スウェーデンのキルナ(Kiruna)は、国内最北端に位置する北極圏の街。冬は長く厳しく、最低気温がマイナス20度になることもある極寒の地だ。そんなキルナの雪原に、こんな不似合いな金色のオブジェがやってきた。実はただのオブジェでなく実用的であるとともに、街の「再生の象徴」でもあるのだという。
「何か住民の心の支えになるものをクリエイトしてほしい」
そんな想いから、スウェーデンの首都ストックホルムに拠点を置くアーティスト・デュオ「Bigert & Bergström」が制作したというこのオブジェ。
その背景には、意外なストーリーが隠されていた。 (さらに…)
ここ南西フランスのユスタリッツは、スペイン国境のほど近くに位置し、車で1時間も走ればスペインのサン・セバスティアンに入る。フランスとスペイン両方の文化を併せ持つバスク地方と呼ばれ、一時独立の気運が高まった事でも有名な地域だ。
そんなユスタリッツに、20平方メートルほどのタイニーハウスが建てられた。フランスの建築事務所「A6A」が建てたこのタイニーハウスの名前は「h-eva」。モダンさと伝統素材を織り交ぜた居心地の良い家となった。
(さらに…)
アンデス山脈が南北に走る南米エクアドルの首都キトから1時間の距離にあるのどかな田舎町グアイラバンバに、歴史学者と映画監督のカップルが暮らすタイニーハウスがある。
地方に移住をしたり、働きかたを変えたり。
コロナ禍の生活の変化をきっかけに、自身の暮らしや価値観を見つめ直した人も多かったのではないだろうか。
彼らがこの住まいを手に入れたのもこの時。
孤独を感じやすいその期間に、心地よい孤立を感じるための場所を、また週末に休息したり仕事をしたりするためのスペースの必要性を感じ始めたのだそう。
乾燥した渓谷の中、アボカドの木が生い茂る豊かなこの場所に、自分たちの暮らしを都市から切り離し、自然と再び繋がることの出来るプライベートな空間を求めた2人。
そんな彼らが手に入れた小さなお家「Guayabamba Cabin」を覗いてみよう。
根を張るようなずっしりとした自然とのつながりを

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この住まいは、”土の箱の出現”をコンセプトに作られた。軽やかな気持ちで過ごせそうな開放感のある空間でありながらも、建物そのものはコンクリートで深く庭に埋め込まれ、自然とのずっしりと深くつながれているような印象を受ける。

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目覚めと共に、光と緑を取り入れて

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彼らの一番の要望は、オーバーヘッド照明付きの大きなバスルームと、寝室兼書斎としてのオープンな空間。夫婦が庭や自然と直接触れ合いながら仕事をしたり休息を取れる場所を求めていたのだそう。
中は1つの部屋のみ。1つの家具で仕切られ、2人が日常を過ごすオープンエリアとトイレや収納の用途で使用するプライベートな空間を分けている。
とはいえベッドルームをオープンエリアに設置するとは、ミニマルであるタイニーハウス、そして自然とのつながりを深く求める彼らならでは。
目覚めと共に、朝日の光を目の中に取り入れ、周囲の壮大な自然を取り入れられるとは、なんとも贅沢な暮らしだ。

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素材は、基礎にコンクリート、構造体には複数の木を組み合わせて作った集成材、クロージャーは先住民の住宅建設に使われる伝統的な建築技法バハレック土、スクリーンに銅ガラスという4つのものに絞り込んだのだそう。この土地がすでに持っている象徴的な価値と、自然とのつながりを回復するために、小さな空間でありながらも、適材適所の材料・建築技法の選定に重きが置かれている。
住む場所が美しくあれば、2人の関係性もより豊かに

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こんな空間があれば、睡眠の質や仕事の効率を高めるだけでなく、住む人たちの関係性までより一層深まりそうだ。
一緒に暮らすパートナーと共に、自分たちの暮らしに本当に必要なものを見極めて、どんな景色・香りの中で、どんな気持ちで目覚めたいか、そんなことをじっくりと考えながらあなただけのミニマルな暮らしを築いてみてはいかがだろうか。
時間の経過とともに、暮らしへの満足感と相手との豊かな関係性がどんどんと深まる、すてきな暮らしがスタートするに違いない。
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チェコ共和国の首都プラハを流れるヴルタヴァ川は、スメタナの交響曲「わが祖国」第2曲「ヴルタヴァ」のモチーフにもなっており、国民にとっては祖国を象徴する河川だ。
日本では、ドイツ語名「モルダウ」が定着しており知っている人もいるのではないだろうか。
オオハクチョウの行き交う静かな川面に浮かぶのは、浮力居住型組立てユニット「Port X」。この船は単なる移動手段なのではなく、人が住まえる家なのだそう。 (さらに…)
デンマークのユトランド半島の東海岸に位置するとある港町には、かつて漁師たちが道具を収納したり作業を行った小屋が数多く残されている。しかし漁に使われる道具の進化と共に、徐々にこういった小屋は使われなくなり、その多くが寂れたそうだ。けれども近年、そんな漁師小屋を夏の休暇を過ごすサマーハウスとして生まれ変わらせている人たちがいるという。
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自然豊かなマツ林を抜けた先に、シンプルでスタイリッシュなスモールハウスが建っている。ここは、東欧・ポーランドのLubiatowo(ルビアトウォ)というバルト海に面した小さな町。ノルウェーやスウェーデンなど地理的国境の多くを北欧諸国と共有しているので、北欧的文化も多く影響を受けている地域である。
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みなさんは「小商い」という言葉をご存知でしょうか?
