昨年12月17日・18日の2日間に渡って行われたTinys Lab Hiratsukaで行われたタイニーハウス見学会。
2023年最後となった本イベントには、近くにお住まいの方から県外からお越しくださった方まで、本当にたくさんの方にお越しいただきました。
そんな12月のタイニーハウス見学会に、YADOKARIライターが潜入。大盛況の中行われたイベントの様子をレポートします!

今回会場に展示されていたのは、「自然の中の暮らしを実現するタイニーハウス」というコンセプトのもと、森の中やキャンプ場など自然の中の滞在・暮らしに特化したタイニーハウス「ROADIE」です!
実は、キャンプ場の開発経験のあるYADOKARIメンバーが中心となって企画・開発を行って作られたという「ROADIE」。
木のぬくもりやかわいい三角屋根が特徴で、YADOKARIメンバーにとっても愛着のあるタイニーハウスなのだそう。

イベントの開始とともに、次々とお客様が・・・。
マイホームとしてタイニーハウスを検討されている方、現在のお住まいの母屋として検討されている方、これから購入する別荘地への設置を検討されている方など、目的も使用頻度なども様々なご様子。
どんな目的でご検討されている方も、まずみなさんが気になっていらっしゃるのは、タイニーハウスを所有した際の管理方法。
維持するのにどれくらいお金がかかるの?、電気・ガス・水道は使用出来るの?、はたして自分たちで管理することは出来るだろうか…?
タイニーハウスに関して、そんな疑問を持っていらっしゃる方が多いご様子でした。
「ハウス」という名前が付いてはいるものの、車輪とナンバーがついた「車両」として扱われるYADOKARIのタイニーハウス。管理方法は普通の住宅とは少し異なりますが、そこまで難しくはありません。タイニーハウスに設置された様々な設備を実際にご覧いただきながら、スタッフがしっかりと説明していきます。
中に入っていただくことももちろん可能。タイニーハウスでの暮らしを実際にイメージしていただきます。
私も、ROADIEを見学したのは今回の見学会が初めてだったのですが、想定していたよりも広く、天井も高い…。リビングとベッドルームが1つの空間の中にあり、トイレとシャワーも別々に設置され、それでも全く窮屈さを感じません、「全然暮らせそう!」そんな印象を持ちました。
実際にご見学いただいたお客様の中にも、同様の印象を持たれた方が多かったのではないでしょうか。「思ったよりも広い!」、「そうそう、これくらいの空間があれば十分!」、「木の香りが素敵…!」そんなお言葉をたくさんいただきました。

今回のイベントで印象的だったのが、お客様がタイニーハウスでの理想の過ごし方を楽しそうにお話してくださっているお姿。
「こんな場所に設置したい!」、「いつまでに購入したい!」、「ワンちゃんと一緒に過ごせる空間にしたい」、「近所のパン屋さんでパンを買ってここで食べられたらいいな…」、「床素材を無垢に出来ないかしら…」など、ワクワクした面持ちでタイニ―ハウスと共にある生活をイメージしてくださっているお客様のご様子に、スタッフのみちこさんもうれしそうでした。
「ワンちゃんと一緒なら、ここにフェンスを付けることもできますよ!」、「料理をするなら、ここに食卓を置いてもよさそうですね。」、「こんなレイアウトもできますよ!」などとお客様の理想の暮らしを実現していけるよう、空間づくりや素材選びまでスタッフが一緒に考えていきます。

実際にタイニーハウスを見ていただき、そこでの暮らしを具体的にイメージいただくことによって、これまで想像することのなかった「こんな暮らしをしてみたい」、「こんな空間をつくりたい」、「こんな人に遊びに来てほしい…」などのアイディアが、頭にぽつぽつと浮かんでくるのかもしれません。
初めてのマイホームとして、そして第2のお家としてなど、みなさまが新しい暮らしに想いを馳せる様子を見させていただき、なんだかとても幸せな気持ちになりました。
タイニーハウスの購入を検討されている方も、漠然と興味をもっていただいている方も、まずは展示会に足を運んでいただき、タイニーハウスでの暮らしを覗いてみてはいかがでしょうか。
YADOKARIのタイニーハウス見学会はタイニーハウスを実際にご覧いただけるだけでなく、みなさまにとっての「豊かな暮らしとは何か。」YADOKARIと一緒に考え、これからの暮らしへのヒントとなるような気づきを、お土産として持ち帰っていただける場所になるかもしれません!
次回のタイニーハウス見学会は1月14日(日)・15日(月)。
開催場所はなんと東京!丸の内のオフィス家具の体験イベントにYADOKARIのオリジナルタイニーハウス「Tinys INSPIRATION」が登場します!
皆さまのお越しをお待ちしております^^

