
2021年2月、YADOKARIはUR都市機構と共に、東京都町田市にある「鶴川団地」において、団地住民や町田市民、そしてそれらをつなげるために新たにこの団地に住まう「コミュニティビルダー」を中心に、団地の魅力を創造・発信する取り組み「未来団地会議 鶴川団地プロジェクト」をスタートした。
1960年代に先進的な住まいとして導入された「団地」は、人口増加の受け皿として日本の発展を支えてきました。しかし、建設から50年余りが経過した現在、高齢化や世帯人員の減少、建物の老朽化などの課題を抱えています。
また、コミュニティという視点でも、世代間ギャップなどに起因する新旧住民間の「壁」や、周辺地域との連携不足など、団地内外のコミュニティにおける課題もあります。
一方で、近年、空室が目立つようになった団地をリノベーションし、単身者や夫婦をはじめとした若い世代が、団地を選んで住む動きも加速しています。団地の新たな住まい手たちから聞かれるキーワードの一つが「ちょうど良さ」。団地が持つどこか懐かしい雰囲気、シンプルな居住空間、都心との距離感、集合住宅ならではの人の気配などによって感じられる 「ちょうどいい住み心地」が人気の理由ともなっているようです。

「コミュニティビルダー」は、鶴川団地内の一室に暮らしながらさまざまな活動を通じて住民とコミュニケーションを取りながら、団地での暮らしの魅力を発信し、コミュニティづくりを先導する。全国から募集し、石橋竣一さん・鈴木真由さんのお二人が選ばれた。
本プロジェクトの第1回目のオンラインイベントとなる今回は、ゲストに「まちにわ ひばりが丘」など数々の団地やマンション等で、ご近所づきあいを通じた 社会課題の解決「ネイバーフットデザイン」事業に取り組む田中宏明さん(HITOTOWA INC.)と、公共空間活用の専門家であり、自らもお住まいの団地「志木 ニュータウン」を中心にマーケットによるまちづくりを研究・実践している建築家 鈴木美央さんをお迎えし、これからコミュニティビルダーとして東京都町田市の鶴川団地に住むことになる石橋竣一さん・鈴木真由さんも参加。鶴川団地を題材に、団地の未来に向けた「ちょうどいい暮らし」や「日常のコミュニケーション」について、参加者のみなさんと一緒に考えました。その様子をレポートします!
未来の豊かな住まいとしてのポテンシャルを持つ「鶴川団地」

東京都町田市にある鶴川団地はUR都市機構による団地再生事業が検討されている。写真提供:UR都市機構
UR都市機構の小山さんによると、鶴川団地は昭和40年代(1960年代後半)に東京都の多摩丘陵に造成された大規模な団地で、最寄りの小田急電鉄鶴川駅からはバスも数多く出ており、町田駅までは約10分、新宿駅まで約30分と交通利便性にも優れています。元の地形が丘陵なので眺望が良く、団地内にはリノベーションされた部屋やエレベーター設置棟もあり、今後も住まいとしてのポテンシャルを感じさせます。

オンラインイベント参加者から「鶴川団地に住んではいませんが、商店街に郵便局と図 書館と広場があるのが魅力でしょっちゅう足を運びます。この3つは鶴川団地に欠かせない ので守っていただきたいです」とのコメントも寄せられた。団地の外の人にも愛されているこ とが伺える。写真提供:UR都市機構
鶴川団地の大きな魅力の一つが団地内の「商店街」。地域でも評判の良いお店が集まっており、空き店舗もありません。そして、小山さんがイチ推しするこの団地の魅力は「夏祭り」に代表されるコミュニティ活動の活発さです。鶴川団地の住民ではないのに昔からこの夏祭りには参加していたという町田っ子も多数。しかし新型コロナウィルス感染症の影響で夏祭り をはじめとした団地内のコミュニティ活動は自粛を余儀なくされているそうです。
そんな中、このプロジェクトの大きな目的の一つは、これまで紡がれてきた鶴川団地のコミュニティの維持・支援を、団地の住民はもちろん、町田市民や団地に興味のある多様な人々と一緒に行っていくことにあります。
その推進のヒントとすべく、鈴木美央さんに、約9年前から家族でお住まいの埼玉県志木市の団地での実体験やマーケット開催を通じて得たことをお話しいただきました。
一度住んだら離れられない団地の魅力

鈴木美央(すずきみお)さんは早稲田大学理工学部建築学科卒業後、ロンドンの建築 設計事務所 Foreign Office Architects ltd にて世界各国で大規模プロジェクトを担当。帰国 後、慶應義塾大学理工学研究科勤務を経て、同大学博士(工学)取得。現在は建築や都市の在り方に関わる業務を多岐に行う。2児の母でもあり親子の居場所としてのまちの在り方も 専門とする。著書『マーケットでまちを変える~人が集まる公共空間のつくり方~』(学芸出版社)が、第9回不動産協会賞受賞。
鈴木さんが、パートナーの生まれ育った場所でもある団地「志木ニュータウン」に住むことにしたきっかけは子育て。都市計画の文脈では、大規模開発と共に地域に脈絡のない集合住宅がいきなりでき上がる点や、建物もまちも30〜50年くらいで急激に老朽化していく点などの問題も指摘される団地ですが、団地に一度でも住んだことのある人が口を揃えて「団地が好き」と言うことに、鈴木さんは不思議な興味を感じていたそうです。そして自身も住み始めてみると「少なくとも子育て中は絶対に団地から離れられないと思うほど魅力がある」と言います。
マーケットはなぜ、まちづくりのパワフルなツールになるのか?

志木ニュータウンは1970〜1990年代にかけて、鹿島建設株式会社が埼玉県志木市の 広大な有休農地を開発して建設した大規模な分譲マンション群。敷地内にある公園で、鈴 木美央さんは2017年から年に2〜3回「柳瀬川マーケット」を開催し続けている。次第に団地外から訪れる人も増え、第10回では出店者約30店舗、来場者は1400名を超えた。最近ではマーケットに参加した若い世代から「このまちに住みたい」という声も聴かれるようになったという。写真 提供:鈴木美央さん
鈴木さんにとって志木ニュータウンがそれほどまでに魅力的な場所になった背景には、立地や環境などのハード面の条件だけでなく、鈴木さんが団地の仲間と共に2017年から続けてきた「柳瀬川マーケット」の開催により、地域コミュニティのつながりや活動が活性化したというソフトの面での理由もありそうです。
マーケットがなぜまちを変えることができるのか? 鈴木さんによると、マーケットはそもそも地域の魅力を発見することから始まっており、出店者は基本的には地域の人。知る人ぞ知る素敵な活動や商品を提供し続けている地域の人を発掘し、出店していただくことによって、マーケットに地域の魅力がビジュアル化されて立ち上がってきます。そこでの交流や体験を通して、参加者は自分のまちの魅力を認識するようになるのです。「何もないまちだと思っていたけど、こんなに素敵なお店があり、楽しい時間を過ごせるまちだったのか」と。マーケットを通じてまちを好きになり、まちを誇りに思う気持ち(シビックプライド)が生まれ、「住みたいまち」へと意識が変わっていきます。(452)
誰にでも開かれたマーケットであるための3つのポイント

写真提供:鈴木美央さん
鈴木さんが「柳瀬川マーケット」において大切にしているのが、「よりパブリックで、誰もが参 加できるマーケットにしたい」ということです。ともすると回を重ねる度に特定の人々の結びつきや存在感が増して(コミュニティの結束が強すぎる状態)、その輪に入れない人は疎外感を感じてしまうことにもなりがちですが、そうならないための3つのポイントをシェアしていただきました。
1.コミュニティをケアする
マーケットを特定の誰かのものではなく、多くの人に関わってもらえるものにするには、コミュニティを適切にケアしていくことが必要。具体的な工夫としては、
・運営者、出店者の集合写真をSNSにアップしない
・仲の良い出店者同士を並べて配置するのは2店舗まで(「あの人たちのマーケットね」と思わせない)
・カラーの違う人に入ってもらうことは重要(リタイアした方やご高齢の方にも入っていただく =その人の年代が参加しやすくなる)
・グループ出店不可、個としての出店のみ(個として負担のない出店料を設定する)

写真提供:鈴木美央さん
2.関わることができる余白の設定
「コミュニティは関われるか関われないかが重要で、会話がなくても何かすることがあるとそこ に所属している気持ちになれる」と鈴木さん。運営者が何でもつくり込み過ぎず、「余白を残して参加者の能動的な活動を引き出す」という場の設計が重要のようです。
「柳瀬川マーケットでもみんながピクニックするみたいに楽しんでくれたらいいなと思っていましたが、おしゃれなレジャーシートをつくって販売や貸し出しをしても、それは運営者側がしてほしいことに参加者が乗っかっただけになるので、しないで待っていました。すると7回目くらいで自発的にピクニックをする人が現れたり、ある出店者さんがみんなで使える簡易テーブルを持参したりし始めました。そうやってみんなが自らマーケットを楽しむことが大切 だと思います。出店や会話することだけではなく、この風景をみんなでつくっていること自体が一つのコミュニティの在り方ではないかと思います」

写真提供:鈴木美央さん
3.関わり合いのレイヤーを設計する
コミュニティにどれだけ関われるか、関わりたいかは人によって違います。鈴木さんが紹介してくださったデータ(市民のまちづくりへの関心度合い 2015/野村総合研究所)によると、
・関心があり、自ら企画・運営している(1%)
・関心があり、参加している(4%)
・関心があるが、行っていない(58%)★
・関心はない(37%)
まちづくりに関心はありながらも活動はしていない層が最も多いことが分かります。この人たちがまちに関わることができる仕組みが必要で、それは日常生活や趣味の延長線上にある、自分の好きなことや負担のないことが適切だと鈴木さん。
「マーケットは、運営というかなり強いコミットもあれば、出店や、買い物に来るだけというゆるい参加までいろいろなレイヤーがあり、自分の好きな関わり方ができる点も魅力。マーケットはみんなの『コモン(共有財産)』ではないかと思います」
これらのポイントを心がけることで、より多世代・多様な人々が集うパブリックなマーケットやコミュニティが運営できそうですね!
広い公共空間と適度な人口密度が「団地にくらすよろこび」をつくる

写真提供:鈴木美央さん
マーケットは年に数回のイベントですが、一方で鈴木さんの住む団地には、日常的にコミュニティを豊かにしている重要な存在があるようです。それは団地内の緑地や花壇の世話をしている植栽委員の方。ほぼ毎日、団地内の公共空間を巡回して植栽や芝生の手入れをしていることで、住民たちと自然に交流が生まれ、子どもたちのケアにもつながっているそうです。また団地内の緑地で育ったミントやブルーベリーは住民たちの食卓に上ることもあります。このように公共空間の手入れをしながら敷地内の見守りも行ってくれる存在は、住民に大きな安心感や豊かな気持ちを与えているようです。

写真提供:鈴木美央さん
さらに、公園では実は起こりにくい異年齢・多世代交流が生まれやすいのも団地の公共空間の特徴だそうです。愛犬の散歩を通じて子どもからお年寄りまで多世代が輪になり会話するシーンや、幼稚園児から中学生くらいまでの子どもが一緒に遊ぶシーンが見られるそうです。これも団地という一つのまちに暮らす、ある程度顔見知りの関係性がベースにあるから起こること。
広い公共空間と適度な人口密度を兼ね備えているからこそ、心地よい距離感での人とのつながりや、共有財産によるベネフィットが手に入る団地。日々の暮らしの中で実感できる小さなよろこびが、自由に収穫できる果実のように、いたる所に実っている場所なのかもしれません。
「しがらみ」と「こどく」の間のネイバーフッドデザイン

田中宏明(たなかひろあき)さんは、2015年よりひばりが丘団地のエリアマネジメントプロジェクト「まちにわ ひばりが丘」の事務局として現地に常駐し、団地のコミュニティ維持・活性化の支援を行ってきた。2017年よりHITOTOWA INC. に所属し、大規模なマ ンションや地域の防災・減災・子育て支援、お年寄りの生きがいづくりなど、ご近所づきあい を通じた社会課題の解決=「ネイバーフッドデザイン」事業に取り組んでいる。
続いて田中宏明さんからは、2015年からご自身が現地に常駐してコミュニティ活性に取り組んだ、東京都のひばりが丘団地のプロジェクト(まちにわ ひばりが丘プロジェクト)での実践事例や見識などをお話しいただきました。
「現在、コロナ禍で半径500m〜1kmくらいの関係性が大事と言われていますが、近年、集合 住宅や住宅地におけるコミュニティ(ご近所づきあい)の重要性が注目されています。防災などの側面で見ても、一人ないしは一世帯でできることには限りがあるので、地域一体で取り組める関係があるといいですよね。
また、何かやりたいことがある場合に、周囲に友達や気軽に相談できる人がいると始めやすい。地域にそういう関係性があると、多くの人にとって暮らしが楽しくなりますし、管理の面でも連携が取れて、まち全体の豊かな環境づくりにつながります。趣味や学びを共有できる集まりも増え、まちがにぎやかになり、面白い人たちが集まるようになります。
『コミュニティ』と聞くと、『しがらみ』というような少し面倒くさい関係をイメージする方もいらっ しゃるかもしれません。その一方で、社会では『こどく』も問題となっています。私たちはこの 『しがらみ』と『こどく』の間の“ちょうどいいつながりづくり”を『ネイバーフッドデザイン』と呼んで取り組んでいます」と田中さん。
理想的なご近所づきあいとは、干渉しすぎず、無関心でもなく、心地いい距離感を保ちつつ、いざという時には頼り結束できる関係性を育むことだと言えそうです。
新旧住民が一体となって継続的にまちづくりに参加できる仕組み

写真提供:一般社団法人まちにわ ひばりが丘
そのような関係性を、田中さんはひばりが丘団地でどのように育んでいったのでしょうか?
ひばりが丘団地は、昭和34(1959)年に首都圏初の大規模団地として、現在の西東京市と東久留米市にまたがる一帯に開発されました。自治の歴史がしっかりとあり、昔から自治会が幼児教室を運営するなど住民自らこのまちを豊かにしていこうという機運が息づいているのがこの団地の良い所です。
一方で、古くなった団地の建て替えで生まれた敷地に建設された分譲マンションや分譲住宅に新たに流入した住民と、元々の団地の住民との関係づくりという課題もありました。
そこで田中さんらは、団地の自治会と、新たなマンション・住宅の管理組合の関係をつなぎ、この地域が一体となってコミュニティ活動を持続していけるように、外部組織として2014 年に「一般社団法人まちにわ ひばりが丘」を設立、その運営を担うことでまちづくりを支援していきました。いずれはこの組織を地域の住民たちへ手渡して自治によるコミュニティの継続を実現することも最初から計画し、2020年度からは住民主体で運営されています。
まちづくりに参加できる場所と機会を用意する