定義はさまざまですが、小商いとは、”「儲ける」ことよりも、自分のやりたいこと/責任のとれること/楽しみながらやれることを、自分の手の届く距離で行う働き方”と言われています。
近年、若い世代を中心に、この小商いをする人が増えてきました。
小商いの形は様々で、メインの仕事にする人もいれば、前回ご紹介した、デザイナーで焼き芋屋さんのチョウハシさんのように、パラレルキャリア的に他の仕事をしながら行う小商いもあります。
この連載では、新しい働き方としての「小商い」を実践する様々な人達にお話を聞き、「働く」という側面から豊かさについて考えていきたいと思います。 (さらに…)
自分で作ったタイニーハウスに住むことでリビングコストを削減、そして奨学金ローンを返済を完了させて女性がいる。オフグリッドのシンプルな暮らしは、彼女のライフスタイルをありのままの自分でいられるように変えたのだそう。
多額の奨学金ローンを返済していくために
2010年、当時30歳だったローワン・クンツさんは、小学校の美術教師になるため、12年ぶりにニューヨーク州ハイフォールズの実家に戻ってきた。シンプルな暮らしをしているケニアなどの地域に滞在したことのある彼女は、タイニーハウスのムーブメントにも興味を持っていた。タイニーハウスをトレーラーで作れば、移動が可能で、建築許可も必要ない、そんなシンプルさに惹かれたのだそう。
そして多額の奨学金ローンと不安定な経済状況を考え、彼女はタイニーハウスを建てて、土地の資金を貯めることに。
タイニーハウスのムーブメントは急速に広まり、住宅のフロアプランも出回っている。「しかし、冬の生活に関する情報はあまりありませんから、リサーチが必要でした。他の人がやっていることを見て、それを真似するのではなく、あくまで自分の判断材料にしました」とクンツさんは言う。
決して一人ではできなかった、みんなと作ったタイニーハウス
クンツさんはデザインを描き、徐々にものを減らしていった。「どれだけ環境にいい影響を与えられるかという挑戦でした。オフグリッドについてわかったとき、すぐにそうしようと思いました。私たちはあるものを必要なものとして考えていますが、それらは歴史上長く存在するものではありません」
2012年の春、彼女は思い切って7.3メートルのトレーラーを購入し、父親のワークショップ作業場の外に停め、初夏の週末に床下の施工を行った。クンツさんは、必要な道具のほとんどを使いこなしていたという。「電動ノコギリはまだ勉強中です。ドライバー、丸ノコ、ドリルなど、使う道具は意外に少ないです。一番大変だったのは、一人で作業する方法を見つけることと、電気について理解することでした」
煙突や電気配線に関する相談やフォーム断熱材の取り付けは、お金を払って外部に依頼。「これらを任せられてとってもラクでした」と彼女は言う。大工の友人たちは専門家の意見を聞き、他の友人や家族も時折手を貸してくれたのだそう。
しかし、細身の女性であるクンツさんは、ほとんどの作業を自分自身で行った。「エレンビルにある製材所の人たちから、たくさんのアドバイスをもらいました。彼らは素晴らしい人たちで、従来のやり方ではできなかったことを解決してくれました」
トレーラータイニーハウスのインテリアには、竹のフローリング、パイン材の羽目板、バスルームと外壁のサイディングにはシダー材、そしてトタン屋根など、自然素材が多く使われている。「竹のフローリングは、移動住宅ならではの軽さと足ざわりの良さから、天井の強化トタン板は、薪ストーブの耐火材として採用しました」
ロフトベッドの下に収納を設け、足元には浅いクローゼットを設置しています。もう一方の端には、キッチンとバスルームがある。
メープル材のカウンタートップとヒノキのバスタブはそれぞれ別の友人が作ってくれたのだそう。
4.6メートルのパイン材の板を天井に自分で取り付ける際には、「3つのはしご、くさび、そして多くの罵倒の言葉が必要でした」と彼女は笑って話していたそう。
クンツさんは2013年の秋、まだ完成していない18平方メートルの家を、両親の敷地の端にある場所に牽引してもらい、猫のウィローと一緒に引っ越した。「最初は基本的に箱だけでした。新しい設備を手に入れるたびに、やったー!と叫びました」
