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YADOKARIについて

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via: https://www.dwell.com/

東ヨーロッパの北部、バルト三国最北端の国エストニア。港湾都市でもある首都タリンは、フィンランド湾に面する主要都市でもある。
画期的な通話システム「Skype」を生んだ国としても有名、ブロックチェーン大国としてIT関連の動きも活発なこの国で、Kodasema (コダセマ) というプレハブ会社が、スタイリッシュでモダンなタイニーハウスを制作した。

(さらに…)

“愛のこもった料理”のイメージは手作りかつ温かい料理?

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誰かを料理でおもてなししたいと思った時、あれやこれやと試行錯誤しながらレシピを検索し材料を購入する。そして、少しでも手の込んだ料理をと考えて、相手の来る時間に合わせて調理をし、温かいうちに食べてもらえるようにする…。

自分の食事ともなると少々ズボラだが、誰かとの食事で相手をもてなすとなると”手作り”かつ”温かい”料理を提供することで気持ちが伝わる。そうイメージする方はきっと私だけではないだろう。たとえ市販品でも”何か一手間”とか、温かい料理が少し冷めてしまった料理は”温め直す”など、料理に手を加えること、そして提供までの時間がなるべく短く温度が保たれていることは日本に暮らす私達の多くが食事に対して抱く愛のこもった料理の象徴とも言える。

しかし、果たして手作りかつ温かい料理だけが愛のこもった料理であり豊かな食事時間をもたらすのだろうか?

ドイツ流の冷たい食事!?”カルテスエッセン”とは?

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日本から遥か9000㎞。サッカーとビールのイメージが強いドイツには”カルテス・エッセン(Kaltes Essen)”と呼ばれる食事がある。冷たいを表す”Kaltes”と食事を表す”Essen”が組み合わさって出来た単語で、その名の通り“冷たい食事”を指す。カルテスエッセンは、温かい料理が冷めてしまったのではなく、元々冷めている料理のことを示す。

とりわけ夕食で出されることの多いカルテスエッセンは、基本的にバターとパンがあれば準備完了である。家庭によっては、加えてハムやチーズ、サラダを店で購入してきた状態のままカッティングボードや大皿に乗せてテーブルに並べることが多い。
各自がパンを取ってバターを塗る。好みでハムやチーズ、野菜を好き勝手にパンに乗せて食べる。各々が“勝手に”食べる形式ゆえに、基本的には取り分ける手間もなく、ものの5-10分で準備が完了するのが特徴である。

ドイツ人は食事に“休息”を求め、準備や後片付けに“効率”を求める。

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しかし、なぜドイツ人の間ではこれほど調理や準備の手間を省いた食事が文化として根付いているのだろうか。理由の1つにドイツの国家全体の特徴として朝が早いことがあるという。役所や学校は基本的に朝8:00から始業のドイツでは、3食のうち朝昼にしっかりと食べ、活動量の少ない夜は胃への負担を軽くするために、ごく簡単に済ませるという。
しかし、それ以上にカルテスエッセンの根付く背景にはドイツ人が食事を“休む時間”と捉え、そのために準備や後片付けを効率的に省略化することを求める気質に由来するという。

①食事時間を“休息時間”と考えるドイツの人々

ドイツの人々にとって、夕食の時間は忙しい1日を締めくくりゆったりと過ごす時間であり、何よりも家族全員が極力揃うことを重要視する大切な時間である。そのため、手の込んだ料理を食べるよりも準備時間が短くて済むカルテスエッセンで皆が揃って食べることの方が多い。
調理に時間がかかって、1日の終わりをゆっくりと過ごせないことよりも、カルテスエッセンによってより長い休息時間を取ることが出来る方が圧倒的に大切なのである。

②食事の片付けを効率的に省略化するドイツの人々

高圧洗浄機で有名な「ケルヒャー」や、食洗器で名高い「ミーレ」などドイツには家事を省略化する事を目的とした家電メーカーが多数存在する。ドイツの家庭のおよそ70%で食洗機が導入されているというデータもあるそうで、こうした家電製品の導入によって、食事の後片付けを極力省略化させることを目的としている。

このように、ドイツの人々が食事において大切にしているのは、手間暇かけた料理よりもゆっくりと休息時間を確保することなのである。そのためにカルテスエッセンによって準備を、食洗機によって後片付けを省略化させている。手の込んだ食事に価値を見出す日本と、手間を省略化させ休息時間を確保することに価値を見出すドイツ。両者を比較すると、ドイツ人の方が2時間半近く睡眠時間や夫婦の時間といった休息時間を確保しているというデータもあるそうだ。

カルテスエッセンは“質素”な食事ではなく、 “食材そのもの”の奥深さを楽しむ食事

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準備の手間暇をかけず、簡単に食べられる食事。こう表現すると、カルテスエッセンに対して何だか質素で貧しい食事という印象を抱くかもしれない。しかし、決してそうではない。決して、パンにチーズにソーセージなど、決して食材の幅は広くはないが、それぞれの食材に奥深さがある。さらに、料理自体に手間をかけることはしないが、食材1つ1つの質にこだわりがあるという。

①食材の幅よりも、 “1つ1つの食材の奥深さ”を追求する

カルテスエッセンの主役であるパン。ドイツではライ麦を使用した黒パンが主流である。世界一種類豊富と言われるドイツパンは、ライ麦と小麦の配合比率によって異なる名称を持つ。かぼちゃやひまわりの種、無花果などのドライフルーツが入っていることも多く、パン毎に異なる食感を楽しめる。
他にも、ドイツと言えばのイメージが強いソーセージは地方や町ごとに個性的な燻製文化を持つ。ゆえにその種類は1500以上に上ると言われている。さらに、チーズは国民1人当たりの年間消費量はおよそ、24.3kgと日本の2.4kgを遥かに上回る他、スイスの21.5kgも上回る数値である。スーパーには野菜コーナーや鮮魚コーナーと並んでチーズコーナーが存在し、その種類の多さが伺える。
このように、食材幅自体はそれほど多くないカルテスエッセンであるが、食材ごとの奥深さがあるため毎回の組み合わせを楽しむことが出来そうだ。

②食材そのものの“質”にこだわる

日本で“栄養満点”という前置きがつくことはすなわち手の込んだ料理を想像するに相応しい。しかし、ドイツでは料理以前の食材を選択する段階での“食材の質”にこだわりがある人が多いという。「BIO」と呼ばれ、オーガニック商品や有機農業の製品を表す食材があることなど、独自の基準を設けるEU内でもドイツはさらに厳しい基準を持つとされている。しかし、決して“意識高い人が購入する”あるいは“専門店でないと入手できない”という事はなく、大衆向けのスーパーでも気軽に手に入れられるのが特徴である。

このように、カルテスエッセンは単に簡素な食事ではなく数ある食材ごとの種類を組み合わせ、食材1つ1つの質にこだわった料理なのである。

手抜きではなく、手間抜きの“カルテスエッセン”のススメ

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日本で暮らす私達がイメージする気持ちのこもった料理と言えば、手作りかつ温かな料理。そして、今回紹介したドイツの人々にとって食事は休息時間であり、そのために用意される、準備に手がかからない冷たい食事。決して、どちらかが正解・不正解という事はない。
しかし、食事の楽しみ方は決して一辺倒ではない。また、カルテスエッセンと一口に言ってもその楽しみ方はさらに様々である。事実、ドイツの書店ではカルテスエッセンにちなんだレシピ集や雑誌が数多く並ぶ。

そこには、食材のバリエーションの組み合わせは勿論だが、美しい盛り付け方やテーブルコーディネートに至るまで。いかに“カルテスエッセンを楽しむか”のヒントがちりばめられているという。

調理ではなく食材自体へのこだわり、誰かと食事時間を共有すること。これまでとは少し違った“食事の楽しみ方”を見つけてみるのはいかがだろうか?

