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YADOKARIについて

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週末に訪れるもう一つの我が家、長期の休みに訪れるお気に入りの宿泊施設として、大自然の中にあるタイニーハウスを選んでみてはいかがだろうか。

様々なグリッドから解放された大自然の静かな空間の中でなら、これまでに体験したことのない大切な人との豊かな時間を過ごせることだろう。

Salty Cabinsは、オーストラリアのバイロンベイ近くに位置するエコリトリート施設だ。オフグリッドで自己完結型のキャビンを中心に構成されており、自然環境に調和するようデザインされている。訪問者に自然との一体感を提供しながら、持続可能なライフスタイルを実践する場を提供している。

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Salty Cabinsは、すべての決定を地球への影響を考慮して行うという哲学に基づいている。デザインは、現代的でありながら自然と調和する。キャビンの外観はニュージーランド産のFSC認証木材であるAbodo Vulcan木材を使用し、シリケートベースの仕上げが施されている。この仕上げは時間とともに銀色に変化し、メンテナンスが少なくて済むため、機能性と美しさを両立する。さらに、キャビンは景観を最大限に生かし、自然光と風を活用しやすいように配置されている。

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最大の特徴の一つは、そのエネルギー効率の高さだ。オフグリッド型のキャビンは太陽光発電システムを導入しており、電力の自給自足が可能。また、自然光や自然換気を活かした設計により、エネルギー消費を最小限に抑えている。この結果、外部の電力供給に依存しない持続可能な生活が実現されており、ゲストはエネルギーの独立性を体感できる。

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都会の喧騒から離れ、自然との一体感を味わいながら、持続可能な素材とエネルギー効率の高いデザインにより、境負負荷を最小限に抑えた快適な生活を体験することができるのだ。

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【インタビュー】多世代と繋がり、学び・助け合いの網を広げていく / 山崎団地自治会長 佐藤 禮子(さとうれいこ)さん

町田山崎団地を舞台に、団地に住まう人とまちの人とが入り混じり、団地ならではの豊かな暮らしや心地いい日常の景色を共に創り・発信していく取り組み、「まちやまプロジェクト」。

そのプロジェクトの一環として、団地や町田にまつわる取り組みをしている方のインタビューを発信していきます。

二人目となる今回は、町田山崎団地(以下、山崎団地)自治会の会長として、近隣施設との積極的なコミュニケーション、高齢化する居住者の健康や、新しい世代との交流など、精力的に向き合う佐藤禮子さんです。

町田が大好きだと語る佐藤さんに、自治会長に就任された背景や現在の活動、山崎団地へかける思いについてお話を伺いました。

 

団地のことを知るために、入居時から始めた自治会の活動

ーまずはじめに、佐藤さんは山崎団地に入居されてからどのくらいになるのでしょうか?

佐藤さん 私が山崎団地に引っ越してきたのは、仕事を定年退職したタイミングでした。元々町田市に住んでいましたが、勤務先の移転でやむを得ず、都心部へ移り住むことに。町田市への愛着が強かったので、退職後すぐに戻ってきたんです。

広々とした自然の中で暮らしたいと思い、この団地を選びました。もうすぐ22年目になりますね。

この団地のことをよく知りたくて、入居してすぐに自治会でお手伝いを始めました。様々な部署を回った後、自治会の事務局員として数年勤めて、現在は会長の仕事をしています。

 

インタビューを受ける佐藤さん

ー自治会の会長を引き受ける決断された背景は何だったのでしょうか?

佐藤さん 2021年に前会長が急病で退任されて、自治会の会員のみなさまから後任の要請を受けました。2ヶ月ほどじっくりと考えましたが、会長の不在は様々な支障をきたすと思ったので、お引き受けしました。現在は会長として3年目です。

また、都内で仕事をしていた頃から、40年以上ボランティア活動も続けています。こちらに戻ってからは町田市でのボランティアに携わり、市役所、学校、高齢者支援センターなど、様々な場所でお手伝いをしています。

このボランティア活動で広がったご縁も活かしながら、私なりの自治会長の仕事に取り組んでいます。

団地暮らしの「楽しみ」を増やし、健康を見守る工夫

ー自治会では主にどのような活動をされていますか?

佐藤さん 日々の活動は、市役所やUR都市機構(以下、UR)との連携、近隣団地と情報共有をする会議への参加などがあります。また、山崎団地は75歳〜85歳の高齢者が多くいらっしゃるため、高齢者の支援センターとの関わりも密接です。

 

町田山崎団地の風景

 

居住者の方の相談に日々向き合っていますが、自治会で対応できることと、支援センターと連携して対応すべきことを見極めながら、適切なコミュニケーションを取ることも重要な役割です。ボランティア活動の頃から、支援センターとの関わりは21年間続いているので、連携やお互いの理解は深まっていると思います。

特に女性の方からは、同性だと相談がしやすいというお声もあり、自分だからこそ広げられる支援も増やしていきたいですね。

 

ー山崎団地の自治会の活動において、特徴的だと感じる点はありますか?

佐藤さん 規模の大きさは特徴的ですよね。全部で116の居住棟が埋まった場合は、3,920世帯になります。現在住んでいるのは約3,100世帯で、自治会費を納めて協力いただいているのは、全体の約1/3にあたる1,100世帯ほどです。

紙や印刷代も上がっているので正直厳しい状況ではありますが、毎月の新聞発行など、最低限みなさまに情報をお届けできるように工夫しています。

 

山崎団地で配布している自治会新聞

 

あとは、URの方々の協力も得ながら、防災をテーマにした「団地キャラバン」や、夏休み恒例の「ちゃおちゃおまつり」、ハロウィンなどのイベント開催も行っていますね。今年のクリスマスには素敵なキャンドルのイベントも計画中です。これらのイベントには、毎回想像を超える人数にお集まりいただきます。

 

 

ちゃおちゃおまつりの様子

 

多くの人が集まり活気のあるイベントが実現できることも、山崎団地の特徴の一つかもしれません。今年から新しく始まる「まちやま まるごと スコーレ」も、回数を重ねていくことで、たくさんの方に楽しんでいただけるイベントに育っていくと思いますよ。

 

ー自治会の活動において、佐藤さんが特に力を入れていることは何ですか?

佐藤さん 高齢者が多いので、その点の支援は必要不可欠ですね。お一人住まいの方は特に、外に出ないとすぐに認知症になってしまうので注意が必要なんです。

対策として、いかに部屋から外へ出かけていただけるかのアイデアを日々考えています。会長になる前から取り組んでいる、町田市考案の「町トレ(町田を元気にするトレーニング)」を、住民の皆さんと集まって行う企画はもう5、6年続いています。

体操の後は、みんなでコーヒーを飲んで雑談をしたり、手仕事をする人がいたりと、一つの楽しみにしていただけたらと思っています。春には必ずお花見をしていて、体操の時には普段出てこない表情の人となりをお互いに知れる機会も大切にしています。

 

町田山崎団地名店街

 

可能であれば秋頃から、コロナ禍で止まっていたお食事会も再開したいですね。昔、調理の仕事をしていて必要な免許も持っているので、お食事も私が担当いたします。

お一人住まいの方にとって、一番大事なことが「食」だと思うので。そのため、お食事会でも日々お家で作れる料理を選んで、ご希望があればレシピもお伝えしていました。「これ美味しいから作ってみたい」と言っていただけると、私自身も嬉しいですしね。会話も盛り上がりますし、それだけで身体にとっていいことなんです。

私も今年で83歳、立派な高齢者です。そのため、自分の体のことも気にしつつ、やりたいことはまだまだいっぱいあります。

 

些細なやり取りも大切に、繋がりを持つことで助け合える

ー山崎団地のように、新しい取り組みにどんどん参加されている自治会は珍しいと思います。そういった姿勢の背景にはどのような思いがあるのでしょうか。

佐藤さん やっぱり地域の方々との繋がりを大切に、普段からコミュニケーションを取ることで、いざという時にお互い助け合えるんですよね。例えば、近くに桜美林大学ができた時も、事務局の方がすぐにご挨拶に来てくださったり、山崎高校も校長先生が変わる時にはお話をしたり、何かしら”とっかかり”は持っていた方がいいと思っています。

 

インタビューを受ける佐藤さん

 

ここ数年で名店会との交流も増えました。以前は自治会と名店会の間での情報共有や話し合いが不足していましたが、現在はよく連携を取っていて、名店会の会長の綾野さんとも「何かあったらお互いに相談しましょうね」とお話しています。

近年は自治会と名店会の連携が活発に

 

最近では山崎高校の校長先生からご依頼を受けて、高校生の”探究学習”のお手伝いをしています。この活動は、高校生たちが山崎団地について学び、団地内で活動できることを目指すものです。

この活動を通じて、高校生たちが定期的に団地を訪れるようになり、私たち自治会役員も一緒に活動する中で様々な学びがあります。やっぱり実際にお話をすることで、「今の高校生はこういうことを考えているんだ」と気がつく場面も多く、大人だって知らないことがたくさんあると感じますね。いくつになっても日々勉強です。

「修学旅行に行くのでお土産を買ってきます!」と言ってくれる学生さんもいて驚きましたが、みなさん素直に接してくれるのが嬉しいです。

ー佐藤さんは自治会やボランティア活動を通して、様々な世代や団体と交流されていますが、最近はどのような動きがありますか?

佐藤さん この団地内や近隣施設でも、色々な企画が立ち上がっていますよ。
例えば、団地内の正和幼稚園を中心に進められている「多世代が集う、山崎団地冒険遊び場プロジェクト」では、団地商店街の裏山をプレイパークとして開放する「冒険遊び場」や食材を持ち寄ってBBQを楽しむ「持ち寄りBBQ」が昨年から始まりました。
これは団地を活用した子どもたちの第三の居場所づくりを中心に、多様な世代が交わる機会に繋げていこうという活動です。

 

持ち寄りBBQの様子

 

山崎団地の自治会も運営委員会に入っているので、色々な話をお聞きしながら、協力できる部分をお手伝いしています。​​山崎高校の学生さんも勉強の一環で参加していて、盛り上がってきていますね。

また、桜美林大学のみなさんとも交流することが多く、団地の中で演奏会や落語会の開催や、絵画の展示など、団地を活気づけてくれます。今日もこの部屋に飾ってある絵を描いてくれた学生さんが、週末のイベントに向けた打ち合わせに来てくれる予定です。

 

自治会のイベントでもよく利用されるスペースには、桜美林大学の学生が描いた絵が飾られている

 

桜美林大学の学生によるライブパフォーマンス

 

広々とした自然の中で、思いのままに暮らせる豊かさ

ー最後に、佐藤さんの思う山崎団地の魅力についてお聞かせください。

佐藤さん ぜひ、私の山崎団地に対する思いを聞いてください。この団地を選んだ理由は、都会にはない緑や綺麗な空気、小鳥のさえずり、季節の花々と出会えるからです。

団地の周りにも素敵なところがたくさんあります。歩いて行ける距離にもリス園、ダリア園、菖蒲園、梅林、牡丹園など。蓮池はちょうど今の夏の時期、早朝に見にいくと見事ですよ。地元の野菜を売っている場所や、思いのまま歩き回れる広場もありますしね。

 

佐藤さんの思う山崎団地の最大の魅力は、豊かな自然があるところ

 

気持ちが荒んでいる時でも、この広々とした場所で心を開放して楽しめば、悩みも忘れてしまいます。お気に入りの場所を見つけて読書をしてみる、ゆっくりと手仕事をするのもいいかもしれません。

町田市は半分都会で半分田舎のような、両方の良さを持ち合わせているところが魅力かなと思います。もちろん都心ほど便利ではないですが、この豊かな緑と綺麗な空気はここでしか味わえないものですから。

編集後記
今回のインタビューでは、町田山崎団地の自治会長である佐藤禮子さんのお話を通じて、団地という場所が持つ特有のコミュニティの奥深さに、改めて気づかされました。
佐藤さんは、自治会長という立場でありながら、その肩書きにとらわれることなく、柔らかな眼差しでこの団地の人々と接しています。
「些細なやり取りも大切に、繋がりを持つことで助け合える」という言葉は、何気ない日常の中に潜んでいる、ささやかな幸せを見逃さないためのヒントのような気がしました。団地という空間が持つ、時間の流れや人々の距離感、それらが醸し出す独特の温もりを感じました。
桜美林大学や山崎高校との連携プロジェクトも印象的でした。未来の世代と現在の世代が、同じ空間の中で交わり、共に成長していく。そのプロセスにこそ豊かなコミュニティを築いていくヒントが隠されているのかもしれません。
佐藤さんの語る言葉一つ一つに、町田山崎団地の豊かさと、それを支える人々の静かな誇りが感じられました。この団地には、日々の生活の中で自然に生まれる、ささやかな幸せが溢れているようです。
今回の取材を通じて、町田山崎団地の魅力や可能性を少しでも感じていただけたなら嬉しいです。
次回もまた、どうぞお楽しみに!

2024年8月、タイニーハウス宿泊施設「㐂Kinomats」が淡路島に誕生しました。
そこではYADOKARIのオリジナルタイニーハウス「Tinys INSPIRATION」をご活用いただいております。

淡路島の美しい夕日、そして耳に心地よく響く波音の中で、自然との一体感を味わえるこの施設には、オーナーの藤澤さんの温かい想いが込められているのだとか。
今回は「㐂Kinomats」の藤澤さんにお話を伺いました。施設の魅力や、そこに込めた想いについてお伝えします!

ーータイニーハウス宿泊施設「㐂Kinomats」とはどんな施設なのでしょうか?

藤澤さん(以下敬省略):「『㐂Kinomats』は、淡路島の自然を存分にお楽しみいただけるミニマムで贅沢な空間です。
特にお楽しみいただけるポイントは、目の前に広がるオーシャンビューと『日本の夕日100選』にも選ばれている播磨灘に沈む美しい夕日。ここでしか味わえない特別な時間をお過ごしいただけます。

施設の外にはプライベートサウナも設置しています。ミニマムとは言えども、4人までご宿泊いただけるので、家族や友達などたくさんの方にご利用いただきたいと思っています。」


ーー『㐂Kinomats』のオープンには、どんなきっかけや想いがあったのでしょうか?

藤澤:「淡路島へは日帰りで観光に来られる方が大変多いのですが、この場所の本当の魅力は夜にこそあると思っていて。淡路島の夜の美しさをもっと多くの人に楽しんでもらいたいと思ったことが、施設をオープンすることに決めたきっかけです。

静けさの中で星空を見たり、波音を聞きながら大切な方と特別な時間を過ごしたり。そんな非日常的な時間を、是非体感してほしいと思っています。」

ーータイニーハウスの導入を決めたきっかけを教えていただけますか?

藤澤:「タイニーハウスを導入した理由は2つあるのですが、1つ目は、宿泊事業を始めることへのハードルが低くなることです。

家族が30年前にここ淡路島で宿泊業を営んでいたことがあるのですが、この場所での運営は初めてでした。タイニーハウスであれば、初期費用を抑えることができますし、他の用途にすぐに切り替えられる柔軟性がありますよね。安心して宿泊事業をスタートさせることが出来ると思ったんです。

2つ目は、宿泊単価を抑えることができること。

淡路島を訪れる多くの方が日帰り観光を選ぶ理由の1つに、宿泊単価の高さがあると考えています。大学生や子育て世代など、幅広い世代の方々に気軽に来ていただきたく、なるべく宿泊単価を抑えたいと思っていて。初期費用を抑えられるタイニーハウスでなら、それが実現できるのではないかと考えました。」

ーーそうだったのですね。中でもなぜYADOKARIのタイニーハウスを選んでくださったのでしょうか?

藤澤:「YADOKARIを選んだ決め手も2つありました。まず1つは、プロダクトがすごく魅力的だったこと。

他社の製品と比べて、YADOKARIのタイニーハウスは、まるで本物の家のような温かみが感じられるデザインでした。淡路島の雰囲気にぴったり合うと思ったんです。

2つ目は、担当者の方と実際に話をしてみて、タイニーハウスの搬入から施設を運営させるまでのプロセスが具体的にイメージできたこと。安心感を持って選ぶことができました。」

ーー実際に宿泊した際のおすすめの過ごし方や観光スポットがあれば、教えてください。

藤澤:「是非、当施設自慢のバレルサウナを楽しんでいただきたいです!

4人で一緒にお入りいただけるので、家族や友人と一緒に賑やかにサウナに入っていただくのも良いですし、静かに波音を聞きながら、星空の下でリラックスしていただく時間も格別です。

夏場でも冷たい水風呂をご利用いただけるよう充実した設備を備えていますし、冬にはカボスなどの柑橘類を浮かべた温かいお風呂もご用意する予定です。季節ごとに異なる過ごし方でお楽しみいただけるかと思います。」


「さらに、近くには日本を代表するアニメキャラクター『ドラゴンクエスト』や『クレヨンしんちゃん』をモチーフにしたテーマパーク『ニジゲン ノモリ』がありますし、近くの海では、ジェットスキーやサップなどのマリンスポーツをご体験いただけます。

グルメも淡路島ならではの楽しみの1つ。施設の目の前には、バーベキューができる飲食店やお洒落なカフェがあります。地元の新鮮な海の幸や、淡路牛を使った料理もぜひ味わってください。」

Q: タイニーハウスの内装デザインにも、藤澤さんの特別な想いが込められていると伺いました。どんなこだわりがつまっているのでしょうか?

藤澤:「内装には、北欧風の洗練されたデザインに、日本の温かみ溢れる和の要素を融合させた『ジャパンディ』というデザインを取り入れています。かつて私の家族が営んでいた旅館が持つ和のテイストを彷彿させつつ、タイニーハウスの外観と調和するようなデザインとなるようこだわりました。

また施設内には雨の日でも楽しんでいただけるよう、スイッチなどのアクティビティを用意しています。親御さんがサウナをお楽しみいただいている間にお子様がゲームで遊べたり、大学生にワイワイと楽しんでいただいたりなど、タイニーハウスでの滞在も満喫していただけたら嬉しいです。」


淡路島での特別な時間を「㐂Kinomats」で

淡路島にオープンした初めてのタイニーハウス宿泊施設「㐂Kinomats」で、非日常的なひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。藤澤さんの想いと淡路島の魅力がつまったこの場所で、日帰りでは味わうことのできない豊かな時間を、是非お楽しみください!

