルドでシャーシの上に家を建てる所から始まっているので、「アンチ資本主義」的な価値観があるんです。僕らは東日本大震災後にこの文化を見つけ、家の長期ローンを支払うために仕事で身をすり減らし、毎日満員電車に揺られて…という暮らしから脱却したいという思いがあって創業したんですね。

福島さん(以下敬称略): カウンターカルチャー的な出発点。

さわだ: そうです。資本主義的な世界からいかに脱却して次のイズムを手にするか、みたいな、今思えば「アート活動」のような文脈から始まったんです。ただ、その延長では、特定の人たちからは面白がってもらえるけれど、それ以上は広がらない限界を感じて。資本主義の力も借りながら僕らの活動を広げていく必要があると思い、資金調達をして成長を目指す方へ舵を切りました。

福島: 資本主義と付き合ってみてどうですか? 思ったより悪くない、という感じ?

さわだ: そうなんですよ、面白いなと。僕は自分たちの思想や文化、哲学を広めるために資本主義を使っているし、お金はその副産物だと思っている。ただ、この文化性・哲学性と経済性の両立はとても大事だと感じていて、その視点でSANUさんの「リジェネラティブアクションレポート2024」も読ませていただき、通ずるものがあるのかなと思ったんです。文化性と経済性の両立についてどう思われますか?

福島: 僕らも全くもって、巨額のお金を稼ぎたいという目的ではやっていません。そういう意味では資本主義に食われ切っていないかもしれない。トップを張っている人間たちが、やりたいことがあり、好きなことがあり、それを表現していく活動をするにあたって、提供できる人の数が多い方がいいから株式会社の仕組みを活用しているということなので、素地には文化や哲学、リジェネラティブという思想があります。リジェネの活動についても、幼少期から側にあった「自然」という自分たちが好きなものを事業の対象にしているので、大切なものを大切にするのは当たり前だという感覚でやっていますね。

釜石市で実施した植樹活動の様子(提供:株式会社Sanu)

大谷翔平を超える存在?

さわだ: 僕は子どもが二人いるんですが、「こんな大人になってくれたらいいな」のNo.1・2が弦さんと本間さんで、No.3が大谷翔平なんです(笑)

福島: ありがとうございます、それはうれしいな(笑)

さわだ: 本当にすごいと思っていて、今の日本は閉塞感が強いけれど、お二人のような30代がたくさんいたら大きく変わっていきそうだなと。お二人は柔らかいし、人としても素敵だし、センスも良いし、お金も稼げるし、幸せそうだし、全部持っていますよね。

福島: 最強じゃないですか(笑)。全然そんなことはないですよ、でも全体的には幸せですかね。

さわだ: なので、どういうふうに育ってここまで来られたのかを知りたくて。

福島: 僕はいとこがたくさんいる中のいちばん下で、めちゃくちゃ愛されて育ったんです。愛情の器があふれるくらい。それがベースにありますね。

さわだ: 自己肯定感が高かったんですか?

福島: 幼少期は。中学・高校くらいからはいろんなコンプレックスが織り混ざってきました。そんな中で、僕にとって「自然」と「ラグビー」はとても重要でしたね。ラグビーは僕にとって、感情を爆発させられて、人に思い切り体を当てて、でもチームで戦うからルールは守らないといけない喧嘩みたいな、いまだに他に代わるもののないスポーツ。自分の精神発達上、非常に重要なものだったと思います。もう一つ、自分の心を自由にしてくれるのが「自然」。悔しい思いや辛い思いをしても、雪山に行ったら自由になれた。

さわだ: コンプレックスって、何があったんですか?

福島: いろいろありましたが、小学生の頃は地黒なのを女子にからかわれたり、中学では髪が天然パーマなのをすごく気にしてたり…

※ここでSANU ファウンダー / ブランドディレクター 本間貴裕さんが「俺も!すんごい嫌でヘアアイロンかけてた」と合いの手。「全く一緒」と福島さん。

さわだ: 反抗期とかあったんですか?