【参考文献】
今村武「食事作りに手間暇かけないドイツ人、手作り神話にこだわり続ける日本人」ダイヤモンド社 2019年

旅−−。広辞苑の定義によるとそれは、「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」だと言う。

交通手段やパッケージ旅行などが発展し、ただ住む土地を離れるというだけでなく、様々な形の旅が生まれている中で、私たちはどんな旅をできるだろうか。旅から何を感じ、旅にどのような意味を与えられるだろうか。

今回は、旅をテーマにした作品を3つ紹介する。それぞれ違う視点や色で旅を描いた、珠玉の名作だ。

『場所はいつも旅先だった』(2021)

@via:https://ttcg.jp/movie/0791000.html

最初に紹介するのは、松浦弥太郎氏の同名エッセイを映画化した作品。

「わたしたちの知らないところで、だれかの朝がはじまり、だれかの夜が終わっている。」

このコピーが象徴するように、この映画は旅先のささやかな人々の日常の風景を描いた作品だ。

撮影されたのは主に早朝と深夜。心地よい語りと共に、アメリカ、スリランカ、フランス、オーストラリア、台湾の世界5カ国で暮らす人々の暮らしが地球規模で見えてくるようだ。

例えば、スリランカで早朝に、川に子供を歯磨きに連れて行く父親の後ろ姿。あるいは、マルセイユのレストランでてきぱきと働く女性の背中−−。観光の旅もいいけれど、普段は表立って切り取られることのない、誰かにとってはなんでもないそのような姿こそ、妙に惹きつけられるのは何故だろう。

特別SNSに載せようとも思わないような、映えない瞬間や景色……旅の大部分を占める、そんないわゆる“なんてことない瞬間”をこの映画のように愛でられる感性を育みたい。

映画の中で、松浦弥太郎氏の「旅の価値観」が語られる中、あなた自身の旅や暮らしに対する価値観を見直すのも良いだろう。

「私はなぜ旅に出なくてはいけないと思うのか?」「私は旅の最中、何に一番幸せを感じるのか?」「私は旅に何を求めているのだろう……?」等々。その主語は、旅でなくたっていい。仕事でも、人でもいい。

今この瞬間も地球上の何処かで、日常を営んでいる誰かの日々を愛おしく描いたこの映画の視線は、新たな旅の形のヒントとなるだけでなく、より一層私たちの暮らしや日常を愛おしく思える転機となるだろう。

松浦 弥太郎監督/78分/日本/配給:ポルトレ

『究極のハピネスを求めて』(2017)

@via:https://www.milesofhappiness.com/blog/

北米から南米を目指し、手作りのキャンピングカーで旅をするドイツ人カップルのドキュメンタリー作品。二人と一匹(愛犬)の旅は、壮観な景色とともに順風満帆に進んでいく。

しかしある日、彼らのロードトリップは、愛犬の病気によって中断されてしまう。「旅を続けるのか、犬が落ち着いて休養できる場所へ行くか……」という選択を迫られた時に彼らが選んだのは、旅ではなく愛犬との穏やかな日常だった。それは、彼らが “究極のハピネス”を探求した結果だ。

旅と日常−−。そのバランスを取るのは時に難しいけれど、そのコントラストがあるからこそ、旅は愛おしい。

旅をする日々も、地元で暮らす日常の中にも、さまざまな選択がある。その中で、どちらも彼らが納得した結果なら、最高に幸せなはずだ。帰国した2人を暖かく迎え入れた家族のきつい抱擁は、何事にも変え難い日常の喜びが詰まっていた。

この映画を見ることで旅の高揚感を味わうと同時に、日常の安定した暮らしも、旅と同様にもしくはそれ以上に、より一層味わい深くなるのではないだろうか。

Felix Starck, Selima Taibi監督/96分/ドイツ/原題:Expedition Happiness

『はじまりへの旅』(2016)

@via:https://www.heraldnet.com/life/locally-shot-captain-fantastic-a-swiss-family-robinson-for-today/

現代社会から切り離されたアメリカ北西部の森で暮らす一家が、母親の死をきっかけに街へ出るロード・ムービー。6人の子供たちと父親は、仏教徒の母親の葬儀が教会で行われることを阻止するために、また最期のお別れをするために奔走する。

ずっと森で生きていた彼らが、現代社会と折り合いをつけていく姿が〜〜だが、中でも印象深いシーンは、彼らの「弔い」だ。彼らは母親の残した遺書にならい、彼女を火葬するのだが、その形はいわゆる一般的な冠婚葬祭で行われる「常識的な儀式」とは程遠い。しかし、その光景はこの作品の中でも最も美しい−−。

彼らは海岸で、色とりどりのドレスアップをして、母が好きだった”Sweet Child O’Mine”を皆で歌い、踊る(原曲はロックバンド・Guns N’ Rosesの曲であるのも愛おしい)。そして、彼女の遺志の通り遺灰は公衆トイレへ。

彼らの想いの丈の詰まった弔いの形を見ていると、冠婚葬祭などの儀式は、今やその多くが形骸化しており、その儀式や人に対する「思い」はさほど重要でなくなっているのではないかと思わされる。

私たちが仮に、冠婚葬祭を自分たちでやるとしたらどんな形の式を作れるだろうか?パーマカルチャーなどの文化では、家族や仲間たちだけで作る“手作りの結婚式”があるという。手作りの会場やケーキの写真を見たことがあるが、それはとても素敵だった。

社会からすると「普通じゃない」彼らの旅を通して、私たちの日常に潜む「普通の子育て・家族の在り方」、はたまた「普通の冠婚葬祭」とは一体何なのか、果たしてそれにどんな思いを乗せるべきか考えさせられるようだ。

マット・ロス監督/119分/アメリカ/原題:Captain Fantastic

@via:https://www.columbian.com/news/2016/oct/28/new-on-dvd-captain-fantastic-lights-out/

今回は、旅に新たな視点を与えてくれるような映画を3本紹介した。

旅に出る人の数だけ、旅に与える意味合いは異なる。たとえ同じ景色を見ていても、同じ映画を観ていても、そこで得られる考えや気づきは全く相容れないものになるかもしれない。

「旅」と言っても、その旅は、近所の散歩や美術館、誰かとのデートなど “小さな旅”でも良くて。

家を離れて気づいた、最中の小さな出来事や風景、見知らぬ誰かの背中、ふと聞こえた誰かの言葉など、それぞれの心に引っ掛かった”その何か”を大事に思えたら、私たちの暮らしのより一層愛おしい醍醐味も味わえるようになるだろう。

水上ホテル

Via: design-milk.com

たゆたう、重い体も迷う心も静かな波にまかせ、ただたゆたう。
疲れたらそのまま部屋に上がり、冷えた体をバスタブで温めながら、息をのむほど美しい景色を眺める……。
そんな贅沢が許されるホテルが実在する。どんな南の島にあるのかと思えば、意外にも山国スイスだという。 (さらに…)

「何もしていない」とは、どんな状態のことを指すのだろう?

休日に、ソファで昼寝しているとき。その状態は間違いなく「ソファに寝転がっている」はずなのに、「自分は何もしていない。」そんなふうに捉える人も多いのではないだろうか。
その他にも、スマホを見ているとき、録画したテレビドラマを一気に見たとき…。実際はスマホを見ていたし、ドラマを見ていたのにも関わらず、「ああ、今日は何もしなかった。」そう罪悪感を抱く人も多いだろう。

この罪悪感を作り出す「何もしていない」という概念は、一体ナニモノなのだろうか?

今回は、「何もしないこと」が生み出す罪悪感を紐解いていく。どうやら世界には、「何もしないこと」に対する一風変わった考えやムーヴメントが広まっているようだ。

他者との比較が「何もしていない」を生み出しやすい…⁉

リビングのソファで寝ているとき、人は何もしていないわけじゃない。現に横になっているし、体を休めているのだ。しかし、その横に「世間一般で言う生産的な行為」をしている人がいると、たちまち肩身が狭くなる。どうも、人は自分より努力している人や、すべきことをしていると捉えられる人と自分を比べてしまうと、居心地が悪くなってしまう。

実は、この居心地の悪さは、現実世界でなくともバーチャルで感じることもある。特に感じやすいのが、SNSを見ているときだ。YoutubeやInstagramを覗くと、こんな投稿が目につかないだろうか。副業をするためのスキルを磨く人、空いた時間に資格を勉強したり、節約のための家計簿づくりをしたり…。いずれも、世間一般で言う生産的な行為、もしくは「できればそうするのが望ましい」「そうしたいと願っているが、できない人が多い」とされている行為だ。

頑張って何かをしている人がいる一方で、自分はSNSを見てただボーッとしている…そんな風に感じたら、人は「自分は何もしていない」と感じる。実際は、何もしていないわけじゃなく、何かをしていたはずなのに…。結果、気晴らしに見ていたはずのSNSで、罪悪感を抱く羽目になってしまう。

つまり、「何もしていない」と思い罪悪感を感じてしまう原因の一つには、他人との比較があるといえるだろう。

「自分は何もしていない。」そう罪悪感を抱いたときは、少し冷静になって、自分が今、自分自身を何と比較しているのか探してみる。
そうしてみることで、「何もしない時間」を過ごした自分を、やさしく受け入れることができるかもしれない。

「何もしない」ということ。海外ではどう捉える?-オランダ語の「niksen」-

世界には、「何もしない。」ということを少し違った解釈で捉える概念があるという。

オランダ語には「niksen(ニクセン)」という、何もしていないということを意味する言葉。しかしこの言葉に悲観的な意味合いはなく、「意図的に何もしなかった」というプラスの意味合いが意味合いが込められているという。何もしていない時間を過ごすために、何もしていないをしていた、とも言えるだろう。

家事や仕事などすべきことが多い上に、空いた時間・スキマ時間を埋めるアイテム(テレビやスマートフォンなど)が身近にある現代では、何もしないことをするのは少し難しい。ちょっと気を抜けば「あ、洗濯物を回さなきゃ」と思って動いたり、「あ、新しい映画配信されてた」とNetflixを付けてしまうこともあるのではないだろうか。
対して、意図して何もしないをする「niksen(ニクセン)」は、誰か何をしているかに関わらず、「私は何もしない、ということをする。」という独自の概念だ。そこに比較はなく、ただ自分はこうしていたという事実しかない。

