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東南アジアで最大級のモスク・イスティクラルを歩く

インドネシア・ジャカルタの中心地、ムルデカ広場の北東角には、イスラム教のモスク「イスティクラル(Masjid Istiqlal)」がある。イスティクラルは、最大20万人を収容できる東南アジアで最大級のモスクだ。

インドネシア国民の約9割は、イスラム教信者。ジャカルタの町中を歩いていても、ヒジュラをかぶっている女性をよく見かける。その他には、キリスト教、ヒンドゥー教などを信仰する国民がいる*。インドネシア憲法では信教の自由が認められており、比較的異なる宗教や文化に寛容な国だと言われている。

※参照:14.インドネシア – 国土交通省

ある日、そんなインドネシアの大部分を占めるイスラム教徒(以下ムスリム)が集うモスク・イスティクラルを訪れた。

正直、ムスリムの人達がどのように信仰生活を送っているのかを知る機会が今まで全くなかった。どんな光景が広がっているのだろうと、少し緊張しながらゲートをくぐった。

photo by writer

異なる宗教の人は入れないような神聖な場所なのかと思っていたが、モスクは意外と一般に広く開かれており、観光客も無料で中に入ることができる。

モスクのゲートを抜け、観光客用のルートに進んでいく。靴を脱いで建物の中に入るとツアーに参加することができた。

観光客向けのホール。イスティクラルは、猫にも寛容な施設なようだ photo by writer

ツアーの前に別室で登録を行う。国籍や信仰する宗教などを入力する必要がある。 photo by writer

特に信仰心が深いというムスリムのガイドさんに続いて、モスクの中を進んでいく。

アラビア語で「独立」を意味するイスティクラルは、1945年にインドネシアの独立を記念し、スカルノの依頼によって建設されたモスクだ。

興味深いのは、建築家・フリードリヒ・シラバン(Frederich Silaban)自身はイスラム教徒ではなく、プロテスタントのキリスト教徒であると言うことだ

彼のデザインしたイスティクラルは、建物そのものも非常に美しい。彼は中東地域の様々な建築スタイルをミックスし、デザインを行なった。

インドネシアは熱帯気候のため、換気のために扉や窓は大きく、大理石とステンレスで作られている。そのため、モスクの中は常に風が通り抜けて涼しい。風や自然光が入ってくる日中は、エアコンや電気がいらないので、環境にやさしい建物だとも言える。

礼拝堂に集うムスリムの人々

観光客はイスラム教の信者達が祈りを捧げる礼拝堂には入れないが、上の階から礼拝堂のドーム全体を見渡すことができた。

2階から礼拝堂をみた光景 photo by writer

外から差し込む光がドーム全体を照らしており、ドームの天井は宝石のようなエメラルドグリーン色にキラキラと輝いていた。それと真紅の絨毯の対比が、はっと息を呑むほど美しい。

毎週金曜日の合同礼拝には、この広い礼拝堂が埋め尽くされるほど、多くの教徒が集まると言う。

礼拝堂の絨毯の上では、意外とみんなゆったり時を過ごしているように見えた。ゴロゴロと寝転がっている人もいれば、携帯をいじっている人もいる。廊下の大理石にべったりと顔をつけて眠っている人がいたり、子どもたちが遊び回っていたり。礼拝の時間までは、それぞれ思い思いにくつろいでいるようだ。

また、イスティクラルがインドネシアの宗教的寛容と多文化共生を象徴していると言える所以は、その立地にもある。

大きな中庭。右奥に見えるのがジャカルタ大聖堂だ。 photo by writer

イスティクラルは、道(通称:教会通り)を挟んだほぼ真向かいに、キリスト教のカトリック教会「ジャカルタ大聖堂(カテドラル)」があり、そのもう少し向こうにはプロテスタント教会が建っている。

ジャカルタ大聖堂は、インドネシアのカトリック教徒の信仰の中心となっている教会だ。イスティクラルよりも建物の歴史は古いが、宗教的寛容の象徴として、スカルノ大統領があえてこの大聖堂の向かい側にモスクを建設したのだ。

また、2021年にはイスティクラルとジャカルタ大聖堂の地下に、お互いに行き来できるトンネルが建設された。(一般公開は未だされていない模様)トンネルは“brotherhood tunnel(友好的なトンネル)”と呼ばれ、象徴としての宗教的寛容が現在も進められている。

まさに、このイスティクラルそのものがインドネシアの宗教的寛容と平和を象徴していると言えるだろう

ジャカルタ大聖堂のミサの様子。 photo by writer

モスクの中にある彼らの”日常”

イスティクラルの建物の中を、裸足でペタペタと歩いていく。暑い日だったけれども、足の裏に大理石の冷たい感覚が伝わって心地よい。

ガイドの人は忙しいようで、ツアーの途中に何度も電話がかかってくる。彼が電話に応答する度に、ツアーが中断されるのも面白い。

ガイドの彼は、なぜこんなに電話をしているのか(もちろん全然良いのだけれども)。もしかすると他の用事があるのか(電話越しの声が聞こえる限り、母親のような人と電話をしているようにも思える)、モスク関連の用事なのか(今日はツアー担当が彼一人だから?)。はたまた、プライベートの何か緊急対応なのか(それだとしたら大丈夫かな)——。

他にやることがなかったため、特に意味もなくそれについて色々と考えを及ばしていると、あることに気がついた。

いくつかの義務があり、1日5回決まった時間にメッカの方角を向いて礼拝をする。祈りを捧げるためにモスクを訪れる。そんな彼らの生活は、制約が多くて大変そうだと思っていたけれど、それはあくまでムスリムの彼らの日常の一部に過ぎない。

モスクは特別で、とても神聖な場所だ。それと同時に私は今、彼らの日常の一部にお邪魔しているのだ、と。

ムスリムの彼らの日々の中には、常にモスクという力強い存在がある。そして、そんなモスクの中には彼らの “日々”もある。

信仰心が深いというガイドの彼は、ツアーではない何かで忙しそう。それにモスクの中で、モスクの中で、人々がゴロゴロしていたり、子供たちが楽しそうにはしゃぎ回っている光景は、日本でもありふれたあたたかい日常の様子だった。

四方からの生温かい風に吹かれてガイドの彼を待つ間、私はなんだか自由で穏やかな気持ちを感じた。

インドネシア共和国のスローガンは、「Bhinneka Tunggal Ika(訳:異なっていてもみんなひとつ)」モスクツアーの最後はガイドの彼に続いて、みんなでそのスローガンを叫んだ。不思議な一体感が生まれ、心強い雰囲気に包まれた。

ジャカルタを象徴するモスク、イスティクラル。そこには、宗教的寛容を目指す国の思いとあたたかい日常の風景があった。

参照:https://www.indonesia.travel/gb/en/destinations/java/dki-jakarta/the-grand-istiqlal-mosque

https://jakarta-tourism.picsidev.com/news/2020/06/the-istiqlal-mosque

https://voi.id/ja/news/42216

長い冬の間、あまりにも暇だから本を読む。読みつくしてしまうから、自分たちも本を書く。そんな面白い国が、アイスランドだ。国民全員、生涯に一度は本を出版すると言われており、書いては読み、書いては読み…なんてサイクルを回している。

本離れが叫ばれる今の世の中で、なぜアイスランドの読書熱は保たれているのか。アイスランドのアツい読書文化の歴史をご紹介していこう。

読むのが当たり前、だから書くのも当たり前。

1人当たりの年間の読書量が平均で11.5冊、クリスマスには平均2.1冊の本を贈り、1.1冊の本を貰うアイスランド人。この勢いで行けば、本を読みつくしてしまうこともありえるのでは…そんな心配をかき消すのが、アイスランド人の出版意欲の高さだ。

アイスランドの書籍の多くは、プロの小説家やライターが執筆する。一方で、サラリーマンや自営業者などの「フツウの人々」が筆を取り、自伝を出版することも往々にしてあるのだという。生きているうちに1冊は本を出すと言われるアイスランドの執筆熱は、どうやら深い読書文化にあるようだ。

暖炉そばの物語「サガ」が生んだ読み聞かせ文化

アイスランドの文化のひとつに、サガがある。サガとは、12~13世紀ごろに北欧地方で起きたことを記した伝記や物語の総称で、当時の北欧情勢を物語る貴重な歴史資料としても知られているものだ。

via:https://www.is.emb-japan.go.jp/itpr_ja/taishi10.html

歴史資料というと少し敬遠してしまうかもしれないが、アイスランド人にとってサガとはより身近なもの。暖炉のそばで、親や祖父母がサガを語るのを聞いて育った人も多いのだという。日本でいうむかし話のようなもの、と捉えるとわかりやすいだろう。このようなサガに小さなころから慣れ親しんできた子どもたちが、次第に物語を求め、自分たちで本を読み始めるようになるのだ。

寒い冬は家に籠って読書・執筆するのがアイスランド流

さらに、アイスランドの読書熱、執筆熱を加速させるのが、北欧特有の長い長い冬のシーズンだ。真冬だと日照時間が4時間にも満たないことのあるアイスランドでは、冬の一大アトラクションとして読書が挙げられる。

via:https://www.is.emb-japan.go.jp/itpr_ja/taishi11.html

幼いころ、クリスマスシーズンに向けて、大手おもちゃ会社の「おもちゃ冊子」が家に届いたことを覚えている人は多いだろう。アイスランドでは、その本バージョンである「ブック・カタログ」がクリスマスシーズンに発行される。アイスランドで出版される本の約60%が冬に出版されるのは、まさに「シーズンアイテム」として本が受け入れられている証拠だといえるだろう。

思いがけない形でつながる:日本のマンガ文化とアイスランドのサガ

アイスランドのサガと、日本のマンガ文化との、偶然のつながりをご存じだろうか?実は、「サガ」が書かれた12~13世紀ごろ、日本では「鳥獣戯画」が描かれていた。動物をアイコン化して描いた絵巻は、現代のマンガの祖先とも言われている。のらくろや鉄腕アトムに始まり、さまざまな技法を凝らした漫画文化は、web漫画なども加わり、今もなお日本人に愛されている…と言えば、なんだか、アイスランドの読書文化が近く感じられるのではないだろうか。

2019年にアニメ化された作品「ヴィンラント・サガ」は、アイスランドのサガをベースにした漫画だ。こんな形で、日本のマンガ文化とアイスランドのサガが出会うのもおもしろい。

本好きが本を読み、本を生み出す好循環

どうにかして本を読むようにする、読ませるようにする。その前に、楽しんで語ったり、読んだり、書いたりすることが当たり前にできるような環境があればいいのかもしれない。アイスランドの場合は、それがたまたま、自国に語り継がれた歴史「サガ」であり、外出を阻む厳しい冬の寒さだった。

心の底から湧き上がる「読みたい欲」を満たすための読書や、あまりにも暇すぎてやることがないときに手に取るものが本である、という習慣に、どこかきゅんとするのは私だけではないはずだ。

参考サイト:

在アイスランド日本国大使館.”サガとマンガ”.

https://www.is.emb-japan.go.jp/itpr_ja/taishi10.html

在アイスランド日本国大使館.”アイスランド人の読書熱と出版熱”.

https://www.is.emb-japan.go.jp/itpr_ja/taishi11.html

Courrier Japon.”誰もが本を「読み」「書く」国、アイスランド”.

https://courrier.jp/news/archives/75160/

暮らしの実践者に問いかけ、生きかたのヒントを探究する「Life is beautiful」。
今回は、ベトナムに移住し建築設計事務所で働きながら暮らす、渡邊もえさんを訪ねました。

世界に触れて、自分にとっての豊かさを見つめ直す

――現在の暮らしに辿り着くまでの経緯などを教えていただけますか?