▼㐂Kinomatsの詳細・ご予約については、公式インスタグラムから
https://www.instagram.com/awaji_kinomatsu/

創業10周年の節目に、企業としてのパーパス(存在意義)を「生きるを、啓く。」に定めたYADOKARI。自己の現在地を確かめ、“これまで”と“これから”をつなぎ、YADOKARI文化圏を可視化する機会として2024年7月6日に開催した「鏡祭」において、狼煙を上げるように発表されたこのパーパスはいかにして生まれたのか? 共同代表のさわだいっせいと、ブランドフィロソファーの伊藤幹太、アートディレクターの工藤駿が道筋を振り返る。


工藤 駿
Art Director / Graphic Designer

1991年秋田県北秋田市生まれ。 静岡の大学でデザインに興味を持ち、卒業後上京してエディトリアルデザインの事務所にてデザイン制作の基礎を学ぶ。その後、NOSIGNER株式会社にてソーシャルデザインやブランディングを中心としたデザイン戦略の経験を積み、2018年よりフリーランスへ。 現在は言葉をお守りにするサービス「KOTORI」など、自身でプロダクトの制作を行いつつ、世の中の意義ある取り組みや、秋田を中心とした地方のデザインに活動の重きを置いている。


伊藤 幹太
YADOKARI株式会社 ブランドフィロソファー

神奈川県横浜市生まれ。新宿在住。2019年にYADOKARIジョイン。恋話を通じて、人と人との関係性について考えるのが好き。2024年から、ブランドの核となる精神・思想・哲学を探究し、文化圏へ浸透させていく役割「ブランドフィロソファー」に就任。


さわだ いっせい
YADOKARI株式会社 代表取締役/ Co-Founder

兵庫県姫路市出身。10代でミュージシャンを目指して上京し、破壊と再生を繰り返しながら前進してきたアーティストであり経営者。IT企業でのデザイナー時代に上杉勢太と出会い、2013年、YADOKARIを共同創業。YADOKARI文化圏のカルチャー醸成の責任者として、新しい世界を創るべくメンバーや関係者へ愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人に会うことを惜しまない。逗子の海近のスモールハウスをYADOKARIで設計し居住中。

哲学する部署の新設

ー YADOKARIの新パーパス「生きるを、啓く。」を考え抜いてきた、フィロソフィーボード(現 フィロソフィーユニット)の幹太さんと工藤さん、さわださんに、この言葉に込めている思いや誕生の背景を伺いたいと思っています。そもそも「フィロソフィーボード」という部署が立ち上がった経緯は?

さわだ: 僕は2022年11月〜2023年3月までお休みをいただいていたんです。自分たちで創業したYADOKARIが成長するにつれて、僕自身とYADOKARIとの距離をどう取ったらいいのか分からなくなって調子を崩して。その休んでいる間に、家族やYADOKARIのメンバー、仲間の温かさや優しさに改めて気付かされる体験が多々あり、意識の変容が起きたんですね。今まで僕はとても利己的だったけど、利他の心が湧いてきた。僕にはまだ周りの人のためにやるべきことがあるし、社会にとってやっぱりYADOKARIは必要だという思いが、僕をここに復帰させました。

その時思っていたのは、会社が経済的に大きくなっていくことと、もともとYADOKARIが持っていた文化や思想、精神性を両立させることが、「社会にとって」重要なんじゃないかということ。会社がいくら大きくなっても、そこで働いている人たちが忙しさや本意でないことに身を削られて幸せじゃなかったら意味がない。昭和的な資本主義偏重への反発みたいな思いもあり、個人の幸せ・会社の幸せ・社会の幸せを常に考えておく、つまり哲学が大事だなと思って、「フィロソフィーボード」というチームを経営直下でつくることにしたんです。これが、僕が復活して最初にやった仕事。僕一人が「こういうこと大事だよね」と言っていても、会社の中ではいつの間にかうやむやになりがちだし、経営的なジャッジも難しい。この価値観を大事にしていくために、名前をつけて組織化したんです。

YADOKARIで自分は何がしたいだろう?

ー フィロソフィーボードのメンバー構成はどんなふうに決まったんですか?
幹太: さわださんが「こういうのやりたいんだよね」と言っていて、「僕、それやりたいです」みたいな感じだった気がしますけど…

さわだ: そうそう、 “理想を掲げる”というか、一般的な会社の仕事や社会システムの枠組みから少し外れるようなことを許容できるYADOKARIの良さを、これからもそのまま大事にしていきたくて、この感覚を説明しなくても分かってくれるのは幹太かなって。

ー そこへの信頼があったんですね。幹太さんはなぜやりたいと?
幹太: その時、僕も迷いの中にいた時期だったんですよね。YADOKARIのフェーズも大きく変わる中、「俺はここでこれからどうしていくんだろう?」と悩んでいたんです。その時、上杉さんに飲みに誘ってもらい、「幹太は今までYADOKARIにとって必要なことをずっとやり続けてきてくれたけど、幹太自身から“俺はこれを絶対にやりたい!”と言ってくれたことがないから淋しい」と言ってもらったんです。僕も会社を信頼し切れていなかったかもしれないと反省して、じゃあ、もし何でもやらせてもらえるなら何がしたいだろうと。

さわださんが言ったような、精神や文化と、経済性や波及力がちゃんと重なる所を僕自身も見たいし、僕は経済性や事業性をつくっていくのは苦手だけど、YADOKARIを主語にして“これだけは守っていきたい”ということを語るのは自信があった。それで上杉さんと飲んだ翌週、フィロソフィーボードの中でYADOKARIとしての文化や精神に取り組んでいくための何か役割を、僕に持たせてほしいと言いました。

さわだ: 「いろんな枠組みを取り払って、何か面白いことやろうよ!」ということに、最優先に取り組めるYADOKARIでありたいよねと再確認し合った。それを僕や上杉はもう10年以上やってきてるから、ひと回りくらい下の世代が語れるようにならないといけないという意識も強くありました。

ブランドフィロソファーとして、YADOKARI10周年鏡祭の総合ディレクターを伊藤が担当した。

もう一度、YADOKARIを見つめ直す

ー こうしてフィロソフィーボードが立ち上がったんですね。その最初の取り組みがパーパスの策定だったんですか?

幹太: 「パーパスをつくろう」みたいなことからは始めていないですね。まずは「YADOKARIって何なのか?」という所を見つめ直していきたいというのがきっかけ。少ない人数でやっていた時は、あえて言葉にして共有しなくても、一緒に過ごす時間の長さや密度に頼ることができたんだけど、会社が大きくなっていく中で「YADOKARIとは?」と聞かれた時に、きれいに打ち返せるアイテムが自分たちの手の中に無いと感じていたんです。

さわだ: そうそう。もともとはYADOKARIのブランディングやクリエイティブをアップデートしたかった。そこでアートデイレクターを募集して、手を挙げてくれたのが工藤さん。工藤さんにヒアリングしていただきながら、「YADOKARIって何?」を深掘りしていく過程で、「ミニオス」*①・「アドリブ」・「バグ」という3つのキーワードが出てきました。

*①:「ミニマル」と「カオス」を掛け合わせたYADOKARIの造語。自身の本来性から能動的に人生をつくろうとする一人ひとりを「ミニマル」な状態と捉え、多様な「ミニマル」が集まって創造性を発揮することで想像以上の何かが生まれ続ける混沌とした状況や集団を「ミニオス」と名付けた。

ー なるほど、パーパスを決めようというよりも、YADOKARIらしさを見つめ直してみることが発端だったんですね。工藤さんとYADOKARIが一緒にお仕事をするのは今回が初めてだったんですか?

工藤さん(以下敬称略): そうなんです。

さわだ: もう10年来という感じですけどね。

工藤: でも、僕もすごく波長が合う感じは最初からあったので、楽しかったです。YADOKARIの今までの話を聞くたびに、僕はそこにはいなかったはずなのに、なぜかものすごく感情移入して面白かった(笑)

−会社としてのアイデンティティとなる部分に、初めてのお仕事の中で取り組むことへのプレッシャーはなかったですか?

工藤: 特になかったですね。もちろん真剣にしっかりと考えたいという思いは共有していましたが、皆さんの人柄もあり、重たい感じはなかったです。先ほど「アドリブ」というキーワードが出ましたが、話す中でお互いが即興でつくり上げていくセッションみたいな対話となり、僕も楽しみながら取り組みました。「生きるを、啓く。」という言葉も、僕が考えたというより、対話の中から自然と生まれてきたように思います。YADOKARIに関わった人たちが皆、「自分の生きる道を啓かれる」体験を持っているという話が非常に印象的で、それを全面に押し出していくのがいいんじゃないかというのが最後の着地でした。

幹太: プロセスとして、パーパスをつくろうとか、VMVを決めようみたいな設定の中で進めていくと、もっと緊張感が出たかもしれないけど、「そもそもYADOKARIって何?」について、誰より僕ら自身が納得したかったし、だからこそ高いモチベーションとピュアな気持ちで取り組めたと思います。議論したことを、全員が納得できる足跡になるように表現していくことが工藤さんはすごく得意。皆で一つのものを目指していくための優れた「手」を持っている人だなと思いました。

さわだ: 本当に一つずつ腑に落としながら、階段を上れた感じ。

工藤: 全5回くらいだったかな。とにかくさわださんと幹太さんの話を深掘りして、キーワードを徹底的に洗い出してまとめることの繰り返し。その中で出た印象的なワードが「ミニオス」と「アドリブ」と「バグ」ですね。この3つを持っているのがYADOKARIの精神なんじゃないか。また、それに触れた人たちが“啓かれる”体験をするということが、YADOKARIの「役割」としてあるんじゃないかと。これを位置付けるなら「パーパス」だね、という所に落ち着いたんですよね。

YADOKARIを掘り下げていく際に工藤さんがまとめてくれた図

YADOKARIの精神「ミニオス」、「アドリブ」、「バグ」

−ヒアリングが一つ一つ確かめていくような時間になったんですね。3つのキーワード「ミニオス」、「アドリブ」、「バグ」について、もう少し詳しく教えていただけますか?

幹太: 「ミニオス」は最初に出てきた重要なキーワードです。YADOKARIでは、一緒に仕事をした方が進路を変える、というのが本当によくある風景。例えばプロジェクトが終わった後に「来年も一緒にやりましょう!」と言うと、「実はYADOKARIさんと一緒にやってたら、自分の世界がすごくちっぽけに思えるようになったので、会社辞めて海外行くことにしました」みたいなことが多々ある。それは事業の直接的な成果にはならないけど、YADOKARIの存在意義として大きいんじゃないかって。

関わった人が、「自分なりにこう生きたいと思うものに沿って生きていいんだ」というマインドを獲得していく。それは僕自身も体験していて、僕は大して意志も特徴も無かったけれど、面白そうだと思ってYADOKARIに入ってやっていく中で、自分の生きたい中心や方向がどんどん見つかっていった。ぼんやりしていた視界がクリアになって、一人ひとりが自分の人生を自分の手に取り戻していく。「ミニマル」とは、本当はそういうことなんじゃないかと。そのミニマルな人々が集まったり重なったりして作用し合う中で、全然違う面白い風景を見つけていくのがYADOKARIにいる意味なんだと思います。

工藤さんがまとめてくださったように、一人ひとりの色がはっきりしながら集まっていき、YADOKARIの中で溶け合っていくグラデーションみたいなこの色合いを「美しい」と僕らは捉えているんじゃないだろうか、というのが「ミニオス」が示すものです。

幹太: 2つ目の「バグ」は、常識に囚われない感覚のことです。YADOKARIの創業時、社会的には大企業に入って、長期ローンを組んで返済しながら生活していく、みたいなことが「当たり前」だとされていた中で、もっと自分たちにとって理想的な家の在り方や暮らし方があるんじゃないかとその常識を疑って、ミニマリズムやタイニーハウスを発見していったというスピリットみたいなものが、YADOKARIには今も一貫してあると思います。

クライアントさんから依頼をいただく時、よく聞くのが「YADOKARIさんなら、何か面白い提案や新しい可能性を見出してくれると思って」というお声。それはおそらく、僕らが常識に囚われずに、楽しみながら自分たちの辿り着きたい場所を見出していく性格をしているから言われることだと思うんです。社会の中で「バグ」を探求していく姿勢ですね。

幹太: 3つ目の「アドリブ」には2つの示唆があります。1つは、「アドリブ」という言葉の成り立ちなんですが、「リブ」という言葉には、リバティにも通じる「自由」という意味があります。それを「アド(加える)」するから「アドリブ」。メンバー一人ひとりの“自分なり”みたいなものを混ぜ合わせながら仕事をしていく、その人の個性が仕事の中に立ち現れる自由さがYADOKARIにはある。さらにそれを俯瞰してみると、2つ目の示唆として、YADOKARI一人ひとりの個性に基づく自由さが加えられて全体がうまく噛み合って進んでいる状態が、ジャズのセッションみたいに音楽的でもある、ということで「アドリブ」というキーワードが定まりました。この3つが、YADOKARIの精神として大事だという議論がありましたよね。

工藤: そうですね。僕も改めて、「ヤドカリ」という生き物自体が「生きるを、啓く。」を体現していると感じてきました。成長に合わせて家を変え、その変化・変異を受け入れながら、もがきながら生きていく姿勢があるような気がする。ハサミもあって何か切り開いていく感じがしますし、「生きるを、啓く。」を象徴している生き物なんじゃないかと、改めてそういうふうに見えてきた感覚があります。

幹太: この3つキーワードが見えてきた辺りで、メンバーにヒアリングしようということになりました。僕らから出てきた言葉ではあるものの、僕らの頭の中だけでつくり出したものに過ぎないんじゃないかという疑いもあって、皆が思っているYADOKARIらしさから乖離していないか確認したくて。それでけっこう時間をかけて、メンバー全員にヒアリングをしていったところ、全く齟齬がなかった。ここで「タイニーハウスこそYADOKARIらしさ」みたいな声が出てくると、先ほどの3つのキーワードや「生きるを、啓く。」が示すアイデンティティからズレてきちゃうんだけど、ほとんどのメンバーが回答してくれたのは「常識に縛られずにやっている感じ」とか「振り返った時に自分自身がすごく変化している」みたいな話ばかりだったんですよね。だから僕らが考えてきた方向性は、やっぱり間違ってなかったんだと確信できて、足元をしっかり踏み固めながら、さらに歩みを進められたと思います。(417)

さわだ: VMVやパーパスって、トップダウンで決められることが多そうじゃないですか。会社ってこういうものだからという。でもそれは、僕がそもそもやりたいボトムアップの精神とは違うと思った。僕は社長らしい社長ではないけれど、何かこれだけは本気でそうしたくないと思いました。パーパスのようなものを会社でつくると、社内で「あーはいはい、それ一回聞きました」みたいな空気になることもあるけど、僕はそれが非常に嫌い。つくったパーパスに皆もちゃんと乗って、自分の意志や魂が入って、皆で実現していくものじゃないと意味がない。皆で一つの大きな波にしていきたい。でも、この「生きるを、啓く。」を全社会議で発表した時に、皆がすごく賛同してくれたんです。響き合いというか、共感のバイブスというか、そういうものがブワッと広がった感覚がありました。

「生きるを、啓く。」の今後

ー メンバーがこれまでYADOKARIを通じて体験してきたこととリンクして、「生きるを、啓く。」が皆の中にストンと落ちたんですね。このパーパスを、フィロソフィーボードとしては今後どのようにしていきたいでしょうか?

さわだ: そうですね、「鏡祭」は意思表明だったから、ここからはスピードを上げて、「大きな世界へ行くぞ!」という覚悟を持って進んでいきたいです。

幹太: 「覚悟」って言葉が出た時点で、さわださんはこれを信じ抜いてるなって。僕はまだ少し怯えているけど。でも、タイニーハウスが住宅ローンからの解放だったように、世の中には自分を縛っているものがたくさんあると思うんです。もしかしたら自分で自分を縛ってしまっていることもあるかもしれない。そういうことから解き放たれて、一人ひとりが意志を持って「こういうふうに生きたい!」という方向へ皆が歩いていける世界を本気で信じたいし、YADOKARIをそこへ連れて行こうと思っています。その約束を日々守り、形にしていくのはすごく大変だけど、自分たちがちゃんとやれているのか確かめながら進んでいきたい。「鏡祭」はそういう「向き合う」意味で立ち上げました。1回目は宣言や覚悟を示した場になりましたが、今後も毎年開催して、「生きるを、啓く。」を決めた僕たち自身の姿を確認しながら、YADOKARIが目指す世界へ当たり前のように進んでいる推進力をつくっていきたいです。

工藤: 今回は制作する立場で関わらせていただき、 僕自身、かなりもがきながらグラフィックをつくりました。すんなり出てきたビジュアルではなく、幹太さんとも議論を重ね、試行錯誤しながらつくったものなんです。「彩豊かなミニオス」と、もがきながら変化していくもののシンボルとして、蝶とグラデーションを掛け合わせることでYADOKARIの精神がしっかり伝えられるんじゃないかと最終的に考えて、落とし込んだビジュアルでした。

僕はあくまで外部の人間かもしれないですが、YADOKARIメンバーの一人として考えたつもりです。そういう意味では、僕も切り開かれたというか、「生きるを、啓く。」に挑戦させてもらったんだと思っています。

幹太: 「鏡祭」をつくる側がまず啓かれていった感覚は非常にありますよね。そして実際に開催してみて、さわださんが言っていたような「波紋」みたいなものが広がっていくのを僕も感じることができた。その上で、YADOKARIとしてこれからこの精神性と社会性と事業性をどのように三位一体にして、一つの生き物みたいにして成長させていくのかに挑んでいかなきゃいけない。ここからは「生きるを、啓く。」を本当に僕たちの手足や行動にしっかり浸透させて、融合させていく。「鏡祭」はフィロソフィーボードが役割としてリーダーシップを取ったけど、各事業部や関わってくれる一人一ひとりと連携したり、向き合ったり、一緒につくったりしながら、YADOKARIのどこを切っても「生きるを、啓く。」なんだと言える状況を、僕はつくりたいと思います。

さわだ: フィロソフィーボードも、鏡祭の後に「フィロソフィーユニット」という組織に格上げされて、社内でより重要な部署と位置付けられました。僕が統括している文化醸成の領域で言えば、「生きるを、啓く。」に基づいたクリエイティブやメディアの刷新、それから成果としてすぐには目に見えにくいですが、ラボ的な活動も大事だと思っていて、これらが一つになって成熟していくといい。こうした動きの中で、一緒にアドリブ的に奏でていく人たちは皆、YADOKARIですよね。社員だとか、社員じゃないとかに関わらず。僕らはこれからも工藤さんと、YADOKARIをつくっていけたらと思ってます。また大変な思いをさせるかもしれないけど、よろしくお願いします。

工藤: いやいや、僕も同じ気持ちです。心はすでにYADOKARIの人間なので、ぜひ一緒に面白いものをつくっていけたらうれしいなと思っています。よろしくお願いします。

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編集後記

「生きるを、啓く。」それは私にとって、口にする度に力をもらえる言葉だ。まるでマントラのように。「こんなふうに生きたい!」を諦めないで、自分を縛る制約や、いつの間にかつくってしまった限界を突破しようともがくこと。その姿を「美しいね」と讃え、応援し合える仲間がYADOKARI文化圏にはいる。そこで私は何がしたいだろう? そして皆は何に挑むのだろう? YADOKARIにつながる人々の「生きるを、啓く。」をもっと聞かせてもらいたくなった。

「里沼(SATO-NUMA)」をご存知でしょうか?
人が自然と関わることで環境が保たれている地域を「里山」と言うように、沼の周りで自然と共調しながら人が暮らし、歴史文化が育まれてきた沼を「里沼」と言います。そんな希少な沼辺文化が存在するのが、群馬県館林市です。

動植物たちが暮らす自然の源、そして私たち人間の暮らしを支える水源としても利用され、館林市の歴史や文化と深く結びつくこの里沼は、令和元年に日本の原風景として価値づけられ、日本遺産に認定されています。

そんな里沼のすぐ近くに、YADOKARIのタイニーハウス「Tinys INSPIRATION」がお目見え。2024年4月にオープンした宿泊施設「里沼リゾート Hotel KOMORINU」の客室としてご利用いただいています。

日本遺産「里沼」のほとりでタイニーハウスに滞在することの魅力、施設がオープンするまでのエピソードについて、施設の運営に携わる館林市経済部つつじのまち観光課の清水さん、大森さん、大朏さん、施設の副支配人山本さん(以下敬称略)にお話を伺いました。

目を惹く外観と高い機能性。Tinys INSPIRATIONを施設の新たな魅力に。

—「里沼リゾート Hotel KOMORINU」とは、どんな施設なのでしょうか?