「niksen(ニクセン)」は何かを生みだしたり、何かを進めたりする時間ではないものの、何もしないをすることで(一瞬かもしれないが)悩みやアプリの通知、他者との比較から解放されることができる。つかの間の息継ぎのような時間としての「niksen(ニクセン)」は、ごたついた心をしずめ、落ち着かせてくれるひとときと言えるだろう。

「今日はniksenの日だった」そんなあなたの発言に、周囲の人が「いいね」と声をかけてくれる、そんな会話が日常的なものとして存在してくれさえいいれば、何もしないでいることへの捉え方が大きく変わってきそうだ。

「何もしないこと」の概念を変えるために…。韓国「モンテリギ大会」

https://s.japanese.joins.com/upload/images/2022/08/20220822095146-1.jpg

韓国には、ただひたすらぼーっとするだけの大会「モンテリギ大会」というものがあるという。

舞台は、韓国を代表する大きな河川、漢江(ハンガン)。韓国のヒーリングスポットでもあり、人々の憩いの場所となっている場所だ。

そんな漢江で行われる「モンテリギ大会」では、参加者は90分間何も話さずぼんやりとした状態で維持すればOK。主催者側が15分に一度、心拍数を計測して、誰がもっともぼーっとしているのかを競う大会なのだそう。

心拍数のグラフが安定していたり、どんどん下がる参加者は評価が高くなるのだとか…。

一見、なんだかよく分からない不思議な大会のようにも思えるが、この大会が行われる目的にも、「何もしないこと」が劣ったことだとみなされたり、無価値だとされている現代社会の思考を破りたいという思いがあるのだという。

実はこの大会、今年の11月に日本でも開催された。
海外には、このように「何もしないこと」を捉えなおす思考やムーヴメントが存在しているが、その動きは海外だけにとどまらず、日本国内にも広まっているようだ。

「何もしないということ」、今後あなたはどう捉える?

「何もしない」ということ。私たちは、他人との比較などを理由に、無意識に罪悪感を感じたり、そんなふうに過ごした時間を無価値だと捉えてしまうことがある。

しかし、その罪悪感の原因を噛み砕いてみたり、世界には「何もしないこと」を捉えなおす動きや考え方が少しずつ広まっていることを知ると、その罪悪感も薄れ、心を緩めることができそうだ。

ときには、Niksenのような心地のよい「何もしない時間」をつくり、息抜きをしてみる。
そんな時間の中で、周囲の意見や視線、社会の流れに左右されない自分の好きなもの、大切にしたい価値が見つかることだって、あるかもしれない。
「今はNiksenの時間」、そんな時間を多く取り入れてみる人生も、なんだかよさそうだ。

 

参考書籍:

アンデシュ・ハンセン.”スマホ脳”

https://www.shinchosha.co.jp/book/610882/

東洋経済ONLINE.”ヒトだけが「他人との比較」に執着するのはなぜか”

https://toyokeizai.net/articles/-/678545?display=b

lifehacker.”オランダの概念「niksen」に学ぶ「何もしない」方法”

https://www.lifehacker.jp/article/learn-how-to-do-nothing-with-dutch-concept-of-niksen/

中央日報.”韓国の一風変わった「放心」大会が3年ぶりに開催…橋の近くで90分間、頭を空っぽに”
https://s.japanese.joins.com/JArticle/294605?sectcode=400&servcode=400

via: autoevolution.com


カリフォルニア州・ジョシュアツリー国立公園まで車で15分。大自然に囲まれた「Pod Studio」は、2024年に誕生することが予定され、現在注目を集めるオフグリッドタイニーハウスの1つだ。

特に注目すべきは、トラックでも運搬できるほどの小さなタイニーハウスであるにもかかわらず、設置の際には建物そのものの大きさを拡張することが出来てしまうということ。

これまでにない拡張性を持ち、電力などのグリッドからも完全に開放される最先端のオフグッドタイニーハウス「Pod studio」とは、一体どんなものなのだろうか。

驚きの拡張性。トラックで運べるほど小さいのに、大きくもなる

トラックでの運送が可能な「Pod Studio」。様々な機能を持った世界最先端のタイニーハウスと言われているものの、特に注目なのは、この建物が持つ拡張性。運搬時には、2.6mであるトラックの幅は、4.9mにまで拡張することが出来るのだとか。
さらに、トラックから降ろし、地上に設置するのにかかる時間はわずか15分。内蔵されたの4つの脚を使用することにより、トラックから簡単に持ち上げ、安全に地面に降ろすことが出来るようだ。

トラックで運ぶ際のPod Studio。9.2m×3m×2.6mほどの大きさだ。

このような姿に拡張可能。2.6mだった幅は4.6mにまで拡大する。

太陽光パネルのついた屋根は広げることも、たたむこともできる。

まるで宇宙への最前列席。誰にも邪魔されない、自然との調和を。

via: indiegogo

「Pod Studio」は、カリフォルニア・ジョシュアツリー国立公園まで車でわずか15分の場所への設置が予定されているという。
岩だらけの山々やむき出しの花こう岩がつくる独特な地形の中で多種多様な動植物が生息しているというジョシュアツリー国立公園。公園の美しさは、アーティストや登山愛好家の天国とも言われるほど。日中には、ハイキング、岩登りなどのアクティビティが楽しめるそうだ。

そんなジョシュアツリー国立公園の周囲にはもちろん外灯はなく、空気もとても綺麗。夜には、クリアで真っ暗な空の中に広がる美しい星を独り占めすることだって出来る。まるで宇宙の中にいるような気持ちになれるになれるのだとかーー。

そんな大自然の中とはいえ、「Pod Studio」はロサンゼルスから車で2時間半ほどでアクセスできる場所にある。都会で過ごす人の週末の息抜き、そして海外からの旅行客の旅の選択肢としてなど、誰にでもアクセスしやすい場所に設置されているということも、「Pod Studio」の魅力の1つだろう。

コンセプトはZen Living。日本らしいデザインが採用された内装空間

近未来的な外装が魅力的な「Pod Studio」であるが、内装には日本らしいデザインがなされているという。空間のコンセプトは、「Zen Living」。日本とスカンジナビアのデザイン美学を融合させた、洗練されたミニマリズムが特徴だという。モダンで無駄のない柔らかいデザインは、世代や国籍を問わず、多くの宿泊客に安らぎの時間をもたらしてくれそうだ。

特出すべきなのは、デザインだけではない。ぜひ、室内の機能性にも注目してほしい。

via: indiegogo


via: indiegogo


デスクやソファなどが設置されたオフィスのようなリビングルームの壁には、壁面収納のベッドが設置され、昼間は集中して仕事に打ち込めそうなワークスペースとしての場であるが、夜になるとキングサイズのベッドが出現。快適なベッドルームにもなるという仕組みだ。
そしてたくさんの洋服を収納できそうなワードローブには、ウォークインのバスルームが隠れているという。

使い切れないほどの発電量。グリッドから完全に解放された安心できる空間に。

「Pod Studio」は9.6kWの太陽パネルオーニングと30kWのバッテリー貯蔵システムを搭載しており、太陽光を利用した持続可能なエネルギー源を確保しているという。その発電量は、一般の住宅ではたとえ二世帯であっても使い切ることは出来ないほど。つまり、「Pod Studio」は電気・ガスなどグリッドのグリッドから完全に解放された空間なのだ。

via: autoevolution.com


また、「Pod Studio」は、iOSとAndroidの専用アプリがあり、完全なスマートライフを提供している。室内の空調管理やセキュリティ、照明、家電などは、スマートフォンからシームレスに操作可能。すべてのことがスマホ一台で完結してしまうという。
慣れない空間の設備にあたふたすることもなく、その場についた瞬間からスマホ一台、指先だけの操作でまるで自分の家のように、過ごしやすい空間を作ることが出来るということも、宿泊者の安心感や満足感につながりそうだ。

via: autoevolution.com


今回は、最先端のオフグリッドタイニーハウス「Pod Studio」をご紹介した。
トラックでの運送、簡単にそして安全にトラックから降ろすことが出来、拡張も可能。そんな新たなタイニーハウスの誕生に驚いた方も多いのではないだろうか。

国立公園からほど近い美しい自然に佇み、大都市からのアクセスがそう難しくないこの施設。非日常的な宿泊体験を求めて、オープンと共に多くの人々が訪れる人気スポットになりそうだ。

そんな大注目の「Pod Studio」だが、多くの方が気になるであろうトイレや水道などに使われる水の循環設備についての情報は未だ明らかになっていない。果たしてどんなシステムを採用しているのだろうか。この施設の立ち上げ・運営を行うPodformからのさらなる情報解禁が楽しみだ。

