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by Nicholas Green

音楽をやりたいと思ったら、楽器を買って音を奏でる。それは自然でありふれた行為だ。
言い換えると、楽器を買えるだけのお金がなければ音楽はできない。そう思っている人は多いのではないだろうか。

私たちの日常と共にある音楽だが、自分自身で音を奏でることのハードルは決して低いものではない。しかし世界には「楽器を買うお金がないのなら、自分たちでつくればいい!」と身の回りのもので音楽を始めた人たちがいるという。

今回は、身の回りにあるもので楽器をつくり、音楽を奏でる「ジャグバンド(Jug Band)」について紹介しよう。

楽器を買うお金がないなら自分たちで楽器をつくろう。ジャグバンドのはじまり

by Shelagh Murphy

1900年代初頭のアメリカ南部。
音楽をやりたいけれど楽器を買うお金がなかった黒人たちが、身の回りにある生活用品で楽器をつくり、音楽を奏ではじめたのがジャグバンドの始まりと言われている。

ジャグバンドの「ジャグ」”Jug”とは、ウイスキーなどの飲み物を貯蔵するための「瓶」のこと。瓶の口に息を吹き込む音を奏でていたことが由来なのだそう。ギター、バンジョー、マンドリンなどのベースとなる楽器に加えて、洗濯だらいに棒とワイヤーを張ってベースのように使うウォッシュタブベース、洗濯板をこすって音を鳴らすウォッシュボードなど、様々な手製楽器がある。

アイディア次第で、身の回りにあるものが何でも楽器になる可能性を秘めているのがジャグバンドだ。生活用品を楽器として使って演奏するのでお金もかからない。どんな環境や状況にあっても、身の回りにあるもので音楽を楽しむことができるのだ。

陽気で明るく、思わず踊りだしたくなるような音楽。みんなで音を奏でるジャグバンド

貧しく楽器を買うお金がなくても、音楽を奏でる楽しみを諦めなかった当時の黒人たち。
彼らにとって、音楽はとても大きな存在であり、単なる娯楽にとどまらない精神的な支えであったことが、ジャグバンドが生まれた時代背景から想像できるだろう。

ジャグバンドが生まれた当時のアメリカ南部では、アフリカから奴隷としてアメリカに渡る黒人たち、またはその子孫がほとんどだった。

ジャグバンドの特徴は、ひとりではなく、何人かと一緒に楽器を奏でることによって、より音が味わい深くなっていくことにある。
そのため、個性的な音を奏でる様々な楽器を演奏する人々によって、一緒に音楽が奏でられることが多い。

そして、ジャグバンドで演奏される音楽は、陽気で明るく、思わず踊りだしたくなるようなもの。みんなで音楽に合わせて踊り、楽しい時間を分かち合う。ジャグバンドはそんな場を簡単につくることができる。

▲アメリカ ケンタッキー州で行われたジャグバンドミュージックフェスティバルの様子

日常の中に豊かさをみつける。ジャグバンドの魅力

by Jade Masri

家の中を見てみよう。音が鳴るものが、身の回りにはたくさんあることに気付くかもしれない。
ジャグバンド奏者は、ホームセンターに行った時に、まるで楽器屋さんに行ったような気持ちになるのだという。

「どんな音が鳴るだろう」と普段と違う視点で身の回りのものを眺めるだけでも、日常が少し楽しくなりそうだ。楽器を買うお金を持っていなくても、音楽を奏でた当時の黒人たちのように、少し見方を変えると、自分の身の回りにあるもので楽しみをつくることができることに気付くだろう。

現代に生きる私たちは、日々を楽しんだり、何かを表現するためにはお金が必要だと思い込んでいることで、日々の暮らしを豊かにするヒントを逃してしまうことがある。お金で得られる豊かさはたしかに存在している一方、決してそれだけが全てではない。

音楽だけににとどまらずに、日々の生活や私たちの心を豊かにする方法を探してみよう。そうすることで、身の回りのもので音楽を始めた黒人たちのように、きっと私たちも、日常の中にある豊かさを見つけることができる。

Via:
acousticmusic.org
cmuse.org
centerforworldmusic.org
a-kimama.com
jazzdiscnote.jp

YADOKARIと共振共鳴し、新たな世界を共に創り出そうとしている各界の先駆者やリーダーをお迎えして、YADOKARI共同代表のさわだいっせいが生き方のコアに迫る対談シリーズ。Vol.2は、株式会社NEWPEACE CEOの高木新平さんを迎え前後編でお届けする。社会に新しい希望をつくり出し続ける高木さんが、いかにして「ビジョニング」に辿り着いたのか? パーソナリティのコアにあるものについて語る。


高木新平|株式会社NEWPEACE代表取締役CEO(写真右)
富山県射水市出身。博報堂から独立し、各地でシェアハウスを立ち上げ。ネット署名を活用し、「One Voice Campaign」を展開。ネット選挙運動解禁を実現。2014年NEWPEACE創業。未来志向のブランディング方法論「VISIONING®︎」を提唱。スタートアップを中心に様々な企業や地域のビジョン開発に携わる。その他、富山県成長戦略会議委員、株式会社ワンキャリア社外取締役など。起業家の思想と人生に迫るPodcast番組「インサイドビジョン」も配信中。

さわだいっせい|YADOKARI 代表取締役 / Co-founder(写真左)
兵庫県姫路市出身。10代でミュージシャンを目指して上京し、破壊と再生を繰り返しながら前進してきたアーティストであり経営者。IT企業でのデザイナー時代に上杉勢太と出会い、2013年、YADOKARIを共同創業。YADOKARI文化圏のカルチャー醸成の責任者として、新しい世界を創るべくメンバーや関係者へ愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人に会うことを惜しまない。逗子の海近のスモールハウスをYADOKARIで設計し居住中。

この日の対談は、高木さんが手がけた都内の伝統ある日本庭園の新ビジョン&事業発表会の後、館の一角で始まった。

「違い」を「価値」へ変えるファッションとの出会い

さわだ: 新平さんにも来ていただいたYADOKARIの10周年イベント「鏡祭」でパーパス「生きるを、啓く」を発表しました。これに本気で取り組んでいく一環として、僕らが共感を抱く先駆者の方々の「生き方のコア」みたいなものを伺って、YADOKARI文化圏の皆にも届けたいなと。誰しもトントン拍子で生きてきたわけではなく、光もあれば闇も抱え、何者でもなかった時間もありますよね。今日は新平さんのそんな人生のお話を伺えたらと思っています。

これまでの新平さんの人生の中で、自分にいちばん強い影響を与えた人とか、経験って何ですか?

高木さん(以下敬称略): 僕のアイデンティティにいちばん影響を与えているのは、間違いなく「左手」でしょうね。最近ようやく自分の中で整理がついてきて話せるようになってきたんですが、僕は生まれつき左手に障がいがあるんです。悟られないようにする所作が癖づいていて、すぐに人には気づかれないんですけど。

さわだ: 僕も全然気づきませんでした。

高木: 僕は富山県の新湊という人口4万人くらいの小さな漁師町に生まれて、姉が一人。両親は教師で、わんぱくな少年だったけど、勉強も運動もよくできて、順風満帆な少年だったと思います。クラスでいちばん騒がしくて、給食もいちばん早く食べて、ちょっと残しがちな子の牛乳をおかわりする、みたいな感じでした。

でも中学校では、いろんな歯車が狂い始めちゃって。いわゆる反抗期はなかったですけど、社会に疑問というか、ムカつき始めたのは中学からです。左手に障がいがあったから、夏に半袖半パンになるのがすごく嫌で。それに、中学では何かと“フォークダンス”とかあって。一度「障がい者だ」と認知されると、皆にとって僕はそういう存在でしかなくなってしまうんじゃないかと怖かった。だから別にいじめられたわけではないんですけど、フォークダンスのような手をつなぐイベントがあれば軒並み休んでました。

中学の途中からは見た目だけでも普通にしたくなって、シリコン性の義手をはめるようになるんです。ネットで調べて父親に無理言って京都の病院でつくってもらって。ぱっと見は本物そっくりなんです。ただ、義手を付けると手首の辺りに境目ができるんですね。それを見られたくなくてリストバンドをしていたんですが、人から見たら「なんでリストバンドしてるの?」って感じじゃないですか。半袖半パンじゃないと、体育教師からも「なんで長袖着てんだ?」って言われる。皆と一緒じゃないと突っ込まれるのが田舎なので。皆と同じになれないのに、その同調圧力がとにかく嫌でしたね

高木: そんな中で人生を変える転機がありました。その頃東京ではストリートファッションが流行り始めたんです。近所の友達の3つ年上のお兄ちゃんが感度高い人で、「お前これ知ってるか? Supremeって言うんだぜ」って見せてくれたロンTが腕にグラフィックあったりして、新鮮でカッコよくて。これだったら夏でも堂々と長袖を着れると思った。

それまで宝物だったレアなポケモンカードや遊戯王カードを全部売って、水産会社を営む友達の親父に頼み込んで、漁港で朝5時からホタルイカ詰めるバイトとかさせてもらって、稼いだお金でヤフオクでロンTを買いました。

僕はそれまで違いを誤魔化すために長袖を着ていたのに、「お前カッコいいな」みたいな周りの反応を見て、「そうか、ファッションは違いを価値に変えてくれるんだ」と気づき、ファッションにのめり込んでいったんです。

アイデンティティが揺らいだ高校時代

さわだ: 左手の障がいから、ファッションに傾倒していったんですね。高校時代はやっぱり受験勉強を?

高木: 高校は隣町にあった高岡高校という進学校に行ったんですが、入学式の日にちょっとアピールするつもりで髪を染めて行ったら、竹刀持ってるようなめちゃくちゃ厳しい体育教師に叱られて、動揺した状態で「入学おめでとうテスト」を受けて280人中275位だったんですよ。これまで小中ずっと1位だったから、ショックで学校に行きたくなくなり、数学の授業をサボったら数学についていけなくなり、1年生の頃はだいぶ保健室にいました。

しかも左手のことがあったので、中学まで続けていたサッカー部を断念したんです。高校になるとラフプレーも多くなる中で、左手の義手をかばいながらプレーなんてできなかった。どうしようかなって考えていた時に保健室に卓球部の人が来て、小学校の時に雪が降ってサッカーができない時に体育館で卓球をしていて市で1番になった成功体験を思い出し、義手でもトスは上げられるからと、突発的に卓球部に入りました。

そしたら卓球部は本当にスクールカースト的に最下層で。これまでサッカー部だったので自然とイケてるコミュニティにいたんでしょうね。第二体育館の隅っこで申し訳なさそうに練習する所から始まりました。勉強も下から何番目かだし、いろんな意味でアイデンティティが脅かされ、ちょっとグレてる感じでしたね。進学校の中のなんちゃって不良グループ的ポジション&保健室に入り浸ることでの差別化、によってかろうじて一命を取り留めてるみたいな状態でした(笑)

さわだ: それでも早稲田大学に合格したんですよね?

高木: 高岡高校は例年30人くらいは東大に行くような学校なんです。2年生になるとみんな受験勉強をし始めるんですが、僕は完全に取り残されていた。腐ってましたね。その結果、とある事件を起こしてしまい謹慎処分になり、学年主任の先生に呼ばれて、高校教師である父親と一緒に指導室に行くことになりました。で、父が「すみません、私の息子が」と謝ったら、その先生が父の昔の教え子だったんですよ。親父が教え子に息子のことで頭を下げている。それを見た時に、「人間としてやっちゃいけない一線を越えたな」と。

それで2年生の秋に改心して受験勉強することに決めたのですが、ちゃんと授業も出てなかったので普通にやったら間に合わない。そこでどうしたらいいかいろんな先生に聞き回りました。

「高木が本当にやるのかよ?」と言いながら、お前がやるなら応援するよと言ってくれて。ただ、皆アドバイスがバラバラなんです。間に合わないから浪人しろ、でも富山には良い塾がないから東京へ行けとか、そしたら遊ぶからやめろとか。何が何でも国公立を目指せという先生もいれば、5教科間に合わないから3教科に絞ったほうが良い私立入れるのでは?という先生も。でもよく考えたら結局皆、自分が歩んできたキャリアを元に言ってるんですよね。だから、どれも正解だし、どれもマストじゃないなって思って、いちばん信頼する先生のアドバイスを聞くことにしました。

僕がいちばんグレてる時も親身になってくれた先生です。「高木くんは1年でも早く東京へ行った方がいいですよ」って。だから現役で東京に行こうと決めました。国公立はもう難しいけど、中途半端は嫌だから私立で1番を目指そうと。そうすると僕の中では慶應か早稲田。なんとなく僕は田舎者だし早稲田かなって。それから早稲田1本で行くと決めて猛勉強。で、奇跡的に受かりました。何をやりたいとか学びたいとか一切なくて、ただ教師である親父の面子を潰したくない。信頼してくれた先生に良い卒業の挨拶をしたい。決めたからにはやり切りたい。それだけでしたね。

早稲田のファッションサークルで、ものづくりとコンセプトづくりの日々

さわだ: 早稲田ではどんなことをしていたんですか?

高木: 早稲田に受験に行った時に、皆がめちゃくちゃオシャレだったんですよ。高校まではオシャレが唯一のアイデンティティだったのに、入る前に打ち砕かれた。高校と一緒ですね。それで何を思ったか、青髪に染めて入学式に行ったんです。そしたら、早稲田は新入生へのサークル勧誘がすごいんですけど、僕だけ誰からも声掛けられず(笑)。それでサークルに入りそびれて暇そうにしてたら、ある時、古着を着こなした明らかにヤバそうな奴に「面白いファッションサークルがあるんだよね、入らない?」と誘われ、1年生の終わり頃から早稲田大学繊維研究会に入ります。

そこは当時で60年くらい続いている、文化服装学院の子も参加してたり、パリコレブランドも生まれていたりするような伝説的なサークルだったんですね。僕のキャリアの出発点になりました。

そのサークルは、毎年最初100人ぐらい新メンバーが入るんだけど、1年以内に10人以下になるんです。なぜかと言うと、入会の動機って皆だいたい「なんかオシャレが好きだし」程度の緩やかなものなんだけど、ファッションショーをすることになったりして頑張ってアイデアを出すじゃないですか。そうすると先輩たちに「お前がやってることは、コムデギャルソンの五番煎じだ」とか「コンセプトは何?」とか詰められて、皆辞めていくんです。

で、アイデアが認められたら今度は「プロトタイプつくって来い」となり、服のつくり方も分からないのに、先輩を捕まえて聞いたり、生地を買ってきてパターン引いたり…という3年間だったんですよ。バイトをする暇もありませんでした。

さわだ: 新平さんはそれをやったんですね!