◉イベント概要
【タイトル】Tinys INSPIRATION見学会 in 丸の内ビルディング
【日時】 2023年1月14日(日)、15日(月) 11:00〜、12:00〜、13:00〜、14:00〜、15:00〜(各回2組様)
【場所】 丸の内ビルディング1F マルキューブ外
【住所】 東京都千代田区丸の内2丁目4−1
https://maps.app.goo.gl/QfDLBmAFHqVexy1m8
【参加費】 無料
【注意点】
・複数名でお越しの際は、代表者様1名がお申し込みいただき、備考欄に参加人数をご記入ください。
各回2組様限定となりますため、複数のチケットの申し込みはご遠慮ください。
【お申込みはこちら】https://0114tinyhouse.peatix.com
原生林と野生のオリーブの木に囲まれた一面の大麦畑のなかに、現代アートのインスタレーションのような不思議な建物が佇む。
鳥の巣のようないくつもの細い木材の上には、白い繭(まゆ)のようなお椀型のスペースが。このすぐにも壊れそうな高床式の建造物は、一人で自分を“整える”ための休息所としてデザインされたという。
猫や犬などの毛皮をまとった動物たちが自ら毛づくろい(セルフグルーミング)をするのは、心を落ち着かせるためという目的もあるのだという。そのことにちなみ、「Grooming Retreat」と名付けられたこのプロジェクトは、家族の農場を引き継ぐために都会から戻ってきた、若い女性研究者のために設計された。クライアントは、人間にも動物と同じように、セルフグルーミングを行って心が落ち着く場所を望んでいたという。
マヨルカ島南部サンタニーにある「Grooming Retreat」は、スペインの女性建築デザイナー、マリアナ・デ・デラス(Mariana de Delás)と、ノルウェー・オスロの建築スタジオ、ガートナーフグレン・アーキテクツ(Gartnerfuglen Arkitekter)によるコラボレーションプロジェクト。乗馬の前後に馬をグルーミングする儀式にインスピレーションを受けて、心と身体を“整える”ためのユニークなデザインが考えられた。
「Grooming Retreat」は、乗馬の到着から始まる。馬用の水タンクと飼いばおけのある場所で、最初に愛馬のグルーミングの儀式が行われる。
そして、平均台のような細く長い木板の小路を、地上のリズムを感じながらゆっくりと歩いていく。
3 x 3mのフットプリントの一人用グルーミングルームには、はしごを伝ってフロアのハッチを開いてアクセスする。「Grooming Retreat」では、馬のグルーミング、木の板でのウォーキング、はしご登り、人間のためのグルーミングが、一連の儀式としてセットになっているという。
地元の木材フレームで作られた構造の上には、半透明の白いネットフレームで囲まれた、繭(まゆ)のようなフローティングルームが。
内部には、ランドスケープを感じながら心を整えるアウターコーナーや、身体を整えるインナーコーナーが、障子のような薄いレイヤーでゆるやかに区分されている。ここで瞑想やストレッチなどを行い、早朝に顔を洗ったり、農作業のはじめや合間に朝食やランチをとる。
眠れない天候の良い夜には、フローティングルームにこもって、穏やかに一夜を過ごすこともできる。
「Grooming Retreat」のデザイナーのデ・デラスのドローイングは、まるでアートのような素晴らしい美的センスだといえるだろう。
「Grooming Retreat」の内向的で壊れやすい要塞は、現代の都市生活者の心を薄いベールで包みこむ。地中海のバレアレス諸島と、広大な大麦畑を一望するパノラマビューのプライベート空間は、日常生活のストレスから解放されて、人に自信を回復させてくれることだろう。
ウェルビーイングを、動物のセルフグルーミングから捉え直すというアプローチは、考えてみるとごく自然なことのようにも思えてくる。忙しい都市生活者は、心や身体の状態にもっと素直に耳を傾ける必要があるかもしれない。自分自身の状態をていねいに“整える”ことができれば、人に対しても自分に対しても、今より少し、優しくなれそうだ。
Via:
archdaily.com
(提供:#casa)

