【新連載】第1回:震災で食べ物と水について考えた|おおいた農村潜伏記

由布市北大津留の棚田です。現在、稲刈り間近。
由布市北大津留の棚田です。現在、稲刈り間近。

はじめまして。昨年末から大分県に住み始めました小海もも子と申します。

大分県と聞いて、何を思い出すでしょうか。かつての私は、何も思い浮かびませんでした。位置関係も曖昧で、九州の真ん中あたりだったかな?と思っていたくらいです。九州もあまり行ったことがない私がなぜ大分に住むことになったのか、大分で何をしているのか、少しずつお話していきたいと思います。

まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。

新潟県十日町市出身で、20代前半はバックパッカーで世界中を旅することに夢中。20代後半、本当にしたいことを仕事にしてみようと決心し、上京。見事、お目当てだった出版社に潜り込むことに成功し、ずっと好きだった雑誌や書籍、ガイドブックの編集にたずさわるようになりました。また、野外イベントの企画や運営、NPOで海外の教育支援や東北支援にも参加し、東京では忙しいながらも楽しく、友達もたくさんでき、充実した生活を送っておりました。

なぜ、移住したのか


私は新潟人のイメージの通り、お米とお酒が好きです。新潟の酒蔵の娘が育てた米で幻の日本酒を完成させるという漫画「夏子の酒(尾瀬あきら著/講談社)」を小さな頃から愛読し、いつか自分の食べるお米は自分で作るんだという気持ちを持っていました。

実際にお米の作り方を学ぼうと、地元の生産組合で働き、苗を育てたり、コンバインに乗ったりしたこともあります。その時、特に印象的だったのが、田植え後の畦に座る気持ちよさと、農業は体さえ壊さなければ死ぬまでできる職業だということでした。家族のために丁寧に野菜を作るおじいちゃんおばあちゃんを見て、いつかこんなふうになりたいと思ったものです。

近所の人からお借りした畑、じゃがいもを植えました。
近所の人からお借りした畑、じゃがいもを植えました。

さて、仕事のために新潟から東京に移り住み、その数年後に東日本大震災が起こりました。
以前、新潟県中越地震で被災した際は、実家が震源地30km圏内にも関わらず、山水があり、米や野菜の保存もあったので食べる物の不安はありませんでした。しかし、東京では水も食べ物もどこかからやってくるものであり、どこかに不具合が生じると届かなくなることを知りました。

当時は食べる物がなくなる恐怖や放射能の影響によって、生活に不安を感じた人も多かったと思います。私もその一人で、もともと農村が好きなこともあり、次第に移住への気持ちが高まっていきました。

その後、当時付き合っていた彼が仕事の都合で大分県へ移住。驚いたものの、大分県は田舎そうだなと勝手にイメージして、私も遅れて大分に移住することにしました。

冬の大分県由布市へ移住


中型バイクに乗って、冷たい風が吹く12月の九州に上陸。大分県には暗くなってから入り、大きな山や川が流れている気配を感じながら真っ暗な山道をひた走り、ガタガタ震えながらようやく由布市に到着。九州は温かいと思っていたので、こんな寒いと思わなかったと騙されたような気持ちになりました。

湯布院の町と、青空にそびえ立つ由布岳。
湯布院の町と、青空にそびえ立つ雪をまとった由布岳。

次の日、彼が飼っている秋田犬ゴンちゃんと散歩へ。小高い場所から集落を眺めると、前日感じた通り山が連なり、川が流れています。山裾は田畑で埋め尽くされ、いたるところに果樹があり、竹林が点在し、大昔から農を基盤とする人たちが住んできた土地なのだと感じました

自分もここに住んで、土を耕し、子どもを産み、地元の人となるのだろうか……そんな自分が想像できなくて、漠然と不安を感じたことを覚えています。
大分移住のはじめは、正直言って、住んでいる家の近くに店舗はほとんどないし、土地勘もないし、知り合いもいないし、何をどう始めたら分からない状態でした。

大分は春、驚くほどあちこちにたくさん菜の花が咲きます。
大分は春になると、あちこちに驚くほど菜の花が咲きます。

それでも、澄んだ空気の中で、朝陽と夕陽が感じられるこの生活にだんだん希望を見出すようになってきました。

農村の食べ物の豊かさ


大分に来てまず驚いたのは、自給率が高いということ。
まず、最寄りの商店で販売しているお米や野菜は全て地元産です。しかも作った人の名前入りで、スーパーよりもお安いです。鍋をしたら、野菜、大豆製品は町内産でそろいます。肉を入れても県内産でまかなえます。冬でもたくさんの地元野菜が食べられることに感動。

なんてフードマイレージの少ない素晴らしい土地!と、興奮して近所の人に話しましたが反応は薄い……何を当たり前のことを言っているのだという感じでした。

大根が10本で380円! たくあん漬け用かな。
大根が10本で380円! たくあん漬け用かな。

年末には、近所の方から餅つきのお誘いを受けて、お正月のお餅をつかせてもらいました。普通の生活の一部として、臼と杵を使ってつくのは初めてです。ついたあとは、みんなでちぎって丸くまとめ、乾燥させます。私の地元は四角餅だったので、丸餅は新鮮。粟や、桜えびを入れると色もキレイで、さらに美味しくなりました。

お友達ご夫婦のめおと餅つき。
お友達ご夫婦のめおと餅つき。

もうひとつ感動したことは、湧き水が豊かなこと。

家の近くには水路が張り巡らされており、夜中のしんとした中で水の流れる音が聞こえてきます。水道の水もゴクゴク飲めますが、近くに湧き水が出る所がいくつかあり、そこの湧き水の美味しいこと! 体に沁み入るというか、水の本来の味はこういうものかと思いました。しかも、場所によっては水道から炭酸水が出るのだとか。

この夏、県内ではホタルがたくさん観測されていました。世界中で水の汚染が進んでいる中、清い川が流れていること、飲料に使える水源が近くにある環境がどれだけ心強いことか感じられます。

大分県には樹木がびっしり生えた山々があって、そこから大小たくさんの清い川が流れ出ており、最後に海へ流れ出ます。だから大分県の海は豊かで海産物が美味しいのでしょう。

水の駅おづるの湧き水、平日でも多くの人が水汲みに来ています。
水の駅おづるの湧き水、平日でも多くの人が水汲みに来ています。

新潟で知った農業の素晴らしさ、東京で知った農村の大切さ、そしてそれらを知った上で大分に移住したため、より大分の豊かさを感じることができたのだと思います。安心して飲める水があり、近くでとれた野菜を食べられることが、どんなに幸せなことか分かったので、大分の豊かな環境に感謝の気持ちを持つことができました。

また、心身ともに自然との結びつきも強くなりました。
東京でも木々や月を見ていましたが、こちらでは私も自然の一部だということを強く感じられます。月の明るさや、花の鮮やかさ、竹の子の伸びるスピードなどに驚き、そこからポジティブな感情とおだやかなエネルギーをもらっています。

さて、大分に住み着いて9ヶ月経ちました。

次からは、農村の暮らしとなぜタイトルが「潜伏記」になったのかなどお話したいと思います。