新しい設備とは、小さなステンレス製のシンクやプロパン調理器具などのことですが、薪ストーブが届けられるまではそれらはとても小さく見えたとのこと。「小型ストーブは、おもちゃのように見えるかもしれませんが、おかげで冬の厳しい気候の中でも家を暖かく保つことができました」
何を使い、どこから来たのか。オフグリッドだからこそ分かること
ハンドポンプを使って、家の下にある雨水桶からヒノキの浴槽の上にあるタンクに水を汲み上げている。
パイプを穴の開いた5ガロンのバケツに導き、地面に腐葉土で埋めておくローテクな排水システムも実用的な設備。キャンプ用シャワーは、寒い季節に温かいお湯を提供してくれる。クンツさんが「バケツ」と呼ぶコンポストトイレは、「見事に機能しています。コンポストは思っていたよりずっと簡単でした」とのこと。
2枚のソーラーパネルが、照明や冷蔵庫、ノートパソコン、いくつかの家電製品を動かすのに十分な電力を生み出している。「何を使い、どこから来たのかを意識するようになりました」とクンツさんは言う。
ローンの返済だけじゃない、暮らしを変えたタイニーハウス。
この家の費用は全部で約25,000ドル(当時約280万円)。「始めた当初は目新しさを感じましたが、ブログを通じて、タイニーハウスを計画・建設中の多くの人が私を見つけてくれました。コミュニティがあるんです」
クンツさんにとって、タイニーハウスは「論理的な選択」であり、彼女は3年後に奨学金ローンを返済して無借金になった。タイニーハウスでの生活にはいくつかの大きな調整が必要で、彼女は時間をかけて適応してきたと言う。「私はたくさんのものを手放しました。今ではいくつかの設備を手動で操作してリズムよく生活しています。ありのままの自分でいられるように、ライフスタイルを変えることができたのです」
Via:
upstatehouse.com
hvmag.com

「世界を変える、暮らしを創る」をビジョンに掲げるYADOKARI株式会社(以下、YADOKARI)。YADOKARIのフィロソフィーに共感し、それぞれに専門性を持った方々をメンターに迎え、これからの新しい組織の在り方を日々模索している。そんなメンターの方々との対話を通して、YADOKARIの現在地、そしてこれから目指すべきものについて理解を深めようと始まったのがメンター対談シリーズだ。
今回は共同代表のさわだいっせいが、2022年からYADOKARIの組織開発・人材育成顧問を務める立石慎也氏、YADOKARI編集部の中核を担うライター・森田マイコ氏と行った鼎談の後編をお届けする。
▼前編はこちら
https://yadokari.net/wp/interview/85377/
魂の脱植民地化を果たし、「生きるを、啓く」ために

メンターの森田さん(写真左)と立石さん(写真右)。鼎談は、YADOKARIが市政100周年を迎える川崎市の新庁舎周辺で2024年3月1日〜31日に市と連携し開催した実証実験「カワサキミーツ!!!」の会場で行った。
森田:後編では未来に向けたお話をお伺いできればと思うのですが、 誰もが魂の脱・植民地化を果たし、「生きるを、啓く」ためにはどうしたら良いのでしょうか?
立石:ソース(源泉)に基づいて、魂に筆を預ける生き方をすることだと思います。ソースというのは“何かをしたい”という動機、魂の声のようなもので、僕はそれを”本来性authenticity”という言葉でお伝えすることが多いのですが、それは物質の分子に至るまで、この世のすべての物に存在しているのではないかと思っています。会社を経営したり事業を推進するにあたってやらなければならないことはたくさんありますが、その人が本当に魂の声に共鳴している活動であれば、モチベーションという発想がなくなるんですよね。
森田:モチベーションをアップしようとしている時点で、それはソースに基づいた行動ではないということですね。自分のソース、魂の声にはどのように気付くことができるのでしょう?