高木: そう。そのファッションショーもね、アメリカのニュース誌の『TIME』で毎年、パーソン・オブ・ザ・イヤーがあるじゃないですか。その2006年の表紙はパソコンで「You」って書いてあったんです。当時アメリカではYouTubeやSNSが出始めて、これからは一人一人が発信する時代だと。「ものづくりの民主化」とか「パーソナル・ファブリケーション*①」みたいなことも言われ始め、先輩たちが今までみたいな作家性の強いファッションではない方向を模索し始めたんです。

それで、自分たちの関係ある人、ビジネスマンからお年寄り、子どもまで、その人たちの日常生活の中に入り込んで観察して、その人に合うファッション自体を対話しながら考え、服に落とし込んでいく。そのプロセスをブログで公開しながら、ファッションショー当日はその人自身がモデルとして登場してライフスタイルを提案する、というのをやってました。

さわだ: それは面白いですね、YADOKARIにも通じるものがあります。

高木: 繊維研究会には本当に素晴らしい才能が集まっていて、中にはファブリックや糸まで愛するような作家的な解像度のメンバーもいました。彼らは本物のクリエイターだなと。一方で僕はというと、そこまで服自体に情熱を持てなかった。あくまでイメージづくりのためにファッションをやっていたわけで、「見られ方の編集」に興味があったんです。左手の影響ですかね。だからそのサークルでも最後の方は、デザイナーというよりもディレクターとか企画演出やコミュニケーションの部分から全体統括していて、そっちが向いていることに気づきました。

*①:マサチューセッツ工科大学のニール・ガーシェンフェルド氏が提唱した概念で、大規模大量生産へのアンチテーゼや、ものづくりに参画する人々の共同体形成といった政治的・社会的な意義が込められている。

核心を抽象化して一言で表現する力が鍛えられた

さわだ: 早稲田のファッションサークルでの日々から、どうやって博報堂へつながっていくんですか?

高木: 早稲田大学繊維研究会に夢中で全然就活してなかったんですね。つまらないサラリーマンになりたくないなとか漠然と思ってました。

たまたま地方から来た友人に泊めてほしいと言われて、聞いたら就活の合同説明会でした。そこで初めて博報堂という会社を知ったんです。「生活者目線で発想する」とか「SNSを使ってユーザーと共創する」みたいな話をしていて。それで「俺がサークルでやってきたことを仕事にしてる人がいるんだ!」と衝撃を受けました。それで自分たちの活動を話したら、面白がってくれて。そこからOB訪問してなんか勝手に運命を感じて、博報堂を第一志望にして就活したら、他は全部落ちたんですが、奇跡的に博報堂だけ受かったんです。

さわだ: 社会の中で「これが自分の1番だ」みたいなものを見つけたのが、ファッションからの企画やディレクションだった?

高木: ファッションサークルの時に、コンセプトのような、表現を抽象的に取り扱う議論は得意だなって分かったんですよ。先輩たちにかなり鍛えられたから。例えば、就活でグループディスカッションってあるじゃないですか。ああいう場で皆、自分の意見は言えるんだけど、それを統合的に抽象化して「要するにこういうことだよね」と言える人は少ないことに気づいて。就活って猛者がたくさんいてビビってたんですが、毎回「高木がいたからまとまった」となるので、得意なんだと悟りました。やってることはずっとコンセプトメイキングなんですよね。

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左手に障がいを持って生まれ、「人と違う」ことを意識し続けてきた高木さん。アイデンティティの揺らぎに怯えもがきながらも、ファッションとの出会いをきっかけにコンセプトメイキングの力が開花し、それがやがて「ビジョニング」にもつながっていったのかもしれない。

後編では、博報堂入社後から、3.11をきっかけに湧き上がった思いと独立、そして高木さんがこれから目指す世界について、さわだとの対話が深まる。

後編へ続く>>

「トレーラーハウスでの滞在は、目的ではなく手段。私たちはそこに宿泊することの先にある価値を探求し、提供していきたいです」

そう話してくださったのは「8MATO」のオーナー斎藤さん。
八ヶ岳南麓、神社の境内に隣接した広大な敷地の一角にYADOKARIのトレーラーハウス「ROADIE」、「ROADIE mini」の2つがお目見えしました。今回は、山梨県北杜市のコワーキング施設8MATOをご紹介します。

「仕事×トレーラーハウス」の掛け合わせが生み出すこれまでにない価値を追求されている8MATOさん。果たしてどのような空間なのでしょうか。施設のオーナー斎藤さん、そしてデザインを手掛けた吉野さんへのインタビューをお届けします。

五感で季節を感じながら「働くを楽しむ」ワーケーション施設を

ーー8MATOさんとは、どんな施設なのでしょうか?

斎藤さん(以下敬称略):「アウトドアで働く』というワークスタイルを大切にした、森の中のコワーキング施設です。

澄んだ空気が流れる風の通り道、
耳をすませば虫の鳴き声が聴こえ、
八ヶ岳の大自然に包まれる。

そんな空間で、思う存分仕事に向き合える機会を提供しています。

敷地内には、森と一体となるようにデザインされたオープンテラスとカフェテリア、清潔なトイレやシャワーも完備した『水屋棟』、そして宿泊可能なトレーラーハウスが2棟ございます。神社の森の一画という非常に神聖な場所に建てられた空間で仕事をし、そのままご宿泊していただくこともできる施設です」

ーー8MATOさんは、なぜ「アウトドアで働く」ということに焦点を当てて施設を作られたのでしょうか?

斎藤:「私自身、7. 8年前にこの近くにある別荘を持ち始め、自然の中で仕事をすることの心地よさを身を持って体感したことがきっかけにあります。この地域で過ごしていると、呼吸が楽になりすっきりした気持ちになりますし、これまで以上に頭が冴え、夜は深く眠れているように感じます。こんな快適に仕事が出来る場所があれば、多くの人が来てくれるのではないかなと思ったんです」

「中でも私が作りたかったのは、仕事の疲れを癒すことを目的とした「観光」を目玉としながら、オマケに仕事をすることも出来る「ワ―ケーション」のような体験ではなく、快適に働くことを第一優先とした施設です。心地よい環境で仕事をし、第二の目的として観光もできる。そんなコワーキング施設を目指していました」

働きながら、建物と人が自然と溶け合う空間

ーー快適に仕事が出来る空間となるよう、具体的にどんな工夫をされているのでしょうか?

斎藤:「まず1つは、滞りなく仕事をしていただくための工夫です。

インターネットやディスプレイなど仕事をするのに必要な機材を出来る限り集めましたが、中でも力を入れたのは約2700坪の森の中、どこからでもお繋ぎいただける高速Wifiの設置です。

自然の中のコワーキング施設は各地にありますが、屋外では電波が悪くなってしまったり、オンラインミーティングに参加するために管理棟の中に戻らなければならなかったり…なんてことも多いですよね。そういった心配もなく、どこででも仕事が出来るのがこの施設の大きな魅力です」

吉野さん(以下敬称略):「私は、この森の中から都内でお仕事されている方とオンラインミーティングをすることがあるのですが『バーチャル背景ですか?』って聞かれることが頻繁にあって…森の中から会議に参加していることによく驚かれています(笑) 」

斎藤:2つ目は、この施設の中でより快適にお過ごしいただくための仕掛けです。

せっかく八ヶ岳に来ていただくなら、ここでしか味わえない美味しい食事を楽しんでいただきたい。そんな想いで農薬も肥料を使わずに、自然の力だけで育てた良質なお野菜を使用したランチなどをご用意しています。

また、8MATOは名水百選のひとつにも選定された「八ヶ岳南麓湧水群」の中にあるので、美味しいお水をご堪能いただけるよう、地下62mの井戸を掘っています。

斎藤:「そして最後に、自然と調和するこだわりの建物です。とても神聖なこの場所の雰囲気を壊すことなく、大地の力と建物が一体になるような建物を選んでいます」

8MATOの未来を見据えて誕生したトレーラーハウス

ーーとても大切に作った場所に、トレーラーハウスを置いてくださったのですね。どうして私たちのトレーラーハウスを置いてくださることになったのか、教えていただけますか?

斎藤:「元々はテントをご提供していましたが、それだけだと宿泊のハードルはどうしても高くなってしまうように感じていて。この森の自然と融合するように存在してくれて、どなたでも快適に過ごすことのできる空間が欲しい。そんな想いで、オーダーメイドで作ることのできるトレーラーハウスを選びました」

吉野:「中でもYADOKARIのトレーラーハウスを選んだきっかけは、YADOKARIのメディアを見て、ポテンシャルの高さを感じたことでした。

これまで海外のユニークな建築や空間についてたくさん紹介されていましたよね。そんなYADOKARIとなら、世界の情報を踏まえた上で、この場所の雰囲気に合うものを一緒に考えていただけるのではないかと期待しました」

ーーありがとうございます。時間をかけて一緒にデザインを考えていきましたよね。完成したトレーラーハウスを見て、どんな印象を持たれましたか?

吉野:「期待以上のものが完成し、とても満足しています。

通常、カタログを見たりオンラインでお話をしながらデザインを決めていく企業さんが多いと思うのですが、YADOKARIはそれとは全く異なりました。担当の方が度々北杜市まで足を運んでくださったり、設計担当の方がここに宿泊し、焚火を囲み酒を交わしながら話したこともありました。

8MATOのこれからの展望にまで寄り添いながら、それを実現するためにYADOKARIに出来ることは何か、とても親身になって考えてくださり、本当に素晴らしい方々だなと思いました。ただの営業としてではなく、人としての深い付き合いの中で私たちのことを理解し期待を越えるトレーラーハウスを作ってくださったのだと実感しています」

斎藤:「実際に製造現場を訪問させていただいたことも印象に残っています。私たちのトレーラーハウスが作られていくプロセスを見て、より愛着が湧きましたし、完成時は本当に感動しました」

右から順に斎藤さん、吉野さん。 製造現場を見学していただいた際の様子

トレーラーハウスをきっかけに、お金では買えない価値を生み出してほしい

ーーこのトレーラーハウスでのおすすめの過ごし方があれば、教えていただけますか?

吉野:「個人のお客様はもちろん、是非、企業やプロジェクト単位でお越しいただき、チームビルディングの場としてもご活用いただけたら嬉しいです。

昼間は、森の中で熱くミーティングをしていただき、夜はろうそくの灯りでお酒を飲みながら普段出来ない話をして、みんなで同じ空間の中で眠る。そんな、普段オフィスの中で仕事をしたりビジネスホテルに宿泊する出張のようなものでは味わえない、森の中だからこそ作れる時間を過ごしてほしいです。

トレーラーハウスでの滞在をきっかけに、仕事ができるかそうでないかや、偉い人か偉くないかというような会社の中で気づかぬうちに身につけてしまった鎧のようなものを脱ぎ捨て、人と人との関係性の中で生まれる、お金では買えない価値が創造される場になったらいいなと思っています」

仕事というエンターテインメントが生まれる場所に

斎藤:「グランピング施設やトレーラーハウスを活用した宿泊施設では、そこに滞在することが大きな目的となっている場所が多いと思いますが、8MATOにとってトレーラーハウスに宿泊することは目的ではなくて手段なんです。

アウトドアで働くことによって、こんなにも人の繋がりが深くなり、アウトプットの質が高まり、 心地良い時間が過ごせるんだってことを知っていただきたい。仕事というエンターテインメントを楽しむための手段がこのトレーラーハウスだと思っています」

ーー斎藤さんにとってのお仕事とは、エンターテインメントなのですね。

齊藤:「はい、仕事はエンターテインメントにもなり得ると思っています。仕事を楽しいと思っている人がもっと仕事を好きになったり、これまであまりやる気になれなかった人でも、仕事を少しでも仕事を好きになってくれたら嬉しいです。

もしかしたら、気持ちよすぎて仕事にならないかもしれないけど(笑) そんな体験をしてみたい人には是非、訪れてもらえたら嬉しいです」

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今回はオンラインでのインタビューとなりましたが、広大な森を背景にご参加いただいたお2人のお姿から、施設の心地よさを追体験させていただけたような気がします。そして心なしか、ROADIEの木の香りが香ってきそうな感覚も…。

「この場所の素晴らしさは来ていただければ分かっていただけると思います。まるで血液が入れ替わったかような感覚になれますよ」そう話してくださった斎藤さん。ここで過ごす時間は、滞在してみなければ分からない非日常的な素晴らしいものなのでしょう。

自然の中で過ごす時間を愛する方々、そして仕事をすることが大好きな方々が集い、豊かな時間を共に分かち合う。そんな調和が生まれる場所8MATOに、皆さまも是非、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

▼「8MATO」公式サイトはこちら
https://8mato.biz/

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週末に訪れるもう一つの我が家、長期の休みに訪れるお気に入りの宿泊施設として、大自然の中にあるタイニーハウスを選んでみてはいかがだろうか。

様々なグリッドから解放された大自然の静かな空間の中でなら、これまでに体験したことのない大切な人との豊かな時間を過ごせることだろう。

Salty Cabinsは、オーストラリアのバイロンベイ近くに位置するエコリトリート施設だ。オフグリッドで自己完結型のキャビンを中心に構成されており、自然環境に調和するようデザインされている。訪問者に自然との一体感を提供しながら、持続可能なライフスタイルを実践する場を提供している。