ひばりが丘団地内の118号棟を、エリアマネジメントセンター「ひばりテラス118」へと改修。イベントや畑など人が集まる仕掛けを施した。写真提供:一般社団法人まちにわ ひばりが丘
次に、田中さんが団地の現場で具体的に行った活動について教えていただきました。
「場所としては、エリアマネジメントセンターとして改修された『ひばりテラス118』がシンボルとなり、ここに人が集まる仕掛けをしていきました。この建物の隣にあるみんなで使える畑を一緒に耕したり、『HACO NIWA』という、住民たちがハンドメイド雑貨を販売できるレンタルボックスを設置したり。このボックスは現在キャンセル待ちが40〜50件あり、団地内に自分の作品を届けたい人たちが大勢いることが分かります。また、敷地内にある花屋さん、カフェも人が集まる拠点となっています」

写真提供:一般社団法人まちにわ ひばりが丘
「機会としては、団地内の公園の清掃管理を担う代わりに公園を貸し切ってイベントを行っていきました。ひばりが丘の周年イベントである『にわジャム』の中で、みんなでごはんを食べる『まちにわ食堂』などを継続的に行い、2〜3年経つと夜のマルシェみたいなこともやらせていただけるようになりました。
個人的にとても良かったと思うのは、団地の姿を記憶するアーカイブを設置する企画です。 団地の歴史を感じる写真を展示すると、ご高齢の方も昔のまちのことをイキイキと話してくださり、団地のことを深く知ることができました」
その他、自治会と連携して行ったハロウィンイベントは、まち全体にチェックポイントを設けて仮装して出迎えていただくという内容で、今までイベントに参加しづらかったご高齢の方々も、まち全体がハロウィンの雰囲気になることによって参加していただきやすくなったそうです。
また、30年ほど前から次第に開催が難しくなってきていた餅つき大会は、分譲マンションの住民主催で行うようになり、そこに団地の住民の方々がだんだんと加わり、現在は共催という形で開催されるようになりました。
参加方法は人それぞれ。団地の外にも染み出す関わり


ひばりが丘団地の公共空間に100人が座れる席を用意して行った「まちにわ食堂」の様子。写真提供:一般社団法人まちにわ ひばりが丘
田中さんからも、こうしたコミュニティ運営への参加方法は、その人の主体性に合わせてさまざまな形があるとコメントがありました。
・活動の趣旨を理解して、応援をしている
・情報に目を通し、リアクションする
・イベントやキャンペーンに参加
・イベントや広報のお手伝い
・ボランティアスタッフ
・企画・主催する
・リーダー
(仕掛け人)
どんな参加方法でも、まちのことを考える人が増えていくのが重要だと言えます。
また、ひばりが丘団地内の関係づくりだけでなく、団地の外の人でも活動に参加できるボランティアチーム「まちにわ師養成講座」を開催したり、消防署の協力のもとで誰でも参加できる防災イベントを行ったりして、団地内外の関わりをもたらす仕掛けも行いました。
持続するネイバーフッド・コミュニティ

写真は「にわマルシェ」での一コマ。鈴木さんと田中さんの話を受け、鶴川団地のコミュ ニティビルダーとなる石橋さんは「コミュニティの中心ではなく僕らは転校生のようなポジション。結果、クラスが面白い色になったよねという存在かも」とコメント。写真提供:一般社団法 人まちにわ ひばりが丘
田中さんからのまとめとして、継続していくコミュニティを育成するためのポイントを共有いただきました。
・ビジョン、組織体、事業に一貫する仕組み
・まちにおける自治/管理/経営の組織バランス
・サービス受益者を産むだけではない相互コミュニケーションの回復
・活動エリア内→外へ染み出す関わりを増やす
一人でも多くの住民がまちのことを考え、関わることができる多様なきっかけをつくり出していくことが、住民の主体性を引き出し、持続可能なコミュニティ形成につながっていくと言えそうです。
第3部 トークセッション

イベントの終盤では、事前に設定した9つのテーマや、参加者からチャットで寄せられた質問を起点に、ゲストやコミュニティビルダーとの対話が展開しました。そのハイライトをご紹介します。

コロナ禍においては、イベントが開催しづらくなった代わりに日常をより豊かにする動き が始まった。日によって異なるキッチンカーがひばりが丘団地を訪れ、テイクアウトのお弁当 などを販売。写真提供:一般社団法人まちにわ ひばりが丘
Q1)コロナ禍×団地で起きたこと
田中さん:「“ハレの日”的なこと(イベントなど)が開催しづらくなった分、“ケの日”=日常が大事ではないかと考え、ひばりが丘では近所からキッチンカーを出していただいてみんなで 屋外ランチを楽しんだり、芝生を使っていただくようなことを促しています。コロナ禍では、まちを庭のように使える人が増えたと感じます」
鈴木さん:「昨年5月に学校が閉鎖になり、公園の遊具なども使用禁止になって、親としても どうしたらいいのか分からなかった時に、外の公園に行くことは禁止したけれど、団地内の公共空間で遊ぶことは許しました。団地は不特定多数の他人の集まりではなく、なんとなく 顔見知りで、精神的にも団地の中を守ろうとする雰囲気があります。コロナで外出しづらく なった時にその共同体が自分の周りに広がっていることがどれほど豊かな環境であるかを 改めて感じました。屋外でみんなと一緒にいられる空間があるのはありがたいですよね」

柳瀬川マーケットでは子どもからご高齢の方まで、多世代が楽しむ姿が見られる。団地外や遠方から来場する人も。写真提供:鈴木美央さん
Q2)団地に住むご高齢の方との関わり方
鈴木さん:「マーケットを始めた時、とにかく最初は『迷惑をかけない』ということを徹底しました。なぜなら、やはり長年住んでいる人は、まちで新しいことが起こるのを警戒するだろうと考えたから。徐々に町内会町さんたちとも仲良くなって言われたのは、『最初は地域の祭り もあるのに、なぜこんなことをするんだろうと思った』ということ。私たちはお祭りを潰そうとしているわけではないのに、やはり警戒するんですよね。でもそれを口で言うのではなく、基本的にはこちらがリスペクトして、細かい気遣いを丁寧に行っていき、私たちがやりたいことを見てもらいながら分かっていただくことが大事だと思います。論破しようとするとハレーションを生んでしまいますよね。
また、ある方からは『このマーケットがあると孫が遊びに来てくれるからうれしい』と言っていた だけました。万が一、最初は否定的な気持ちを持っていたとしても、孫が来てくれるというう れしさが伴って肯定的に見てくれるようになることもあります。あくまでみんなのフィールドだし、自分たちよりも前からその場所を大事にしている人たちがいるということを前提にすること が重要ではないでしょうか」
田中さん:「ひばりが丘団地の自治会は長く継続されていて、役員さんは70代、80代の方でした。自治会から、まちでやっていた行事が担い手不足で実施できなくなってきたというお話を最初に聞き、僕らがやりたいことをお伝えするというよりは、まずはまちに飛び込んでいって、まちの活動をお手伝いすることから始めました。例えば夏祭りでも1年目は駐輪場の 整理などをやらせていただき、2年目3年目はお店を出させていただきました。この夏祭りで は、昔はお神輿が担がれていたけれど近年はそれがなくなっていたので、子どもたちと一緒にリヤカーにお神輿を乗せてまちを練り歩くということをしたら、ご年配の方にもとても喜んで いただけました。このことがその後のハロウィンイベントなどにもつながっています」

鶴川団地のコミュニティビルダーに選ばれた石橋竣一さん(写真右)と鈴木真由さん (写真左)。「団地暮らしをまずは純粋に楽しみたい。単発のイベントではなく持続的に関係を築いていきたいので、日常のご近所づきあいや接点の持ち方が大事だと思った」と鈴木さん。石橋さんは「団地内だけで完結しているように見えて、外部とのボーダーラインは本当 は無いというのが今日の発見。みなさんの団地との関わり方を参考に楽しく暮らして行けたら」とコメント。
Q3)「団地がもっとこうだったらいいな」と思うことは?
鈴木さん:「自分の『好き』をもっと表に出してもいい、ということが伝わっていくといいな。個人の趣味や『好き』が集合することによって場が豊かになることがもっと認められていくとい い。例えばツリーハウスをつくりたい人が、団地の中につくってくれたら最高! 団地は公園などの公的な公共空間とは違って、あくまで私有地だからできることがあると思うんです。だからこそオープンに、みんなが自分の庭としてやりたいことを共有できたら自然と面白くなると思います」
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団地の持つ「ちょうど良さ」は、公共空間と適度な人口密度があるからこそ、いつでも人とゆるやかな接点をつくることができ、日常的に小さなよろこびが得やすいという点にありそうです。そして団地で何か活動をしていく際には、その場所を長く大切にしてきた人たちへの丁寧な心遣いも不可欠です。「ハレの日」的なイベントを開催するだけでなく、日常の中での関わりしろを工夫して小さなコミュニケーションを積み重ねていくことが、じわじわと団地全体、ひいては外部にも染み出す心地よい生態系をつくることにつながっていきそうですね。 鶴川団地の今後の展開にご注目ください!
◎今回のスペシャルゲスト

鈴木美央(すずきみお)さん
博士(工学)/建築家 8年前から団地に住まい、団地内公共空間の豊かさに取りつかれ、一軒家に憧れるも引っ 越せなくなる。団地内の公園でマーケットを主催する。O+Architecture(オープラスアーキテ クチャー合同会社)代表社員。東京理科大学講師。早稲田大学理工学部建築学科卒業。卒業後渡英、Foreign Office Architects ltdにてコンセプトステージから竣工まで世界各国で大規模プロジェクトを担当。帰国後、慶應義塾大学理工学研究科勤務を経て、同大学博士 後期課程、博士(工学)取得。現在は建築意匠設計から行政・企業のコンサルティング、公共空間の利活用まで、建築や都市の在り方に関わる業務を多岐に行う。二児の母でもあり 親子の居場所としてのまちの在り方も専門とする。著書「マーケットでまちを変える~人が集まる公共空間のつくり方~」(学芸出版社)、第九回不動産協会賞受賞。

田中 宏明(たなか ひろあき)さん
HITOTOWA INC. シニアプランナー 1991年長野県飯田市出身。大学休学中に地方と都市部それぞれの地域コミュニティ醸成に触れ、卒業後はフリーランスとして複数のまちづくり関連のプロジェクトに携わる。2015年 よりひばりが丘団地のエリアマネジメントプロジェクト「まちにわ ひばりが丘」の事務局として現地に常駐。2017年よりHITOTOWA INC.に所属し、ご近所付き合いを通じた社会課題の解決=「ネイバーフッドデザイン」事業に取り組む。2020年2月より賃貸マンション「フロール 元住吉」の管理・コミュニティサポート業務と、マンション共用部に併設された地域交流スペース「となりの.」の運営業務を担当する。

世界で最も幸福な国の一つとされるデンマーク。自分らしく生きながらも、自然と調和し、他者と尊重し合うその暮らしは、とても自然体で豊かに感じます。最近はデンマーク語のHygge(ヒュッゲ)という言葉を日本でも耳にする機会もみなさん増えたのではないでしょうか?
そんな注目される北欧の国デンマークに、大人のための学校があります。その名も”フォルケホイスコーレ”。今回は、このフォルケホイスコーレに留学し、後に教員も務めた山本勇輝さんにお話を伺いました。

提供:山本さん
山本勇輝
1986年高知県高知市生まれ。大学で社会学を学びながらアメリカ留学を経験した後に、貿易関係の会社へ就職。その後、2013年にデンマークの
Højskolen på Kaløへ留学。日本でフォルケホイスコーレの設立を志し、一般社団法人IFASを立ち上げ。2016年よりNordfyns højskoleにてBody&Mindという心と体の繋がりを教える教員として3年半勤めた後に退職。現在は、Københavns Professionshøjskoleにて再び大学生となり更に専門性を高めるために心理運動療法士の勉強をしている。
フォルケホイスコーレとは?

フォルケホイスコーレとは、デンマークに70校以上あり、17歳半以上であれば誰でも入学できる、試験も宿題も成績もない大人の学校。大学でも専門学校でもないけれど、デンマーク政府に認められた一つの教育機関です。授業は、ほとんど教科書を使わず実践的且つ、民主主義的思考を育てるスタイル。
サスティナビリティなど環境や社会問題を学ぶ授業から、陶芸やジュエリーなどアートを学ぶ授業、アウトドアやダンス、ヨガなど体を動かす授業までその範囲はとても幅広く、多くの人が未経験の科目にチャレンジします。
多様な科目を学ぶことができるため、大学入学前に自分のやりたいことを考えたり、社会人を辞めてもう一度新しい分野を学び直したり、ギャップイヤーや人生を考え直す時間としてデンマーク中から生徒が集まります。
全寮制で、先生と生徒たちが共同生活をするのも大きな特徴の一つ。最短が3ヶ月のタームであることから、授業や寮生活を通して多くの人と時間をかけて関わり、自分自身を知り、本来の力を引き出すことのできる、ちょっと不思議な学校です。
そんな場所で数年間生徒、そして後に先生として過ごした山本さんは、どんなことを学んだのでしょうか。
生きている意味はなんだろう

水辺で夕日を眺めながら友人と語り合う 提供:山本さん
突然ですが、みなさんは自分の生きている意味を考えたことはありますか?
デンマークに渡る前、彼の頭にはこんなことが浮かびました。
「”20代半ばあるある”なのかもしれませんが、このままの自分でいいのかな、
俺の生きてる意味は何なんだろう、という大きな問いが降りてきたんです」
きっとこんな風に考えることは、長い人生の中ではとても自然なこと。それでも大人になるとそれを消化する場所や時間はほとんどなく、うやむやになってしまう人も多いのではないでしょうか。フォルケホイスコーレは、授業や共同生活を通して、そんな自分とじっくりと向き合える場所です。
社会人留学のハードル

日本ではまだ馴染みの少ないギャップイヤーや社会人留学。デンマークでは半数以上の人が高校卒業後にそのまま進学せず、旅に出たり、働いたり、フォルケホイスコーレに通います。会社を辞めて大学に入り直す人も多くいます。
その背景には、大学までの授業料は国民の税金で賄われ(フォルケホイスコーレは授業料の一部と全寮制のため寮費がかかります)、さらに大学生は政府から返済不要の生活支援金がもらえるという手厚い社会システムがあります。
それに加え、”いろんな生き方がある”ということを、誰もが認識し、人との生き方の違い、意見の違いを受け入れる社会の器があるように感じます。
社会人だった山本さんがデンマークへの留学を決断した際には、二十代半ばにもなって自分探しをするのかと周りからの反対があったそうです。それでも、その時の決断が今の自分を形成してると自信を持って言います。
大人になっても学び続けること、そして自分と向き合うことが人生において大切であることをデンマークでは国が理解をし、実際に教育機関として全国民にその機会が平等に与えられているのです。
初めてのデンマーク生活で気づいたこと

友人たちと木を使ってシェルターを作った様子 提供:山本さん
日本の社会人からデンマークの学生へと大きな変化を遂げ、社会人時代は夜遅くまで働いていた環境から、国立公園内の自然豊かな学校では午後3時には授業が終わる生活。当初は自由時間をどう過ごしたらいいか分からず戸惑いながらも、徐々に生活のバランスや人間らしい生き方の大切さに気づいたと言います。
「時間がゆっくり流れていく中で人との対話を通して、いろんな生き方があるんだな、こんな生き方もかっこいいな、自分は実はこういう人間だったんだなと、自分のルーツが明確になっていきました。
それと同時に、日本にいた時は日々仕事ばかりでそんなことを考える時間もなく、20代半ばまでずっと忙しかったんだということにも気づきました。」
実践的且つ対話型の授業