今回のスモールハウスは写真の通り、「じゃがいも」だ。
よく意味がわからないかもしれないが、本当に文字どうり「じゃがいも」のような住まいなのだ。
(さらに…)
ここはアメリカ、ロサンゼルス。
制作したのはプレハブハウスのスタートアップ会社である「Jupe Unveils(ジュープ・アンベイル)」
アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックによって考案、制作された普及のSFの名作「2001年宇宙の旅」にインスパイアを受けて、このスモールハウスは制作された。
つまり、宇宙がモチーフになっているこのシェルターは、確かに、白を基調として、外装も優しく発光しており、見た目もいかにも近未来な感じがする。
都会をバックにすれば、その出立ちは地球外から降り立った宇宙船そのもの。
このグランピング型シェルターの大きさは約10平方センチメートルほどと非常に小さい。建物を形作るフレームはアルミニウムのポールだ。
このポールを無数に組み合わせて、そこに耐火性のある帆布を貼り、宇宙を航海する小さな宇宙船のようなデザインにした。
基本は床の木材とアルミのポールと帆布でできているため、解体するのも簡単で、解体した後もぺちゃんこにして、ほぼ床のみが残るため、運搬も軽くて、素早く楽にできる。
中に入ると、ほぼベッドのみの小さなスペースだが、そこまで狭さは感じさせない、一面が白色と膨張色なため、広々とした印象がある。
ベッドのみ置くと言うシンプルさも特筆すべきだろう。
つまりこのグランピングでは寝る以外の機能はないが、しっかりとフローリングとクイーンサイズのベッドを置くことによって、「寝る」という三大欲求の一つをしっかりと満たせるようなデザインをしている。
フローリングはバルトのカバ材を使用しており、フローリングの下には隠れた収納スペースがあり、ものが散らかることはない。
中から入口の方を見てみると、入り口が外の風景を切り取るフレームとなり、周りの美しい風景を鑑賞できる。
砂漠、山、海、色々な場所におけば楽しみ方も千差万別だ。
このスモールハウスはオフグリットであるため、インフラ、ライフラインは基本的に自給自足可能だ。
そのため、街中でも自然の奥地でも、自分が好きな場所に自由に置いて生活することができる。
また、エネルギーの自給自足をすると言うことは、すべからく環境にも優しい建物にもなっている。
基本のソーラーパネルからアップグレードもすることができ、より強力なソーラーパネルを横に並べることで、USBチャージやLEDライト、スピーカー、クーラーなども動かすことができるので、非常に快適な生活を送ることができる。
しかし、従来型のデジタルデトックスなどを主眼においた自然主義回帰主義的な発想ではなく、むしろミニマリズムを取り入れて最先端の暮らしを送る、近未来のノマドの生活に焦点を当てている。
このスモールハウスにはデフォルトでWifiがつけられているため、このスモールハウスを僻地にセットしたとしても、ネットを通じて人々や社会とつながることができる。
本来、このキットはそのようなコンセプトで作られたが2021年現在、世界的なパンデミックを受けてその意味合いも変わってきている。
日本でも病院の入院患者の逼迫率が取り沙汰されていたが、アメリカでもそれは同じで、連日病院にはコロナ感染患者が溢れかえっていた。
そんな中、このシェルターは簡易に、素早く設置できるため、ここで感染者を隔離する空間を数多く作ることもできる。
このように考えれば、今日本や世界で問題になっていることが解決するひとつの要素になるかもしれない。
今後、このような夢のある、未来のあるスモールハウスのプロジェクトやそれを担うスタートアップの企業が続々と増えてくると思うと、明るい未来が描けそうだ。
via:
https://www.dwell.com/
アメリカ合衆国ラスベガス近郊のモハーヴェ砂漠。 砂地は少ないが、岩盤むき出しの広大な風景に溶け込むのが Old Hippie house。
風をさえぎるものがなく、太陽をさえぎるものもない、なにもさえぎるものがない視界。大都会のLA近郊、ラスベガスの眠らない灯りから一転、雄大で美しい大自然に触れることができる。
トレーラーハウスが、開拓時代へのタイムマシーン!?
カーボーイハット姿のジョンウェインは、玄関のバルコニーで斜めにもたれかかり、遠くからのゲストを待ち受ける。西部開拓時代のハウス。そのシーンと重ねりあうこのハウスの特徴はルーフバルコニーである。バルコニーに設置した椅子に深く身を委ねて見渡すと、地平線を遮るものがないこの雄大のロケーションは、アメリカだと実感する。
現代生活にあふれている物は何もない。やがて夕陽が沈みゆく。心の浄化に浸っていると、暗闇と共に、星の数々が現れる。魅了される。音のない世界。静寂が問うのである。
全ての音を捨て、わが身の心に耳を傾けよと。
しかし、都会と違い闇夜に包まれることになれていないあなたは、不安に駆られるかもしれない。では灯りのある部屋に案内しよう。
明るさとフレッシュなグリーンがエネルギッシュな雰囲気に
リビングは、みずみずしい緑の植物と落ち着いた無垢の木目が統一され、明るい色調に囲まれる。
ウエスタン調のインテリア用品。ゆったりとしたソファー。ソファーの下にあるチェストを引き出せばベッド代わりにもなる。ロフトに二人、ここに一人収容のスペース。狭い空間でありながら、快適で無駄のない配置が心地いい。
キッチンも無垢の木材で統一し無機質な素材は排除されている。メキシコタイルのカラーは、褐色の鮮やかさがある。太陽の光や土など風土の違う国が生み出したものに、エネルギッシュを感じる。オリジナリティあふれるデザインが意外にも調和を醸す。
シャワー室は最小限で簡素なものが設置されている。トイレも清潔感がある。
ではロフトの寝室へ。大きなベッドの色調はピーコックカラー。外の世界とまた違う華やかな、印象を与えてくれる。狭い空間を楽しむためのユニークなデザイン。灯りが全くない外をガラス一枚で閉じ、現代風な室内で、時だけが過ぎてゆく世界を堪能して眠りにつく。
朝を迎えてリビングの窓から眺めるモーニングタイムはゴージャスだ。リビングの色調は砂漠のカラーと相性がよく、室内にいながら、砂漠の世界と続いているムードがある。
広大な土地を眺め尽くしたいのであれば、昨日の場所から次の場所へと移動できるのも魅力だ。自然を堪能するための最小限の生活空間とユニークで温かみのあるインテリアによって、喧騒とした世界からリフレッシュできるのが嬉しい。
都会から数時間で広大な自然に溶け込みむことができ、フロンティアの時代の人々の生活を思い、現代生活を振り返り、そして再び日常へと戻る。小さな家から得るひとときがここにある。
via: tinyliving.com

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一滴の雫のような美しい形。
柔らかい印象の外壁から漏れ出る光。
まるでチャペルのような印象を醸しだしている―。
今回は、東京の世田谷区の住宅地の一角にある洗練された佇まいをした「Lucky Drops」について。
雫の家の愛称「Lucky Drops」に込められた想い、そして限られた土地を最大限活用し、外観から想像する以上の広さを実現するため、チャペルのような雰囲気を醸し出す光を集めるための工夫について紹介していく。
■「Lucky Drops」の名に込められた想い

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一滴の雫のような形に相応しい、「Lucky Drops」という愛称。
“ワインの最後の一滴”を指す単語であり、最後に残った部分がしばしば幸運をもたらすという意味のことわざに由来する“残り物には福がある”の意味合いで使用される。
面積60㎡、約18坪。奥行き29m、居住空間の間口は2m、最狭部分の横幅は0.79mと極端に細長い形状をしている敷地。有効利用する術なく、街の土地区画から取り残された土地であった。そんな決して広くない、ある意味「残ってしまった」土地を有効活用。まるでチャペルのような外観と、地下空間/1階部分/寝室用ロフトの計3階によって構成された内装を併せ持つ空間を作り上げた。そんな意味が「Lucky Drops」には込められているのだ。
■地下に主要な生活空間を設けて広さを克服