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Salty Cabinsは、すべての決定を地球への影響を考慮して行うという哲学に基づいている。デザインは、現代的でありながら自然と調和する。キャビンの外観はニュージーランド産のFSC認証木材であるAbodo Vulcan木材を使用し、シリケートベースの仕上げが施されている。この仕上げは時間とともに銀色に変化し、メンテナンスが少なくて済むため、機能性と美しさを両立する。さらに、キャビンは景観を最大限に生かし、自然光と風を活用しやすいように配置されている。

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最大の特徴の一つは、そのエネルギー効率の高さだ。オフグリッド型のキャビンは太陽光発電システムを導入しており、電力の自給自足が可能。また、自然光や自然換気を活かした設計により、エネルギー消費を最小限に抑えている。この結果、外部の電力供給に依存しない持続可能な生活が実現されており、ゲストはエネルギーの独立性を体感できる。

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都会の喧騒から離れ、自然との一体感を味わいながら、持続可能な素材とエネルギー効率の高いデザインにより、境負負荷を最小限に抑えた快適な生活を体験することができるのだ。

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【インタビュー】多世代と繋がり、学び・助け合いの網を広げていく / 山崎団地自治会長 佐藤 禮子(さとうれいこ)さん

町田山崎団地を舞台に、団地に住まう人とまちの人とが入り混じり、団地ならではの豊かな暮らしや心地いい日常の景色を共に創り・発信していく取り組み、「まちやまプロジェクト」。

そのプロジェクトの一環として、団地や町田にまつわる取り組みをしている方のインタビューを発信していきます。

二人目となる今回は、町田山崎団地(以下、山崎団地)自治会の会長として、近隣施設との積極的なコミュニケーション、高齢化する居住者の健康や、新しい世代との交流など、精力的に向き合う佐藤禮子さんです。

町田が大好きだと語る佐藤さんに、自治会長に就任された背景や現在の活動、山崎団地へかける思いについてお話を伺いました。

 

団地のことを知るために、入居時から始めた自治会の活動

ーまずはじめに、佐藤さんは山崎団地に入居されてからどのくらいになるのでしょうか?

佐藤さん 私が山崎団地に引っ越してきたのは、仕事を定年退職したタイミングでした。元々町田市に住んでいましたが、勤務先の移転でやむを得ず、都心部へ移り住むことに。町田市への愛着が強かったので、退職後すぐに戻ってきたんです。

広々とした自然の中で暮らしたいと思い、この団地を選びました。もうすぐ22年目になりますね。

この団地のことをよく知りたくて、入居してすぐに自治会でお手伝いを始めました。様々な部署を回った後、自治会の事務局員として数年勤めて、現在は会長の仕事をしています。

 

インタビューを受ける佐藤さん

ー自治会の会長を引き受ける決断された背景は何だったのでしょうか?

佐藤さん 2021年に前会長が急病で退任されて、自治会の会員のみなさまから後任の要請を受けました。2ヶ月ほどじっくりと考えましたが、会長の不在は様々な支障をきたすと思ったので、お引き受けしました。現在は会長として3年目です。

また、都内で仕事をしていた頃から、40年以上ボランティア活動も続けています。こちらに戻ってからは町田市でのボランティアに携わり、市役所、学校、高齢者支援センターなど、様々な場所でお手伝いをしています。

このボランティア活動で広がったご縁も活かしながら、私なりの自治会長の仕事に取り組んでいます。

団地暮らしの「楽しみ」を増やし、健康を見守る工夫

ー自治会では主にどのような活動をされていますか?

佐藤さん 日々の活動は、市役所やUR都市機構(以下、UR)との連携、近隣団地と情報共有をする会議への参加などがあります。また、山崎団地は75歳〜85歳の高齢者が多くいらっしゃるため、高齢者の支援センターとの関わりも密接です。

 

町田山崎団地の風景

 

居住者の方の相談に日々向き合っていますが、自治会で対応できることと、支援センターと連携して対応すべきことを見極めながら、適切なコミュニケーションを取ることも重要な役割です。ボランティア活動の頃から、支援センターとの関わりは21年間続いているので、連携やお互いの理解は深まっていると思います。

特に女性の方からは、同性だと相談がしやすいというお声もあり、自分だからこそ広げられる支援も増やしていきたいですね。

 

ー山崎団地の自治会の活動において、特徴的だと感じる点はありますか?

佐藤さん 規模の大きさは特徴的ですよね。全部で116の居住棟が埋まった場合は、3,920世帯になります。現在住んでいるのは約3,100世帯で、自治会費を納めて協力いただいているのは、全体の約1/3にあたる1,100世帯ほどです。

紙や印刷代も上がっているので正直厳しい状況ではありますが、毎月の新聞発行など、最低限みなさまに情報をお届けできるように工夫しています。

 

山崎団地で配布している自治会新聞

 

あとは、URの方々の協力も得ながら、防災をテーマにした「団地キャラバン」や、夏休み恒例の「ちゃおちゃおまつり」、ハロウィンなどのイベント開催も行っていますね。今年のクリスマスには素敵なキャンドルのイベントも計画中です。これらのイベントには、毎回想像を超える人数にお集まりいただきます。

 

 

ちゃおちゃおまつりの様子

 

多くの人が集まり活気のあるイベントが実現できることも、山崎団地の特徴の一つかもしれません。今年から新しく始まる「まちやま まるごと スコーレ」も、回数を重ねていくことで、たくさんの方に楽しんでいただけるイベントに育っていくと思いますよ。

 

ー自治会の活動において、佐藤さんが特に力を入れていることは何ですか?

佐藤さん 高齢者が多いので、その点の支援は必要不可欠ですね。お一人住まいの方は特に、外に出ないとすぐに認知症になってしまうので注意が必要なんです。

対策として、いかに部屋から外へ出かけていただけるかのアイデアを日々考えています。会長になる前から取り組んでいる、町田市考案の「町トレ(町田を元気にするトレーニング)」を、住民の皆さんと集まって行う企画はもう5、6年続いています。

体操の後は、みんなでコーヒーを飲んで雑談をしたり、手仕事をする人がいたりと、一つの楽しみにしていただけたらと思っています。春には必ずお花見をしていて、体操の時には普段出てこない表情の人となりをお互いに知れる機会も大切にしています。

 

町田山崎団地名店街

 

可能であれば秋頃から、コロナ禍で止まっていたお食事会も再開したいですね。昔、調理の仕事をしていて必要な免許も持っているので、お食事も私が担当いたします。

お一人住まいの方にとって、一番大事なことが「食」だと思うので。そのため、お食事会でも日々お家で作れる料理を選んで、ご希望があればレシピもお伝えしていました。「これ美味しいから作ってみたい」と言っていただけると、私自身も嬉しいですしね。会話も盛り上がりますし、それだけで身体にとっていいことなんです。

私も今年で83歳、立派な高齢者です。そのため、自分の体のことも気にしつつ、やりたいことはまだまだいっぱいあります。

 

些細なやり取りも大切に、繋がりを持つことで助け合える

ー山崎団地のように、新しい取り組みにどんどん参加されている自治会は珍しいと思います。そういった姿勢の背景にはどのような思いがあるのでしょうか。

佐藤さん やっぱり地域の方々との繋がりを大切に、普段からコミュニケーションを取ることで、いざという時にお互い助け合えるんですよね。例えば、近くに桜美林大学ができた時も、事務局の方がすぐにご挨拶に来てくださったり、山崎高校も校長先生が変わる時にはお話をしたり、何かしら”とっかかり”は持っていた方がいいと思っています。

 

インタビューを受ける佐藤さん

 

ここ数年で名店会との交流も増えました。以前は自治会と名店会の間での情報共有や話し合いが不足していましたが、現在はよく連携を取っていて、名店会の会長の綾野さんとも「何かあったらお互いに相談しましょうね」とお話しています。

近年は自治会と名店会の連携が活発に

 

最近では山崎高校の校長先生からご依頼を受けて、高校生の”探究学習”のお手伝いをしています。この活動は、高校生たちが山崎団地について学び、団地内で活動できることを目指すものです。

この活動を通じて、高校生たちが定期的に団地を訪れるようになり、私たち自治会役員も一緒に活動する中で様々な学びがあります。やっぱり実際にお話をすることで、「今の高校生はこういうことを考えているんだ」と気がつく場面も多く、大人だって知らないことがたくさんあると感じますね。いくつになっても日々勉強です。

「修学旅行に行くのでお土産を買ってきます!」と言ってくれる学生さんもいて驚きましたが、みなさん素直に接してくれるのが嬉しいです。

ー佐藤さんは自治会やボランティア活動を通して、様々な世代や団体と交流されていますが、最近はどのような動きがありますか?

佐藤さん この団地内や近隣施設でも、色々な企画が立ち上がっていますよ。
例えば、団地内の正和幼稚園を中心に進められている「多世代が集う、山崎団地冒険遊び場プロジェクト」では、団地商店街の裏山をプレイパークとして開放する「冒険遊び場」や食材を持ち寄ってBBQを楽しむ「持ち寄りBBQ」が昨年から始まりました。
これは団地を活用した子どもたちの第三の居場所づくりを中心に、多様な世代が交わる機会に繋げていこうという活動です。

 

持ち寄りBBQの様子

 

山崎団地の自治会も運営委員会に入っているので、色々な話をお聞きしながら、協力できる部分をお手伝いしています。​​山崎高校の学生さんも勉強の一環で参加していて、盛り上がってきていますね。

また、桜美林大学のみなさんとも交流することが多く、団地の中で演奏会や落語会の開催や、絵画の展示など、団地を活気づけてくれます。今日もこの部屋に飾ってある絵を描いてくれた学生さんが、週末のイベントに向けた打ち合わせに来てくれる予定です。

 

自治会のイベントでもよく利用されるスペースには、桜美林大学の学生が描いた絵が飾られている

 

桜美林大学の学生によるライブパフォーマンス

 

広々とした自然の中で、思いのままに暮らせる豊かさ

ー最後に、佐藤さんの思う山崎団地の魅力についてお聞かせください。

佐藤さん ぜひ、私の山崎団地に対する思いを聞いてください。この団地を選んだ理由は、都会にはない緑や綺麗な空気、小鳥のさえずり、季節の花々と出会えるからです。

団地の周りにも素敵なところがたくさんあります。歩いて行ける距離にもリス園、ダリア園、菖蒲園、梅林、牡丹園など。蓮池はちょうど今の夏の時期、早朝に見にいくと見事ですよ。地元の野菜を売っている場所や、思いのまま歩き回れる広場もありますしね。

 

佐藤さんの思う山崎団地の最大の魅力は、豊かな自然があるところ

 

気持ちが荒んでいる時でも、この広々とした場所で心を開放して楽しめば、悩みも忘れてしまいます。お気に入りの場所を見つけて読書をしてみる、ゆっくりと手仕事をするのもいいかもしれません。

町田市は半分都会で半分田舎のような、両方の良さを持ち合わせているところが魅力かなと思います。もちろん都心ほど便利ではないですが、この豊かな緑と綺麗な空気はここでしか味わえないものですから。

編集後記
今回のインタビューでは、町田山崎団地の自治会長である佐藤禮子さんのお話を通じて、団地という場所が持つ特有のコミュニティの奥深さに、改めて気づかされました。
佐藤さんは、自治会長という立場でありながら、その肩書きにとらわれることなく、柔らかな眼差しでこの団地の人々と接しています。
「些細なやり取りも大切に、繋がりを持つことで助け合える」という言葉は、何気ない日常の中に潜んでいる、ささやかな幸せを見逃さないためのヒントのような気がしました。団地という空間が持つ、時間の流れや人々の距離感、それらが醸し出す独特の温もりを感じました。
桜美林大学や山崎高校との連携プロジェクトも印象的でした。未来の世代と現在の世代が、同じ空間の中で交わり、共に成長していく。そのプロセスにこそ豊かなコミュニティを築いていくヒントが隠されているのかもしれません。
佐藤さんの語る言葉一つ一つに、町田山崎団地の豊かさと、それを支える人々の静かな誇りが感じられました。この団地には、日々の生活の中で自然に生まれる、ささやかな幸せが溢れているようです。
今回の取材を通じて、町田山崎団地の魅力や可能性を少しでも感じていただけたなら嬉しいです。
次回もまた、どうぞお楽しみに!

2024年8月、タイニーハウス宿泊施設「㐂Kinomats」が淡路島に誕生しました。
そこではYADOKARIのオリジナルタイニーハウス「Tinys INSPIRATION」をご活用いただいております。

淡路島の美しい夕日、そして耳に心地よく響く波音の中で、自然との一体感を味わえるこの施設には、オーナーの藤澤さんの温かい想いが込められているのだとか。
今回は「㐂Kinomats」の藤澤さんにお話を伺いました。施設の魅力や、そこに込めた想いについてお伝えします!

ーータイニーハウス宿泊施設「㐂Kinomats」とはどんな施設なのでしょうか?

藤澤さん(以下敬省略):「『㐂Kinomats』は、淡路島の自然を存分にお楽しみいただけるミニマムで贅沢な空間です。
特にお楽しみいただけるポイントは、目の前に広がるオーシャンビューと『日本の夕日100選』にも選ばれている播磨灘に沈む美しい夕日。ここでしか味わえない特別な時間をお過ごしいただけます。

施設の外にはプライベートサウナも設置しています。ミニマムとは言えども、4人までご宿泊いただけるので、家族や友達などたくさんの方にご利用いただきたいと思っています。」


ーー『㐂Kinomats』のオープンには、どんなきっかけや想いがあったのでしょうか?

藤澤:「淡路島へは日帰りで観光に来られる方が大変多いのですが、この場所の本当の魅力は夜にこそあると思っていて。淡路島の夜の美しさをもっと多くの人に楽しんでもらいたいと思ったことが、施設をオープンすることに決めたきっかけです。

静けさの中で星空を見たり、波音を聞きながら大切な方と特別な時間を過ごしたり。そんな非日常的な時間を、是非体感してほしいと思っています。」

ーータイニーハウスの導入を決めたきっかけを教えていただけますか?