「Pod Studio」は、INDIEGOGOにてクラウドファンディングを実施中。支援を実施した人は、キャンペーン終了後、予約ページにアクセス出来る権利を獲得出来るという。ご興味のある方はぜひこちらをチェックしてみてはいかがだろうか。

Via:
Pod Studio – A Futuristic Glamping Experience!/ INDIEGOGO
Pod Studio Aims for World’s Smartest Tiny House that Expands Three Times Its Original Size/ autoevolution
podform, the world’s smartest tiny home, expands to three times its size/ designboom
podform

サイハテ村の新たなスタートとなった12周年

photo by kojiro

2023年11月11日。熊本県の有名なエコビレッジ・サイハテ村が終わったーー。
「終わった」と言っても、村やコミュニティが終わるわけでは、決してない。

村の発起人&名付け親である工藤シンクさんが村を去って約1年半。
サイハテ村の12年というこの周年祭のタイミングで村の名前を変え、新たなスタートを切ることになったのだ。

今回は日本で有名なエコビレッジ/コミュニティの一つ・サイハテ村の区切りとなった本イベントを通して、垣間見ることのできた「村づくり」の醍醐味や、 “若者を惹きつける村”への考察、また滞在で感じた新たなコミュニティの可能性を紹介する。

周年祭に向け、眺めのいいコンポストトイレを手作り。photo by kojiro

サイハテ村とは、熊本県宇城市の山奥にあるパーマカルチャーを実践するエコビレッジ。山奥のガタガタとした坂道を進んでいった、その最果てにある小さな村だ。

2011年、東日本大震災をきっかけとして「水道・電気・ガス、政治経済がストップしても笑っていられる暮らし」を実現したいと言う思いから、発起人・工藤シンクが出資者と住人を募集し、村が誕生した。村づくりの当初は、30日間連続の音楽フェスを開催するなど “ヒッピー村”とも呼ばれていたそうだ。

サイハテ村には、ルールやリーダーも無い。

多くのコミュニティやエコビレッジでは、共通の目標や理念を持った人々が、一定のルールに則って生活を営んでいる。

しかし、サイハテ村は違う。開村当初から、型破りな独自のコンセプト「お好きにどうぞ」のもと、住人それぞれが自由にこれからの暮らしを模索・実践するコミュニティーとして有名になった。

例えば、村をふらっと訪れてひたすらのんびりしていても良い。住民は村で自分の得意なことを活かして事業を始めても良いし、外でお金を稼いできても良い。子供たちも学校に行くということに囚われず自由に遊んでいる。

工藤シンクさん曰く、村づくりを通し、多くの現代人に受け入れられる“幸せを追求した新しい暮らし”を模索するという、壮大な社会実験のような感覚だったと言う。

しかし今回の12周年祭を機に、村の「お好きにどうぞ」のコンセプトも実質無くなることになる。

アースバッグのベンチを塗装している様子。 photo by kojiro

村の発起人であり、村を既に去った工藤シンクさんは『日本中に村をつくり、繋げ、開放する』をテーマに活動する村づくり家かつアーティストでもある。

周年祭の前々日に村を訪れた彼は、ティピーテントの中で、焚き火で作ったコーヒーを振る舞いながら、サイハテ村の名称変更について「12年の区切りがいい年だし、美しいじゃん」とポジティブに語ってくれた。

「そもそも村に名前をつけたことが間違いだったのかもしれないな」と笑った彼は現在、自由に日本各地を転々としながら、愛知県に “名も無き村”を作っているそうだ。

イベントの準備をする工藤シンクさん。話の内容を記事にしていいか聞くと「お好きにどうぞ!」と快諾してくれた。photo by kojiro

サイハテ村の「お好きにどうぞ」という前代未聞なコンセプトを作ったのも、発起人・工藤シンクさんだった。

村で過ごす住民やその子どもが数多くいる手前、かつ村の発展途中というタイミングで、完全に「お好きにどうぞ」とはできない側面もあったというが、中にはそのコンセプトに救われた人も多くいるという。

社会には、“お好きにしてはいけない”、 “こうしなくちゃいけない”と思っている人が多いからね。」と、村のくらしのがっこう制度等を担当するゆうさんは言う。確かにここサイハテ村で、人生が変わったという人にも数多く出会った。

ステージを見つめる坂井さん夫婦。勇貴さんとゆうさん。 photo by kojiro

坂井家の次男が描いた絵をトートバックにして販売。 photo by kojiro

村の転機となる、今回の12周年祭には、熊本からだけでなくサイハテ村やパーマカルチャーに関わる人が数多く訪れた。中にはサイハテ村をきっかけに出会い、赤ちゃんを連れて帰ってきたカップルも。来場者の多さやそこで生まれる交流から、12年というサイハテ村の歴史を垣間見ることができた。

イベントでは、街コンの村バージョンこと “村コン”や運動会、アーティストの音楽ライブやDJ、サウナなど、様々な催し物が盛りだくさんだった。

運動会の応援合戦で大盛り上がりの会場。 photo by kojiro

住民達らによって結成された三角アフリカンクラブのパフォーマンス。ドネーションヘアカットや民族衣装の販売など、サイハテ村らしいユニークな出店も。 photo by kojiro

夜には、カンナヴィーナサヨコさんの歌が村に響き渡った。 photo by kojiro

若者を惹きつける村づくりには『時ならぬ恋の装置』が必要?

本イベントでは2日間にわたって、参加者が村づくりをテーマに自由に話し合う「村作り超会議」も開催された。

村づくりに興味がある理由や思いが参加者から語られ、様々な方向に話が進む中で「多くの村づくりの中で足りなかったのは、”恋の装置”かもしれない」という話になった。そう語り出したのは、1999年に沖縄・那覇市のゲストハウス『月光荘』を立ち上げた雨柊さんだった。

村作り超会議の様子。あたたかい焚き火を囲んで熱く語り合う。 photo by kojiro

過去、多くのヒッピーコミューンや村づくりの場において、やはり子ども世代が流出してしまうという課題があった。それは若者が、新たな出会いに胸をときめかせる”余地”のようなもの……『恋の装置』が足りなかったからではないか?ということだ。

雨柊さんが立ち上げた月光荘は、那覇市の街中にある、バラック屋根と独自の雰囲気が特徴的な老舗のゲストハウス。一階の別母屋には居酒屋があり、夜にはお酒やおつまみを提供している。

雨柊さんは、若者が胸をときめかせる『恋の装置』を居酒屋やバーなどの場で提供してきた。(著者も一度月光荘を訪れたことがあるが、旅人や長期滞在者が集まって、気づいたら夜中まで話し込んでいるような、そんな独特かつアングラな雰囲気があるゲストハウスだ。)

しかし、今まで多くの村づくりではその視点は欠けていた。工藤シンクさんは「5年目くらいで気付いたけれど、サイハテ村では恋がそこまで生まれないのが反省点だった。」と話す。恋沙汰で破綻する村は数多く見てきたと言うが、それでも『時ならぬ恋の装置』は若者を惹きつける村づくりにおいて、必要な要素なのかもしれない。

村づくりの魅力と3つのデザインとは

photo by kojiro

村のコミュニティマネージャーを務める坂井勇貴さんは、元ヒッピー。20歳の時に沖縄で出会った大人に影響を受け、約10年間世界各国の様々なコミュニティを訪れてきた。その後、ゆうさんと結婚し、サイハテ村の3年目のタイミングで引っ越してきた2人は、サイハテ村の村づくりにおいて重要な役割を担ってきた。

今ではよく聞くようになった「コミュニティマネージャー」という名前で活動を始めたのも、日本で勇貴さんが初めてだそう。発起人・工藤シンクが “大風呂敷を広げる人”だとするなら、勇貴さんは”その風呂敷を畳む人”だと笑う。

そんな勇貴さんは、村づくりの魅力は『世界の設定(コンセプト)を作れること』だと話す。それには、中学生の時「自分が望んでいた世界の住民でいられなかった」トラウマが原体験にあると言う。

現代は、YoutubeやSNS、メタバースなど自分が味わいたい世界に各自がアクセスできる時代。そんな自分が望む世界を実現した形の一つ……それが、村なのだ。村には衣食住があり、村はその人の人生を内包できる。だからこそ、向き合うしかない。

村づくりには、それ故の苦しさも幸せも、トラウマを解消できる種も、大きな夢やロマンを実現できるフィールドも、そのすべてが詰まっている。

photo by kojiro

また12年間の社会実験としての成果を振り返り、村づくりには『3つのデザイン』が重要だと実感した、と勇貴さんは語る。

1つ目は、フィールド(場)のデザイン。
2つ目は、マインドのデザイン。
そして3つ目が、ストーリーのデザイン。

ストーリーデザインは「なぜ自分たちはここに集まって、どんなことをして、どこに向かっていくのか?」を村人達と共有し・実現するということだ。その3つのデザインが極上だと、良いコミュニティや良い社会が生まれていくのではないかと言う。(勇貴さんが定義する3つのデザインについて、詳しくはこちら。)