渡邊:昔から絵を描いたりものを作ることが大好きで、小さな頃からなぜか漠然と海外に行きたい気持ちがありました。大人になり大学院で建築デザインを学び、日本のアトリエ系工務店で4年間勤務後、ベトナムの設計事務所に転職しました。

――幼少期から海外に行きたい気持ちがあったのは何か原体験に紐づくことがあったのですか?

渡邊:家族旅行でタイに行ったのが初めての海外でしたが、それ以外にも小さい頃から両親が世界にまつわるいろんな絵本を読む環境を与えてくれていたので、海外を身近に感じていたのかもしれません。特に世界遺産の本が好きでした。知らない世界を見たい気持ちや好奇心が元々高かったのかもしれません。

――建築を学ぶ中で、建築をやめようかなと感じていたこともあったそうですね。

渡邊:大学が新宿のビジネス街にあり満員列車に揺られながら1.5時間かけて大学に通ったり毎日課題などに追われていたので、単純に疲れていたのかもしれません。

学生の頃にイギリスに3ヶ月、イタリアへ半年ほど、短期留学をした際に、イギリスでのホストファミリーは土曜の夜は家族で映画を見たり、日曜は教会に行ってみんなでご飯を食べたりと、学業(仕事)以外の時間の使いかたが上手で、日常の心を豊かに過ごす時間を作ることは自分にとって大事なことだと改めて感じることができ、忙しかった日々から一度立ち止まって考えるきっかけになりました。

表現という意味での建築の面白さ

――そんな気づきがありながらも、最終的には建築の道に進まれたのですね。

渡邊:そうですね。今は、建築は人の知恵、思考、思想などを周辺環境等と掛け合わせながら一つの大きなモノとして作り上げることができるのでとても面白いなと思っています。

就職活動直前までイタリア留学で建築の保存改修を学んでいたこともあり、卒業後は漠然とリノベーション系の仕事がしたいなと考えていました。
そんな中、本屋さんでたまたま手に取ったリノベーション特集の本に、前職の職場であるルーヴィスの案件が掲載されており、建築全体の空気感がいいなと思い問い合わせしました。

――空気感がいい建築、ですか。

渡邊:当時、ルーヴィスの建築をみたときに肩肘が張っていないというか佇まいがいいなあと思ったのを覚えています。
またルーヴィスに決めたのは設計だけではなく不動産や施工を一貫して取り扱うことと、分業ではなく現調からお客さんの打ち合わせ、見積もり、設計、引き渡しまで全ての過程を担当できることがいいなと思っていました。いずれ自分がプロジェクトを進める立場になったり、経営をするときにこの経験が活かせるなと思ったんです。

――事業家というか経営者的なマインドがおありなんですね。

渡邊:父の影響が大きいかもしれないです。
会社なのか事業なのか何かしら形にしたいと思って生きてきました。
今も何かしたいと思って日々色々考えていますが今は目の前のやるべきことに集中したいなと思っています。

――この阪東橋の平屋の物件に渡邊さんも住んでいらっしゃったんですよね。

渡邊:そうですね。ベトナムに行く直前まで4年くらい住んでいました。友達とBBQをしたり、スクリーンで壁に映画を映して上映会をしたりと色々楽しませてもらった思い出の多い家です。
冬の平屋はとても寒く四季の移ろいを色濃く感じられる家でしたが、あまり陽が入らない分、特定の時期の昼間に数時間だけ天窓から光が差し込んでくる時を楽しみに待っていたり、ストーブで焼き芋を焼いてみたりと、物件の短所すらも個性として好きだと思える家でした。お米がなくなったらお米やさんである大家さんのところに気軽に買いに行けたり、夕方に隣のカフェから音楽が聞こえてくる様子も含めて全てが素晴らしい環境でした。


阪東橋の平屋 ©️ roovice(https://www.roovice.com/works/7515/ )


阪東橋の平屋 ©️ roovice(https://www.roovice.com/works/7515/ )

均質化された物件情報サイトを見ていても自分の中では心が躍らないことも多かったのですが、このような個性が見える物件に住まわせてもらえたことでオリジナルの家に住む幸福感のようなものをより感じられるようになりました。

無意識に出た言葉が本当の思いに気づかせてくれた

――この後の大きなキャリアチェンジ、ベトナム移住を決断されたのはどんなタイミングだったのでしょうか?

渡邊:当時、日々の仕事に追われて先が見えない不安や葛藤を感じていたり、私生活も周囲の友人達が20代後半、30歳手前で結婚し子育てを始めたりする中で、自分はどのように生きていきたいのか、どんな未来を歩きたいのかなかなか答えが出ず、ずっともやもやしていました。

そんな中、前職の代表に「結局何がしたいの?」と聞かれた際に「やっぱり海外で働きたいです」という言葉が出てきて、あ、自分は海外にでたかったのかと気が付き、自分でも少し驚きました。

たまたまその翌日、今の職場であるスタジオ・アネッタイの代表山田さんとルーヴィスのメンバーで食事に行く機会があり、山田さんがスタッフを募集しているという話からトントン拍子でベトナムに行くことが決まり、その話をしてから3〜4ヶ月後にはベトナムでの生活がスタートしました。今思うと本当に激動の1年だったなと思います。

――躊躇したり、不安な気持ちなどはありませんでしたか?

渡邊:正直、あまり不安な気持ちはなかったです。良きタイミングと素晴らしい出会いがキッカケでベトナム行きが決まったので、直感的にこれはいくしかないと思える根拠のない自信がありました。

飛び込んだ先で見つけた、その先の夢

――現在ベトナムではどのような働き方をされているのですか?

渡邊:仕事内容としては日本の設計事務所と同じような働き方だと思います。
ただ設計してから形になるまでのスピードが日本よりも早いので、社内のMTGでそれぞれがたくさん意見を出し合って一つの形にしていきます。個人の意見が求められる環境で働かせてもらっているのでやりがいを感じます。

また仕事の内容によっては社内だけではなくベトナムの設計事務所や日本の設計事務所の社外の人達とコラボしてプロジェクトを進めていくので日々刺激があります。

――ベトナムに行ってすごく元気になったと周りから言われるそうですね。

渡邊:自分でもだいぶ明るくなったと思います。
ベトナムにきたことで東南アジアのエネルギッシュな空気感を感じられて、だいぶ気も晴れたというか、自分の気持ちもより定まってきたように感じます。

――生活自体にも慣れ、渡辺さんの中でも少し余裕が出てきたということでしょうか。

渡邊:そうですね、今では食事や住環境にも慣れ、文化の違いに関しても発見が多くて面白いと思えるので特に不自由なことはありません。また仲の良い友達ができたことで生活がよりたのしいと思えるようになりました。

日本にいた頃は周りと比較して色々悩んだりする時間が長かったような気がしますが、ベトナムでは自分は外国人という立場になるのでそれがいい意味で気にしすぎず、気楽になれる要因の一つなのかもなとも思います。

手放すことは、同時に与えられるものも多い。

――今住んでいるこの場所での暮らしはいかがですか?

渡邊:とても快適で気に入っています。各個室がシンプルな分、共有スペースが充実しており、プールやハンモック、ジムなどが家にあります。家のジムで運動して洗濯している間にハンモックで本を読んだりipadで絵を描いたりしています。

引っ越した先の家には家具や棚がセットで全て付いていたので、スーツケース2個と大きなリュックだけを持ってベトナムにきました。

――では結構な量の断捨離をされたのですね。

渡邊:そうですね。以前はものを集めることが好きでしたが、どうしても手放さないといけないという状況の中で自分の手持ちの物を見つめ直してみると、本当に必要なものは少ししかないんだなということに気がつきました。自分の大事なものをいくつか持ってきたので所持していた持ち物に向き合う良いきっかけになりました。

今までのお金の使い方をすごく考えさせられ、思考が少しミニマルになったような気がします。これからは経験に時間やお金を割いていきたいなと思えた良い機会でした。

――ベトナムで居心地の良い1日の過ごし方を教えていただけますか?

渡邊:週末は友人と運動をして過ごすことが多いです。色々なスポーツにトライしています。またベトナムはカフェが多いので、カフェで本を読んだり、勉強をしたり、絵を描くこともあります。散歩しながらラジオを聴いたり、音楽を聴いて考えごとをすることも多いです。

――外国でも居心地の良い時間をちゃんと確保されているんですね。

渡邊:そうですね、ひとりの時間は結構大切にして色々思考を巡らせて前に進むようにしています。

――同じように悩み、その悩んでいることにも蓋をして過ごしている人もたくさんいると思います。

渡邊:そうですよね。私もベトナムに行く前は一般的な正解に自分を当てはめようとしていたので、人と比べても劣っているように見えるし自分の中でも腑に落ちないし…の連続で、ずっとなんか違う…と思っていました。今冷静に考えてみればそれぞれの中にそれぞれの正解を見つければいいと思えるのですが当時は思考が行き詰まっていたように感じます。

例えるならば、みんな同じ建売住宅ではなく、それぞれのオリジナルの形がある家がいいと思うというか…それぞれが個性のある面白い生き方ややりたいことをやればいいと思いますし、自分を諦めたり自分の期待値を自分で決めたりせずに、自分がどう生きていきたいのか?ということを問い続けてその未来を広げていくための努力を続けていきたいなあと思っています。

ようやく悩みは簡単に消えないがいつまでも続くわけではないということがだんだんわかってきたので、今はとにかく考えながら走り続けるしかない…!と思えるようになりました。

――建売住宅の例えはユーモアがあって面白いですね。

渡邊:同じように均一にすることは簡単ですが少し味気ない気がしていて…。
新しい街も美しくて素敵ですが、歴史や文化等が見え隠れする混沌とした掴みきれない街に魅力を感じます。

自分が今ここに立っているのは、周りの人や環境に恵まれたからだと思っていて、悩んでいる時に未来を一緒に考えてくれたり、少しネガティブになった時には自分にはなかった明るくて斬新な切り口を教えてくれた大人が周りにいたからこそ、想像していなかった今があるのかなと思っています。

もし私と同じように悩んでいる方がいれば少しでも力になりたいと思いますし、誰かの背中を押すというよりは一歩目が踏み出せるように背中をさすることができるような存在でありたい。
そのためにも自分の力をつけ続けて、日々挑戦し続けたいと思います。

ーー

渡邊さんの何事にも誠実で、人を大切にする謙虚な姿勢は、周りからも力になってあげたいという思いが生まれ、人生においてプラスのベクトルとなる出会いを引き寄せているように感じられた。

自分の心の声や可能性を信じ、その精度を磨いていくのは容易いことではないが、その思いに蓋をする必要はない。未来の自分の可能性は未知数なのだから。そんなことを教えられた心温まるインタビューだった。


あなたは病院の建物にどんなイメージがあるだろうか。
特に大きい病院では白を基調とし、無駄がないシンプルなイメージがある方も多いだろう。病院にはたくさんの人が出入りし、中にはそこで生活の場をする人もいる。利用者の病気やケガだけでなく、パーソナリティも人それぞれ。
そんな中でサルトジェニックデザインの病院建築(医療建築)は、精神的にも、肉体的にもストレスのないフェアな空間づくりがされている。

今回は「サルトジェニックデザイン」とは一体どんな考え方で、どんなデザインを適用しているのか。健康的空間作りのコツを見つけ出していこう。

サルトジェニックデザインとはどんな考え方?

https://www.re-thinkingthefuture.com/

そもそも「サルトジェニックデザイン」とはどのような考え方なのだろうか?