清水:館林を象徴する里沼のほとりで豊かな自然を味わいながら、手軽にアウトドア体験をお楽しみいただける施設です。施設内には2棟のトレーラーハウスに加え、たくさんの客室を備えた宿泊棟、施設のすぐそばにはキャンプ場も運営し、計3つの宿泊体験をご提供しています。

—大きな宿泊棟がある中で、別途タイニーハウスを設置していただいているのですね。なぜタイニーハウスの導入を決めてくださったのでしょうか?

清水:宿泊施設をリニューアルするにあたり、「多くの人の注目を集め、施設を囲む自然の魅力を引き出してくれるような何か新しい仕掛けが欲しい」と思っていました。そんな中、耳にしたのがタイニーハウスです。施設の新しい魅力となってくれるのではないかと期待しました。

—たくさんのタイニーハウスがある中でYADOKARIのタイニーハウスをお選びいただいたきっかけは何だったのでしょうか?

清水:YADOKARIのタイニーハウスを知ったのは、東京ビッグサイトで行われたトレーラーハウスショーを訪れた時でした。Tinys INSPIRATIONは目を惹くお洒落な外観で、アウトドアを楽しむ宿泊をより快適なものにしてくれる水回り付き。想定予算の範囲内で当時検討していた別のタイニーハウスよりもスペックが高いものでした。「これも良いね!」と職員2人で意気投合し、検討し始めました。

大朏:施設のコンセプトでもある美しい里沼の景観に溶け込むようなデザインに出来ないかとご相談させていただきましたが、その点に関してもYADOKARIさんには柔軟に対応いただけ、こちらもとても助かりました。

—ありがとうございます。どんなデザインにしていくか、一緒にイメージを膨らませながら決めていきましたよね。

大朏:この場所が、沼に面した景色の良い場所なので、景観を邪魔することなく、ここでの滞在を楽しめるようなデザインにしたいという思いが強くありました。

YADOKARIさんの方でこれまでの実例などをお見せいただき、具体的に完成した姿をイメージしながら選ばせていただくことができて、とてもよかったです。

楽しみながらデザインを考えていくにつれて、自分たちの中にも「もう少し広さのあるステップやデッキがほしい」などというようなこだわりが湧いてきて…。こうしたDIYに心得のある職員がおりましたので、彼を筆頭に複数の現業職員たちに協力を仰ぎ、業務の合間を塗って作業を完成させました。

「あの建物、なんだろう?」タイニーハウスが地域の注目の的に

—オープン後、お客さんの反響はいかがでしょうか?

山本:世代や住んでいる地域を問わず、多くの方にお楽しみいただいておりますが、実は、遠方からの旅行ではなく、館林にお住いの方など近隣地域の方も多くいらっしゃっているんです。通りすがりに見かけて、興味を持って来てくださったようで、やっぱりタイニーハウスは目を惹くものなのだなと実感しています。

—他にも宿泊棟や、キャンプ施設を併設されていますが、タイニーハウスでの宿泊だからこそ得られる体験には、どんなものがあるのでしょうか。

山本:まず1つ目は、他の客室とは比べ物にならないほど壮大な沼辺の景観を間近に楽しめることです。周囲の自然を思う存分お楽しみいただけるよう、可能な範囲で一番大きなサイズの窓を設置していますし、お天気の良い日は、デッキに出て、コーヒーを飲んだり、本を読んだり、この景色の中で思い思いにお過ごしいただけます。

以前地域の方がいらした時には、デッキに椅子とテーブルを置いて、まったりとお過ごしいただいている姿が印象的でした。お近くにお住いの方でも、タイニーハウスでの滞在なら、いつもとは違う特別感を気軽に味わっていただけるのではないでしょうか。

山本:2つ目は、広い自然を自分の占有空間にし、プライベートな時間をお過ごしいただけることです。
トレーラーハウスの室内そのものは非常にミニマムなものですが、開放感を感じていただけるよう、屋外空間を広く確保しています。

この中で花火やBBQをしていただくことも出来ますし、この空間を活かして、思う存分楽しんでいただけたらと思っています。
2棟ご予約いただいた際には、この広い空間を完全にプライベートな空間にしてお楽しみいただけますので、団体での利用などにもオススメです。

—こんなに広い空間を占有できるなんて、いろんな楽しみ方がありそうですね。

大森:そうですね。トレーラーハウス周辺を占有空間としていただきながら、宿泊棟の大浴場やレストランをご利用いただくこともできますし、里沼の周りを一周できるウォーキングコースも整備されています。

宿泊棟には、シェフが手掛けた本格的な洋食を楽しめるレストラン「Four Season Dining」が。

大森:春は本当に桜が綺麗ですし、近くにはつつじの名所「つつじが岡公園」もあります。夏になると花ハス、秋には紅葉が楽しめ、冬場は沼に白鳥が飛来するなど、四季折々の自然をご堪能いただけます。
広い敷地内にある施設をご利用いただきながら、里沼がもたらす美しい自然を思う存分楽しんでいただける場所なんです。

沼周辺に佇む木の多くは桜の木。春になると桜を見に多くの人が立ち寄るベストスポットなのだそう。

山本:利便性を求める方はホテル、自然をワイルドに楽しみたい方はキャンプ、そして快適さと自然を最大限味わうことの両方を楽しみたい方は、トレーラーハウスというように、本当に多目的にお楽しみいただけることが、この施設の1番の魅力。

ライフステージや目的に合わせて客室をお選びいただき、穏やかな時間をお楽しみいただきながら、里沼の美しさを多くの方に知っていただける機会になれば嬉しく思います。

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人々の暮らしと深く結び付き、良好な環境が保たれてきた沼辺での時間は、まるで自然の一部になったかのような、そんな静かで穏やかな時間をお過ごしいただけるのではないでしょうか。

日本が誇る景観の中に佇むTinys INSPIRATIONで、里沼が生み出した自然と共にある豊かな非日常を是非、お楽しみください!

▼里沼リゾート Hotel KOMORINU 公式HPはこちら
https://www.hotel-komorinu.com/

2023年11月、群馬県の中央に位置した渋川市赤城町に新たなグランピングリゾート「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」がオープンしました。

赤城山は、群馬を代表とする夜景スポットのひとつ。日本百景のひとつにも選ばれている大スケールの夜景を一望できる施設です。
そんな絶好のロケーションに佇むグランピングリゾートの客室に、YADOKARIのオリジナルタイニーハウス「Tinys INSPIRATION」をご活用いただいています。

今回は施設を運営するブライトン株式会社ゼネラルマネージャーの矢部さん(以下敬称略)に、施設の魅力やタイニーハウスをご検討されたきっかけについて、お話を伺いました。その内容をご紹介します!

ーー新たに誕生した「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」とはどんな施設なのでしょうか?

矢部:1番の魅力は、目の前に広がるアートのように壮大な景色です。榛名湖の裾に広がる渋川や、伊香保の夜景、満天の星空をお楽しみいただけます。

当施設がある場所の標高は600mほどとそれほど高くはないからこそ、見上げることも見下ろすこともなく、常に目の前に美しい景色がある非日常をご堪能いただけることが、大きな特徴です。

満天の星空と四季折々の自然風景が非日常的な時間を演出してくれる。(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:またご夕食には、当施設自慢の“地産地消”グランピングBBQをご用意しています。お肉やお野菜などの厳選されたご当地食材をふんだんに使用し、ここ赤城だからこそ味わえる贅沢な味をお楽しみいただけます。

矢部さんが特にこだわったというお肉は和豚を扱う地元企業「グローバルピッグファーム株式会社」のもの。(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:また1日2組限定で、施設内にあるバレルサウナをご体験いただけることも魅力の1つです。木の香りやぬくもり溢れるサウナと水風呂、そして赤城の澄んだ空気の中でととのい、癒しのひと時を過ごしていただけたら嬉しいです。

ーー続いてタイニーハウスについてのご質問に移らせていただけたらと思います。今回、どのような理由から施設内へのタイニーハウスの導入を決めてくださったのでしょうか。

矢部:タイニーハウスは移動が出来るものや機密性がしっかりとしているものが多いイメージがあり、宿泊施設としてだけでなく、災害時の避難所として利用出来るということに惹かれて選びました。また減価償却期間が短く、期間後には販売が出来るということも、タイニーハウスを選ぶ決め手となったポイントです。

ーー今回、数あるタイニーハウスの中で弊社のタイニーハウスを選んでくださった理由は何だったのでしょうか。

矢部:日本にあるトレーラーハウスを扱う会社さんをたくさん調べた中で、全てのトレーラーが車検に通るYADOKARIのタイニーハウスを選びました。

検討した当初は、デザインに惹かれてアメリカのトレーラーハウスを導入したいと考えていたこともありましたが、群馬県はトレーラーハウスを設置するための基準が厳しかったため、車検が通る可能性の低い海外のトレーラーハウスは断念し、日本のタイニーハウスを導入することに決めました。
思いを込めて施設を作り上げたとしても、車検に通らなくて営業が出来ない…。なんてことになっては元も子もありません。必ず車検に通るという安心感が得られたのはとてもありがたかったです。

(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:また、アメリカのタイニーハウスはデザインそのものは素敵ですが、トイレやシャワーなど水回りが狭いものが多いんです。快適にお過ごしいただくためには水回りの広さを確保する必要があると思っていたので、トイレとバスが別々に設置され水回りを広く確保出来る「Tinys INSPIRATION」に惹かれました。

ーー本当にたくさんリサーチをされていましたよね。そんな中、弊社を選んでくださり、本当に嬉しいです。実際に数カ月稼働されてみて、お客様の反応はいかがでしたか?

矢部:満足度は大変高く、「とても快適な時間を過ごせた」というお声を多くいただいています。
当施設では、ドームハウスとタイニーハウスを設置しているのですが、2種類の空間があるからこそ分かるトレーラーハウスの良さのひとつに、室内の断熱性があると思います。普通の住宅に使用しているものと同様の断熱材を選んでいるため、寒い冬の季節でもエアコン1つで十分ポカポカになるんです。
もちろんドームハウスも寒さを感じることなくお過ごしいただけますが、部屋を温めるために、エアコンとファンヒーターの2つを設置しています。トレーラーハウスの断熱性能の高さには驚きました。

高い断熱性とミニマルな空間。部屋の温度調節を少ない電力で行えるということはタイニーハウスがもたらす小さな豊かさの1つ。(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:また空間が普通の家に比べてコンパクトだからこそ、内装を少し変えるだけで雰囲気を変えることが出来るのもいいですよね。今回は雰囲気の異なる2種類のお部屋をご用意しました。2回、3回と滞在しに来てくださったお客様には、以前とは異なるお部屋に宿泊して楽しんでいただけたらうれしいです。

(写真提供:ブライトン株式会社)

ーー最後に、記事を読んでくださっている方やご宿泊を検討されている方に向けてメッセージをお願いします!

矢部:「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」は、赤城自慢の美しい山々に囲まれた絶景スポットに佇むグランピング施設です。
そんな大自然の中に誕生した当施設ですが、実は都会からのアクセスもよく、赤城ICから自動車でおよそ5分。峠道や狭い田舎道などを通る必要はなく、気軽にお越しいただけるかと思います。
都会での喧騒から離れ、景観やお食事など、ここにしかない体験をお楽しみいただきながら、身も心も安らぐひと時を、多くの方にお過ごしいただけたら嬉しいです!

みなさまのお越しをお待ちしております!

(写真提供:ブライトン株式会社)

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今回お選びいただいた「Tinys INSPIRATION 11m」は、最大4名での宿泊が可能。リビングの大きな窓からは広いサンデッキへ出ることができ、アウトドアとのつながりや開放感を味わえるため、初めてのアウトドア体験や、ご家族でのご旅行にもピッタリです。

段々と暖かくなり、春の訪れを感じるようになりましたね。これからの季節に是非、「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」に足を運んでみてはいかがでしょうか。日々の疲れを癒し、特別な時間を過ごす機会として、タイニーハウスでの滞在を楽しんでいただけたら幸いです。

「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」公式サイトはこちら▼
https://www.gunma-resortglamping.com/

トレーラーハウス製作:YADOKARI株式会社
内装施工:丸和セレクトホーム株式会社

「地域を一つの大きな家族に」をビジョンに、小規模多機能ホームなどの介護・医療の事業を通して高齢者の方々の生活支援を行う傍ら、地域のコミュニティづくりにも取り組まれている「ぐるんとびー」。株式会社という枠組みを越え、NPO法人としても活動されているそのお姿は、いうなれば地域の何でも屋さんのような存在かもしれません。

そんなぐるんとびーさんは、今年5月に新しく本社「ぐるんとびー まちかどオフィス」を新設し、その一角にYADOKARIのタイニーハウス「ROADIE mini」を設置していただきました。まちづくりへの新たな仕掛けとして導入されたタイニーハウスを使用しているのは、なんと地域の子どもたち。駄菓子屋さんとして利用され、地域の方々が集まる賑わいの場となっているのだとか。

今回は、ぐるんとびー まちかどオフィスを訪問させていただきました!はたしてどんな場所なのでしょうか。ぐるんとびー代表取締役、菅原健介さんへのインタビューの様子と共にお伝えします!



最寄り駅からバスで7分ほど。住宅街の一角にあるのが「ぐるんとびー まちかどオフィス」。お庭でミーティングをするスタッフの方々、タイニーハウス周辺に集まる子どもたち、本やあたたかみのある家具が並べられた玄関から、まるでお友達のお家を訪れたかのような温かさがありました。


大人たちがお仕事をしているすぐそばで、綿あめをつくる子どもたち。働くことと遊ぶことが共にある温かい空間。

タイニーハウスの駄菓子屋が誕生!本社に佇むROADIEに込められた想い。

—まちかどオフィスの新設にはどんなきっかけや想いがあったでしょうか。

菅原さん (以下敬称略):私たちは、主軸である介護や医療といった福祉事業を行いつつ、その他にも子ども向けのスポーツクラブ「スポトレ」や、まちの人の困り事を助ける「御用聞き」などの様々な活動を行い、魅力的なまちづくりに向けて取り組んでいます。しかし、多くの地域の方からは「介護・医療関係の会社」というイメージを持たれてしまい、地域の方となかなか関係性を築けずにいることが現状です。

私たちの目指すぐるんとびーの姿は介護や福祉といった特定の事業を行う会社ではなく、住民の助け合いや共助を最大化する活動隊や、活動のプラットフォームのようなもの。その姿を実現するための新しいまちへの仕掛けとして、また、まちの人やぐるんとびーがもっとシームレスに繋がることのできる場所として、この拠点を構えることを決めました。

—タイニーハウスを導入していただくことになったのにはどのような経緯があったのでしょうか?

