検索する

YADOKARIについて

お問い合わせ

レトロブームが来て久しいなか、父からこんなつぶやきを聞いた。「一昔前なら、テールランプを見さえすれば、すぐに車種がわかった。今はどれも同じで、つまらない。」昔の車は一台一台まったく形が異なり、テールランプの形や色もさまざまだったのだという。言い換えれば、「今の車にはロマンがない」とのこと…昭和生まれの父はそういうものの、平成生まれの私にはいまいちピンとこない。

それもそのはず、「車離れ」と叫ばれてこそいたものの、車から離れていると言われる若者世代は、車にトリコだった時代の人々を知らない。だから、自分たちと車の距離感が遠いのか近いのか、よくわからないのだ。昔の車って、そんなに面白い形をしていたのか?かつての若者の心をつかんで離さなかった旧車とは、どんなものなのか?その問いを解決するため、私は愛知県豊田市にあるトヨタ自動車博物館に行き、実際に旧車を見つめてみることにした。

旧車の突飛なコンセプトに心が動かされた

博物館をぐるっと回ってみて、父の言葉が腑に落ちた。二階建ての博物館にずらりと並んだ旧車は(誤解を恐れず言えば)どれもユニークなのだ。他社が大きな車を出してきたら、こちらも負けじと出す。自社のエンブレムやカラーをふんだんに使い、「このブランドの車に乗る」ことに個性を見出す。博物館に並んだ旧車たちには、今でいうファッション/着こなしのような、パーソナルな独自性を感じさせるものがあった。

なかでも私が心惹かれたのは、「それやってもいいんだ?!」と言いたくなるようなマニアックな旧車たちだ。コンパクトな車体と一つ目のランプが特徴的な2人乗りのフジキャビン(1955年)や、車両前方がカパッと開き、ハンドルをすり抜けて乗車するという特殊なデザインが目を引くBMWのイセッタ300。「いったい誰かこんなこと考えたんだろう」と思いながら、突飛な空間デザインや色あいに、ワクワクしてしまう自分を隠せなかった。

作り手のワクワクが、利用者に伝播していく

旧車を見てこんなにワクワクするのはなぜか?考えたところ、一つの仮説が出来上がった。それは、「作り手の想いが感じられる作品に、人は惹かれる」というものだ。先ほどの車の開発者は、「ライトが2つの車ばかりだから、ライトを減らしてみよう。」「前方が開けば、狭い道路の横幅を気にせずに乗り降りできるだろう」こんな感じに考えたのかもしれない。本当にそう思ったかはさておき、技術者の想いやこだわりが感じられる見た目に、心が動かされてしまった。

現代の車は、一部を除いて似かよった見た目のものが多い。技術革新により、空気抵抗が低く、安定して走行できる車の形が明確になったからだ。加えて、法律の範囲内に収まる大きさで、最大のスペースを生み出せば大衆によく売れる。このように、燃費や走行効率のよさ、売れる、売れないを考えると、出来上がるモノが似通ってくるのは自然なことなのだ。

誤解のないように言えば、現代の車が旧車に劣るということは決してない。現代の車に多く見られる、効率や安さ重視の思想は、私たちの生活を便利で暮らしやすくするのに大いに役立っている。現代の車が価値をもたらしてくれたからこそ、旧車の価値を再認識できるということも、忘れてはいけない。

効率的でも、安くもない。ムダにしか出せない「ロマン」がある。

旧車の魅力は、作り手のワクワクした気持ちが利用者に伝わることで伝播すると言えそうだ。そして、その「ワクワクする気持ち」は、効率や安さに必ずしもつながっている必要はない。


日常生活のなかで例えるのであれば、大切な人への贈り物を丁寧にラッピングしたり、テーマパークの景色の中にこっそりと小さなキャラクターが隠されていたり…といった、作り手の遊び心や想いが込められたもの、効率や安さという視点からすればムダとも取れるようなもののなかに、そのワクワクした気持ちは生まれるのだ。そう思うと、自分の身の周りには、たくさんのロマンがある。あれもムダ、これもムダと考えるより、「これはロマンだなあ」と捉えてみると、モノの意外な側面に気づけるかもしれない。

介護と聞くと、介護する側の苦労をイメージしてしまう人は多いだろう。実際に、近年の日本では、介護をするために仕事を辞めざるをえなかったり、認知症の家族から暴力を振るわれて心を病んでしまう人がいたりするなど、辛い話題が跡を絶たないのが事実だ。

介護している側の人間ばかりが大変。そのようにも感じてしまう介護だが、以前、こんな話を聞いたことがある。
「認知症の人がする徘徊は、不安を解消するために動いている」というものだ。認知症により、時代や時間があやふやになってしまっているのはその通りだが、本人は「会社に行かなくては」「家に帰らなくては」と、目的を持って外に出ていく。この動きを介護する側が「徘徊」と呼んでいるだけで、本人は自分なりに問題解決しようとしているのだという。だからといって外を自由に歩き回るのは難しい…。
実は、そんな「難しさ」を取り除いた仕組みが、オランダとフランスにあるという。

認知症患者とヘルパーだけでできた「夢の街」ホグウェイ

オランダの首都アムステルダムに位置する村「ホグウェイ」は、少しシニアの数が多いことを除けば、他の村と大きな違いはないように見える。実はこの村、規模を大きくした介護老人施設であり、村内にある施設すべてが認定された介護士、もしくはヘルパーなのだという。

少し外に散歩に行きたいという入居者は、一人で外へ出ていく。数時間散歩したのち、若い職員とペアで帰ってくる。買い物に行く先のスーパーで、とある認知症患者がモノを盗んでしまった。それでも、入居費用から後日差し引かれるので問題ない。

via:https://hogeweyk.dementiavillage.com/#NaN

居住スペースは、入居者のかつての暮らしに近いものを選べるよう、4つのテイスト別に分けられている。都会的なURBAN、国際色豊かなCOSMOPOLITAN、オランダの伝統を活かしたTRADITIONAL、ハイクラスな暮らしのFORMALだ。それぞれの棟で、3~4人の入居者と共に暮らしていくのだそうだ。

驚くことに、入居者のほとんどが重度の認知症患者であるにも関わらず、亡くなる数日前までは元気に過ごしているのだそう。認知症になると寝たきりになる、動けなくなるといったイメージは、ホグウェイにはないようだ。

「帰りたい」気持ちを昇華させる緑の箱?アルツハイマー村

フランスのダクスという街にある5ヘクタールもの大きな村。ここが、アルツハイマーの人たちがのびのびと暮らす場所だ。入居者120人に対し、その倍の数ほどの職員とボランティアがケアにあたっている。村の中は、どこにでもありそうなフランスの田舎の風景が広がっている。池があり、家畜がいて、歩くのに不都合そうな砂利道や傾斜もある。利用者の足腰を鍛えるため、あえてこういった障害も取り入れているのだという。

特徴は、居住棟のなかにある、深い緑色の形をした大きな箱だ。大人2人が入れるほどの大きさで、向かい合った座席はどこか列車を彷彿とさせる。

via:https://president.jp/articles/-/61961?page=3

この緑の箱は、入居者の中で「帰りたい」と感じた人が入り、「まるで帰っているかのような」気持ちにさせることで、帰りたいという気持ちを昇華させるためのスペースだ。窓にあるモニターには、走行中の列車から見えるような流れる景色が映り、本当に動いているかのような気持ちになる。ほとんどの入居者は、この映像を見て落ち着くのだという。

我慢せずに暮らせる環境づくり。日本は「地域の協力」からはじめていく

オランダのホグウェイや、フランスのアルツハイマー村のような施設を、日本に作るべきだと思う人もいるだろう。しかし、日本には「村を丸ごと作る」だけの土地がなく、実施することが難しいという。陸続きのオランダやフランスと違い、日本は島国で、その7割程度が山岳地帯。土地を切り開き、村を作り出すことに地理的な制限がある。
そこで、オランダのホグウェイや、フランスのアルツハイマー村の代わりとなる地盤づくりとして、日本では地域ぐるみの支援を広めようという動きがある。

2015年に厚生労働省が提唱した新オレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)。
そこには、「認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で、自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を目指す(引用1)」と明言されており、そのために学校や企業で、認知症を知ってもらうための活動が行われたり、90分の講座を受講して得られる認知症サポーターの養成に取り組んだりもしている。
これには、地域でシニアが暮らしやすいように、手すりやスロープを設置するといったハード面での対策も含まれている。