サルトジェニックデザインは、医療社会学のアーロン・アントノフスキー教授が作った「サルトジェニクス」という概念によって生まれた。
今まで病院建築の上では、病気を治す・悪化させないというように「病気の要因」に焦点を当てるようなモデルだった。しかし、サルトジェニックデザインはヘルスケア、メンタルケアができるような「健康の要因」に焦点を当てている。

サルトジェニックデザインの重要な概念として「一貫性の感覚」というものがある。
これは、自分がどんな状況でどんなところにいるかについての「理解しやすさ」 、患者は自分を、スタッフが患者をコントロールしやすくなる「管理のしやすさ」、暮らしの中で有意義さを得る「意味ある感覚」の3つによって、心身の健康が促進されるというものだ。健康だけでなく、病院としての生産性、効率性の促進にも重点を置くことで、患者だけでなくスタッフまでもウェルビーングに過ごせる環境を提供する。

続いてはこれら一貫性の感覚を構成し、サルトジェニックデザインを利用している世界の病院建築を見ていこう。

ニュー・レディ・シレント小児病院(オーストラリア)

https://www.archdaily.com/

オーストラリアはブリスベンにある「ニュー・レディ・シレント小児病院」のデザインコンセプトは”生きた木”。構造的に垂直の幹となる2つの空間から、そこから放射状に各階が構成され、空間がネットワークとして広がっている。

https://www.archdaily.com/

放射状で枝となる階は、外の街路との境界線を越えるような構造だ。ここにはバルコニーがあり、ユーザーが都市を眺めることができるようになっている。

建物の外側と内側に使用されている色はクイーンズランド州特有の落ち着いた中間色や鮮やかな緑の風景に由来し、屋内と屋外を繋ぐような構造に。自然光を取り込むことや、外との繋がりを持たせて「理解しやすさ」も充足し、ノンストレスで開放感ある生活を提供し健康を促進しているのだ。

https://www.archdaily.com/

この病院の特徴は患者である子供たちが「意味ある感覚」を持てるよう、2次元、3次元のアートをいたるところに使用し、魅力的で楽しく過ごせるような生活の提供にも徹している。
また、子供たちも分かりやすい明確な館内の構造にすることによって、患者たちやスタッフにとっての「管理のしやすさ」もしっかりと取り入れている建築例である。

GPスーパークリニック(オーストラリア)

https://www.archdaily.com/

オーストラリアのカブルチャーにある「GPスーパークリニック」は、”健康であること”と”健康を維持すること”に重点を置いている。ポジティブな体験を促進するデザインによって、病院自体が存続できる可能性を拡張したのだ。

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癒しと休息を得られるのが、院内の庭園、魚がいる池、アトリウムなどの要素だ。自然と生命に囲まれていることで有意義な時間を過ごしているという「意味ある感覚」を育み、活力とリフレッシュの両面を補うことができる。光、空間、風、人間工学、そしてそれがどのように使用され効果を生むのか熟考されているのだ。

https://www.archdaily.com/

子供たちは特に自分が何故病院にいるか、病院がどんなところかもわかりにくいだろう。そのような中で時間を過ごすのは、子供にとってストレスになり得る。そのストレスを軽減し、また楽しさも与えるエリアを作ることで「理解しやすさ」と「意味ある感覚」を補っている。
また子供が遊べるようなエリアが設けられるのは、スタッフや親にとって「管理のしやすさ」が得られる。ヘルスケアにおける健康と幸福を促進し、病気を引き起こす要因ではなく、人間の健康をサポートする要因に焦点を当てることで利用者に一貫性の感覚を持たせている建築例なのである。

病院でもウェルビーングに過ごせるのが「サルトジェニックデザイン」

https://www.archdaily.com/

病院は寝泊まりする人もいれば、出入りする人もいる。特定の人や決まったジャンルの人だけが来るわけでもない。そこで「サルトジェニックデザイン」が生きてくるのだ。誰かの病気を治そうしたり個々の病気の要因にアプローチするのは難しいが、1人1人が健康になるための要素を提供することはできる。
ずっと病院で過ごさなければいけない人にとっても、そこにいるだけでウェルビーングに過ごせるサルトジェニックデザインは、日本の病院でもヒントになるかもしれない。またこの有意義なデザインを、病院のみならず住居や他の建築にも活かせれば、更に健康的な生活を手に入れられるのではないだろうか。

あなたにとって図書館とはどのような場所だろう?
「本を読む」、「勉強をする」、「静かな時間を楽しむ」。用途はそれぞれだが、日本では周囲の邪魔にならないようひっそりと過ごすイメージが強い。
しかし、教育先進国の北欧では図書館はそれだけの空間に留まらない。現地を訪れて驚いたのは、デザイン性、機能性において自由で開放的な人々の憩いの場であること。
今回は多様な面で人々の生活を支える北欧の図書館から、これからの図書館の役割、生活との共存を考えていきたい。

大前提は心地よい空間であること

「子どもからお年寄りまで、誰もが一日中居たいと思えるようデザインされているんだよ。」
デンマーク人の友人が教えてくれたこの言葉に、北欧図書館の魅力が詰まっている。

開放的な高い天井に光を取り込む大きな窓。外の景色を楽しめるよう、使い心地の良い椅子や机が窓に沿ってレイアウトされている。時間と共に移ろいゆく周囲の様子は、目を向ける度に気持ちをリセットしてくれる。どれほど滞在しても飽きることはない。

photo by Nanami Kawaguchi

また、日本と大きく違う点として共有スペースの多さが挙げられる。グループで話すことができるよう設置されたインテリアやミーティングブースは、会話を禁止するのではなく歓迎する雰囲気。友人と同じ本を手に取り、読み終わったらその場でディスカッションが始まるなんてこともあるそうだ。

photo by Nanami Kawaguchi

心地よさを追求した空間に自然と人々は集い、新たなアイデアや繋がりを生み出していく。
一定の機能を果たす箱物ではそのような発展は難しいと言えるだろう。
場と人の融合で進化を続ける、私が実際に訪れた2つの図書館の例を見ていきたい。

どんな人だって受け止める。それぞれに適した居場所をもたらす図書館

この図書館は民主主義の象徴だ。フィンランドの首都、ヘルシンキの中心地に佇む「Oodi」は国家独立100周年の記念に政府から国民へのプレゼントとして贈られた。
「全ての人に開かれた場所」というコンセプト通り、フロアごとに異なる雰囲気と機能性はあらゆる人のニーズを捉える。

Oodiの空間設計には2つの柱がある。一つ目が、読書や勉学に集中できる従来の図書館としての役割。二つ目が、創造性を育むものづくりや学び場としての役割だ。

3階は「本の天国」と称されるように、エレベーターを降りると一面に本棚が並ぶ光景は圧巻だ。しかし、本棚は全て背丈ほど、なだらかな勾配があるフロアは不思議と窮屈さを感じさせず、リラックスして過ごす人の姿を多く見かけた。
建物の端には北欧の図書館には欠かせないキッズスペースも。絵本やゲームはもちろん、階段やスロープさえ子どもたちの遊び場となっていた。これらは大人の自習スペースとは対局に位置しており、みんなが不快な思いをしないよう配慮されているのもポイント。

2階に行くとガラッと雰囲気が変わる。
ミシンや3Dプリンターで制作する人たち、ミーティングをする人たち。フロア中央には階段上のフリースペースがあり、私たちのように一休みする旅行者やお喋りを楽しむグループなどバリエーション豊かな利用者で賑わう。
ここにある設備は誰でも無料で利用することができるそうだ。ものづくりを通して、友人同士はもちろん、同じ興味・関心を持った新たな仲間とコミュニケーションを深めていける場となっている。

人を育て地域の未来を創り出す図書館

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デンマーク第二の都市、オーフスの港近くにある「Dokk1」は図書館を通じて街全体のアップデートを目指す。
そのために積極的に行なっているのが多種多様なイベントだ。子どもの創造性を育むクリエイティブシンキング、図書館の未来を市民と共に考える場など、人と街が一緒に成長できる関係性を築いている。

Dokk1_Cardboard_Workshop

 

「子どもは宝」と口にするデンマーク。Dokk1では学校教育とは異なる“遊んで学ぶ”を実践し、未来の街、そして国を支える子どもたちの成長を支援する。平等に開かれた場所であるからこそ、社会全体をかたちづくる役割だって担うことができる。

日本でも広がりつつある、多様性を持つ図書館

北欧のように多様な過ごし方ができる図書館が日本にも現れつつある。
代表的なものが、岐阜県岐阜市にある「みんなの森 ぎふメディアコスモス」だ。
図書館の他、交流センター、展示ギャラリーなどが集うこの施設は、知・絆・文化と地域の様々な拠点としての役割を担う。

https://g-mediacosmos.jp/cosmos/about.html

従来とは異なる明るくて開放的な空間。900以上のチェアやベンチが設置されており、お気に入りの場所を探してゆったりと滞在することができる。
天井から吊るされた特徴的な形の「グローブ」は空間に面白さを加えるデザインとしてだけではなく、省エネルギーで快適な室内環境を作り出す機能も果たす。昼は自然光、夜はLEDと時間帯に合わせた光の調節、上部にある開閉式の窓を利用しての換気など、自然の力を最大限に活用する。
建物全体を覆う格子状の屋根には岐阜県産の「東濃ひのき」を使用しており、訪れた人に地域との共存を気づかせるような工夫が凝らされている。

図書館の役割を決めるのはわたしたち一人一人

https://jp.freepik.com/

誰しもに平等に開かれた場だからこそ、社会の中で図書館が担える役割は大きい。
従来の「知の蓄積と探究」だけに留まらず、「リラックスできる場」「コミュニケーションの場」「地域のことを考える場」とあらゆる人を受け入れ、人々が行き交う拠点となることが望ましいと考える。
日本でも新たな役割を備えた図書館が続々と登場しているが、未だ一部の地域に限られているのが現実。どんな場所が自分の生活や地域をもっと豊かにするのか、一度想像を膨らませてみてほしい。
そのアイデアが未来のあなたの暮らしを変える場を創り出すかもしれない。

[参考]
・Oodi Helsinki Central Library
https://oodihelsinki.fi/en/what-is-oodi/
・DOKK1
https://www.dokk1.dk/english

・ぎふメディアコスモスについて
https://g-mediacosmos.jp/cosmos/about.html

・大人も子どもも楽しめる!岐阜県岐阜市の新感覚図書館「みんなの森ぎふメディアコスモス」
https://life-designs.jp/webmagazine/mediacosmos/

「世界を変える、暮らしを創る」ため、「暮らしの美意識を体現し、新たなカルチャーを創造する」ことをミッションとしているYADOKARI。
その試行の一つとして数ヶ月に一度4〜5名でチームをつくり、興味のあるテーマを探求する活動を行なっている。

今回、上杉、荒島、齊藤、山下が、準備期・回復期も含めて約7日間の「断食」に挑戦した。事前の期待や断食中の体感、そして終了後の心身やライフスタイルにもたらされた変化とは? 4人の座談会をレポートする。

断食前の期待、未知を求めて

今回の断食メンバー。左上/代表上杉(愛称:うえスピさん)、左下/執行役員荒島(愛称:こーじさん)、右上/齊藤(愛称:ゆーひ)、右下/山下(愛称:りおな)

−「断食」「ファスティング」にはダイエットや腸活、自然治癒力の回復、アンチエイジング、意識の明晰化などさまざまな効果があると言われていますが、今回どんな動機から断食にチャレンジしたのですか?

