第1回:東京生まれの小説家が島に来たいきさつ|女子的リアル離島暮らし

YADOKARIをご覧の皆様、こんにちは。小説家の三谷晶子です。
まずは、簡単に自己紹介をさせていただきます。
東京生まれ、東京育ち。
女性誌などのライターを経て、2008年『ろくでなし6TEEN』(小学館)にて小説家デビュー。
2012年に二作目の小説『腹黒い11人の女』(yours-store)を刊行。
現在は小説執筆の他、雑誌やWebで記事やコラムを執筆しています。

昨年までは東京に住んでいた私ですが、今年の1月から鹿児島県の離島、
加計呂麻島(かけろまじま)に住んでいます。
加計呂麻島は人口1500人にも満たない小さな島。
羽田から行くとなると飛行機やバス、船を経由して7時間ほどかかる離島です。
では、去年まで、都内で働き、遊び、暮らしていた私が、
「羽田から7時間もかかる離島に私が来たのか」を説明したいと思います。

 

都市部の仕事を田舎でする試み『上毛町ワーキングステイ』で実感したこと


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棚田と空、山々だけが見える山腹に、一ヶ月滞在していました。

昨年の秋、私は福岡最東端の町、上毛町で上毛町役場と福岡R不動産が企画した
上毛町ワーキングステイ』に、Webマガジン『東京ナイロンガールズ』の一員として参加しました。
『上毛町ワーキングステイ』は限界集落に人を呼び込むにはどうすればいいのかを
外からの視点で提言しながら、都市部での自分の仕事を持ち込み、
町が用意してくれた家で一ヶ月田舎暮らしをするという企画。

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滞在した家、通称『雁股庵』。お風呂は岩風呂、茶室つき。
『雁股庵』近くにある椎茸畑。みずみずしい椎茸がいつでももぎ放題でした。
『雁股庵』近くにある椎茸畑。みずみずしい椎茸がいつでももぎ放題でした。

滞在した家は山の山腹にある茶室つきの築100年以上の古民家。
庭に生えた柿は取り放題、畑の椎茸やゆず、ネギやレタスも自由に食べてよく、
見事な紅葉と棚田が見える川のせせらぎの音だけが響く家での暮らしは、
とても楽しいものでした。

そこで暮らして気づいたのが「私の仕事はネット環境さえあればどこでもできる」ということです。
やりとりのほとんどがメール。時折、skypeで打ち合わせ。
数年仕事をしている取引先とも、一度しか顔を合わせていないこともざらにあります。

あら? じゃあ、別に東京で暮らさなくてもいいんじゃない?

上毛町から東京に戻り、そのことに気づいた時に思い出したのが、
一年ほど前の知人のFacebookの投稿でした。

「加計呂麻島の塩工房で塩作りと家のお手伝いをしつつ、滞在をしてみませんか?」

知人にすぐさま連絡すると塩工房からOKと出て、一ヶ月後には私は加計呂麻島にいました。

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フェリーが発着する加計呂麻島・生間港。いきなり、真っ青な海と空。

季節は真冬。しかし、1月だというのに天気がいい日は気温は16度。
徒歩5分の場所に熱帯魚がうようよいるの透き通ったビーチがあり、昼間は半袖で歩けちゃう。
行こうと思えば、本当にどこでも行けるんだな、と肌で感じた瞬間でした。

 

波の音だけが響く静けさの効用


そして、早くも加計呂麻島に住んで8ヶ月が過ぎる現在。
東京から離れて暮らしてみて、感じることがたくさんあります。

休日は6世帯しかいない集落の小さなビーチで波の音を聞いています。
休日は6世帯しかいない集落の小さなビーチで波の音を聞いています。

例えば、驚いたのが島の静けさです。
東京では大きな公園が近くにあるなどなるべく自然が残っているところに住んでいたのですが、
それでも重低音のように車の音が響いてきます。
意識せずともなんとなく響いている音って、実は結構なストレスです。
事実、上毛町ワーキングステイから帰ってきて東京で原稿を書いていたら、
集中力が静かな環境にいるときの4割は減った気がしました。

 

都会では必須の警戒心が島では必要ない


そして、私が加計呂麻島に来て一番楽だな、と思ったのが警戒心の必要がないことです。

東京では、道を歩いているだけでも痴漢やスリ、強盗などに合う可能性があるものです。
その日も、私は終電で最寄駅につき、家までの道を歩いていました。
ぎゅうぎゅうの終電から吐き出された人々は散り散りに自分の家に向かって行きます。
私の背後にはスーツ姿の男性がいました。
家が同じ方向なのは、よくあること。
けれど、大通りから一本入った暗い道になっても同じ歩調で後ろにいる。
カバンをぎゅっと持ち、さりげなく携帯を取り出し、
110をすぐにダイヤルできるようにして、私は身構えました。

すると、男性が私の横を通り過ぎながら言ったんです。

「すいません、俺、怯えさせてますよね。俺、この先が家なんで先に行きます」

終電で帰ってきて、彼もきっと仕事で疲れているに決まっているのに急がせてしまったこと。
本当だったら単なるご近所の人なのに、疑っていた自分のこと。

どうして、通りすがりの人まで、最初から信じないように私はしているんだろう。

毎日、人を疑って生きたいなんて願っていないのに、一体どうして?

競歩のように不自然な姿勢で歩いていく彼の後ろ姿を見ながら、
私はなんだか呆然としてしまいました。

今、加計呂麻島に住んでいる私は、道端でビールを飲んでいる見知らぬおっちゃん達に
「いいから飲んでけよ」と言われてご一緒したりしています。
道を歩いていたら「車乗ってく?」と言われ、同乗することもあります。

通りがかりにご一緒させていただいた海の横のガジュマルの下での集まり。
通りがかりにご一緒させていただいた海の横のガジュマルの下での集まり。

そんなこと、東京だったら絶対できません。けれど、それがこの島では普通なんです。

「夜道歩いてて怖いのなんてハブだけだよ」

そうだね、と頷けることの幸福さは、なかなか得難いものだと私は思います。

 

毎日、景色を綺麗だと思えること


加計呂麻島にはスーパーやコンビニはおろか、銀行すらありません。
小さなタバコ屋兼雑貨店と郵便局、近隣の方が作る野菜の無人販売所があるのみ。
ですが、少し歩くだけで真っ青な海と空しかない場所に出られます。

何もないけれど、どこまでも空と海が広がる場所がすぐ近くです。
何もないけれど、どこまでも空と海が広がる場所がすぐ近くです。

加計呂麻島にいても、時に仕事が立て込んだり、うまくいかないことがあったりします。
場所を変えることで、何もかもが好転するわけではもちろんありません。
だけど、少し歩いてビーチに出て、夕暮れを眺めながら缶ビールでも開ければ、
キリキリしてる自分が馬鹿馬鹿しくなって、ふっと笑えたりするんです。

「自分の見ている視界が、今の自分だ」ということはよく言われます。
「ここにいたくない」「ここは辛い、汚い」と思っているなら、それは自分がその世界にいるから。
毎日、景色に綺麗だな、と思えるのは、
少なくとも日々の中で何かを綺麗だと思える心を持っているということ。
そう思えたら、いろんなことを「捨てたもんじゃない」と感じることができる気がします。

次回は、離島での仕事事情や、それに伴うインターネット事情についてお伝えしようと思います。