藤澤:「タイニーハウスを導入した理由は2つあるのですが、1つ目は、宿泊事業を始めることへのハードルが低くなることです。

家族が30年前にここ淡路島で宿泊業を営んでいたことがあるのですが、この場所での運営は初めてでした。タイニーハウスであれば、初期費用を抑えることができますし、他の用途にすぐに切り替えられる柔軟性がありますよね。安心して宿泊事業をスタートさせることが出来ると思ったんです。

2つ目は、宿泊単価を抑えることができること。

淡路島を訪れる多くの方が日帰り観光を選ぶ理由の1つに、宿泊単価の高さがあると考えています。大学生や子育て世代など、幅広い世代の方々に気軽に来ていただきたく、なるべく宿泊単価を抑えたいと思っていて。初期費用を抑えられるタイニーハウスでなら、それが実現できるのではないかと考えました。」

ーーそうだったのですね。中でもなぜYADOKARIのタイニーハウスを選んでくださったのでしょうか?

藤澤:「YADOKARIを選んだ決め手も2つありました。まず1つは、プロダクトがすごく魅力的だったこと。

他社の製品と比べて、YADOKARIのタイニーハウスは、まるで本物の家のような温かみが感じられるデザインでした。淡路島の雰囲気にぴったり合うと思ったんです。

2つ目は、担当者の方と実際に話をしてみて、タイニーハウスの搬入から施設を運営させるまでのプロセスが具体的にイメージできたこと。安心感を持って選ぶことができました。」

ーー実際に宿泊した際のおすすめの過ごし方や観光スポットがあれば、教えてください。

藤澤:「是非、当施設自慢のバレルサウナを楽しんでいただきたいです!

4人で一緒にお入りいただけるので、家族や友人と一緒に賑やかにサウナに入っていただくのも良いですし、静かに波音を聞きながら、星空の下でリラックスしていただく時間も格別です。

夏場でも冷たい水風呂をご利用いただけるよう充実した設備を備えていますし、冬にはカボスなどの柑橘類を浮かべた温かいお風呂もご用意する予定です。季節ごとに異なる過ごし方でお楽しみいただけるかと思います。」


「さらに、近くには日本を代表するアニメキャラクター『ドラゴンクエスト』や『クレヨンしんちゃん』をモチーフにしたテーマパーク『ニジゲン ノモリ』がありますし、近くの海では、ジェットスキーやサップなどのマリンスポーツをご体験いただけます。

グルメも淡路島ならではの楽しみの1つ。施設の目の前には、バーベキューができる飲食店やお洒落なカフェがあります。地元の新鮮な海の幸や、淡路牛を使った料理もぜひ味わってください。」

Q: タイニーハウスの内装デザインにも、藤澤さんの特別な想いが込められていると伺いました。どんなこだわりがつまっているのでしょうか?

藤澤:「内装には、北欧風の洗練されたデザインに、日本の温かみ溢れる和の要素を融合させた『ジャパンディ』というデザインを取り入れています。かつて私の家族が営んでいた旅館が持つ和のテイストを彷彿させつつ、タイニーハウスの外観と調和するようなデザインとなるようこだわりました。

また施設内には雨の日でも楽しんでいただけるよう、スイッチなどのアクティビティを用意しています。親御さんがサウナをお楽しみいただいている間にお子様がゲームで遊べたり、大学生にワイワイと楽しんでいただいたりなど、タイニーハウスでの滞在も満喫していただけたら嬉しいです。」


淡路島での特別な時間を「㐂Kinomats」で

淡路島にオープンした初めてのタイニーハウス宿泊施設「㐂Kinomats」で、非日常的なひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。藤澤さんの想いと淡路島の魅力がつまったこの場所で、日帰りでは味わうことのできない豊かな時間を、是非お楽しみください!

▼㐂Kinomatsの詳細・ご予約については、公式インスタグラムから
https://www.instagram.com/awaji_kinomatsu/

創業10周年の節目に、企業としてのパーパス(存在意義)を「生きるを、啓く。」に定めたYADOKARI。自己の現在地を確かめ、“これまで”と“これから”をつなぎ、YADOKARI文化圏を可視化する機会として2024年7月6日に開催した「鏡祭」において、狼煙を上げるように発表されたこのパーパスはいかにして生まれたのか? 共同代表のさわだいっせいと、ブランドフィロソファーの伊藤幹太、アートディレクターの工藤駿が道筋を振り返る。


工藤 駿
Art Director / Graphic Designer

1991年秋田県北秋田市生まれ。 静岡の大学でデザインに興味を持ち、卒業後上京してエディトリアルデザインの事務所にてデザイン制作の基礎を学ぶ。その後、NOSIGNER株式会社にてソーシャルデザインやブランディングを中心としたデザイン戦略の経験を積み、2018年よりフリーランスへ。 現在は言葉をお守りにするサービス「KOTORI」など、自身でプロダクトの制作を行いつつ、世の中の意義ある取り組みや、秋田を中心とした地方のデザインに活動の重きを置いている。


伊藤 幹太
YADOKARI株式会社 ブランドフィロソファー

神奈川県横浜市生まれ。新宿在住。2019年にYADOKARIジョイン。恋話を通じて、人と人との関係性について考えるのが好き。2024年から、ブランドの核となる精神・思想・哲学を探究し、文化圏へ浸透させていく役割「ブランドフィロソファー」に就任。


さわだ いっせい
YADOKARI株式会社 代表取締役/ Co-Founder

兵庫県姫路市出身。10代でミュージシャンを目指して上京し、破壊と再生を繰り返しながら前進してきたアーティストであり経営者。IT企業でのデザイナー時代に上杉勢太と出会い、2013年、YADOKARIを共同創業。YADOKARI文化圏のカルチャー醸成の責任者として、新しい世界を創るべくメンバーや関係者へ愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人に会うことを惜しまない。逗子の海近のスモールハウスをYADOKARIで設計し居住中。

哲学する部署の新設

ー YADOKARIの新パーパス「生きるを、啓く。」を考え抜いてきた、フィロソフィーボード(現 フィロソフィーユニット)の幹太さんと工藤さん、さわださんに、この言葉に込めている思いや誕生の背景を伺いたいと思っています。そもそも「フィロソフィーボード」という部署が立ち上がった経緯は?

さわだ: 僕は2022年11月〜2023年3月までお休みをいただいていたんです。自分たちで創業したYADOKARIが成長するにつれて、僕自身とYADOKARIとの距離をどう取ったらいいのか分からなくなって調子を崩して。その休んでいる間に、家族やYADOKARIのメンバー、仲間の温かさや優しさに改めて気付かされる体験が多々あり、意識の変容が起きたんですね。今まで僕はとても利己的だったけど、利他の心が湧いてきた。僕にはまだ周りの人のためにやるべきことがあるし、社会にとってやっぱりYADOKARIは必要だという思いが、僕をここに復帰させました。

その時思っていたのは、会社が経済的に大きくなっていくことと、もともとYADOKARIが持っていた文化や思想、精神性を両立させることが、「社会にとって」重要なんじゃないかということ。会社がいくら大きくなっても、そこで働いている人たちが忙しさや本意でないことに身を削られて幸せじゃなかったら意味がない。昭和的な資本主義偏重への反発みたいな思いもあり、個人の幸せ・会社の幸せ・社会の幸せを常に考えておく、つまり哲学が大事だなと思って、「フィロソフィーボード」というチームを経営直下でつくることにしたんです。これが、僕が復活して最初にやった仕事。僕一人が「こういうこと大事だよね」と言っていても、会社の中ではいつの間にかうやむやになりがちだし、経営的なジャッジも難しい。この価値観を大事にしていくために、名前をつけて組織化したんです。

YADOKARIで自分は何がしたいだろう?

ー フィロソフィーボードのメンバー構成はどんなふうに決まったんですか?
幹太: さわださんが「こういうのやりたいんだよね」と言っていて、「僕、それやりたいです」みたいな感じだった気がしますけど…

さわだ: そうそう、 “理想を掲げる”というか、一般的な会社の仕事や社会システムの枠組みから少し外れるようなことを許容できるYADOKARIの良さを、これからもそのまま大事にしていきたくて、この感覚を説明しなくても分かってくれるのは幹太かなって。

ー そこへの信頼があったんですね。幹太さんはなぜやりたいと?
幹太: その時、僕も迷いの中にいた時期だったんですよね。YADOKARIのフェーズも大きく変わる中、「俺はここでこれからどうしていくんだろう?」と悩んでいたんです。その時、上杉さんに飲みに誘ってもらい、「幹太は今までYADOKARIにとって必要なことをずっとやり続けてきてくれたけど、幹太自身から“俺はこれを絶対にやりたい!”と言ってくれたことがないから淋しい」と言ってもらったんです。僕も会社を信頼し切れていなかったかもしれないと反省して、じゃあ、もし何でもやらせてもらえるなら何がしたいだろうと。

さわださんが言ったような、精神や文化と、経済性や波及力がちゃんと重なる所を僕自身も見たいし、僕は経済性や事業性をつくっていくのは苦手だけど、YADOKARIを主語にして“これだけは守っていきたい”ということを語るのは自信があった。それで上杉さんと飲んだ翌週、フィロソフィーボードの中でYADOKARIとしての文化や精神に取り組んでいくための何か役割を、僕に持たせてほしいと言いました。

さわだ: 「いろんな枠組みを取り払って、何か面白いことやろうよ!」ということに、最優先に取り組めるYADOKARIでありたいよねと再確認し合った。それを僕や上杉はもう10年以上やってきてるから、ひと回りくらい下の世代が語れるようにならないといけないという意識も強くありました。

ブランドフィロソファーとして、YADOKARI10周年鏡祭の総合ディレクターを伊藤が担当した。

もう一度、YADOKARIを見つめ直す

ー こうしてフィロソフィーボードが立ち上がったんですね。その最初の取り組みがパーパスの策定だったんですか?

幹太: 「パーパスをつくろう」みたいなことからは始めていないですね。まずは「YADOKARIって何なのか?」という所を見つめ直していきたいというのがきっかけ。少ない人数でやっていた時は、あえて言葉にして共有しなくても、一緒に過ごす時間の長さや密度に頼ることができたんだけど、会社が大きくなっていく中で「YADOKARIとは?」と聞かれた時に、きれいに打ち返せるアイテムが自分たちの手の中に無いと感じていたんです。

さわだ: そうそう。もともとはYADOKARIのブランディングやクリエイティブをアップデートしたかった。そこでアートデイレクターを募集して、手を挙げてくれたのが工藤さん。工藤さんにヒアリングしていただきながら、「YADOKARIって何?」を深掘りしていく過程で、「ミニオス」*①・「アドリブ」・「バグ」という3つのキーワードが出てきました。

*①:「ミニマル」と「カオス」を掛け合わせたYADOKARIの造語。自身の本来性から能動的に人生をつくろうとする一人ひとりを「ミニマル」な状態と捉え、多様な「ミニマル」が集まって創造性を発揮することで想像以上の何かが生まれ続ける混沌とした状況や集団を「ミニオス」と名付けた。

ー なるほど、パーパスを決めようというよりも、YADOKARIらしさを見つめ直してみることが発端だったんですね。工藤さんとYADOKARIが一緒にお仕事をするのは今回が初めてだったんですか?

工藤さん(以下敬称略): そうなんです。

さわだ: もう10年来という感じですけどね。

工藤: でも、僕もすごく波長が合う感じは最初からあったので、楽しかったです。YADOKARIの今までの話を聞くたびに、僕はそこにはいなかったはずなのに、なぜかものすごく感情移入して面白かった(笑)

−会社としてのアイデンティティとなる部分に、初めてのお仕事の中で取り組むことへのプレッシャーはなかったですか?

工藤: 特になかったですね。もちろん真剣にしっかりと考えたいという思いは共有していましたが、皆さんの人柄もあり、重たい感じはなかったです。先ほど「アドリブ」というキーワードが出ましたが、話す中でお互いが即興でつくり上げていくセッションみたいな対話となり、僕も楽しみながら取り組みました。「生きるを、啓く。」という言葉も、僕が考えたというより、対話の中から自然と生まれてきたように思います。YADOKARIに関わった人たちが皆、「自分の生きる道を啓かれる」体験を持っているという話が非常に印象的で、それを全面に押し出していくのがいいんじゃないかというのが最後の着地でした。

幹太: プロセスとして、パーパスをつくろうとか、VMVを決めようみたいな設定の中で進めていくと、もっと緊張感が出たかもしれないけど、「そもそもYADOKARIって何?」について、誰より僕ら自身が納得したかったし、だからこそ高いモチベーションとピュアな気持ちで取り組めたと思います。議論したことを、全員が納得できる足跡になるように表現していくことが工藤さんはすごく得意。皆で一つのものを目指していくための優れた「手」を持っている人だなと思いました。

さわだ: 本当に一つずつ腑に落としながら、階段を上れた感じ。

工藤: 全5回くらいだったかな。とにかくさわださんと幹太さんの話を深掘りして、キーワードを徹底的に洗い出してまとめることの繰り返し。その中で出た印象的なワードが「ミニオス」と「アドリブ」と「バグ」ですね。この3つを持っているのがYADOKARIの精神なんじゃないか。また、それに触れた人たちが“啓かれる”体験をするということが、YADOKARIの「役割」としてあるんじゃないかと。これを位置付けるなら「パーパス」だね、という所に落ち着いたんですよね。

YADOKARIを掘り下げていく際に工藤さんがまとめてくれた図

YADOKARIの精神「ミニオス」、「アドリブ」、「バグ」

−ヒアリングが一つ一つ確かめていくような時間になったんですね。3つのキーワード「ミニオス」、「アドリブ」、「バグ」について、もう少し詳しく教えていただけますか?