上杉: 外に探求テーマを求めるのも良いのですが、今回は自分自身を探求しようという話で盛り上がり、手近な所からということでファスティングをしようと。荒島も最近、鍼灸に目覚めて「東洋がすごい」なんて話していたんだよね。

荒島: 友人に紹介されて3ヶ月ほど鍼灸院に通ってみたところ、冷え性だった体がポカポカになり、全く科学的な内容ではないのに体は充実しているという状態に驚いてしまって。それもきっかけの一つになり、以前に上杉から聞いた滝行の話など、自分には馴染みのなかった世界に関心が出始めたので、その入り口としての「断食」という感じです。

齊藤: 僕は「自己探求」というテーマにすごく共感して。20数年間当たり前だと思ってきた1日3食摂っている日常を疑う、ということをやってみたかった。僕は「自己成長への憤り」を感じていて、何か新しいことを始めようと思っても結局は自分の分かっている範囲内に留まってしまい、何をしても既視感があり、真の成長をあきらめつつあったんですよね。でも断食をすることでもう一歩、自分のコンフォートゾーンを超えられるんじゃないかと興味が湧きました。

笑顔でアフター対談を行う山下(愛称:りおな)。「断食やろう!」と盛り上がる男性メンバー3人を横目で「とんでもないチームに入ってしまった、、、まさか自分が断食することになるとは」と心の声がダダ漏れで怪訝な顔していたのは、いつのことやら(笑)

山下: 私は今までどちらかと言うと「1日3食、きちんと満腹食べられることが幸せだ」という思考で生きてきたので、「食べない」ということができるとは思っていなかったんです。一方で、ちょうどパートナーと「朝食は食べる方がいいのか、食べない方がいいのか?朝食を食べた方が体に良いからといって菓子パンを食べるのはどうなのか?」みたいな議論をしていた時でもあり、自分が納得のいく暮らしを創ろうとする中、知らず知らず摂ってしまう添加物に疑問を感じてもいました。そんな中で、思いがけずこんな機会が訪れたので、とりあえず乗っかってみようと。

上杉: 僕は高校生ぐらいから「内なる探求」に興味があって。論理だけでは説明できない世界に関心があるんですが、YADOKARIではそんな話もわりと普通にできる。僕はメンバーの心と体と技能、つまり「心技体」がバランスよく整って力が発揮されていく「ホリスティックな経営」をしていきたくて、断食もその一助になるんじゃないかなと。

準備期間、自分自身の惰性に気づく

荒島(愛称:こーじさん)は、山登りが好きで、ランニングが最近の日課。月100kmを超えるランを忙しい中でもシャーシャーとやり切る強者。断食や東洋然り、前世はもしかして修行僧?だったのかもしれない(笑)

−固形物を全く摂らない2日間に向けて、事前に少しずつ食事を制限していく準備期間を過ごされたんですよね。カフェインを抜いていったり。その間の体感はいかがでしたか?

山下: 自分がどれだけパンとコーヒーばかり選んでいたかに気づきました。楽だからですよね。それを選ばないようにしようとすると、世の中に簡単に食べられる体に良い食事はごく少ないと感じました。逆説的ですが、食べないようにすることで、食べることをより真剣に考えた。焼き芋とか、ナッツとか、丁寧に手づくりしているおにぎりを選ぶとか。さらに、自分が今まで常に満腹でいようとしたことを自覚しました。空腹になるとソワソワしてしまって、惰性で食べていたんだなと。

荒島: 僕はその時ちょうど引越しや展示会が重なって、ものすごく忙しかったんです。そんな中で、食べたいと思ったものをすぐに食べられないことへのストレスは大きかった。毎回食べ物を自分でよく考えて選択しなくちゃいけない。処理すべき情報の多い現代社会の中で、一つ一つ考えて選ぶのは大変だなと感じました。ちゃんとした良い習慣をつくっておけばいいんでしょうけど、惰性の中で、かつ忙しい中でやろうとすると大変です。それから、コーヒーを抜いたせいか頭痛が酷くて集中力が保てなかったですね。

東京ビッグサイトで行われた合同展示会。YADOKARIのタイニーハウス展示にも2000人近い方々がご来場頂きました。YADOKARIのタイニーハウスラインナップは「こちら」でご覧いただけます。

齊藤: 僕は社会人になって最初の仕事がコーヒー屋だったので、長らくコーヒーをたくさん飲む習慣があり、それを飲まないとなると口寂しいし、集中もできないし、何にも手につかなくて困りました。でも逆に、今までどれだけ大量にカフェインを摂り続けていたんだろうと、そのことへの危機感の方が大きかったです。

上杉: 僕もいつもはコーヒーを1日4、5杯は飲んでしまうので、デカフェに替えてからやはり頭痛が辛かったですね。食事制限は、これまでも16時間断食とか1日1食みたいなことは時々やってきたので、空腹が辛いということはあまりないのですが、やりすぎると過度に繊細になる感覚があります。人混みの中を歩けないとか。都会で生きるためのバランスも必要で、住むエリアの情報量と体は密接に関わっている気がしています。菜食やカフェイン抜きの生活は自然が多い場所の方がやりやすそうですよね。

最近メキメキと頭角を表してきた齊藤(愛称:ゆーひ)。元々「内的対話」に関心が高いようで、今回の断食もノリノリ。元々コーヒー屋さんで働いていた経験もあり、ダムやテトラポッドなどの造形物フェチなので、彼のデートコースにはアウトドアコーヒーとダム見学がもれなくついてきます(笑)デートオファーは「こちら」からどうぞ。

断食中、外れていく囚われ

−その後、酵素ジュースなどを飲みながら固形物は一切摂らない2日間の断食に突入しましたが、いかがでしたか?

山下: 私にとって「ごはんを食べない」というのは非日常的すぎる状態で、ふだん通りの行動をすると倒れちゃうんじゃないかと必要以上に自分を大事にしてました(笑)。家でじっとしてスマホの画面もできるだけ見ない、みたいな。私は「これを食べたいから、ここに行こう」というふうに食事を起点に日々の行動が決まっていきがちなので、食べることをしないと何をしたらいいのか分からなくなっちゃった。そのストレスもあって不機嫌になり、パートナーとまさかの大喧嘩をして「なんでこんなことやってるんだろう…」と後悔。でもこの期間に断食の本が届くように購入してあったのでそれを読み、「1日に摂る栄養を極限まで減らすと病気への治癒力が高まる」などの事例を知って、少し平常心になりました。「食べないことは不健康だ」という思い込みは外れましたね。

期間中のメモは「なんでこんなこと始めちゃったんだろう」と葛藤の時間、各々人生や暮らしを振り返る。参考図書としてあげた野口法蔵さんの「直感力を養う坐禅断食」では、身体を知ると、心と繋がり、日々内なる感動と幸福感で毎日を暮らせるという。

荒島: 断食中は準備期間よりも楽に感じました。この2日間は何もしないと事前に決めていたので、心も、時間の使い方も有意義だったと思います。妻も一緒に断食をしてくれたので、つくってくれたジュースを飲んで過ごしました。この期間は食べることについて悩まなかったのが良かったですね。朝も起きやすくなりました。

齊藤: 僕は、今回は水と塩だけで過ごすというかなりハードな2日間だったんですが、特に1日目は空腹で地獄のようでした。目の前で人がおいしそうな物を食べていると匂いを強く感じたり、その人に敵意を抱いたりして(笑)、準備期間とは違う感覚がありました。でも2日目が終わるとガラッと意識が変わり、食べ物を見ても「これは自分が食べられない物だ」と認識するようになり、心の奥ではそれが食べ物だとは思っていないという不思議な感覚になりました。今までにはなかった感覚です。

上杉: 1日目は頭痛が酷くて、遠方まで音楽ライブを聴きに行ったんですが、音楽が全然入ってこなかった(笑)。2日目になると体もスッキリして爽快感がありました。でもパソコンに向かうのがしんどくて無理でしたね。断食などで大きく自分を切り替えたい時は、やはり身を置く場所を変えてやるのが良さそうだと思いました。そういう理由で住む場所や滞在先を選ぶのもありですよね。

断食を経て、新たな選択肢を手に入れる

−そんな断食期間を経て、終了後に体や心、生活に何か変化はありましたか? また、今後は断食とどのようにつき合っていきたいですか?