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限られた土地を最大限活用するために、住居内には様々な工夫がなされている。まず、 隣家との距離感を確保する為に設けられている壁面後退の規制がかからない地下。ここにメインリビング、キッチン、そして浴室といった主要空間を設けている。全長29mある奥行きを、手前からバスルーム、キッチン、リビングと縦長に使用することで居住区間を見事に確保しているのだ。
加えて、壁を最大限薄くするため、通常行われる地盤・建物強化の為のコンクリートの山留め壁の施工が行われていないという。代わりに、防水層と鉄板に断熱および断錆塗料「断熱くん」を約1mm塗布する工法を採用することで空間を可能な限り広げるよう工夫している。
さらに、縦長の形状も広さを錯覚させる上で重要な役割を果たしている。入り口を通り抜け、小さなリビングに通ずる鉄骨階段。降りる前に一度奥へと目をやると、自然光と遠近法の効果によって実際以上に開放的な内部空間を感じることが出来るのだ。

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■住居全体を柔らかな光で包むための工夫
住居を包み込む光には、住居全体を覆う、FRPと呼ばれる半透明の外皮が関係している。こうした半透明の素材を使用することで日中は太陽光が差し込む。そして夜になると、住居内の光が外に零れることで住居全体が優しい光で包まれるよう工夫が成されている。その様子は、まるで教会のようでもあり、行燈のような和の表情も見せてくれているかのようだ。

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さらに、太陽光が地下空間にまで深く差し込むために床材にもこだわっている。1階および2階の寝室用ロフトの床は透過性のある素材(スチール製のエクスパンドメタル)等を使用し、居住空間にまで自然な明かりが差し込むように設計されている。

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Lucky Drops.
残り物には福がある。
残り物というにはあまりにも勿体ないような外観と内装を完備した雫の家には、決して広いとは言えない土地を最大限活用するための幾つもの工夫が施されていた。例えば、奥行きの長さを利用した縦長の形状の外観には地下を主要居住空間にする活用方法に加え、外皮をできる限り薄くする工夫が。
その他にも外皮や床に半透明の素材が利用され、住居全体を優しく光が包み込み、メインの居住空間である地下にまで光が差し込むような仕様になっている。
こうした幾つもの工夫によって克服された広さ。まるで幻想的な空間に住んでいるのだ、という事実に陶酔してしまいそうだ。
(参考文献)
ミミ・ザイガー(著) 黒崎敏(訳)「ちいさな家、可愛い家 世界の一流建築家による傑作タイニー・ハウス34軒」二見書房
Lucky Drops
Lucky Drops / Atelier Tekuto | ArchDaily
TATÉ-MONO: ラッキー ドロップス : Lucky Drops
Lucky Drops | Atelier Tekuto Co. Ltd. | Archello
Lucky Drops « Inhabitat – Green Design, Innovation, Architecture, Green Building
The Unique Lucky Drops House by Atelier Tekuto – Home Reviews
Super-Slim Arched House Makes the Most of Narrow Tokyo Plot | Designs & Ideas on Dornob

スコットランドの広々とした農場の木々の間に建てられたツリーハウス、「An Off-grid Treetop Hideaway by echo living」。3個の大中小のポッドを組み合わせたデザインで、まるで細長い足のある生き物のようだ。 (さらに…)
あまりにも“過去”を悔やみ“未来”を心配しすぎる私達

https://images.unsplash.com/photo-1635719436446-fda963ea42b6?q=80&w=1974&auto=format&fit=crop&ixlib=rb-4.0.3&ixid=M3wxMjA3fDB8MHxwaG90by1wYWdlfHx8fGVufDB8fHx8fA%3D%3D
過去の選択に苛まされたり、未来への不安に押し潰されてしまいそうになる時はあるという人は、少なくないだろう。
人が最もストレスを感じる時。それは“過去への後悔”と“未来への不安”がある時だそうだ。実際にマサチューセッツ工科大学の実験でも、こうした感情がある時に人々のストレスレベルが上昇したという。
“あの時別の選択をしていれば、より良い今になっていたかも”と過去を悔んだり、 “今よりもっと悪い未来が来たらどうしよう。より良い未来の為に今から備えなければ”と未来を不安がる。
私達は過去や未来の自分と現在の自分を比較し、そのギャップにストレスを感じながら生きていることが多い。しかし、出来る限りストレスを感じず、むしろ、毎日を幸せな気持ちで過ごしていたいものである。
『今この瞬間の自分』に集中して生きる民族“ピダハン”
過去を悔やみ、未来を不安がる結果、人々はストレスを感じやすくなる。
だとするならば、「今この瞬間」に全力集中している時、人々はストレスをあまり感じることなく、むしろ心穏やかに過ごすことが出来るのではないだろうか。
アマゾンの熱帯雨林地域の奥地に存在する400人に満たない少数民族。『ピダハン族』と呼ばれる彼らは“直接見聞きし経験したことのみしか捉えない”『直接体験の原則』に基づいた文化を持つ。一言で言うなれば“今この瞬間を生きている”民族と言えるだろう。
◆ピダハンには“未来/過去の概念”が存在しない

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ピダハン族には、過去と未来という概念が存在しない。そして、そもそも概念が存在しないのだから、彼らの言語に過去や未来を表す時制は存在しない。
過去という概念がない為、故人の死を弔う葬式などの儀礼や創世神話などは存在しない。血縁関係の離れた曾祖父母という概念もない。また、未来の概念がない為、肉の塩漬けや燻製といった保存食や加工食は存在しない。未来に食を持ち越すという考えがそもそも発生しないのである。
目の前に存在する直接的な体験のみしか認識しないピダハンにとって、存在するのは『今この瞬間』のみである。もはやそうせざるを得ないとも言えるが、過去や、未来が概念として存在しないのであれば現在しか存在しないのは当然だろう。そして、当然、現在と過去、現在と未来の“比較”も生まれることはない。つまり、過去を後悔したり未来を不安がることでストレスが生み出される状態自体が彼らにとっては起き得ないことなのである。
危険な虫や伝染病、外部からの侵入者。私達の普段の暮らしからは到底想像し難い未知の危険性が潜む環境にも関わらずピダハンはその運命が訪れた時に淡々と受け入れる。
ピダハン族は『今この瞬間』のみを意識して生きている。
◆ピダハンは“他人/自分”をほとんど区別しない