生徒たちに太極拳を教えている風景 提供:山本さん
実際の授業では、机に向かうよりも体を動かして実践的に学びます。その中でも生徒同士で対話をしたり、自分の考えを発言する機会も多くあります。生徒たちの発言力は非常に高く、先生はもちろんのこと、周りの生徒もそれに耳を傾けます。”答え”を言うのではなく、”自分の意見”を安心して発言できる空気がそこにはあります。
「デンマーク人は、”何を言ってもいい”ということを言葉だけではなく体で理解しています。色んなバックグラウンドがあって、持ってる知識や経験したことが違う中で意見が違うのは当然という共通認識が基盤にあるんです。だから対話もしやすい。そして、それが国を作っていく上で大切だということをみんながわかっているんです。」
対話力から見るデンマークの教育

生徒たちの前で講義をする様子 提供:山本さん
それでは、どうしてここまでデンマークでは発言力、対話力が高いのでしょうか。
実は、デンマークの民主主義教育は幼児教育から始まると言います。
「”今日は私は砂場で遊びたい。”と、ちゃんと自分の意見を言える民主主義教育が幼稚園の頃から始まっています。日本のように、”今日はみんなでお遊戯をやります”と大人が決めたことに子供が従う環境とは、全然違うんです。」
幼い頃から自分で考え、意見を持ち、それを人に伝えるまでのプロセスを学ぶデンマーク。子供を一人の人間として対等に接し、大人たちがその意見を尊重します。これは、フォルケホイスコーレの先生も同じ。いつでも対等な立場で生徒に寄り添ってくれます。
共同生活からの大きな学び

フォルケホイスコーレでの食卓様子 提供:山本さん
そして、授業と同じくらい学びの場であるのが、共同生活です。
共同宿舎のハウスミーティングではこんな場面によく遭遇します。
山本さん『俺のコーラ飲んだの誰?』
みんな 『。。。』
Aくん 『あ、それ俺飲んだかも、中にあるのは勝手に飲んでいいのかと。。。』
こんな出来事は日常茶飯事。自分のコーラがなくなって嫌な気持ちになったと思ったら、飲んだ張本人は俺のビールは勝手に飲んでいいよ!みんなの冷蔵庫だから!と言っていて拍子抜けしたとか。異なる考えや文化の人たちと一緒に住むとことで、自分の価値観だけで物事はジャッジできないことにも気づいたそうです。
「フォルケホイスコーレでの学びは授業だけではない、生活の中での学びも大切にされているんです。自分は日本の感覚で生きてるからこう思うんだとか、改めて自分に問いを持ちかけることができるのが、共同生活の醍醐味だと思います。」
ルールは自分たちで作るもの

コペンハーゲン近郊のシェアハウスでのハウスミーティング
そんなトラブルも起こる寮生活ですが、ほとんどルールがありません。飲酒や喫煙に関してのルールは多少ありますが、ほとんどのルールを対話を通して自分たちで決めていきます。
自分が困っていることがあればシェアし、みんなで解決策を探る。一見面倒なプロセスに思うかもしれませんが、こういった時間を通して彼らは体で民主主義を感じているのかもしれません。
「ルールはみんなで作るもの。ルールが人を縛ってはいけません。なぜ法律があるかといったらみんなが生きやすい場所にするため。法律があるから生き方を法律に合わせるのではないのです。
もし小さな問題があっても、それは悪いことではありません。日本人の意識の中にもしかしたら問題=悪みたいなイメージがあるかもしれません。でも問題を解決して楽しい社会にしていったり、問題から何か学んだり。いろんな角度から見て前向きに捉えることもできるんです。」
問題があるからこそ人は成長ができる。それこそがシェアハウスの価値なのかもしれません。
社会人から生徒、そして先生へ

Body&Mindの授業風景 提供:山本さん
このようにフォルケホイスコーレで数々の学びを経て、デンマークの教育を知り、日本にこんな教育が受けられる学校が作れたらと思い始めた山本さん。当初4ヶ月の滞在の予定がフォルケホイスコーレを更に知るべく、語学を学びながらキッチンスタッフを経て、遂には日本語、体育、アウトドア、Body&Mindなど数多くの科目の先生も経験されました。
IFASの誕生

先生をしていたその頃、デンマークの建築事務所で働く日本人が訪ねてきました。それが、現在彼が運営する一般社団法人IFASの共同代表、矢野拓洋さんです。矢野さんは建築事務所で働きながら、フォルケホイスコーレがデンマーク人の働き方や幸福度などのライフワークに影響を与えていると考え調査を開始し、日本人の先生がいると聞きつけ彼に会いにきたそうです。
「僕もフォルケホイスコーレを日本に発信して将来的にそんな学校ができたらいいなと思ってますって話をしたら、じゃあ一緒にやりましょうという話になって。こんな学校日本にあったらいいよねって焚き火を囲みながら夜な夜な話していたのを今でも覚えています。」
2014年、遂にIFASが誕生し、デンマーク中のフォルケホイスコーレをヒッチハイクなどで周り、取材を重ねて情報を発信。今では日本人のフォルケ留学生には欠かせない、日本で初めてのフォルケホイスコーレ情報をまとめたホームページを完成させました。実際にデンマークのフォルケホイスコーレで日本人向けの短期プログラムを企画運営するなど活動の幅を広げています。
日本のフォルケホイスコーレがあったら

アウトドアの授業風景 提供:山本さん
実際に日本にフォルケホイスコーレがあったら、そこにはどんな可能性があるのか伺ってみました。
「デンマークでは、未来をより良くするために人は大切な資源であり、そのためにも教育が重要であると考えられています。人が基本ですから、フォルケホイスコーレでは人として生きるヒントや、様々な生き方を学べる可能性の場だと思っています。
大人になっても勉強し続ける大切さや、新しいことを勉強することの楽しさ、人と何かを一緒にやることが自分の人生を豊かにすること。そんなことをもっと多くの日本人にもフォルケホイスコーレを通じて感じてもらいたいと思っています。」
今後の目標

いつかバンライフにも挑戦してみたいそう アイスランドにて。
デンマークに来てもうすぐ8年。フォルケホイスコーレとの出会いで彼の人生は大きく変わりました。体を動かすことが好きだと気付き、それが仕事になり、今では現地で大学生として学んでいます。目まぐるしく活動してきた中で、もう一度自分のインプットの時間を作り、専門性を高めたいと言います。
「太極拳やダンスなど体を動かすことが好きなので、それがどのように脳に影響を与えるのか、どのように体を使えば健康な人生を送れるのかなどに、とても興味があります。
フォルケホイスコーレに来る日本人学生が言葉ではなかなかコミュニケーションを取れない場面も見てきました。そんな時、一緒にダンスをしたり体を動かすことでコミュニケーションが取れることもありました。コミュニケーションのツールって言葉だけではない。そういう体と心の感覚的なところに興味があって。心理運動療法士という勉強をすることにしました。
将来的には日本かデンマークで、またフォルケの先生をやりたいです。」
シェアハウスの可能性について

生徒たちと焚き火を囲む風景 提供:山本さん
フォルケホイスコーレは読むものではなく、体験するものだと山本さんは言います。それでも、この山本さんのお話や生き方から、その魅力を感じ取っていただけましたでしょうか。
YADOKARIも、これまで世界の数々のシェアハウスを取材してきました。
以前は安く住めるというメリットで選ばれることの多かったシェアハウスも、近年では、世界中でその価値を見直されています。
誰かと一緒に住む価値は、単にものやスペースのシェアだけでなく、知識や経験値などのシェアであったり、”拡張家族”という言葉が注目されているように、血のつながりを超えた新しい家族を手に入れることも可能な時代になってきました。更には、”多世代シェアハウス”で、世代を超えて学び、教え、支え合う暮らしも注目を浴びています。
フォルケホイスコーレは、”学校に寮”がありますが、”学べるシェアハウス”という言葉に置き換えてみると、日本にもフォルケホイスコーレのような学びを取り入れる事ができるのかもしれません。
いくつになっても生きる意味を問い直し、学び成長できる機会を私たちも増やしていきたいと思いながら、彼らのこれからの活動にもますます注目です。
アメリカに本拠を置き2017年に創業した、新進気鋭の「CargoHome(カーゴホーム)」という名の建築会社は船のコンテナからハンドメイドのタイニーハウスを作り出す。
メインの建設場所として選んでいるのはテキサス州のWaco(ワコ)だ。
制作するスモールハウスの大きさとしてはだいたい14.8-44.5平方メートルほどの大きさで施工期間はおよそ2ヶ月ほどで完成してしまう。
このCargoHomeの作り出すスモールハウス、ひいてはタイニーハウスの特徴としては屋根上のデッキと景色を楽しめるような窓の使い方にあるようだ。
もともとコンテナ自体それほど高価なものではない上に、中国製のコンテナを使うことで、コストをさらに下げることに成功している。
今回は、CargoHomeのラインナップのうち、そのうちのいくつかを見てみよう。
Anchor(アンカー)
このスモールハウスはAnchor(アンカー)という。
大きさは14.8平方メートルほどと、小さい家だ。
CargoHomeらしく正面玄関の大きな扉と上のデッキが特徴的と言える。
中を見ているとスモールハウスながら、キッチンは木材でしっかりとした作りであることがわかり、どれ一つとってみてもチープな印象はない。
The Crow’s Nest(ザ・クロウズ・ネスト)
先ほどのモデルと外見やそのフォルムはかなり似ているが、キッチンやリビングスペースをなくして、大きなベッドが入る設計になっている。
主にゲストに宿泊してもらうことを目的としたコンテナハウスということができるだろう。
こちらも天井にデッキがあるが、こちらは裏手外の螺旋階段からアクセスできるようになっている。
The Mainsail(ザ・メインセイル)
12メートルの長めのコンテナを使用したモデルで、ベッドルームとリビングなどしっかりと分けた、より平屋建てに近いモデルのコンテナハウスだ。
外壁は大半を木で張りながらも、上の部分に少し元のコンテナの鉄板を見せるようにして、デザイン性を高めている。
大きくしっかりとしたキッチンとダイニング用のテーブルやカウンタ、奥にソファーまで置くことができ、だいぶ広々とスペースを支えている。
個室の寝室にはクイーンサイズのベットが余裕を持って入るように設計されている。
The Helm(ザ・ヘルム)
The HelmはCargoHomeが作る中でも最大のモデルだ。
コンテナハウスのメタリックなイメージを払拭して、全体を木の色、アースカラーを基調にオーガニックなイメージがある。
また、屋根の上のテラスの他にもう一つコンテナを載せた二階建てになっている点も大きな特徴と言えるだろう。
12メートルのコンテナの上に6メートルのコンテナを載せているので、ちょうど半分の長さがあまり、その部分をベランダとしている。
また一階部分の玄関周りのテラスも、日光浴など有効活用することができる。
一回部分はオープンスペースのリビングとキッチンが広がっており、二階部分が寝室となっている。
設計者によれば、コンテナハウスは普通の家よりも作るのが難しいそうだ。
なぜなら家ならば、比率を自由に決められるが、コンテナハウスはすでにサイズが決まっていて、その上でどのようにその内部を切り分けていくかという作業になるので、取捨選択が難しいようだ。
とはいえ、どのモデルでもコンテナハウスといえども普通の家顔負けの完成度で、豊かな生活を送れそうなことが想像できるのは、賞賛に値する。
また、コンテナの上にベランダがあることで、スモールハウスの狭さというデメリットを補うようにして開放的で広々した空間をつくることもこのシリーズの大きなメリットであろう。
via:
https://www.dwell.com/
▼当日の映像を動画を視聴できます。レポートと合わせてお楽しみください
2021年4月、横浜市みなとみらい21地区にあるグランモール公園の一角に鮮やかな赤・青・黄のワークスペースが出現しました。会場には誰もが自由に使える机や椅子が配され、雑談のタネとなるようなちょっとした仕掛けも用意されています。これは、オフィスを外に持ち出したらどんな人がどんなふうに使うかを検証し、新しい働き方と公共空間の活用方法を考えていくための約一週間にわたる実証実験です。

この記事では、通常の実験設備に加えて1日限りの特別企画も実施された、4月26日の様子をレポートします。
- 実証実験 Vivid Worker’s Place
- 期間 2021年4月21日〜28日 11:00〜18:00
- 会場 グランモール公園ヨーヨー広場
- 主催 一般社団法人横浜みなとみらい21、国立大学法人横浜国立大学、三菱地所株式会社、YADOKARI株式会社
- 協力 クイーンズスクエア横浜 横浜市都市整備局 ランドマークプラザ
グランモール公園は、ランドマークプラザやクイーンズスクエア横浜の間にあり、周辺のオフィスで働く人や近隣マンションの住人、買い物客らが行き交い、所々に配されたベンチで休憩をしたりする公共の空間です。そこに突如出現したカラフルなデスクやドームやガチャガチャは、非日常的な存在感が目を引きます。
平日昼間、働いている人にとっては忙しい時間帯ですが、興味を持って実際に使ってくださった方々もいらっしゃいました。そんな皆さんの声を各コンテンツの詳細とともにご紹介しましょう。
インスピレーションデスク
〜新しい刺激に出会う〜
「インスピレーションデスク」と名付けられたビビッドカラーのデスクは4席ずつ、通行の妨げにならないよう3箇所に分けて配置。着席するとWi-Fiも使えます。
お昼前は、周辺店舗などからテイクアウトしたメニューを飲食する方がちらほら。お昼頃になると、パソコンを広げたり、打ち合わせを始めたりする姿が見られるようになりました。


打ち合わせしていた4人グループ
商業ビル管理会社の同僚4人。ビル内の一部施設をワークスペースとして活用したいと企画している中でこの実証実験を知り、見学を兼ねて訪れてみたとのこと。
「外は風があって明るく、気持ちがいいですね」
近くのオフィスで働く同僚2人
事前に配布されたチラシを見て気になっていたとのこと。今は勤務時間中で、いつも社内でやっている仕事を持ち出してみたそうです。
「周囲のことがいろいろ目に入ってくるので集中はしづらいけれど、会話が弾みます」
「働く場所が、室内と屋外、両方にあると気分転換になっていいと思います」
高校生4人組
明日は小テストだという仲良しグループ。課題に取り組んでいるところをお邪魔しました。それぞれ通っている高校は違いますが、駅で落ち合い、課題をするためにファミレスか図書館に向かおうとしていた途中でここを見つけたといいます。
「Wi-Fi使えるし、自由に勉強もしていいとのことだったので。コロナが心配な時期、密にならないし安心だと感じました」
「室内だとついウトウトしてしまうけれど、外だと眠くならないのがいいですね」
この日は快晴で、風が出てやや肌寒い瞬間もありましたが、おおむね快適な外気温。時間帯によって直射日光が当たるのが気になりましたが、風を感じられる上にWi-Fiと座り心地のいい椅子とデスクがあり、過ごしやすかったようです。通りがかりに関心を持って声をかけてくれた人から、「テレワークが増え、自宅だと行き詰まることがあるが、こういう空間も働く場所として選択肢にあるといい」「しっかりしたものである必要はないけれど、植栽のようなゆるやかなパーティションがあると落ち着きそう」という声も聞かれました。
コミュニケーションガチャ
ガチャガチャのダイヤルを回して出てくるカプセルの中には、雑談のテーマが書かれた紙が入っています。これをネタに、同行者や偶然居合わせた人同士で会話を楽しみ、新しい出会いや発見を通して「雑談力」を磨いてもらおうという目的で設置されたのが、「コミュニケーションガチャ」です。