地域の一人ひとりが認知症に対し理解を深め、サポートできる体制づくりは、日本で認知症やアルツハイマー病の方、その家族が暮らしやすくなるための第一歩だと言えるだろう。とはいえ、地域の人たちに無償で理解を求めるだけではカバーしきるのは難しいかもしれない。部分的にでも他国の設備を取り入れたり、日本でも似たような大規模な村づくりを構想するのもひとつの手だろう。

認知症やアルツハイマー病といった名前がついても、その人らしさを尊重して暮らせるような環境づくり。我慢せず、したいことがしたいときにできる環境づくりが、理想論とは言われなくなるような日が来ることに期待したい。

 

参考サイト:

“その人らしく最期まで(後編)~4つの居住スタイル 蘭の「認知症村」”.なかまぁる

https://nakamaaru.asahi.com/article/14713781

“その人らしく最期まで(前編)~日本人初 仏「アルツハイマー村」訪問記”.なかまぁる

https://nakamaaru.asahi.com/article/14712230

引用1:”認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)”.内閣官房

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ninchisho_taisaku/dai1/siryou1.pdf

言い訳と聞いて、よい印象を抱く人は少ないだろう。「言い訳なんてしていないで…」、「言い訳をする暇があったら…」なんて言葉を聞いたことがある人も少なくないだろう。

大人になったら言い訳をしてはいけない、そんな思い込みにスッと入り込んできたのは、なんと、ことわざだった。記事の執筆を進めていた際にふと目に留まった、「アイスランドのことわざ」というページがきっかけだ。

少し古めかしい、堅苦しいイメージを持っていた私は、アイスランドのことわざの身軽さと面白さに驚いた。
そこで、日常で起こりうる困難に対し、言い訳の代わりに、ことわざ一つでサクッと乗り切るのはどうだろう、そんなアイデアが浮かんだ。

相手や自分自身を怒らせず、なるほど、と言わせるような説得力や、思わず笑ってしまい、相手を許せてしまうようなユーモアのあることわざは、周囲の人との人間関係をもっと豊かに、そして自分自身にもっとやさしくなるための必需品になるかもしれない。そんな視点で、今回は世界のことわざを2つ紹介していく。

相手の言っていることがさっぱりわからないとき。「私、山から来たもので」

私は、誰かと3人でいると、1人で余ってしまうタイプ。
だから、社会人サークルや地域の集まりに顔を出すと、何が悪いわけでもないのに余ってしまう。思い切ってほかの会話に混ざろうと思っても、相手に会話の内容を一から説明してもらう手間を考えて、なかなかトライできない。

説明してもらっても、わからないかもしれないし…なんて、言い訳を作ってはそそくさとその場を後にしてしまうこともある。

自分の知らない話なので、何を話しているのかまったくわからない。それなのに、何か意見を言う事を求められてしまった。そんなときに使えるのが、アイスランドのことわざ「山から来ました」だ。
自分は分からない、知らないということをユーモアを含めて伝えることが出来る万能な言葉。アイスランドでは、言い訳のようではなく、ことわざとして受け入れられているという。

「いや~、私山から来たからさ、そういうの全然わからなくて…!」

そっか、それならしょうがない!そんなユーモアに富んだやさしい返事と共に、ひとつひとつ意味を教えてくれる…そんなシーンを思い描いてしまう(使ったことはないのだが)。その場の人をクスっと笑わせることが出来たなら、たとえ自分が会話の内容についていくことが出来なくても、その場に受け入れられたような、そんな居心地がよさを感じられそうだ。

そして、相手に面と向かって言わなくても、会話が終わった後の自分に投げかけてあげることもできる。
「自分とあの人とでは、バックグラウンドが違うのだから、しょうがないよね」次また頑張ろう!

自信満々で作った料理が大失敗。「ま、最高の料理人でも豆を焦がすときはあるよね」

自宅でできる簡単スイーツといえば、ホットケーキ。「3ステップで簡単」「失敗なし」「お子様とつくれる」そんな宣伝文句がついていれば、料理が苦手な人でも手に取りやすい。なかでも自宅でできる簡単スイーツといえば、ホットケーキ。粉に卵と牛乳を入れ、指定の温度で決まった時間だけ焼けばふわふわのパンケーキが出来上がる。

そんなホットケーキだが、料理に慣れてきて、慢心したころに作ると、大失敗することがある。私も料理嫌いを克服しようと作ったホットケーキが、炭のような仕上がりになったときがある。それも両面。

自分は確実にできるだろう、そう思っていたものが失敗したとき。慰めというよりは、そんなことあるさの精神で言えるのがスペインのことわざ、「最高の料理人でも豆を焦がす」だ。
「最高の料理人」という、はるか上の存在を例に出すことで、自分の失敗をちっぽけなものに思わせてくれるところにやさしさが感じられる。日本語にも似た意味の「弘法も筆の誤り(優れた書人の弘法大師でも字を誤ることがある)」という言葉があるが、最高の料理人~のほうがより親しみやすく、日常で使いやすいのもポイントだといえるだろう。

先人の知恵が詰まったことわざ:失敗を笑い飛ばす「余裕」を生み出す

シリアスに捉えてしまいがちな失敗やミスに対し、その突拍子のなさで笑いに変えてしまう。
ことわざには、そんなのパワーが備わっている。
それも単なる持論ではなく、先人たちの経験と知恵が生み出した言葉なのだから、計り知れないパワーだろう。

情報が増え、失敗しないためにいろいろなものを先回りして学ぶこともできる今の世の中は、昔よりも過度に失敗を恐れる雰囲気があるように感じる。商談や恋愛という大きな枠組みはもちろん、雑談やランチの店選びという小さなレベルでも、実際に失敗をしてしまったときのショックや失望感は大きい。

そんなときこそ、先人の知恵を借りる。
自分を責めたりするのではなく、突拍子のないことわざを投げ込み、シリアスなムードのなかでも「プッ」と笑いそうになる雰囲気を生み出してみよう。
他人と接している時だけでなく、自分自身に対して言うのでもいい。一つの失敗を深く反省することも大事だが、たまには笑い飛ばして忘れてしまうほどの適当さも必要なのかもしれない。

 

参照サイト:

金井 真紀”おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った”

https://www.iwanami.co.jp/book/b616712.html

ICELAND MARKET”アイスランドのことわざ”

https://iceland-market.com/magazine/history/4606/amp/

ベトナムの路上カフェ文化

ベトナム・ハノイの旧市街を歩く。
数時間街を散策していただけで、他の都市とは異なる、ある特徴に気づいた。それはベトナムには、道のうえで営業する「路上カフェ」や「路上飲食店」が非常に多いということだ。

車やバイクが行き交う道路にはみ出して、簡易的なステンレスのお盆とビール瓶ケースで作ったテーブル、そしてプラスチックの椅子が並んでいる。店は開放的な造りで、お客さんは、道路の端でご飯を食べたりコーヒーを嗜んだりする。

ベトナムでは、フランス統治下時代にカフェ文化が広まった。その名残で、都市部でも路上カフェや路上飲食店がまだ多く営業をしているのだそう。

日本だと公共物の道路の上で、ご飯を食べるなんてなかなかない光景だ。
しかし見方を変えてみれば、道は「みんなの物だから使ってはいけない」のではなく、「みんなの物だからこそみんなで使う」という考えでも良いかもしれない。

それも納得できる。確かに、気軽に立ち寄れることができる路上飲食店は、街の人々の社交場としても機能している。カフェや飲食店に「お邪魔している」という感覚は少なく、 “自分に属する場所”の範囲が、街の上にグッと拡張する感じがあるように想像できる。

独立記念日の賑わいの中で

9月2日、ベトナムの独立記念日。
旧市街の中心地は、歩行者天国ならぬ、飲食店天国となる。
街はお祭り模様で、屋台が賑わっていたり子どもたちが風船を持って走り回っていたりと、微笑ましい光景が続く。

夜になるといつもは道の端に寄っている飲食店も、交差点の真ん中ギリギリまで、テーブルと椅子を広げる。まるで街全体が、一つの食事処になったようだ。

(車やバイクは渋滞がひどく、人々の横をスレスレで猛スピードで通行していく。が、一旦その問題は置いておこう。)

家族や友人同士、観光客などが雑多に道の上に集まり、それぞれ思い思いにご飯を食べて時を過ごす光景は、なんとも幸福に溢れている。大音量でカラオケを流してノリノリに踊っているグループもいる。

道を歩いているのも、ご飯を食べているのも、隣り合わせになっていてそこには明確な境界線はない。そのごちゃまぜな感覚が、なんとも心地よい。

道という公共物の上で、そんな混沌の中食事をとっていると、不思議と自分がここにいてもいいのだと思えるのだった。

食事を通して、街と自分の身体が一つになる

横の席の人と肘がくっつくような距離感でご飯を食べていると、日本では味わえない、なんというか……この土地・ベトナムでも、何らかの形でどこか人と繋がっていて、私は一人でなく全体の一部なのだ、という“共同体感覚”を得られる。