福島: ありましたよ。壁に母への暴言を書いたり。

さわだ: 弦さんがそんなことをしていたなんて、なんだか希望です(笑)。ラグビーはどんなきっかけで始めることに?

福島: 母が、ラグビー日本代表選手で監督も務めた平尾誠二さんをとても好きだったんです。「かっこいいね」とラグビーの話をよくしていて。

さわだ: 多少、お母さんを喜ばせたい気持ちがあったんですかね?

福島: はい、ありましたね。シングルマザーの家庭で育ちましたし、母を喜ばせたい気持ちは今もあります。たぶん原動力でもあると思います。

さわだ: 今はどんなことをしたら喜びそうですか?

福島: SANUを立ち上げることを伝えた時は非常に喜んでました。僕の自然の原体験は、知床で4泊5日の子どもだけのキャンプに参加したことです。当時はSNSもない中、山岳グッズなどを売っているお店にあったそのツアーのチラシを母がもらってきて、キャンプには危険もあるから事前説明会にも出席して…というふうに、彼女のいくつもの努力を経て自然の中に連れて行ってもらった体験があるんです。それを母に返すというより、受け取ったものを次の誰かに渡していくことで、彼女がいちばん喜ぶんじゃないかという感覚がありました。

今までは新しい仕事を始める度に、心配性の母は「まあ良いと思うけど」とか「その仕事は大丈夫なの?」みたいな反応が多かったのですが、SANUの「自然と共に生きる。」というミッションと、本間さんとやろうとしていることを伝えた時、「最高ね!かましたれ!」みたいなLINEが返ってきて。感度に引っかかったんでしょうね、これだ!と。

人生で一度、アカレンジャーをやってみたかった

さわだ: 僕は中学ぐらいからドロップアウトしてレールを外れているから何でもありなんですよ。だから起業しか選択肢が無かったんですが、弦さんはいわば「エリート」じゃないですか。日本でいちばんと言われる大学を出て、マッキンゼーに入って。それでも起業にチャレンジしているのがすごいと思うんです。ドロップアウト組からしたら「こっち来ないでくれ」って感じ(笑)。起業したのはなぜですか? 怖くないですか? 今まで乗ってきたレールを外れるのは。

福島: でも僕は、さわださんのようなロックなものに対する憧れがあるんですよ。小学校の時、仲の良い友達が生徒会長に立候補して、副会長にどうしてもなってほしいと言われて出馬することになり、真面目な公約を掲げて念入りに準備していたんだけど、演説をお笑いっぽくやる子に見事に負けたんです。優等生は人気がないという挫折体験(笑)。スタートアップをやっていても何となく感じます、逆のコンプレックスを。それが創業動機というわけではないですが。

起業の理由は、流れるように行き着いた感覚はありますが、創業の頃に本間さんと議論する中で言っていたのは、「人生で一度、アカレンジャーをやってみたかった」。僕は、ラグビー部は副キャプテンだし、生徒会も副会長でしたし、どちらかというとバランス型で全部をうまくまとめちゃうタイプなので、自分の表現を元にチームを集めて、その中でトップを張る経験を人生の中で一度はやってみたかったし、すごく楽しいことだろうと思っていました。

さわだ: 本間さんとの出会いは、確か共通の友人の結婚式?

福島: そうです。以来、Backpackers’ Japanにジョインしてよと誘われ続け、でもちょうどラグビーの仕事を始めるタイミングでもあったので、それをしながら3年目ぐらいでBackpackers’ Japanの非常勤役員として関わり始めました。Backpackers’ Japanも創業から8年目に差し掛かり、次の方向性を模索していた時期だったんです。当時、本間さんはティール組織などを導入して、もっとフラットに、どんどん創発していくような組織へと会社をいかにつくり変えていくかというフェーズで、僕は目線を引き上げていくような役割だったと思います。

“We”と“I”から始まる思考と、広める役割・深める役割

さわだ: SANUは、Backpackers’ Japanではできなかったことなんですか?