大学院修士課程の3人
3人のうち、2人は就職活動中。街づくりに携わっている会社への就職を希望しており、就活中にこの実証実験のことを知って興味を持ったそうです。
引き当てたテーマは「人生の分岐点だった瞬間は」。テーマについてひとしきりおしゃべりした後、インスピレーションデスクに移動し、オンライン授業に参加していました。
「講義などはずっとオンラインだったため、3人で直接会うのは今日が初めてなんです。今まで、こんなテーマで話す機会がなかったので、お互いの知らなかった一面が見えました」
近隣に在住・通学の学生2人
「一番会いたい人は?」とのテーマに、両者とも迷わず回答。1人は「家族」。進学で地元を離れて一人暮らしを始めて、改めて家族の大切さを実感したそうです。もう1人が会いたいのは「推し」。コロナ禍でなかなかライブなどの機会が激減した中、余計にその思いが強くなったようです。
余談ながら、偶然にも彼女と筆者は同じグループ推しだったため、ひとしきりおしゃべりが盛り上がり、新しい出会いと雑談の楽しさを改めて実感した次第です。

なおこの日は特別に、コミュニケーションガチャの周辺にスタッフが常駐。コミュニケーションガチャに興味を持って来てくれた人に使い方を案内したり、初対面の人同士を引き合わせたり、新しい出会いのお手伝いをしました。
アルコールクエスチョン
〜新しい働き方を考える〜
これからの新しい働き方に関わる問いに2択で答えるコーナーで、回答ボタンの代わりにアルコール消毒器をワンプッシュする、「アルコールクエスチョン」。
天秤のような棒の両端に消毒器が取り付けてあり、意見が多く集まった回答ほど消毒器の内容量が減って上へと上がる仕組み。感染症対策のついでに、普段なかなか考えない、生き方の根幹に触れる「問い」と向き合うことになります。

ここで掲げられた「問い」は以下の3項目。
- Q1 一生遊び続ける/一生働き続ける
- Q2 一生都会で働く/一生田舎で働く
- Q3 給料 満足している/給料 満足していない
ユニークな見た目に興味を持って立ち止まり、積極的に使ってみる姿が多く見られました。なお、近隣で働く人が多い平日と、観光やショッピングで遠方から訪れる人もいる休日では、回答の傾向が異なっていた模様です。
特別企画 “NEW”公衆電話
会場にはスケルトン状のドームが3つ設置されました。中にはデスクと、受話器が接続されたパソコンが用意され、指定時間になると横浜で活躍するそれぞれ分野の異なるプロフェッショナルにつながり、通話ができるようになっています。主に働き方に関するトピックが記載されたシートを受け取り、これに沿って話を聞いたり、自身の悩みを相談したりできる仕組みが「“NEW”公衆電話」です。
シートに記載されていたトピックは以下5つ。
- あなたのプロフィールと電話を掛けようと思った理由を相手に伝えてください。
- 相手の名前と職業について相手に聞いてください。
- 相手に、今の仕事をするようになったきっかけを聞いてください。
- 今、相手にとって「働く」ということはどういうことと捉えているか聞いてください。
- 今、あなたの「働く」について相談したいことを相手に話してください。
スタンバイしているプロフェッショナルは5人で、通話は1回あたり約30分。受付に申し込み、指定時間になったら通話を開始します。
今回、モニタの向こう側にはこちらの5人が相談相手として待機しています。
シェアハウスやゲストハウス、カフェ等の運営、街のコミュニティづくり、BATTERA STAND日本橋のコミュニティビルダーなどを経て、2018年「始まり商店街」を始動、各種イベントやコミュニティ支援などに携わる。
株式会社plan-A代表取締役、イノベーションブースター、株式会社ルーヴィス取締役。不動産事業者や家電メーカーのコンサル、IT企業の新規事業企画、自治体との街づくり、NPO法人理事等、多様な働き方を実践中。
about your city代表。宮城県石巻市の復興街づくりの市民アクションISHINOMAKI2.0設立に参画。横浜の建築設計事務所オンデザインで拠点運営やエリアマネジメントなどを担当。2020年独立。
日本茶インストラクターの資格を取得し、横浜でお茶のある生活を提案する活動を開始。現在は、福岡県直方市に拠点を移し、全国各地から仕入れた茶葉や、お茶の道具を販売する誉茶紡を運営する。
カンビス合同会社代表。デザイナー。北欧文化研究家。長野県蓼科で、温泉宿・キャンプ場Hytter Lodge & Cabinsの運営や自転車ガイドを務める。交通インフラを見直し人間中心の街づくりを提唱する「Bicycle Urbanism」の普及活動にも注力中。


就職活動中の大学生
「知らない人と話せる機会は貴重だし、自分のことも話したいと思っていたので申し込んでみました。お話ししたのは、就職のことや進路選択の悩みなどについて。自分はあらかじめゴールを決め、それを達成したら満足してしまう方なんですが、今回、“立ち止まらず進め”というアドバイスをいただいたことが響きました」
就職活動目前の大学生
「進路選びに迷っていて、そのことについて相談したところ、“なりたい自分を考えるより、身に付けたい技術が何かを考えてみると道が開けるのでは”というアドバイスをいただいたことが新鮮でした。今回の相談相手は、たまたま自分が興味を持っている分野の専門家でしたが、他の分野の方とお話することにも興味があります。この公衆電話が常設になって、いろいろなジャンルの方にランダムにアクセスできると面白いと思います」
全く面識がなく、利害関係のない、しかも特定分野の専門性を極めた人と対話できる機会なんてそうそうありません。いただいたコメントにもありましたが、こんな公衆電話が気軽に利用できるようになったら実に刺激的だし、新しい相乗効果も生まれるのではないかと感じました。
この日、インスピレーションデスクやコミュニケーションガチャを使ってくださった方々の多くが「面白い試みだと思った」「身近にあって気軽に使えるなら利用したい」と感想を寄せてくれました。
横浜国立大学の研究室により行われた人流計測データは、今後、新たな公園の活用方法の検証、企画のために生かされることになります。
こんなふうに公共の空間を柔軟に使えるようになったら、多様で自由で健やかな働き方・暮らし方が実現できるかもしれません。そして、このグランモール公園が新しい発想・人・問い・好奇心に出会える場所になったら、みなとみらいはさらに面白くなっていくのではないでしょうか。
2020年から数年間は新型コロナウイルスの流行が歴史的に大きなトピックとして記憶されるのでしょう。しかしパンデミックの最中にも、ポジティブなムーブメントを創出しようと、行動している人がいます。そのひとりがタイニーハウスを軸にして、ワーケーションを推進する川口展満さんです。

We’ll-Being JAPAN 川口展満さん
”タイニーハウスを活用したワーケーション”という発明
タイニーハウスとは、1990年頃のアメリカでブームが起こり、今や住まいの選択肢として定着しつつある”小さな家”のこと。一般的な家よりも面積を抑えて住居費を安く、持ち物も少なくして身軽になり、その分物質的な枷から解放された自由を求める思想が、その根底にはあります。
川口さんは、住宅だけでなくオフィスにもタイニーハウスを取り入れれば、働き方も解放できると考えました。
「リモートワークが一般的になった今、かならずしもオフィスが都心にある必要はありません。むしろ日本各地にある素晴らしい土地でワーケーションをした方が、仕事の能率や創造性がアップすると、私は常々思っていました。しかしオフィスを作るのに大きなコストをかけるとなると実現が難しい地方もある。そこでタイニーハウスを活用することをひらめいたのです。オフグリッドのタイニーハウスなら、インフラの工事がない分低コストでどこにでも設置できます。更にシャーシ(車台)に乗り、車輪で移動ができるタイプなら、さまざまな場所での転用も可能です」(川口さん)

長良川鉄道・関駅に設置されたワーケーションタイニー内装

長良川鉄道・関駅に設置されたワーケーションタイニー外装
タイニーハウスは建設費が抑えられるうえ、コンパクトで自然の景観を壊すリスクもありません。ローコスト、ローリスクで実現しやすいのが大きなメリットです。実際に川口さんが取締役を務めるウェルビーイングジャパンは、既に各自治体や鉄道企業とコラボレーションし、各地でワーケーションの拠点づくりを行ってきた実績があります。
コロナ禍の地方滞在のひとつの形として
「私たちは2019年よりワーケーション事業を開始しており、その後コロナ禍の状況になったのですが、こんな状況だからこそワーケーションのニーズが高まっていると感じます。閉塞的な状況でストレスを抱えていては、仕事の能率が上がりません。移動を最小限に抑えて地元の人とのソーシャルディスタンスを保ちつつ、各地にじっくりと滞在するワーケーションというスタイルは、現在の地方と都市の関係性の、ひとつのあり方ではないでしょうか」(川口さん)
確かに実際に地方と首都圏の人口比を考えても、人の行き来を途絶えさせるのは現実的ではありません。タイニーハウスでのワーケーションであれば、双方が安心だと思えるまでの間ソーシャルディスタンスを保ちながら仕事をすることができます。
しかも川口さんのプロデュースするタイニーハウスは太陽光発電・蓄電池・水生成システム・排水浄化ユニット・浄水装置を完備。都市型のインフラを必要としない「完全オフグリッド」という先進的な構造。そんなタイニーハウスを使った長期滞在型のワーケーション施設は、さまざま状況に対応できる順応性の高さがポイントです。
新作ワーケーション施設はYADOKARIとのコラボレーション
ウェルビーイングジャパンの新しいワーケーションプロジェクトは、日本のタイニーハウスムーブメントを牽引してきたYADOKARIとのコラボレーション。一体どんなプロジェクトなのでしょうか。
「岐阜県長良川鉄道の『郡上八幡』駅構内にタイニーハウスを設置、コワーキングスペースとして解放しています。郡上八幡駅は城下町でもあり、また長良川の源流の豊かな自然に恵まれた土地です。そんな土地を象徴するような趣ある駅舎にマッチするデザインを、 YADOKARIと練り上げました。


この施設は月の半分は弊社のサテライトオフィスとして使用する予定ですが、その他の使用していない時間をコワーキングスペースとして解放します。また地域の振興に役立つ用途に活用していただいただいたりする計画です」(川口さん)
ウェルビーイングジャパンは快適なオフィス環境の提供に加えて、郡上市のアクティビティ提供企業等と連携し、郡上市のレジャーを体験するためのサービスも提供する予定とのこと。ワークとバケーションを両立するための拠点として、タイニーハウスを活用します。
「郡上八幡駅は1929に建てられた歴史ある駅舎で、有形文化財に登録されています。今回のタイニーハウスのデザインは、この貴重な駅の雰囲気を崩さぬようイメージをリンクさせました。具体的には駅舎と同様に外壁に焼杉を利用したり、日本に古来から伝わる伝統工法で建てていたりと、趣向を凝らしています。
実は川口さんは日本に100人程度しか現役世代がいないと言われる宮大工さん。神社仏閣の建築や補修に携わることもできるほどの技術を持っています。伝統工法を使ったタイニーハウスづくりは、川口さんならではの技術が活きているのです。
宮大工、川口展満さんがワーケーションを広める理由
川口さんが仕事を休暇と兼ねるワーケーションというスタイルを普及させたいと考えたのには、大工として働いていた経験が根底にあったといいます。
「私は宮大工の技術を活かして、各地の町屋などを修理する数寄屋大工の仕事をしています。私の技術が必要な建物がある土地に滞在するのが仕事のスタイル。様々な土地に滞在することが、仕事の創造性を高めることを、身を以て体験しました。その土地から受けた刺激を、自分の仕事に活かすという、仕事と旅の相乗効果は、きっとどんな仕事にもあるはずだという信念があるのです」(川口さん)
各地で受けた刺激を仕事に取り入れているという川口さん。特に今回のワーケーション施設のある岐阜県の長良川上流では、美しい自然と人々の優しさに感動したと言います。
「長良川という水の綺麗な川が流れるこの土地は、気の流れが良いせいか人々が本当に優しいです。今回は雨が多く施工が難航したのですが、そんななかでも提携した長良川鉄道の方々の心遣いに助けられました。食べ物もおいしくて、清流に育まれた鮎は絶品です。そういった岐阜の良いところを、このタイニーハウスに活かしたくて、地元の木材を使い、地元の職人さんにお願いしました」(川口さん)
その土地に長期間ステイして、仕事と生活をするということは、短期間の観光旅行に比べても、圧倒的に多くの情報をその土地から受け取れます。その体験は、コロナ禍において減ってしまった”体験からの学び”を補える貴重なチャンス。仕事のパフォーマンスのアップや、ワークライフバランスの好転、メンタルヘルスの維持など、多方面に好影響がありそうです。
長期化する在宅勤務のなかで、人生に新しい発見が不足しがちな今、岐阜県長良川でタイニーハウスでのワーケーションを体験してみてはいかがでしょうか。
オーストラリアのインテリアのプロの女性がはじめた田舎暮らし。家族で無骨なシダーキャビンをリフォームするなかで、暮らしに馴染むインテリアを揃えてきました。移住から半年後、夫婦は日常の美しさを彩るセレクトショップ「Imprint House」を立ち上げました。
ナタリー・ウォルトンは、シドニー市内でインテリアスタイリストとして働いていました。家族で、イタリア・ヴェローナ郊外にあるオーガニック農場に滞在したことがきっかけとなり、田舎暮らしを決断しました。
一家は2016年に、ニューサウスウェールズ州セントラルコースト郊外のワイオン・クリークの木造一軒家に移住しました。この美しい田舎の隠れ家で、ナタリーは「Imprint House」の運営責任者である夫のダニエルと、4人の子どもたちと暮らしています。
最初にシダーキャビンを見たとき、家族は建物を貫くドラマチックな石の壁に魅了されました。この家は、ナタリーの独特の美学があふれているとともに、周囲の自然豊かなランドスケープにも溶け込んでいます。
ほとんどすべての窓から、ヤラマロン渓谷の素晴らしい風景が眺められます。ナタリーは、木の景色が家の主役になるように、控えめな雰囲気とニュートラルなパレットを選びました。家族が最初に引っ越してきたとき、キャビンのインテリアにはマゼンタ色の暖炉、ライムグリーンの壁、ナス色のベッドルーム、波型のスチール製の内壁がありました。
より調和のとれたインテリアを作るために、ナタリーは、6人家族が快適に使えるようにしながらも、「自然素材や仕上げを大切にしたシダーキャビン」というオリジナルコンセプトに帰ろうと考えました。
キャビンを自宅の家のように感じさせるためには、構造的なリフォームは、驚くほど必要ありませんでした。その代わりに、装飾の選択や家具を、全体的に柔らかい印象を与えるように配置しました。オープンプランのリビング、キッチン、ダイニングエリアは、ペンダントやウォールライト、ラグなどの配置を工夫することで差別化を図りました。
階下のリビングエリアには、数年前には梁からブランコとロープのはしごがぶら下がっていました。
最も大きな、そして最も困難なリフォームはキッチン部分でした。ナタリーはシーザーストーンの代わりに木製のベンチトップを採用し、納屋の照明、真鍮のドアの取っ手など、手触りの良いディテールを導入することで、カントリーキャビンの美学を強調しました。
「この小さな机は、子どもたち全員がそこに座って、お絵かきをしていた思い出の家具です」とナタリーは説明します。彼女はシドニーのオークションハウスでそれを見つけました。
家の中の多くの場所には、くつろげる読書コーナーがあります。
ここは、家族全員が引っ越してから最初に行ったプロジェクトであるツリーハウスです。「週末はブランチを楽しむために、ここに座っていることがよくあります。とても美しい景色を眺めることができます」とナタリーは語ります。
この子ども部屋は明るい青に塗られていて、床は汚れた木材でフローリングされていました。シダーの窓を除いて、家族はそれをすべて白く塗り替えました。木製のギターは子どもたちの曽祖父によって作られたものです。
引っ越してから6カ月後、夫婦はインテリアセレクトショップ「Imprint House」を立ち上げ、ダニエルはこのショールームを建設しました。
ナタリーは、家族が自分の家で使用しているものに基づいて、「Imprint House」の商品をセレクトしています。「持続可能で美しい住宅用品を探していたとき、様々な店舗で何時間も費やさなければならなかったので、日常の暮らしのためのお店を作りたかったのです」と彼女は説明します。
「Imprint House」の商品。バスケットはジンバブエ、ペグレールはイギリス製、ウールダスターはニュージーランド、ヴィンテージのニレ材のベンチは中国のものです。
広々としたスペース、無骨な素材のパレット、そして独特のノスタルジックな雰囲気を持つこの家は、以前は都会に住んでいた家族に、新しい田舎暮らしのインスピレーションを与えてくれています。
Via:
nataliewalton.com
thedesignfiles.net
YADOKARI×BEYOND ARCHITECTURE、協働取材!
今、気になるヒトやコトを様々な角度からキャッチアップしていく、YADOKARIとBEYOND ARCHTECTUREによる協働企画。第2弾は、話題の『TECTURE』をピックアップ。
自社オフィスの一角で始めた新しいカタチの飲食事業「社食堂」にはじまり、風景を活かした不動産活用を提案する「絶景不動産」やネイチャーデベロップメント事業「DAICHI」など、近年は建築の周辺の世界に活躍の場を拡げてきた建築家の谷尻誠さん。そんな谷尻さんが2019の7月に建築業界に向けた新しいサービスをスタートさせた。代表には建築業界からITへという異色の経歴をもつ山根修平さんを迎え、ローンチからすでに2年が経過しようとしている。日々、様々な反響が届く中、そのユニークで画期的なサービスは、建築業界にどんな新風をもたらしたのか、そして今後、『TECTURE』はどこへ向かうのか、じっくり聞きました!