菅原:元々、タイニーハウスというものに惹かれていて、本社新設の機会に設置したいと考えていました。中でもYADOKARIのROADIEminiに惹かれたのは、この可愛らしさや、柔らかい雰囲気です。

ROADIE miniの耐用年数は20年程と聞いています。十分な強度はありますが、強度を売りにしているプレハブのようなタイニーハウスなどと比べると、やや弱いなという印象がありました。だからこそ、手入れをしながら、愛着を持って使い続けられるのではないかと思ったんです。いずれは名前を付けたり、子どもたちと壁の色を塗り替えて模様替えをしていきたいです。

—今回、駄菓子屋さんとして利用することになったのはどんなきっかけがあったのでしょうか。

菅原:この秘密基地のような空間を、子供達の占有空間にできたら面白いなと思いついたことがきっかけです。すでに本社の中で駄菓子屋さんを行うことが決まっていたので、このタイニーハウスの中で子どもたちがお店を開いたら面白いんじゃないかなって。
息子のソウスケとも相談し、彼が子ども店長としてタイニーハウスの中で「駄菓子屋クレヨン」を営業することに決めました。

—なるほど!ソウスケくんが店長なのですね。

菅原:そうなんです。駄菓子の仕入れから販売、売上や利益の計算まで全てソウスケがやってくれていて、苦手だった算数も自然とできるようになっています。他にも「もっと多くの人に助けてもらいながら営業するにはどうしたらいいのだろう?」、「お金が払えないお客さんが来たらどうしよう?」などと経営に関することを自ら考え、学ぶ機会にもなっているようで嬉しいです。ソウスケは学校にあまり行っていないのですが、学び方はひとつじゃなくていいと思っていて、このタイニーハウスが彼の学び舎の1つ。
もしこれからタイニーハウスで駄菓子屋さんを始める人がいたら、ソウスケがノウハウをレクチャーをさせてもらう日が来るかもしれない。そんな未来もあるのではないかと楽しみにしています。

週に2回オープンしている駄菓子屋さんは友人たちと一緒に営業。放課後になると、ソウスケくんの学校の友達がたくさん買いに来てくれるのだそう。

ヒントはメタバース?ぐるんとびーが目指すこれからのまちづくり

 
街の人が集うことのできる拠点として本社を構え、みなさんが理想とするまちづくりの実現に向けて新たな挑戦をスタートしたぐるんとびーさん。今後目指しているまちの在り方についてもお話をうかがいました。

菅原:私たちはまちづくりを通して「ほどほど幸せな毎日に感動できる豊かな人の繋がりを作る」ということを実現したいと思っています。

人間誰しも、楽しい日もあれば辛い日もある。日々の感情の振れ幅が大きい人がいれば大きい人もいて、毎日の過ごし方や幸せの価値観は、それぞれグラデーションのように異なりますよね。だから自分が何か悩んでいるときに、自分の親友が必ずその辛さを受け止めることができるとは分からないですし、どんなに親しくても打ち明けにくい悩みを抱くことだってあります。

そんな時こそ、助け合えるのは親しい人より近くにいる人。他の人の暮らしを覗かせてもらうことで、もっと深刻な悩みを抱えている人の存在を知って悲しみが少し和らいだり、気づけていなかった幸せに気がつくことできるのではないでしょうか。たとえ助けようとしなくても、誰かの暮らしている姿や些細な声掛けが、思わぬうちに誰かを助けているということが起こり得ると思っています。

—たとえ深く関わり合わなくても、ただ同じ場所で生きているということが誰かの助けにつながるということでしょうか?

菅原:はい。誰かの行動が、たとえ繋がっていない人や見えていない部分に機能することだってあると思っています。なぜなら、1つのまちの中には、見えていないたくさんの世界、つまりメタバースのようなものが存在しているからです。

—メタバースですか?

菅原:メタバースというのは、通常インターネット上にある複数のコミュニティのことを指しますが、私は、私たちの暮らしの中にもたくさんのメタバースが存在していると思っています。

例えば、私たちが暮らしているこの地球には、アリや微生物など他の生き物の世界も存在していますよね。私たちの日常の中で存在を意識することのない微生物だって、私たちに知らぬうちに恩恵をもたらしてくれていますし、自分たちが何気なくシャベルで土を掘ったその瞬間に、実はアリの家族が大崩壊している、なんていう見えていない世界があるわけです。

私たちの住んでいる地域においても同じようなことが言えます。例えば、まちの中には、インフラのこと、福祉のこと、テクノロジーのことなど、それぞれ別のことを考えている人がいます。つまり、同じまちの中に住んでいたとしても、それぞれの人間が見ている世界が全然違うんです。もちろん他の世界を見ることはできませんし、自分の世界が他の人の暮らしにどのように機能しているかは分かりません。ですが、必ず影響し、恩恵を受け合いながら私たちの暮らしは成り立っています。つまり、日々幸せに生きることが出来るのは同じまちの中で、異なる世界を生きている多くの”誰か”のおかげなんです。

私たちは、そんな「おかげさま」の気持ちを持って共に暮らすことが出来るあたたかなコミュニティを作っていきたいと思っています。「おかげさま」の気持ちを多くの人が感じながら生きるその先に、私たちが目指す「ほどほど幸せな毎日に感動できる豊かな人の繋がり」のある社会が誕生するのではないかと考えているのです。

編集後記

「おかげさま」

インタビュー中も何度も繰り返されていた「おかげさま」という言葉。自分の生活は多くの人の恩恵によって成り立っていること、そして自分の行動も、世代を越えて誰かの幸せや暮らしを作っていると気が付かされるこの言葉は、一人ひとりの人生を輝かせる力を持った言葉であるように考えさせられます。

そうして、見えない世界とのつながりを意識してみると、自分の暮らしがより新鮮に、そして輝かしく思えると共に、自分の暮らしが世代を越えて誰かの暮らしを豊かにしているかもしれない、そう思えることはとてもここちが良く、菅原さんがおっしゃっていた”ほどほどの幸せ”を感じられているような感覚になりました。

場所・時間・お金にとらわれず、自分にとっての幸せな暮らしを模索している最中の私ですが、「固定観念」に縛られない新たな暮らしを開拓しながらも、そんな冒険が出来るのは、先人たちからの恩恵や周囲の人のお陰であり、そのことへの感謝の気持ちを忘れてはならない、そう確信できた訪問でした。

「会社」という枠組みを越えて人の暮らしやほどほどの幸せのために活動を続けるぐるんとびーさんの新たな挑戦、また子どもたちの新たな学びの場としてタイニーハウスを選んでくださったことをとても嬉しく思います。今回のぐるんとびーさんとの出会いは、「タイニーハウスを通してこれから、どんな新しい発見や学びと出会えるだろう」そうワクワクせずにはいられないものでした。

2024年7月20日(土)、相鉄本線 星川駅と天王町駅をつなぐ高架下施設「星天qlay」にて、初となるイベント「星天qlayの日」が開催されました!

いつもとは違うメニューを楽しめたり、普段は出会えない人とお話ができたり…。
そんな特別な体験と共に、星天qlayを普段より「もっと」楽しむことが出来るのが、この「星天qlayの日」です。

当日は、全長1.4mの高架下に展開された飲食店やカフェ、住居などたくさんの施設が一日限定のイベントや特別企画をご用意。合言葉「生きかたを、遊ぶ」を体現して皆さまをお出迎えしました。

はたしてどんな1日となったのでしょうか?イベントや特別企画が開催された3つのゾーンの様子を覗いてみましょう!

トークイベントから、一日限定の特別メニューまで。多種多様な体験で溢れた《Cゾーン》

今回は、ワオキッズにてトークイベント「星天qlayLAB(ラボ)」を開催しました。その他、特別企画の様子も併せてお伝えします!

●星天qlayラボvol.6 次の時代を”ソウゾウ”する遊びの力とは 「やってみたい」を応援しあう、まちと親子の関係性

「生きかたを、遊ぶ」というテーマについて多様な視点で考える「星天qlay LAB」。

今回は「次の時代を”ソウゾウ”する遊びの力とは 「やってみたい」を応援しあう、まちと親子の関係性」をテーマに、次世代の教育、そして地域の大人と親子の関係性づくりに取り組まれているお三方をゲストにお迎えし、トークイベントを開催しました。

多種多様な経験を通して、子どもたちの未来や次世代の教育の在り方と向き合い続けているゲストによって繰り広げられた、熱いトークの様子をお伝えします!

会場となったのは「未来の起業家やアーティストを発掘し、自由な発想を育むこと」をコンセプトとした星天qlay Cゾーンに構える民間学童「ワオキッズ星川園」

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〈ゲスト〉

植村英明 / CHEERS株式会社 CSO 株式会社ミライLABO 取締役COO
「全ての人が笑顔で暮らす世界」を軸に大学在学時に世界20カ国で国際協力。活動をする中で「子どもたち=未来の希望」と考え、教育先進国であり、幸福度が世界トップクラスの北欧で教育を学ぶ「教育ツアー」を大手旅行会社と企画運営。その後「世界をもっとカラフルに。」という理念を掲げ、渋谷でグローバル×アートの保育事業を運営しているミライLABOに入社。親子向けプログラムを約2万人に提供。2022年、「すべてのこどもたちに等しく機会を届ける」べく、企業×こどものブランディング事業を行うCHEERS株式会社の創業メンバーとなる。現在は100を超えるパートナー企業、団体、自治体とプロジェクトを推進。


古明地 祥大 / ワオキッズ星川園マネージャー
1987年、神奈川県横浜市生まれ。幼少期よりNPO法人横浜こどものひろばにて劇の鑑賞や子どもキャンプに参加。「子どもの成長に関わることのできる仕事に就きたい」と考え、2015年、民間学童を運営するワオ・ジャパン株式会社に入社。都筑区にあるワオキッズ勝田橋園で8年間マネージャーを務め、2024年現在はワオキッズ星川園(社会福祉法人ワオワオ福祉会)の開園に伴い、星川園マネージャーとして従事している。


中川 朋香 / ワオキッズ新羽園マネージャー 兼 新羽地区子どもネットワーク会長
ワオキッズの保育理念とともに「みんなちがってみんないい!」とインクルーシブ保育も目指して日々邁進中。2023年5月に新羽地区主任児童委員を発起人とした子育て関連施設の連絡会「新羽地区子どもネットワーク」の会長に就任。

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主体性と地域との繋がりを子どもたちに。

まず、今回のトークのテーマについてファシリテーターの山下から説明がありました。

山下: 今回の星天qlay LABは「次の時代を”ソウゾウ”する遊びの力とは 「やってみたい」を応援しあう、まちと親子の関係性」をテーマとして掲げました。ワオキッズ星川園さんを会場に、遊び、そして地域と親子の繋がりが秘める可能性について探っていけたらと思います。

まず「ワオキッズ」がどんな場所か、教えていただけますか?

古明地: ワオキッズは、放課後や長期休暇の時間を子どもたちと一緒に過ごし、日々の生活を見守っている民間学童です。

実は、子どもたちが小学校で過ごす時間は1年間で約1,200時間、放課後や長期休暇の時間は計1,800時間と言われていて、学校で過ごす時間よりもとても長い時間を学童で過ごしています。

そんな中、ワオキッズが大切にしていることが2つあります。

1つ目は、子どもたちが主体的に活動できる環境を作ることです。

なぜなら、算数や国語を勉強することももちろん大切なことですが、それよりも子どもたちが主体性を持って取り組む「遊び」の中で経験したことの方が、人生の糧になると信じているからです。

例えば、子どもたちが遊んでいる時間の中でお友達と協力し合ったり、話し合いをしても上手く伝わらなくて、「じゃあどうしたら伝わるんだろう」と考えたり。

学童で過ごす大切な時間を、大人に言われた通りにするのではなく、自分の「やってみたい」という主体性を大切に楽しんでもらいたい、そう願っています。

僕たちが大切にしているもう1つのことは、子どもたちと地域の人が関われる機会をたくさんつくることです。

自分の住んでいる地域に愛着を持ち、地域の人たちが関わり合う環境を作るためには、自分自身が子どもの頃に地域の人と関わり「楽しかった」、「関わってよかった」と思えた経験が必要なのではないかと思っています。

地域の中のコミュニティが少なくなってしまった今、ワオキッズが子どもたちと地域の人たちとの間に入りその輪を広げることによって、地域の人たちが主体的に繋がり合うあたたかい環境を生み出せたらいいなと思っています。

山下: 中川さんがマネージャーを務めるワオキッズ新羽園では、地域の方と一緒に活動するイベントや体験がたくさん行われていると伺っています。これまでにどんな活動をされていたのか教えていただけますか?

中川: グループホームの一画で野菜を育てたり、近くの企業の方とお餅つきをしたり、園の中で縁日を準備して地域の保育園の子どもたちを招いて一緒に遊んだりなど、本当にいろんな活動をさせていただきました。

グループホームでサツマイモを育てた時には、施設の方にプレゼントさせていただいたのですが、自分たちが作った野菜を他の人に食べてもらえたことに、すごく喜んでいる子どもたちの姿が印象的でした。

最近は、子ども会などのコミュニティも無くなってしまっているので、子どもたちが地域の人と話したり、季節のイベントを体験できる機会も減ってきているんですよね。そんな中、近くの企業の方にお願いをして実施させていただいたのがお餅つきの体験でした。

つきたてのお餅を初めて食べる子も多く、醤油やきな粉などたくさんご用意いただいたものの中から、地域の方と一緒に好きな味を選び、美味しそうに食べていました。

「普通のお餅は苦手だけどつきたてのお餅なら食べられる」と嬉しそうにしている子もいたりして地域との繋がりや、子どもたち自身の中での新しい発見など、たくさんの収穫が得られた活動でした。

山下: 素敵ですね!地域の方が持っている知恵や経験が、循環されているな、と。

子どもたちは、ワオキッズでの活動を通して、普段は出会わない方と繋がることが出来るだけではなく、自分を表現したり、誰かの役に立っていることを実感することが出来ているんですね。まさに主体性が育まれているのだなと思いました。

多種多様な体験と、”かっこいい”大人たちとの出会い

山下: 植村さんも、地域の大人と子どもたちの繋がりを重視したご活動をされていますよね。どんな活動をされているか、お話いただけますか?

植村: 僕は、CHEERS株式会社という会社で、企業と連携した子ども向けの職業体験プログラムを実施する活動を行っています。

早速ですが、みなさんに質問をさせてください。みなさんが子どもの頃になりたかった職業は何ですか?

様々な職業を思い浮かべていらっしゃるかと思いますが、例えば「キュレーター」という職業を思い浮かべた方はいないのではないでしょうか。なぜなら子どもの頃にこの職業に出会う機会は極めて少ないからです。

子どもたちが夢を見つけてその職業を目指すことには大きな原動力があり、今後の人生に影響を与えてくれるものですよね。

しかし、日本にある約17,000種類の職業のうち、子どもたちが知っているのはごく僅か。こんなにもたくさんの職業があるのにも関わらず、子どもの頃に触れたことがなければ、それらの職業を知ることも目指すことも出来ないまま大人になってしまうということに、僕は大きな課題意識を持っていました。

そこで僕たちが考えたのが、たくさんの職業と出会い夢を見つけるための体験を、多くの子どもたちに提供しようということでした。

現在は、様々な企業さんとコラボレーションをしながら地方を周り、子どもたちが夢を持つために必要な多種多様な体験の機会、そして”かっこいい”大人と出会えるイベントを開催しています。

山下: 確かに子どもの頃、サッカーが好きでサッカー選手を目指している子はたくさんいたけれど、サッカーに関わる他の職業を目指してる子は少なかった気がします。多様な職業を知ることの出来る機会って大切ですよね。

なぜその活動を、地域に焦点を当てて行っているのでしょうか?

植村: 首都圏には、キッザニアやイベントなど、職業体験が出来る機会や大人と関われる機会が増えてきていますが、地方ではそういった機会が圧倒的に少ないからです。

加えて地方の人口流出といった課題も問題となっているので、地方に住む子どもたちと、その地域の企業さんや大人が出会える機会を作り、子どもたちの将来の選択肢を増やすことが出来たらと思っています。

例えば地元の特産品作りを体験をしたり、地元のプロサッカーチームに出展していただいたり、アナウンサー体験をしたりなど、本当に様々な職業体験を用意しています。

また大企業様をはじめとした複数社様とコラボレーションをし、小学生が起業を体験出来る3ヶ月間のプログラムも毎年実施しています。
実際に事業計画書を作って出資の計画をしたり、大人を巻き込んで子どもたちがお店を出し、本物の現金を使用しながら収支計算を体験できるような機会を用意しています。

古明地: 職業体験って子どもたちにとってすごく大切なことですよね。地域を問わず様々なところで活動されているなんて素敵です。
実はワオキッズ星川店でも「職業体験の機会を作っていこう」と、いくつかの店舗さんからご提案をいただいていて。今のお話を聞き、実現したい気持ちがより強くなりました。

子どもたちと向き合うために大切な「遊び」の視点

山下: みなさんの楽しそうに活動されている姿を見ていて、子どもたちの「楽しさ」のために活動することはもちろんですが、そこに関わる大人がどれだけワクワクして子どもと向き合うかということも大切なのだろうなと思いました。

普段、お仕事を通して子どもたちと向き合う中で、大切にされていることはありますか?

中川: 私は、自分が楽しいと思うことじゃないと子どもたちも楽しいとは思わないんじゃないかと思っていて、自分が子どもの頃にやりたかったけれど出来なかったことを時に思い返しながら、今子どもたちと一緒に挑戦し、楽しんでいる感覚があります。

植村: 子どもたちが楽しんでいる場に、大人をどのように巻き込めるかということを日々考えながら活動しています。

法人営業を通して大人の方とお話をさせていただく機会が多いのですが、企業としてやりたい事と、個人としての想いが重なり合った瞬間に、すごく真剣に、楽しそうに向き合ってくださる姿を目にすることが多いなと感じています。

子どもたちには、そうやって楽しく生き生きと仕事をしている大人たちに是非出会ってほしいと思っているので、関わる企業の方から「この仕事楽しい」って言ってもらえるにはどうしたらいいか、常に考えています。

ここワオキッズを起点に、人が集い繋がるまちに

「子どもたちに楽しんでもらいたい」その一心で活動を続けているお三方のお話に、うなずきながら耳を傾け、中にはメモを取りながら参加してくださっている方の姿もいらっしゃいました。お越しいただいた方からはこんな質問もーー。

参加者: 「子どもたちが、学童や大きなイベントを通してではなく、日常の中で地域の人や大人と出会い、繋がれるきっかけを得ていくためにはどうしたらいいのでしょうか?」

古明地: 僕は娘と公共の施設で行われる小さなイベントによく参加しています。その場ですぐに仲良くならなかったとしても「また会ったね」って友達が出来ることがよくあるんですよね。

大きなイベントの場やお金を払って参加するものでなくてもいいので、やっぱり外に出ることや、興味のある場所に通ってみることが大切なのではないかと思います。

植村: お子さんからたくさんお話を聞いてみるということをおすすめします。
学校での活動や登下校の時間を通して地域の方と出会ったり、お話をする機会を得ている子どもたちも多いように思います。
お子さんから聞いた話の中で話題に上がった地域の方と、お会いした際に挨拶をしてみたり、声をかけたりするだけでも、良い繋がりを作ることが出来るかもしれません。

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あっという間に1時間のトークが終了。
後半は、ゲストや参加者の皆さんが、ご自身のお子さんのことについて真剣に相談をされている姿や、日々の子育てやご自身の子どもの頃について、和気あいあいとお話をされているあたたかい様子が見られました。

地域の方々の繋がりを作ることに取り組むワオキッズを起点とし、これからどんなつながりや、新しい暮らしが育まれていくのでしょうか。星天・天王町エリアのこれからが楽しみになる、そんなトークイベントでした。

星天qlayの日限定、特別メニューを販売!

