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【コラム】暮らしを小さくすることで、消費社会から距離をおく。トレーラーハウス暮らしで見つけた、3つのこと|#01 依存を最小限にすること

タイニーハウスや小屋暮らし、ちいさな暮らしはまだまだ実践者も少なく、始めてみたいけど少し不安という方も多いのではないでしょうか?TINYHOUSE ORCHESTRAでは、日本国内で実際にタイニーハウス作りや暮らしを実践されている方にレポートを執筆いただき、新しい暮らしを始めるヒントをお伝えしていきます。

今回のコラムは、東京から長野へ移住し、“小さく暮らす”をモットーに賃貸のトレーラーハウスでDIY的暮らしを実践中のフリーランスエディター増村江利子さんによる、暮らしづくりの記録です。

移住の経緯はこの記事でも紹介されているが、都心から長野県諏訪郡に移住して、3年の月日が過ぎた。トレーラーハウスの補修を重ね、薪で暖をとり、畑を耕す。そんな暮らしの中で気づいたことは、今までいかに自分の人生を「お任せ」してきたか、ということだ。

家の補修が必要だったら、業者を探せばいい。寒かったら、エアコンのスイッチをつければいい。お腹が空いたら、飲食店に行けばすぐに美味しいものが出てくるし、スーパーには、全国から集められた食材がずらりと並んでいる。

暮らしのありとあらゆる局面がサービスになっていて、ほしいときに、いつでも買うことができる。非日常的な贅沢が楽しみで、そうしたことに豊かさを感じていた。

でもあるとき突然、その豊かさを疑うようになった。3.11の原発事故で、自分がいかに何も考えずにエネルギーを原発に依存していたかを突きつけられたのは、大きな転機だった。それまで原発の危うさを少しも顧みずに電気を使ってきたことに、それから社会という大きくて複雑な存在を変えることができない無力感に、腹立たしさをおぼえた。

やがて、たくさん稼いで、たくさんお金を使うことに、意味を見出せなくなった。暮らしを誰かに任せずに自分の手でつくりたい。消費社会から少し距離をおきたい。そんなタイミングで移住した私がまずやったことは、唐突に思えるかもしれないが、冷蔵庫をやめる、ということだった。

自立をするために、依存を最小限にすること

移住先の住まいの条件はたった一つで、小さな家がいい、ということだった。夫が見つけたトレーラーハウスは、条件にぴったりだった。リビングの一部が増築されているので、本当のタイニーハウスとはいえないかもしれないけど、それでも田舎にある民家のなかでは飛び抜けて小さな家だ。

冷蔵庫をやめる背景にある思いは、はっきりいうと、これ以上電力会社にお世話になりたくないということだった。標高1,000mという寒冷地で、夏でも朝晩は涼しいことも後押ししてくれた。

そもそもミニマリストで持ち物が極端に少ない私は、当然冷蔵庫の中身も少なかった。たとえば調味料は、「さしすせそ」で呼ばれる砂糖、塩、酢、醤油、味噌以外は、できる限り持たないようにしている。油やバター、胡椒、カレー粉は使う。でも、マヨネーズやケチャップ、ドレッシングなどはつくればいい。それ以外の調味料が必要な料理は、ときおり外食で食べれば十分なものとして、すでに手放していた。

牛乳や肉、魚はたまに買う程度の嗜好品扱いなので、買ったらその日のうちか、翌日の朝にはなくなっている。結局、冷蔵庫にいつもあるのは、卵、味噌、バターの3つだった。冷蔵庫をやめようかと思ってからはじめて、味噌は発酵食品なので冷蔵庫に入れなくてもいいことに気づいた。卵も常温で大丈夫。残ったのはバターだった。自分はバターのために冷蔵庫を持ち続けるのか?と考えたら、急にバカバカしいことのように思えてきた。

冷蔵庫を知人に譲ってから、友人が集まったときに、ビールを冷やしておけないことに気づいた。でもいい。友人たちはみんな知っているので、何も言わなくても、冷えたビールを持参してくれるのが心地よかった。そして寒冷地ゆえ、真冬は場合によっては冷蔵庫に入れておかないと凍ってしまうことがあることにも気づいた。凍ってしまわないように、冷蔵庫に入れておく……。正直にいうと、その発想はなかった。まあ、それもいい。凍ったらSNSにでも投稿しよう。

こうして、冷蔵庫を手放した。不自由なことはひとつもなかった。真夜中に聞こえてくるブーンという重低音から解放された。あの巨大な箱が家からなくなっただけで、家がすっきりしたようにも思えた。

冷蔵庫代わりに家に置いている、昭和初期の冷蔵庫。とはいえ、氷も入っていないのでただの食品庫になっている

考えてみれば、昔は冷蔵庫なんてなかったはずだ。いつのまにか持っていて当たり前のものになり、やがて、必要不可欠であるかのような顔つきになった。でも、そんなことはない。

遠くの原子力発電所でつくられた電気に、できる限り依存しない。食べ物の期限や保管を、冷蔵庫という家電に依存しない。ひとつひとつ、これまで依存してきたものごとを自分の手に取り戻して、楽しく工夫して暮らす。そうした暮らしにこそ、ほしい未来があると私は信じている。