@社食堂(代々木上原)
はじまりは、設計と検索作業への疑問
新事業の核となるのが、建築家やインテリアデザイナー向けのウェブ検索サービス『TECTURE(テクチャー)』。サイト上に掲載された住宅や店舗の事例写真上の黄色いピンをタップするだけで使われている建材や家具のメーカー、商品名がひとめでわかるという驚くべきサービス。気になった商材は製品情報からワンタップでメーカー担当者に直接問い合わせも可能と、そのあとのアプローチも実にスムーズ。実務従事者にとってはまさに、「こんなのが欲しかった!」と膝を打つサービスの登場といえるだろう。近年は“建築のまわり”に事業を拡げていた谷尻さんだが、『TECTURE』は建築業界のど真ん中に直球を投げかけた印象。アイデアの源が気になり、谷尻さんに尋ねてみた。

谷尻 僕は事務所に自分の席がないんで、いつも所内をウロウロしてる。そうするとスタッフの仕事の様子が見えるんですけど、あるときスタッフ全員がパソコンで何かを検索していることに気づいたんです。それで思ったのは、パソコンやスマートフォンという便利なものを手に入れてネットでなんでも情報が手に入るようにはなったけれど、それってつまり「考えること」よりも「検索すること」に時間を奪われているんだなって。みんなパソコンやスマートフォンの中に答えがあると思い込んでいて、ちょっとガッカリしたんです。
本来、建築って考えること、知恵を絞ることが大事なはず。これは何も僕の事務所だけじゃなくて、いまやPinterestで写真を集めて企画書を作ってしまう人も増えているって見聞きするし、建築業界のあらゆるところでそういうことが起きていて、それって実はものすごい問題なんじゃないかって。「クリエイティブなことに割く時間が検索に奪われてしまっている」って本末転倒で、建築の未来のためにも検索に時間が奪われるこの社会を変えるしかないなって思ったのがスタートだったんです。
課題を見つけるとすぐに解決に向けて動き出すのが谷尻さんらしい。さっそくアイデアをまとめて企画書を作り、投資家にプレゼンテーション。2019年2月には法人を設立した。
谷尻 僕はアイデアを思い付いたらまず会社を作っちゃうんですよ、“趣味は、法人化”だから(笑)。真面目な話で、なんですぐに会社を作るのかというと、「アイデアには価値がない」って思っているから。だってアイデアなんて誰にでもあるじゃないですか。それを形にするからいいことも起こるし、問題がわかるし、それを乗り越えて物事が前に進むわけで、「アイデアがあるならさっさとやろうよ」っていうのが僕の考え。
今回もまずは会社を作って、とにかく一番の課題である検索時間をシュリンクさせるために何をするかということを具体的に考えはじめた。はじめるからにはしっかりやりたかったので最新のIT技術を採り入れたいと考えて、ITに詳しい知り合いと話していくうちになんとなく方向性が見えてきて。ただ、いきなりITとかプラットフォームに強い専門企業に任せるっていう発想はなかったんです。なぜなら建築業界の課題をみんなが自分ごととして考えてほしかったし、本気で変えたいと思ってほしかったから。そんなときに気づいたんです、「LINEに山根って男がいるぞ」と。
なぜ、建築からITへ?
この“山根”とは、現在、『TECTURE』を運営する法人組織tecture株式会社の代表取締役社長、山根脩平さんのこと。大学を卒業後に隈研吾建築都市設計事務所に入り、歌舞伎座やホテルなど数多くのプロジェクトを担当。その後、まったく畑違いのLINEに移籍した異色の経歴の持ち主だ。

山根 LINEには、ブランディングを担当する部署の立ち上げメンバーとして入社しました。新しいオフィスを作ることが大きな仕事で、そのとき組んだのがSUPPOSE DESIGN OFFICだったんです。谷尻さんとはそれ以来の付き合いで、LINEのオフィスの仕事が終わったあとにもSUPPOSE DESIGN OFFICEの業務効率を上げたいっていう話で相談を受けていたんですよね。で、何かあればお手伝いしますよ、みたいな感じで話を聞いていて、そのうち新しいサービスの話が出てきて、そこから「社長やるよね」と(笑)。ちょうど僕がそろそろLINEを辞めようかと思っていたタイミングだったんで、「あ、はい、やります」みたいな感じで(笑)。
谷尻 本格的にITを使うのだとしたら、僕が社長やるよりもふさわしい人がいるはずだって思ったんですよ。でもITと建築を両方わかっている人は建築業界にはほぼいない。結局、山根しかいないんです。彼とはLINEのオフィスプロジェクトのときにいろいろ話しましたけど、経歴もそうだし、建築業界に対する疑問とか課題とか、それに対しての考え方とか、そのへんの感覚がおもしろいなって思っていて。
山根 僕が建築からITに行きたかった理由っていくつかあって、そのひとつが「40代若手って言われる建築業界ってどうなのよ?」っていう疑問だったんです。建築業界って、建築学科を卒業してから有名設計事務所に入って数年経って独立。ようやくメディアに作品を出せるようになったらすでに40代とかで、それでも若手って言われて。でもIT業界なら20代で世に名前が出て、莫大な資産を築いている人たちがたくさんいる。建築業界の仕組み自体がヤバくないか!? って思って、一度IT業界を見てみたかったんです。もちろん自分の土台は建築にあるのでITと建築で何かできたらいいなっていうことをLINE在籍時にめちゃくちゃ考えていたし、LINE社内でできないかと模索していた時期でもあって。そんなタイミングで谷尻さんと共同創業することに。SUPPOSE DESIGN OFFICEの業務効率のこともそうですけど、設計業界ってあまりテクノロジーが入ってなくて、働き方が変わらないというか、絶対に長時間労働になる仕組みなので、それを変えたいよねっていう共通認識があったのも大きかったです。
谷尻 僕はなんか、建築業界って、やっていることは立派なはずなのに、経済とか効率面でいうと全然立派じゃないのがすごいイヤだなって思っていて。本来、仕事って、楽しくて、その仕事に誇りをもてて、そのうえで経済的安定性も手に入るっていうバランスがとれているべきだと思うんです。でも、とくにアトリエ事務所ってみんなボロボロになるまで働かされて、給料も生きていくのにギリギリみたいなところもたくさんあって。
好きでこの業界に入ってきたんだから当たり前とか、そういうことじゃないと思うんですよ。なんかこの業界って売れないバンドマンみたいだぞって思えてきて。「オレは音楽が好きなんだ」、「金儲けじゃないんだ」、「好きなことやってんだ」って、聞こえはいいけどスタッフはボロボロじゃん、みたいな。本当は誰だってメジャーデビューしてお金だって適正に稼ぎたいっていうのが心理だと思う。堂々と好きなことやって、それでいて楽しくて、ちゃんと稼げてっていう当たり前でシンプルな仕組みをつくらないと建築業界に未来はないし、そこを変えていきたいって思うんです。

山根 建築ってクリエイティブな仕事と言われているし、アーティスティックな面を求められがちですけど、実はクリエイティブ業務って18%程度で、残りの72%のうち、もっとも時間を割いているのが42%の検索時間なんです。検索っていっても法律とか建材やプロダクトのカタログとかいろいろあるんですけど、いずれにしても探し物がほぼ半分を占めている。探している時間も長いし、そこから選んでメーカーの営業さんに問い合わせてすぐにカタログ送ってくれるならまだマシで、営業さんから「会って説明します」と言われれば、また時間がかかる。アポイントが1週間後だったりするとそこまで必要な情報が手に入らなかったり。
谷尻 そりゃブラックにもなるよね。若い子たちの価値観だったら、そんな設計事務所とAppleのどっちに入りたいかって言われたらAppleを選ぶと思うんですよ。その状況って建築業界にとってかなり大きな問題だと思う。労働時間の問題だけじゃなくて、ほかの業界はすごいイノベーティブにどんどん新しいことにトライしているのに、この業界はいつまでたっても「工事費の10%の設計料」っていう仕事の形態が何十年前からずっと同じで。なんで誰も疑問を持たずに同じことをやっているんだろうって、そこは問い直す必要があるなあと。
山根 だけど僕らは業界に対する警鐘とか投げかけをしたいっていうほど上から考えてはいないんです。警鐘っていうと、たとえば「設計料を20%にするように国交省にみんなで嘆願書を出しましょう」とかだと思っていて、でもそれは何十年かかるかわからないし、しかも国に委ねているだけになってしまう。この活動自体は長期的にとても必要で大切なことだと思うけど、どうなるかわからないことに、何十年も待たされるくらいなら今できることをやりたいし、自分たちで自分たちの場所を作っちゃえばいいじゃん、って。だからスピード重視で必要最低限の機能でサービスをリリースしたんですね。

「社食堂」と同じフロアにある設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICE
『TECTURE』が目指すビジョン
谷尻 建築の人間としては完璧なものにしないとリリースしたくないっていうのもあったんですけどね。
山根 最初は本当にそうだったんですよ。完璧を目指して進めていたんですけど、そうすると重たくなっちゃうし時間もかかってなかなか前に進まない。だから途中で根本的な価値提供ってなんだっけ? って。そこで当初の「検索時間をいかに省くか」って話に立ち戻りました。
谷尻 とにかく無駄な時間を極力省いて答えにたどり着きやすくしたい。

山根 そのうえで、さっきの話のようにメーカーへの問い合わせからカタログやサンプルが届くまでの時間も省略できるように、契約メーカーはサービス内にウェブサイトやカタログのリンク、問い合わせのメールアドレスも載せていて、すぐにコンタクトがとれるようにしました。この動線ならコミュニケーションに1週間かかっていたものが5分で終わるかもしれない。
谷尻 すごいカットですよね。検索時間や労働時間の問題ってうちの事務所だけの課題じゃないですから。IT業界がすごいスピードで伸びているのって、新しく開発されたシステムを独占するのではなく共有する文化(オープンソース)があるからなんですね。
山根 僕らが気軽に「ARサービスやってみる?」って言えるのは、AppleがARの仕組みを共有((オープンソース化)してくれているからで、そこに自分たちの実現したいシステムを少し足すだけですごくオリジナルなものになるじゃないですか。それと同じで、建築業界もみんなで情報共有することで業界全体をアップデートできるし、進化も早いだろうと思っています。
谷尻 メーカーさんにとってもメリットになるはずなんですよ。
山根 これまでってメーカーとデザイナーのマッチングが難しかった部分があるんです。設計が採用したものでもメーカー側は積極的にPRできないこともありましたし。でも『TECTURE』なら設計側が自分たちのPRのために写真をアップすればメーカーのカタログ情報が紐づいていくので、メーカーにとってはどこのプロジェクトで自分たちの商品が使われているかを自然にPRすることができます。設計側にとってもメーカーの担当者に納品事例を聞かなくても『TECTURE』上で商品と事例を併せて見ることができるから、比較検討したのちに本当に必要なコミュニケーションだけで済む。
谷尻 それって世の中にある建築に関する情報をすべてアーカイブ化しようっていうことなんです。
山根 今年のはじめに設計事務所専用のオフィシャルアカウントを作ったのも、設計事務所の竣工図書などの紙資料をデジタルアーカイブ化していこうという思いがあります。自社アカウントに登録しているプロジェクトの写真をタップすれば、過去のプロジェクトで使用したマテリアルや家具も一目でわかる。いままでのように分厚い紙の設計図書から情報を探す必要もないし、担当者が辞めてしまっていてもオフィシャルアカウント内には情報が残っている。
設計事務所って人数が増えてくると隣に座っているスタッフが担当しているプロジェクトで、どんな建材・家具を使っているのかもわからなくなってきますから。それが『TECTURE』上ならすべての情報がアーカイブされているから、誰かに聞いたり探す手間も必要ない。ある意味、『TECTURE』が設計事務所のホームページであり、情報共有のための社内ツールになるんです。