ここからは星天qlayの各店舗による特別企画のご紹介です。
Cゾーンの芝生エリアでは、地産地消・無添加食材にこだわる飲食店「惣ざいと土鍋ごはん 時々クラフトビール。SAI.」が、お弁当とお惣菜の出張販売を行いました。販売開始前からたくさんのお客様にお待ちいただき、販売開始からおよそ15分でお弁当は完売。

あっという間の売り切れに、通りすがりの方々も驚いていました。

SAI.の店舗のほど近くにある「手織工房じょうた 横浜星川工房」では、星天qlayの日限定で、これまでに織り物を体験したお客様やスタッフの方が織ったリネンのミニ風呂敷とハンカチの販売を行いました。

手織工房じょうた: 「普段は手織り体験のみを行っていますが、気軽に工房に入っていただけるきっかけになればと思い、ミニ風呂敷とハンカチの販売を始めました。興味を持って手に取ってくださり、体験に興味を持ってくださる方も多かったです。まだ珍しいものと感じている方も多い織り物ですが、小学1年生から体験できる簡単なものなので、たくさんの方に体験していただけたら嬉しいです。」

ケーキや焼き菓子の販売を行うPatisserie & Cafe PINEDEでは、星天qlayの日限定の特別メニューとして、苺やバナナをつかったアイス入りのクレープの販売を行いました。猛暑の中での開催となった星天qlayの日にピッタリのメニュー。いつもよりもさらに美味しく感じられるクレープだったのではないでしょうか。

星天qlayの日限定!親子で楽しめるワークショップが行われた《Bゾーン》

Bゾーンに店舗を構えるReconnelは、ひまわりのブーケをつくるワークショップを開催しました。

3種類のひまわりやその他のお花の中からお好きなものを選び、自分のこだわりがたくさん詰まったブーケが作れる特別な機会。お子様から大人まで多くの方が楽しんで参加していました。店内にはこの日限定の大きなひまわりの展示も。初めて見る大きなひまわりと一緒に写真を撮っているお子様もいました。

同じくBゾーンに店舗を構える無印良品 500では、体育館の床材の端材で作られたキューブを使った立体パズル作りのワークショップを行いました。
最初は一緒に作業していたご家族も、気づけば無言になりそれぞれの作業に没頭。大人も子どもも夢中になって楽しんでいました。

2つのイベントを開催!《qlaytion gallery》

Bゾーンにあるシェアオフィス兼イベントスペース qlaytion galleryでは、2つのイベントが行われました。1つは「めぐる星天 英会話カフェ特別編!リメイククラフト」です。

ハーチ株式会社 室井さん: 「毎月開催している英会話カフェですが、今回は星天qlayの日の特別編ということで、英会話とクラフトを同時に楽しめる企画を開催しました。当日は家からお持ちいただいた空き缶をつかったクラフトを行い、英会話だけでなく、qlaytion galleryが大切にしているテーマ「循環」についても楽しく体験していただける盛りだくさんのイベントとなりました。初めて参加してくださった方が半分以上で多くの方にご参加頂けて嬉しいです」

同じくqlaytion galleryで開催されたのが「めぐる星天 「本トーク!」#4」です。
本を読むのが好きだけれどなかなか読めていない、読むことにハードルを感じている人など、本や読書の裾野にいる方が集うイベント「本トーク!」。今回は、タリーズコーヒー星天qlay店の店長 浜中さんをゲストに迎え、本や読書について参加者のみなさんと対話を行いました。

ファシリテーター 日置さん: 「星川天王町の町の様子を話されている方もいれば、それぞれの読書遍歴を話されている方まで。本への関心をきっかけに、参加者の方同士が繋がり合う場となりました」

自由でユニークな発想に溢れた《Dゾーン》

Dゾーンに構えるYADORESIでは、住民以外の人でも自由に遊びに来ることのできる「OPEN DAY」を開催しました。

今回のコンセプトは「ありえんピック」。オリンピックの開催に合わせて誰でも参加が出来るYADORESI独自のありえないオリンピックが行われました。

ありえない国旗デザインの展示や、競技の実施など、YADORESIの住民たちだからこそ生み出せるユニークな企画が繰り広げられました。中でも注目が集まったのが、住民がつくった聖火リレーゲームです。住民の方もふらっとお立ち寄りいただいた方々も、夢中になってゲームをしていました。

その他にも、お子さまも楽しめるお絵描きのワークショップ、住民や近所の方による「はなれマドマーケット」も開催しました。

クリエイター向けのコワーキングスペース「PILE」では、月に1回の開放日PILE OPEN STUDIOを開催。

PILE: 「OPEN STUDIOは、普段よりもお子様の出入りが多くなる1日です。今回は星天qlayの日ということもあり、お子様に楽しんでいただくための仕掛けとしてバブルアートを用意しました。たくさんの方々にアートを体験してもらうことが出来て嬉しく思っています」

飲食店や体験型施設など、多種多様な施設が、それぞれの持っている個性を活かしたユニークな企画を準備して皆さまをお迎えする「星天qlayの日」。

暮らしに活かせる新しい発見や知識を得られたり。
久しぶりの創作活動にワクワクしたり。
星天qlayの店舗スタッフやこのまちに住む人とゆっくりお話が出来たり。

普段のお出かけやお買い物では得られない、特別な時間を過ごせた方もいらっしゃったのではないでしょうか。

立場や目的、住む場の垣根を越えて人と人とがあたたかくつながり「生きかたを、遊ぶ」。

そんな体験を多く創出する「星天qlayの日」に、これからもぜひ足をお運びいただき、一緒に盛り上げていただけたら嬉しいです。

お暑い中ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました!

気になる国に滞在したい時、どのような方法を思い浮かべるだろう。旅行に行く?留学やワーキングホリデーに挑戦する?
新たな選択肢として、“Workaway(ワークアウェイ)”という手段がある。滞在先のお手伝いをする代わりに、住む場所と食事を提供してもらうことができるのだ。手軽に憧れの場所に滞在できると人気が高まっているという。

家族の一員として共に暮らすと、外からは気づくことができないその地域のリアルが見えてくる。今回は、デンマーク滞在中にワークアウェイを経験したミオさんの話から、誰かの暮らしに飛び込んで得た気づきをシェアしていきたい。

本当に幸せな国なのか?デンマークの家庭で見た教育のカタチ

デンマークのフォルケホイスコーレ(※)を卒業後、ミオさんは一つ目のワークアウェイ先に向かった。ドイツとの国境付近にある、セナボーという街だ。

滞在の目的は、デンマークのリアルな家庭の様子を知ること。フォルケホイスコーレで充実した教育・福祉制度を知り、デンマークがすごく幸せな国に思えたそうだ。だからこそ、そのイメージは本当なのかと探究することにした。

※フォルケホイスコーレ:北欧独自の教育期間。17.5歳以上であれば、誰でも入学できる。
試験や成績が一切なく、共同生活を通して民主主義的思考を育てること。興味のある学びに取り組み、知の欲求を満たす場であることが特徴だ。

滞在先は、10歳〜18歳までの4人の子どもがいる家族だった。子どもたちは学校には通わず、両親がホームスクールとして勉強を教えていたという。ミオさんもホストマザーと協力しながら、日本語を教えることになった。

デンマークでは、大学院まで無料。個人の興味にあった進路選択がしやすく、充実した教育制度だと言える。それにも関わらず、ホームスクールを選択したのはなぜなのか。

理由は大きく二つ。両親の経験上、学校ではいじめが多くあったこと。そして、長女が少しだけ学校に通った際、コロナ期間だったこともあり生活面での制限が厳しかったこと。
集団生活を送る上で仕方ないと割り切る人も多いと思うが、両親はより自由に学ぶことができるようホームスクールを選択した。

朝食中に率先して新聞を読むのは子どもたち。カードゲームで世界の著名人や政治家を学び、社会への関心が高い。家族で食事をする際に、議論が白熱することもあったそうだ。
また、幼い頃から英語で映画を観ていたため、全員が流暢に英語を話すことができた。
日々の工夫により、学校教育以上ともいえる知識と探究心が育まれた子どもたち。学歴主義ではなく、個々の能力が大切にされるデンマークならではの教育のカタチかもしれない。

異なる暮らしの中で知る、大切にしたい価値観

誰かと暮らすことは時に大変。文化や言語が違う相手となら尚更だ。
ワークアウェイを通して、ミオさんは自らが心地よく生きるために欠かせないことを見つけた。それは、コミュニティの一員だと感じられることだ。結びつきが深い家族の中に溶け込むことは難しく、孤独感が付き纏ったという。

一番の壁となったのは、やはり言語だった。前述したデンマークの滞在先では、家族全員が英語で話そうと努力してくれたものの、深い話になればなるほどデンマーク語がメインに。精神的な繋がりをつくることは難しかった。
一緒に暮らしながらも輪の中に入りきれない感覚は、すごく辛いことに気づいたそうだ。

また、スイスで1ヶ月間滞在した際は、一緒に暮らすホストマザーの友人がフランス語しか話せず、コミュニケーションが上手くいかなかった。
それでも、お手伝い後にはビーチや湖に連れ出してくれた彼女。もっと話すことができたらお互いの距離が縮まったかもしれないと、ミオさんは残念そうに語った。

海外に行かずとも日本で。受け入れることで新たな気づきを

via: pexels.com

実は、日本に滞在したい外国人にもワークアウェイは人気だ。日本各地の家庭が、公式サイトで受け入れ登録をしている。
滞在する人にお手伝いしてもらいたいことは様々だ。自宅のDIY、畑づくり、子どもの遊び相手や英語を教えてほしいなど。あなたもお願いしたいことの一つや二つ、思い浮かぶのではないだろうか。

そして、家族のように共に過ごすのも大事な時間。お気に入りの場所、はたまた行ったことがないところに一緒に足を運んでみる。いつもの料理を振る舞うと、新鮮な反応が返ってくることに驚きや嬉しさを感じるかもしれない。
誰かの日常は他の人にとってはきっと発見の連続。他者と暮らしを交わらせることで、新たな気づきが見えてくるのでは?

【参考】

フォルケホイスコーレとは/一般社団法人IFAS
Workaway.info

株式会社Sanu CEOの福島弦さんをお迎えし、YADOKARI共同代表のさわだいっせいが生き方のコアに迫る対談。後編は、福島さんとさわだの「幸せ論」とこれからの生き方、創造性や自然に触れることの本当の意味について話が展開する。(前編はこちら>>

福島弦|株式会社Sanu CEO(写真右)
北海道札幌市出身。2010年、McKinsey & Companyに入社し企業・政府関連事業やクリーンエネルギー分野の事業に従事。2015年、プロラグビーチーム「Sunwolves」創業メンバーとなり、ラグビーワールドカップ2019日本大会の運営に参画。2019年、本間貴裕氏と「Live with Nature. /自然と共に生きる。」を掲げるライフスタイルブランドSANUを創業。2021年、SANU 2nd Home事業をローンチし、現在21拠点の自然立地で事業を展開する。雪山育ち、スキーとラグビーを愛する。2024年9月、目黒に地球を愛する人々が集うラウンジ「SANU NOWHERE」をオープン。

さわだいっせい|YADOKARI 代表取締役 / Co-founder(写真左)
兵庫県姫路市出身。10代でミュージシャンを目指して上京し、破壊と再生を繰り返しながら前進してきたアーティストであり経営者。IT企業でのデザイナー時代に上杉勢太と出会い、2013年、YADOKARIを共同創業。YADOKARI文化圏のカルチャー醸成の責任者として、新しい世界を創るべくメンバーや関係者へ愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人に会うことを惜しまない。逗子の海近のスモールハウスをYADOKARIで設計し居住中。

人を喜ばせる利他性こそが利己

さわだ: 僕は、「幸せをつくるための装置」を会社に求めている所があって、それが経済性に飲まれてしまうと本末転倒なので、そこに抗うように社内にフィロソフィーボードを設けているんです。目の前の個人的な幸せを大事にしつつ、それを会社を通じて広げていけるのが理想だと思っている。弦さんの幸せ論とか、人生論みたいなことをお聞きしたいな。

福島さん(以下敬称略): 幸せ論かぁ、難しい質問しますねぇ。僕個人としては、人に喜びを与えることは幸せなことだと思います。SANUを例えば100年愛されるブランドにしたいと思った時、最初にやらなきゃいけないのは「愛すること」だと思うんです。実際に利用してくれる方を。 「愛する」ということは、自分の全てをぶつけて他の人に喜んでもらうという行為だと思うので、愛されるより愛するということをして人に喜びを提供し、それが返ってきたり、反応が見えたりした時が、自分にとってすごく喜ばしいことじゃないかと思います。それが僕の幸せの原点にあるかもしれない。

さわだ: 人を喜ばせることが自分の幸せというのは「利他的な精神」ですよね。「利己的な思い」というのは無いんですか?

福島: ありますよ。この利他性こそが利己的であるというか、人が喜ぶ姿で自分が喜ぶのは、極めて利己的な姿だと思います。あとは、表現することは楽しいことですね。会社経営も表現じゃないですか。企業戦略を書くのも、ポエムを書くようなもの。表現することには人間としての根源的な喜びがあると思います。本間さんはそれを空間でやっているけれど、僕は会社の方向性を決めたり、こうして対談させていただいたりする機会も自己表現の幸せな時間の一つだと思いますし、それは純粋に楽しいことです。

奥に見えるのは福島さんのサーフボード。本間さんと連れだって海に出かけることも。

創造性は「受け取れる豊かさ」から始まる

さわだ: 弦さんは「創造的である」って何だと思いますか? SANUというこの作品はすごく美しいし、僕らもこんなかっこいいものをつくりたいと思う。でも、美しいかどうかと、必要かどうかは別の話という気がするし、「創造物の質が高い」こと自体にどんな意味があるのかなとも思うんです。

福島: 創造性の原点は「感受性」だと思います。生み出す前に「受け取れる豊かさ」を持っているかどうかが重要じゃないかと。僕らは自然の中にその答えがあるのではないかと思っていて、例えば夕陽を見たり、風を感じたりする場面に、無数の情報と究極の美が詰まっているんじゃないか。それを意識的に幼少期からやっていたわけではないけれど、その体験が積み重なって今の自分があるので、創造性・クリエイティビティの原点として最も大切なものではないかと思います。

さわだ: なるほど。もう少しブレイクダウンして伺うと、どんなデザインが素晴らしいと思いますか?

福島: アウトプットとしてどんなものが優れていると思うか、ということで言うと、「よく考えられ、しっかりと汗をかいてつくられたもの」が良いものだと思います。オーガニックなものが良いとか、サイケデリックなもの、モダンなものが良いとか、それは趣味嗜好・それぞれに良さがあるという世界に入ってしまうので、結局は愛情を込めてつくられているか、工夫が込められているか、そういう所に出ると思いますね。

さわだ: じゃあ、やはりそこに時間をかける?

福島: そうですね、時間もある程度必要だと思います。

さわだ: 少し分かった気がします。SANUは「考え切っている」という感じがしますよね、一つ一つの挙動や表現に対して。それをお金のせいにしちゃったりする自分のスタンスを改めないと、と思いました。

SANUの未来と自分自身の死に方

さわだ: SANUさんがこれからの未来どうしていきたいか、そして弦さん自身はどんな死に方をしたいかお聞きしたいです。

福島: SANUがこの先どうなっていきたいかについて僕が考えているのは、一人でも多くの人に「Live with nature./自然と共に生きる。」を提供していくこと。都会に住む一般的な家庭の子どもたちにも当たり前に、定期的に自然に触れる機会をつくりたい。そのための広がり方を一歩ずつ考えていきたいと思っています。ただ、正直に言うと山頂はまだよく見えていない感じ。登り続けているけれど、その高みがどこなのかは明確には分かっていない。だから「ここまで広がってるな」というのを都度確認し、模索しながらやっていく感じだと思います。

さわだ: 登る山を変えるというか、軌道修正もあり得るんですか?

福島: 大いにあると思いますね。途中から非収益事業の枠組み、例えば教育事業などを立ち上げて、収益事業のお金を一部回しながら、経済的に難しい子どもも自然の中に連れていくことをやってもいいかもしれない。その辺りの解像度はまだまだですが、そういうこともやっていきたいと思っています。

さわだ: でもテーマは「自然」なんですね、それは変わらない?

福島: そうですね、自然を通じて人間の生活の豊かさをつくっていくことでもあると思うので、究極は人間のことだとも言えるのですが、それはベースとしてあります。あとは、僕も本間さんも自然が好きなので、また一緒に新しい土地、オーストラリアやニュージランドなどを旅して「ここでやろうよ」みたいな話をしたい。

さわだ: ついて行って取材したいです(笑)

プライベートでもよく山を登るというお二人(提供:株式会社Sanu)

福島: で、60歳か70歳ぐらいから執筆活動。最後の表現活動です。芥川賞を狙います。「芥川賞を狙う人は、芥川賞を受賞できない」と友人に言われたんですが、そんなことはないはず。文章を書くのは好きなので、物書きをやってみたいなって。

さわだ: 30年先でいいんですか?

福島: ええ、今はビジネスで皆に伝えるものの中でやっているので、30年先でいいんです。さわださんは、どんな人生を送りたいですか?

さわだ: 僕はお金と時間と場所に縛られない暮らしを追求しているので、日本に関わらずいろんな所を拠点にしながら、そこを転々としていくこと。僕は今すでに十分幸せなんですよ。奥さんや子どもがいて、誕生日に好物のチキンカツをつくってもらって、葉山でケーキを買って、映画を見て、温泉に入って…という日々が。でも、それをいちばんに大事にしつつ、次の創作をいかに広げられるかに挑戦したいと思っています。

福島: 創作のモチベーションはどこから来ているんですか?

