キューバの「公共スペース」から私たちが学べることは何か

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カリブ海に浮かぶキューバは、共産主義の国。そして、車好きにはたまらないクラシックカーの聖地としても有名である。

革命家のチェ・ゲバラやフィデル・カストロの崇高な哲学の面影を今なお残し、街中でみる人々の笑顔を見れば、共産主義国として、成功したと言われている理由もわかる。しかし、最近はカストロの死によりアメリカとの国交を回復しつつあり、今までのようなクラシックカーが街中を走る光景が見られなくなるのでは、という話も現実味を帯びていている。とはいえ、共産主義によって育まれた文化というものはしばらくは残っていくのであろう。

資本主義的な考え方に慣れ親しんだ私たちのものの見方と、共産主義的なものの見方というのは、もしかしたら違うのかもしれない。
少しそのことを「公共スペース」を通して考えてみよう。

資本主義的なデザイナーというのは、公共スペースというものを考える場合、都市における公園、街道景観のデザイン、大学のキャンパスなど「合理的」な考えに則り、すっきりと、スタイリッシュに仕事を仕上げることに慣れていると言われている。

では、共産主義であるキューバはどうだろうか?

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例えば、この写真では見事に日陰に人々が密集している。赤道が近く、昼の日差しの厳しいキューバの道で、無計画に生えた木々の陰に腰掛ける人々の様子をよくみると、皆スマホを使っているのが見て取れる。
面白いことにこの木の日陰の位置と、公共Wifiのポイントの範囲というのがちょうど重なっているのだ。

これは「デザインしていない」というよりも、「違ったデザインの方法」と見た方が正しいのかもしれない。

例えば、キューバでは下の写真のような光景をよく目にする。同じ場所を12pmと3pmの時間帯で切り取って比較した写真だ。

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12pm では建物の日陰ができているおかげで、人々はそこに座って暑い日差しから逃れている。3pmではその日陰がなくなると同時に、そこから人影が消えてしまっている。

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別の写真では、照りつく日差しを避けるために、建物の陰に沿って歩行者が自然に「道」というものを形成している。
つまり、キューバの人々を街中で観察してわかることは、「日陰の下を歩く」という単純ながら、非常に根本的で大きなルールに従っているということだ。

どんなに複雑なルールを設定して造られた公園などと比べても、これほど明確なルールに基づいて人間が行動しているものは他に類をみないのではないか。

ここにいるキューバの人々というのは、もちろん共産主義的なトップダウン方式での行動をしている反面、日常の生活においては逆に、最も自然の摂理に沿って「民主的に」活動しているとも言えるだろう。

このパラドックスから考え得ることは、人間の行動というのはそこまで主義や主張、立場によって変わるものではないということだ。

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今回のキューバのケースから考えると、人間は「日光」のような自然やその環境の要素に従い行動していくのではないだろうか。

このことから学べる教訓として、公共スペースを作っていく場合に、その公共スペースが「何であるか」ということをアイデアとして共有する以前に、今回のケースのように、自然をどう利用していくかを考えた方がどうやら成功しそうだということだ。

ここで、スモールハウスやミニマリズムについて今一度考えてみよう。
スモールハウスというものが、根本的に個人主義的思想に近いものでる。それゆえに生じる孤独という問題を解決するために、スモールハウスのコミュニティなどを作るなどの取り組みも多く生まれる。意図的に公共スペースを作っていくということは、スモールハウスの実践者にとって決して他人事ではない。
さまざまなバックグラウンドや考え方を持つコミュニティーの中で、公共スペースを作っていくには、自然の摂理に従い自然を利用していくというのが、一番理にかなっている方法といえるのかもしれない。

 

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