立石:分かりやすく言うと、違和感と怒りを持つことが大切だと思います。怒りというのは、自分の美意識や直観に従って「この場所にこういう椅子があるのが許せない!」という感情を持つことですね。「なんとなく気に入らない」ではなく、「ありえない!」と怒りが湧いてくるもの。このようなエゴを超越した本心からの怒りがあると、自分のソースに気付くことができるのではないかと思います。その怒りは、合理性や客観性を超越し、多様なエゴを包含した我汝な意識に根ざすロックな在り方から生じるスパークのようなものです。僕は、さわださんの着想や活動のベースはそういう怒りを帯びているのではないかと感じています。
さわだ:確かにそうですね。10代の頃から、親や先生、社会など、自分を枠にはめようとするものへの怒り、反抗心が強かったので、それが抑え切れなくなって、音楽を始めて上京しました。怒りというのはその人の大事にしているものやコンプレックス、壊されたくないもののシグナルでもあるので、自分がどうなったらカチンとなれるかを紐解く大切さについては、社内でも話をしています。
森田:なるほど。違和感と怒りによって自分のソースに気付くことができるのですね。一人ひとりが個に内在するソースを知ると、組織にはどのような影響があるのでしょうか?
さわだ:YADOKARIという組織は全体が相関し合っているので、それぞれが自分の自由ややりたいことを追求して個が成長すると、会社全体が強くなっていく感覚があるんです。会社が強くなると社外とも影響を与え合うことができるので、それが連鎖すると社会が変わり、地球が変わっていくのだろうと思います。
みんなでYADOKARIという神輿を担いでいるような感覚で、担いでいるうちにオーディエンスが集まってきて、彼らも仲間に加わってくる。そしてソースに基づいて「こっちに行きたい」と声を上げた人の方へ、神輿が動いていく。誰かが声を上げる人になっても良いし、声を上げる人がどんどん移り変わっても良い。そのエネルギーが社会に向かっていくような組織にしたいと思っています。
立石:共通の精神がありながらも、ソースに従うと一人ひとりやることも向かうベクトルも異なるので、多様性が生まれるんですよね。多様性が生まれるけれど、そこには共感も共鳴もあるから、共創が起きる。そうすると、複雑性を帯びた組織だからこそ、いろいろな人と共鳴できるし、新しい何かが生まれる。文化圏の中に複雑性を保持しつつ、深層や中核が共鳴し合う日常が実現できたら、理想的で美しいなと思います。みんながそれぞれに自分自身の魂の声に基づいて生きるようになると、仕事という感覚は薄れていきますよね。
さわだ:自分の生き方と仕事が一体化した状態になるのでしょうね。
立石:そうなるとその文化圏に触れた人は、感染症のようにみんな、自分の「生きるを、啓く」ようになる。それをやり切っている組織は世界にまだないような気がしていて、僕はYADOKARIならそれが実現できると期待しています。
カオスに寛ぐ在り方
立石:いろいろなものが脱・植民地化されてカオスになると、「普通」というものがない状態になっていく。そういう状況の中で生きていくために、「カオスに寛ぐ在り方」というモードが一助となると思います。
森田:カオス、つまり混沌とした状態に寛ぐには、どういう意識が必要なんでしょう?
立石:「今までこうだったからこうする」と、これまで自分自身が育んでは慣れ親しんできた秩序(コスモス)に従うのではなく、自分のソースを信じて魂に筆を預けること、エゴの求心性から距離を置くことを選択できる意識が必要なのだと思います。
「秩序が保たれているのが良い状態」と思われがちですが、秩序には、その秩序を脱構築する躍動(アンチコスモス)が内在しているという思想もあります。規定された秩序を疑い、コスモス依存症に気づき手放すこと、つまりアンチコスモスの風に乗ってみることからその意識は啓かれるでしょう。そして、少しずつ、秩序もカオスも自在に扱い、どちらも味わうことができるようになっていく。そんな意識を抱く人々が集う組織になれたら、脱植民地化され混沌とした社会で、互いに励まし合いながら、それぞれがそれぞれにアーティスティックに生きることができるのではないでしょうか。
僕が出逢ったプロのアーティストさんは、自分が意図してできあがった作品よりも、筆をとって気付いたらできていた作品の方が美しいとおっしゃる方が多いんです。アーティストのように自分の根底から湧き上がる躍動そのものに自分自身を委ねること。カオスに寛ぐ生き方にはそんな一つの側面もあると思います。
森田:自分の奥底から湧き出るソースに委ねながら生きる。それが人々の間で同時多発して、それぞれがそれぞれの宇宙を映し合うということですね。今のお話を聞いて、YADOKARI文化圏にいる私たちは、それぞれのソースを持ちながら、一つなんだなと思うことができました。立石さんの中に私の色も入ってるし、私の中にさわださんの色もあるのを感じると、とても安心します。

