第5回:生きる芸術 エジプト編「理想の暮らしとは何か?」|芸術は、生きる技術

エジプト朝
こんにちは。夫婦でアート活動をする檻之汰鷲(おりのたわし)こと、石渡のりおです。さて、サッカーのワールドカップが終わりました。次は、ぼくらの番です。連載の5回目は、旅したエジプトでの経験と、この日本で目標を達成する方法について、お話してみたいと思います。

 

エジプトと日本

ぼくがエジプトに興味を持ったきっかけは革命と宗教です。2011年の1月に、エジプト革命が起こり、同じ3月に東日本大震災が起こり、それをきっかけに「生き方」について考えるようになりました。ぼくには、エジプトで起こった出来事が他人事には思えませんでした。
また、2001年に起きた9・11のNYテロ以来、イスラム=過激派というイメージさえありました。しかし、生活に浸透している宗教が、ほんとうに、そんなものなのでしょうか。遠い海の向こうで、宗教と共に生きている人たちは、一体どんな暮らしをしているのでしょうか。宗教と社会を知ること、それがエジプトに向かった理由でした。

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滞在した地区は、道路の舗装もなく、茶色の建物がならび、道のあちこちに、ゴミがそのまま捨てられ山になっていました。交差点には、信号もなく車は常に列をつくり、クラクションが鳴り響いていました。砂漠の砂と排気ガスで空気は濁り、夜になれば、不定期に停電し真っ暗になる、まるでSF映画のような風景でした。しかし、この環境のなかでも人々は、それぞれの暮らしを営んでいました。

 

理想の暮らしとは何か

ある日、地下鉄の駅で、人が崩れ落ちるように階段を駆け下りてきました。それは突然の緊急事態でした。兵隊が発砲したから地上には出るな、と教えてくれるひとがいました。1時間ほど待機して外に出ると、いつもの街なのに、そこには体験したことのない危機感が漂っていました。
ある朝には、最寄りの駅で爆破テロがありました。観光客を狙ったバス爆破テロもあり、テロ組織は外国人に国外退去を要求しました。目的はエジプトの重要な資源である観光にダメージを与えることでした。人々の暮らしを壊すぞ、と脅し、それと引き換えに自分たちの要求を迫るのです。

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戦争があろうと、革命が起ころうと、日々の暮らしは営まれています。観光客が来なくても、お土産屋は営業し、ガイドたちは、仕事を求めています。ニュースでは伝えない、デモに参加する余裕もなく、日々の糧を得るために、必死に生きている人々が大勢いました。この国の人たちは、一体、どんな暮らしを求めているのでしょうか。
いよいよ、その答えを知りたくなったぼくらは、カフェ、ストリート、お店、アートイベントで、「あなたの理想の暮らしは何ですか?」と質問したアンケートを実施しました。

 

社会を彫刻する

アンケートには、以下のような答えがかえってきました。
よりよい生活/品のある暮らし/熱心に働くこと/持続可能な社会/正直さ/同志への愛と絆/愛が理想/宗教による調和/すべての市民が自由に発言できること/交換・旅・友情/誰かの幸せのために生きること/子供がいる幸せ/誰かを困らせないこと/踊ること演じること/音楽と愛/文化を知り成功すること/自由/幸せは理屈じゃない/幸せに毎日を過ごすこと/愛そのもの

安定しない社会状況のなかでも、人々の心は、愛と思いやりに満ちていました。暮らしに密着したイスラム教が人々の心をしっかりと支えていたのです。環境や信条が違っても、人間ひとりひとりの理想は、こんなにも美しいと知ることができました。
アンケートの言葉をもとに1枚の絵を完成させました。社会状況を材料に作品をつくる、この方法を「社会彫刻」と名付けました。

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日本で社会を彫刻する

滞在したそれぞれの国では、さまざまな暮らし方に触れることができました。
バルセロナで出会った友達は、廃材を使って倉庫を改造して、仕事ができる空間を作っていました。その空間は、クリエイティブを生み出していました。
ザンビアで出会った友達は、自給自足で暮らしていました。それはまさに生きるために必要なものを作り出していました。
エジプトの貧困は深刻で、生きるために必要なパンを政府が安く支給していました。そこには、革命やテロより大切な毎日の暮らしがありました。
それぞれの生活水準を知ったいま、ぼくにとって「生きる」とは、「働く」から「どう生きるか」に変わりました。

地球という視点に立てば、海に囲まれた細長く小さい日本の国土には、48の都道府県があり、たくさんの人が暮らしています。数多くの問題を抱えてもいますが、それでも風土、気候、経済どれも豊かな先進国です。もし、夢や目標を叶えようとすれば、やり方次第で実現できるのがこの国です。国や社会の状況で願うことも叶わない国々に比べれば、ずっと生活しやすい理想の国にわたしたちは、暮らしているのです。

東京
やる気と希望に溢れ、東京に戻って暮らしてみると、そこには、たくさんの商品とサービスが流通し、経済を回すための仕事が充実し、たくさんの人々が懸命に働く姿がありました。見えるものは、たくさんのビルと家と人間と、商品、広告、ぼくを誘惑する情報網。ここには大自然もなく、見える歴史も少なく、高度成長によって埋め尽くされた経済のジャングルがありました。

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帰国すると、ちょうどワールドカップが始まりました。テレビを見ながら、選手の動きや勝負の行く末に一喜一憂しました。自分のことでも、これぐらい情熱を持って取り組めればいいのにと見ているうちに、ボールを追って走り回る選手と、都市を歩き回る人々の姿が重なってみえてきました。この国に暮らすひとりひとりの可能性に、人間こそが資源だと思えてきたのです。

 

アイム・ア・フットボール

つまり、こういうことです。自分の想いを持ち続け、人に伝え続ければ、ゴールすることができるのではないでしょうか。自分の夢や目標をサッカーボールのようにパスをして、相手の想いも受け取りながら、一緒にゴールを目指すのです。

「アイム・ア・フットボール」
人に出会い
想いを伝え
人から人へパスを出し続け
ゴールすること

これは、遊びであり、アートでもあり、ビジネスでもあり、まさに社会をつくる、誰もが実践できることです。人と人がチカラを合わせて、理想をカタチにしていく、諦めずにチャレンジし続けたその先に、個性溢れるユニークで楽しいライフスタイルがつくれるのではないでしょうか。
 

「人」と「可能性」をパスで繋いでいけば、4年後、つまり1460日後には、いつくもの願いや夢がカタチになっているはずです。想いを言葉にすることがはじめの一歩です。ぼくでよければ、みなさんの夢や目標を受け取りますので、どうぞお気軽にメッセージください。これも檻之汰鷲(おりのたわし)がつくる「生きる芸術」のひとつです。
よりよい未来をつくるために。