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加えて、人々がストレスを感じる別の要因として、他者との比較によって抱く劣等感もあるだろう。確かに、例え過去や未来と関係がなくとも、現在という時間軸においても“他者との比較”は私達に大いなるストレスをもたらす。
しかし、これまた興味深いピダハン独自の概念として自分/他人の区別がはっきりとしていないのである。彼らの言語にはありがとうやこんにちはなど、その言葉自体に情報的価値を持たない『交感的言語』が存在しない。
本来、交感的言語の役割の中に、他者との関係性を友好的に保つ事が挙げられる。そうした言語を持たないそれはつまり必ずしもイコールでは結びつかないが、自分と他人の境界線が曖昧であることを示していると言われている。他人と自分との区別がはっきりとしていないという事は他人に対して負い目を感じることがないという事である。そのため、他者との比較がストレスを感じる要因にはならず、さらに結果として人間関係の摩擦も起きずらい。
『今この瞬間』に集中しているだけではなく、彼らは『自分』にも集中しているのである。
『今 ここ 自分』を生きるピダハン族から学ぶ。

https://images.unsplash.com/photo-1578687388475-47f94962f6e4?q=80&w=2070&auto=format&fit=crop&ixlib=rb-4.0.3&ixid=M3wxMjA3fDB8MHxwaG90by1wYWdlfHx8fGVufDB8fHx8fA%3D%3D
過去と未来という概念が存在しないため、あの時ああすれば…と過去を悔んだり未来はどうなるのか…と将来を思い悩むことがない。そして、他者と自分の区別がないため、あいつはいいなあと負い目を感じることがない。
意図せずではあるが、今/ここ/自分に焦点を絞って生きることはそれ以外の、自分の過去や未来、あるいは他者を切り捨てているとも言える。捉え方によっては、機会損失を生むとも言えるが、むしろ切り捨てることでシンプルな生き方を実践しているとも言える。
その証拠にピダハンはよく笑うそうだ。直接体験したことのない他文化に興味を示さない彼ら。彼らにとって「現在」をあるがままに生きる自分達の文化と生き方こそ最高であり、未来も他者も思い悩む理由にはならないのだ。
貯金がなくなったら?
働けなくなったら?
病気になったら?
家族がいなくなって孤独になったら?
そんな風に未来を思い悩む私を見たら、彼らは笑い転げるだろうか。今この瞬間の自分以外、何があるんだ?と。どうだろう、過去や未来、そして他者についつい思考が向きすぎて不安を抱えて悩んでいる時。「今 ここ 自分」と小さく唱え、自分に意識を向けてみると、少し心穏やかに。そして何より目の前にある楽しみや幸せを感じながら過ごせるかもしれない。
『今』この瞬間
『自分』という存在に
もっともっと集中してもいいのではないだろうか?
【参考文献】
小川さやか 「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 光文社新書 2016
D.L.エヴェレット ピダハン「言語本能」を超える文化と世界観 みすず書房 2012
Two studies reveal benefits of mindfulness for middle school students | MIT News
ピダハンたちの言葉。 | めしは熱いうちに食え
言葉の断捨離 -『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』 – HONZ
苦しみのメカニズムは「痛み×抵抗」。世界一幸せな部族に学ぶ、“心の痛み”から逃れる方法|新R25 – シゴトも人生も、もっと楽しもう。

初対面の人と会話するとき、何を話せばいいかわからないという方もきっといるのではないだろうか。先日、筆者が読んだ会話のコツが書かれた本には、こう書いてあった。「相手と自分の共通点を探してみましょう」と。趣味はゴルフだとか、好きな歌手は誰だとかでもいいし、実は苦手な野菜があるとか、他の人よりも緊張しやすい性格だ…なんて自己開示をしてもいい。大なり小なり、相手と自分との間に共通点さえ見つければ、自然な会話の流れができてくるのだという。

相手と自分の間に共通点を見つける―これは、初対面の人との会話にも意味をもたらすことがある。例えば、憧れのアイドルが「実は、朝起きるのがすごく苦手なんです」と言うと、急に親近感を覚えたり、好きなキャラクターを見て、髪型や持ち物を真似てみたくなったり、という気持ちは「相手と自分の間に共通点を持っておきたい」という感情が関係していると言えるだろう。
「わかる」「似てる」の選択肢が増えている
SNSが普及して、私たちが情報を得る手段は以前より格段に増えただろう。テレビや雑誌などのメディアを通じて情報を得ることがほとんどだった従来と比べて、現代は、メディアだけでなく個人が情報を発信することが増えてきているからだ。このことについては賛否両論あるが、人々がアクセスできる情報量が増えたことは、人々にある一定の心の余裕を生んだと言えるのではないだろうか。
服のコーディネートを例に挙げれば、モデル体型の人がスタジオで撮影した写真だけでなく、自分と似た背格好の人が、自宅の鏡や自撮りで着てみた様子を確認できる。イエベ、ブルベなどの肌の色味や、ストレートやウェーブなどの骨格で分けた写真を掲載しているサイトも出てきており、より「自分と似ている」像を見つけやすくもなった。また、セクシャリティに関しても、たとえ自分の身の回りに分かり合える人や、同じ悩みを持つ人がいなくても、同じ想いや悩みを抱える人たちの存在を知ったりする機会が増えてきた。