社会学者・宮台真司が著書の中で、昭和の子どもたちには大人数で大縄跳びをしたり鬼ごっこをしたりして、人々が「一つのアメーバになる」感覚があったと表現したが、まさにその感じだ。

また食事というのは、人間の営みの中で重要な意味を持つものだ。
時々「食事をする姿は人間くさくてあまり他の人に見られたくない…」なんて言う人もいるが、それにはいわゆる “本能的な姿”を見せるのが恥ずかしいという気持ちが一部あるのだろうと思う。

しかし人前でガツガツと食欲のままに、丸焼けのチキンを齧っていると、自分はただの “一つの身体”であると感じる。そして自分が生きていることを実感し、なんだか自分自身の生そのものを肯定できるように思う。食事を通して、街と自分の身体が一つになっていくような感覚すら覚えるのだった。

ビールとニワトリの足を胃袋に入れながら、道路の上でただ街を観察する。

現地の人々のお喋りをする声、フライパンで揚げ物をする音、バイクが街を駆け抜けるエンジン音、どこからか聞こえる工事の音、人の色々な足音…….そんなものに耳を傾ける。

街はひとときも私を退屈させない。

普段私は、バスや電車に乗って、流れていく街の風景や人々を眺めるのが好きなのだけれど、道の上から自分が止まった状態で、ミクロな街の風景を眺めるのは逆の感覚がある。そして、それはなんとも楽しいということに気がついた。

ベトナム・旧市街。バイクや多くの人々が行き交う道の上で、食欲のままにご飯をかき込む。
そこで感じたのは、大きな共同体感覚と不思議な安らぎだった。

心地よいさざ波に癒され、潮の香りで包まれる。あなたはそんなビーチサイドでの暮らしに憧れがあるだろうか。
オシャレな生活や心身を癒す環境を求めて海沿いに家を建てる人も多いだろう。そんな中でイメージされやすいのは、長い板を重ねた外壁にカラフルな差し色があるような外観、広いウッドデッキ、フローリング、そして三角屋根のアメリカンビーチハウスだ。

アメリカンビーチハウス一例


パラパ一例


しかし今回皆さんに知ってほしいのはメキシコの伝統建築である「パラパ」だ。聞き馴染みもなく、イメージも湧かないだろう。乾燥したヤシの屋根(かやぶき)を使用しているものだという。日本では茅葺系の屋根がある家というと山奥にある住居の印象があるかもしれない。しかし実はビーチサイドハウスにピッタリな性能を持つ住宅構造なのである。またウェルネス、ウェルビーングが注目される今、人々の心身や自然にコミットした環境を与えてくれる住居としてもパラパが再注目され、現代の建築技術やデザインで活用されているらしい。

果たしてどんなメリットがあり、海と共生できるビーチサイドライフを日本人に対してどのように提供してくれるのか、現地メキシコの建築例を見ながら探っていこう。

「パラパ」にはどんなメリットがある?


パラパは特にメキシコのユカタン半島でよく見られ、長年地元の人々を雨と太陽の両方から守ってきた。そもそもパラパは、乾燥させたヤシの葉を3重ほどに重ねた三角屋根とオープンな部屋の作りが大きな特徴である。主に注目されているメリットとして「自然換気」「自然光」「湿度」「室温」「耐久性」などが挙げられる。

ヤシの屋根は雨風を防ぎながら屋外の新鮮な空気を取り込み、また熱気も逃がしてくれる。また強い日差しを遮りつつ自然光を取り込んでくれるため、寒すぎたり暑すぎたりする室温の調整もできるのだという。そもそもが丈夫な素材であるため耐久性に優れ、適切にメンテナンスをすることで何年も長持ちしていく。

パラパは持続可能で自然を有効に取り入れる性能に優れているが、そのルックスや無垢材の香りもリゾート感を演出し、リラックス空間の中で過ごすことができる。更に海や自然を身近に感じるのにピッタリな住居なのだ。続いては、パラパを利用した現代の建築にどんなものがるか、メキシコの建築例を見ていこう。

プンタ カリザ ホテル/ホルボックス

https://puntacaliza.com


メキシコはホルボックス島の海岸近くにある「プンタ カリザ ホテル」。
このホテルの大きな特徴は、どの客室もプールに隣接している点である。
建物の中心部にプールがあり、どの部屋からでもアクセスできるのだ。プールから上がった状態でも休める客室は、無垢材で造られたパラパで全ての屋根が茅葺きで覆われている。ホテルで使用されている木材はすべて30年以上前にホルボックス島で植えられたもので、元ある周りの植生や自然を尊重するためにも建設には地元の材料が活用されているのだという。

パラパと海を連想させるプールの存在によって、環境建築と自然とが調和するようにデザインされている。屋外と屋内の空気や気温、雰囲気を調和させることで、ストレスのない完全なリラクゼーション空間を作り出した建築例のようだ。

エル ペルディド ホテル

https://visi.co.za


続いてはメキシコはエル・ペスカデロにある「エル ペルディド ホテル」。こちらも海岸沿いの街にあるホテルだ。
伝統的な建築技術と材料を使用した、版築壁(はんちくかべ)と茅葺き屋根が特徴である。版築壁は砂や粘土などを混ぜたものを固めて作られる。耐火性、通気性、熱を吸収する能力に加えて遮音性にも優れており、サステナブルな建築に適したメリットがあるという。

ヴィラにはむき出しの木材フレームと手作りの木材仕上げ、茅葺きで覆われた木切り屋根、版築壁によって、夏に受動的冷却、冬には受動的暖房ができる構造。ビーチサイドハウスとして家にも住人にもストレスの無いよう、敷地内の温度、降水量、湿度、風、日射入射が細かく計算されているようだ。
地元地域の生活様式を尊重しながらも、現代の技術と知識によって内外の透過性が高くなった建築例である。

“パラパ”がある生活は日本人と海を更に繋げる

https://images.adsttc.com


これらの建築例を見てみるとパラパは地元材料を使用し持続可能な材料で造れることでも注目されている。茅葺屋根だけでなく、壁や床なども持続可能な素材を使用することが多いようだ。特に版築壁を使用すれば茅葺屋根の性能をサポートするだけでなく、耐火性や遮音性までも補ってくれる。

今回ホテルを主に取り上げた理由は、ホテル利用者が心身ともにストレスなく過ごせるように利便性だけでなく、リラクゼーション、ウェルビーングな視点からも抜け目なく設計デザインされているからなのだ。パラパのメリットは多々あるが、それらの性能を通して屋外と屋内を繋げるような空間を作り出せるところが大きな魅力。塩害、寒さ、暑さ、湿気などの対策をすれば、ビーチサイドライフも可能になり、環境にも人にも優しい住宅で過ごすことができる。

私たちにとって馴染みがあり、深い安らぎをもたらす茅葺屋根とともに、
心身を癒し、環境へもやさしい、そんな海と共存するビーチサイドの生活を取り入れてみるのはいかがだろうか。

【参考】
ヤシの屋根とわらの屋根:その可能性を探るメキシコの例
ゾザヤ・アルキテクトスは、乾燥したヤシの葉を備えたメキシコのビーチハウス「カーサ・ラ・ヴィダ」の上に立つ
プンタ カリザ ホテル ホルボックス
隠された楽園を発見:プンタ カリザ – 建築と自然が融合する場所
プンタ カリザのブティック ホテルにマヤ建築を様式化
エル ペルディド ホテル
エル ペルディド ホテル、エストゥディオ ALA

定年退職によって、課長や部長といった会社での役職を失う。子供の自立に伴って、家庭での役割を奪われてしまう。すると、自分の役割どころか、自分の生きる意味、生きる場所すら失ったように感じ、ひどく落ち込んでしまう…こんな心の病に苦しむ人もいるほどだ。

そんな「何か大きな役割を終えた人」のその後を描くマンガが今増えている。若くして冒険の旅に出るわけでも、サラリーマンが異世界で無双するわけでもない。マンガの主人公は、なんと80代中心のシニア層なのだ。

役職や役割を終えるのは、次を探すチャンス

マンガの主人公の抱える背景はさまざまだ。会社役員を夫に持ち、炊事洗濯から身の回りのお世話すべてをやってきた女性。小説家として一世を風靡したが、80を過ぎて同居する息子夫婦とソリが合わずに悩む女性。夫に先立たれ、娘は外国へ嫁ぎ、3世代住宅に一人で住む女性。100%自分にあてはまるわけではないけれど、どこか親近感を覚えるヒロインたちは、全員80代だ。