山下: 断食が明けて、りんごやさつまいもなど回復食を口にした時の、素材そのものの味が本当においしくて感動してしまいました。素材だけでこんなにおいしいんだと幸せな気持ちになれた。私は、今後も断食を続けようというよりは、1回1回の食事を丁寧にしようと思うようになりました。惰性で食べるのではなく、一つの食材を買う行為が「自分を労っていると感じられる瞬間」になるようにしていきたい。安いから買うのではなく、選択する時の自分の軸が新たにうまれた感じ。断食は、それを忘れないためにたまにやるぐらいが私には良さそう。忙しすぎるとか、何か自分に目が向いていないなと感じた時に、体の不調も含めて自分に意識を向け直すきっかけとして活用したい。

荒島: 断食を体験して、自分の習慣が変わったと思います。コーヒーとお酒をあまり飲まなくなりました。おいしく感じなくなったという方が正確かな。食べる量も減り、夜は6時か7時頃には食事を済ませて翌朝気持ちよく起きたいと思うようになりました。先月、ハーフマラソンに出場したんですが、長距離を走るには、日々走る時間を確保し続けることが重要で、夜にお酒を飲んでしまうと走れないんですよね。走る時間もつくりやすくなったので、次はフルマラソンに挑戦しようと思っています。今後、断食を頻繁にやるイメージはないけれど、今の感覚は忘れないようにしたい。惰性で生活習慣をつくらず、本当に体に必要な物の選択肢を、入手方法も含めて一つ一つ生活の中に増やしていく。今は古い習慣を壊しただけなので、ここから新しい習慣や日常をつくっていこうと思います。

YADOKARIと子会社のはじまり商店街のグループ有志メンバーにて、定期的なランニングイベントを開催。ウェルネス経営やウェルビーイングのためにと堅苦しいスタートよりも、対話の機会を楽しみながら少しづつ実践。健康は全ての気運を高めます。

齊藤: 断食後のいちばんの変化は「体の濁り」に気づきやすくなったこと。自分の中にある悪い状態に気づきやすくなった。僕の中の「水」や「空気」がうまく循環していないと濁ってくるんだけど、サウナや運動もそれを取り替える行為で、「食」もその一つだなと。食べる物を見直すんじゃなくて「無くす」という調整の仕方を知り、日常で濁りを感じた時に「何を引けるか」を考えるようになりました。日々の仕事や人間関係の中で、目に見えないチリみたいなものが少しずつ溜まって濁りが出てきてしまうんだけど、その解決を外に求めるのではなく、セルフメディケーションが大事だと思います。そういう濁りを濾過して五感を整えるためにも、僕は今後も3ヶ月に1度くらいは3日間くらいの断食をしようかなと。

上杉の愛称:うえスピさんは、過去の断食や寺修行の話を嬉しそうにする彼をみたメンバーが「ウエスギ・スピリチュアル」と社内命名。「今、うえスピさん発動してるから」とドM気質?な社長を弄る日常です(笑)

上杉: 僕も毎日飲んでいたお酒が週1くらいになりました。今、欧米の若者の間でも「ソバキュリアン(あえてお酒を飲まないライフスタイルを選択する人々)」が増えていますが、僕もノンアルコールのクラフトジンを求めて京都を訪れるなど、断食をきっかけに新たな探求が広がっています。カフェインを摂ると体に痛みが出るようになったので、カフェインレス・コーヒーを20種類くらい研究して、自分好みの二酸化炭素抽出のデカフェも見つけました。僕にとって朝日を見ながらゆっくりコーヒーを淹れてホッとする時間は、「暮らしのシーン」として豊かさを感じるので、そういう取り入れ方をしようと。断食はここ数年やりたいと思いながらもやれていなかったので、できて良かったです。自分が今、ワクワクしているのか、悲しいのか、美しいと思っているのか…自分の感情、オノマトペがクリアに分かる瞬間がありました。「ミニマリスト」というのは「自分の本当に大切なものを大切にできる人」ということなので、断食による体験を通過した後に、自分がどんなものや人を選ぶのかに興味があったのですが、今回は周りの人の温かさを強く感じられるようになる実感がありました。今後も生き急いでいる時は断食をして、メンバーとゆっくり話したいなと思います。

−上杉さんは一人で断食をされた経験はこれまでもあると思いますが、仲間と一緒に行ったのは初めてですか?

上杉: 初めてです。最高でした! やっている時の辛さを共有できるというのは、断食に関わらず人生において大事なことだと改めて思いました。こういう体験や自己探求をメンバーと共有できることが重要だし、それが会社の成長ともリンクしていくのがYADOKARIらしいと再認識しました。

創造的な人生へ向かうために

4人4様の期待から始まった今回の断食だが、7日間を経て全員が自分自身の思い込みや惰性に気づき、苦しみながらもその重力場の外に脱出して、クリアな自分の心身の中心軸と新しい視野を獲得できた体験となったようだ。さらに、「サンガ」的に、これを仲間と共に行えたことの意義も大きいと上杉は語っている。無自覚な摂取や食べることへの囚われから解放され、自分が取り入れるもの=自分をつくるものに対して主体的になるための、このちょっとしたイニシエーションは、日常の中でアレンジして使える手軽で有効な自己調整の手段になる。そして荒島が言うように、惰性を壊した後に新たな暮らしをどのようにつくるのか、その手札を求める過程で、私たちの人生はより豊かになりそうである。

断食明け少し期間を空けて、打ち上げ会の一コマ。お疲れ様でした。

取材・文/森田マイコ

団地で暮らす「コミュニティービルダー」が団地住民や地域の方々と一緒に、鶴川団地の新たな魅力を創造・発信していく未来団地会議「鶴川団地プロジェクト」。

2022年3月には「鶴川万福祭(以下、万福祭)」、9月には「鶴川ラクガキオンガク祭」といったコミュニティビルダー主体のイベント開催され、鶴川に所縁のあるアーティストの音楽ライブや読み聞かせ、ワークショップなど、”みんなで”鶴川団地を楽しむ様々な企画が行われてきました。

そして2023年4月23日には、待望の「鶴川ラクガキオンガク祭-2-」を開催!第2回目となりパワーアップしたイベント当日の様子をお伝えします。

朝から大盛況!てづくりカスタネットワークショップ

11時のイベント開始と共にたくさんの子どもたちが集まっていたのが、町田市相原町にある家具工房「くうちん工房」さんのてづくりカスタネットワークショップです。ひもを選んで取り付ける「簡単コース」と工具を使って木材に穴をあけるところから作業をする「最初からコース」が用意され、子どもたちは世界に一つの、自分だけのカスタネットづくりに熱中!

今回のラクガキオンガク祭のライブでは、カスタネットを使って演奏に参加できる演目をアーティストさんが用意しており、「ライブが始まる前にカスタネットを完成させたい!」という子どもたちで、ワークショップがとても賑わっていました。


使用する木材から選ぶことができ、会場にいる子どもたちの間で、「それは何の木のカスタネット?」、「私のはチェリーの木!」といった会話が飛び交う場面も見られ、くうちん工房の大川さんは「私が同業者とする会話みたい!」とても驚いていました。

みんなノリノリ!ミュージック紙芝居

11:45になると、皆さんお待ちかねのライブがスタート!最初の演目は、鶴川団地に住まいながら、コミュニティビルダーとして団地・地域を盛り上げている鈴木さん、石橋さんと、団地内にある音楽教室「和音の木」によるコラボ―レーション企画であるミュージック紙芝居です。

鶴川図書館とのコラボレーションから始まった読み聞かせ企画に端を発し、今ではすっかり鶴川団地お馴染みの催しに。お話に合わせて奏でられる生演奏を子どもたちも楽しく観賞していました。

子どもたちがカスタネットの音色で参加できるお話も用意されており、音を鳴らしたり身体を動かしたり、ノリノリでお話の世界を楽しんでいました!

ドラムを演奏してくださった和音の木の講師である真野さんにお話を伺いました。

真野さん「ラクガキオンガク祭は2回目の参加で、お天気もよく、子どもたちも楽しんでくれていたように思います。紙芝居に即興で音楽を付けることにも慣れてきて、楽しく演奏できました。」

和音の木の生徒さんはレッスン前にセンター広場で遊んでいることも多く、「遊んでいる子どもたちに『練習するよー』と声をかけてレッスンが始まることもあります」と、団地の原風景のようなエピソードもお話してくれました。

さらにこの日は、演奏だけでなく「音楽教室の駄菓子屋さん」も出店。子どもも大人も、駄菓子をたくさん積んだ屋台を囲んでいました。鶴川ご出身である和音の木・代表の和田さんにも、お話を伺いました。

和田さん「私は生まれも育ちも鶴川で、昔の全盛期の団地の雰囲気を知っているので、イベントやお祭り以外にも日常的に賑わいを作れるよう、そして子どもの声が聞こえる団地にできるよう、和音の木を始めました。

言葉を交わさずとも心を通わせることができるのが音楽の強みだと思うので、参加型で子どもたちに生音を届けられるラクガキオンガク祭はとても良いなと思っています。イベントに関わる人たちが少しずつ増えていますが、団地周辺には素敵なお店がたくさんあるので、どんどん輪が広がって、団地内外のいろいろなお店や場所が楽しめるようになったら良いなと思います。」

カスタネットを一緒にクラップ!かりんちょ落書きwith清水くん

続いてお昼過ぎからライブを行ったのは、「かりんちょ落書きwith清水くん」。東京都内を中心に活動するシンガーソングライターであるかりんちょ落書きさんと、ピアニストの清水さんのコラボレーションユニットです。

2人が演奏を始めると、客席からは「かっこいい~!」と歓声が。カスタネットを叩きながら、立ち上がってノリノリで踊る子どもたちの姿も見られました。

鶴川出身のかりんちょ落書きさんに、ライブの感想を聞きました。

かりんちょ落書きさん「普段演奏している環境とは違うので最初は不安な部分もありましたが、子どもたちが楽しんでくれて、いつもと違う景色を観れて良かったなと思います。

僕は鶴川が地元で、子どもの頃はセントラル商店街にある『おもちゃの三景』に行ったり、鶴川センター広場で友達と喋ったりという日々を過ごしてたので、鶴川団地には思い出がたくさんあります。そんな場所でライブができるとは思っていなかったので、とても嬉しいです。」

商店街のお店を巡ってつくる、自分だけの団地ウィッチ

お昼時は団地ウィッチをつくるお客さんで行列が!

ちょうどお腹が空いてくるライブとライブの間の時間は、あるいて・はさんで・たべて楽しむ「団地ウィッチ」の企画が大人気!配布ブースでかわいい包み紙を受け取り、センター広場沿いにあるベーカリーフジヤでパンとサラダを、お隣の佐藤商店でお惣菜を集めます。

パンは3種類の中から、お惣菜は佐藤商店のコロッケやメンチカツなどのお惣菜から自由に選ぶことができます。

具材が揃ったら、パンにはさんで……

自分だけの、団地ウィッチが完成です!

佐藤商店の店主さんで、鶴川団地商店会の会長も務める佐藤さんに、店頭から見たラクガキオンガク祭の様子を伺いました!