立石:僕はそれを、無限なる可能性を秘めたカオスだと思っているんです。いかなる制限もなく、いかなるものでも生まれ出る状態ですね。
森田:本当の混沌ということですね。混ざり合っていて、生まれるし、戻れるし、また生まれるし、循環もするという。そういう文化圏が、きっとYADOKARIの周りで作られていくんだろうなと私は期待しています。そういう組織だったら、私も会社員になれそうです。
立石:“本来性”とは魂の声、その人がこの世に生を受けた存在意義のようなもので、美意識や創造性は本来性と仲良しです。一方で“社会性”は、一般的な言葉で言うと道徳や倫理を意味します。多様な存在同士が共存し合うためのプロセスやメカニズムを構築したり、それらにうまく適応したりするのが社会性です。この二つはしばしば対立してしまうものですが、霊性的な知性は、うまくこの二つのバランスをとったり、統合したりしてくれます。カオスに寛ぐ在り方は、霊性的な知性が高まるほど豊かになる印象があります。
森田:なるほど。社員全員が霊性的知性を備えた状態で、ミーティングや議論ができる会社があったら良いですよね。
立石:それはなかなかすごいですね。そういった共通理解を前提とする文化圏から、何かを生み出そう、変えていこうと創り出されたものは、きっと最高だろうと思います。
森田:そうなったら、留まるところを知らない果てしのない欲望はなくなりそうですよね。何もかもを生む無限のカオスに寛ぐ在り方が、豊かな在り方のような気がしています。それが会社という組織、ビジネスのフィールドでできたとしたら未来は明るいなと思います。
YADOKARIの目指す未来と美しさ
立石:経済性に上手に順応しないと生きづらく、キャリアも市場にふさわしいものでないと対価を得ることが難しい社会では、市場が求める水準に適応している人は生きやすいし、逸脱すると生きづらい。今は規定から外れた存在は”出る杭”として打たれてしまう状況だけれど、存在の本来性や多様性を受容する社会全体の水準が上がれば、人はそこに順応して成長していく生き物だと思うんです。
社会の水準を押し上げるのもその社会で生きていくのも個人なので、誰かがリーダーシップを発揮して特定の色に世界を変えていくというよりは、一人ひとりが日常の暮らしにその人らしさを滲ませて、その多様性や複雑性が社会を常に新鮮で純粋な玉虫色に変えていく方が自然だろうと思います。その玉虫色に生命が宿るには、表層的な暮らしや佇まいはそれぞれに異なるけれど、内なる聖なる暮らし、つまり「祈り」は共鳴していることが必要でしょう。多様性を抱擁する美しくオーガニックなこの玉虫色の「文化圏」は、そこで相互浸透する多彩な存在を脱・植民地化していき、多義性を取り戻した豊かな暮らしが、その美しい佇まいが、世界を日常から変えていくのだと思います。このビジョンは、僕自身の希望のシンボルでもある「存在の百花繚乱」とも重なり、授かった生命を遣わせたいと心から願う希望の一つになりました。
YADOKARIはこの希望を資本主義のど真ん中で目指してらっしゃる。組織メンバーのそれぞれの日常的な暮らしを起点として、チーム、組織へと相互に循環しながら拡張し、そのムーブメントが「文化圏」として組織を超えて社会、世界へと滲み出していき、新たに出逢う多様な存在との化学反応によって「文化圏」がアップデートされていく。そんなビジョンが実現することができたら、なんと美しい景色になるだろうと心から楽しみにしています。
森田:今のYADOKARIは伸び盛りの成長期に見えるけれど、より大きな時間的尺度で見ると、タイニーハウスやYADOKARI文化圏の周りに、循環型の豊かな生態系をつくり出す種を撒いているフェーズなのだと思います。
私は地球や人をむさぼり食うような成長は美しくないと感じているので、企業や人々の「経済的成長」への美意識の持ち方を注視しています。本来地球は豊かで、再生力の範囲内で暮らしていれば資源は無限に与えられるようになっているので、その本質的な「足るを知る」が美意識のような気がしています。最近は意識のレベルが高まっていて、個人だけでなく、YADOKARIのように法人がこういった美意識に基づいて活動をしているので、常識が再創造されそうな気配を感じています。霊性的知性を持ち、目の前のビジネスや活動にYADOKARIらしく仲間と共に取り組んで、「社会変革だ」、「社会課題の解決だ」と声高に言わなくとも結果的に世界が変わっている。YADOKARIが創るそんな未来に、とてもワクワクしています。