ライター:増村 江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経てフリーランスエディター。二児の母。長野県諏訪郡の賃貸トレーラーハウスにてDIY的暮らしを実践中。

タイニーハウスや小屋暮らし、ちいさな暮らしはまだまだ実践者も少なく、始めてみたいけど少し不安という方も多いのではないでしょうか?TINYHOUSE ORCHESTRAでは、日本国内で実際にタイニーハウス作りや暮らしを実践されている方にレポートを執筆いただき、新しい暮らしを始めるヒントをお伝えしていきます。

今回のコラムは、東京から長野へ移住し、“小さく暮らす”をモットーに賃貸のトレーラーハウスでDIY的暮らしを実践中のフリーランスエディター増村江利子さんによる、暮らしづくりの記録です。

移住の経緯はこの記事でも紹介されているが、都心から長野県諏訪郡に移住して、3年の月日が過ぎた。トレーラーハウスの補修を重ね、薪で暖をとり、畑を耕す。そんな暮らしの中で気づいたことは、今までいかに自分の人生を「お任せ」してきたか、ということだ。

家の補修が必要だったら、業者を探せばいい。寒かったら、エアコンのスイッチをつければいい。お腹が空いたら、飲食店に行けばすぐに美味しいものが出てくるし、スーパーには、全国から集められた食材がずらりと並んでいる。

暮らしのありとあらゆる局面がサービスになっていて、ほしいときに、いつでも買うことができる。非日常的な贅沢が楽しみで、そうしたことに豊かさを感じていた。

でもあるとき突然、その豊かさを疑うようになった。3.11の原発事故で、自分がいかに何も考えずにエネルギーを原発に依存していたかを突きつけられたのは、大きな転機だった。それまで原発の危うさを少しも顧みずに電気を使ってきたことに、それから社会という大きくて複雑な存在を変えることができない無力感に、腹立たしさをおぼえた。

やがて、たくさん稼いで、たくさんお金を使うことに、意味を見出せなくなった。暮らしを誰かに任せずに自分の手でつくりたい。消費社会から少し距離をおきたい。そんなタイミングで移住した私がまずやったことは、唐突に思えるかもしれないが、冷蔵庫をやめる、ということだった。

自立をするために、依存を最小限にすること

移住先の住まいの条件はたった一つで、小さな家がいい、ということだった。夫が見つけたトレーラーハウスは、条件にぴったりだった。リビングの一部が増築されているので、本当のタイニーハウスとはいえないかもしれないけど、それでも田舎にある民家のなかでは飛び抜けて小さな家だ。

冷蔵庫をやめる背景にある思いは、はっきりいうと、これ以上電力会社にお世話になりたくないということだった。標高1,000mという寒冷地で、夏でも朝晩は涼しいことも後押ししてくれた。

そもそもミニマリストで持ち物が極端に少ない私は、当然冷蔵庫の中身も少なかった。たとえば調味料は、「さしすせそ」で呼ばれる砂糖、塩、酢、醤油、味噌以外は、できる限り持たないようにしている。油やバター、胡椒、カレー粉は使う。でも、マヨネーズやケチャップ、ドレッシングなどはつくればいい。それ以外の調味料が必要な料理は、ときおり外食で食べれば十分なものとして、すでに手放していた。

牛乳や肉、魚はたまに買う程度の嗜好品扱いなので、買ったらその日のうちか、翌日の朝にはなくなっている。結局、冷蔵庫にいつもあるのは、卵、味噌、バターの3つだった。冷蔵庫をやめようかと思ってからはじめて、味噌は発酵食品なので冷蔵庫に入れなくてもいいことに気づいた。卵も常温で大丈夫。残ったのはバターだった。自分はバターのために冷蔵庫を持ち続けるのか?と考えたら、急にバカバカしいことのように思えてきた。

冷蔵庫を知人に譲ってから、友人が集まったときに、ビールを冷やしておけないことに気づいた。でもいい。友人たちはみんな知っているので、何も言わなくても、冷えたビールを持参してくれるのが心地よかった。そして寒冷地ゆえ、真冬は場合によっては冷蔵庫に入れておかないと凍ってしまうことがあることにも気づいた。凍ってしまわないように、冷蔵庫に入れておく……。正直にいうと、その発想はなかった。まあ、それもいい。凍ったらSNSにでも投稿しよう。

こうして、冷蔵庫を手放した。不自由なことはひとつもなかった。真夜中に聞こえてくるブーンという重低音から解放された。あの巨大な箱が家からなくなっただけで、家がすっきりしたようにも思えた。

冷蔵庫代わりに家に置いている、昭和初期の冷蔵庫。とはいえ、氷も入っていないのでただの食品庫になっている

考えてみれば、昔は冷蔵庫なんてなかったはずだ。いつのまにか持っていて当たり前のものになり、やがて、必要不可欠であるかのような顔つきになった。でも、そんなことはない。

遠くの原子力発電所でつくられた電気に、できる限り依存しない。食べ物の期限や保管を、冷蔵庫という家電に依存しない。ひとつひとつ、これまで依存してきたものごとを自分の手に取り戻して、楽しく工夫して暮らす。そうした暮らしにこそ、ほしい未来があると私は信じている。

ライター:増村 江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経てフリーランスエディター。二児の母。長野県諏訪郡の賃貸トレーラーハウスにてDIY的暮らしを実践中。

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