福島: そうですね。ある時から本間さんが「人と人を」というテーマから、「人と自然を」というテーマを語り始めた。だから大元は「Backpackers’ Japanという社名をどう変える?」という議論から始まったような気がします。そこに僕も入って議論しているうちに、一緒にやろうという話になってきて。でもテーマがBackpackers’ Japanとは違うし、やるなら社会を変えるくらいのことをやりたいし、そのためには大元のDNAやカルチャーを突然捻じ曲げていくのは違うねという話になり、互いに退路を断ってゼロイチで立ち上げることになったんです。

さわだ: そういう「契りを交わした」みたいなことがあったんですね。

福島: 非常に繊細だったのが、共同代表みたいに並んでやるんですが、社長はどちらですかという議論。本間さんとは長い時間かけて話し合いました。そして彼は「退路を断つ」と言ったら、それをやり遂げてくれた。難しいことじゃないですか、自分が創業した会社を譲り渡していくのって。

さわだ: お二人の肩書は、本間さんがファウンダー/ブランドディレクターで、弦さんがCEOですよね。弦さんはなぜファウンダーじゃないんですか?

福島: 二人でいろいろな整理をしたのですが、まず会社として成長する企業をつくっていくために、意思決定はスピーディーかつシンプルであるべき、ということで日々の思考は代表取締役CEOとして僕がやっていく。ただ、同時にこの会社はブランドや哲学、文化、理想を掲げる会社でもある。事業アイデアの手前で考えていた時間も長いし、そここそが全ての根源で、それを言い出したのは紛れもなく本間さん。会社のファウンダーであり本気でブランドを担う人間。お互いの得意な領域と、この会社においてやるべき役割を考え、最も的を射た肩書として表現するとこうだよねと決めました。しっくりくるね、という感じで。

さわだ: 弦さんと本間さんは仲良さそうですよね。お二人はどういう役割分担になっているんですか?

福島: 仲良しですね。役割で言うと、僕が広める役割、彼が深める役割。僕は一人でも多くの人に、この「Live with nature./自然と共に生きる。」を届けるためにはどうするかを考える。彼は、1日24時間の体験の中でどういう変化幅を起こしていくかを考える。思考のフレームが若干違っていて、僕はどちらかというと“We”で考える、社会全体をどう変えていくかみたいな思考で、彼は“I”で考える。私がこの空間が好きか、心が躍るかどうか。「私のときめきがない限り、人のときめきはないでしょう」という、深めていく思考。考え方のフレームの違いによって役割が違い、凹凸が組み合うという分担ですね。

もう少し具体的に言うと、深めていく時の僕らのいちばんのエレメンツは建築や空間だし、そこから「SANU」という名前や「Live with nature./自然と共に生きる。」という言葉、ストーリー、SNSの一つ一つにもつながる表現を、彼が深く深く掘っていく。僕の広げる役割というのは、事業における設計士みたいな感じですかね。SANUが広がるほど自然が豊かになっていくためにはどんな枠組みが必要か、一人でも多くの人に届けるためにどうするか、どんな財務的な仕組みがフィットするのかなどを考えるのが僕の仕事です。

福島弦は、いかにして株式会社Sanu CEOになったのか?
さわだとの対談の前半では、SANUの今へとつながる福島さんの道のりについてお聞かせいただいた。後半は、福島さんの「幸せ論」や死ぬまでにやりたいこと、創造性の源について対話が深まる。

後編へ続く>>

2024年9月7日OPEN
地球を愛する人々が集うラウンジ
SANU NOWHERE 中目黒
SANU NOWHEREは、SANUが中目黒に新たに開く、地球や自然を愛する人々が集うためのラウンジだ。SANU 2nd Homeの会員はもちろん、一般客も利用できる。東京初出店となる宮崎のタコスレストラン「SANBARCO」、スペシャルティーコーヒーショップ「ONIBUS COFFEE」が入店。週末には自然をテーマにした映画の上映や、音楽・トークイベントも開催予定。上階はSANUのオフィスとなっている。

SANU NOWHEREの施設写真(提供:株式会社Sanu)