全員に共通していたのは、「この歳じゃあ、もうね」という、自分と未来への諦観だ。どの女性も、妻として、母として、職業人として、やるべきことを全うした、はずなのに、どこか空虚でさみしい気持ちになる。マンガの展開を通し、その気持ちを突き詰めた先にあったのは、次のステップに進むこと、挑戦を続けることなのだった。

これまで当たり前にこなしてきた仕事や役割がなくなると、自分の存在価値が揺らぐ。揺らぐのならば、次を見つければいい。それに制限や限界なんてない。そんな「誰もが抱える悩みのその先」を照らすようなシニアヒロインの存在が、今続々と出てきているのだ。

生きるための仕事から、したい仕事へシフトチェンジ

老いたことを逆手に取った生き方もある。”海を走るエンドロール”の主人公うみ子は、65歳。年金が受け取れる年齢であることや、先だった夫が残した貯金、持ち家など、10代や20代よりも金銭的な余裕がある。だからこそ、65歳で映像系の大学に入学する、という決断ができた。

生きるための仕事をこなす必要があった、20代から50代ごろには選べなかった道。「年を取ったから、これくらいしかできない」ではなく、「このタイミングだからこそできること」に注目しているのがポイントだ。これは「シニアでもできる仕事」という従来の仕事観を覆す、大きな動きだといえる。

「シニアであること」が一般化していく流れ

かつて、マンガでシニアを題材とすることは異例で、取り上げること自体が注目される理由にもなっていた。しかし、近年、多様な漫画が続々と出ているなか、良い意味でシニア漫画は普通になってきている。シニア漫画内では、老いを取り上げることはあるが、それ以外の要素を中心にすることが増えているのだ。

“傘寿まり子”は起業や採用の難しさを、”海を走るエンドロール”は映像制作の苦しみをまるっと描いている。そこに、「歳を重ねているから」が言い訳として入ってくることはない。誰が取り組んでも難しく、苦しいことに取り組む人が、たまたまシニアだった…そんな描き方だ。老いを特別視しない流れは、シニア漫画という動きが、新たなジャンルとして人々に定着しつつあることを物語っているといえるだろう。

人生の後半を自分らしく生きる

役職や役割を終え、また次の何かを探す。次の何かは、家族のため、キャリアのため、社会のため、そういった探し方ではなく、「自分が本当にしたいことはなにか」、「自分が一番幸せを感じられることは何か」そんな探し方でもよさそうだ。そう表現すると、定年後や子どもの自立後に訪れる人生が、なんだか急に自由で、ワクワクできるものに見えてくる。

もちろん、仕事でなくても、趣味やボランティアといった形で楽しみを見つけるのもいいだろう。何の制限もない「次は何をしようか」がひしめくシニアライフは、若い時と変わらないくらい充実したものになりそうだ。

 

参考サイト:

西 炯子”お父さん、チビがいなくなりました”

“https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784091792976

おざわゆき”傘寿まり子”

https://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000028668

たらちねジョン”海を走るエンドロール”

https://landing.akitashoten.co.jp/endroll/

鶴谷香央理”メタモルフォーゼの縁側”

https://comic.webnewtype.com/contents/engawa/

 

一人、ピアノマンの記憶にふける朝

バリ島、モーニングにしては少し遅くランチにしてはまだ早い時間。

一人でスミニャックビーチ沿いのカフェに立ち寄った。オーダーしたのはトーストとトニックウォーター。

こじんまりとした店内でぼうっと考え事をしていると、BGMがBeach boysの曲からBilly Joelの “Piano man”に変わっていたことに気がついた。

その瞬間、私の頭の中には、ある記憶が思い起こされていた。

それは今、この瞬間まで一度も思い出すことのなかった記憶だったのでとても驚いた。

photo by writer

それは約3ヶ月前の、沖縄のゲストハウスでこの曲をピアノで弾き語りながら歌っていた人の記憶だった。

暑い夏の日、昼下がり。

彼は、その日だけ宿泊したゲストハウスのお客さんの一人で、普段はシンガーソングライターとして活動していると言っていた。

リビングルームの横にあるピアノに腰掛け、彼は唐突にこの”Piano man”を歌いだしたのだった。

周りには誰もいなかった。その横のキッズルームにたまたま居合わせた私に、気づいていたのかどうかも分からない。

ただ真っ直ぐに、彼は歌っていた。「そこにピアノがあるから弾いているだけだよ」というみたいに。

しかし彼はまさに、正真正銘のPiano manだった。

ピアノの鍵盤を強く叩く音と、その喉から震え出る声。まるで、身体がピアノと一体になっていくような圧倒的な力を持っていた。

誰にも注目されず、この切ない曲を歌っているその光景が、その歌声が、心の奥底に深く残っていたのだろう。

He says, “Bill, I believe this is killing me.”
(彼は言う。「ビル、もう俺はうんざりなんだ」)

As the smile ran away from his face
(そして彼の顔から笑顔が消え去った)

“Well I’m sure that I could be a movie star.
(「俺は映画スターにだってなれると思うんだ。)

If I could get out of this place”
(この場所から出ていくことさえ、できればね。」)

Oh, la la la, de de da

La la, de de da da da……

彼の名前は残念ながら覚えていないのだけれど、その揺れる背中を、その声を、このバリ島の朝に思い出すことができる

それはなんて素敵なことなのだろうか、と思った。

カフェの店内に流れている”Piano man”を聴きながら、歌詞の意味や、映画スターになれなかった私の過去の夢について、また沖縄で出会った人々のことを考えた。

こうやって、音楽と、土地と、出会った人々と、過去の記憶が繋がっていく……。

自分の中に無意識にしまいこんでいた記憶も、ふとした瞬間に思い出すことができる。

まるでこの時、この場所で、後ろを振り返れば、今まで出会った人やその時の思い出がそのままそこにあるような

だから、たとえ今は一人きりでいたとしても、いつでも過去に出会った人々がそこにいるような心強い気持ちになれた——そんな不思議な朝の出来事だった。

▽原曲はこちら

サヌールの朝日を眺めて気が付いたこと

その翌週、私はサヌールというバリ島の西側の地域に赴いた。

サヌールは「バリ島リゾート発祥」の地とも言われる、歴史あるリゾート地だ。今では観光客の数は少なくなってきているが、朝日が綺麗に見えると有名で、長期滞在をしている人や現地の人がよく訪れる。

まだ辺りの暗い、朝5時過ぎ。私はホテルの部屋を静かに抜け出して一人、海辺まで歩いていった。

真っ暗な街並みはどこか他人行儀でよそよそしく、足を出すスピードは自然と早くなる。海岸に近づくにつれて、人がまばらに現れたことに心底ホッとするようだった。

海辺は、朝日を見ようと来た観光客や地元の人ですでに賑わっていた。

朝日が昇るまで、時間はゆっくりと過ぎていく。

この時間が、たまらなく愛しい。様々な言語で喋る人々のおしゃべりを聞きながら、辺りを包む光がぼんやりと明るくなっていくのをただ、観察していた。

そして、朝日は目の前から昇ってきた。

太陽は、じんわりと辺りを照らしながら真っ直ぐ地平線から昇ってくる。

その神々しさに、思わず息を呑んだ。最初はピンク色の淡い光が、穏やかな黄色へ、それから濃い橙色へと変わっていく。

雲の間から顔を出す、その光の色合いの移り変わりによって、辺りの空気もまるっきり変えていくようだ。

photo by writer

ずっと太陽の中心を見つめていると、目が痛くなってくる。

それでも、辞められない。太陽の光と色は強烈な美しさを纏っていた。それに見惚れてしまった私は、まるで囚われた人のように全く動けなかったのだ。

橙色の光がさらに濃くなっていくと、太陽の光によって、海の上に美しい一本の筋が出来た。

その光筋は海の上で、波の動きによってその形と色を微妙に変える。これを私は「太陽に続く道」と呼ぶことにした。

photo by writer

その道筋は、真っ直ぐと私の足元に向かって伸びていた。

このまま海の上を歩いてその道を辿って行くと、その最後にはきっと天国に行けるに違いない。

「もっと少し光筋が真っ直ぐに見えて、綺麗に写真を撮れる場所を探そう」と腰を上げた次の瞬間。私は我に帰り、自分の無意識を恥じると同時に、当たり前のことに気がついた。