サイハテ村では、それぞれの役目をサイハテ村の中心メンバー3人が担ってきた側面もあるが、この12年間でサイハテ村に集まってきた人、一人一人、そのすべてに感謝したいとまとめてくれた。

photo by kojiro

photo by kojiro

また、著者が村に約2週間滞在する中で気付いたことは、「村の子ども達が非常に生き生きとしている」ということだ。住民にはシングルマザーも多いというサイハテ村。そんな中、住民同士で保育園のお迎えをお願いしあったり、子ども達がそれぞれの家を出入りしてご飯を食べたりお昼寝したりするなど、まるで村全体で子育てをしているようだった。

いわゆる“一風変わった大人”もたくさん訪れる日々の中で、子ども達は多くの人々の姿を見ながら、すくすくと自由に育っている。夜遅くまで村の中央にある遊具で遊び、大人達の宴会の場で自由に振る舞うーー。まるで兄弟のように生き生きと育っている、村の子ども達の様子を見ていると、子育てとコミュニティの新しい可能性を感じた。

photo by kojiro

また正直にいうと、実際には電気やガスなどは外から供給されていたり、インカムスタッフには統制されたルール等があったり…….など、村に実際に滞在する中で、想像していた姿とは完全に一致しなかった面もある。

しかし、村づくりの形としてそれは流動的に変化していくものだろう。むしろ、住民同士で相談して、インフラを整備し住みやすい村を作ったり、問題が起きたらルールを作ったりする過程こそが、村づくりだと言える。

時と共に村そのものも形を変えていくし、人がいればコンセプトも変わっていく。やはり、既存の社会の在り方を問い直し、それとは異なる暮らしの場・コミュニティをつくることは難しい。

12年間で「お好きにどうぞ」のコンセプトは実現することはできなかった−−という結論も出せるが「お好きにどうぞ」なのだから別にそれでも正解なのだ。あくまで、その模索に意味がある。

サイハテ村の村づくりの裏テーマとして「人々の意識の変容をどのようにできるか?」という問いがあったと言うが、「お好きにどうぞ」をテーマにエコビレッジの新しい形を提唱したこの村は、この地を訪れた人々の意識変容を起こしていたと言えるだろう。

photo by kojiro

今回で「サイハテ村」の名前としては一つ区切りがついたが、この土地での村づくりやパーマカルチャーの実践はまだまだ続いていく。

コミュニティマネージャー・勇貴さんは、今後次のステップとして、日常のあらゆるシーンで多くの人の判断基準となっている「損得勘定」のない暮らし(≒お金を介さない暮らし)を実現してみたいと話す。新しい名前もルールも特に決まっていない村の行方は、まだ未知数だ。

サイハテ村の唯一無二な村づくりや今後の歩みについて、また”未来”を見据えた新しい暮らしに興味がある方は、新しい再出発を切ったこの村を一度訪れてみてはいかがだろうか。

“休憩時間”と聞くと、どんな時間を想像するだろうか?

仕事の合間のお昼休憩だろうか?それとも、職場から帰宅して初めて取れる時間だと思うだろうか?1人で過ごす時間だろうか?それとも、誰かと過ごす方が疲れが取れる方も中にはいらっしゃるだろうか。グーたらとソファに寝そべる時間を指す方もいるだろうし、逆に趣味に没頭する、忙しない時間こそが休憩という方もいるかもしれない。今回はそんな『休憩文化』がテーマだ。

北欧、スウェーデンでは『Fika(フィーカ)』と呼ばれる独自のお茶文化がある。心を緩める休憩文化。実は、興味深いことに彼らの持つこの休憩文化と、日本各地の農家さんの休み方が非常にそっくりなのだ。
遠く離れた国の人々と日本の農家さん。彼らに共通する温かな休憩時間の過ごし方、そしてそこから生まれる人との結びつきとは一体どのようなものだろうか。

まずは北欧、スウェーデンの休憩文化を覗いてみよう。

スウェーデンの人々にかかせないお茶文化『Fika(フィーカ)』とは?

突然だが、下記のグラフをご覧いただきたい。こちらのグラフは“とあるもの”の1人当たりの消費量の世界ランキングである。スウェーデンが世界6位に位置する“とあるもの”。何だかお分かりだろうか?

made by writer

正解は「コーヒー」だ。
世界単位から見ても、トップ10にランクインするほどコーヒーの消費量が多いと言えるスウェーデン。この国には昔から根付『Fika(フィーカ)』と呼ばれる休憩文化があるという。

『Fika(フィーカ)』は、スウェーデン語でコーヒーを意味する“kaffi(カフィー)”を逆さにして出来た語で、いわゆるコーヒーブレイクや、日本で言うお茶の時間を意味する。シナモンロールやカルダモンロールなどの甘いおやつがセットで、それらをつまみながらおしゃべりを楽しむそうだ。
この時間は、学校や仕事、生活の1コマに取り入れられる事が多く、「Ska vi fika? (お茶しない?) 」と誘う形で誰かと一緒にお茶をしながら休憩をする文化が日常的に根付いているという。

Fikaの目的は一緒にいる相手と“共に同じ時間を過ごすこと”

前述の通り、Fikaが行われる場所は職場や学校、公園など様々。そして、仕事仲間や友人、家族など、相手を問わず行われ、時間帯や1日に行われる回数も特に決まっていない。とはいえ、多くの場合は10:00と15:00に1回あたり15-30分ほどで取り入れられることが多いという。

Fikaでは誰かと飲食を共にする時間とはいえ、その目的は必ずしも“食事”とは限らないのだ。ゆるいコミュニケーションを通じて、仕事や学校生活とは少し切り離された視点から一緒にいる相手と相手と“同じ時間を共にする”ことに重きが置かれている。

そう、フィーカ文化の目的は、昼食時間前後にリフレッシュをするという休息を目的としている他、 “共に過ごす相手との時間を楽しむ事”なのである。

日本の農家さんの休み方はまるでFikaのよう⁉

スウェーデンのフィーカ文化について耳にした時、ふと思い出した出来事がある。
それは、以前、農家さんの元で住み込み生活を行った際のことだ。休憩の取り方がまるでフィーカのようだったのである。
10:00と15:00という時間設定や、食事というよりも、 “共に農作業をする仲間とのゆるいコミュニケーションを楽しむ”という点で何処か似たものを感じた。

⑴山形のりんご農家で経験した“世代間を超えて相手の人柄を知れる”休憩時間

今年の6月から7月にかけての1ヵ月間滞在した山形のりんご農家さん。 “摘果”と呼ばれ、1つの実に栄養が行き渡るよう、中心果を残して側果を取り除くという間引きの作業を行った。摘果は春から夏にかけての季節柄のある仕事であるため、季節限定のアルバイトとして集まった方々と一緒に作業を行った。

photo by アルバイトの小松さん

12:00-13:00が昼休憩として設定されていた他、10:00と15:00にそれぞれ15分ずつの休憩が予め決まっていた。高いりんごの木の実を摘果する作業では、脚立を使用する。休みの時間帯にはそれとなく集まって、脚立の段や草むらに腰をかけて話をする時間となっていた。摘果作業自体は、1人で黙々とこなせる作業であった。そのため、世代の違う方々とどれほど一緒にいると言えど、作業のみの時間だけでは相手の人となりが見えずらい。

しかし、フィーカの如く10:00と15:00に緩く輪になって、時折、熱中症対策にと塩飴を皆で舐めたりしながらコミュニケーションを交わす。勿論、強制ではなく話したい人がそれとなく言葉を発し、のんびりと会話を楽しむ。その時間があることで、一緒に働く方の作業時間からは知り切れない一面が見えた。

photo by writer

80歳を超え、季節ごとに農家さんの元でアルバイトをするおばあちゃん。雑草を「このっ憎たらしい草がー!」と言ったり、あまりの暑さに汗でシャツの色が変わってしまった時も「シャツの色が変わっとるんじゃ」と人一倍パワフルかつ無邪気に作業をこなす仕事時間。そして、休みの時間になると、相変わらずのパワフルさで“これはグミの実、小さい頃によく気に登って採ったんだ”と自然について教えてくれた。

photo by writer

休憩時間に垣間見えた更なる無邪気さで、一気に親近感が湧いた。

さらに、定年退職をして牛小屋の管理のアルバイトを掛け持ちしている、元小学校の校長先生。作業自体は寡黙にこなす方であったこと、先生だった肩書きに何となく面食らってなかなか話す機会がなかった。しかし、私が休憩時間にカエルや虫を捕まえているのを見ると、 “興味がありそうだから”と作業中にこっそりと見つけた蜂の巣をプレゼントしてくれた。

photo by writer

年齢も性別もまるで違う人が、その時たまたま集まった仲間が決まった時間に休息を取る。休息を通して会話をする中で相手の人となりを少しずつ知る。決して、農作業を黙々と進める中では知り得ない相手の人となりを知ることが出来た。山形のりんご農家で経験した“世代間を超えて相手の人柄を知れる”休憩時間を通じて、一期一会であろう出会いと会話がとてつもなく愛おしいものに思えた。