さわだ: それはやはり「存在価値」ですよね。自分が生きていること自体を表現すること。最近、YADOKARIで「生きるを、啓く。」というパーパスをつくったんです。常に自分の目の前の扉を開いていくスタンスであれという。そうするためにはきっと、自分が苦手なことやハードルが高いと感じることにも向き合う必要がある。僕は去年、鬱になって半年間休んだんです。でも「戻ってきたい」と思ったのは、今まで超利己的な人間だったのが、家族や仲間の大切さに気づき、利他的な人間に変容したからなんですよね。僕は自分のためより人のために何かまだやる使命があると思って戻ってきたので、「皆と一緒に社会に対して何かつくれるものはないか」という所に原点回帰した感じがあって。

そこに至るまでは共同代表の上杉とも激しく言い争っていましたが、僕がいない時に彼も踏ん張ってくれたし、彼自身も変容を遂げて、その二人がもう一度、井の中の蛙じゃなくて先に進もうぜと握手し合った。この先に行くために大事なのが「創作」や「創造性」だと思うんです。自分にとっても、YADOKARIにとっても。「僕らはここにいる」と証明していくことが社会に対しても利益を与えるという循環を、今は信じられるようになった。

福島: いいですね。今、本当にいい場面にいるんですね。新しい局面に。

自然の中で出会う、長期間的思考の源泉

福島: 僕が人生でやりたいことがもう一つありました。北海道の自然のために何かやること。僕らが自然をビジネスにしているという繊細さは持つのですが、北海道は今、一部では開発が進む一方で他はどんどん衰退していて、良さをちゃんと生かして多くの人に伝えていかないと、今の良さが50年後も保たれていることはないかもしれないと思い始めています。最後、自分の人生をこの島にかけたいと思う感覚が徐々に芽生えてきていますね。それは僕の自己表現の一つかもしれない。

さわだ: それこそ資本主義の波が押し寄せる中で、自然と共生する社会を目指しているSANUさんから見て、その状況を良い方へ導くために重要なことって何ですか?

福島: SANUが大事にしていることで言うと、「楽しい原体験づくり」こそが全てだと思っています。僕が今この仕事をしているのも、それがあったから。自然に触れることで、楽しかったな、あるいは怖かったな、悔しかったなも含めて、原体験を持っている人の数が増えていくと自ずと考えることは変わっていくと思うので、僕らは北風ではなく太陽であろうと考えています。社会学者の見田宗介さんが、「ポジティブ・ラディカリズム(肯定的な革命)」という言葉を出されているように、「この先の未来のために今は苦しみましょう」という活動は無理があると思うんです。手段主義や全体主義、否定主義ではなくて、もっと変えていくプロセス自体を楽しんでいく行為とか、多様な考えの中で思想や器をつくっていく行為、そういう活動体の方が数珠つなぎに広がっていくように思います。“I have a dream.”の世界ですね。「自然との共生」というテーマに対してやっていくことは、「自然って楽しくない?」という小さな瞬間の蓄積からつくるものだと思っています。

それから最近は「グッド・アンセスター(Good Ancestor)」*①の本を読んでいるので、「時間軸を長くする」ことは重要だなと思っています。資本主義の端的な特徴は「時間軸が短い」ってことで、デジタル化されるともっと短い。ここ20〜30年でデジタル化が世界をフラットにしたことによって、高速で情報交換が行われて、物事のスピードがものすごく速くなった。スピードが速くなると思考も極めて短期間的になるということに対して、長期間的思考をどう持つかという感覚を、体の中に埋め込まなきゃいけない。それは言葉や数式で得るものではなく、その方法の一つが、僕は自然と遊ぶことだと思っています。つまりは人間社会がつくり出したものではない自然物の中でこそ、長期間的な思考の源泉に出会えるんじゃないかって。

*①:未来の世代にとって良い祖先であること。哲学者であり未来学者でもあるローマン・クルズナリック(Roman Krznaric)が提唱。

さわだ: そのためにも、自然の中に一人でも多く連れ出したいという。

福島: そうなんです。都市に自然を持ち込むか、都市の人を自然に連れていくかの二択であろうというので、連れていく方が「SANU 2nd Home」 、今日お越しいただいた「SANU NOWHERE」は、都市に自然を持ってくる方ですね。僕なら植栽、緑という発想ですが、そこで「岩」という導き方をする本間さんのことを僕は愛してやまない。岩を持ってきて、自然の質量を感じさせる。確かに岩は植栽よりも時間軸がもっと長いですよね。何百万年、何億光年かけて、マグマの蓄積によって出来上がった鉱物。たぶん、子どもたちは脳みその奥底でそれを感じるんです。そこを導き出してくる本間さんは面白い人だなと思いながら、一緒に働いています。

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2024年9月7日OPEN「SANU NOWHERE 中目黒」
本間貴裕さんからの言葉にも注目

〒153-0061 東京都目黒区中目黒3丁目23-16
https://www.instagram.com/sanu_nowhere/

地球や自然を愛する人々が集うためのラウンジ「SANU NOWHERE」は、SANU 2nd Homeの会員はもちろん、一般客も利用できる。東京初出店となる宮崎のタコスレストラン「SANBARCO」、スペシャルティーコーヒーショップ「ONIBUS COFFEE」が入店。週末には自然をテーマにした映画・音楽・トークイベントも。上階はSANUのオフィス。

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ちょうど取材当日、施設正面に巨大な岩を含む植栽が完成。SANUファウンダー / ブランドディレクターの本間貴裕さんに話を聞いた。

自然を愛する人たちが横のつながりを持てる場所をつくりたいと3年ほど前から構想し、理想的な物件にようやく巡り会えて実現しました。 「NOWHERE」は「どこでもない」という意味で、「東京」とか「中目黒」とか、人間が名前をつけていますが、本当はそんな境界線はなく、都市の先には山があるし海がある。このラウンジは、自然は本当は一つで、全てが地続きだということを思い出すための場所です。だから植栽も北から南までいろんな国や地域の植物が混ざっているし、内装も特定の国のテーマではなく「全て一続きである」というのがコンセプト。サーフムービーやスノームービー、釣りやクライミング、もしかしたら環境問題のショートムービーなども流し、ワインを片手にタコスを食べながら、いろんな自然のインスピレーションを受け、時に音楽で騒ぐ…そんな場所になる予定です。

 

編集後記

さわだとの対談に、自身の本来性からまっすぐに臨んでくれた福島さんの話を経て、SANUの掲げる「Live with nature./自然と共に生きる。」に込められた深い思想が、心をざわめかせている。計り知れないほどの巨大さと永い時間軸で生きる自然の中にいると、きっと自分の命の儚さを改めて感じると共にエゴが死に、ジワリと、生きていることのありがたみが体の芯から湧き出してくるのではないか。自然保護やサステナビリティといった、自然を客体化するような言葉では足りない、「全てが一続きである中で生きる」実感とはどんなものだろう? YADOKARIのパーパス「生きるを、啓く。」にも通ずるその感触を確かめに、もっと自然の中へ、行ったことのない大きな自然の中へ、私は行きたくなっている。

 

前編を読む>>

文/森田マイコ
写真/藤城佑弥

2024年7月6日、YADOKARIは創業10周年を記念して、1人ひとりが自分の人生を取り戻し新しい世界を創っていくために、“自分と、他人と、世界と向き合い、共に行動するための集い”「鏡祭」を開催した。イベントテーマ「180 〜めざす、もがく、変わる〜」の下、各界のゲストを招き、今向き合いたいイシューについて行った4つのトークセッションの様子を、YADOKARIに関わりの深い3人のライターが「鏡」となり、映し出す。本記事は、セッション④「悟」のレポートだ。

»当日の様子を見れるアーカイブ動画はこちら

会場となったのは東急プラザ表参道オモカド内にある「LOCUL」

はじめに

空を切り裂く稲妻と、パァーンと何かが破裂するような鋭い雷鳴、滝のごとく降りしきる雨が続いていた。午後から首都圏を覆ったゲリラ豪雨で、表参道と原宿の交差点はみるみる冠水し、道路は川と化していた。この嵐の意味は? 私にはそれが、何か巨大な変化の前触れであるように思えた。

今やデファクトスタンダードと言ってもいいほど普及したクラウドファンディングサービスを運営する経営者と、YADOKARIのさわだが「悟り」について対話する。世の表象では科学や資本主義が依然として覇権を握っているように見えるが、潜象ではすでにそうではないのかもしれない。失われた30年と呼ばれる時代をインターネットの黎明と共に新しい世界をつくることで生き延びた、私と同世代の経営者である彼らが今、どのような心境に至り、どのような未来を見据えているのか。嵐の中から穏やかな佇まいで会場に現れた家入氏が着席し、この日最後のトークセッションが始まった。

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◆セッションテーマ:悟|さとり
悟りの民主化、コモンズ、互助、これからの会社組織と宗教組織

【ゲスト】

●家入一真|株式会社CAMPFIRE 代表取締役(写真左から2人目)
2003年株式会社paperboy&co.(現GMOペパボ)創業、2008年JASDAQ市場最年少(当時)で上場を経て、2011年株式会社CAMPFIRE創業。2012年BASE株式会社を共同創業、東証マザーズ(現グロース)上場。2018年ベンチャーキャピタル「NOW」創業。Forbes JAPAN「日本の起業家ランキング 2021」にて第3位に選出。

●さわだいっせい|YADOKARI 代表取締役 / Co-founder(写真右から2人目)
兵庫県姫路市生まれ。ミュージシャンを目指し上京。デザイン専門学校卒業後、アートディレクター/デザイナーを経て独立。2013年YADOKARI創業。逗子の海近くのスモールハウスをYADOKARIで設計、居住中。

●荒島浩二|YADOKARI 執行役員(写真左)
東京都台東区生まれ。鎌倉在住。コミュニティ型の住宅・ホテル・オフィスを一通り経験した後、2021年にYADOKARIジョイン。

●伊藤幹太 |YADOKARI ブランドフィロソファー(写真右)
神奈川県横浜市生まれ、新宿在住。2019年にYADOKARIへジョイン。自社施設「Tinys Yokohama Hinodecho」の運営を経て、公園・広場・団地などを舞台とした地域活性化支援や、タイニーハウスの企画・開発業務に従事。2024年から、ブランドの精神・思想・哲学を探究し、文化圏へ浸透させていく役割「ブランドフィロソファー」に就任。

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「悟り」というテーマの理由と自分の無価値感

伊藤: 今日の「鏡祭」ではトークセッションを4本やっていて、1本目のテーマが「祈 いのり」、2本目が「縁 えにし」、3本目が「馬鹿 ばか」で、ここで場が荒れまして。(笑)その後の4本目「悟 さとり」が、家入さんをお迎えしての今ということになってます。

さわだ: トークセッションで泣かされる人がいたり、怒る人がいたり…。

伊藤: うちっぽいですよね。

さわだ: うちっぽいです。「生きるを、啓く」です。

家入さん(以下敬称略): そうなんだ。

伊藤: 今回の4つのセッションテーマは、YADOKARIメンバーの中から「今、このことについて向き合いたい、考えたい」というのを抽出して設定したのですが、「悟り」を選んだのがさわださんなんですよね。どういうきっかけからですか?

さわだ: 約1年前、僕は会社を半年ほど休んでいたんです。理由は、僕と上杉で創業したこのYADOKARIという会社が資金調達もして大きくなっていく中で、子どもが親離れしていくように、自分の手からどんどん離れていってしまう感覚があり、距離の取り方が分からなくなって、「僕の存在価値は無いんじゃないか」という所に行き着き、ズドンと落ちてしまって。

そこから半年休んでいる間に、最初のうちは「上杉ムカつく、なんで分かってくれへんねん!」みたいな(笑)怒りが噴出してたんですが、休むことで肉体に蓄積していた疲労が抜けていくと、少しずつ精神も回復していき、落ちるのも底をついた感じになった。それから散歩や釣りに出かけるようになって、休養期間の最後の方は「なんて幸せな毎日だろう」と思うようになり、僕自身にこれまで経験したことのない変化が起きたんです。

これまで僕はどちらかというとアーティストタイプで、何かをつくっては壊し、さらに新しいものをつくってまた壊し…みたいなことを繰り返してきて、それが自分の美学だったんですよね。でもこの時、底まで落ちて僕は変容し、「利他的な精神」というか、家族や周りの人に感謝しないとなとか、遊びに来てくれるYADOKARIメンバーへのなんて良い奴らだろうという思いが心底湧き上がってきて、これからは自分のことよりも他者や社会へ貢献すべきだなと使命感のようなものに駆られる瞬間が訪れたんです。

そうしていくことで地球や宇宙にも良い影響を与えることができ、全てが一つになっていくんじゃないか。どこかで聞いた「ワンネス」的な感覚に包まれた瞬間があったんですね。それでその感覚に興味が湧いて調べるうちに、それは「悟り」というものに近いんじゃないかという考えに至って、ますます興味が強くなったというわけです。

今まで信じていた自分の「エゴ」みたいなものが死んで、新しい自分になったようなこの感覚。それは「変容」というものだと後で知ったのですが、こういう体験をくり返していくと、さらにヤバイ人になるのかなって(笑)

伊藤: 家入さんはこの「悟り」というテーマで僕らがトークセッションを依頼させていただいた時、どんなことを思いましたか?

家入: 僕がなぜこのテーマで呼ばれたのかで言うと、僕は数年前に浄土真宗で得度*①しているんです。出家みたいなものですね。もともと宗教学には興味があり、本などを通じて個人的に学んでいたのですが、いろいろな宗教の中でも仏教の教えが哲学として僕にすごくフィットした。身近な人の死などを発端に、親鸞の考え方に触れ、「この人のことをもっと知りたい、いや、むしろ親鸞を超えたい」というような動機から浄土真宗での得度に至りました。それで呼んでいただいたのかと思ったんだけど。

先ほど無価値感の話が出ましたが、僕も20歳くらいで最初の会社を立ち上げ、その後いろいろな会社を25年ほど経営してきて、いまだに僕自身がどんな価値を提供できているのか分かっていないんです。確かにゼロイチの立ち上げは言い出しっぺでやり始めるけれど、そこから先はいろんな人たちの力で事業が進んだり成長したりしていく。僕はいまだに財務諸表の読み方でさえ独学。ただ、ずーっと自分がどんな価値があるかわからないから挫折もないし、最終的に「僕はここにいていいのかなぁ」という感じになることが多い。今も透明度が高まって来てる。

さわだ: 後ろが透けて見えます(笑)

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*①:仏教の修行者が正式に僧侶になること。一般の人が出家して僧侶になるための儀式や手続き。

「悟り」とは、世界の見え方が変わること

伊藤: 家入さんの言葉を僕なりに捉えると、家入さんはどの会社でも、経営者という立場であっても、そこに家入さん自身そのものとしていらっしゃったということではないかと思いました。

家入: そう言ってもらえると救われますが、それを「自分で分かってそうしている」感じだと、嫌な感じじゃないですか? 「僕はこうだから」みたいな、開き直りや甘えのような。僕はそれとは少し違うんですよね。

伊藤: 実は今年、10周年のYADOKARIが新しいパーパスを設定しました。それが「生きるを、啓く」という言葉ですが、このプロジェクトにあたりYADOKARIのメンバー全員にけっこう時間をかけてインタビューしたんです。「あなたにとってのYADOKARIって何?」と。僕らは日頃、タイニーハウスや暮らしのメディア、まちづくりなどの文脈で知っていただくことが多いのですが、メンバーからはそういう話は全然出てこなくて、「“YADOKARIらしさ”というのは、ここにいて自分の人生が変わっていくこと。僕らがYADOKARIにいる理由は、自分の人生を在りたい方向へ啓いていきたいからじゃないか」という話がたくさん出てきた。僕らがお仕事でご一緒した方々のポジティブな反応として、会社を辞めて次の新たなステージに飛び出していくケースが多いのですが、僕たちが活動することで関わってくださる人の「生きるが啓かれていく」としたら、こんなに嬉しいことはないよねということで、この言葉をパーパスに据えたんです。

そうした時に、僕らYADOKARIが目指す組織の形として、メンバー一人ひとりの「生きるが啓かれていく」組織、その人がその人のままであることを許容できたり、その感覚を育てていけたりする組織ができないだろうかと考えていて。この「生きるを、啓く」と「悟り」は近い所にあるんじゃないかと感じているんですよね。

家入: なるほど。仏教的な言葉としての「悟り」で言うと、仏教は「生きるとは苦である」から始まります。その苦から解放されるためにさまざまな教えや無常無我などの概念、真理を追求していき、最終的に苦しさから解放されるというのが「悟りをひらく」ということになります。だから僕は、悟りをひらくとは、悟りをひらいた「状態(ステータス)」をいうのではなく、それを常に追い求める「態度」のことをいうのだろうと思います。仏教でも、悟りはひらいて終わりではなく、その先がまだあると言っている。生きるのは苦しい。そこで悩み抜いて、あらゆる感情や執着を手放していって、行き着いた先に悟りがあるとするならば、確かに自分自身は穏やかな気持ちでいられるかもしれませんが、側から見たら廃人同然かもしれない。それが本当に幸せなのかは僕にも答えが出ていません。別の言葉で言うと「ウェルビーイング」とか「より良く生きる」ということになるのかもしれないけど、それと「悟りをひらく」が本当に同義かどうか、そして、それが幸せなのかどうかは分からないです。

荒島: 今日僕が家入さんに聞きたかったことの一つが、聞けたかもしれない。悟りとは「点」なのか「線」なのか、ということ。状態ではなくプロセスなのかをお聞きしたかったです。

家入: 僕は悟りをひらいたことがないので分かりませんが(笑)、線というか、「態度」のことだと思います。苦しみの後に訪れる感覚に近いのかもしれない。悟りをひらくというのは、僕らが今目の前にしている現実の見え方に対して、全く新しい認識の仕方を体得することなんだと思います。その体得の仕方はいろいろあって、死のような大きな出来事がそうさせる場合もあるし、厳しい修行の末に体得するものかもしれない。でもこれは「点」で急にポンと来るものではなく、そこに至るまでの過程のことをいうのだろうと思います。

仕事と悟りの交差点

伊藤: 「悟り」の輪郭を教えていただきましたが、今僕らはYADOKARIという組織として、「働く」とか「仕事」の中でそれに出会っていけないか、生きるを啓きながらYADOKARIという会社をやっていけないかということを、大きな問いとして持っているんです。家入さんは会社経営や仕事のフィールドにおいて、悟りのような場面が交差していることはありますか?