自分と似ている人がいる、自分と似た考えを持った人がいる、その存在を知ることで、自分は一人じゃない、存在していてもいいんだ、とホッとする。これも、世間と自分の間に共通点を見出すことで得られる感情だと言えるだろう。
自分に似ているキャラクターがくれる勇気
自分に似ているキャラクターがいると、どことなく応援したくなる。これも、相手と自分の間に共通点を見つけた際に起こりうる感情だろう。例えば、自分と同じ髪質であるとか、目元が似ているといった見た目に注目する例のほか、過去に挫折した経験や、子どもがいるといったその人自身の内面や暮らし方での共通例も「似ている」と捉えられそうだ。
近年では、さまざまな見た目や文化背景を持ったキャラクターが生まれており、その度に「自分と似ていると感じる人」「似ていることで勇気づけられる人」が増えている。いくつか例を挙げてみよう。MARVELシリーズに登場したムスリムのスーパーヒーロー「ミズ・マーベル」や、人前に出るのが苦手なキャラクターを集めた「すみっこぐらし」シリーズ、メガネをかけたプリンセス「プリンセス・ローズ」、男の子としてプリキュアに初めて加入した「キュアウィング」…ここ数年で「あれは私かもしれない」の像の幅は大きく広がっているとわかる。

さらに言えば、多様な選択肢が生まれていく中で、人々はキャラクターの設定にあるステレオタイプに気付きやすくなり、その制限を取り払うことで、キャラクターのバリエーションを広げるような動きにもつながっていると言えるだろう。

以前のキャラクターを否定するのではなく、そこに新たな選択肢を増やしていき、人々に共感や安心を届けていく動きは、多様性と呼ばれる概念のなかのひとつの動きに過ぎない。「キャラクターの存在でより多くの人をエンパワーメントしていく」動きが、もっと広まっていき、数年後の私たちにとっては「あたりまえ」になっていればいいな、と思う。
参考サイト:
Courrier Japon”『ミズ・マーベル』は相互理解とエンパワーメントを助ける娯楽大作の影響力を示している”
https://courrier.jp/columns/298473/
Courrier Japon”リゾ「若い頃のわたしは、自分のすべてを変えたいと思っていました」”
https://courrier.jp/news/archives/339347/
Gloria!”世界中で話題!英国の11歳女子が「メガネをかけたディズニー風プリンセス」を共同制作”
https://www.glolea.com/ambassador/kurata-naoko/nottingham-schoolgirl-creates-disney-style-princess-in-glasses.html
Disney+”マーベルドラマ『ミズ・マーベル』公式サイト”
https://disneyplus.disney.co.jp/program/ms-marvel
San-x”すみっコぐらし official web site”
https://www.san-x.co.jp/sumikko/
東映アニメーション”キュアウィング / 夕凪 ツバサ | ひろがるスカイ!プリキュア”
https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure/character/chara4.php
東ヨーロッパの北部、バルト三国最北端の国エストニア。港湾都市でもある首都タリンは、フィンランド湾に面する主要都市でもある。
画期的な通話システム「Skype」を生んだ国としても有名、ブロックチェーン大国としてIT関連の動きも活発なこの国で、Kodasema (コダセマ) というプレハブ会社が、スタイリッシュでモダンなタイニーハウスを制作した。
(さらに…)
“愛のこもった料理”のイメージは手作りかつ温かい料理?

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誰かを料理でおもてなししたいと思った時、あれやこれやと試行錯誤しながらレシピを検索し材料を購入する。そして、少しでも手の込んだ料理をと考えて、相手の来る時間に合わせて調理をし、温かいうちに食べてもらえるようにする…。
自分の食事ともなると少々ズボラだが、誰かとの食事で相手をもてなすとなると”手作り”かつ”温かい”料理を提供することで気持ちが伝わる。そうイメージする方はきっと私だけではないだろう。たとえ市販品でも”何か一手間”とか、温かい料理が少し冷めてしまった料理は”温め直す”など、料理に手を加えること、そして提供までの時間がなるべく短く温度が保たれていることは日本に暮らす私達の多くが食事に対して抱く愛のこもった料理の象徴とも言える。
しかし、果たして手作りかつ温かい料理だけが愛のこもった料理であり豊かな食事時間をもたらすのだろうか?
ドイツ流の冷たい食事!?”カルテスエッセン”とは?

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日本から遥か9000㎞。サッカーとビールのイメージが強いドイツには”カルテス・エッセン(Kaltes Essen)”と呼ばれる食事がある。冷たいを表す”Kaltes”と食事を表す”Essen”が組み合わさって出来た単語で、その名の通り“冷たい食事”を指す。カルテスエッセンは、温かい料理が冷めてしまったのではなく、元々冷めている料理のことを示す。
とりわけ夕食で出されることの多いカルテスエッセンは、基本的にバターとパンがあれば準備完了である。家庭によっては、加えてハムやチーズ、サラダを店で購入してきた状態のままカッティングボードや大皿に乗せてテーブルに並べることが多い。
各自がパンを取ってバターを塗る。好みでハムやチーズ、野菜を好き勝手にパンに乗せて食べる。各々が“勝手に”食べる形式ゆえに、基本的には取り分ける手間もなく、ものの5-10分で準備が完了するのが特徴である。
ドイツ人は食事に“休息”を求め、準備や後片付けに“効率”を求める。

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しかし、なぜドイツ人の間ではこれほど調理や準備の手間を省いた食事が文化として根付いているのだろうか。理由の1つにドイツの国家全体の特徴として朝が早いことがあるという。役所や学校は基本的に朝8:00から始業のドイツでは、3食のうち朝昼にしっかりと食べ、活動量の少ない夜は胃への負担を軽くするために、ごく簡単に済ませるという。
しかし、それ以上にカルテスエッセンの根付く背景にはドイツ人が食事を“休む時間”と捉え、そのために準備や後片付けを効率的に省略化することを求める気質に由来するという。