さわだ:18歳でミュージシャンを目指して上京した頃は、とにかくビッグになってやろう、お金持ちになって大きい家に住んでやろうという気持ちでいました。その後一般企業での勤務を経て、フリーランスとして稼げるようになってきた頃に東日本大震災が起きました。この震災が自分にとって衝撃的で、死を身近に感じたときに、名誉やお金は持ってけないと改めて気付いたんです。そこで研ぎ澄まされたミニマルな暮らしを目指したいと、YADOKARIをスタートしました。YADOKARIの文化圏を広げるにあたって、自分たちのあるがままの精神だけではたどり着けないその先の景色を見るために、ベンチャーキャピタルから資金を調達して資本主義の力も借り、自分も身をすり減らしながら、次のステージを目指しています。
幸せには欲的なプラスのベクトルと、削ぎ落としていくマイナス・リセットなベクトルの2種類があるように感じていて、世界を見ると資本主義とそうでないものの間を生きようとしている人たちが存在します。目の前の家族や仲間、小さな豊かさを大事にしつつ、メタで見てそれを広げていく。その2つを同時に思考するのは難しいですが、少しずつそういった人たちが集まって力を蓄え、グラデーション的に社会が変わっていくのかもしれないなと思っています。それが何かに囚われたり縛られたりしている人たちを解放するのかもしれない。資本主義とそうでないものの間でバランスとるのは難しいからこそ、それをやることは美しいと信じています。

「世界を変える、暮らしを創る」をビジョンに掲げるYADOKARI株式会社(以下、YADOKARI)。YADOKARIのフィロソフィーに共感し、それぞれに専門性を持った方々をメンターとしてお迎えして、これからの新しい組織の在り方を日々模索している。そんなメンターの方々との対話を通して、YADOKARIの現在地、そしてこれから目指すべきものについて理解を深めようと始まったのがメンター対談シリーズだ。
今回はその Vol.1として、共同代表のさわだいっせいが、2022年からYADOKARIの組織開発・人材育成顧問を務める立石慎也氏、YADOKARIに多数の記事を寄稿し、現在は編集部再編の中核を担うライターの森田マイコ氏と鼎談を行った。YADOKARIが目指す世界を実現するために、組織はどうあるべきなのか。そして彼らのつくる未来の可能性とは? 前後編に渡ってお届けする。

3人の鼎談は、YADOKARIが市政100周年を迎える川崎市の新庁舎周辺で2024年3月1日〜31日に市と連携し開催した実証実験「カワサキミーツ!!!」の会場で行った。
立石慎也氏(写真右):2022年からYADOKARIの組織開発・人材育成顧問を務める。30代〜40代にかけては自ら設立したシステム開発会社を経営し、首都圏の巨大企業を顧客に夜中まで働き、接待し、自宅にも帰らずホテルから出勤する日々を過ごす。そんな働き方に疑問が湧き、40代後半に半ばファイヤーする形で意識の深化や発達の探求へ。現在は成人発達理論やインテグラル理論等を援用しながら独自に開発した「識育コーチング®︎」を用いて、プロアーティストや中小企業、ベンチャー企業の人材育成、組織開発に尽力。YADOKARIの組織としての進化と創り出す未来に大きな期待を寄せている。
*参考記事:https://yadokari.net/wp/inspiration/74595/
森田マイコ氏(写真左):3歳頃から社会に違和感を感じ、いまだしっくりくる居場所を見つけられず各地を転々としながら執筆活動を続けるさすらいライター。都心での会社員時代に、まだ法人化する前のYADOKARIの“移動する暮らし”の発信を見つけて以来ファンになり、数奇なご縁からさわだ・上杉と対面。「世界がどうなっていくのか」を探求テーマに、サステナビリティ、ウェルビーイング、建築、農業、食、地方創生、働き方、経営者インタビューなど多分野を行き来しながら取材と執筆を重ね視座を養う。近い未来「YADOKARI国」に住むのが夢。
YADOKARIの根底を表す「生きるを、啓く」

YADOKARI 代表取締役 / Co-founder さわだいっせい:10代の終わりにギター1本を手に上京して以来、何度も人生における破壊と再生を繰り返しながら成長し続ける、稀有な経営者でありアーティスト。IT企業でデザイナーとして働いていた時代に上杉と出会い、後にYADOKARIを創業。人々が自由に創造的に幸福度高く暮らせる、まだ見ぬ新しい世界を創るべく、YADOKARI文化圏の中核に大日如来の如く存在し、カルチャー醸成の総責任者としてメンバーや関係者への大いなる愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人々に会い続けることを惜しまない。
森田さん(以下敬称略):今年に入ってからYADOKARIの根幹を表すキーワードとして「生きるを、啓く」という言葉が使われていますが、これはどういった経緯で生まれたのですか?
