【コラム】暮らしを小さくすることで、消費社会から距離をおく。トレーラーハウス暮らしで見つけた、3つのこと|#03 「向こう3軒両隣」の幸せを、仲間と楽しくつくること
タイニーハウスや小屋暮らし、ちいさな暮らしはまだまだ実践者も少なく、始めてみたいけど少し不安という方も多いのではないでしょうか?TINYHOUSE ORCHESTRAでは、日本国内で実際にタイニーハウス作りや暮らしを実践されている方にレポートを執筆いただき、新しい暮らしを始めるヒントをお伝えしていきます。
このコラムは、東京から長野へ移住し、“小さく暮らす”をモットーに賃貸のトレーラーハウスでDIY的暮らしを実践中のフリーランスエディター増村江利子さんによる、暮らしづくりの記録です。

都心から長野県諏訪郡に移住してまず感じたことは、ご近所さんづきあいが楽しい、ということだった。
みんな顔見知りで、会えば立ち話をする。犬を散歩していても、わざわざ車を停めて話しかけてくれるほどだ。畑で育てた野菜を持ってきてくれたり、娘がきれいと言った花の苗を分けてくれたりと、何かといただきものをする。
そしてお礼に、別のいただいた何かをお返しする。何かのお礼に、購入したものを渡すことはあまりない。そんなことをいちいちしていたら間に合わないほど頻繁だし、「あるもの」で十分に気持ちが伝わるのだ。
「向こう3軒両隣」の幸せを、仲間と楽しくつくること
田舎だからという理由だけではなく、暮らしを小さくすると、ご近所さんとのやりとりが増える。これは私にとっては意外なことだった。
私が暮らしているトレーラーハウスは、リビングが増築されているとはいえ、2階部分を合わせても50m2にも満たないので、収納スペースには限りがある。好きに使っていいとは言われているが、賃貸なので、外の物置もこれ以上増やせない。だから必要な時に道具をご近所さんに借りて、暮らしを間に合わせている。これが、確実にご近所さんづきあいが増える一因となっている。
例えば先日、掃除のために高圧洗浄機を借りたのだが、「もう1台あるから必要だったらやるぞ」ということで、結局いただくことになってしまった。道具を借りては返し、感謝の気持ちを伝える。すると後日、野菜やら、いろいろなものを携えて立ち寄ってくれる。そしてまた感謝の気持ちを伝えにいく。このループには、まったく終わりが見えない。
そして小屋暮らしは、自然と“外”も利用するようになる。家が狭いからというよりは、家が外に近い感覚があるのだと思う。例えば、天気のいい日には、外で火を焚いてミニキャンプをしたりもする。おにぎりと汁物を用意していると、お隣さんの子どもが遊びに来て、結局一緒にお昼ごはんを食べたりする。考えてみればおにぎりと汁物だけの食事なんてとても質素だが、それでも子どもたちは大喜びだ。

ご近所さんとのやりとりや、そうした子どもたちの光景を見ていると、「これでいいんだ」という感覚をじわじわと感じる。家族でもないし親戚でもない。でも身近な存在としていつも近くにいる。それがご近所さんなのだと思う。
ありがたいことに、ただご近所さんであるだけでなく、思いを共有し、一緒に未来をつくろうとしてくれる仲間でもある。
社会に対していろいろと思うところもあるが、一人で立ち向かおうとしても、まるで歯が立たない。でも、自分の家族とご近所さんをひっくるめて、「向こう3軒両隣」くらいの幸せだったら、つくっていけるかもしれないと思う。
「向こう3軒両隣」とは、言い換えると、現在の経済システムによるところの「お金」を介さなくても成り立つ、一番小さな経済圏ということだと思う。
その一番小さな経済圏の幸せをつくるには、大豪邸よりも、小さな家がいいのではないかと思う。高いローンや家賃を払い続けるために、もっと稼がなくちゃという焦りを手放して、暮らしのすべてをサービスでまかなうのはやめて、自分で暮らしをつくるようにならないと、誰かのために時間をつかう余裕も、見返りを求めない気持ちも持つことができないから。
そして小さな家は、こもらずに外にひらいて、分かち合うのが気持ちいい。そうしたあたたかい関係性にこそ、ほしい未来があると私は信じている。
ライター:増村 江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経てフリーランスエディター。二児の母。長野県諏訪郡の賃貸トレーラーハウスにてDIY的暮らしを実践中。
タイニーハウスや小屋暮らし、ちいさな暮らしはまだまだ実践者も少なく、始めてみたいけど少し不安という方も多いのではないでしょうか?TINYHOUSE ORCHESTRAでは、日本国内で実際にタイニーハウス作りや暮らしを実践されている方にレポートを執筆いただき、新しい暮らしを始めるヒントをお伝えしていきます。
このコラムは、東京から長野へ移住し、“小さく暮らす”をモットーに賃貸のトレーラーハウスでDIY的暮らしを実践中のフリーランスエディター増村江利子さんによる、暮らしづくりの記録です。