⑵北海道のじゃがいも農家で経験した“農作業が楽しく捗る”休憩時間

photo by writer

9月には3週間、北海道のじゃがいも農家さんの元で住み込み生活を行った。北海道でも山形同様に昼休憩とは別に10:00と15:00にそれぞれお茶休憩の時間が。。時間になると、畑の土の上に収穫した農作物を入れるコンテナをひっくり返してイス代わりにして丸く座る。

そして、北海道と言えばお馴染みのセイコーマートで購入したお茶やお菓子の中から各々が好きな飲料やお菓子を片手に談笑をする。最初は、円になって話すことにやや気恥ずかしさを感じたが、農場のお母ちゃんが“どれか飲むか?”と幾つかの種類の飲料から選ばせてくれたり、アルバイトのお姉さんが“関東と比べると結構、寒いよね”と話を振ってくれたおかげでその時間が居心地の良いものとなっていた。
作業中は無口で話しかけづらいと思っていた農場のお父ちゃんは、セイコーマートの新作のスイーツを美味しそうに食べながら「岩見沢、滝川、旭川。 “水”にちなんだ地名がつく地域は石狩川付近の大きな都市であることが多いんだよ」と嬉しそうに北海道の豆知識を教えてくれた。

輪になって、お茶をしながら会話をする。ただそれだけで、さっきまで一緒に流れ作業をしていた相手とこれほど心理的距離が近くなるとは思いもよらなかった。何より、10:00と15:00になる30分くらい前から「もうすぐ休憩だ!」と作業に力が入り、休憩後の1時間も「楽しかったな、あと少し頑張るぞ!」と休憩を通して心的距離が近づいた仲間との作業が楽しく捗るのであるから、これまた不思議なものである。

photo by writer”じゃがいも仕分け作業中“

Fika文化は“相手の人柄を知ることが出来る時間”であり“作業効率を上げる時間”となりうる。

食事以外の時間帯に休息を取るスウェーデンの『フィーカ』と呼ばれるお茶をしながら休憩をする文化。環境は違えど、共に過ごす相手との時間を大切にするという共通点を持つ休息文化を、日本の農家さんの元で実際に経験して感じた効果は大きく2つあった。山形の農家で感じた“仲間の人となりを知れる”こと。そして、北海道の農家で感じた“作業が楽しく捗ること”の2つである。

前者では、一緒に休息をする相手の仕事からは切り離された人となりを知ることが出来る。80代のおばあちゃんが休憩時間に教えてくれた自然の豆知識を思い出し、時折植物に目がいく。元小学校の先生とは今も農作物の成長の様子を知らせてくれるやり取りが続いている。どちらも作業時間のみでは知り得なかったお互いを知ってこそある思い出と関係値だ。

photo by リンゴリらっぱの皆さん

後者では、前後の作業効率が格段に上がることである。勿論、効率を定量的に示したわけではない。しかし、心の持ちようでは確実に仕事に対する力のみなぎりを感じられた。9:30ごろになると、あと30分で休憩だからその時、農場のお母ちゃんとこんなこと話そうかな、もう少し頑張ろうとか。休憩が終わると、さっきの休憩で農場のお父ちゃんが話していた“イモの実”見つけられたらいいな(イモは実は地上に実を付けるという豆知識を教えてくれた)など、仕事に対するモチベーションの高まりを感じられた。

相手と共に過ごす時間を通して、人となりを知れる。さらにその前後の作業効率が上がる。遠く離れたスウェーデンで取り入れられている『Fika』と呼ばれる文化と聞くと、単に異国の習慣という認識で終わってしまう。しかし、日本各地の農家さんでも、スウェーデンと似たような休息の文化が浸透している。そう考えるとグッとフィーカを身近に感じられるような気がしてくる。そして、そんな休息がもたらす効果を身をもって実感することが出来た。1日8時間の労働時間の内のたかが30分。されど、という言葉には収まり切らない30分であった。

近くにいる家族や友人。仕事仲間に“ちょっとフィーカしない?”なんてお洒落に話しかけてみると何かお互いにとって新たな気付きや自分の仕事に変化をもたらしてくれるかもしれない。さあて、もうすぐ15:00だ。私も誰かをフィーカに誘ってみよう…かな。

(参考文献)
FIKA(フィーカ)で元気チャージ!スウェーデン独特のコーヒーブレイクとは?
フィーカとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
森百合子 北欧ゆるとりっぷ 心がゆるむ北欧の歩き方 主婦の友社 2016

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ここは東欧ハンガリー。

ハンガリーのデザインスタジオ兼教育プラットフォームである「Hello Wood (ハロー・ウッド)」が制作したこのタイニーハウスの名前は「Kabinka(カビンカ)」。

Hello Wood自体が教育プラットフォームということもあったため、このプロジェクトには多くの学生が参加し、プロトタイプとして設計&建築されたが、ほぼ完璧に近い休暇小屋が誕生した。

外の剥き出しのフレームと側面についた丸い窓が特徴的で、形としては大きな鳥小屋を彷彿とさせる。

壁は工業的な金属版を使用しているが、そこに木のフレームと側面のCLTパネルといった、耐熱性があり、環境にやさしい素材を組み合わせることにより、無機質さをなくし、非常に柔らかな印象となっている。

早速、中をのぞいてみよう。

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白い木が特徴的な綺麗なない内装だ。

この小ささでキッチン、ベッド、デスク、ソファまで全て揃っており、生活するために足りないものは何一つ欠けていない。

奥には洗面所もあり、水回りもしっかりとしている。

このタイニーハウスは中2階、ロフトがあり、ここは主に寝室として使え、一階からはしごを使ってアクセスできる。

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2階に来れば、三角屋根の部分を効率的に使えるスペースとなっていることがわかる。
奥の壁側には小さな丸窓があり、昼はあかりがなくても十分本読めるほどの明るさになる。
朝は自然光がここから差し込むため、うるさい目覚ましをセットしなくても自然と目が覚めてしまいそうだ。

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丸窓はデザインだけでなく、ここから中に効率的に光を取り込んだり、外と中をつなぐ役割も果たす。

ドアもガラス窓となっており、ここからもふんだんに光が差し込む仕様になっている。

窓が多いと、工数としても増えてしまい、建築期間の長期化につながるが、このように使うパーツとして窓を取り込めば、家の機能性を損なわずに効率的に工数を減らすことができるそう。
バックヤード(裏庭)のゲストハウス、プライベートオフィスとしても最適だ。

このタイニーハウスを組み立て、設置するのにかかる日数は最大でも3日ほど、最短でなんと1日で組み立てることができる。

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具体的な作業としては基礎として地面にスクリューを打った後、木のフレームを組み立て、フレームが地面から立ち上がったら、あらかじめ決まったパネルを両側からサンドイッチしていく。
そうしてキャビンの外側ができたら、内装を自由に作っていく作業に入る。

これらは基本的にはキットとしてフラット – 平たいパックにして送られ、それを組み立てる事になる。
もちろん、組み立てはHello Woodチームでも行うことができるが、作業自体は複雑ではないため、購入者やクライアント自身でも建設可能だ。

素材は現地で採れる木材をなるべく使用し、持続可能性、サステイナビリティを向上させている。

基本では基礎を作ったが、もちろん、カスタマイズは自由自在。
サイズはS-11平方メートル〜XL-19平方メートルまで。
素材はデフォルトでは上に述べたものを使っているが、環境に応じて変更可能だ。

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このように壁を黒くして、湖畔におけば、またこのタイニーハウスの用途と印象も変わってくる。

アドオンとして、テラスや屋根を伸ばしたりなどもできる。
例えば、キャビン自体は非常に軽いため、地面にスクリューを打つ代わりに下に車輪を入れて、モバイルハウスとして引っ張って、いつでも好きな場所で暮らすことも可能だ。

通常家を建てるとなると短くても数ヶ月かけなければいけなかったが、これからの時代はこのようにDIYのようにクイックに家が建っていき、パズルを作るかのように、誰もが自由に小さな家を建てる時代になっていくのでないか、そんなことを思わせてくれるのがKabinkaだ。

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子どものころ、平日に学校を休むなんて考えられなかったという人や、皆勤賞を取るために頑張って通学していた、という人は多いだろう。1997年生まれの筆者としては、その感覚は広く共有されていたし、実際、皆勤賞を取った子は表彰されていた。ところが、ここ数年の間で「遊ぶために学校を休む」ことを良しとする風潮ができつつあるのだという。

2023年9月、名古屋市を除く愛知県の全市町村でラーケーションが導入された。年に3回まで「遊ぶために休む」ことが可能になり、成績表では欠席扱いにならない―つまり、成績表に穴が開くようなことにはならないのだ。ラーケーションは事前申告制で、希望すれば3日連続で取得することもできるため、家族での遠出にも使えそうだ。この記事では、ラーケーションがもたらす恩恵と、ラーケーションが打ち破った「皆勤賞と待ち時間」という概念について掘り下げていく。

Leaning(学習)+Vacation(休暇)=Leacation(ラーケーション)、何ができるのか?