さわだ:仲間がどんどん増えていくなかで、YADOKARIという会社が(創業した)僕と上杉だけのものではなくなっていき、子どもが巣立っていくような感覚に葛藤して、半年間休職をした時期がありました。仕事に復帰するタイミングで、「YADOKARIで何を成すべきか、なぜ生きるのか、なぜ働くのか」というYADOKARIがこれからやるべきことの根底をもう一度問い直さなければと思い、立石さんにも助言をいただきながら「フィロソフィーボード」という新たな枠組みを社内に構築しました。
無印良品ではクリエイターで構成された「アドバイザリーボード」という組織が社のデザインや思想を検証しているそうなのですが、YADOKARIでは会社の根底にある思想や哲学を明文化するために「フィロソフィーボード」という名前にしました。YADOKARIのフィロソフィーボードは僕と二人の社員でスタートし、三人でYADOKARIの根底にあるものを話し合ってみたら、「ミニオス」、「アドリブを奏でる」、「常識を打ち破る」というワードが出てきました。
森田:ミニオスというのは何でしょう?
さわだ:ミニマルとカオスを組み合わせた造語です。ミニマルは研ぎ澄まして自分に本当に必要なものを知り、こだわりを持つこと。カオスは個性的なメンバーが集結しているYADOKARIを表していて、その2つを組み合わせた言葉として使っています。この「ミニオス」、「アドリブを奏でる」、「常識を打ち破る」の3つを他のメンバーにも問いかけ、それを集約した言葉として、クリエイティブディレクターの工藤駿さんが「生きるを、啓く」というキーワードを出してくれました。
YADOKARIの周辺では、クライアントも含め関わった人たちがYADOKARIらしい言葉を発するようになって、チャレンジングに変わっていくということがよく起きるんです。これまでの枠組みから飛び出して、自分の人生を拓いていく。そういった文脈も含めて、YADOKARIの根幹を「生きるを、啓く」というキーワードに落としこみました。
立石さん(以下、敬称略):昨今は人も会社も組織も、ありとあらゆる存在や形態が規定されすぎてがんじがらめになっていますよね。「これはこう」と常識化され、規定されてしまう「存在の植民地化」がありとあらゆるもので起きている。そういった状態から解放する「存在の脱・植民地化」、「存在の百花繚乱(※)」が自分の大きなテーマでもあり、僕はそれをコーチングとプロコーチ養成のビジネスで地道にやっておりました。しかしそのテーマをなんと! 会社レベルで実現しようとしているYADOKARIに出会い、伴走させていただくことになったという経緯があります。
現代では、個人の意識が成長し、自己実現や自己超越の次元で生きていこうとする人ほど、社会が個人に求めるレベルや社会的に構成され共有されるシステムから逸脱してしまい、生きづらくなってしまうんです。なので個人の進化の前に社会構造そのものがレベルアップされなければならない。そんな社会変革を介して、がんじがらめになっているあらゆる存在、魂を解放していくことができたらと考えていました。そんなタイミングに、YADOKARIの文化圏に触れることによって、その人の「生きるが啓かれていく」という表現に出逢いました。まさに自分がこれまでコーチングの領域で探求してきたテーマである”意識を啓く”と一致し、胸が高鳴りました。
※百花繚乱:種々の花が咲きみだれること。転じて、すぐれた人・業績などが一時にたくさん現れることをいう(広辞苑)。

森田:私がYADOKARIに出会ったのは、東京都心のオフィスに通い、会社員をしていた20代後半の頃でした。オフィスでは灰色のパーテーションで仕切られた灰色の机に座り、勤務時間も決められ、規定の枠に収められるようにして毎日を過ごしていました。そんな中でふとYADOKARIのFacebookを見つけたんです。さわださんと上杉さんが2人で移動する暮らしにまつわる記事を発信していた時期で、それを見て「これだ!」と思いました。
上京して、何千・何億の値段がついた狭い土地を買い、一生をかけたローンを背負って小さな家を建て、ローンのために働き続ける。私は山も畑も田んぼもあるような広々とした田舎で育ったので、家のためにそんなふうに生きなければならないことに違和感がありました。そんなときに画面越しにYADOKARIさんに出会って、「なんて素敵な生き方を提案しているんだ」と、自由への匂いを感じてファンになりました。それから仲間がどんどん増えて今に至り、YADOKARIのフィロソフィーもどんどん解像度が上がってきて、「生きるを、啓く」に至ったのかなと、お話を聞いていて感じました。
立石さんにお伺いしたいのですが、存在が植民地化している状態には、どうしたら気付くことができるでしょうか?