検索サイト『TECTURE』に先駆けて、昨年2月には建築メディア『TECTURE MAG(テクチャーマガジン)』もローンチ。最新事例だけでなく、アートやカルチャー、イベントやコンペの情報、さらには設計事務所の求人など多岐にわたる情報が一気に得られるサイトだ。
山根 建材・家具のカタログでもあり、建築事例のカタログでもあり、建築家を探すためのカタログでもあるのが『TECTURE』です。
谷尻 僕らがやりたいのって、建築に関する情報をデータベースにすること。アマゾンで検索しても建材は出てこないけど『TECTURE』では出てくる。ここを見れば建築業界のすべてがすぐにわかるっていうところまでサービスを成長させたい。
山根 僕も谷尻さんも設計実務者なのでアイデアはいくらでもあるので、将来的にはより実務の中で使いやすくするためのアルゴリズムを設計していきたいと思っています。今のところは驚きや目新しさで注目されていますけど、日常の設計業務にいかに定着させるかが次のステップですね。
谷尻 建築業界の情報をアーカイブ化できれば、設計の仕事がもっと変わっていくと思うんですよ。要求どおりにただ受託で作業するだけの職業にならないためにも、今後はクライアント側の事業をどう作るか、どう成功させるかなどを設計側がアドバイスできるようにならないといけないと思います。
山根 もうひとつ、建築業界が多様化してほしいという気持ちもあります。今の建築業界のビジネスモデルって極論すると、「依頼される」→「建てる」→「設計料をもらう」というひとつのモデルしかなく、ひとつのレールの上をみんなが走っているイメージがあり、かなりギャンブルだと思うんですよ、独立してメディアに取り上げられる建築家は全体の数からするとわずかですから。しかも40代で若手と言われる業界なので、レールの先には60代や70代の先輩方がずらっといて(笑)。谷尻さんみたいに自分の事業をいくつも立ち上げるのはたいへんだけど、いろいろなレールの選択肢と可能性があるということを知ってほしい。

谷尻 これまでの建築業界は、建築専門誌に載せてもらえることが建築家としての価値だったけど、これからは、SNSで発信してフォロワーを増やすことも建築で生きていくための新しい価値になるかもしれないって思う。
山根 そういう意味でもTECTUREは新たな畑を耕しにいくサービスですね。
【取材を終えて】
現在は建築や空間デザインに関わる実務者向けサービスとしてスタートしているが、『TECTURE』にしても『TECTURE MAG』にしても、建物を建てたいと考えるクライアント側はもちろん、建築やデザイン好きの人たちにも非常に興味深いメディアであり、サービスだ。建築業界全体にとっても、メーカー側にとっても、一般ユーザー側にとっても、『TECTURE』は健全で正しい未来を導いてくれるひとつのツールになるかもしれない。
聞き手:さわだいっせい(YADOKARI 代表取締役 CEO)、みやしたさとし(BEYOND ARCHITECTURE編集長)
Text:Naoko Arai Photo:Akemi Kurosaka
Profile
山根 脩平 Shuhei Yamane
1984年大阪生まれ。 2008年隈研吾建築都市設計事務所入社。建築家として活動し、代表作は歌舞伎座。2015年よりLINE株式会社 にて勤務。会社やサービスのブランディングなどを担う組織のマネジメントを行う。2019年tecture株式会社を創業し、代表取締役CEOに就任。【空間デザイン】×【テクノロジー】を活用し、従来の業界構造を変えるべく、空間デザインに特化した画像検索サービス・メディアを運用中。インターネット時代に最適化したクリエイティブで魅力のあるモデル構築に挑戦しています。

谷尻 誠 Makoto Tanijiri
1974年広島生まれ。2000年、建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICE設立。2014年より吉田 愛と共同主宰。広島・東京の2カ所を拠点とし、インテリアから住宅、複合施設まで国内外合わせ多数のプロジェクトを手がける傍ら、穴吹デザイン専門学校特任講師、広島女学院大学客員教授、大阪芸術大学准教授なども勤める。近年「BIRD BATH & KIOSK」のほか、「社食堂」や「絶景不動産」「21世紀工務店」「tecture」「CAMP.TECTS」「社外取締役」「toha」をはじめとする多分野で開業、活動の幅も広がっている。

ホワイト、木目、グレーのシンプルなボックス。ひとり分のそのスペースは、ちょっと懐かしい公衆電話のボックスに似ています。それもそのはず、これは海外のビジネスシーンで広まりつつある”フォンブース(電話ボックス)”を、日本のオフィス環境にフィットするように改良したプロダクトなのです。
今回ご紹介するGRID「Phone Box」は、防音機能を兼ね備えた、定員1名の超スモールオフィスです。 新時代のオフィス家具をクリエイトする株式会社VIDAと、YADOKARIが共同開発しました。

固定のデスクに縛られず、コワーキングスペースやカフェ、自宅などのリモート環境で仕事をするワークスタイルは、特にコロナ禍において急激に広がりました。感染予防の面でも、また働き方の柔軟性という意味でも、場所に縛られない働きかたにはメリットがあります。
リモートワークが一般的になったからこそ、旅と仕事を両立する”ワーケーション”や、馴染みの場所を移動しながら暮らす”多拠点居住”などの、新たなライフスタイルが可能になりました。また、ライフステージにあわせて介護や育児をしながら働ける、人間らしい環境もリモートワークのおかげで整いつつあります。

しかしその反面、リモートオフィスに欠けているものも、明らかになったのではないでしょうか?
不足しているもののひとつが、プライバシーが守られた空間です。機密情報を交えたオンラインカンファレンスの内容が、漏洩してしまうことを防いだり、逆に周囲の雑音に惑わされずに集中したり……。安心して仕事に邁進できる静かな空間をつくることは、リモートワークでは、意外に難しいものです。
自宅やカフェ、コワーキングスペースでは空間に限度がありますから、1つのオンライン会議、1人のデスクワークのために個室を用意するのは難しい。そこで活躍するのが、このコンパクトな「Phone Box」というわけです。
「Phone Box」は、遮音シートに加えウレタンフォームを使用し、内外の音をシャットアウトする防音ブースです。最大で約35dbの騒音軽減機能があり、この中で行うオンラインの会議や面接、商談の内容が外部に漏れることはありません。最大約35dbの騒音軽減機能とは、例えばyoutubeを大音量で視聴しても、1mも離れれば聞こえなくなる程だそう。これほどの遮音性があれば会議の音が漏れないことはもちろん、逆に外部の騒音に集中力を乱されることもありません。「Phone Box」はまるで茶室のように、そこに入りさえすれば大切なやるべきこととしっかりと向き合える空間なのです。

もちろん、コロナ禍の感染防止ニーズに対応しています。ストリームモーター換気扇が装備され、常に空気を循環しています。素材は、除菌スプレーを使用した掃除が可能なうえに、内装はマジックテープの着脱式で、破損しても簡単に付け替えができます。

設置は簡単。プライベート環境が欲しい場所に「Phone Box」を置くだけ。リノベーション工事をするまでもなく、オフィスや自宅に導入することができます。しかも価格は、従来品の1/3である50万円以下(税抜)におさえました。注文すれば最短1週間の早さで、設置できるのも魅力。

共同開発・販売を行う YADOKARIのさわだいっせいによれば、このスピード感と手頃な価格は、「Phone Box」を開発するVIDAの企業努力の賜物だそう。
「実は大分前からYADOKARIでも、”家の中に置く小屋”を商品化することを考えていたんです。コロナ禍でニーズが高まるなか、既にアメリカで同種のブースがあることを知り、 YADOKARIで同種の商品を制作しようと試みました。とはいえ見積もりをとってみても、どうしても金額が膨らんでしまって、なかなか商品化に至らなかったのです。打開策を探していた頃に、VIDAの牧原さんから『Phone Box』の企画をうかがい、日本にタイニーハウスのカルチャーやプロダクトを根付かせてきたYADOKARIならではの知見や、ノウハウが活きると感じ、業務提携へとつながりました」(さわだ)
コラボレーションは思った以上の成果をあげました。VIDAと共同開発することで「Phone Box」を、現在のようにこなれた価格帯で、迅速に届けることができるようになったそうです。

バリエーションはシートタイプ、スタンディングタイプの2種。張り詰めたウレタンフォームに騒音を吸音させて遮音する仕組み。
実は今回、YADOKARIと業務提携して「Phone Box」を、世に送り出した株式会社VIDAの牧原さんは、長年インテリア業界に携わる家具のプロフェッショナル。法人にオフィス家具を導入する際の、コンサルティングをする機会も多くあります。オフィス家具分野で培った長年のチームワークやノウハウがあるからこそ、「Phone Box」を安価でスピーディーに提供できるようになったといえます。

「ヨーロッパとかアメリカでは、いわゆる”電話ボックス”型防音ブースは、3年程前から出ていた商品でした。個人のデスクに縛られないオフィスの考え方は、海外の方が進んでいますから既に数年前にニーズが顕在化していたのですね。近年日本でもオフィスのフリーアドレス化が進むにしたがって、ニーズが高まってきました。
実は、日本でも既に海外版の同種の商品のライセンス販売をしている企業や、海外と同じような考え方で防音ブースを作っている企業はあります。しかし、非常に重厚な造りになり、日本のオフィス事情を考えるとサイズ感も少し大きすぎると思いました。特に搬入時に、欧米のものより20cmほど高さを低くしないと建物の入り口を通らない可能性があるんですね。
日本人は、欧米人ほど体も大きくないですし、オフィスの面積も総じて海外より狭い傾向にありますから。そして、なによりも従来品は金額が高くて、だいたいオプションなど合わせると150万円ぐらいからなのです。これでは日本では広まりにくいと考えました。
海外の事例のリサーチと、仕事で日本のオフィス環境を直に見る経験から、既存の商品とローカルな環境のギャップに気づき。サイズも金額も日本のオフィス環境にフィットした商品を作りたい。と、考えるようになりました。」(牧原さん)
そこでまず牧原さんは、日本のどのオフィスにもフィットするサイズ感として、あえて今までの同様の商品よりも、高さを20cmほど低くしました。またスタイルにもこだわり、おしゃれなシェアオフィスにも馴染む木製の外観に。見た目と機能性に優れたオリジナルな「Phone Box」が誕生しました。

「木製にすることで、価格も押さえられましたし、デザイン面でもメリットがあります。スチール製だと、いかにもオフィス家具という雰囲気と、圧迫感がありますよね。今はオフィスだけでなくカフェや自宅でも仕事をする時代。『Phone Box』は、オフィス以外の場所に設置しても、違和感のないものにしたいと思いました。
もちろん木製であっても防音性はしっかりしています。遮音性の高いシートの上に、吸音性のあるウレタンフォームを重ねる布団貼りという手法で、吸音性を高めているので、最大で約35dbの騒音軽減機能を実現できるのです。
これだけの防音機能をつけて、しかも価格は50万円を切ろうというところが、特にこだわった部分ですね。」(牧原さん)

音声をシャットアウトすると集中力がアップすることは、実験でも証明されています。2007年に英グラスゴー・カレドニアン大学が行った実験では、40人の被験者を無音のグループと、環境音やテンポの早い曲や遅い曲といった数パターンのBGMを流したグループに分けて、学力テストをしてみたそうです。すると、圧倒的に無音のグループの成績が良かったとのこと。*
*1. Gianna Cassidy, et al.“The effect of background music and background noise on the task performance of introverts and extraverts”(2007)
無音状態のブースは、オンラインでの会議や面接の通話以外でも、集中力が必要なデスクワークに役立ちそうですね。特にテレワークで自宅から仕事をしている場合、プライベートと仕事の切り分けに悩んでいる方もいるでしょう。そんな時、周囲の雑音を遮ってくれる「Phone Box」は、あなたのミニマルなホームオフィスになるはずです。
既にオフィスやコワーキングスペースで導入され活用されているこの商品。今後も、コワーキングスペースや、オフィスへの導入数を大幅に増やしていく予定です。

「YADOKARは、タイニーハウスを活用して、生活コストを削ぎ落とす提案をしていますよね。『Phone Box』を第一弾とする私たちのブランド、GRIDは同じ考え方をオフィスに反映させたものといえます。
GRIDは、碁盤の目のように並ぶマス目のひとつという意味で、家具ユニットの最小単位をイメージしています。時代の節目である今、オフィス環境も変化し、大きなオフィスを構えて家具を一括で導入するような時代ではなくなりました。
これからのオフィス家具には、グリッドを組み合わせるように、小さいパーツを組み合わせたり離したりできるフレキシビリティーが必要です。」(牧原さん)

確かに現代はコロナ禍の要因もあり、大企業も続々と自社オフィスを売却したりフロアを縮小したりしています。アフターコロナがどうなるかはまだ未知数ですが、今後もしばらく変化が続くことは想像に難くありません。グリッドが提案する、小さなパーツを組み合わせて仕事環境の変化に対応する家具は、まさに激動する現代のオフィス事情が求めているものです。
なかでもいちばんスペースを必要とする会議室を「Phone Box」にスイッチすることで、仕事環境の向上とスペースの効率化が両立できそうです。ビジネスにおける大切なプライバシーを守るために、また限られた仕事スペースを有効活用するために、この「Phone Box」の導入を検討してみてはいかがでしょうか。
Phone Box by GRID
Facebook 動画で視聴できない方はYouTube 動画(
こちらをクリック)も視聴可能です。
▼Made in Serigaya 詳細はこちら
町田駅から約700m徒歩圏内の距離にある市街地のシンボル的な公園である芹ヶ谷公園。園内には国際版画美術館が位置し、豊かな自然の空間には彫刻噴水・シーソー等の美術作品も点在しており、「まちなかで人と緑が出居合ふれあう芸術の杜」というテーマで「芹ヶ谷公園”芸術の杜”構想」として再整備プロジェクトが進められています。
そのなかで、芹ヶ谷公園と(仮称)国際工芸美術館を一体的に整備していくにあたって、この”芸術の杜”のコンセプトを「パークミュージアム」と名付け、公園の価値と資源を活かしながらまちなかの賑わいと連携させていくことで、町田の多様な文化芸術の活動や公園の豊かな自然を体験しながら学び楽しむことができる新たな体験型の公園としていくことを目指しています。
このパークミュージアムを実現していくために、様々な”公園で〇〇したい”という声を集め、実際に様々な公園活用の取り組みをおこなっていくための市民参加型プラットフォームが「Made in Serigaya(メイドイン芹ヶ谷)」です。
芹ヶ谷公園から市民が主体となって町田の文化や自然の魅力を発信し、さらに芹ヶ谷公園から新しい文化を生み出していこうという思いから「Made in Serigaya」と名付けました。
ここから生まれたアイデアやプロジェクトは、パークミュージアムの取り組みとして芹ヶ谷公園の新たな魅力となっていくことを目指します。
動画は、2020年11月14日~15日、これまでみんなで「想像」してきた将来の芹ヶ谷公園の風景を、2日間にわたって実際に「創造」してみようという実験的な取り組み「Future Park Lab」の様子です。是非ご覧ください!
▼「Future Park Lab」の様子ついてはこちら

YADOKARI×BEYOND ARCHITECTURE 協働取材!
4月26日、東京・神田錦町に誕生した複合施設『神田ポートビル』。入居するのは、サウナ、写真館、学校、印刷会社など、異業種の顔ぶれ。なぜ、このラインナップになったのか? 前回に引き続き、取材は、YADOKARIとBEYOND ARCHITECTUREの協働で担当。プロジェクトメンバーよる完成までのウラ話をお楽しみください。
聞き手:さわだいっせい(YADOKARI 代表取締役 CEO)、みやしたさとし(BEYOND ARCHITECTURE編集長)