幹太: 「ミニオス」は最初に出てきた重要なキーワードです。YADOKARIでは、一緒に仕事をした方が進路を変える、というのが本当によくある風景。例えばプロジェクトが終わった後に「来年も一緒にやりましょう!」と言うと、「実はYADOKARIさんと一緒にやってたら、自分の世界がすごくちっぽけに思えるようになったので、会社辞めて海外行くことにしました」みたいなことが多々ある。それは事業の直接的な成果にはならないけど、YADOKARIの存在意義として大きいんじゃないかって。

関わった人が、「自分なりにこう生きたいと思うものに沿って生きていいんだ」というマインドを獲得していく。それは僕自身も体験していて、僕は大して意志も特徴も無かったけれど、面白そうだと思ってYADOKARIに入ってやっていく中で、自分の生きたい中心や方向がどんどん見つかっていった。ぼんやりしていた視界がクリアになって、一人ひとりが自分の人生を自分の手に取り戻していく。「ミニマル」とは、本当はそういうことなんじゃないかと。そのミニマルな人々が集まったり重なったりして作用し合う中で、全然違う面白い風景を見つけていくのがYADOKARIにいる意味なんだと思います。

工藤さんがまとめてくださったように、一人ひとりの色がはっきりしながら集まっていき、YADOKARIの中で溶け合っていくグラデーションみたいなこの色合いを「美しい」と僕らは捉えているんじゃないだろうか、というのが「ミニオス」が示すものです。

幹太: 2つ目の「バグ」は、常識に囚われない感覚のことです。YADOKARIの創業時、社会的には大企業に入って、長期ローンを組んで返済しながら生活していく、みたいなことが「当たり前」だとされていた中で、もっと自分たちにとって理想的な家の在り方や暮らし方があるんじゃないかとその常識を疑って、ミニマリズムやタイニーハウスを発見していったというスピリットみたいなものが、YADOKARIには今も一貫してあると思います。

クライアントさんから依頼をいただく時、よく聞くのが「YADOKARIさんなら、何か面白い提案や新しい可能性を見出してくれると思って」というお声。それはおそらく、僕らが常識に囚われずに、楽しみながら自分たちの辿り着きたい場所を見出していく性格をしているから言われることだと思うんです。社会の中で「バグ」を探求していく姿勢ですね。

幹太: 3つ目の「アドリブ」には2つの示唆があります。1つは、「アドリブ」という言葉の成り立ちなんですが、「リブ」という言葉には、リバティにも通じる「自由」という意味があります。それを「アド(加える)」するから「アドリブ」。メンバー一人ひとりの“自分なり”みたいなものを混ぜ合わせながら仕事をしていく、その人の個性が仕事の中に立ち現れる自由さがYADOKARIにはある。さらにそれを俯瞰してみると、2つ目の示唆として、YADOKARI一人ひとりの個性に基づく自由さが加えられて全体がうまく噛み合って進んでいる状態が、ジャズのセッションみたいに音楽的でもある、ということで「アドリブ」というキーワードが定まりました。この3つが、YADOKARIの精神として大事だという議論がありましたよね。

工藤: そうですね。僕も改めて、「ヤドカリ」という生き物自体が「生きるを、啓く。」を体現していると感じてきました。成長に合わせて家を変え、その変化・変異を受け入れながら、もがきながら生きていく姿勢があるような気がする。ハサミもあって何か切り開いていく感じがしますし、「生きるを、啓く。」を象徴している生き物なんじゃないかと、改めてそういうふうに見えてきた感覚があります。

幹太: この3つキーワードが見えてきた辺りで、メンバーにヒアリングしようということになりました。僕らから出てきた言葉ではあるものの、僕らの頭の中だけでつくり出したものに過ぎないんじゃないかという疑いもあって、皆が思っているYADOKARIらしさから乖離していないか確認したくて。それでけっこう時間をかけて、メンバー全員にヒアリングをしていったところ、全く齟齬がなかった。ここで「タイニーハウスこそYADOKARIらしさ」みたいな声が出てくると、先ほどの3つのキーワードや「生きるを、啓く。」が示すアイデンティティからズレてきちゃうんだけど、ほとんどのメンバーが回答してくれたのは「常識に縛られずにやっている感じ」とか「振り返った時に自分自身がすごく変化している」みたいな話ばかりだったんですよね。だから僕らが考えてきた方向性は、やっぱり間違ってなかったんだと確信できて、足元をしっかり踏み固めながら、さらに歩みを進められたと思います。(417)

さわだ: VMVやパーパスって、トップダウンで決められることが多そうじゃないですか。会社ってこういうものだからという。でもそれは、僕がそもそもやりたいボトムアップの精神とは違うと思った。僕は社長らしい社長ではないけれど、何かこれだけは本気でそうしたくないと思いました。パーパスのようなものを会社でつくると、社内で「あーはいはい、それ一回聞きました」みたいな空気になることもあるけど、僕はそれが非常に嫌い。つくったパーパスに皆もちゃんと乗って、自分の意志や魂が入って、皆で実現していくものじゃないと意味がない。皆で一つの大きな波にしていきたい。でも、この「生きるを、啓く。」を全社会議で発表した時に、皆がすごく賛同してくれたんです。響き合いというか、共感のバイブスというか、そういうものがブワッと広がった感覚がありました。

「生きるを、啓く。」の今後

ー メンバーがこれまでYADOKARIを通じて体験してきたこととリンクして、「生きるを、啓く。」が皆の中にストンと落ちたんですね。このパーパスを、フィロソフィーボードとしては今後どのようにしていきたいでしょうか?

さわだ: そうですね、「鏡祭」は意思表明だったから、ここからはスピードを上げて、「大きな世界へ行くぞ!」という覚悟を持って進んでいきたいです。

幹太: 「覚悟」って言葉が出た時点で、さわださんはこれを信じ抜いてるなって。僕はまだ少し怯えているけど。でも、タイニーハウスが住宅ローンからの解放だったように、世の中には自分を縛っているものがたくさんあると思うんです。もしかしたら自分で自分を縛ってしまっていることもあるかもしれない。そういうことから解き放たれて、一人ひとりが意志を持って「こういうふうに生きたい!」という方向へ皆が歩いていける世界を本気で信じたいし、YADOKARIをそこへ連れて行こうと思っています。その約束を日々守り、形にしていくのはすごく大変だけど、自分たちがちゃんとやれているのか確かめながら進んでいきたい。「鏡祭」はそういう「向き合う」意味で立ち上げました。1回目は宣言や覚悟を示した場になりましたが、今後も毎年開催して、「生きるを、啓く。」を決めた僕たち自身の姿を確認しながら、YADOKARIが目指す世界へ当たり前のように進んでいる推進力をつくっていきたいです。

工藤: 今回は制作する立場で関わらせていただき、 僕自身、かなりもがきながらグラフィックをつくりました。すんなり出てきたビジュアルではなく、幹太さんとも議論を重ね、試行錯誤しながらつくったものなんです。「彩豊かなミニオス」と、もがきながら変化していくもののシンボルとして、蝶とグラデーションを掛け合わせることでYADOKARIの精神がしっかり伝えられるんじゃないかと最終的に考えて、落とし込んだビジュアルでした。

僕はあくまで外部の人間かもしれないですが、YADOKARIメンバーの一人として考えたつもりです。そういう意味では、僕も切り開かれたというか、「生きるを、啓く。」に挑戦させてもらったんだと思っています。

幹太: 「鏡祭」をつくる側がまず啓かれていった感覚は非常にありますよね。そして実際に開催してみて、さわださんが言っていたような「波紋」みたいなものが広がっていくのを僕も感じることができた。その上で、YADOKARIとしてこれからこの精神性と社会性と事業性をどのように三位一体にして、一つの生き物みたいにして成長させていくのかに挑んでいかなきゃいけない。ここからは「生きるを、啓く。」を本当に僕たちの手足や行動にしっかり浸透させて、融合させていく。「鏡祭」はフィロソフィーボードが役割としてリーダーシップを取ったけど、各事業部や関わってくれる一人一ひとりと連携したり、向き合ったり、一緒につくったりしながら、YADOKARIのどこを切っても「生きるを、啓く。」なんだと言える状況を、僕はつくりたいと思います。

さわだ: フィロソフィーボードも、鏡祭の後に「フィロソフィーユニット」という組織に格上げされて、社内でより重要な部署と位置付けられました。僕が統括している文化醸成の領域で言えば、「生きるを、啓く。」に基づいたクリエイティブやメディアの刷新、それから成果としてすぐには目に見えにくいですが、ラボ的な活動も大事だと思っていて、これらが一つになって成熟していくといい。こうした動きの中で、一緒にアドリブ的に奏でていく人たちは皆、YADOKARIですよね。社員だとか、社員じゃないとかに関わらず。僕らはこれからも工藤さんと、YADOKARIをつくっていけたらと思ってます。また大変な思いをさせるかもしれないけど、よろしくお願いします。

工藤: いやいや、僕も同じ気持ちです。心はすでにYADOKARIの人間なので、ぜひ一緒に面白いものをつくっていけたらうれしいなと思っています。よろしくお願いします。

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編集後記

「生きるを、啓く。」それは私にとって、口にする度に力をもらえる言葉だ。まるでマントラのように。「こんなふうに生きたい!」を諦めないで、自分を縛る制約や、いつの間にかつくってしまった限界を突破しようともがくこと。その姿を「美しいね」と讃え、応援し合える仲間がYADOKARI文化圏にはいる。そこで私は何がしたいだろう? そして皆は何に挑むのだろう? YADOKARIにつながる人々の「生きるを、啓く。」をもっと聞かせてもらいたくなった。

「里沼(SATO-NUMA)」をご存知でしょうか?
人が自然と関わることで環境が保たれている地域を「里山」と言うように、沼の周りで自然と共調しながら人が暮らし、歴史文化が育まれてきた沼を「里沼」と言います。そんな希少な沼辺文化が存在するのが、群馬県館林市です。

動植物たちが暮らす自然の源、そして私たち人間の暮らしを支える水源としても利用され、館林市の歴史や文化と深く結びつくこの里沼は、令和元年に日本の原風景として価値づけられ、日本遺産に認定されています。

そんな里沼のすぐ近くに、YADOKARIのタイニーハウス「Tinys INSPIRATION」がお目見え。2024年4月にオープンした宿泊施設「里沼リゾート Hotel KOMORINU」の客室としてご利用いただいています。

日本遺産「里沼」のほとりでタイニーハウスに滞在することの魅力、施設がオープンするまでのエピソードについて、施設の運営に携わる館林市経済部つつじのまち観光課の清水さん、大森さん、大朏さん、施設の副支配人山本さん(以下敬称略)にお話を伺いました。

目を惹く外観と高い機能性。Tinys INSPIRATIONを施設の新たな魅力に。

—「里沼リゾート Hotel KOMORINU」とは、どんな施設なのでしょうか?

清水:館林を象徴する里沼のほとりで豊かな自然を味わいながら、手軽にアウトドア体験をお楽しみいただける施設です。施設内には2棟のトレーラーハウスに加え、たくさんの客室を備えた宿泊棟、施設のすぐそばにはキャンプ場も運営し、計3つの宿泊体験をご提供しています。

—大きな宿泊棟がある中で、別途タイニーハウスを設置していただいているのですね。なぜタイニーハウスの導入を決めてくださったのでしょうか?

清水:宿泊施設をリニューアルするにあたり、「多くの人の注目を集め、施設を囲む自然の魅力を引き出してくれるような何か新しい仕掛けが欲しい」と思っていました。そんな中、耳にしたのがタイニーハウスです。施設の新しい魅力となってくれるのではないかと期待しました。

—たくさんのタイニーハウスがある中でYADOKARIのタイニーハウスをお選びいただいたきっかけは何だったのでしょうか?

清水:YADOKARIのタイニーハウスを知ったのは、東京ビッグサイトで行われたトレーラーハウスショーを訪れた時でした。Tinys INSPIRATIONは目を惹くお洒落な外観で、アウトドアを楽しむ宿泊をより快適なものにしてくれる水回り付き。想定予算の範囲内で当時検討していた別のタイニーハウスよりもスペックが高いものでした。「これも良いね!」と職員2人で意気投合し、検討し始めました。

大朏:施設のコンセプトでもある美しい里沼の景観に溶け込むようなデザインに出来ないかとご相談させていただきましたが、その点に関してもYADOKARIさんには柔軟に対応いただけ、こちらもとても助かりました。

—ありがとうございます。どんなデザインにしていくか、一緒にイメージを膨らませながら決めていきましたよね。

大朏:この場所が、沼に面した景色の良い場所なので、景観を邪魔することなく、ここでの滞在を楽しめるようなデザインにしたいという思いが強くありました。

YADOKARIさんの方でこれまでの実例などをお見せいただき、具体的に完成した姿をイメージしながら選ばせていただくことができて、とてもよかったです。

楽しみながらデザインを考えていくにつれて、自分たちの中にも「もう少し広さのあるステップやデッキがほしい」などというようなこだわりが湧いてきて…。こうしたDIYに心得のある職員がおりましたので、彼を筆頭に複数の現業職員たちに協力を仰ぎ、業務の合間を塗って作業を完成させました。

「あの建物、なんだろう?」タイニーハウスが地域の注目の的に

—オープン後、お客さんの反響はいかがでしょうか?