家入: 今の問題提起は「仕事とはそういうものではない」という前提がありますよね。その一方で「自由」みたいなものがあって、その交差点はあるのか、というお話。それで言うと、皆が皆できることか分からないし、僕が今の立場にあるから言えることだよと言われてしまいそうですが、僕は20数年前に会社を始めてから今に至るまでずっと、家族や会社のメンバー、仕事相手、遊び友達などを、全部混ぜ合わせているんです。こういうイベントにも家族が来るし、仕事の場でも境界線を曖昧にしていくことを大事にしていて。仕事とプライベートというだけではなく、いろんなことにおいてそうしています。境界線をつくってゼロか1かとしてしまった方が人間は楽なんですよね。例えば俺は仕事一本でやっていくと決めたから趣味の時間は全部捨てる、みたいに。でも本当はその間のグラデーションに大事なものがたくさんあって、経営者だけどギターがすごく上手いとか、そんなゼロと1の間をどうつくっていくかをすごく考える。仕事もその中に溶かしていく、みたいな感じです。

さわだ: これからの会社組織は、働く人個人の幸せや、その人がどう生きるか、どう在りたいかということが、会社のビジョンや方向性に合致している必要があるんじゃないかと僕は思っていて、それをYADOKARIで実現したい。家入さんが言っていた一つに融和していく、プライベートも仕事も人生も全てを包括していくことが必要じゃないかと考えているんですが、会社経営の中で、個人の幸せや思いについてどんなふうに捉えていますか?

家入: 会社は誰のものか?という議論ってありますよね。株主のもの、社長のもの…いろんな見方があるけど、僕はそこにいるメンバーのための居場所であると捉えています。その居場所で一人ひとりが気持ちよく働けることによって良いサービスが生まれ、お客さんに届き、数字となり、株主も喜ぶかもしれない。そういう構造であるべきだと思います。ただ、やはり全ての不安や不満を取り除けるわけではないということも、一方ではあきらめとしてあります。

さわだ: あきらめ…?

家入: 「あきらめ」というのは、これも仏教的な言葉で、本来はネガティブな意味ではなく「明らかにする」ということなんです。いろんなものを手放していくことでもあります。例えば自分がこうなれるとか、モテたいとか、そういう感情がポジティブに自分をモチベートして行動につなげられている時はいいのですが、いつか無理が来た時、心はしんどくなってしまいます。だからそういう感情や執着を一つひとつ手放していくことが、真理に辿り着くための道であると仏教では言われます。だから「明らかにする」と「あきらめる」は同じ意味で、決してネガティブではない。

僕は居場所づくりも行なっていますが、全ての人を受け入れる場所をつくるのは無理があって、僕らだからこそやる、僕らがやるべき対象の人たちにやる、ということが大事かなと考えています。心が疲れて学校や会社に行けなくなってしまった人がたくさんいたので、彼らが寝泊まりできる「リバ邸」という駆け込み寺のようなシェアハウスをつくったのですが、ある時、重い鬱病の方が来てしまい、場がクラッシュしてしまったことがありました。全ての人の居場所をつくるんだという気概でやっていたけど無理だった。それである先輩に相談したら、「全ての人を救おうだなんておこがましい」と。リバ邸にはリバ邸だからこそできることがあり、世の中にレイヤーのように重なるいろんな居場所をつくっていくしかないし、それはリバ邸だけがやることではない。そういうレイヤーが網目のように重なる世界では、社会から人がこぼれ落ちたとしても、どこかの層で何かしらの網目に引っ掛かる可能性が生まれる。その網目をどれだけ増やしていけるかが大事なんだと話をされて。

だから会社を「居場所」と捉えた時に、全ての人の居場所になるとは思っていないんです。もちろん今いるメンバーとそういう場所にしていきたいという思いはあるけれど、人生は流れる川のように出会ったり別れたりしながら進んでいくものなので、一人ひとりに執着しすぎて「絶対にこの人は手放したくない!」と心乱すよりは、またいつかどこかで一緒に仕事しようねという関係の方が健全だと思います。それでまた戻ってくる人もいますし。

でも難しいなと思うのは、一人ひとりに対してあまり執着しないというのは、自分自身が心穏やかでいられるやり方ではあるけれど、本当にその人のためを思ってやっているのか、ただ自分が傷つきたくなくてそういう態度に行き着いたのか、僕の中でも答えは出ていません。

さわだ: 経営者は傷つくことも厭わないというか、目の前の壁を大きなストレスを抱えてでも超えていく、そのために生きてるぞ!みたいな人もいますよね。

家入: 僕はそんなふうに生きたくはないですよ。でも経営だけでなく、僕は僕の人生の中でいろいろな傷を得てきたので、その中で結果的にこういう経営スタイルになったんだと思います。できることなら傷つきたくないですねぇ(笑)

数字を追うことと執着を手放すことの折り合い

荒島: 今の、執着しないとかあきらめるというお話は、人材などに関してはそうかもしれませんが、例えば数字を追わなきゃいけない時などは、どんなふうに折り合いをつけていらっしゃるんですか?

家入: これは逃げるような答えになってしまうかもしれませんが、僕らにも僕らの目標数字があって、社内会議などでそれに対してどうこう、という場面がありますよね。そこで僕がする話としては、そもそもなぜ数字を追わなきゃいけないんだっけ?という所から始まります。僕らのミッションは「一人でも多く一円でも多く、想いとお金がめぐる世界をつくる。」というものですが、こういう世界をつくるという目的があって、その上でどう「インパクト」を出すかという話があって、それが数字になり、結果的に社会に対する約束になっていく。なぜ数字を達成しないといけないかというと、僕らのミッションを達成するためにやるべき、やらなきゃいけないんですよね。みんな日々、自分の持ち場でタスクに追われていると、なぜ自分がこの仕事をしているのか分からなくなる瞬間がある。その時に目標を立てたからやらなきゃいけないのではなく、この山の向こう側の世界をつくりたいから、そこに行き着くために、この社会に対する約束を実現していかなくちゃいけないよね、それをブレイクダウンしたのが数字である、という視座を持てるようにすることが大事かなと思っています。

伊藤: 僕らにも見たい世界があって、そのためにやっていきたいことと、それを支える指標や数字があるはずで。こんなふうに生きていきたいというビジョンを描くけれども、日々が自動操縦になってしまった瞬間にこぼれ落ちていく「怯え」や「恐れ」のようなものがある気がしています。それはYADOKARIだけじゃなく、今日来場してくださった方全員にあると思う。そういうことにちゃんと向き合う機会をつくりたくて企画したのがこの「鏡祭」というイベントで、これは毎年やっていきたいと思っています。家入さんの経営者としての日々の中に、「小さな鏡祭」みたいな瞬間がたくさんあるのかなと思いました。

山の向こう側を信じる

伊藤: 「生きるを、啓く」というパーパスを議論している際、これは一人でもやれそうじゃないか?という問いもありました。会社である必要があるのか?と。

さわだ:  僕は「生きるを、啓く」をYADOKARIに設定してから、YADOKARIの中で起こるすべてのことをあきらめないと決意したんです。皆にもそう在ってほしい、YADOKARIは本気で人生を変えようとする場で在ろう、と求めてしまう。

家入: そんな一面があるんですね。荒島さんは、これをどう感じているんですか?

荒島: 僕はけっこう共感しています。

さわだ: 荒島には、ふだん僕は全然共感されないんですよ(笑)

荒島: でも僕は、「生きるを、啓く」に対する共感度は社内でも高めじゃないかと思うぐらい共感してます。家入さんは、「一人でも一円でも多く…」という“山の向こうの世界”を強く信じていらっしゃるじゃないですか。それをあきらめないという気持ちと、物事にあまり執着しないという仏教的な心境とは、どういう整合性になっているんでしょう?

家入: 難しいのでうまく説明できるか分かりませんが、僕らがCAMPFIREを立ち上げたのが東日本大震災の直後だったんです。あの震災は、地方の課題を浮き彫りにしましたし、被災された方だけでなく多くの人が、短期的なものではなく長期的なものとして価値観の変化を強いられた出来事だったと思います。その最中で僕らはCAMPFIREを立ち上げ、事業をやっていくにあたり、クラウドファンディングというものが本質的に何を体現すべきかを考え続けました。今では多様な使われ方をしているクラウドファンディングですが、僕らは人口減少社会において、既存の社会からこぼれ落ちていってしまう人たちにとっての新しい経済圏をどうつくるか、極端に言うとそこにしか興味がないんです。それを言葉を換えて「一人でも多く一円でも多く、想いとお金がめぐる世界をつくる。」と言っている。

ここから先、人口減少は、嫌だとかダメとかいう話ではなく、そうなってしまうと決定していて、自治体や国が提供していたインフラやサービスが崩壊していく。そういう世界の中で僕らの子どもやそのまた子どもの世代が、この国にいて良かったと思える社会をどうつくっていくのか。それがスタートアップ企業の役割だと思います。社会課題を解決したいとか、そういうことではなく、単純に自分の子どもたちの世代がどう在れば幸せかということを実現しようとすると、それは民間でやっていくしかなく、だからミッションを達成したいとか、そこへの執着ということではなくて、「せねばならん」「それがないと成立しない」という感覚…うまく伝わってます?

荒島: すごく面白いお話を伺っている気がしています。ビジョン・ミッションとか、それを浸透させるとか、会社のみんなが同じ熱量で「生きるを、啓く」を捉えていく状態をつくるのは非常に難しい。でも今、何か、その次の次元のお話をされている気がして。そういう感覚ではなく、「当然につくらなくてはいけない未来だよね」みたいな感覚で捉えていらっしゃるんだなと。

家入: それはメンバーもわりと信じてくれていると思います。その世界をつくるためには、やはり僕らが自分たちの掲げた言葉をどれだけ信じ込めるかどうかだと思うんです。

幸せとは? より良く在るとは?

さわだ: 僕が今、会社でとてもやりたいことは、個人の幸せやどう生きるかみたいなことを会社の中に組み合わせていきたい、会社も個人も同じ方向を向いて進んでいきたいということです。会社のミッションやパーパスの中に、個人の生き方や哲学みたいなものも反映されているような状態。家入さんはどう思いますか?

家入: 社員個人の幸せという言葉が出るたびに感じていたんだけど、僕はあまりそこだけを重視しているわけではないかもしれない。

さわだ: 社員は皆幸せであってほしいが、そこに対して一人ひとりに自分がコミットする時間は無い?

家入: いや、時間の問題ではないかもしれない。矛盾してますね、さっきは会社は皆のための場所だと言いながら。本当にそれは信じていますが、一方で全ての人の幸せなんて実現できるわけがないと思っているし、それも真理。幸せになるための場所はここだけじゃないと思うんです。

伊藤: 伺っていて思うのは、僕らは今「生きるを、啓く」をパーパスに設定して、メンバー一人ひとりの幸せを支えたり引き出すことができる組織とは?という問いの下に話をしてしまっていましたが、僕は家入さんが一人ひとりの幸せに興味が無い、そこに愛情が無いというよりは、幸せとは誰かや何かに「してもらう」ものではなく「自分でなるもの」だと考えていらっしゃるように感じて、そこが大きな気づきでした。

家入: 「幸せ」って何でしょうね?

さわだ: 家入さんは今、幸せですか?

家入:それなりにいろいろありましたが、不幸せだと思ったことはあまりないかもしれない。幸せって何でしょうね。「ウェルビーイング」って何ですか? より良く生きるってこと? 「より良く」って何でしょうね。

「より良く」というのは、こう在るべきというものがあり、それに対する差分を明確にして、そこに至るまでのステップをどう踏んでいくかという発想ですよね。だからある意味、資本主義と非常に相性が良い。資本主義の本質にあるのは、自分じゃない誰か、ここじゃないどこかという夢を見させて、その夢と現実との差分をマネタイズすることでドライブさせる仕掛けだと思うんです。そういう意味でウェルビーイングは資本主義に乗っかりやすい思想だし、「より良く在る」って何だろうなと今、改めて思いました。どこかに何か、違う人生があったんじゃないかとか、自分はきっとこう在ることができるとか、そう考えるのって結局は苦しいですよね。

「悟り」は現実を書き換え、自分をケアしていく物語

家入: 今回、この「悟り」というテーマをいただいた時に、悟りって何だろうと考えたんですよね。もちろん仏教的な悟りの概念はありつつ、この場でいう「悟り」とは、至極個人的な人生において「悟り」というものをどう捉え直すか、みたいなことだろうと。先ほど「悟り」というのは状態ではなく、それを求めていくプロセスをいうんじゃないかという話もありましたが、そのプロセスが何を意味するのかを考えると、僕は悟りをひらくために動いていくプロセスは「自分をケアしていく物語」なのだろうと思ったんです。今置かれた現状を不幸で辛いものとして見るのではなく、そこに違う視点を持ち込むことで現実を捉え直すことが「悟り」だと思います。それは言い方を換えるなら、「違う現実をつくり出す」ことでもある。他に分かりやすい言い方ない?

伊藤: 「意味を書き換える」?

家入: そうそう。それはどのように行うのかというと、過去に起きた自分の出来事をただの辛い経験で終わらせず、「だからこそ今この活動をしている」ということにつなげていけたら、その過去の辛さや傷、劣等感や怒りなどの負の感情に意味を見出すことができますよね。そうすることによって現実を書き換えていくプロセスのことを、今回の場においては「悟り」というのかなと。「生きるを、啓く」もこれに近いかもしれません。だから「より良く在る」という話でしかないとしたら、現実とその先の差分をどう埋めていくかということしかないのだけど、「現実を意味づけし直していく」作業というのはきっと、生まれてから今に至るまでの自分の過去の出来事と一つ一つ向き合っていくことなんですよね。そこに意味を見出していくことによって、「だから今ここにいるんだ」と現状を再定義し、じゃあこの先の自分が何をすべきなのかにつながっていく。

僕は中学2年でいじめをきっかけに引きこもりになり、10代は家からほぼ一歩も出られないまま過ごした経験があります。僕がリバ邸をやっているのは、あの時、家でも学校でもない、こういう第3の居場所があったら良かったなと思っているから。だから僕がやる意義がありますよね。そこに接続できた瞬間に、過去が隠すべきものではなくなった。過去に向き合い、過去に意味づけをし、今に接続をつくっていく、それが「悟り」であり「生きるを、啓く」なのかなと思いました。

働き方も生き方も、皆が一つに溶けていく世界

さわだ: 僕の理想として、個人の幸せを会社でも実現していきたいという思いがある中で、AIやロボティクスが進化して、人は本当に好きな仕事をやれば良いという世の中になるのだとしたら、もしかしたら場としては会社じゃなくてもいいかもしれないし、そうなったら何によって皆とつながるんだろうと考えたりもします。哲学や思想でつながるコミュニティといえば宗教組織もそうだけど、会社組織と宗教組織は何が違うんだろう? どうですか?

家入: そうですね、いろんな宗教の定義があると思いますが、僕は宗教の本質というのは、「人智を超えた所に生きる意味を設定してくれる存在を置く」ことだと思うんです。人間は理由を求める生き物なので、特に自分がしんどい時に、なんで自分だけがこんな辛い目に遭うんだ、そこには理由があるはずだと思うわけです。その理由を解き明かしたいけれど、理由が無いことも往々にしてありますよね。僕がいじめを受けた明確な理由なんて分からない。でも僕が、なぜいじめられたんだ?とその理由に執着している限り、その過去の苦しみからは逃れられない。その時に、ある宗教では前世の行いが悪かったからだと言うかもしれないし、別の宗教では神様の試練だと言うかもしれない。でも、その理由を人生を超えた所に設定してくれることによって、理由を求めずに済む。しょうがないかと思えたり、じゃあせめて今世は良いことをして来世につなげよう、みたいにポジティブに変換できる。「生きる理由を異なる所に設定して、それを信じることができるかどうか」が宗教の定義だと思います。

そうだとした場合に、それは宗教組織・宗教法人である必要はないと思うんです。「生きるを、啓く」を皆で信じていて、自分がなぜ生きるのかに対して理由を設定してくれる存在が会社であるならそれでいいかもしれませんし、コミューンや共同体でもいいのかもしれない。特に日本においては宗教関連の事件の影響で、批判的な意味で「宗教的だ」という表現をすることが多いですが。

さわだ: それは外の人が僕らを見た時にどう捉えるか、ということですね。YADOKARIの未来を考えていくと、「生きるを、啓く」が進んでいった人ほどYADOKARIの枠にはまらなくなっていくんじゃないかとも話していて、現に新卒で入社して2年前にうちを辞めた子が、お金も持たずに海外へ行って絵を描きながら発信して何万人ものフォロワーができ、今や世界中を旅しているんです。そういう人を留まらせておくべきではないと僕は思うし、辞めた後でも「あの子はYADOKARIだ」と思っている。そんなふうに、思想なのか、価値観なのか、YADOKARIを一回通りましたという事実だけでもいいのかもしれないけど、それがつながり合っているコミュニティみたいな会社に少しずつしていきたい。今はもうオフィスが無くても、どこにいてもいい時代だし。

家入: そうですよね、働き方もグラデーションだと思うんです。社員か否かとか、メンバーの定義とか、そういうことはどんどん曖昧になっていき、かつタイニーハウスやスポットバイトみたいなものがさらに普及していくと、「働く」とか「仕事」の意味もきっと変わっていく。そうすると最終的に何をもって組織とするのか、メンバーとするのかはどんどんグラデーションになっていって、ぐちゃぐちゃになっていくし、それでいいんだと思う。皆、溶けていなくなる。でも何かしら関わり続けていく。会社の形はそういうものになるのかもしれないですよね。

終わりに

いつしか嵐は収束に向かっていた。まるで世界がすっかり洗われたように感じられた。「悟り」とは、過去に向き合い、意味を書き換えることでそれを癒し、今とこれからに接続するための物語。それが「生きるを、啓く」と限りなく同義であるならば、このパーパスは、泥臭くもがき続けてきたYADOKARIという会社とそこに関わる人々のこれまでを肯定し、そこから続く未知の世界へと進む勇気をくれる。一人ひとりが自分の人生を本当に愛することを思い出すための鍵だ。

その鍵を手にした途端、個人や、会社や、仕事や、立場…あらゆる境界が溶け始め、世界が再創造されるような気がした。そんな感覚を共有し合える人々がつながるYADOKARI文化圏。それは既存の会社や組織の形では到底捉えきれない、一つの宇宙のようなものかもしれない。