都心から長野県諏訪郡に移住してまず感じたことは、ご近所さんづきあいが楽しい、ということだった。
みんな顔見知りで、会えば立ち話をする。犬を散歩していても、わざわざ車を停めて話しかけてくれるほどだ。畑で育てた野菜を持ってきてくれたり、娘がきれいと言った花の苗を分けてくれたりと、何かといただきものをする。
そしてお礼に、別のいただいた何かをお返しする。何かのお礼に、購入したものを渡すことはあまりない。そんなことをいちいちしていたら間に合わないほど頻繁だし、「あるもの」で十分に気持ちが伝わるのだ。
「向こう3軒両隣」の幸せを、仲間と楽しくつくること
田舎だからという理由だけではなく、暮らしを小さくすると、ご近所さんとのやりとりが増える。これは私にとっては意外なことだった。
私が暮らしているトレーラーハウスは、リビングが増築されているとはいえ、2階部分を合わせても50m2にも満たないので、収納スペースには限りがある。好きに使っていいとは言われているが、賃貸なので、外の物置もこれ以上増やせない。だから必要な時に道具をご近所さんに借りて、暮らしを間に合わせている。これが、確実にご近所さんづきあいが増える一因となっている。
例えば先日、掃除のために高圧洗浄機を借りたのだが、「もう1台あるから必要だったらやるぞ」ということで、結局いただくことになってしまった。道具を借りては返し、感謝の気持ちを伝える。すると後日、野菜やら、いろいろなものを携えて立ち寄ってくれる。そしてまた感謝の気持ちを伝えにいく。このループには、まったく終わりが見えない。
そして小屋暮らしは、自然と“外”も利用するようになる。家が狭いからというよりは、家が外に近い感覚があるのだと思う。例えば、天気のいい日には、外で火を焚いてミニキャンプをしたりもする。おにぎりと汁物を用意していると、お隣さんの子どもが遊びに来て、結局一緒にお昼ごはんを食べたりする。考えてみればおにぎりと汁物だけの食事なんてとても質素だが、それでも子どもたちは大喜びだ。

ご近所さんとのやりとりや、そうした子どもたちの光景を見ていると、「これでいいんだ」という感覚をじわじわと感じる。家族でもないし親戚でもない。でも身近な存在としていつも近くにいる。それがご近所さんなのだと思う。
ありがたいことに、ただご近所さんであるだけでなく、思いを共有し、一緒に未来をつくろうとしてくれる仲間でもある。
社会に対していろいろと思うところもあるが、一人で立ち向かおうとしても、まるで歯が立たない。でも、自分の家族とご近所さんをひっくるめて、「向こう3軒両隣」くらいの幸せだったら、つくっていけるかもしれないと思う。
「向こう3軒両隣」とは、言い換えると、現在の経済システムによるところの「お金」を介さなくても成り立つ、一番小さな経済圏ということだと思う。
その一番小さな経済圏の幸せをつくるには、大豪邸よりも、小さな家がいいのではないかと思う。高いローンや家賃を払い続けるために、もっと稼がなくちゃという焦りを手放して、暮らしのすべてをサービスでまかなうのはやめて、自分で暮らしをつくるようにならないと、誰かのために時間をつかう余裕も、見返りを求めない気持ちも持つことができないから。
そして小さな家は、こもらずに外にひらいて、分かち合うのが気持ちいい。そうしたあたたかい関係性にこそ、ほしい未来があると私は信じている。
ライター:増村 江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経てフリーランスエディター。二児の母。長野県諏訪郡の賃貸トレーラーハウスにてDIY的暮らしを実践中。