①食事時間を“休息時間”と考えるドイツの人々
ドイツの人々にとって、夕食の時間は忙しい1日を締めくくりゆったりと過ごす時間であり、何よりも家族全員が極力揃うことを重要視する大切な時間である。そのため、手の込んだ料理を食べるよりも準備時間が短くて済むカルテスエッセンで皆が揃って食べることの方が多い。
調理に時間がかかって、1日の終わりをゆっくりと過ごせないことよりも、カルテスエッセンによってより長い休息時間を取ることが出来る方が圧倒的に大切なのである。
②食事の片付けを効率的に省略化するドイツの人々
高圧洗浄機で有名な「ケルヒャー」や、食洗器で名高い「ミーレ」などドイツには家事を省略化する事を目的とした家電メーカーが多数存在する。ドイツの家庭のおよそ70%で食洗機が導入されているというデータもあるそうで、こうした家電製品の導入によって、食事の後片付けを極力省略化させることを目的としている。
このように、ドイツの人々が食事において大切にしているのは、手間暇かけた料理よりもゆっくりと休息時間を確保することなのである。そのためにカルテスエッセンによって準備を、食洗機によって後片付けを省略化させている。手の込んだ食事に価値を見出す日本と、手間を省略化させ休息時間を確保することに価値を見出すドイツ。両者を比較すると、ドイツ人の方が2時間半近く睡眠時間や夫婦の時間といった休息時間を確保しているというデータもあるそうだ。
カルテスエッセンは“質素”な食事ではなく、 “食材そのもの”の奥深さを楽しむ食事

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準備の手間暇をかけず、簡単に食べられる食事。こう表現すると、カルテスエッセンに対して何だか質素で貧しい食事という印象を抱くかもしれない。しかし、決してそうではない。決して、パンにチーズにソーセージなど、決して食材の幅は広くはないが、それぞれの食材に奥深さがある。さらに、料理自体に手間をかけることはしないが、食材1つ1つの質にこだわりがあるという。
①食材の幅よりも、 “1つ1つの食材の奥深さ”を追求する
カルテスエッセンの主役であるパン。ドイツではライ麦を使用した黒パンが主流である。世界一種類豊富と言われるドイツパンは、ライ麦と小麦の配合比率によって異なる名称を持つ。かぼちゃやひまわりの種、無花果などのドライフルーツが入っていることも多く、パン毎に異なる食感を楽しめる。
他にも、ドイツと言えばのイメージが強いソーセージは地方や町ごとに個性的な燻製文化を持つ。ゆえにその種類は1500以上に上ると言われている。さらに、チーズは国民1人当たりの年間消費量はおよそ、24.3kgと日本の2.4kgを遥かに上回る他、スイスの21.5kgも上回る数値である。スーパーには野菜コーナーや鮮魚コーナーと並んでチーズコーナーが存在し、その種類の多さが伺える。
このように、食材幅自体はそれほど多くないカルテスエッセンであるが、食材ごとの奥深さがあるため毎回の組み合わせを楽しむことが出来そうだ。
②食材そのものの“質”にこだわる
日本で“栄養満点”という前置きがつくことはすなわち手の込んだ料理を想像するに相応しい。しかし、ドイツでは料理以前の食材を選択する段階での“食材の質”にこだわりがある人が多いという。「BIO」と呼ばれ、オーガニック商品や有機農業の製品を表す食材があることなど、独自の基準を設けるEU内でもドイツはさらに厳しい基準を持つとされている。しかし、決して“意識高い人が購入する”あるいは“専門店でないと入手できない”という事はなく、大衆向けのスーパーでも気軽に手に入れられるのが特徴である。
このように、カルテスエッセンは単に簡素な食事ではなく数ある食材ごとの種類を組み合わせ、食材1つ1つの質にこだわった料理なのである。
手抜きではなく、手間抜きの“カルテスエッセン”のススメ

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日本で暮らす私達がイメージする気持ちのこもった料理と言えば、手作りかつ温かな料理。そして、今回紹介したドイツの人々にとって食事は休息時間であり、そのために用意される、準備に手がかからない冷たい食事。決して、どちらかが正解・不正解という事はない。
しかし、食事の楽しみ方は決して一辺倒ではない。また、カルテスエッセンと一口に言ってもその楽しみ方はさらに様々である。事実、ドイツの書店ではカルテスエッセンにちなんだレシピ集や雑誌が数多く並ぶ。
そこには、食材のバリエーションの組み合わせは勿論だが、美しい盛り付け方やテーブルコーディネートに至るまで。いかに“カルテスエッセンを楽しむか”のヒントがちりばめられているという。
調理ではなく食材自体へのこだわり、誰かと食事時間を共有すること。これまでとは少し違った“食事の楽しみ方”を見つけてみるのはいかがだろうか?
【参考文献】
今村武「食事作りに手間暇かけないドイツ人、手作り神話にこだわり続ける日本人」ダイヤモンド社 2019年
旅−−。広辞苑の定義によるとそれは、「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」だと言う。
交通手段やパッケージ旅行などが発展し、ただ住む土地を離れるというだけでなく、様々な形の旅が生まれている中で、私たちはどんな旅をできるだろうか。旅から何を感じ、旅にどのような意味を与えられるだろうか。
今回は、旅をテーマにした作品を3つ紹介する。それぞれ違う視点や色で旅を描いた、珠玉の名作だ。
『場所はいつも旅先だった』(2021)