佐藤さん「普段はあまり商店街を巡る機会のないお客様も、お店をハシゴして、自分だけのある種の作品を作るというのは面白い試みだと思いました。鶴川団地は昔からイベントが多い商店街ではありますが、こういった新しい発想は、コミュニティビルダーさんを中心に新しく団地に関わってくださるようになった方々がいるからこそできたことだと思います。

今日のイベントには団地周辺以外の方も足を運んでくださっているようで、商店街としてはありがたい気持ちです。次回はまた違った角度の企画を行い、商店街の色々な業種のお店が関われるようになっていったら楽しいかもしれませんね。」

鶴川団地センター商店街には、団地ウィッチにご参加いただいた店舗さんの他にも、コーヒーとお弁当販売にご協力いただいた「プラスハート カフェ 劇場」をはじめ、魅力的なお店がたくさん。ご来場いただいた方々は、センター広場を囲むように軒を連ねる様々なお店を巡って、団地の魅力を再発見しているようでした。

リピーター続出!出張!つるぼう

団地ウィッチ、駄菓子屋さんと共に、ライブの間に子どもたちが楽しんでいたのは、鶴川冒険遊びの会が主催する「出張、つるぼう!」のブースです。鶴川中央公園にある冒険あそび場「つるぼう」が、この日は鶴川団地に出張出店!ヨーヨー釣り、スーパーボールすくいと、ラムネ販売を行いました。

ヨーヨー釣りやスーパーボールすくいにはリピーターが多く、イベント中に大人たちがヨーヨーを買い足しに走っていたんだとか。つるぼうの代表である市川さんに感想を伺いました。

接客をする子どもたち

市川さん「今日は普段からつるぼうに来ている親御さんや子どもたちもたくさん遊びに来てくれました。子どもたちはこういうお店が好きなので、やりたい!と言ってレジの手伝いなどもしてくれました。こういう広い場所にチョークで落書きができるのはすごく良いなと思うし、ラクガキオンガク祭をきっかけに、つるぼうにも音楽遊びコンテンツを作るのもありだな、と思いました。」

鶴川でしか見られないスペシャルユニット!ハ〜モニ〜ズ

14時過ぎには、ライブのトリを飾る「ハ〜モニ〜ズ」が登場!新百合ヶ丘にある昭和音楽大学の卒業生で結成されたサックスカルテット(4重奏)にパーカッションを入れた5人組ユニットで、万福祭、第1回目のラクガキオンガク祭に続いて3度目の出演となります。

ちなみに、ユニット名はセントラル商店街にある『古着 雑貨 趣味の店 ハーモニーゼネラルストア』で購入した洋服や小物を身に付けて演奏していることに由来しているそうです。

3回目の出演とあって、客席からメンバーの名前を呼ぶ歓声が聴こえる場面も。ディズニーの名曲から昭和の歌謡曲まで、大人も子どもも楽しめるラインナップで、会場全体が一体となって心地よい熱気を帯びていました。

サクソフォニスト・そうしさん「今回が3度目の参加となりますが、万福祭から回を重ねるごとにお客さんが増えてきたなと感じます。あまりの盛り上がりに、今日はライブ中に思わず、『アリーナ―!』と叫んでしまったくらい(笑)。イベントも、この団地も、どんどん賑やかになっているように感じて、とても嬉しく思っています。」

パーカッショニスト・ひろしさん「僕は物心つく頃から鶴川に住んでいます。大人になると地元と距離ができてしまうことも多いと思いますが、ラクガキオンガク祭のように子どもから大人までみんなで楽しめるイベントが続いていってほしいです。地域のまだ巻き込めていない人たちも巻き込んで、イベントがもっと大きくなっていったら幸せだなと、鶴川に住む者としては思います。そして僕らも、それに応えられたら嬉しいです。」

広場全体がラクガキで埋まる!?

これまでご紹介したコンテンツと並行してイベント開始時から行われていたのが、センター広場全体を使ってのラクガキ!!子どもたちはチョークを手にとり、友達と同じお題でお絵描き対決をしたり、マルバツゲームをしたり、「広場全部をうめるぞ~」ととにかくたくさん絵を描いたり、思い思いに楽しんでいました。

ライブに出演したかりんちょ落書きさんのラクガキも発見しました!

前回のラクガキオンガク祭よりもたくさんの絵が描かれ、イベントが終わり人がまばらになった後も、ラクガキによってイベントの賑やかさが伝わって来るようでした!

出店者さんもイベントを満喫!

14時頃にはカスタネットが完売していたくうちん工房さんのワークショップ。ご自宅が鶴川団地の近くだというお二人は、つるぼうさんのブースでラムネを購入したりと、参加者としてもイベントを楽しんでいる様子でした。出店者として、そして周辺住民のお一人として、大川さんご夫婦にイベントの感想を伺いました。

奥様「娘が小さい頃は、保育園の帰りに佐藤商店さんでコロッケを買って、よくこの広場で遊んでいました。今でも日常的に団地の商店街を利用しているので、鶴川団地のイベントならもちろん行きます、と喜んで参加させていただきました。私たちは色々な場所のイベントにワークショップを出店していますが、今日はミュージシャンの方々が振り付けにカスタネットを入れてくださって、作ったものをこの場ですぐに使えたのがすごく良かったなと思います。滞在時間が長いのも、普段から人が集う団地の広場ならではなのかなと感じました。」

ご主人「鶴川団地の良さは、団地住民だけでなく、近隣の人が場に集まって知り合いと言葉を交わせる場になっていることだと思います。今日はそういった地域に開かれた場で、音楽、ワークショップ、ラクガキという複数の要素がかけ合わさることで、人が集まりやすい、楽しいイベントになったのかなと思います。若い人たちが団地に入ってきたことによって、イベントの形態も今までにないアプローチをしているのがおもしろいと感じています。自分たちもただ出店するのではなく、プラスアルファでおもしろいことを考えようという発想になり、とても刺激になりました。」

子どもたちの心に残るイベントを、みんなで一緒に創っていく

最後に、今回も皆さんに楽しんでいただけるイベントづくりに奔走してくださった、コミュニティビルダーのお二人に、ラクガキオンガク祭-2-を振り返っていただきました。

鈴木さん「万福祭から始まり、回を重ねるごとにイベントの根本が少しずつ育ってきたように感じています。音楽に強い高校や大学が近くにあるからか、鶴川は音楽系のコンテンツが強いまちのように感じているので、音楽を軸に据えてコンテンツを展開していくと、地域の方々にとっても、参加してくださるパフォーマンス側にとっても、良いものができるのではと感じています。今日のラクオンガク祭のように体験型のコンテンツがあると記憶に残りやすいと思うので、一方通行ではなくみんなで一緒に創りあげるイベントを今後もやっていけたらと思っています。」

石橋さん「ライブの演者さんも出店者さんも、子どもの心をぐっと掴むのが上手い人たちが集合していて、学ぶことの多い1日でした。地域の小学生の中で、「またラクガキオンガク祭あるらしいよ」と噂になっていたようで、イベントを目当てに団地に足を運んでもらえるようになったのがすごく嬉しいです。地域に所縁のあるミュージシャンが演奏してくれることをありがたく思うと同時に、鶴川という限られたエリアでこれだけ所縁のあるミュージシャンやおもしろい人を集められる、鶴川というまちのおもしろさ、ポテンシャルを改めて感じました。

今後も、『団地に行ったらこんな面白いことがあったね』という子どもたちの記憶に残るような体験を作り続けられたらと思っています。将来彼らが大きくなったときに、『子どもの頃、地域でこんなに楽しい思い出があるから、自分も何か地域にコミットしたいな』と思えるようなことを、これからも続けていきたいです。」

大盛況で幕を閉じたラクガキオンガク祭-2-。出演アーティスト、出店者さんをはじめ、イベントに関わる人々が、鶴川というまち、そして鶴川団地を大切に想っていることが伝わる、温かく優しい1日となりました。次回のイベントでは、この場所でどんな景色が生まれるのか、とても楽しみです。

取材・文/橋本彩香

私がジャカルタに到着した翌日の8月17日は、ちょうどインドネシア共和国の独立記念日だった。

インドネシアは、1602年から約340年間にわたってオランダに統治されていた歴史がある。その後約3年間は日本の植民地となり、第二次世界大戦の終結とともに1945年の8月、スカルノがハッタと共に独立宣言を行った。

インドネシア国民にとって、この独立記念日は国の一番のお祭りだと言う。

朝6時、寝ぼけ眼の状態でテレビをつけると、華やかな式典の映像が目に飛び込んできた。民族衣装の色と、馬に乗った軍人の整列、伝統的なダンス。中央ジャカルタのタムリン通りで行われている賑やかなパレードの景色は圧巻だった。

ジャカルタのスラム街を歩く

そのようにお祭り模様一色だった街は、ジャカルタの中心地だけではない。

トタン屋根の家が立ち並ぶ、ジャカルタ郊外・スラム街でも、あちこちにインドネシア国旗が飾られていた。さらに、独立記念日にちなんだ町のゲーム大会が各地で開催されている。

道の上でゲーム大会を楽しんでいる人々 photo by writer

パン食い競争のように、クロポック(揚げせんべい)を早く食べる競技「Lomba makan kerupuk」や、米袋に入りジャンプして早さを競う競技「Balap Karung」、サッカー、歌唱大会など、その種類はさまざま。近年ではテレビゲームで競うこともあるそうだ。イベントのトリには、複数の町が集まって、ぬるぬるのヤシの木の上にある景品をとる競技「Panjat Pinang」が開催されると言う。

このゲーム大会には、赤と白の国旗の色の服を着た老若男女が集まり、みんな楽しそうにゲームを楽しんでいる。日本で言う、小学校の運動会が街全体で開催されているような雰囲気で、私は旅先の孤独が少し和らいだように感じた。

photo by writer

線路沿いのスラム街。トタンの家がずっと先まで並んでいる photo by writer

イベントは、8/17から8/18の2日間にわたって行われる。このように一体感のある、人々の力を感じるのは久しぶりだった。町中が赤と白の国旗に溢れており、日本で1年間の間に見る国旗の数を、インドネシアの1日で見たのではないかと思うくらいだ。

このように国旗が数多くはためく通りを歩いていると、私は今インドネシアという国に、そしてその歴史の上にいるのだと常に実感させられた。

インドネシア国旗と歴史、そして国民性をつくるもの

町にいた様々な人に聞いてみると、インドネシア国旗は独立記念日だけでなく、常に街中に飾られていると言う。ペニダ島でダイビング講師をしている通称・G-MANは、「僕たちはインドネシアという国を誇りに思っているからいつも国旗を飾っているんだ」と語ってくれた。

インストラクターのG-MAN。刺激を求める彼は、最高3ヶ月と決めてインドネシア国内の様々なダイビングショップに勤めている photo by writer

「僕たちは植民地時代、独立するために、みんなで協力しなくちゃいけなかった。だから皆フレンドリーだし、知らない人にも笑顔で挨拶するんだ。それは、そうする必要があったからだと思う。それに、皆家族のような関係を築いている。家の通りの30-40軒の人のことはみんな知っているよ。もし誰かに自分の秘密を話しても、2日後にはみんな知っているから、面白いね。」

彼に人と仲良くなる秘訣を聞くと、一度距離が縮まったら遠慮なく聞くんだ、と言う。

そして彼は、横にいた同じインストラクターの男性に「Why are you that fat?(なんでそんなに太ってるの)」と笑いながら尋ねた。すると、その男性はニコニコしながら「This is happy stomach! because I love eating!(これは幸せなお腹だよ、僕は食べるのが大好きだからね)」とお腹をたたきながらニコニコと答えてくれた。それはもちろん、基本的な関係構築があった上のものだよ、と彼は強調した。

photo by writer

私の体感だけれど、インドネシア人は常にお喋りをしているように思う。街中では電話や立ち話をしている人がとても多く、仕事中でも店員さんやお客さんとカジュアルに会話を始める。そして、観光客にもまずはニコリと笑いかける人が多いのが印象的だった。

特に日本では、このような下町のような深い人間関係が、苦手だと感じる人もいるのではないかと思う。しかし、人柄や国民性というものは決して先天的なものではなく、環境や歴史によって作られるものだ。家同士の距離が近いジャカルタでは当然、周りの人と家族のように密な関係を築くのが自然だし、生活を送る上でその方が色々と上手くいくだろう。家同士の距離が遠くなる都会では、もちろんその傾向は薄くなる。

そうやって考えると、「その土地でどのような人間関係が構築されるか」を規定しているのは、実は自分たち自身ではなく、ほとんど歴史や環境などの外部要因なのかもしれない。

インドネシアの彼らの人懐っこい笑顔に触れることで、私はなんだか日本にいる家族が恋しくなった。独立記念日のインドネシアの裏道で出会ったのは町のイベントで溢れる人々の笑顔と団結力、そして国への誇りだった。

裏通りでも多くのインドネシア国旗が飾られていた photo by writer

「センス・オブ・ワンダー」
これはすべての子どもが生まれながらに持っている感性のひとつだ。

幼少期の頃のことを思い返してみてほしい。

動物や乗り物、食べ物などに似た形をした雲を見つけたり、
月の中にいるうさぎを探してみたり、
木の蜜に群がるカブトムシや、両手のハサミを大きく広げるザリガニたちの世界を覗いてみたり、
道路の白線からはみ出ないように慎重に歩いてみたり。

こういったことにワクワクした経験はないだろうか。
これらの瞬間に芽生えるワクワクした気持ちや感動は、センス・オブ・ワンダーによるものかと思われる。

今回は、私たちに秘められた感性、「センス・オブ・ワンダー」を紹介する。

変わり映えのない日常に飽きてしまった大人たち、子どもとのかけがえのない日々を大切に過ごしたい人達に何か力を与えられるかもしれない。

「センス・オブ・ワンダー」とは、一体・・・?