この「太陽に続く道」は、すべての人に真っ直ぐ続いている道なのだ、と。

光の筋は、小さな波があることで波の面で反射されてこのように見える。

そしてその一本筋は、光源(太陽)と人の視点を結んだところの海の上にできる。だから、場所を移動したって、この道筋はどこまでも私を追いかけて、真っ直ぐに伸びてくれるのだ。

また勿論、私にだけそうなのではない。

横にいるあの家族にも、後ろにいるカップルにも、そして私にも、この光の筋は平等に真っ直ぐ伸びているのだ——。

その当たり前の事実に、私はその瞬間、なぜか限りない勇気をもらっていた。

photo by writer

ホテルへの帰り道は、来た時と反対に自然と足の歩みがゆっくりになっていた。

まだ部屋に帰りたくなくて、わざと別の道路を通ってみる。

太陽に続くその平等で圧倒的な美しさを前にしただけで、これまでの人生で歩んで来た道も肯定されたかのような、あたたかい気分になっていた。

旅の最中に考えること、その意味について

旅先では特に、ずっと頭をフル稼働させているように思う。

いわゆる「何も考えずにぼーっとする」なんて時間はほとんどなく、基本的にはずっと何かしらの事象について考えを巡らしてしまう。だから、疲れてしまうこともあるのだけれど。

また冷静に考えると、どこの土地でも大体似たようなことを考えている。バスの中でも、飛行機の上でも、朝日や海を眺めていても。

考えるのは、自分自身のことや過去のこと、今まで出会った人々のこと。

眺めている景色によって、そこに時々街の景色についての気づきや、物事についての新しい解釈や発見が加わる。

そうやって見ず知らずの景色の中、自分の思考にじっとりと沈んでいく感覚が好きだ。

たとえ当たり前なことでも、側から見るとすっとんきょうな繋がりでも、旅先での発見は自分にとって何か深い意味があるように感じる。

スミニャックで思い出したPiano manの記憶、そしてサヌールで発見した「太陽に続く道」。それらの記憶は旅先のどんな景色よりも、私の心に強く刻まれるだろう。

photo by Nanami Kawaguchi

副業が浸透しパラレルワークをする人が増えている。しかし、あくまでサブの仕事という位置付けであり、自信を持って肩書きとして名乗るには少し気が引けてしまうのではないだろうか。

私はデンマークのフォルケホイスコーレという学校で、「先生」かつ「ジャーナリスト」、「写真家」、「映画ディレクター」と専門性の高い仕事を組み合わせた働き方をする人たちと出会った。彼らの情熱はどちらか一方に傾いているわけではなく双方に向けられていた。
副業にとどまらない、肩書きを複数持つ働き方の可能性を3人の先生へのインタービューを通して伝えたい。

新しいことへの出会いと挑戦。フォルケホイスコーレ流の学び方

photo by Nanami Kawaguchi

フォルケホイスコーレとは北欧独自の教育機関。デンマーク人の教育、哲学者であるグルントヴィが「すべての人に教育を」というコンセプトのもと創設したことが始まりだ。
アート、スポーツ、福祉、哲学など特定の分野に特化した学校が多い。しかし、入学試験や成績評価はなく、大学進学前に自分の興味を探求したい若者や人生半ばで新しいことに挑戦したい人など、あらゆる方面に門戸が開かれている。
それゆえ、フォルケホイスコーレの先生は高い専門性はもちろん、教育者として生徒を育む心意気も必要とされる。

現役のラジオジャーナリスト Esben Kvist Lundさん

photo by Nanami Kawaguchi

第一回目はOdder Hojskoleで「ジャーナリズム」、「コミュニケーション」、「Podcasts」の授業を担当するラジオジャーナリスト、Esben Kvist Lundさん(取材時28歳)の働き方を紹介していきたい。

Esbenさんは高校卒業後、将来何がしたいのか分からず3年間のギャップイヤーを取得。旅をしたり、自身もフォルケホイスコーレに通ったりする中でメディアについて学ぶことを決めた。
大学の専攻と仕事が直結しやすいデンマークでは、多くの人が将来についてじっくりと考えるためのギャップイヤー(余白期間)を過ごす傾向にある。

photo by Nanami Kawaguchi

悔しくも高校の成績が希望する大学に届いていなかったが、実用的にジャーナリズムが学べる専門学校に通うことにした。
在学中に1年間の国営放送局でのインターンを経て、同じ職場に就職。元々ラジオを聞くことが大好きだったためラジオジャーナリストの道を選んだ。

フォルケホイスコーレの仕事に出会ったのは、ジャーナリストの先生を募集する求人を偶然兄が教えてくれたことだ。教育についての知識と経験はなかったが挑戦することを決め、見事合格。2022年の秋からフォルケの先生とフリーのジャーナリスト、二足の草鞋を履いて働き始めた。

やりくり上手に働き方をカスタマイズ

「こんな多忙そうな仕事をどう両立しているの?」という疑問が浮かぶのではないだろうか。詳細を聞いてみると、意外と難しくはなさそうだ。

現在の主な収入源はフォルケの先生。デンマークではフルタイムの仕事は1週間で37時間勤務が基本だが、Esbenさんはフォルケでの仕事を全体の65%程度(約24時間)に抑えている。勤務は曜日固定のため、授業がない日にラジオ局から受けた仕事をこなす。

業務内容は取材の許可取り、他の取材者のサポート、音声の編集など。メインで取材をするというよりは時間を問わずできるサポート業務が多い印象だ。
しかし、今まで「ロード・オブ・ザ・リング」の著者や政治家など著名人へのインタビューも担当したことがあり、普通はできないような体験ができることに魅力を感じているそうだ。

楽しむ秘訣は良い塩梅

photo by Nanami Kawaguchi

仕事は好きかと問うと、彼の答えは「もちろん!」だった。特に今の働き方はバランスが気に入っていると言う。
ラジオジャーナリストとしてフルタイムで働いていた頃は、日々のタスクや締め切りでストレスを多く感じていた。しかし、フォルケホイスコーレの先生という新たなエッセンスを加えたことで、自分の専門性を活かしながら余裕のある働き方を実現させた。

日本では専門性が高い職種ほど「こうあるべき」という固定観念が強すぎるのかもしれない。それぞれができることを活かして仕事を分け合うことによって、ストレスレスかつ幅広い仕事に挑戦できる可能性が広がりそうだ。

[参考]
・一般社団法人IFAS フォルケホイスコーレとは

フォルケホイスコーレとは

長年イヤというほど騒がれてきた、日本の高齢化問題。とうとう2025年には団塊世代(1947年~1949年生まれ)が75歳以上の後期高齢者になるという。少なくとも国民の5人に1人は後期高齢者になるという分析もある。いわゆる“超高齢化社会”が、到来するのだ。

社会保障費の増大や労働人口の減少なども問題視されているが、今回は日本社会での独居率について着目したい。

ある調査によると、2025年の1人暮らし世帯は1996万世帯に上ると推測されている。10年前の2015年から8.4%増える形だ。6人に1人が一人暮らしをしている計算になる。中でも、80歳以上の単身世帯は2015年からなんと34%増の223万人になりそうなのだとか。理由の一つは、やはり子どもとの同居率の低下のようだ。

しかし決して、高齢化の闇をつらつらと挙げて暗い未来を描きたいわけではない。超高齢化社会の中でシニアとどう“共生”していくか。それがこの記事のテーマだ。

実は、高齢化社会に悩んできた国は日本だけではない。

例えばフランス。

フランスでは、2040年に人口の15%が75歳以上になると推測されている。そんな状況の中、世代を超えた“共生”の形が注目を集めている。

生きかたを、遊ぶ住まい「YADORESI」や、入居者のクリエイティブ最大化をコンセプトとする「ニューヤンキーノタムロバ」など、暮らしにまつわる個性豊かなシェアや共生社会の在り方を探求しつづけているYADOKARI。今回は、世界の多様な「シェア」のカタチを紹介していく。
 

シニアと若者が、ともに暮らす

by Andrea Davis(via:https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/VOWXF7lsAN0)

まずは、異世代型ホームシェアリングについて。

NPO法人が中心となって支援し、世代を超えた共同生活が実現している。その代表例が、パリソリデール。2004年に設立された、高齢者と若者をマッチングさせる団体だ。具体的には、高齢者が住む家の部屋を、若者にリーズナブルに貸し出す。その代わりに、若者は一緒に食事したり家事を手伝ったりしながらともに暮らすシステムだ。

こういった取り組みが始まったきっかけは、2003年夏にヨーロッパを襲った記録的な熱波だと言われている。猛暑の中、フランスでも約15000人が命を落とした。その多くが、一人暮らしの高齢者だったという。