山本:世代や住んでいる地域を問わず、多くの方にお楽しみいただいておりますが、実は、遠方からの旅行ではなく、館林にお住いの方など近隣地域の方も多くいらっしゃっているんです。通りすがりに見かけて、興味を持って来てくださったようで、やっぱりタイニーハウスは目を惹くものなのだなと実感しています。

—他にも宿泊棟や、キャンプ施設を併設されていますが、タイニーハウスでの宿泊だからこそ得られる体験には、どんなものがあるのでしょうか。

山本:まず1つ目は、他の客室とは比べ物にならないほど壮大な沼辺の景観を間近に楽しめることです。周囲の自然を思う存分お楽しみいただけるよう、可能な範囲で一番大きなサイズの窓を設置していますし、お天気の良い日は、デッキに出て、コーヒーを飲んだり、本を読んだり、この景色の中で思い思いにお過ごしいただけます。

以前地域の方がいらした時には、デッキに椅子とテーブルを置いて、まったりとお過ごしいただいている姿が印象的でした。お近くにお住いの方でも、タイニーハウスでの滞在なら、いつもとは違う特別感を気軽に味わっていただけるのではないでしょうか。

山本:2つ目は、広い自然を自分の占有空間にし、プライベートな時間をお過ごしいただけることです。
トレーラーハウスの室内そのものは非常にミニマムなものですが、開放感を感じていただけるよう、屋外空間を広く確保しています。

この中で花火やBBQをしていただくことも出来ますし、この空間を活かして、思う存分楽しんでいただけたらと思っています。
2棟ご予約いただいた際には、この広い空間を完全にプライベートな空間にしてお楽しみいただけますので、団体での利用などにもオススメです。

—こんなに広い空間を占有できるなんて、いろんな楽しみ方がありそうですね。

大森:そうですね。トレーラーハウス周辺を占有空間としていただきながら、宿泊棟の大浴場やレストランをご利用いただくこともできますし、里沼の周りを一周できるウォーキングコースも整備されています。

宿泊棟には、シェフが手掛けた本格的な洋食を楽しめるレストラン「Four Season Dining」が。

大森:春は本当に桜が綺麗ですし、近くにはつつじの名所「つつじが岡公園」もあります。夏になると花ハス、秋には紅葉が楽しめ、冬場は沼に白鳥が飛来するなど、四季折々の自然をご堪能いただけます。
広い敷地内にある施設をご利用いただきながら、里沼がもたらす美しい自然を思う存分楽しんでいただける場所なんです。

沼周辺に佇む木の多くは桜の木。春になると桜を見に多くの人が立ち寄るベストスポットなのだそう。

山本:利便性を求める方はホテル、自然をワイルドに楽しみたい方はキャンプ、そして快適さと自然を最大限味わうことの両方を楽しみたい方は、トレーラーハウスというように、本当に多目的にお楽しみいただけることが、この施設の1番の魅力。

ライフステージや目的に合わせて客室をお選びいただき、穏やかな時間をお楽しみいただきながら、里沼の美しさを多くの方に知っていただける機会になれば嬉しく思います。

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人々の暮らしと深く結び付き、良好な環境が保たれてきた沼辺での時間は、まるで自然の一部になったかのような、そんな静かで穏やかな時間をお過ごしいただけるのではないでしょうか。

日本が誇る景観の中に佇むTinys INSPIRATIONで、里沼が生み出した自然と共にある豊かな非日常を是非、お楽しみください!

▼里沼リゾート Hotel KOMORINU 公式HPはこちら
https://www.hotel-komorinu.com/

2023年11月、群馬県の中央に位置した渋川市赤城町に新たなグランピングリゾート「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」がオープンしました。

赤城山は、群馬を代表とする夜景スポットのひとつ。日本百景のひとつにも選ばれている大スケールの夜景を一望できる施設です。
そんな絶好のロケーションに佇むグランピングリゾートの客室に、YADOKARIのオリジナルタイニーハウス「Tinys INSPIRATION」をご活用いただいています。

今回は施設を運営するブライトン株式会社ゼネラルマネージャーの矢部さん(以下敬称略)に、施設の魅力やタイニーハウスをご検討されたきっかけについて、お話を伺いました。その内容をご紹介します!

ーー新たに誕生した「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」とはどんな施設なのでしょうか?

矢部:1番の魅力は、目の前に広がるアートのように壮大な景色です。榛名湖の裾に広がる渋川や、伊香保の夜景、満天の星空をお楽しみいただけます。

当施設がある場所の標高は600mほどとそれほど高くはないからこそ、見上げることも見下ろすこともなく、常に目の前に美しい景色がある非日常をご堪能いただけることが、大きな特徴です。

満天の星空と四季折々の自然風景が非日常的な時間を演出してくれる。(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:またご夕食には、当施設自慢の“地産地消”グランピングBBQをご用意しています。お肉やお野菜などの厳選されたご当地食材をふんだんに使用し、ここ赤城だからこそ味わえる贅沢な味をお楽しみいただけます。

矢部さんが特にこだわったというお肉は和豚を扱う地元企業「グローバルピッグファーム株式会社」のもの。(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:また1日2組限定で、施設内にあるバレルサウナをご体験いただけることも魅力の1つです。木の香りやぬくもり溢れるサウナと水風呂、そして赤城の澄んだ空気の中でととのい、癒しのひと時を過ごしていただけたら嬉しいです。

ーー続いてタイニーハウスについてのご質問に移らせていただけたらと思います。今回、どのような理由から施設内へのタイニーハウスの導入を決めてくださったのでしょうか。

矢部:タイニーハウスは移動が出来るものや機密性がしっかりとしているものが多いイメージがあり、宿泊施設としてだけでなく、災害時の避難所として利用出来るということに惹かれて選びました。また減価償却期間が短く、期間後には販売が出来るということも、タイニーハウスを選ぶ決め手となったポイントです。

ーー今回、数あるタイニーハウスの中で弊社のタイニーハウスを選んでくださった理由は何だったのでしょうか。

矢部:日本にあるトレーラーハウスを扱う会社さんをたくさん調べた中で、全てのトレーラーが車検に通るYADOKARIのタイニーハウスを選びました。

検討した当初は、デザインに惹かれてアメリカのトレーラーハウスを導入したいと考えていたこともありましたが、群馬県はトレーラーハウスを設置するための基準が厳しかったため、車検が通る可能性の低い海外のトレーラーハウスは断念し、日本のタイニーハウスを導入することに決めました。
思いを込めて施設を作り上げたとしても、車検に通らなくて営業が出来ない…。なんてことになっては元も子もありません。必ず車検に通るという安心感が得られたのはとてもありがたかったです。

(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:また、アメリカのタイニーハウスはデザインそのものは素敵ですが、トイレやシャワーなど水回りが狭いものが多いんです。快適にお過ごしいただくためには水回りの広さを確保する必要があると思っていたので、トイレとバスが別々に設置され水回りを広く確保出来る「Tinys INSPIRATION」に惹かれました。

ーー本当にたくさんリサーチをされていましたよね。そんな中、弊社を選んでくださり、本当に嬉しいです。実際に数カ月稼働されてみて、お客様の反応はいかがでしたか?

矢部:満足度は大変高く、「とても快適な時間を過ごせた」というお声を多くいただいています。
当施設では、ドームハウスとタイニーハウスを設置しているのですが、2種類の空間があるからこそ分かるトレーラーハウスの良さのひとつに、室内の断熱性があると思います。普通の住宅に使用しているものと同様の断熱材を選んでいるため、寒い冬の季節でもエアコン1つで十分ポカポカになるんです。
もちろんドームハウスも寒さを感じることなくお過ごしいただけますが、部屋を温めるために、エアコンとファンヒーターの2つを設置しています。トレーラーハウスの断熱性能の高さには驚きました。

高い断熱性とミニマルな空間。部屋の温度調節を少ない電力で行えるということはタイニーハウスがもたらす小さな豊かさの1つ。(写真提供:ブライトン株式会社)

矢部:また空間が普通の家に比べてコンパクトだからこそ、内装を少し変えるだけで雰囲気を変えることが出来るのもいいですよね。今回は雰囲気の異なる2種類のお部屋をご用意しました。2回、3回と滞在しに来てくださったお客様には、以前とは異なるお部屋に宿泊して楽しんでいただけたらうれしいです。

(写真提供:ブライトン株式会社)

ーー最後に、記事を読んでくださっている方やご宿泊を検討されている方に向けてメッセージをお願いします!

矢部:「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」は、赤城自慢の美しい山々に囲まれた絶景スポットに佇むグランピング施設です。
そんな大自然の中に誕生した当施設ですが、実は都会からのアクセスもよく、赤城ICから自動車でおよそ5分。峠道や狭い田舎道などを通る必要はなく、気軽にお越しいただけるかと思います。
都会での喧騒から離れ、景観やお食事など、ここにしかない体験をお楽しみいただきながら、身も心も安らぐひと時を、多くの方にお過ごしいただけたら嬉しいです!

みなさまのお越しをお待ちしております!

(写真提供:ブライトン株式会社)

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今回お選びいただいた「Tinys INSPIRATION 11m」は、最大4名での宿泊が可能。リビングの大きな窓からは広いサンデッキへ出ることができ、アウトドアとのつながりや開放感を味わえるため、初めてのアウトドア体験や、ご家族でのご旅行にもピッタリです。

段々と暖かくなり、春の訪れを感じるようになりましたね。これからの季節に是非、「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」に足を運んでみてはいかがでしょうか。日々の疲れを癒し、特別な時間を過ごす機会として、タイニーハウスでの滞在を楽しんでいただけたら幸いです。

「GLAMPING HILLS AKAGI〜グランピングヒルズ赤城〜」公式サイトはこちら▼
https://www.gunma-resortglamping.com/

トレーラーハウス製作:YADOKARI株式会社
内装施工:丸和セレクトホーム株式会社

「地域を一つの大きな家族に」をビジョンに、小規模多機能ホームなどの介護・医療の事業を通して高齢者の方々の生活支援を行う傍ら、地域のコミュニティづくりにも取り組まれている「ぐるんとびー」。株式会社という枠組みを越え、NPO法人としても活動されているそのお姿は、いうなれば地域の何でも屋さんのような存在かもしれません。

そんなぐるんとびーさんは、今年5月に新しく本社「ぐるんとびー まちかどオフィス」を新設し、その一角にYADOKARIのタイニーハウス「ROADIE mini」を設置していただきました。まちづくりへの新たな仕掛けとして導入されたタイニーハウスを使用しているのは、なんと地域の子どもたち。駄菓子屋さんとして利用され、地域の方々が集まる賑わいの場となっているのだとか。

今回は、ぐるんとびー まちかどオフィスを訪問させていただきました!はたしてどんな場所なのでしょうか。ぐるんとびー代表取締役、菅原健介さんへのインタビューの様子と共にお伝えします!



最寄り駅からバスで7分ほど。住宅街の一角にあるのが「ぐるんとびー まちかどオフィス」。お庭でミーティングをするスタッフの方々、タイニーハウス周辺に集まる子どもたち、本やあたたかみのある家具が並べられた玄関から、まるでお友達のお家を訪れたかのような温かさがありました。


大人たちがお仕事をしているすぐそばで、綿あめをつくる子どもたち。働くことと遊ぶことが共にある温かい空間。

タイニーハウスの駄菓子屋が誕生!本社に佇むROADIEに込められた想い。

—まちかどオフィスの新設にはどんなきっかけや想いがあったでしょうか。

菅原さん (以下敬称略):私たちは、主軸である介護や医療といった福祉事業を行いつつ、その他にも子ども向けのスポーツクラブ「スポトレ」や、まちの人の困り事を助ける「御用聞き」などの様々な活動を行い、魅力的なまちづくりに向けて取り組んでいます。しかし、多くの地域の方からは「介護・医療関係の会社」というイメージを持たれてしまい、地域の方となかなか関係性を築けずにいることが現状です。

私たちの目指すぐるんとびーの姿は介護や福祉といった特定の事業を行う会社ではなく、住民の助け合いや共助を最大化する活動隊や、活動のプラットフォームのようなもの。その姿を実現するための新しいまちへの仕掛けとして、また、まちの人やぐるんとびーがもっとシームレスに繋がることのできる場所として、この拠点を構えることを決めました。

—タイニーハウスを導入していただくことになったのにはどのような経緯があったのでしょうか?

菅原:元々、タイニーハウスというものに惹かれていて、本社新設の機会に設置したいと考えていました。中でもYADOKARIのROADIEminiに惹かれたのは、この可愛らしさや、柔らかい雰囲気です。

ROADIE miniの耐用年数は20年程と聞いています。十分な強度はありますが、強度を売りにしているプレハブのようなタイニーハウスなどと比べると、やや弱いなという印象がありました。だからこそ、手入れをしながら、愛着を持って使い続けられるのではないかと思ったんです。いずれは名前を付けたり、子どもたちと壁の色を塗り替えて模様替えをしていきたいです。

—今回、駄菓子屋さんとして利用することになったのはどんなきっかけがあったのでしょうか。

菅原:この秘密基地のような空間を、子供達の占有空間にできたら面白いなと思いついたことがきっかけです。すでに本社の中で駄菓子屋さんを行うことが決まっていたので、このタイニーハウスの中で子どもたちがお店を開いたら面白いんじゃないかなって。
息子のソウスケとも相談し、彼が子ども店長としてタイニーハウスの中で「駄菓子屋クレヨン」を営業することに決めました。

—なるほど!ソウスケくんが店長なのですね。

菅原:そうなんです。駄菓子の仕入れから販売、売上や利益の計算まで全てソウスケがやってくれていて、苦手だった算数も自然とできるようになっています。他にも「もっと多くの人に助けてもらいながら営業するにはどうしたらいいのだろう?」、「お金が払えないお客さんが来たらどうしよう?」などと経営に関することを自ら考え、学ぶ機会にもなっているようで嬉しいです。ソウスケは学校にあまり行っていないのですが、学び方はひとつじゃなくていいと思っていて、このタイニーハウスが彼の学び舎の1つ。
もしこれからタイニーハウスで駄菓子屋さんを始める人がいたら、ソウスケがノウハウをレクチャーをさせてもらう日が来るかもしれない。そんな未来もあるのではないかと楽しみにしています。

週に2回オープンしている駄菓子屋さんは友人たちと一緒に営業。放課後になると、ソウスケくんの学校の友達がたくさん買いに来てくれるのだそう。

ヒントはメタバース?ぐるんとびーが目指すこれからのまちづくり

 
街の人が集うことのできる拠点として本社を構え、みなさんが理想とするまちづくりの実現に向けて新たな挑戦をスタートしたぐるんとびーさん。今後目指しているまちの在り方についてもお話をうかがいました。

菅原:私たちはまちづくりを通して「ほどほど幸せな毎日に感動できる豊かな人の繋がりを作る」ということを実現したいと思っています。

人間誰しも、楽しい日もあれば辛い日もある。日々の感情の振れ幅が大きい人がいれば大きい人もいて、毎日の過ごし方や幸せの価値観は、それぞれグラデーションのように異なりますよね。だから自分が何か悩んでいるときに、自分の親友が必ずその辛さを受け止めることができるとは分からないですし、どんなに親しくても打ち明けにくい悩みを抱くことだってあります。

そんな時こそ、助け合えるのは親しい人より近くにいる人。他の人の暮らしを覗かせてもらうことで、もっと深刻な悩みを抱えている人の存在を知って悲しみが少し和らいだり、気づけていなかった幸せに気がつくことできるのではないでしょうか。たとえ助けようとしなくても、誰かの暮らしている姿や些細な声掛けが、思わぬうちに誰かを助けているということが起こり得ると思っています。

—たとえ深く関わり合わなくても、ただ同じ場所で生きているということが誰かの助けにつながるということでしょうか?