センス・オブ・ワンダーとは、すべての子どもが生まれながらに持っている「目の前にあるものに対して神秘さや不思議さを感じ、驚いたり感動したりする感性」のことをいう。

自然の雄大さに感動すること。
月の中にうさぎを探す、雲の形を別の何かと捉えてしまうような豊かな想像力を発揮すること。
昆虫や動物など、別の生き物の存在に目を見張ること。
幼少期に体験するこのような瞬間には、この「センス・オブ・ワンダー」が発揮されているのだ。

この感性があれば、私たちの日常は、感動や驚きが連続する豊かな日々となる。そしてこの感性は、私たちにとって大切なものや本当に美しいものを見極めることを手助けしてくれるだろう。

つまり、センス・オブ・ワンダーは、その人の人生をずっと支えていく大切な力となるのだ。

しかし、難しいことや複雑なことなど、多くのこと見聞きしていく私たちのセンス・オブワンダーは、大人になるにつれてだんだんと薄れていき、時にそのすべてを失ってしまうこともあるのだとか。

失ったセンス・オブ・ワンダーを取り戻すことは出来ないの?

大人になってしまった私は、失ったセンス・オブ・ワンダーをもう取り戻すことは出来ないの?
そう諦める必要はない。
ここでは、大人たちがこの感性を取り戻すために出来ることを紹介していこう。

①子どもと共に自然の中で時間を過ごす。


子どもと共に自然の中で過ごしてみることは、あなた自身の感受性に磨きをかけることにつながるのだという。

センス・オブ・ワンダーに富み、目・耳・鼻・指先などの様々な感覚を使って自然の豊かさを享受する子どもたちから、使わずにいた感性や感覚を味わえるようになるためのヒントがもらえるかもしれない。

ぜひ、一緒に何かをじっくりと見たり、気になるものを触ったり、顔を近づけて香ってみることに挑戦してみてはいかがだろうか。

②「もう二度とみられないとしたら?」自分自身に問いかけてみる。

毎日歩く通勤経路や通学路、いつもの犬との散歩コースなどあなたにとって当たり前にある景色を、しっかり味わえているだろうか。

私たちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識していると言われている。
しかし、周囲の景色に見慣れていくうちに、目にはしていながら本当には見えていないものが増えていくのだという。

見すごしていた美しさに目を開く方法は、
「もしこれが、いままでに一度も見たことがないものだとしたら?」「これをもう二度と見ることができないとしたら?」そう自分自身に問いかけることだ。

これを続けていくうちに、周囲にひそむ美しいものを見すごさず、その素晴らしさに気づくセンサーを身につけることが出来るだろう。
当たり前になり、気にも留めていなかった景色に感動する瞬間に出会えるかもしれない。

③湧きおこった感情を、すぐに言葉にしないこと

わたしたちの頭の中には、便利な言葉がたくさんある。

例えば、「面白い」という言葉。
不思議な植物や生き物のしぐさを見た時、映画を見て涙が出るほど感動したとき、漫才をみてゲラゲラ笑っているとき、難しい本を読んで「なるほど!」と思ったときでも、どんな場面でも使用出来る万能な言葉だ。
私たちは、日ごろからこのような万能な言葉たちを使用して、自分の気持ちを言葉にしている。

一方、小さな子どもたちの姿を観察してみたときのこと。
初めて花火をして、自分の近くに火があるということに不安げな顔をしたり、大好きな公園で「キャッキャ」と声を出しながら跳びはねたり、走り回ったり。彼らは感情を言葉にする前に、表情や体で気持ちを表現している。

そんな姿を見ていると、存在する言葉の数以上に、子どもたちの感情表現が豊富にあることに気づかさる。

同時に、その時自分が抱いた感情をすぐに言葉にしてしまうことによって失ってしまったり、こぼれてしまう発見や感動があるようにも思えてこないだろうか。

言葉にせずに、ただその時抱いた気持ちを感じとってみたり、素直に表情や行動に表してみたり、もしくは自分の抱いた感情に自分で名前をつけてみたり、いつもとは少し違う感覚で「感動」を味わうことを楽しんでみてほしい。

今だからこそ、価値がある。これからの生き方としての「センス・オブ・ワンダー」

ここまで、子どもたちは生まれながらに持ち、人の一生を支えていく力「センス・オブ・ワンダー」について紹介してきた。
この感性は、人々の日常に彩りや感動を与え、私たちの人生を支え続けるものであることがお分かりいただけただろうか。

何かにワクワクしたり、感動したり、楽しいと感じる時間は大切で、かけがえのないものだ。
だからこそ私たちは、映画を鑑賞したり、友人とフェスやライブ、ショッピングに出かけたり、行ったことのない場所に旅に出たりもする。
時間やお金という「対価」を払って、「感動」や「ワクワク」を体験することは、今私たちの中では当たり前のこととして受け入れられている。

しかし、だからこそ今、大きな対価を払わずに、身近な日常の中に輝きを見つけ、大きな感動を抱くことの出来る「センス・オブ・ワンダー」という感性を育てることに、大きな価値があるようにも思える。

未来を担う乗り物は、車や新幹線、飛行機ではないのかもしれません。

優しく気持ちのよい、そよ風に乗ったり、
わたあめのようにふわふわとしてみえる雲に乗ったり、
自分の中にある‟気分”に乗ってみたり。

私たちは、目に見えなかったり、触ることの出来ない乗り物にも、
案外乗ることが出来るのかもしれませんね。

参考文献
レイチェル・カーソン著, 「センス・オブ・ワンダー」新潮社, 1996
福岡伸一, 阿川佐和子著, 「センス・オブ・ワンダーを探して ~生命のささやきに耳を澄ます」,大和書房, 2011

「離婚することになったんだ」そんな報告を友人から受けたとき、どうリアクションするのが正解かわからず、「へ~…」とうなづいてみたり、「あ、お疲れさま…」なんて答えてお茶を濁したりしたことがある…そんな経験をした方も多いはずだ。離婚という言葉に対して慎重になってしまうのは、離婚に対してどこかマイナスなイメージがあるからだろう。

離婚とはできるだけ避けたいイベントであり、結婚のように祝うこともなく、ヒッソリとおこなわれることが多い。しかし、そんな「離婚」に対して、たいへん好意的な人たちがいることをご存じだろうか。

「娘は今離婚しました!」高らかに宣言する母親は、笑顔だった

何度も離婚している、そう伝えたときに相手が受ける印象は、あまりプラスとはいえないだろう。両親に離婚を伝えるときも、多くの親は「あなたの決断を尊重する」といいつつも、どこか悲しげな表情をしているかもしれない。しかし、アフリカ北西部にあるモーリタニアという国では、離婚した回数が多いことは「人生経験が豊富」と捉えられ、プラスにはたらくのだという。多くの女性が5回から10回程度の離婚を経験し、多い人は20回にも及ぶというのだから驚きだ。

via:https://courrier.jp/news/archives/330061/

実際に、離婚したばかりの娘を持つモーリタニアの女性は、娘を主役とした離婚式の翌日、街中に響く大声で「娘は今離婚しました!」と宣言する。これは、娘が無事に離婚できたことを知らせる役割はもちろん、「私の娘は再び結婚できる状態にある」という告知でもある。離婚をマイナスと捉えていないからこそ、「婚姻中」から「相手募集中」へとステータスが変化したことをこれだけ堂々と知らせることができるのだろう。

日本でもできます!笑顔でサヨナラしたい2人の「離婚式」

「離婚を喜ぶのはモーリタニア独自の変わった文化で、日本では通用しないんだろう…」実は、そうとも言い切れない。実は、日本には、2人の再出発を祝うための「離婚式」というサービスが存在しているからだ。アメリカ発のサービスだが、現在は国内企業が手掛けている。国内のとある離婚式サービスは、創業から700組以上の離婚式をプロデュースしているというから、界隈では名の知れた存在ともいえるだろう。

離婚式とは、その名の通り離婚をするための式のことを指す。新郎新婦ではなく、旧朗旧婦が、仲人(なこうど)ではなく、裂人(さこうど)が見守る中、婚姻を誓った指輪をトンカチで叩き割るのだという。ほかにも、結婚から離婚に至るまでの経緯をスライドショーで流したり、互いの顔が真っ白になるまでパイを投げ合い、リセットを図るお色崩しなどがある。

via:https://www.rikonshiki.com/

悲しいはずの離婚式に、なぜかクスッとしてしまうような仕掛けを盛り込んだ離婚式。実は、離婚を式という形で公に伝えることで、気持ちが整理できたり、離婚相手やその関係者とも良好な関係を保てたりと、メリットが多くある。お互いの再出発を最高の形でサポートしたい、そんな互いをねぎらい合う気持ちが、別れを選んだ2人を離婚式に向かわせるのかもしれない。

言葉が持つイメージにとらわれずに、自分たちらしい離婚を考える。

ここまで、離婚がもつマイナスなイメージを覆すような例を紹介してきた。遠い国モーリタニアの離婚パーティーという慣習や、日本で展開されている離婚式というサービス、どちらにも共通しているのが、言葉の持つ意味に囚われず、自分たちらしい離婚を考えているという点ではないだろうか。モーリタニアでは、離婚を歓迎する文化があるとはいえ、離婚するという決意をするのは当事者たちだ。どのようなパーティーにし、どのような再出発を図るかは、自分で決めている。日本の離婚式は、離婚というネガティブなイメージを式で払拭し、2人の再スタートを祝う契機として活用している。

離婚に対し、「悲しいことだ」「うまくいかなかった」と感じるのは自由だが、「自分らしい人生のスタートだ」「これからにワクワクする」と感じるのも自由だ。どちらか1方を選ぶのではなく、両方感じるのもありだろう。離婚へのマイナスなイメージに引っ張られず、私はこう思う、こう思いたいという考えに従うことで、離婚を人生のライフイベントとしてうまく乗り越えられるのではないだろうか。

 

参考サイト:

“モーリタニアでは女性たちが「離婚パーティー」を開いて再出発を祝う”.COURRIER JAPON.

https://courrier.jp/news/archives/330061/

“離婚式オフィシャルサイト”.株式会社たきびファクトリー.

https://www.rikonshiki.com/


今注目を浴びているタイニーハウス。非日常感を味わえる空間で暮らすセカンドライフに欠かせない住居でもある。
そんなタイニーハウスの選択肢に「ショットガンハウス」をおすすめしたい。日本では馴染みのないレイアウトかもしれないが、特に”セカンドハウス”として活きる特徴がある。
今回はそんなショットガンハウスが流行っているニューオーリンズから、シンプルで効率よく暮らせるタイニーハウスの形を学んでいこう。

「ショットガンハウス」ってそもそもどんな家?