誰かが見守っている、誰かと注意しながら暮らす。身寄りのないシニア世代が誰かと暮らすことで、安心感や楽しさを両方味わうことができそうだ。

実は日本国内でも、パリソリデールのような取り組みが始まっている。例えば京都府の京都ソリデール、同じく京都府の学生街である京田辺市の運営する京田辺ソリデールなど。“異世代ホームシェア”として、高齢者と若者の交流、そして支え合いを後押ししている。

 

あえて、一人暮らしを支える

by Dan Gold(via:https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/aJN-jjFLyCU)

一方で、フランスでは気ままな一人暮らしを望むシニアも多い。

暮らしとしては一人でも安心できるように――。そんなシステムを作り出したのは、民間企業グラニー&シャルリーだ。2020年に発足した同社が展開するのは、学生を中心とした若者(シャルリー)がアルバイトとして、高齢者(グラニー)の医療介護を除いた生活を支援するサービス。

同社のホームページに書かれた3つのテーマをGoogleの機能で日本語訳すると、「世代間の社会包摂への貢献」「老化に対する見方を変える」「社会的孤立との戦い」と表記される。まさに、日本でも他人事ではない課題だ。

こういった若者が高齢者を支援するシステム。こうした取り組みは、まだ日本にはないものか……。

いや、始まっている。着目したのは、またもや京都だ。

学生が高齢者の家を訪問するサービスまごとも。暮らしのサポートはもちろん、会話や犬の散歩などをともにして、学生が高齢者と同じ時間を過ごす。高齢者と離れて暮らしたり、介護疲れで悩んだりする家族の支えにもなっているようだ。運営するベンチャー企業は、京都市の介護予防・日常生活支援総合事業における教育認定機関となっている。

 

by hillary peralta(via:https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/dtgSAJVSqv8)

血が繋がっていなくても、普段の暮らしでともに時間を過ごし、時間や心を繋げることはできる。フランスの共生文化を紐解けば、高齢化が進む日本でも参考になるアイデアがありそうだ。

 

【参照元】
※https://以降のURLを記載
www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/tyojyu-shakai-mondai/koreisha-dokkyomondai.html
www8.cao.go.jp/kourei/
www.nippon-foundation.or.jp/journal/2023/89142/health_aging
www.mizuho-rt.co.jp/publication/contribution/2018/yosensha1808.html
www.ipss.go.jp/pp-ajsetai/j/hprj2018/t-page.asp
toyokeizai.net/articles/-/368845
www.leparisolidaire.fr/
www.pref.kyoto.jp/jutaku/jisedaigeshuku_kyotosolidaire.html
k-coop.jp/tomozumi/kyotanabe/
k-coop.jp/tomozumi/kyotanabe/blog/le-pari-solidaire/
fujinkoron.jp/articles/-/8562
synodos.jp/opinion/international/20078/
medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/hotnews/archives/295721.htm
grannycharly.fr/
www.designstoriesinc.com/europe/granny-charlie/
whicker.info/

【アイキャッチ画像 参照元】
by arty(via:unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/FoPARf1hQY8)

◉YADOKARIが手掛ける「シェア」する住まい、入居者・コミュニティビルダー募集中!


●ニューヤンキーノタムロバ
京急本線「弘明寺駅」から徒歩3分。「個人のクリエイティブ最大化」がコンセプトの共創型コリビングで、居住は一年間の期間限定。選考で選ばれた入居者が集い暮らしながら自身をアップデートし共創していく、革新的な住まいです!


●生きかたを、遊ぶ住まい「YADORESI(ヤドレジ)」
全22部屋の個室(1R・シャワーブース・トイレ付)と、各個室に付帯し小商いや自己表現が可能な「はなれマド」、リビング・キッチン・ランドリールームなどの共有部から構成されており、個性豊かな住人が集い暮らしながら、新たな自分と生き方の選択肢を探求・挑戦できる住まいです!

YADORESI見学予約はこちら

「毒を以て毒を制す」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。悪を除くのに、また他の悪を利用することの例えだ。これと似たような意味合いで、世界には陰謀論や突飛な主張に立ち向かう動きがあるのをご存じだろうか。

「鳥は政府が放したスパイ」と主張する人びとは、その説をまったく信じない

#Bird’s Aren’t Real(鳥は偽物だ)という主張をご存じだろうか。この主張は、空を飛ぶ鳥が政府が放したスパイであるということを意味し、上空を飛ぶドローンのように、私たちの生活や軍事施設の内部を覗いているというのだ。
このハッシュタグが広まったのは、コロナ渦が始まってすぐの2021年ごろだった。スマホの普及とコロナ渦での外出制限が、SNSなどを通じた陰謀論の急激な拡散に拍車をかけていた頃だ。

こんな嘘のような主張が本当に受け入れられるのだろうか?そう思う人も多いだろう。しかし、実際には数百人程度の人が集まって大きな旗を振り、Bird’s Aren’t Realと叫んでいたというから驚きだ。

via:https://birdsarentreal.com/cdn/shop/files/Lifestyle_Closeup_720x.jpg?v=1613186868

実は、「地球平面説」(地球は丸いという説に対し、地球は平らで端は滝となり流れ落ちていると主張する説)、「ピザゲート」(アメリカのピザ屋の地下には、ポルノで大儲けする有名人の談合が開かれていると主張する説)など、当時流行していた陰謀論は様々あった(一部は今も信じられているようだ)。しかしこれらの陰謀論と、空飛ぶ鳥は政府のスパイだと主張するBird’s Aren’t Realには大きな違いがある。それは、その主張が偏見や不十分な証拠に基づいた陰謀論であることを発信元が分かっているかどうかだ。

via:https://birdsarentreal.com/cdn/shop/files/Lifestyle_Closeup_720x.jpg?v=1613186868

Bird’s Aren’t Realの支持者は、この主張が真実であるとは思っていない。つまり、鳥がスパイだとは思っていないのだ。しかしこのハッシュタグの支持者がこの主張を支持する理由は、その他の陰謀論や突飛な主張に「同じ立場から立ち向かう」ためなのだという。
正論を説いても耳を貸さない陰謀論者に、同等の陰謀論を主張することで対峙する。理にかなっているし、どこかシニカルな風合いをもったやり方だといえるだろう。

「空飛ぶスパゲティモンスターが世界を作った」説は、創造論と同等なのか

ここでまたひとつの陰謀論をご紹介しよう。それは「空飛ぶスパゲティモンスター教」。なんと、空飛ぶスパゲティモンスターが世界を作ったと主張する人達がいるというのだ。
なぜこのようなことが一部の人たちの間で主張されているのか、これを明らかにするためにまずは「空飛ぶスパゲティモンスター教」が誕生した背景を話しておこう。

「原始的な動物がだんだんと進化して人間になる」というのは、ダーウィンが唱えた進化論だ。この説は科学的な裏付けがあり、生命体を説くなかではもっとも有力とされている説だろう。対して「インテリジェント・デザイン論」という「地球の生命体は、偉大なる存在がデザインした造形物だ」と主張する「インテリジェント・デザイン論」という説も存在する。
少々突飛で、他人に説明するには証拠不十分にも思えるが、なんと2004年、カンザス州の教育委員会がこのインテリジェント・デザイン論を、進化論と同じく公教育で教えることと決めたという。このことに、え?と思う方は多いだろう。

via:https://www.christianity.com/wiki/christian-terms/what-is-intelligent-design-theory.html#google_vignette

なぜインテリジェント・デザイン論のような非科学的な話が公教育に受け入れられたのか?その理由は、インテリジェント・デザイン論が、多くの宗教が唱える創造論「創造主が世界を作った」という考えから宗教色を抜いたものだからということ。
つまり、この説は宗教家の考えに馴染みやすく、一般の人々にとっても理解しやすい説として、カンザス州の教育委員会に受け入れられたというわけだ。

世界を誰が創造したか、どう生きるか、このような考えに多様性があるのは当たり前のこと。しかし、科学的証拠のある説と、誰かが唱えた思想のひとつを並べ、人の知識のベースを作り出す公教育で教えることに、違和感を感じる人は少なくないだろう。そう感じた1人のアメリカ人が、インテリジェント・デザイン論に対抗する形で作り上げた主張、それこそが「空飛ぶスパゲティモンスター教」なのだ。

via:https://www.huffingtonpost.jp/2015/11/19/flying-spaghetti-monster_n_8599312.html

「アーメン」の代わりに「ラーメン」と唱える。信者はスパゲッティ湯切り用のボウルを頭にかぶることで、信仰心をあらわす…思わず笑いだしそうな教訓の数々は、カンザス州の教育委員会に対して痛烈な皮肉となった。科学的証拠のないインテリジェント・デザイン論が認められるのなら、空飛ぶスパゲティモンスター教だって同じはずだ、ということだ。