立石:今の自分にとって異質なものに触れて、違和感を抱くことですね。物事を合理化や均衡化の面だけで選択することは非常にリスキーで、自分自身が抱く違和感を信じることが大切ではないかと思います。自分のなかにある要素が反応して「何か違う」と感じているのに、”違和感”という曖昧な言葉にしかならないということは、自分のなかで未だ意識化されていない何かが生まれ出ようとしているということ。植民地化されている状態に気付くには、違和感を大切にして、限定的な物差しではなく多義的な角度で物事を見る必要があるのだと思います。それぞれがそれぞれの美を体現する社会、同一性だけではなくむしろ差異性が歓迎される社会。そんな日常が受容される社会になれば、こんな努力は必要なくなるのでしょうけれど。(笑)
森田:私は”違和感”を動機に行動することが多いように思います。実は3歳ぐらいから、社会にいつの間にか当てはめられた常識のようなものに違和感を覚えていて。幼稚園に入って初めて「社会」に触れたときに、幼稚園のバッグが男の子は青、女の子は赤と決まっていたのですが、「女の子だから赤のバックを選ばなきゃいけない」ことに強い違和感があり、私だけ黄色のバッグを使っていたんです。
上手く言葉にできないけれど、何か違う。そう思うことがあっても、「そういうものだから」と言われると、そのまま飲み込んでしまうことが多いですよね。それにどこまで敏感に気付いて、違和感を大事にする勇気を持てるか。そして大事にする余裕を社会が与えてくれるか。現代は「それはそういうものだから」とあまり猶予を与えてもらえない社会のような気がしています。私は黄色のバッグを選んだときの自分がずっと続いていて、しっくりくる居場所を今も見つけることができていません。だから私は、旅をしているんだと思います。
立石:森田さんは移動や旅を通して、「ご自身にとって真に美しい世界は、物理的な世界ではなく心の内にあるんだ」ということを思い出すような生き方をしてらっしゃるのでしょうね。「暮らし」にはもちろん物理的・肉体的な面もありますが、僕は「内なる聖なる暮らし」という言葉をよく使っています。内なる暮らしというのは、物理的に「何をするか」ではなく、自分自身の真心が何に反応し、何を美しく感じるかということ。人は自分の内側に美しい居場所があって、そこで自分らしく生きていくことさえできていれば、外側の環境でどんなことがあっても自由でいられるのではないかと思います。
さわだ:高いローンを組んででも家を建てることが一般化していることからも、社会には定着することへの信仰が根強くあるように思うのですが、定着しないことの怖さはないですか?
森田:土地に根差すと積み重なっていくものがわかりやすく見えますが、流転していると積み重なりが見えづらいので、不意に孤独を感じたり、自分はこの先どうなっていくんだろうと一抹の不安や空虚感を覚えることもあります。だからこそ私は、YADOKARIが創るYADOKARI国に住みたいと思っているんです。「コミュニティ」というと土着のローカルコミュニティをイメージすることが多いですが、世の中にはテーマや美意識、哲学に基づいたコミュニティも存在しますよね。さっきの内なる暮らしのように、心の内にYADOKARIの国があって、場所も時間も年齢も問わず、自分がここにいて良いと思える文化圏があって、私がそこに住んでいると実感できれば問題ない気がします。
中心点が無限にある組織を目指して

さわだ:僕は最近、会社の体制や制度を社員に伝えていくときにバリアを貼られていると感じることがあります。僕はみんなのことを「魂の植民地化」から解放したい、できると本気で思っていますが、今までの経験や世の中にはびこるものによって、”搾取されるかも”という思考の癖が染みついているのかもしれません。僕は自分が搾取する側に回ったら自分の美学に反すると思っているし、既存のそういったものを本気で壊すつもりでいるけれど、文化圏の中心を固めようとしている今、この本気をどう伝えていくかはすごく難しい課題だと感じています。
立石:大乗仏教を代表する経典の一つ、華厳経の宇宙観は、YADOKARIが目指す組織の在り方に通ずる部分がありますよね。さわださんの中にさわださんの宇宙があって、その宇宙にみんなが映っている。僕には僕の宇宙があって、僕の宇宙にさわださんも映っている。こんな風に一人ひとりのなかに宇宙があって、中心点が無限にある組織になったら、人の数だけ正解が存在することを認められますよね。そんなお互いにお互いの宇宙を映し合う組織にしたいと、以前さわださんと話したことがありました。
さわだ:お互いに作用し合うということですよね。それも端と端に極端な概念が存在する一本の直線があるのではなく、ありとあらゆる方位に対極的な概念が重なりあって、それをメタの視点で見たら球体のように広がっている。それをさらにメタで見たら宇宙になっている。そんなふうに組織を作っていけたら理想だなと思っています。
森田:「さわださんの中に私の宇宙も映っている」という今の話を聞いて、すごく楽になりました。「我=汝」というように、自分を取り巻くすべての人の中に自分の宇宙も映っている、内在しているとみんなが思えたら良いですね。
YADOKARIの目指す未来については、鼎談の後編に続く。
▼後編はこちら
https://yadokari.net/wp/interview/85391/
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緑の絨毯とサボテンに囲まれた山の斜面にある小さな小さなキャビン。今回紹介するのは、南米チリの湾岸地域にある山の上に建てられた、たった15平米の週末キャビンだ。
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