竣工した「神田ポートビル」外観(写真/「神田ポートビル」公式サイトより)

竣工した「神田ポートビル」内観(写真/「神田ポートビル」公式サイトより)
(前回の記事はこちら)
神田でサウナ⁉︎ 東京の真ん中で、ほっとひと休みできる場所を。

神田ポートビルのプロジェクトメンバー 。(右から)池田晶紀さん(写真家)、米田行孝さん(ウェエルビー代表)、藤本信行さん(建築家)、芝田拓馬さん(安田不動産)
米田 (今回のプロジェクトは)ずっとやる気なかったんですよ、本当のところ。池田さんはいつもこんな調子で、「今度サウナを東京でつくりたいんですよ、だから今度ちょっと見に来てよ」って感じで気軽に言う。でも僕は、「サウナって大変だよ、運営たいへんだよ、やめときなよ」ってずっと言ってて。
池田 確かにっ! 米田さんが言ってることが正しいよ。
米田 そう、いつもこんな調子(笑)。で、「米田さんがやらないなら自分でやろうかな」とか言うから、「それはやめとけ」「もっとこうしたほうがいい」とか、なんだかんだと言っているうちにいつの間にか自分がやることになっちゃったんですよね。騙されて(笑)。
池田 そのとおり。
米田 (笑)。僕はそもそも、自分の店の売り上げを極端に増やしたいとか、業界のシェアを上げたいとかそういったことにはあんまり興味がなくて、じゃあ何をしたいかというと「サウナカルチャー」を広げていきたいだけなんですよ。だから土地が限られていて賃料が高い東京に店を構える理由がなかったのでやってこなかった。この話を聞いたときも気持ちは変わらなかったんですよ、初めは。
芝田 でも米田さん、最初にこの建物と神田を見て回ったとき、リップサービスだったかもしれないですけど「この街にはサウナが必要だよね」って言っていました。
藤本 「ないとかわいそうだ」ぐらいの勢いで。
池田 リップサービスだよ。
米田 いや(笑)。僕は名古屋の人間なんで東京には詳しくないし、正直あんまりいいイメージももってなかったんですよ、東京って。ぎゅうぎゅう詰めに建物が建っていて人も多くて空気も悪いってイメージで。でも、この神田エリアをグルグル歩き回ってみたら、お風呂屋さんがあったり、レコード屋とか古本屋さんとか昔ながらの喫茶店みたいな店とか自分の好きなものばかりがあって。喫茶店とかに入ってまわりのお客さんの話を聞いていると大学の先生らしき人とかが来ていて、学問的なおもしろい話なんかもしていて。「あれ、ここってなんかすごくいい」「日本のおもしろさが凝縮された街なんじゃないのか」って思えてきて。東京ってどんどん新しい超高層ビルが建ってそこに人を集めようとするけど、東京の魅力って実はそこじゃなくて、もっと本質的な魅力というか、都市ならではのカルチャーが積み重なっていることで、まさにそれがあるのがこの神田なんじゃないかって。なんとなくサウナと共通するものがあるなって思って「神田にサウナはないの?」って聞いたら、ないって言うから、それで「サウナないとダメじゃん」って言ったんですよ。だから、そのときは自分でやるとはまったく思ってないんです。
芝田 誰かにやってもらうといいよね、みたいな。
米田 ただ、池田さんとは前から縁があったというか。こんなお調子モノだから、前も急な依頼で人力車サウナをつくったことがあったんですよ。
池田 スパイラルビルで僕の個展があったときですね! スパイラルの中では火を使えないので実際には稼働しなかったんですけど、そのときつくった人力車サウナを神田のアートプロジェクトで実際に使おうって話になったんですよね。そんな無謀なことを許してくれた街なんですよ、神田は。
米田 だからもう、なんか、みんな出会っちゃったんだよね、結局のところ。
池田 そう、しょうがないですよ、運命なんだから。
米田 池田さんはこのビルにも街にも縁がある。自分もこの街が好きで、このビルの雰囲気も気に入って、ここがどういう風に変わっていくのか見てみたいという純粋な興味が湧きましたよね。普通、街の開発っていうと、超高層ビルをバーンみたいなものがほとんどですけど、僕はツルツルピカピカしたものがあんまり好きじゃなくて。もうちょっとザラザラっていか、味わいのあるものに関わっていくのならおもしろいと思っているので、このプロジェクトは感覚的におもしろいんじゃないかなって。街の開発というか、街づくりに参加できるのであればいいなって思うようになって、いつの間にか巻き込まれたって感じです。でも実際に考え始めてみて、これからの街のデザインってどんなことだろうって思ったとき、心地良さが重要なキーワードになるんじゃないか。心地良さならば、サウナを生業にしている自分ができることかなって。サウナができることによって、どうやって人が集まってくるのか、何か生まれるのかっていうのは始まってみないとわからないことですけど。
池田 ある意味、実験みたいなもんだよね。

(右)池田晶紀さん(写真家)、(左)米田行孝さん(ウェエルビー代表)
こうして安田不動産の芝田さん、藤本さん、池田さんに加え、サウナのプロ、米田さんが加わった。
池田 先ほどお話したように、2017年にフィンランドヴィレッジで糸井さんに初めてお会いしたんですけど、その後もときどきお会いする機会があって、いっしょにご飯を食べているときにこのビルの話をしたんですよね。僕はコマンドNで街とアートをつなげる活動をしてきたから、今度はこのビルを拠点に同じことができるね、という話をしていて。そしたら糸井さんが「それって街づくりじゃん、なんか楽しそうでうらやましいなあ」っておっしゃって。僕は冗談半分で「何かあれば協力してくださいよ」みたいなこと言ったんですけど、そうしたら後日、本当に連絡がきて「池ちゃん、こないだの話してたビル、見に行きたいんだけど」って。
芝田 実はその時点では、2階と3階に何が入るか決まってなかったんですよ。
池田 ちょうど外資系の企業と交渉している段階で、なんか自分たちとは温度差がありそうな感じではあったんですけど、でも家賃を払ってもらえるんだったらいいか、みたいな感じで。でも本心では、僕は精興社さんとは昔から仕事しているし、米田さんもよく知っているし、何かしらつながりがあるとか、クリエイティブな人たちがいいよなって気持ちもあって。
芝田 そんなタイミングで糸井さんが見に来てくれることになって。
池田 糸井さんがビルを見ているところを後ろから写真撮って、それをグループラインに送ったんですよ。「糸井さんは単に見に来ただけで絶対に入らないので期待はしないでね」って言いながら。でも、僕自身このメンバーの熱意と誠意がすごく伝わってきて、このメンバーでやるからこそどうにかいいものにしたいっていう気持ちがどんどん強くなって。だったらみんなにも糸井さんに会ってもらおうとカジュアルにご飯を食べる機会をつくったんですよ。糸井さんを口説こうとかって話でもなく。でも、話をしているうちに糸井さんがだんだん入ってくるんですよ、なんかこう、すでに一緒にプロジェクトを動かしているような、少しずつ耳を傾けてもらっている状態が続いて。そんなある日、「僕、行くよ」って糸井さんが決断をされて。
芝田 「うちら(糸井さん)がこのビルに入ったらうれしいだろう?」って。
池田 なかなか言えないよね。僕が同じこと言ったら、お前誰だよって。
芝田 (笑)。これもつながるんですけど、社内の初期の企画会議で、この街のペルソナを話したとき、実は糸井さんの名前も挙がっていたんです。糸井さんみたいな人がきてくれるといいよねって。そのときはまさか、『ほぼ日』が神田に移転する話に繋がるなんて誰も想像できてませんでしたから、本当に何かに導かれたという感じです。

入り口のドアには「ほぼ日学校」のマークが

共有部にある本棚は、昨年亡くなられた和田誠さんから譲り受けたもの

ほぼ日学校の入り口にあるフロントロビーは、ワークスペースとしても使える
糸井さんの英断により、『ほぼ日の學校』が仲間入りすることが決定。サウナ、写真館、学校、オフィスが一同に集い、このビルの個性がより際立つことになった。そして、プロジェクトの勢いも一気に増すことになる。
芝田 「ほぼ日の學校」が入ることが決まって、糸井さんがうちの会社に来てプレゼンテーションしてくれたんですけど、それが本当にプロフェッショナルの仕事で。はじめにお話したように、うちの社長はサウナがキライなんですけど、最後は社長も含めて会場みんながスタンディングオベーション。
池田 糸井さんは言葉の人だから、このプロジェクトの方向性が決まったのってやっぱり糸井さんが入ったことが大きいんですよ。神田ポートビルという名前も糸井さんがつけてくれたんですけど、このネーミングを解読してみると、ポートって港で、港がどういう位置づけかというと人が休むところであり、再出発するところ。旅人が集まる場所でもあるし、街の中心でありながらつなぎになるような場所。要は都市のなかの港になろうというのが神田ポートビルなんですね。ということはつまり、“休む”っていうことがキーワードになっていて。
米田 都市の生活って苦しいこともたくさんあるじゃないですか。だからこそ、そこに“休み”が必要だと思うんですよ。
池田 でも、ここは遊園地ではないんで、決まった遊びを提供しますじゃなくて、どう遊ぶかは個人の自由に任せているんです。建築的にもスタディだし、スタートしてから変化していってもいいというか。そういう意味でも、途中っぽさというか、受け手側の余白があって、そこに可能性があるなって思うんですよ。いろんなものを大盤振る舞いで提供するからどうぞっていうことじゃなくて、入る側にもある程度の用意っていうか、学びたいからくるんだとか、気持ちよく休みたいから来るんだっていう、自分の生活にきちんと意識を向けていてほしいというか。
米田 今回はそのひとつがサウナですけど、サウナ的なものであればほかのものでも構わないと思いますし。
池田 でも、僕らは結局サウナつながりなんですけどね。
藤本 ほかにない(笑)。
池田 だって俺、写真家だから、本来は。でも今思うと、サウナっていう導きがあって、そうならざるをえない状況で今に至るというのが本当の話なんですよ。ね、そうですよね?
米田 そのとおり(笑)。
池田 おチャラけたカメラマンが強引にサウナサウナって言ったんだって思われるかもしれないけど、違うんです! サウナの導きどおりにやっていっただけなんですよ!(了)

終始楽しそうに語り合うプロジェクトメンバーの4人
【取材を終えて】
あらかじめ答えを用意したプロジェクトではなく、成り行き、導き、いや、必然によって進んだプロジェクト『神田ポートビル』。米田さん率いる『サウナラボ』、池田さん率いる『あかるい写真館』、糸井さん率いる『ほぼ日の學校』が入居し、この4月から街の人はもちろん、神田錦町に訪れる人たちみんなが自由に利用できるようになる。住む人も、働きに来る人も、遊びに来る人も、さらには学びに来る人も休みに来る人も、どんな人たちをも受け入れてくれる深い懐を持つ“ポート”ビル。神田の街でどんな存在になるのか、今から楽しみだ。

屋上にはサウナの客がくつろげる屋外スペースを設置
Text : Naoko Arai Photo:Akemi Kurosaka
profile
(「神田ポートビル 公式サイト」より抜粋)
池田晶紀 / IKEDA Masanori
写真家 / 株式会社ゆかい 代表。担当:クリエイティブディレクション
私の本業は写真家です。写真家は「会う」ことが仕事ですが、会うことを仕事にしている次の狙いは、「会う場所」をつくることでした。これからつくるこの場所には、いろんな出会いがあります。それは、人であり、物であったり、事であり、はたまた自分自身であったりと、様々なアカデミックな仕掛けとセットでオルタナティブな人たちが出入りする計画です。さらに特異なポイントとして、神田錦町という街や人が持っている気風にも触れながら、この場所に、サウナに入りに来てください。とっても贅沢な時間として、ここで野生の呼吸を取り戻す習慣がつくれたら、と考えています。
米田行孝 YONEDA Yukitaka
サウナラボ / 株式会社ウェルビー 代表
人も自然の一部だと気づき、野生に目覚めるのがサウナです。身体的感覚を取り戻し「ここちよさ」を感じとることが、デジタルの時代には必要だと考え、都市でのストレスを解放する身近な自然として、この街にサウナという木を植えます。サウナは人と自然を繋ぎ、人と人とを繋げる場。新しい出会いがこの街に新たな風景を作ります。
藤本信行 FUJIMOTO Nobuyuki
建築家 / バカンス株式会社 代表。担当:デザイン監修
都会で生活する人を元気にするその効能を盲信したまま、まちづくりの原動力としてサウナを提案したのが2年半前。同じころに池田さんに出会ったのをきっかけに、サウナラボ東京初出店、ゆかいさんスタジオ移転、ほぼ日の学校初の常設、さらには精興社さんとのコラボまで、ファンタジックな展開にすでにととのいさえ感じています。サウナは地面に穴を掘ってつくったのがはじまりだそうです。個人的には、それを地下空間につくることに誰よりも興奮しながら計画に関わらせていただきました。地中から湧き出るサウナエネルギーで、これからこのまちがゆっくりと蒸されながら活性化していくのをとても楽しみにしています。
芝田拓馬 SHIBATA Takuma
安田不動産株式会社。担当:プロジェクトマネジメント
地元民から来訪者と多様な人々が行き交いながらも、祭りや人情を通じて、居心地の良い距離感で繋がっていることが神田の魅力だと思います。そんな神田との”縁”で集まったメンバーが、このまちを「第二の地元にしたい」と夢語り進めてきたプロジェクトが間もなくお披露目です。サウナ・学校・写真館と、単なる言葉の組み合わせでは説明しきれない新たな場は、控え目に言って最高です。この場所で生まれる出会いや旅立ちに、地元不動産会社ならではの、神田の水先案内をさせていただきます。
(事業概要)
施設名:神田ポートビル
所在地:東京都千代田区神田錦町3-9
用途:事務所・公衆浴場
構造・規模:RC造 地下1階地上6階 延床面積2,980.52㎡
事業主:安田不動産株式会社
企画支援:藤本信行(バカンス株式会社)
デザイン監修:バカンス株式会社、株式会社須藤剛建築設計事務所
神田ポート(1F)プロデューサー:小林知典(株式会社ゆかい)
クリエイティブディレクション:池田晶紀(株式会社ゆかい)
ネーミング:糸井重里(株式会社ほぼ日)
ロゴデザイン:菊地敦己(アートディレクター)
協力:日本ペイント株式会社、優美堂プロジェクト(東京ビエンナーレ2020/2021)
ローマ近郊の海辺の歴史的な町フレジェネに、隠された建築廃墟がある。宇宙的とも未来的とも見えるオブジェのような建造物は、異次元世界の雰囲気を醸している。
この「カーサ・スペリメンターレ(実験の家)」は、イタリア人建築家 ジュゼッペ・ペルジーニ、妻のウガ・デ・プレザン、そして後に息子のレイナルド・ペルジーニによって、1968年から1975年の7年間かけて建てられたものだ。
別名カーサ・アルベロ(ツリーハウス)として知られるこの建物は、フレジェネの海岸近くの松林の中に、週末の実験的な別荘として建設された。1995年に建築家が亡くなって以来、この建物は廃墟と化しており、遠い過去から忘れ去られたランドマークとなっている。
カーサ・スペリメンターレには、打放しコンクリートなどを用いた彫刻的な建築表現である「ブルータリズム」の斬新な建築技術が実験的に使用されている。建築家のペルジーニは、1960年代から、コンピュータプログラミングを建物の設計に適用することを最初に検討した建築家の一人。ペルジーニにとってカーサ・スペリメンターレは、回転構造とプレハブ要素のアーキテクチャの可能性を調査するプロジェクトでもあった。
樹木の中に高くそびえ立つカーサ・スペリメンターレは、立方体と球体のモジュールからなる建物が、コンクリートの枠組みの中に、幾何学的に組み合わさっている。モジュール構造により、住みながら自由に拡張することができるように設計されているのだ。
メインの建物と地上を結ぶ赤い階段は、吊上げ橋のように地面から引き上げることができ、離陸する宇宙船のように誰も中に入ることができなくなるという。
球体の部屋は、メインフレームからぶら下がっているものと、敷地内に別の場所にある直径5mの離れのゲストハウスの2つがある。
メインの建物は、立方体の透明なウィンドウボックスを散りばめた、積み上げられたコンクリートボックスを特徴としている。
内部は、寝室、キッチン、バスルームで構成され、2つの部屋を含む3つの3mのキューブのモジュールで区切られている。バスルームは3mx1.5mの2つのモジュールで区切られ、大きな円形の窓から中を覗くことができる。
カーサ・スペリメンターレは、しばしば破壊行為の対象になり、若者たちの落書きの遊び場になっている。コンクリート上部構造の金属結合部分のいくつかは、構造的破損を起こしているという。
建築家・研究者のパトリック・ウェーバーとサビーネ・ストープは、不安定な状態にあるカーサ・スペリメンターレの建築の威容さを総合的に記録するためにデジタル保存に取り組んだ。「カーサ・スペリメンターレは、実験的な建築の傑出した例です」と彼らは言う。
ウェーバーとストープは、写真家のアンディ・タイと3Dスキャン会社 ScanLABと共同で、カサ・スペリメンターレの3Dモデルを共同制作した。
「カーサ・スペリメンターレは、放置されその物語が永遠に失われる前に、世界中の専門家や研究者がそこから学ぶことができるように、デジタル化される価値のある建築です」と2人の研究者は述べているという。
カーサ・スペリメンターレの3Dプロジェクトは、2019年にシュトゥットガルトのヴァイセンホフギャラリーで開催された『バウハウスの100年』のイベントのオープニングに展示された。
Via:
dezeen.com
iconichouses.org
sosbrutalism.org