1800年代初頭に西アフリカ人とハイチ人移民によってルイジアナ州に導入されたのが起源だといわれている。アメリカはニューオーリンズでショットガンハウスが流行ったのは、ハイチ難民が持ち込んだためだそう。小さくスリムで、廊下が無く部屋同士がドアで繋がるレイアウトが特徴的。土地を広く使わず安価に建てられることで、低所得労働者やアフリカ系アメリカ人が住む地区で人気があった。

印象的な名前の由来だが、2つの説がある。1つは「ショットガン」という言葉が、”家”や”集会所”を意味するヨルバ語「トーガン」という言葉をもじったもので、アフリカ系アメリカ人の伝統に由来するという説。もう1つは、直線的なレイアウトを言葉で表している説。家のドアをすべて開けてショットガンを打つと、何にも当たらずまっすぐに発砲できるという特徴を言葉で表したのではないかという考えだ。

フランス、スペイン、クレオール、アメリカなどの文化が融合するニューオーリンズで発展したショットガンハウスは、ノスタルジックでおしゃれなデザインに進化し、今更に注目を集めている。続いてはショットガンハウスにどんな特徴があるのか見ていこう。

ニューオーリンズの気候が生んだ「エネルギー効率性」

https://www.homelight.com

ニューオーリンズの気候の特徴はその暑さ。エアコンが普及するまでは、涼しく過ごすために家の構造を工夫する必要があった。そんな中でショットガンハウスは、空間から熱気を逃がす工夫がされている。
天井が高く設定されることで熱気が上昇、繋がっている部屋のドアを開けることで前から後ろへと暖かい空気を流すことができるのだ。この換気の仕組みによって、自然なエネルギー効率を高めることが可能になったのである。

低所得労働者も住める「コストパフォーマンス性」


そもそもショットガンは、ニューオーリンズに移住してきたアフリカ人労働者が低所得でも住めることから普及した。開発者がある一定の土地を買い、そこにショットガンを詰めて建て、それを低所得労働者の人々が安価に借りれたという。

空き地や狭い敷地を最大限に活用することができるのもショットガンハウスのメリット。コンパクトでシンプルな構造であることは、土地代や初期価格だけでなく維持費、改装費、光熱費の削減にもつながる。そのためコストパフォーマンスが高いという特徴があるのだ。

「ショットガンハウス」は財布と環境に優しいタイニーハウス?

https://www.homelight.com

ショットガンハウスは構造上、移動する時は部屋を介さなければならない。家族内とはいえプライバシーも意識される家庭は多いので、階数や廊下の存在によって部屋を区切る間取りの方が一般的だ。
しかしそんなメインハウスの構造は、セカンドハウスとして数日使用するだけだったり、タイニーハウスとして使ったりするには大きすぎる。

そんな時に「ショットガンハウス」を利用してみてはどうだろうか?メンテナンスと管理がしやすいシンプルなレイアウト、自然と喚起されるエネルギー効率の良さ、場所を取らずコンパクトな大きさ。これらの特徴はセカンドハウスとして特に活きるかもしれない。
実際にショットガンハウスは、タイニーハウス文化の成長とともに人気を集めている。シンプルな魅力だけでなく、ノスタルジックなアクセントのある鮮やかなデザインも人気の理由だ。自分で好みの装飾にアレンジしやすいので、趣味の部屋として持つにもぴったりだ。

そもそも環境に優しいエネルギー効率とコストパフォーマンスの高さはとても実用的。そのため間取りに特に不便を感じない場合、初めて住宅を購入する人、退職者、頻繁に旅行する人にとってのメインハウスにもなり得る。
自分のセカンドライフを楽しむなら、アイデアや好きなモノを詰め込んだ「ショットガンハウス」を建ててみてはいかがだろうか?

【参照】
ニューオーリンズで涼しさを保つ: 夏の暑さ対策に建築がどのように役立つか
ニューオーリンズ建築ツアーのニューオーリンズ住宅ガイド!
ショットガンハウスとは何ですか?
可能性満載:ショットガンハウスの背景、利点、欠点
ショットガン ハウスが建築風景の中に戻る方法を見つける

photo by Nanami Kawaguchi

エコビレッジという言葉を耳にしたことはあるだろうか。
もし初めて聞いたのであれば、なんとなく「エコ=地球環境に優しい」場所をイメージするかもしれない。
もちろんそれも正解。だが、今回はエコビレッジが持つ強いコミュニティ性に注目していきたいと思う。

エコビレッジとは

そもそも、日本ではまだ聞き慣れないワードなのでは。私もデンマークに留学して初めてその存在を知った。
場所によって様々な特色があるが、The Global Ecovillage Network (GEN) は以下の要素が必要と考えている。

  1. 地域に根付いたものであること
  2. 4つの側面(社会的、文化的、経済的、生物学的)において持続可能なシステムが構築されていること
  3. 社会性および自然環境を積極的に修復、再生すること

要するに、自然と人々の繋がりの両面に配慮した暮らしを営むコミュニティといったところだ。似たような志を持つ人々が集まるという点においては、マンションや団地とは違う「繋がり」を持っている。
では、実際にどのような特色があるのか。数々のエコビレッジを有する北欧の例から探っていこう。

生きかたを、遊ぶ住まい「YADORESI」や、入居者のクリエイティブ最大化をコンセプトとする「ニューヤンキーノタムロバ」など、暮らしにまつわる個性豊かなシェアや共生社会の在り方を探求しつづけているYADOKARI。今回は、世界の多様な「シェア」のカタチを紹介していく。

最先端を行く、都市型エコビレッジ/デンマーク

デンマークの首都、コペンハーゲンにあるエコビレッジ「UN17 Village」。都市型らしくモダンなマンションのようなつくりだ。しかし、建物の壁などはリサイクル素材(コンクリートや木)を使用。敷地内に雨水を貯水する施設やビルディングごとに屋上菜園を備えるなど、建築と暮らしの両面から持続可能性が意識されている。

via:https://www.dezeen.com/2018/12/10/un17-village-eco-housing-copenhagen-lendager-group-arstiderne-arkitekter/

via:https://lendager.com/project/un17-village/

そして、このエコビレッジの特徴が住民の多様性と規模の大きさ。
家族、一人暮らし、シニア世代…、年齢もライフスタイルも異なる最大800人もの人々が集い生活空間・物をシェアしている。(敷地内に37種、400戸の家々があり、各家庭で住む形態)

via:https://lendager.com/project/un17-village/

また、敷地内にはコミュニティスペース、イベント会場、レストラン。なんとグリーンハウスや食べ物のシェアリングスペースまで有り、それらを通して暮らしに必要なものを自分たちで作ること、人々のコミュニティの形成が支援されている。

via:https://lendager.com/project/un17-village/

ゆっくり自分と他者を知る、小さなエコビレッジ/フィンランド

人々と自然環境、双方の健康と心地良い暮らしの実現をテーマにしたコミュニティ。元々木材の取引が行われていた家が数名でシェアされている。

ここでは、様々なアクティビティを通して、良質なコミュニケーション、サスティナブルに暮らすための知識を育んでいる。その一つが、週末に住民たちが円になって集い、時間・空間・気持ちを共有するというもの。話し手は何か物を持って喋り、自分の番が終わったら次の人に渡す。そこに居る誰しもに話す機会が与えられており、他の人はそっと耳を傾ける。
サークル状に座ったり、順番に話したりできる工夫からも、皆がコミュニティの一員であり欠けることがないようにという気持ちが伺える。

via:https://www.sustainableplaceshaping.net/exploring-eco-villages-in-finland/

via:https://www.sustainableplaceshaping.net/exploring-eco-villages-in-finland/

古くから続く、伝統的なエコビレッジ/スウェーデン

1970年代に計画、創設されていったスウェーデン南部にある「Solbyn」。
夏はオーガニックファームで畑仕事、食物が育たない冬はコミュニティや暮らしづくりに力を入れる、まさに典型的な形のエコビレッジと言えるだろう。

住人はそれぞれ異なる役割を持つグループに所属し、協力して生活を作り上げている。また、月に一度の全体ミーティングは民主主義的なコミュニティ運営において重要な要素。役員は2年に一度投票で決まり、まるで一つの街のようだ。

via:http://solbyn.org/gallery

via:http://solbyn.org/gallery

エコビレッジの要素を日本の暮らしへ

どのエコビレッジにも共通するのが、「物」をシェアするだけでなく「気持ち」をシェアする機会が沢山設けられていること。単に住むという行為を超えて、周囲と協力し合いながら心地良い居場所をつくっていくのだ。

日本でもかつてはお隣さんと物や情報を共有し合い、その中で人々は「繋がり」を育んでいた。しかし、生活の多様化が進むにつれ隣人は見知らぬ人に…。
暮らしのすぐ側に頼れる仲間がいるという状況がなくなりつつある。

では、今の日本社会にエコビレッジの考え方を浸透させることで生み出せるものとは。ここまで見てきた北欧の例から、以下の可能性が考えられる。

・似たような興味、関心をスタート地点とした密接なコミュニティ
・知識の共有、学びの場
・家庭以外での居場所
・地域に人を集める源動力

エコビレッジをつくることは難しくとも、何かを少しずつ“シェア”することは簡単にできるはず。
例えば、ご近所さんと畑を借りて週末は集ってみる。料理を一緒に作って、皆でピクニックに出かけてみる。
小さなことからでも、様々なものを共有していくことで誰かと心地よい空間を共創していけるのではないだろうか。

そして、地域単位になれば、住居・教育・ビジネスなど更に大きな枠組みで暮らしやすいまちをデザインしていけるのでは。
日々の暮らしにもう少し“シェア”する意識を日本でも蘇らせていきたい。

参考:
What is an Ecovillage?
https://ecovillage.org/projects/what-is-an-ecovillage/

・UN17 Village to built in Copenhagen with recycled materials
https://www.dezeen.com/2018/12/10/un17-village-eco-housing-copenhagen-lendager-group-arstiderne-arkitekter/

Exploring eco-villages in Finland
https://www.sustainableplaceshaping.net/exploring-eco-villages-in-finland/

Green living in Sweden’s Ecological Village of Solbyn
https://theecologist.org/2015/feb/23/green-living-swedens-ecological-village-solbyn
http://solbyn.org/about

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