ラーケーションを取り入れた愛知県の解釈では、ラーケーションは「校外での自主学習活動」であり、活動の中に学びがあることが条件とされている。
無理に家族旅行などに行く必要はなく、家族みんなで料理をしたり、家の近くを散策したり、博物館や美術館で学んだり…といったこともラーケーションのひとつなのだ。

土日勤務で忙しい家族がいる場合、家でゆっくり話す時間が取れるというだけでも大きな癒し・学びにつながるだろう。

消えつつある「皆勤賞」。休まず学校に行くことの価値

ラーケーションが驚きを持って報道された理由の一つに、これまで支持されていた「毎日学校に行くことに価値がある」という考えを崩しかねない制度だったことが挙げられる。毎日学校に行くのが素晴らしければ、平日休むことにどことなく罪悪感を覚えることもあるだろう。

この「平日に休む罪悪感」は、出席停止や忌引きを除くすべての平日に出席した子に与えられる「皆勤賞」の存在が原因と考える動きがある。休まずに出席し続けることで表彰されるのであれば、その対極にある「出席停止・忌引き以外で平日に休む」ことはできるだけ避けたいものになるだろう。平日に休むためには、周囲が「それは仕方ない」と納得できるような理由がなければ難しい、とも捉えられる。

実はこの皆勤賞という概念は、年々消えつつあるのが現状だ。新型コロナをきっかけにやめたところや、その前から廃止に動いていたところもあるのだという。
毎日学校に行くことは、どこか根性論に聞こえたり、不登校の子どもを否定するような制度としてとらえ兼ねられないというのが理由だ。一方で、皆勤賞をモチベーションに頑張る子どももいることから、制度をそのまま続けている学校もあるのだそう。皆勤賞のポジティブな面とネガティブな面の、ちょうどよい具合を探っている最中のようだ。

ラーケーションのその先?長期休暇を「分割して」取得するフランス

実は、ラーケーションを用いて平日に出かけることは、混雑の緩和にもつながると言える。例えば、テーマパークや博物館は土日の方が混雑しており、家族旅行に出かけたものの、せっかくの休みのほとんどを待ち時間に費やすことも少なくない。対して、平日であれば人が少ないので、待ち時間が少なく、ゆっくりと見て回ることができる上、チケットも平日のほうが安かった!なんてこともある。

混雑緩和という意味で、ラーケーションの先を行く制度がフランスにある。住んでいる地域によって分割して休暇を取得するというものだ。この制度により、パリの子どもは休みだが、ボルドーの子どもは学校に通っている、という状況が生まれ、特定のリゾート地に一気に人が押し寄せるのを防ぐことができるとされている。

長期休暇は一斉に休むものだ、という固定概念を取り払い、みんなが過ごしやすい休暇を実現させる姿は、ラーケーションの先にある風景だとも言えそうだ。

学びの範囲を広げる新たな施策に注目

平日に学校を休むことに対する意見はさまざまだが、今回はラーケーションという新たな制度が子どもの学びを広げ、より多くの学ぶ機会を得られるようにしたという面に注目した。
変化に適応する考えが広まっていき、制度として取り入れる自治体が出てきたことで、この先にあるさまざまな課題-土日の混雑や学童問題など―についても変化が期待できるような、いい風の流れができたように感じる。子どもたち自身はもちろん、子育て世代も暮らしやすくなるような施策が、この先どんどん広まっていってほしい。

 

参考サイト:

愛知県.’愛知発の新しい学び方「ラーケーションの日」ポータルサイト’

‘https://www.pref.aichi.jp/soshiki/gimukyoiku/learcation.html’

NHK.’さよなら?皆勤賞’

‘https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210325/k10012934211000.html’

RÉPUBLIQUE FRANÇAISE.’Quel est le calendrier des vacances scolaires 2023-2024, 2024-2025, 2025-2026 ?’

‘https://www.service-public.fr/particuliers/vosdroits/F31952’

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アメリカ・コロラド州にあるロッキー山脈の美しい風景を背にして、個性的な佇まいのトレーラーハウスが建っている。
このスモールハウスのオーナーは、 デザイナー・建築家としてすでに活躍しているGreg (グレッグ)と Stephanie Parham (ステファニー・パーハム)。今までにも様々なスモールハウスやモバイルハウスを作ってきた彼らだが、今回は自分たちのためにトレーラーハウスを制作したという。

コーヒーブレイクに最適な三角屋根のトレーラーハウス

アンティークな雰囲気の木の外壁、そして、波のようなカーブのある水色の屋根のトレーラーハウスは、不思議と周りの大自然の景色となじんでいる。

入り口にもなってる白い小さなデッキと、太陽光の発電パネルのついた小さな屋根は折りたたみ式に。移動中は折りたたみ、天気のいい日や景色のいいところではデッキを出して、外の風を感じながらコーヒーブレイクを楽しむのに最適だ。

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後ろは、横から見たアンティーク調の外壁とは異なり、水色のパステルカラーのグラデーションで塗られた木を、うろこのように無数に貼り付けた。その壁の中心には船のような大きな丸窓などが取り付けられている。

素材を調達したサンフランシスコの海をイメージしたのだろうか。はたまた、コロラド州の広々とした青い空をイメージしたのだろうか。夜には丸窓から漏れる明かりが、満月のように見えるかも。

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木目調の室内はキッチン、冷蔵庫、バスルーム、寝室、リビング、暖炉まで完備して、何不自由なく快適な暮らしができそうだ。

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味わいのある雰囲気はアンティークや廃材で表現

このトレーラーハウスの素材の多くは、Craigslistというサンフランシスコ発のクラシファイドコミュニティサイトから調達し、丸窓などはeBayで購入。床のフローリングは現地で作られた梁を使用し、ロフト用の梁は打ち壊された家の廃材を利用している。スモールハウス本体だけではなく、家の中の小物や装備も、ほとんどがアンティークショップから購入してきたものだ。

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限られたスペースながらも、使い勝手の良さそうなキッチン。木製のキッチン天板にすっぽり収まった白い陶器のシンクは、コンパクトにみえるが深さがあるので、狭いスペースでの洗い物にはとても便利。

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キッチン天板の下には、たてや横にスライドする板が収まっている。調理時の補助台として、横に伸ばしたり、シンクと90度に回して引き出すことも可能。食事の時はダイニングテーブルに変身。また、パソコン用の机として多目的に利用でき、狭い空間にとても機能的なアイデアである。

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バスルームの内装も二人のこだわりを感じるデザインだ。ペニー銅貨がタイルとして貼られた床や、真ちゅうの蛇口や洗面ボウルなどアンティークな素材で、独特の雰囲気を放っている。白い壁に下壁を深い青色にすることで、清潔感のある洗面スペースとなった。

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このトレーラーハウスには2つのロフトがあり、奥に見えるロフトは寝室で、手前のロフトは物置用となっている。寝室のロフトは、チェーンで上げ下げ出来る仕組みになっており、日中は、宙に浮いた状態で下のリビングのソファの真上にある。ハシゴのスペースを省くことで、狭い空間を少しでも広くする工夫といえよう。

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寝室のロフトが上に上がったときに、真下にあるリビングのソファから見上げると、南西地方特有のパターンを板で貼ったデザイン性のある天井になっている。

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このようにトレーラーでどこまでも引っ張っていくことが可能だ。

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決められた予算や納期に左右されず、自分好みに自由に作ることができたため、個性的でアメリカ感溢れる夢のトレーラーハウスになった。

既製の洗練された、完成度の高いトレーラーハウスにも憧れるが、今回のように、DIYで自分好みにカスタマイズしながら作り上げていくと、その制作プロセスそのものも楽しく、世界に一つだけのトレーラーハウスに、より愛着が湧くことだろう。

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あんまり頑張りすぎないでね。ほどほどに力を抜いて生きていいんだよ。どうしても自分に完璧主義を求めてしまう私は、幾度となく、そして幾人からこうした言葉をかけて貰ったことがある。本当に有難いし、まさにその通りだと思う。適度に力を抜いたほうが、長い目で見た時に持続性がある。だけれど、それが難しい。力の抜き加減が分からない。皆さんはどうだろうか。”適度”な頑張り加減、”適度”な休息。頭では分かっても、実際には「より良く」とか。「もっともっと」と、頑張りすぎてしまう人も多いのではないだろうか。

“ほどほどに”を表す、スウェーデン語『Lagom』とは?