菅原:はい。誰かの行動が、たとえ繋がっていない人や見えていない部分に機能することだってあると思っています。なぜなら、1つのまちの中には、見えていないたくさんの世界、つまりメタバースのようなものが存在しているからです。

—メタバースですか?

菅原:メタバースというのは、通常インターネット上にある複数のコミュニティのことを指しますが、私は、私たちの暮らしの中にもたくさんのメタバースが存在していると思っています。

例えば、私たちが暮らしているこの地球には、アリや微生物など他の生き物の世界も存在していますよね。私たちの日常の中で存在を意識することのない微生物だって、私たちに知らぬうちに恩恵をもたらしてくれていますし、自分たちが何気なくシャベルで土を掘ったその瞬間に、実はアリの家族が大崩壊している、なんていう見えていない世界があるわけです。

私たちの住んでいる地域においても同じようなことが言えます。例えば、まちの中には、インフラのこと、福祉のこと、テクノロジーのことなど、それぞれ別のことを考えている人がいます。つまり、同じまちの中に住んでいたとしても、それぞれの人間が見ている世界が全然違うんです。もちろん他の世界を見ることはできませんし、自分の世界が他の人の暮らしにどのように機能しているかは分かりません。ですが、必ず影響し、恩恵を受け合いながら私たちの暮らしは成り立っています。つまり、日々幸せに生きることが出来るのは同じまちの中で、異なる世界を生きている多くの”誰か”のおかげなんです。

私たちは、そんな「おかげさま」の気持ちを持って共に暮らすことが出来るあたたかなコミュニティを作っていきたいと思っています。「おかげさま」の気持ちを多くの人が感じながら生きるその先に、私たちが目指す「ほどほど幸せな毎日に感動できる豊かな人の繋がり」のある社会が誕生するのではないかと考えているのです。

編集後記

「おかげさま」

インタビュー中も何度も繰り返されていた「おかげさま」という言葉。自分の生活は多くの人の恩恵によって成り立っていること、そして自分の行動も、世代を越えて誰かの幸せや暮らしを作っていると気が付かされるこの言葉は、一人ひとりの人生を輝かせる力を持った言葉であるように考えさせられます。

そうして、見えない世界とのつながりを意識してみると、自分の暮らしがより新鮮に、そして輝かしく思えると共に、自分の暮らしが世代を越えて誰かの暮らしを豊かにしているかもしれない、そう思えることはとてもここちが良く、菅原さんがおっしゃっていた”ほどほどの幸せ”を感じられているような感覚になりました。

場所・時間・お金にとらわれず、自分にとっての幸せな暮らしを模索している最中の私ですが、「固定観念」に縛られない新たな暮らしを開拓しながらも、そんな冒険が出来るのは、先人たちからの恩恵や周囲の人のお陰であり、そのことへの感謝の気持ちを忘れてはならない、そう確信できた訪問でした。

「会社」という枠組みを越えて人の暮らしやほどほどの幸せのために活動を続けるぐるんとびーさんの新たな挑戦、また子どもたちの新たな学びの場としてタイニーハウスを選んでくださったことをとても嬉しく思います。今回のぐるんとびーさんとの出会いは、「タイニーハウスを通してこれから、どんな新しい発見や学びと出会えるだろう」そうワクワクせずにはいられないものでした。

2024年7月20日(土)、相鉄本線 星川駅と天王町駅をつなぐ高架下施設「星天qlay」にて、初となるイベント「星天qlayの日」が開催されました!

いつもとは違うメニューを楽しめたり、普段は出会えない人とお話ができたり…。
そんな特別な体験と共に、星天qlayを普段より「もっと」楽しむことが出来るのが、この「星天qlayの日」です。

当日は、全長1.4mの高架下に展開された飲食店やカフェ、住居などたくさんの施設が一日限定のイベントや特別企画をご用意。合言葉「生きかたを、遊ぶ」を体現して皆さまをお出迎えしました。

はたしてどんな1日となったのでしょうか?イベントや特別企画が開催された3つのゾーンの様子を覗いてみましょう!

トークイベントから、一日限定の特別メニューまで。多種多様な体験で溢れた《Cゾーン》

今回は、ワオキッズにてトークイベント「星天qlayLAB(ラボ)」を開催しました。その他、特別企画の様子も併せてお伝えします!

●星天qlayラボvol.6 次の時代を”ソウゾウ”する遊びの力とは 「やってみたい」を応援しあう、まちと親子の関係性

「生きかたを、遊ぶ」というテーマについて多様な視点で考える「星天qlay LAB」。

今回は「次の時代を”ソウゾウ”する遊びの力とは 「やってみたい」を応援しあう、まちと親子の関係性」をテーマに、次世代の教育、そして地域の大人と親子の関係性づくりに取り組まれているお三方をゲストにお迎えし、トークイベントを開催しました。

多種多様な経験を通して、子どもたちの未来や次世代の教育の在り方と向き合い続けているゲストによって繰り広げられた、熱いトークの様子をお伝えします!

会場となったのは「未来の起業家やアーティストを発掘し、自由な発想を育むこと」をコンセプトとした星天qlay Cゾーンに構える民間学童「ワオキッズ星川園」

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〈ゲスト〉

植村英明 / CHEERS株式会社 CSO 株式会社ミライLABO 取締役COO
「全ての人が笑顔で暮らす世界」を軸に大学在学時に世界20カ国で国際協力。活動をする中で「子どもたち=未来の希望」と考え、教育先進国であり、幸福度が世界トップクラスの北欧で教育を学ぶ「教育ツアー」を大手旅行会社と企画運営。その後「世界をもっとカラフルに。」という理念を掲げ、渋谷でグローバル×アートの保育事業を運営しているミライLABOに入社。親子向けプログラムを約2万人に提供。2022年、「すべてのこどもたちに等しく機会を届ける」べく、企業×こどものブランディング事業を行うCHEERS株式会社の創業メンバーとなる。現在は100を超えるパートナー企業、団体、自治体とプロジェクトを推進。


古明地 祥大 / ワオキッズ星川園マネージャー
1987年、神奈川県横浜市生まれ。幼少期よりNPO法人横浜こどものひろばにて劇の鑑賞や子どもキャンプに参加。「子どもの成長に関わることのできる仕事に就きたい」と考え、2015年、民間学童を運営するワオ・ジャパン株式会社に入社。都筑区にあるワオキッズ勝田橋園で8年間マネージャーを務め、2024年現在はワオキッズ星川園(社会福祉法人ワオワオ福祉会)の開園に伴い、星川園マネージャーとして従事している。


中川 朋香 / ワオキッズ新羽園マネージャー 兼 新羽地区子どもネットワーク会長
ワオキッズの保育理念とともに「みんなちがってみんないい!」とインクルーシブ保育も目指して日々邁進中。2023年5月に新羽地区主任児童委員を発起人とした子育て関連施設の連絡会「新羽地区子どもネットワーク」の会長に就任。

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主体性と地域との繋がりを子どもたちに。

まず、今回のトークのテーマについてファシリテーターの山下から説明がありました。

山下: 今回の星天qlay LABは「次の時代を”ソウゾウ”する遊びの力とは 「やってみたい」を応援しあう、まちと親子の関係性」をテーマとして掲げました。ワオキッズ星川園さんを会場に、遊び、そして地域と親子の繋がりが秘める可能性について探っていけたらと思います。

まず「ワオキッズ」がどんな場所か、教えていただけますか?

古明地: ワオキッズは、放課後や長期休暇の時間を子どもたちと一緒に過ごし、日々の生活を見守っている民間学童です。

実は、子どもたちが小学校で過ごす時間は1年間で約1,200時間、放課後や長期休暇の時間は計1,800時間と言われていて、学校で過ごす時間よりもとても長い時間を学童で過ごしています。

そんな中、ワオキッズが大切にしていることが2つあります。

1つ目は、子どもたちが主体的に活動できる環境を作ることです。

なぜなら、算数や国語を勉強することももちろん大切なことですが、それよりも子どもたちが主体性を持って取り組む「遊び」の中で経験したことの方が、人生の糧になると信じているからです。

例えば、子どもたちが遊んでいる時間の中でお友達と協力し合ったり、話し合いをしても上手く伝わらなくて、「じゃあどうしたら伝わるんだろう」と考えたり。

学童で過ごす大切な時間を、大人に言われた通りにするのではなく、自分の「やってみたい」という主体性を大切に楽しんでもらいたい、そう願っています。

僕たちが大切にしているもう1つのことは、子どもたちと地域の人が関われる機会をたくさんつくることです。

自分の住んでいる地域に愛着を持ち、地域の人たちが関わり合う環境を作るためには、自分自身が子どもの頃に地域の人と関わり「楽しかった」、「関わってよかった」と思えた経験が必要なのではないかと思っています。

地域の中のコミュニティが少なくなってしまった今、ワオキッズが子どもたちと地域の人たちとの間に入りその輪を広げることによって、地域の人たちが主体的に繋がり合うあたたかい環境を生み出せたらいいなと思っています。

山下: 中川さんがマネージャーを務めるワオキッズ新羽園では、地域の方と一緒に活動するイベントや体験がたくさん行われていると伺っています。これまでにどんな活動をされていたのか教えていただけますか?

中川: グループホームの一画で野菜を育てたり、近くの企業の方とお餅つきをしたり、園の中で縁日を準備して地域の保育園の子どもたちを招いて一緒に遊んだりなど、本当にいろんな活動をさせていただきました。

グループホームでサツマイモを育てた時には、施設の方にプレゼントさせていただいたのですが、自分たちが作った野菜を他の人に食べてもらえたことに、すごく喜んでいる子どもたちの姿が印象的でした。

最近は、子ども会などのコミュニティも無くなってしまっているので、子どもたちが地域の人と話したり、季節のイベントを体験できる機会も減ってきているんですよね。そんな中、近くの企業の方にお願いをして実施させていただいたのがお餅つきの体験でした。

つきたてのお餅を初めて食べる子も多く、醤油やきな粉などたくさんご用意いただいたものの中から、地域の方と一緒に好きな味を選び、美味しそうに食べていました。

「普通のお餅は苦手だけどつきたてのお餅なら食べられる」と嬉しそうにしている子もいたりして地域との繋がりや、子どもたち自身の中での新しい発見など、たくさんの収穫が得られた活動でした。

山下: 素敵ですね!地域の方が持っている知恵や経験が、循環されているな、と。

子どもたちは、ワオキッズでの活動を通して、普段は出会わない方と繋がることが出来るだけではなく、自分を表現したり、誰かの役に立っていることを実感することが出来ているんですね。まさに主体性が育まれているのだなと思いました。

多種多様な体験と、”かっこいい”大人たちとの出会い

山下: 植村さんも、地域の大人と子どもたちの繋がりを重視したご活動をされていますよね。どんな活動をされているか、お話いただけますか?

植村: 僕は、CHEERS株式会社という会社で、企業と連携した子ども向けの職業体験プログラムを実施する活動を行っています。

早速ですが、みなさんに質問をさせてください。みなさんが子どもの頃になりたかった職業は何ですか?

様々な職業を思い浮かべていらっしゃるかと思いますが、例えば「キュレーター」という職業を思い浮かべた方はいないのではないでしょうか。なぜなら子どもの頃にこの職業に出会う機会は極めて少ないからです。

子どもたちが夢を見つけてその職業を目指すことには大きな原動力があり、今後の人生に影響を与えてくれるものですよね。

しかし、日本にある約17,000種類の職業のうち、子どもたちが知っているのはごく僅か。こんなにもたくさんの職業があるのにも関わらず、子どもの頃に触れたことがなければ、それらの職業を知ることも目指すことも出来ないまま大人になってしまうということに、僕は大きな課題意識を持っていました。

そこで僕たちが考えたのが、たくさんの職業と出会い夢を見つけるための体験を、多くの子どもたちに提供しようということでした。

現在は、様々な企業さんとコラボレーションをしながら地方を周り、子どもたちが夢を持つために必要な多種多様な体験の機会、そして”かっこいい”大人と出会えるイベントを開催しています。

山下: 確かに子どもの頃、サッカーが好きでサッカー選手を目指している子はたくさんいたけれど、サッカーに関わる他の職業を目指してる子は少なかった気がします。多様な職業を知ることの出来る機会って大切ですよね。

なぜその活動を、地域に焦点を当てて行っているのでしょうか?