取材・文/森田マイコ

2024年7月6日、YADOKARIは創業10周年を記念して、1人ひとりが自分の人生を取り戻し新しい世界を創っていくために、“自分と、他人と、世界と向き合い、共に行動するための集い”「鏡祭」を開催した。イベントテーマ「180 〜めざす、もがく、変わる〜」の下、各界のゲストを招き、今向き合いたいイシューについて行った4つのトークセッションの様子を、YADOKARIに関わりの深い3人のライターが「鏡」となり、映し出す。本記事は、セッション①「祈り」のレポートだ。

「鏡祭」の会場となったのは東急プラザ表参道オモカド内にある「おもはらの森」

はじめに|「私の神様はどこにいる?」

YADOKARI と一緒に仕事をさせていただくことになり1年が経つ。
本音が見えにくい環境、仕事のために場所も時間も縛られる、そんな社会人生活に疲弊していた私にとって、世界を変える暮らしをつくろうと模索する彼らの姿は、これからを生きる希望のように見えた。そんなYADOKARIとの出会いをきっかけに、心に中に眠っていた想いや好奇心が掻き立てられ、世界の様々な場所から文章を綴り、多様な暮らしの営みが自身の価値観と溶け合う感覚を楽しみながら、日々を過ごしている。

旅する暮らしの中で私が最も魅了されていたのは、人々の「祈り」の姿だった。
ガンジス川の先をまっすぐな瞳で見つめ手を合わせるヒンドゥー教徒、私の旅の平穏を願い、神に静かに語りかけ祈りをささげるキリスト教徒の友人の姿はとても美しかった。

「何があろうと変わらぬ姿で自分を愛し、見守ってくれている。そう信じられる存在が常に心の中にいるのなら、どんなことがあっても強くあり続けられるはずだ。」

祈るという行為には、私の知らない豊かさがあるように思えたのだった。

自分の祈りの先となる神様のようなものを探し始めていたとき、鏡祭トークセッションのテーマが耳に入り衝撃を受けた。その1つが「祈り」だったからだ。
私の大好きなYADOKARIは、「祈り」というものをどう捉えているのだろうか。私の神様を見つけるためのヒントがあるに違いない、そんな期待を胸に、4人の対談に耳を傾けた。

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テーマ:祈|いのり
意思、ありたい自分を守る日々の過ごし方、暮らしのアーティスト、礼拝的な瞬間、戦争と生活

【ゲスト】

●筒|ドキュメンタリーアクター / 6okkenメンバー
実在の人物を取材し、演じるという一連の行為を「ドキュメンタリーアクティング」と名付け、実践する。近年の活動に、十和田市現代美術館「地上」、ANB Tokyo「全体の奉仕者」など。主な受賞に、第28回CGC最優秀賞、やまなしメディア芸術アワード2023-24 山梨県賞など。Forbes Japan 30 under 30 2023選出。


●西山萌|編集者 / 6okkenメンバー
編集者。粘菌。多摩美術大学卒業後、出版社を経て独立。編集を基点にリサーチ・企画設計・場所づくり・書籍制作・メディアディレクションなど。アート、デザイン、都市などメディアを横断し、雑誌的な編集を行う。編集を手掛けた書籍に『ADCADE TO DOWNLOAD — Internet Yami-Ichi 2012–2021』(エキソニモ、2022)、『来るべきデザイナー現代グラフィックデザインの方法と態度』(グラフィック社、2022)他。


●鈴木なりさ|喫茶おおねこ店主
もっと声をあげやすい社会をめざして政治分野で活動中。2021年から吉祥寺「喫茶おおねこ」店主/経営。2023年武蔵野市議会議員補欠選挙立候補。現在、杉並区長岸本さとこ事務所スタッフ&ローカルイニシアティブネットワーク事務局。保護猫2匹と暮らしています♪


●伊藤幹太|YADOKARI ブランドフィロソファー
神奈川県横浜市生まれ、新宿在住。2019年にYADOKARIへジョイン。自社施設「Tinys Yokohama Hinodecho」の運営を経て、公園・広場・団地などを舞台とした地域活性化支援や、タイニーハウスの企画・開発業務に従事。2024年から、ブランドの精神・思想・哲学を探究し、文化圏へ浸透させていく役割「ブランドフィロソファー」に就任。
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「意宣り」とは

伊藤:創業から10年、YADOKARIはメディア、タイニーハウスの販売、そしてまちづくりなど、暮らしにまつわる様々な領域へと活動の幅を広げています。こうして会社が大きくなる中で、なんでこういう活動に取り組んでいるのか、自分たちがどうありたいのかを見失い、悩むことが、会社としても僕個人としても増えてきているんです。

「祈り」と聞くと、宗教的なものをイメージされる方が多いかと思いますが、元は「意宣り」と書き「自分がこうありたい」という意志を宣言しながら、もしくは音にせずとも心に留めながら生きていく姿勢のことを言うそうです。

僕たちが「こうありたい」と願う確たる意志を持ち続けることの大切さを実感している今だからこそ、普段から「意宣り」をたずさえ、多様な業界で活躍されているお三方をお呼びしました。

最初に、皆さんが「意宣り」と聞いてどんな印象を持たれたのかお聞きしたいです。

:僕にとって「意宣り」は、すごく身近にあることだなと思いました。例えば500円玉が落ちてたら「今日はいいことがあるかもしれない」って思えたり、少し離れたところにあるゴミ箱にゴミを投げて、中に入ったら試験に受かる。なんて運試しをしてみる時だったり。
自分が叶ってほしいと思うことを、日常の中にある習慣と紐づけて考える時、自分がこうありたいという「意宣り」を、無意識のうちに実践しているように思います。

西山:ひとによって異なるとは思うのですが、誰しも心の内に日々何かしらの「祈り」をたずさえながら、自らの心のなかで意思を宣言するという行為は日常的に行われていることなのかなと。一方で「意宣り」を誰かと共有することはあまりないのかもしれないなと考えていました。

編集者として言葉を扱う仕事をしたり、日々目まぐるしく更新されていくSNSのタイムラインを見るなか、今の時代は、多くの人が誰かに発信することや伝えることに重きを置いているように感じます。だからこそ、伝えることを一番の目的としていない「意宣り」にはとても特別な意味があるように思いました。

鈴木:「意宣り」を誰かに共有することは、私にとってあまり身近なものではなかった気がします。例えばジェンダー平等や、気候危機の問題など、社会がこうなってほしいという「意宣り」を掲げたときに、周りから「意識が高い」と言われたり、冷ややかな目を向けられることが日本では多々ありますよね。
日本には「意宣る」ということを受け入れられない風潮があるように思います。

実現するためではなく、自分が自分であるための「意宣り」を

伊藤:「意宣り」を個人の中でとどめておくことは出来ても、誰かに共有したり、発信することは難しい。そんな中で、なりささんや萌さんは自分の中にある「意宣り」をどうやって守ってきたのですか?

鈴木:祖母の家に行くことが「意宣り」を守ることに繋がっていたのかもしれない。一緒にご飯を食べながら「今何してるの?」、「ちゃんとご飯食べてるの?」、「カフェの経営は大丈夫?」とよく聞かれていたんです。そんなときに私は「自分がこうありたい」という想いを再確認できていたような気がします。

西山:私は、精神的にとても落ち込んだり体調を崩したときなど、困難と立ち向かわなくてはならない際に「意宣り」を意識しているような気がします。

本当に辛くて立ち直れそうもない、誰かに相談しても解決できそうもないときってあるじゃないですか。そんなときに自分を助けてくれたのが、少し離れたところから状況を把握し、第三者の立場から見てくれているもう一人の自分の視点でした。こうありたいという「意宣り」から生み出されるそうした視点が、今の状況を精査して次の行動やマインドを作るのをサポートしてくれている感覚があります。

伊藤:筒くんは、俳優業を通して自分ではない誰かのことを自分の身体を通して演じていますよね。

:はい。ドキュメンタリーアクティングという、実在の人物を取材し演じるというプロセスを実践しています。今の話を聞いて、「ドキュメンタリーアクティング」という活動そのものが自分にとっての「意宣り」だったのではないかと思いました。

この活動を始めたきっかけは、まさに萌さんが言うように、友人を亡くし、自分が本当に辛かったときでした。

彼のお葬式に行ったとき、「彼はいいやつだったよね」とか 「オープンなやつだった」と、みんなが口々に言っているのを見ました。確かにそれは事実なんだけど、彼女の前では気弱だった姿とか、好きなことをやろうぜってみんなを勇気づけてくれていた半面、嫌いな仕事をクソクソって言いながらやってた姿とか、この言葉では表せない彼の一面がたくさんあったんです。その場にいると彼のそんな姿を忘れてしまうような気がして、怖くなりました。

僕しか覚えていない彼をこの世からなくしてしまったら、彼しか知らなかった僕もなくなってしまう。そんな恐怖をきっかけに始めたのがドキュメンタリーアクティングです。他者を演じることにより、自分自身を目に見えるカタチで残していく。作品を作るためではなく、自分が自分であり続けるために行った行動でした。自分にとってこの活動はきっと「意宣り」だったんですよね。

伊藤:ただ自分らしくあり続けるために、自分の意志をカタチにすることも「意宣る」という行為の一つなのだなと今のお話を聞いて思いました。

僕、学生時代に振られたことがあったんですけど、たとえ振られても相手を好きな気持ちは変わらないじゃないですか。叶うかどうか分からないけれど、それでも相手を好きと思う気持ちをカタチにするっていうのはある意味「意宣り」だったのかもしれない… (笑)

鈴木:叶うかどうかは分からないけれど、それでも自分の意志を置いておく。私の政治活動はその意味合いが強いです。

私が政治活動に関わり始めたきっかけは、選挙に立候補した先輩の手伝いをお願いされたことでした。最初は選挙に立候補するつもりはまったくなかったのですが、手伝い始めたらなんだかすごく楽しくて。仲間たちがみんな立候補する流れがあったので、私も立候補したんです。

当時は自分の声を残したいという気持ちが強かったです。全国でたくさんの若い女性が立候補した中で、受かった人はまだ半分ぐらい。でも、声を挙げたという事実はいつまでも残るじゃないですか。「あの人が立候補したなら、私も立候補しようかな」というように政治に参加する若い女性が、今後はもっと増えたらいいなと願っています。「挙げた声は残る」私はそう信じています。

伊藤:萌さんも、個々の声や想いをカタチにするような活動をされていましたよね。どんな想いで活動をされていたか、活動の紹介も含めてお話しいただけますか?

西山:ロシアによるウクライナへの侵攻が始まった時、日々凄まじい光景がマスメディアを通じて報じられるなか、それでも日常生活は続いていく。戦争にはもちろん反対、という思いを抱きながらも、遠く離れた訪れたことのない国に対してどのような思いを抱けばいいのか。自分たちに何かできることはあるのか。言葉にならない悶々とした心境にある人も含め、誰もが現在の状況に対して態度表明をできる形式を考えたいという思いから「WAVES」というプロジェクトを始めました。

当時はデモに参加し「戦争反対」と声を挙げることだけがまるで模範解答のように映し出されている状況がありましたが、戦争に反対するその先に、どんな世界を望んでいるのか、何を守りたいのかは、みんなそれぞれバラバラなはず。そういったそれぞれ異なるはずの想いが、「戦争反対」という一つの言葉だけに集約されてしまっていることに、私自身、強い危機感を感じていました。なぜなら、極端な例かもしれないですが、「戦争反対」だからこそ、戦争を食い止めるためには武力の行使も厭わない、という考え方もできてしまうからです。戦争反対という言葉で終わらせず、その先にどのような未来を思い描いているかで社会は大きく変わってしまう。それに「今の状況を受け入れたくはないけれど、募金やデモには距離感を感じてしまう。他にできることはないのだろうか」と考えている人が、実はたくさんいたんですね。

そうした状況を目の当たりにし、「私たちが何を思い、大切にしたいと考えているのか」、それを人と共有できる場を作ろうとスタートしたのが「WAVES」でした。明確な意見がなくても、必ずしも言葉で表さなくてもいい、なんでもいいからあなたにとって今大事にしたいこと、守りたいものは何かを考え、それをあなたの態度表明としてポスターに表してほしいと呼びかけました。そして活動に賛同してくれて集まった80以上の態度表明を、日本各地で巡回展示を行い、さらに多くの方と言葉を交わすことができました。

意宣りを共に守り続けられる場を

伊藤:僕、意宣りというものは個人のものであると同時に、自分だけでは守ることが出来ないものだと思っています。

ある時、自分が固定観念にすごく縛られていることに気づき「好奇心の奴隷になる」と決めて生きてきたんですが、その意志を守り続けることが出来たのは「それめっちゃいいね」って背中を押し続けてくれる仲間がいてくれたからでした。

筒くんたちが作っているアーティストランレジデンス「6okken」も、そこで暮らす人たちの「意宣り」を守ることに繋がっているんじゃないでしょうか?

:確かにそうですね。山梨に6棟の家を借りて、アーティストたちが暮らす場「6okken」を運営しているのですが、アーティストっていう言葉の定義を、音楽家や美術家などに限らず、その人が手放せばこの世から消滅してしまう視点に向き合い続けてる人というように言っていて。それは、「意宣り続けている人」と同じ意味合いがあるように思います。

大切な視点を持った個性の強い人たちをまとめ、マネタイズすることに難しさを感じていますが、こういった生活拠点がもっと増えたらいいなと願いながら日々活動しています。今後は、そんな場づくりをしてみたいと思う方々への道しるべとなるよう、6okkenを作るまでの過程や、今僕たちが直面していることやその解決策を記したレシピブックのようなものを作る予定です。
自分の意宣りを、1人ではなく誰かと共に守り続けられる環境は絶対にある、多くの人がそう思えたらいいですよね。

伊藤:なりささんは、政治活動してる中で「意宣り」を誰かに共有したり、守り続けるということをどのように実践されていますか?

鈴木:私は、先ほど萌さんが言った態度表明っていう言葉が自分の行動に近いように思いました。

自分が選挙に出る前までは、SNSで政治的なことを発信したことがなかったので、ジェンダーのことや女性の権利など自分の大切にしたいことについての発信を始めたとき、学生時代に知り合った人たちが、これまで通り友達でいてくれるかどうかがすごく不安だったんです。でも発信し始めたら、友人の意見を伝えてくれたり、イベントに呼んでもらったりと、むしろ友達が増えていました。
自分の「意宣り」を表明することは、人と繋がるための良い一歩なのではないかと思います。

「意宣り」を続けるために、自分を開いていく

伊藤:萌さんは冒頭で「意宣り」は必ずしも誰かに共有する必要のないものだとおっしゃっていましたが、この話を踏まえて何か感じていることはありますか?

西山:たしかに「意宣り」を誰かと分かち合えることができたなら、それはとても素敵なことだと思います。一方で誰もが「意宣り」を共有できる、そんな心地よい環境をつくるためは分からないことを無理に分かろうとしないことを大切にする必要があると感じています。

性別や世代など、それぞれ異なるバックグラウンドを持つ人たちと一緒に6okkenのメンバーと過ごすなかで、お互いを100パーセント理解して受け入れることは当然できない。わからないことをわからないままに、共に過ごすことも大切なのだと気が付きました。

わからないままでいることって怖いことのようにも思えるのですけれど、「わからない」という気持ちを自分の中にとどめたり、時に相手に伝え合える環境なら、それぞれが持つ「意宣り」を守り続けることができるのではないかと思います。

鈴木:「意宣り」を大切にするために、注意しないとならないことってたくさんある気がする。私たちは「意宣り」にポジティブな印象を持つ一方で、米軍基地での問題に声を挙げている沖縄の人たちなど、身近な人の意宣りに対して、見て見ぬふりをしてしまうこともありますよね。

:「意宣り」がスローガンのように掲げられ連帯が生まれたとき、その連帯を強めるために、他のものを虐げてしまうということもある気がする。これをしないためにも、外の世界に出て、他の人が持つ意宣りの存在に気付き続けることが大切だと思います。

西山:自分の「意宣り」にだけフォーカスして壁を作ってしまうのは、たしかに危ない。自分が願っていることがたった一つの「正義」や「正しさ」と呼ばれるものと繋がった瞬間、例えば政治だったり、何か大きなものに利用されてしまうことがあるかもしれません。

「意宣り」は絶対に消費されてはいけないものだと思っています。 そうはならないために、たとえ共感することができなくても、自分の知らない世界や、会ったことのない人たちの中にも「意宣り」があるということを知っていく、もしくはその世界に自分を開いていくことが大切になるのではないでしょうか。

:それこそこの鏡祭のような、「意宣り」をスローガンのようなものでカタチにしたり、掲げたりすることなく、等身大の自分として集い、それぞれの「意宣り」を映し合える場所が必要ですよね。

幹太:そうですね。「自分がどうありたいのか」、「目の前の仕事を何のためにやるのか?」そんなYADOKARIや、ここに足を運んできてくださった皆さんそれぞれ感じている等身大の違和感と向き合える場所となるようにと開催したのがこのイベントだったのですが、こういった場が僕たちには必要だってことに改めて気づけました。これからも「意宣り」を持ち寄り共有できるこの「鏡祭」という場を、守り続けていこうと確信しました。

終わりに|「意宣りの先は、もうすでにそばにあった」

これまでの人生の中で抱いた違和感や恐怖から目を背けずに向き合い、「意宣り」を守り続けてきた4人の元へは、対談後も多くの人が集まり、心を寄せ合う姿があった。
カタチにならずとも確かに心の中にあった想いが「意宣り」となり、その輪郭が段々と浮かび上がる。そんな感覚を覚えたのはきっと私だけではなかっただろう。
トークが終了した後の私たちのいる空間には、目には見えないあたたかな連帯の輪があるような気がした。これがYADOKARIの言う「YADOKARI文化圏」なのかもしれない、私はそんなことを考えていた。

自分のいのりの対象を外へ外へと探し求めていた私。
しかしそれは、世界のどこを探しても見つかるものではなく、すでに心の中にあるものなのだと、4人の対談から気づかされたように思う。そして声にならない小さな「意宣り」を互いに写し合い、守り合ってきた身近な人たちの存在にも。

どんどんと広がる「YADOKARI文化圏」の中で、どんな世界と出会えるだろうか。そんな期待を胸にこの社会を生きられることの幸せを、深く、噛み締めていた。

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