スウェーデン語のLagom(ラーゴム)は”ほどほど”を表す単語だ。バイキング(約1000年前に北欧から活動を展開していた海洋民族)が活躍していた時代に使用されていた”Laget om”が省略されてできた単語。Lagetは仲間の意、omは”もし〜だったら”という仮定表現で、もし仲間と分け合ったらという意味だ。

バイキングの人々が仲間と輪になって1杯のお酒を飲む際に多すぎず少なすぎず、『ラゴムな量で』と自分が丁度いい量を飲むことで、仲間と分け合っていたことに由来する。必ずしも全員が同じ量ではなく、その日のその瞬間の自分に合った量を、それでいて仲間に回る量を飲む。そんな意味だ。
そして、この”ほどほど”という意味合いは会話の多くの場面で使用される。天気がいいこと、ご飯の丁度良い量も”ラーゴム”である。日本語の”腹八分目”や”適量””ちょうどよい”などという言葉も似たような表現と言えるだろう。

Lagomが生活に浸透しているスウェーデンの人々の暮らし

そして、このLagomは単なる言葉や概念としてだけでなく、実際にスウェーデンの人々の個人の観念や普段の習慣に落とし込まれている。
例えば、スウェーデンを始めとする北欧の市場やレストランでは旬が来ると、とことん同じ食材で埋めつくされるという。5月から6月にかけてはルバーブの時期。市場には真っ赤な茎のルバーブが山積みされ、レストランでは見事なまでにルバーブのコンポートやケーキがメニューに並ぶ。同様に、秋はキノコ、冬は根菜類が市場やレストランのメニューが溢れかえる。よく言えば、季節を存分に満喫できる。しかし、どのお店でも同じメニューが並ぶとなると少々マンネリに繋がる恐れもある。だが、敢えてメニューを定番化させ“やらないことを決める”潔さによって無理のなさを担保しているともいえる。

無いものはない、東京のスーパーで見かける光景は利便性が高いという長所とも言える。しかし、選択肢があまりにも多すぎることは、時に選択肢を設ける側も選ぶ側も“適量”のバランスが分からなくなってしまいかねない。

他にも個人レベルの例えで言えば、クリスマスの過ごし方も“Lagom”の考え方が伺える。クリスマスイブから当日にかけて、スウェーデンの町中は完全にオフ状態となる。それ以前に開催されていたクリスマスマーケットの賑わいから一転。24日の午後には殆どの店は閉まり、両脇にプレゼントを抱えて人々は家に帰ってしまう。夏季に4週間の休暇を取る例も然りだが、仕事をする期間を決め“やらない事を決める”徹底ぶりからも“ほどほど”の浸透具合が見て取れる。

“ほどほど”にできず、ついつい頑張りすぎてしまう私達

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人に対しても、自分に対しても”ほどほど”を求められるスウェーデンの人々。生活の至る場面に、そして何より個人の観念として“Lagom”の考え方が浸透していると言える。とはいえ、日本にも”腹八分目”や”適量”という言葉や概念自体は存在する。しかし“無理をしすぎない”とか“休み休み”など、言葉としては存在するにも関わらず、ついつい完璧を目指しすぎてしまう傾向にある。概念としてLagomの存在はあっても、観念にまでは“ほどほど”は浸透していなさそうだ。

ともすると、日本にバイキングがいたら、自分にとっての丁度良さではなく、仲間の為“だけ”のほどほどを目指し、自分にとっての“Lagom”を無視した我慢大会、あるいは遠慮大会になる未来が容易く想像できてしまう。そこで、なぜ北欧の方々には“ほどほど”という概念が個人の観念にまで落とし込まれているのか。なぜ、自分に対して“ほどほど”を許容できるのかを考えてみる。

“休むこと”へのハードルと“挑戦すること”へのハードルが低い北欧

何故、スウェーデンを始めとする北欧の人々はLagomを自分自身に対しても許容できるのか。調べる中で分かった事として、北欧には「休むことへのハードル」と「挑戦することへのハードル」が低くなるような環境が存在していた。

そもそも、「 “ほどほど”な自分を許容する」という事はすなわち、 “頑張りすぎない”とも言い換えられる。そして“頑張りすぎない”状態でいられるというのは、⑴頑張れない時に休むことに抵抗を感じない、⑵頑張れそうなときに、挑戦に対して壁を感じすぎない、という2つの視点が大切であると考えた。

⑴ “休むこと”へのハードルの低さの事例

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スウェーデンの単語を幾つか調べる中で「休む時間」に該当する単語が多いことに気が付いた。
スウェーデン語には「居心地の良さ」を表す単語として、Mys(ミース)と呼ばれるものがある。そして、Mysと掛け合わせた幾つかの単語として「Frukostmys」(時間に追われることなく、ゆっくりと朝食を楽しむ)「Helgmys」(友人と集まるなど、充実した週末を過ごす)「Familjemys」(家族と過ごすための時間)などの事例がある。
「Fredagsmys」(金曜日の夜に、飾らない雰囲気でワインやおつまみなどを食べながら、家族や友人とリラックスする)はまさに「華金」と類似している。

“休む”というと、どこか後ろめたさを感じるのはきっと私だけでは無いはず。しかし、スウェーデンでは“休む”事を自分自身が居心地の良さを感じるための時間、とどこかポジティブな意味合いで使用される。また、そうした表現が多いことは自然と“ほどほど”を許容する心の持ちように繋がりそうである。
“休む時間”を設けて、何をしないかを決める。やらないことを切り捨てることは頑張りすぎることへの凪の役割を果たしてくれそうである。

⑵ “挑戦すること”へのハードルの低さの事例

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“頑張れそう”、そう思ったはいいものの、あまりにも挑戦への壁を感じると“ほどほど”の考えは何処か遠くへ吹き飛ばされてしまう。そうならない為に、「これなら自分でも出来そう」「無理しすぎずに取り組めそう」と思える環境があることは個人がLagomの考え方を持つことを後押しできそうだ。

このように “挑戦へのハードルが低い”事例としては、週末に頻繁に開かれる蚤の市への出店が挙げられる。有名な蚤の市であれば、プロによる出店のみとの制限が設けられている所もあるが、ローカルな蚤の市では出店へのハードルが低い。

例えば、ストックホルムで開催される1kmロッピス(蚤の市の意)では特定の通りのここからここまで、という風に特定の範囲に住んでいる人の出品のみを認めている。プロの出店を禁じることで、参加へのハードルを下げている。また、ヘルシンキで行われる蚤の市では、誰でも何処でも出店が可能。公園や遊歩道など、思い思いの場所で、自宅にある不用品を並べることが出来る。

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東京で蚤の市と言えば、代表例として“東京蚤の市”が挙げられる。しかし、出店条件や審査基準を鑑みるに “ほどほど”の気持ちでの出店はどうも難しい。しかし、スウェーデンの事例のように、該当の通りの住人であれば誰でも参加が可能と言われると、「ちょっと出てみる?」なんていう家族会議が各家庭で行われても不思議ではない。そうしてちょっと頑張って挑戦した先に楽しさや人との繋がりが生まれると、自分にとっての“ちょうどよい頑張り”を肯定できそうである。

そして、東京蚤の市ほどの規模ではなくても、小規模かつ参加ハードルが低めのマルシェや蚤の市は案外多く開催されているものだ。勿論、マルシェや蚤の市への参加はあくまで参考例に過ぎない。しかし、思ったよりも案外近くに挑戦ハードルが低い環境は存在するものである。いきなりホノルルマラソンに出ずとも、近隣で3㎞マラソンの大会が小規模ながらあるように、だ。

休むハードルが低いこと。そして、挑戦へのハードルが低いこと。なかなか国や地域全体の仕組みを変化させ、外部的な環境の全てのハードルを低くすることは難しい。

しかし“今日は敢えて凪の日にして、仕事ペースを控えてみよう”とか。夕飯を敢えて手抜きにしてしまおう”とか。やらないことを決めて自分の心が少しでも楽になるような選択をする。そんな風に、休むことのハードルをやや下げてみる。あるいは、何かに取り組むときはまず「今の自分」にできそうな事から取り組む。そんな心持ちでいる時間が少しずつ伸びれば。Lagomが、 “ほどほど”を単なる形骸的な単語や概念としてではなく、個人の心の中にまで浸透してくるのではないだろうか。

そんな、ほどほどの締まり具合で執筆を終え、今宵は余りもので作った夕飯にありつこうかと思う。

(参考文献)
北欧「ヒュッゲ」の次に注目したい、スウェーデンの「ラーゴム」な暮らし方 | Houzz (ハウズ)
ミース(Mys)とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
ヒュッゲ(Hygge)とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
「私にとって、ちょうどいい」が一番。スウェーデンの幸せ哲学“LAGOM(ラーゴム)”な暮らしの実践が1冊に!
ほど良く、ちょうど良く。スウェーデン人に学ぶ《ラーゴムな暮らし》のすすめ | キナリノ
Why The Swedish ‘Mys’ Is A Must In Your Vocabulary
西田孝弘 北欧の小さな大国「スウェーデン」の魅力150 雷鳥社 2018
森百合子 北欧ゆるとりっぷ 心がゆるむ北欧の歩き方 主婦の友社 2016
松浦真也 スウェーデン語の基本単語 三修社 2010

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