突飛な主張に「同じ立場から立ち向かう」。「空飛ぶスパゲティモンスター教」もまた、#Bird’s Aren’t Real同様に、この手法を用いるために誕生した陰謀論であることがお分かりいただけただろうか。

正攻法ではないけれど、たくさんの人の注目を借りるアイデア「デマ」

何かおかしいと感じたことに対して、正論で対抗しようとする人は多い。ただ、それだけでは動かない相手に対して、もう一歩踏み込んだアプローチをしたいなら、相手と同等の立場で、同類の主張をするのも手だ。
あまりにバカバカしい説や、デマとしか思えない主張に人びとは注目し、真の意味がわかったときに、相手の存在と主張が広い範囲に知れ渡る。どんな手段で対抗するにせよ、世間に認知してもらうことが、被害の抑止や、相手の説得に役立つこともあるだろう。

わざとデマを発信することで、自身が立ち向かう課題や相手の存在を知らしめ、詳しく知ってもらう手掛かりにする。そんなウィットに富んだ方法をひとつ知っておくと、いざというときの「毒」になってくれるかもしれない。

 

参考サイト:

COURRIER JAPON.”「鳥は国民を監視するために政府がつくったドローンだ」という陰謀論がZ世代に広がっているワケ”

https://courrier.jp/news/archives/271375/

HUFFPOST.”「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」 謎の宗教の正体は?”

https://www.huffingtonpost.jp/2015/11/19/flying-spaghetti-monster_n_8599312.html

Bird’s Aren’t Real.

https://birdsarentreal.com/

「世界を変える、暮らしを創る」ため、「暮らしの美意識を体現し、新たなカルチャーを創造する」ことをミッションとしているYADOKARI。
その試行の一つとして数ヶ月に一度4〜5名でチームをつくり、興味のあるテーマを探求する活動を行なっている。今回のテーマは「遊び」の可能性。私たちはフォレストアドベンチャー・フジを訪れた。

フォレストアドベンチャーは、山の中にある、そのままの自然での遊びを提供するアウトドアパークだ。その遊び場では、森の中で高い樹からまた別の樹へ空中を移動しながら楽しむといった他に類を見ない体験が出来るという。

中でも2023年4月にグランドオープンしたフォレストアドベンチャー・フジは、遊休地山梨県南都留群富士河口湖街の富士山の北麓・標高1,100mの地に位置し、株式会社フォレストアドベンチャーが運営している40ものアウトドア施設のうちの1つ。宿泊施設を併設した『森で遊び、森に泊まる』を体現出来る複合型アウトドア施設として、注目を集めている。

彼らが提供するそのままの森林の中での遊びとは、彼らがこの場所を通して提供し続けている価値とは一体どのようなものなのだろうか。私たちは、株式会社フォレストアドベンチャー代表取締役、志村 辰也(しむら たつや)さんにお話を伺った。

フォレストアドベンチャーとは
フランス発祥の自然共生型アウトドアパーク。元々はフランスの企業、アルタス社が事業を開始し、企業や学校の研修コースとして運営されていたものの、後に人々に受け入れられ、一般の人々も足を運ぶアウトドア施設となった。日本国内では有限会社パシフィックネットワークとアルタス社が業務提携し、大人も子供も楽しめるアウトドア施設として40カ所で事業を展開する。

当初は馴染みのない遊び、安全かも分からない。


日本では馴染みのないそのままの自然をフィールドとするアウトドア施設。有限会社パシフィックネットワークがフランスから日本へも導入することとなった当初は、安全性を懸念する声もあったそうだ。良い森を使わせてくれる自治体や場所が見当たらず、いろんな場所を回ったという。

そんな中耳にしたのが「鳴沢村に荒れ放題の森林がある」ということだった。そこは、山梨県の県有林を地元有志の耕地整理組合が賃借していた場所で、木材価格の下落と林業後継者難によって遊休林となっていた。周囲の森林がゴルフ場や別荘地などに変わっていく中、「森林をそのままに、且つ子供たちに自然を体験してもらえる。今時なかなかないことだ。」と施設のコンセプトに共感した理組長の了承のもと、鳴沢村での設置と施設の運営がスタートしたという。

志村さん「最近の公園の遊具のクオリティは高いけれど、今の時代、ケガをしないようにだとか、うるさくしないようにということが重視され、近所の人がうるさいといったら公園が閉鎖されてしまうこともありますよね。子供たちが遊ぶ場所がすごく減ってきています。」

現代の子供の遊び場と比較して、森林が持つ良さは「リスクがある」ということなのだという。歩いている途中に何も樹の太い根っこがあったり、虫が飛んできたり、寒かったり、暑かったり。1人だと辛いけれど、仲間や家族とともにフォローし合うからこそ楽しめたり、コミュニケーションが生まれたり。森林にはそんな良さがあるのだとか。

もちろんケガをしないよう、安全管理は徹底的に行っているためケガをする人はほとんどいない。時に霧が出たり、動物がいたり、夕方になると寒かったり、季節によって表情を変え、予想もしてなかった癒しを体験できるのも、そのままの森林の中にいるからこその魅力なのだろう。

子供が大人になり、大人が子供になれる場所

実際に体験をさせてもらった。雨でもカッパを着れば問題なし!

公園の遊具で遊ぶのとはまるで違う、そんな楽しさを提供してくれるフォレストアドベンチャー。楽しめるのは子供たちだけではない。その楽しさを、大人たちも同様に感じることが出来る。

志村さん「空中を飛びながら木々を移動するといった、「高所」且つ「自然」という2つのリスクからなる非日常的な体験は、子供だけではなく、大人にとっても恐怖感や高揚感などを感じ、それらの感情をさらけ出しやすい場所になっています。」

普段仕事をしていると、会社のルールや固定観念の中でどうしても「こうしなくてならない」、「こうあるべきだ」などと考えては、無意識のうちに鎧のようなものを着てしまうこともあるだろう。そんな鎧を脱ぎ捨てて、感情をむき出しにできる場なのかもしれない。
一方、子供たちが無邪気に遊ぶ姿からは、楽しさが全面から伝わってくるのだとか。すいすいとコースを進み、自慢げな姿を見せる子もいれば、なかなか進めず周囲の同世代の子供を気にし始める子もいる。感情だけでなく、人の性格や特性がよく見える場所でもあるそうだ。

「子供たちの姿を見ていると、本当に面白いんだな、楽しいんだなというのが伝わってくる。ああ、これでいいんだな。逆にこっちも楽しまなきゃな、と感じさせられます。」と話す志村さんは、子供たちの姿に元気をもらうことが多いのだとか。

日常生活や子育てにおいて、大人が子供を育てるということは当たり前のことだと考えられている。時に過保護になってしまうことでさえも。しかしここではそういった情景が見られることは少ない。なぜなら、基本的に大人も子供も同じコースを体験することになっているこの場は、初めての経験を親子が共に体験して、対話して、挑戦することの出来る場所だからだ。

大人が何も教えていないのにも関わらず、前回よりも先まで進むことが出来たわが子の姿から、子供の成長を感じることが出来るなんてこともよくあるだろう。他では気づくことの出来ない子供の成長を、子供と共に喜びあえるのもこの施設の魅力なのだ。

樹を「使わせてもらっている」という気持ちで


「『自然と共生する。』なんて言葉を最近はよく聞きますが、実際は私たち人間が自然の恩恵を受けているという認識が強いような気がします。自然と人間とが共にあるこの場所で、人間が森林に与えているものはあるのでしょうか。」

「自然共生型」アウトドアパークであるフォレストアドベンチャー。自然との「共生」を掲げているものの、ここまでの内容だけでは、人間が森林がもつ恩恵を享受している場所という認識を持つ人も多いだろう。
実際のところ、フォレストアドベンチャーではただそのままの森林の恩恵を受けるだけでなく、良い森林を維持し続けるための徹底した管理を行っているようだ。

志村さん「施設が安全であるためには樹が健康でなければならなりません。実際100箇所の森を見て、施設をつくることが出来るのは、1、2箇所程度です。
樹が枯れてしまったり、台風で折れてしまったり、皮が剥けてしまったり。安全な施設を運営、維持するためにはこういったことがあってはなりません。毎朝、樹の根っこからてっぺんまでの様子をスタッフが管理するのはもちろん、コースを設置する際などは樹木医の協力のもと、ケーブルの巻き方や森林が光合成をしやすいような間引きの仕方など、森林にダメージのない形でコースの設置が出来るよう工夫を凝らしています。」