植村: 首都圏には、キッザニアやイベントなど、職業体験が出来る機会や大人と関われる機会が増えてきていますが、地方ではそういった機会が圧倒的に少ないからです。

加えて地方の人口流出といった課題も問題となっているので、地方に住む子どもたちと、その地域の企業さんや大人が出会える機会を作り、子どもたちの将来の選択肢を増やすことが出来たらと思っています。

例えば地元の特産品作りを体験をしたり、地元のプロサッカーチームに出展していただいたり、アナウンサー体験をしたりなど、本当に様々な職業体験を用意しています。

また大企業様をはじめとした複数社様とコラボレーションをし、小学生が起業を体験出来る3ヶ月間のプログラムも毎年実施しています。
実際に事業計画書を作って出資の計画をしたり、大人を巻き込んで子どもたちがお店を出し、本物の現金を使用しながら収支計算を体験できるような機会を用意しています。

古明地: 職業体験って子どもたちにとってすごく大切なことですよね。地域を問わず様々なところで活動されているなんて素敵です。
実はワオキッズ星川店でも「職業体験の機会を作っていこう」と、いくつかの店舗さんからご提案をいただいていて。今のお話を聞き、実現したい気持ちがより強くなりました。

子どもたちと向き合うために大切な「遊び」の視点

山下: みなさんの楽しそうに活動されている姿を見ていて、子どもたちの「楽しさ」のために活動することはもちろんですが、そこに関わる大人がどれだけワクワクして子どもと向き合うかということも大切なのだろうなと思いました。

普段、お仕事を通して子どもたちと向き合う中で、大切にされていることはありますか?

中川: 私は、自分が楽しいと思うことじゃないと子どもたちも楽しいとは思わないんじゃないかと思っていて、自分が子どもの頃にやりたかったけれど出来なかったことを時に思い返しながら、今子どもたちと一緒に挑戦し、楽しんでいる感覚があります。

植村: 子どもたちが楽しんでいる場に、大人をどのように巻き込めるかということを日々考えながら活動しています。

法人営業を通して大人の方とお話をさせていただく機会が多いのですが、企業としてやりたい事と、個人としての想いが重なり合った瞬間に、すごく真剣に、楽しそうに向き合ってくださる姿を目にすることが多いなと感じています。

子どもたちには、そうやって楽しく生き生きと仕事をしている大人たちに是非出会ってほしいと思っているので、関わる企業の方から「この仕事楽しい」って言ってもらえるにはどうしたらいいか、常に考えています。

ここワオキッズを起点に、人が集い繋がるまちに

「子どもたちに楽しんでもらいたい」その一心で活動を続けているお三方のお話に、うなずきながら耳を傾け、中にはメモを取りながら参加してくださっている方の姿もいらっしゃいました。お越しいただいた方からはこんな質問もーー。

参加者: 「子どもたちが、学童や大きなイベントを通してではなく、日常の中で地域の人や大人と出会い、繋がれるきっかけを得ていくためにはどうしたらいいのでしょうか?」

古明地: 僕は娘と公共の施設で行われる小さなイベントによく参加しています。その場ですぐに仲良くならなかったとしても「また会ったね」って友達が出来ることがよくあるんですよね。

大きなイベントの場やお金を払って参加するものでなくてもいいので、やっぱり外に出ることや、興味のある場所に通ってみることが大切なのではないかと思います。

植村: お子さんからたくさんお話を聞いてみるということをおすすめします。
学校での活動や登下校の時間を通して地域の方と出会ったり、お話をする機会を得ている子どもたちも多いように思います。
お子さんから聞いた話の中で話題に上がった地域の方と、お会いした際に挨拶をしてみたり、声をかけたりするだけでも、良い繋がりを作ることが出来るかもしれません。

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あっという間に1時間のトークが終了。
後半は、ゲストや参加者の皆さんが、ご自身のお子さんのことについて真剣に相談をされている姿や、日々の子育てやご自身の子どもの頃について、和気あいあいとお話をされているあたたかい様子が見られました。

地域の方々の繋がりを作ることに取り組むワオキッズを起点とし、これからどんなつながりや、新しい暮らしが育まれていくのでしょうか。星天・天王町エリアのこれからが楽しみになる、そんなトークイベントでした。

星天qlayの日限定、特別メニューを販売!

ここからは星天qlayの各店舗による特別企画のご紹介です。
Cゾーンの芝生エリアでは、地産地消・無添加食材にこだわる飲食店「惣ざいと土鍋ごはん 時々クラフトビール。SAI.」が、お弁当とお惣菜の出張販売を行いました。販売開始前からたくさんのお客様にお待ちいただき、販売開始からおよそ15分でお弁当は完売。

あっという間の売り切れに、通りすがりの方々も驚いていました。

SAI.の店舗のほど近くにある「手織工房じょうた 横浜星川工房」では、星天qlayの日限定で、これまでに織り物を体験したお客様やスタッフの方が織ったリネンのミニ風呂敷とハンカチの販売を行いました。

手織工房じょうた: 「普段は手織り体験のみを行っていますが、気軽に工房に入っていただけるきっかけになればと思い、ミニ風呂敷とハンカチの販売を始めました。興味を持って手に取ってくださり、体験に興味を持ってくださる方も多かったです。まだ珍しいものと感じている方も多い織り物ですが、小学1年生から体験できる簡単なものなので、たくさんの方に体験していただけたら嬉しいです。」

ケーキや焼き菓子の販売を行うPatisserie & Cafe PINEDEでは、星天qlayの日限定の特別メニューとして、苺やバナナをつかったアイス入りのクレープの販売を行いました。猛暑の中での開催となった星天qlayの日にピッタリのメニュー。いつもよりもさらに美味しく感じられるクレープだったのではないでしょうか。

星天qlayの日限定!親子で楽しめるワークショップが行われた《Bゾーン》

Bゾーンに店舗を構えるReconnelは、ひまわりのブーケをつくるワークショップを開催しました。

3種類のひまわりやその他のお花の中からお好きなものを選び、自分のこだわりがたくさん詰まったブーケが作れる特別な機会。お子様から大人まで多くの方が楽しんで参加していました。店内にはこの日限定の大きなひまわりの展示も。初めて見る大きなひまわりと一緒に写真を撮っているお子様もいました。

同じくBゾーンに店舗を構える無印良品 500では、体育館の床材の端材で作られたキューブを使った立体パズル作りのワークショップを行いました。
最初は一緒に作業していたご家族も、気づけば無言になりそれぞれの作業に没頭。大人も子どもも夢中になって楽しんでいました。

2つのイベントを開催!《qlaytion gallery》

Bゾーンにあるシェアオフィス兼イベントスペース qlaytion galleryでは、2つのイベントが行われました。1つは「めぐる星天 英会話カフェ特別編!リメイククラフト」です。

ハーチ株式会社 室井さん: 「毎月開催している英会話カフェですが、今回は星天qlayの日の特別編ということで、英会話とクラフトを同時に楽しめる企画を開催しました。当日は家からお持ちいただいた空き缶をつかったクラフトを行い、英会話だけでなく、qlaytion galleryが大切にしているテーマ「循環」についても楽しく体験していただける盛りだくさんのイベントとなりました。初めて参加してくださった方が半分以上で多くの方にご参加頂けて嬉しいです」

同じくqlaytion galleryで開催されたのが「めぐる星天 「本トーク!」#4」です。
本を読むのが好きだけれどなかなか読めていない、読むことにハードルを感じている人など、本や読書の裾野にいる方が集うイベント「本トーク!」。今回は、タリーズコーヒー星天qlay店の店長 浜中さんをゲストに迎え、本や読書について参加者のみなさんと対話を行いました。

ファシリテーター 日置さん: 「星川天王町の町の様子を話されている方もいれば、それぞれの読書遍歴を話されている方まで。本への関心をきっかけに、参加者の方同士が繋がり合う場となりました」

自由でユニークな発想に溢れた《Dゾーン》

Dゾーンに構えるYADORESIでは、住民以外の人でも自由に遊びに来ることのできる「OPEN DAY」を開催しました。

今回のコンセプトは「ありえんピック」。オリンピックの開催に合わせて誰でも参加が出来るYADORESI独自のありえないオリンピックが行われました。

ありえない国旗デザインの展示や、競技の実施など、YADORESIの住民たちだからこそ生み出せるユニークな企画が繰り広げられました。中でも注目が集まったのが、住民がつくった聖火リレーゲームです。住民の方もふらっとお立ち寄りいただいた方々も、夢中になってゲームをしていました。

その他にも、お子さまも楽しめるお絵描きのワークショップ、住民や近所の方による「はなれマドマーケット」も開催しました。

クリエイター向けのコワーキングスペース「PILE」では、月に1回の開放日PILE OPEN STUDIOを開催。

PILE: 「OPEN STUDIOは、普段よりもお子様の出入りが多くなる1日です。今回は星天qlayの日ということもあり、お子様に楽しんでいただくための仕掛けとしてバブルアートを用意しました。たくさんの方々にアートを体験してもらうことが出来て嬉しく思っています」

飲食店や体験型施設など、多種多様な施設が、それぞれの持っている個性を活かしたユニークな企画を準備して皆さまをお迎えする「星天qlayの日」。

暮らしに活かせる新しい発見や知識を得られたり。
久しぶりの創作活動にワクワクしたり。
星天qlayの店舗スタッフやこのまちに住む人とゆっくりお話が出来たり。

普段のお出かけやお買い物では得られない、特別な時間を過ごせた方もいらっしゃったのではないでしょうか。

立場や目的、住む場の垣根を越えて人と人とがあたたかくつながり「生きかたを、遊ぶ」。

そんな体験を多く創出する「星天qlayの日」に、これからもぜひ足をお運びいただき、一緒に盛り上げていただけたら嬉しいです。

お暑い中ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました!

気になる国に滞在したい時、どのような方法を思い浮かべるだろう。旅行に行く?留学やワーキングホリデーに挑戦する?
新たな選択肢として、“Workaway(ワークアウェイ)”という手段がある。滞在先のお手伝いをする代わりに、住む場所と食事を提供してもらうことができるのだ。手軽に憧れの場所に滞在できると人気が高まっているという。

家族の一員として共に暮らすと、外からは気づくことができないその地域のリアルが見えてくる。今回は、デンマーク滞在中にワークアウェイを経験したミオさんの話から、誰かの暮らしに飛び込んで得た気づきをシェアしていきたい。

本当に幸せな国なのか?デンマークの家庭で見た教育のカタチ

デンマークのフォルケホイスコーレ(※)を卒業後、ミオさんは一つ目のワークアウェイ先に向かった。ドイツとの国境付近にある、セナボーという街だ。

滞在の目的は、デンマークのリアルな家庭の様子を知ること。フォルケホイスコーレで充実した教育・福祉制度を知り、デンマークがすごく幸せな国に思えたそうだ。だからこそ、そのイメージは本当なのかと探究することにした。

※フォルケホイスコーレ:北欧独自の教育期間。17.5歳以上であれば、誰でも入学できる。
試験や成績が一切なく、共同生活を通して民主主義的思考を育てること。興味のある学びに取り組み、知の欲求を満たす場であることが特徴だ。

滞在先は、10歳〜18歳までの4人の子どもがいる家族だった。子どもたちは学校には通わず、両親がホームスクールとして勉強を教えていたという。ミオさんもホストマザーと協力しながら、日本語を教えることになった。

デンマークでは、大学院まで無料。個人の興味にあった進路選択がしやすく、充実した教育制度だと言える。それにも関わらず、ホームスクールを選択したのはなぜなのか。

理由は大きく二つ。両親の経験上、学校ではいじめが多くあったこと。そして、長女が少しだけ学校に通った際、コロナ期間だったこともあり生活面での制限が厳しかったこと。
集団生活を送る上で仕方ないと割り切る人も多いと思うが、両親はより自由に学ぶことができるようホームスクールを選択した。

朝食中に率先して新聞を読むのは子どもたち。カードゲームで世界の著名人や政治家を学び、社会への関心が高い。家族で食事をする際に、議論が白熱することもあったそうだ。
また、幼い頃から英語で映画を観ていたため、全員が流暢に英語を話すことができた。
日々の工夫により、学校教育以上ともいえる知識と探究心が育まれた子どもたち。学歴主義ではなく、個々の能力が大切にされるデンマークならではの教育のカタチかもしれない。

異なる暮らしの中で知る、大切にしたい価値観

誰かと暮らすことは時に大変。文化や言語が違う相手となら尚更だ。
ワークアウェイを通して、ミオさんは自らが心地よく生きるために欠かせないことを見つけた。それは、コミュニティの一員だと感じられることだ。結びつきが深い家族の中に溶け込むことは難しく、孤独感が付き纏ったという。

一番の壁となったのは、やはり言語だった。前述したデンマークの滞在先では、家族全員が英語で話そうと努力してくれたものの、深い話になればなるほどデンマーク語がメインに。精神的な繋がりをつくることは難しかった。
一緒に暮らしながらも輪の中に入りきれない感覚は、すごく辛いことに気づいたそうだ。

また、スイスで1ヶ月間滞在した際は、一緒に暮らすホストマザーの友人がフランス語しか話せず、コミュニケーションが上手くいかなかった。
それでも、お手伝い後にはビーチや湖に連れ出してくれた彼女。もっと話すことができたらお互いの距離が縮まったかもしれないと、ミオさんは残念そうに語った。

海外に行かずとも日本で。受け入れることで新たな気づきを

via: pexels.com

実は、日本に滞在したい外国人にもワークアウェイは人気だ。日本各地の家庭が、公式サイトで受け入れ登録をしている。
滞在する人にお手伝いしてもらいたいことは様々だ。自宅のDIY、畑づくり、子どもの遊び相手や英語を教えてほしいなど。あなたもお願いしたいことの一つや二つ、思い浮かぶのではないだろうか。

そして、家族のように共に過ごすのも大事な時間。お気に入りの場所、はたまた行ったことがないところに一緒に足を運んでみる。いつもの料理を振る舞うと、新鮮な反応が返ってくることに驚きや嬉しさを感じるかもしれない。
誰かの日常は他の人にとってはきっと発見の連続。他者と暮らしを交わらせることで、新たな気づきが見えてくるのでは?

【参考】

フォルケホイスコーレとは/一般社団法人IFAS
Workaway.info

TINY HOUSE JOURNALタイニーハウスの“現在”を知る

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