今、気になるヒトやコトを様々な角度からキャッチアップしていく、YADOKARIとBEYOND ARCHTECTURE(オンデザインパートナーズ運営)によるコラボ企画。第一弾は日本のビジネスの中心地・大手町のお隣・神田錦町に、この春、誕生する複合施設『神田ポートビル』を取り上げます。サウナ、写真館、学校、印刷会社のオフィスという、ちょっと不思議な顔ぶれが集うこのビル。なぜ、そうなったのか? プロジェクトに関わったメンバーにお集まりいただき、「神田ポートビル」誕生までの秘話を伺ってみました。
聞き手:さわだいっせい(YADOKARI 代表取締役 CEO)、みやしたさとし(BEYOND ARCHITECTURE編集長)

神田ポートビル1階の工事現場
神田でサウナ⁉︎ 東京の真ん中で、ほっとひと休みできる場所を。
まずは「神田ポートビル」の概略を説明しておこう。
立地は1913年から続く老舗印刷会社、精興社の社屋がある場所。築56年が経ち、耐震補強工事が必要になったことを機に、単なる自社オフィスだけではなく、「街の新しい拠点になるような機能を備えた建物」に生まれ変わらせようと始まったプロジェクトだ。
プロジェクトのリーダーとなったのは、神田錦町に本社を持つ安田不動産(ちなみにオンデザインは、東日本橋の「TOKYO MIDORI LABO.」「T-HOUSE New Balance」「Hama House」などでプロジェクトを手掛けている)。
これまで、オフィスビルの供給にとどまらず、皇居ランナーに向けたランナーズステーションや飲食店といった特色ある路面店舗を誘致するなど、神田錦町のエリアリノベーションにも深く関わってきた。さらに近年は神田錦町四町会と共同で『神田錦町ご縁日』といった地域イベントも多く手がけ、神田錦町の建物も人も熟知した、いわば企業版の青年団長みたいな存在でもあった。街づくりのプロである安田不動産が「このビルをどうリノベーションしようか」と考えたときに、まずパートナーとしてまず声をかけたのが、ホテルや商業施設を数多く手掛ける建築家の藤本信行さん。藤本さんは街づくりやホテル、飲食店、商業施設の企画・運営を手掛ける『UDS』に勤務していた時代に安田不動産と協業したことがあった−−。

右から、池田さん(写真家)、米田さん(ウェエルビー代表)、藤本さん(建築家)、芝田さん(安田不動産)
芝田 以前、当社(安田不動産)が日本橋浜町で街づくりを手掛けたときに、別の担当者が当時UDSにいた藤本さんとご一緒したことがあって。今回、僕が神田錦町のエリアリノベーションを担当することになり、その日本橋浜町の担当者から、「藤本さんっていう面白い人がいるから、街づくりをするなら声をかけてみたら」って言われて。
藤本 面白い人ですか(笑)。確か、はじめて会ったときは、「この建物で何かをやりましょう」というより、「神田錦町という街に光を当てましょう」みたいな感じでご相談いただいたんですよね。
芝田 そうです。日本橋浜町のプロジェクトでは、デザインホテルを核にして、飲食やショップを街のあちこちに点在させるという方法でした。一帯をガサッと丸ごと再開発するのではなくて、既存の良さをいかしながらエリアをリノベーションすることで魅力をアップさせるという。その手法と同じ流れで神田錦町をどうするか、と。今回はエリアのひとつの拠点として築56年の趣のあるビルを活用してという話をして……。
藤本 建物で何かをやるとなると、一般的にはコワーキングスペースを入れるとか、飲食店を入れるみたいなことが思い浮かびますけど、すでに誰もがやっているし、これからやることとしては新鮮味もないからどうなのかと思って。でも正直、この建物で、何をしたらエリアや建物の価値が高まるのか、そもそも人を惹きつける力があるものって何なのか、なかなか思いつかなかったんですよね。で、たまたまその頃、僕がサウナを好きになり始めた頃で、今、自分がその街にあって一番惹かれるのはサウナだよなって。
芝田 いきなり「サウナはどうですか?」って話をいただいたんですけど、僕は正直、「えっ、藤本さん、だいじょうぶ?」みたいな感じでした(笑)。当時はまだ今ほどサウナが盛り上がっていない時期というのもあって。

(右)藤本さん、(左)芝田さん
藤本 「サウナー」という言葉はすでにあったけど、まだメジャーではなくて、芝田さん、相当びっくりされていましたよね。
芝田 はい(笑)。そんな調子だから、最初は冗談みたいな会話でしたね。でも、藤本さんがサウナの話をするときって本当に目がキラキラ輝いていて。その目を見ているうちに、僕もなんだかサウナっていいんじゃないかって思ってきたんです。で、そのうちサウナの話をすると自分までだんだん目が輝いてきちゃって(笑)。会社でも「今、サウナがヤバいです」とか言い出すから、社内では「なんだこいつ?」って目で見られていました(笑)。
藤本 僕自身、芝田さんがそんなに盛り上がっているって気づいていなかったんですよ、最初の反応があまりよくなかったんで。だから企画書ではサウナ案を一度引っ込めたんですよね。安田不動産と一緒にやるにはサウナはキツイかもなって。
芝田 でも、あの頃、自分のなかではすっかり藤本さんに感化されちゃって、社内で地道な啓蒙活動を始めていましたから。うちの社長、サウナ嫌いなんで(笑)。

昭和の面影を残す階段
この時点で、「ビルのなかにサウナをつくる」という軸がおぼろげに見えた。とはいえ、そのときは本当に実現するのかどうか未知数であり、雲をつかむような夢物語でもあった……。
藤本 この企画がまだどうなるのかまったくわからない時期に、写真家の池田晶紀さんに初めてお会いしたんです、長野県の『フィンランドヴィレッジ』であったサウナイベントで。
池田 藤本さんに初めて会ったのは2017年の6月28日です! 一応、説明しておきますと、フィンランドヴィレッジは、サウナ界のゴッドファーザーと言われている米田行孝さんがやっているサウナの伝道施設なんですね。米田さんは名古屋と福岡でサウナを経営していて(ウェルビーグループ、サウナラボ代表)、昨今のサウナブームをつくった『フィンランドサウナクラブ』っていう一般社団法人のメンバーでもあって。で、1年に1度、日本サウナ祭りをそのフィンランドヴィレッジでやっているんです。そこはサウナの実験施設のようなところで、日本にサウナ文化を広めるために興味を持っていそうな方をたくさん呼んでいるんですよ。そこに集まったなかの一部が、今ここにいる僕、米田さん、藤本さん。なんで僕がいるかというと、僕もサウナーで、フィンランドサウナクラブのメンバーだから。藤本さんとは初対面でしたけど、お互い裸でしたね!
藤本 笑
芝田 藤本さんからそのときの話を聞くと、池田さんはサウナに精通していて、写真家としては「ももいろクローバー」を撮ったり、アーティストとしても活動されていて、人脈も独自のネットワークがあると。それで思ったんですよ、池田さんってすごくおもしろい存在なんじゃないか、今回のプロジェクトのキーマンになってもらうべきじゃないかって。企画書に「サウナ」って書くなら、やっぱり具体的な名前が欲しかったんです、会社を説得するうえで。だから、池田さん本人に相談する前に、藤本さんと僕とで勝手に盛り上がって。
池田 え、そうなの!? それは初めて聞いたよ、びっくりした!
芝田 そのフィンランドヴィレッジが実はけっこう大きなキーになっているんですよ。あの糸井重里さんもいらしていたという。
池田 そうなんですよね。でもそのときは、このプロジェクトに糸井さんが関わるとはまったく思ってなかったです。デベロッパーと建築家の関係が近いのはわかるけど、そこに、ももいろクローバーを撮っている写真家やサウナ経営者、糸井重里さんなど不思議なメンバー同士が近づきつつあった。そう、すべてはサウナに導かれて……。

当時のいきさつを熱心に語る池田さん
藤本 僕と芝田さんで盛り上がって、正式に池田さんに、このプロジェクトのプロデューサー的な役割を担ってくれないか、ご相談にいったんですよ。そうしたら、池田さんの写真スタジオが引っ越し先を探しているって話になって。
池田 けっこう長いこと引っ越し先を探していたんですよね。で、これがまた偶然なんですけど、雑誌のインタビューとかで「次はサウナ付きの写真スタジオを作るのが夢」って言ってたんですよ、俺。だからこのビルのリノベーションの話を聞いたとき、スペース的に写真スタジオにちょうどいいかもしれないってなって思って。
藤本 さらに今回のプロジェクトが神田錦町って話をしたら、このエリアにもともとご縁があるっていうんですよ、池田さんが。
池田 僕は10年近く前から千代田区にある『3331アーツ千代田』でコマンドNっていうアートプロジェクトの企画に関わっていて、神田っ子と呼ばれるような地域の人たちとアートを結び付ける試みから、神田で何代も続く老舗の主人のポートレートを撮っていたんです。神田錦町丁目の町会長とか200人くらい撮り続けて、『いなせな神田』っていう写真集も出しました。

神田で暮らす人々が登場する写真集『いなせな東京』
米田 実はこのビルのオーナーでもあった精興社の社長さんも撮ってるんですよね?
池田 そうなんです。撮ってたんです、実際にこのビルに来て。
米田 俄然そこから池田さんの「写真スタジオ移転計画」が現実味を帯びてきて、プロジェクトのプロデュース云々の前にスタジオ移転の話から進んでいきましたね。僕自身はそのとき、このプロジェクトに関わるつもりはまったくなかったし、それどころか、東京にサウナの店を出す意味をまったく感じていなかったんですけどね。

(右)米田さん、(左)藤本さん
ときに本音で語る米田さん、そこからどうやって池田さんたちに巻き込まれていったのだろうか? すべては偶然の産物なのか、それともやはりサウナのお導きか……。その答えは次回に。
Text : Naoko Arai Photo:Akemi Kurosaka
Profile
(「神田ポートビル 公式サイト」より抜粋)
池田晶紀 / IKEDA Masanori
写真家 / 株式会社ゆかい 代表。担当:クリエイティブディレクション
私の本業は写真家です。写真家は「会う」ことが仕事ですが、会うことを仕事にしている次の狙いは、「会う場所」をつくることでした。これからつくるこの場所には、いろんな出会いがあります。それは、人であり、物であったり、事であり、はたまた自分自身であったりと、様々なアカデミックな仕掛けとセットでオルタナティブな人たちが出入りする計画です。さらに特異なポイントとして、神田錦町という街や人が持っている気風にも触れながら、この場所に、サウナに入りに来てください。とっても贅沢な時間として、ここで野生の呼吸を取り戻す習慣がつくれたら、と考えています。
米田行孝 YONEDA Yukitaka
サウナラボ / 株式会社ウェルビー 代表
人も自然の一部だと気づき、野生に目覚めるのがサウナです。身体的感覚を取り戻し「ここちよさ」を感じとることが、デジタルの時代には必要だと考え、都市でのストレスを解放する身近な自然として、この街にサウナという木を植えます。サウナは人と自然を繋ぎ、人と人とを繋げる場。新しい出会いがこの街に新たな風景を作ります。
藤本信行 FUJIMOTO Nobuyuki
建築家 / バカンス株式会社 代表。担当:デザイン監修
都会で生活する人を元気にするその効能を盲信したまま、まちづくりの原動力としてサウナを提案したのが2年半前。同じころに池田さんに出会ったのをきっかけに、サウナラボ東京初出店、ゆかいさんスタジオ移転、ほぼ日の学校初の常設、さらには精興社さんとのコラボまで、ファンタジックな展開にすでにととのいさえ感じています。サウナは地面に穴を掘ってつくったのがはじまりだそうです。個人的には、それを地下空間につくることに誰よりも興奮しながら計画に関わらせていただきました。地中から湧き出るサウナエネルギーで、これからこのまちがゆっくりと蒸されながら活性化していくのをとても楽しみにしています。
芝田拓馬 SHIBATA Takuma
安田不動産株式会社。担当:プロジェクトマネジメント
地元民から来訪者と多様な人々が行き交いながらも、祭りや人情を通じて、居心地の良い距離感で繋がっていることが神田の魅力だと思います。そんな神田との”縁”で集まったメンバーが、このまちを「第二の地元にしたい」と夢語り進めてきたプロジェクトが間もなくお披露目です。サウナ・学校・写真館と、単なる言葉の組み合わせでは説明しきれない新たな場は、控え目に言って最高です。この場所で生まれる出会いや旅立ちに、地元不動産会社ならではの、神田の水先案内をさせていただきます。