実は間引かれた樹々も、着地点や土留めとして施設の中で使用されている。
そのままの森林の中での他に類をみない体験、そして遊ぶ人たちの笑顔の裏には、スタッフの人たちのこうした徹底した森林管理があり、そのような人間と自然との関わり合いの中で、自然と共生する環境が作られていた。

誰もが喜ぶ「遊び」を越える体験を、これからも


「もともとフランスで活用されていたものだとはいえ、日本全国で40拠点以上もの施設が運営されるまでに至った背景には、法律や安全性への懸念など乗り越えるべき課題がたくさんあったのではないでしょうか。これらの障壁をどのように乗り越えたのですか?」

志村さん「フォレストアドベンチャーがこうした障壁を乗り越えることが出来た理由は、フォレストアドベンチャーが「みんなが喜ぶ施設」であるという確信があったからです。」

それは体験したお客さんの喜びだけではなく、作った施設の周辺に住む地域の方々や、お客さんが楽しむ姿に感銘を受けるスタッフにも喜びをもたらし、さらには人工林の放置という日本が抱える課題をも解決するものだったという。

新たなカルチャーを世の中に提案する時に直面する、困難さ。時間・お金・場所にとらわれない自由な暮らしを広げることをミッションに、時に壁や障害を乗り越えながら活動することを余儀なくされる私たちYADOKARIとどこか共通点のようなものを感じた。多くの人の笑顔のため。そうまっすぐに語る志村さんの姿に、背中を押された気がする。

「これからこんなことをやっていきたい!というものがあれば、教えていただけませんか?」

志村さん「自然共生にとことん特化したいですね。フォレストアドベンチャーを約2時間満喫して森から帰る。そういった数時間の遊びではなく、遊んでたくさん汗を流した後に森の中で食事をしてもらったり、そのまま宿泊をしてもらって、1日以上森の中で過ごすことの心地よさを体験してもらえたらと考えています。
そしてここで提供しているそのままの森が持つ価値を、10年先の未来でも変わらず分かりやすい価値で提供していきたいですね。」

オープンしたばかりのトレーラーハウス型の宿泊施設。家族や友人同士、企業研修などにも最適だ。

ここでそのままの森林のここちよさを学んだ子供たちが、10年後、小さな子供たちを連れてここに足を運ぶ。そんな姿が想像された。私たちも多くの友人を連れて再びここを訪れたいと思った。

今回お邪魔させていただいた「フォレストアドベンチャー」は、子供の遊び場としてだけでなく、そのままの自然が持つ価値を最大限に活かした、大人も子供も、全ての人が心から楽しめる場所だった。
世代を問わず何かを一緒に体験、挑戦することによって、企業や組織のチームビルディング、そして日常では体験することの難しい、親子が成長や学びを分かち合う場としての価値を提供しているこの場所から、「遊び」を通した可能性を追求することの大切さを学ばせていただいた。

そして、海外からの導入に伴い懸念されていた安全性や法律などの壁を乗り越え、現在日本各地で運営されるまでに至ったその背景には、ゲストだけなく近隣住民からも喜ばれる施設であるという志村さんの確信があり、「多くの人の笑顔のため」そういって挑戦を続ける彼の姿から、私たちYADOKARIが活動し続けるにあたって大切にすべきものを教えていただいたように思う。

むかし話に出てくる家屋といえば、平屋に藁で屋根をこしらえた「茅葺きの家」を想像する人は多いだろう。世界遺産に登録されている白川郷の、藁ぶき屋根を高く組上げた合掌造りをイメージしてもらうと分かりやすい。

そんな藁ぶき屋根を「古き良き日本」の象徴のように感じている人が多いかもしれないが、実は、茅葺き屋根は世界で愛されているれっきとした「インターナショナルな建築様式」なのである。古くから世界で愛されてきた茅葺き屋根の歴史と、現代に広がる「モダンな茅葺き屋根」の正体を探っていこう。

茅(かや)とは何のこと?茅葺き屋根の歴史とあわせておさらい

茅という植物は存在せず、乾いた稲でできたワラやススキなどをまとめて「茅(かや)」と呼ぶ。古くから稲作を手掛けており、ススキなどの植物が豊富にあった日本では、身近で手に入る建築材料としての茅が支持されてきた。

古くなった茅は、肥料として田畑に再利用されることで、循環社会の一端を担う存在でもあった。

茅葺き屋根の起源については諸説ある。日本における茅葺き屋根は、縄文時代には既に定着していたようだ。その他、イギリスでは11世紀ごろに茅葺き屋根の技術が確立していたとされ、アメリカやヨーロッパ各国では、15世紀ごろに火災削減を目的とした「茅葺き禁止令」なるものが出されたのだそう。

現在、維持費用の高さや、継承者の少なさを受け、世界各国で減少傾向にある茅葺き屋根建築。その価値と歴史を守るため、約7ヵ国(イギリス、オランダ、ドイツ、スウェーデン、南アフリカ、デンマーク、日本)が協力し合い、国際茅葺き協会という名前の元で積極的な情報発信をおこなっている。

茅葺き屋根先進国にある、モダンな茅葺きの風景

オランダで建設されたとある新築住宅。どこか見慣れない部分がある…それは、屋根が茅葺きという点だ。

via;https://www.bepal.net/archives/54475

マットな白地に、木目を活かした外壁が目を引く一軒家だが、屋根をよく見ると細かな点々が見える。日本でよくみられる伝統的な茅葺き屋根とは異なり、丸みがありながらも、上下に長くシャープな印象を抱かせる外観に仕上がっている。

実は、茅葺き屋根は古き良き見た目以上の機能性を兼ね備えている。理想の家「夏は涼しく、冬温かい」を実現する理由は、分厚い層になった屋根に空気が溜まり、自然の断熱材として機能するから。そして、通常の屋根よりもずっと軽い茅葺きは、家全体にかけるダメージが少なく、家屋の対応年数も上げるのだという。オランダでは、「住みやすいものの手間がかかる茅葺き屋根を住宅に使用する」ことがセレブリティの象徴になっているのだという。古き良きどころか、時代の最先端をいく高級品として扱われているというのは、興味深い。

南アフリカに建てられたリゾート地では、モダンなプール付きの住宅の屋根が、茅葺きでつくられている。茅葺き屋根を突き抜ける煙突や、どこかアジアンテイストをただよわせるアイテムとの組み合わせが、今までにない茅葺き屋根の味わいを生み出しているといえるだろう。

via:https://its-thatchers.com/content/

さらに、北欧のデンマークでは、海藻を使った「100年耐久性のある」茅葺き屋根に注目が集まっている。海に大量発生し、処分のしようがない海藻を屋根として有効利用できる上、茅葺き屋根にはない「耐火性」という強みを持つ。世界中のエコ建築に活用できるよう、より使い勝手の良いパレット式での設置を目指した取り組みが進められているそうだ。

via:https://heapsmag.com/seaweed-roof-natural-material-strong

頭を空っぽにして組み合わせたら「いい感じ」が見つかるかも

茅葺き屋根が日本以外にあることはもちろん、モダン建築や、これからのエコ建築に活用されようとしていることは、あまり知られていない。

茅葺き屋根は日本だけのものではなく、世界レベルで愛されているものだということ。自然にあるものを用いて、十分な機能性を維持しつつ、自然に還る建築素材として価値のあるものだということ。これらは、「茅葺き屋根の家は、昔ばなしに出てくるもの」という思い込みがあっては、なかなかたどり着けない情報だ。

茅葺き屋根は古いもの、という考えはいったん置いておき、頭をからっぽにした状態になってから、現代的な建物の上に載せてみる。すると、案外かわいい。かっこいい。そんな意外な発見から、茅葺き屋根の再興がはじまるのかもしれない。

 

参考サイト:

HEAPS. ”海でゆらゆら揺れる草を屋根に。雨にも風にも負けず、火にも強い「海草葺き屋根」世界で10人しか知らないデンマークの伝統建築を”.

https://heapsmag.com/seaweed-roof-natural-material-strong

International Thatchers Society.

https://its-thatchers.com/content/

TRENDIR.”Stunning Holiday Home Designed for Outdoor Living”

https://www.trendir.com/stunning-holiday-home-designed-for-outdoor-living/

レファレンス協同サービス.”イギリスの茅葺き屋根について知りたい。
イギリスにおいて、茅葺き屋根はいつ頃主流だったか、その年代が知りたい。
また、どのような構造で造られていたか、造り方と使っていた材料の種類が知りたい。”

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000132830

Academic Accelerator.”茅葺き Thatching”

https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/thatching

TINY HOUSE JOURNALタイニーハウスの“現在”を知る

記事一覧へ