@via:https://ttcg.jp/movie/0791000.html
最初に紹介するのは、松浦弥太郎氏の同名エッセイを映画化した作品。
「わたしたちの知らないところで、だれかの朝がはじまり、だれかの夜が終わっている。」
このコピーが象徴するように、この映画は旅先のささやかな人々の日常の風景を描いた作品だ。
撮影されたのは主に早朝と深夜。心地よい語りと共に、アメリカ、スリランカ、フランス、オーストラリア、台湾の世界5カ国で暮らす人々の暮らしが地球規模で見えてくるようだ。
例えば、スリランカで早朝に、川に子供を歯磨きに連れて行く父親の後ろ姿。あるいは、マルセイユのレストランでてきぱきと働く女性の背中−−。観光の旅もいいけれど、普段は表立って切り取られることのない、誰かにとってはなんでもないそのような姿こそ、妙に惹きつけられるのは何故だろう。
特別SNSに載せようとも思わないような、映えない瞬間や景色……旅の大部分を占める、そんないわゆる“なんてことない瞬間”をこの映画のように愛でられる感性を育みたい。
映画の中で、松浦弥太郎氏の「旅の価値観」が語られる中、あなた自身の旅や暮らしに対する価値観を見直すのも良いだろう。
「私はなぜ旅に出なくてはいけないと思うのか?」「私は旅の最中、何に一番幸せを感じるのか?」「私は旅に何を求めているのだろう……?」等々。その主語は、旅でなくたっていい。仕事でも、人でもいい。
今この瞬間も地球上の何処かで、日常を営んでいる誰かの日々を愛おしく描いたこの映画の視線は、新たな旅の形のヒントとなるだけでなく、より一層私たちの暮らしや日常を愛おしく思える転機となるだろう。
松浦 弥太郎監督/78分/日本/配給:ポルトレ
『究極のハピネスを求めて』(2017)

@via:https://www.milesofhappiness.com/blog/
北米から南米を目指し、手作りのキャンピングカーで旅をするドイツ人カップルのドキュメンタリー作品。二人と一匹(愛犬)の旅は、壮観な景色とともに順風満帆に進んでいく。
しかしある日、彼らのロードトリップは、愛犬の病気によって中断されてしまう。「旅を続けるのか、犬が落ち着いて休養できる場所へ行くか……」という選択を迫られた時に彼らが選んだのは、旅ではなく愛犬との穏やかな日常だった。それは、彼らが “究極のハピネス”を探求した結果だ。
旅と日常−−。そのバランスを取るのは時に難しいけれど、そのコントラストがあるからこそ、旅は愛おしい。
旅をする日々も、地元で暮らす日常の中にも、さまざまな選択がある。その中で、どちらも彼らが納得した結果なら、最高に幸せなはずだ。帰国した2人を暖かく迎え入れた家族のきつい抱擁は、何事にも変え難い日常の喜びが詰まっていた。
この映画を見ることで旅の高揚感を味わうと同時に、日常の安定した暮らしも、旅と同様にもしくはそれ以上に、より一層味わい深くなるのではないだろうか。
Felix Starck, Selima Taibi監督/96分/ドイツ/原題:Expedition Happiness
『はじまりへの旅』(2016)

@via:https://www.heraldnet.com/life/locally-shot-captain-fantastic-a-swiss-family-robinson-for-today/
現代社会から切り離されたアメリカ北西部の森で暮らす一家が、母親の死をきっかけに街へ出るロード・ムービー。6人の子供たちと父親は、仏教徒の母親の葬儀が教会で行われることを阻止するために、また最期のお別れをするために奔走する。
ずっと森で生きていた彼らが、現代社会と折り合いをつけていく姿が〜〜だが、中でも印象深いシーンは、彼らの「弔い」だ。彼らは母親の残した遺書にならい、彼女を火葬するのだが、その形はいわゆる一般的な冠婚葬祭で行われる「常識的な儀式」とは程遠い。しかし、その光景はこの作品の中でも最も美しい−−。
彼らは海岸で、色とりどりのドレスアップをして、母が好きだった”Sweet Child O’Mine”を皆で歌い、踊る(原曲はロックバンド・Guns N’ Rosesの曲であるのも愛おしい)。そして、彼女の遺志の通り遺灰は公衆トイレへ。
彼らの想いの丈の詰まった弔いの形を見ていると、冠婚葬祭などの儀式は、今やその多くが形骸化しており、その儀式や人に対する「思い」はさほど重要でなくなっているのではないかと思わされる。
私たちが仮に、冠婚葬祭を自分たちでやるとしたらどんな形の式を作れるだろうか?パーマカルチャーなどの文化では、家族や仲間たちだけで作る“手作りの結婚式”があるという。手作りの会場やケーキの写真を見たことがあるが、それはとても素敵だった。
社会からすると「普通じゃない」彼らの旅を通して、私たちの日常に潜む「普通の子育て・家族の在り方」、はたまた「普通の冠婚葬祭」とは一体何なのか、果たしてそれにどんな思いを乗せるべきか考えさせられるようだ。
マット・ロス監督/119分/アメリカ/原題:Captain Fantastic

@via:https://www.columbian.com/news/2016/oct/28/new-on-dvd-captain-fantastic-lights-out/
今回は、旅に新たな視点を与えてくれるような映画を3本紹介した。
旅に出る人の数だけ、旅に与える意味合いは異なる。たとえ同じ景色を見ていても、同じ映画を観ていても、そこで得られる考えや気づきは全く相容れないものになるかもしれない。
「旅」と言っても、その旅は、近所の散歩や美術館、誰かとのデートなど “小さな旅”でも良くて。
家を離れて気づいた、最中の小さな出来事や風景、見知らぬ誰かの背中、ふと聞こえた誰かの言葉など、それぞれの心に引っ掛かった”その何か”を大事に思えたら、私たちの暮らしのより一層愛おしい醍醐味も味わえるようになるだろう。