検索する

YADOKARIについて

お問い合わせ

今日は今回のタイニーハウス小菅デザインコンテスト2020にご協賛いただいておる株式会社細田工務店様にお邪魔して代表取締役社長である阿部憲一氏からタイニーハウスに関するお話をお伺いしました。

株式会社細田工務店(JASDAQ上場)は創業72年を誇る住宅メーカーで、住宅建設を専業とする歴史ある会社です。東京中野で創業、60年前から現在の所在地である阿佐ヶ谷に本社を移し、以来地域との関わりながら年商200億の規模にまでなりました。建売住宅やプレカット工法などを最初に取り入れた企業です。現在では顧客のニーズにこたえるため、新築のみならずリフォームや資産運用支援、ペットと暮らせる家等、多岐にわたるサービスを提供しています。また、本業以外に木工体験イベント、ケヤキ並木の音楽会や阿佐ヶ谷七夕祭り、JAZZ STREET、クラフトフリーマーケット、景観シンポジューム、写真展、絵画展などの支援を通して地域と共にある会社です。

そもそも、タイニーハウスに興味を持った理由は?

都会では住まいの周りに様々な生活環境が整ってきたため、家が狭くとも充実した生活ができるようになりました。お風呂や洗濯機がなくともスポーツジムやコインランドリーがあれば生活ができます。家族の人数も1人世帯や2人世帯が多数を占めるようになりました。また、最近ではミニマリストや小さく済むことが見直されている事もあり小さな家に対する需要が起きてくると考えています。

住宅産業界への影響はどうなるでしょうか?

これまでのスクラップアンドビルトの社会ではなくリフォームや長く使える住宅、また小さくても快適な住まいが求められる時代になると思います。東京では都市農地が宅地として開放される予定ですが、相続税の関係で大きな土地が細分化される恐れがあり心配しています。良好な住環境をどうして守るかが大事だと思います。具体的には若夫婦2人、年収800万円で買える質の高い家や、賃貸付き住宅、家は一生住むところではなく時代に合わせて変化できる様な家が求められるでしょう。

阿部社長が考えるタイニーハウスの可能性はどうでしょうか?

都市と小菅村をセットで販売したいと考えています。同じ所に一生住むのではなく、都会と小菅村の2拠点住居のような、都会の利便さと田舎の自然を合わせて持つような住まい方です。都会の生活を少し小さくすれば、田舎でも生活できるようになると思います。都会から見ると小菅村の自然は魅力的です。おいしい食べ物、美しい自然、早くタイニーハウスビレッジができないかと考えています。

デザインコンテストについてはどう思いますか?

すべての作品を見たわけではないですが、新しい提案が沢山あると感じています。美しい作品も多数ありますね。美しい建物は景観を美しくします。若い人たちには思いっきり住まいを表現してもらいたいです。小菅村で行っているデザインコンテストは世界の流れに対して正しい事をしていると思います。

最後に応募者の皆さんへ一言お願いいたします

先ほども申したように、皆さんのタイニーハウスに対する思いを思いっきり表現してください。皆さんからの応募をお待ちしております。

1時間ほどのインタビューでしたが、こちらから問うまでもなく次から次へと言葉が飛び出し、さすが一流企業の社長さんといった感じでいた。しかしながらおごった面もなく親しみやすい社長さんでした。取材ありがとうございました。

株式会社細田工務店(JASDAQ上場)
会社オフィシャルサイト:https://www.hosoda.co.jp/

応募者不問!「タイニーハウス デザインコンテスト2020 小菅村×YADOKARI」応募登録2020/2/28 作品提出3/31 まで

コンテストの詳細・応募申込はこちら
⇒ http://kosuge.yadokari.net/
http://tinyhouse-kosuge.com/

場所に捉われない働き方は、身の自由が確保しやすいフリーランスや経営者だけに留まらず、企業に勤める人であっても実現可能な時代になりつつあります。

出社しなくて良い勤務形態が徐々に普及し、個人が気軽にドロップインできる快適なコワーキングスペースも各地に増え、コミュニケーションとラップトップでの作業が業務の大半を占める人なら、WiFiと電源さえあれば、今や世界のどこにいても仕事ができる環境が整ってきています。

そして、この流れをさらに進化させるのが、モビリティ(移動手段)の発達です。実装に向けて急速に開発が進む自動運転は、今までの移動の概念を大きく変え、いわば居住空間・オフィス空間ごと好きな場所へ移動していくことも可能にします。

目的地へ到達することだけが移動の価値ではなくなり、移動中の時間・空間で仕事や日常的な活動が継続できるようになった時、私達はどこへ行きたくなるのでしょうか。

観光だけでなく、仕事の場所として

2016年に「G7伊勢志摩サミット」の開催地にもなった三重県志摩市。市全体が国立公園の中にあるという大自然の恵みを資源に、関西有数のリゾート地として発展してきました。しかし人口減少が進む今、従来の観光だけではない交流人口・関係人口の増加を目指し、市長が中心となって先進的な取り組みを始めています。

2018年には「SDGs未来都市」にも選定され、2019年秋からは次世代移動サービス「MaaS」の先行モデル都市としての実証実験も開始。「モビリティ×まちづくり」を推進し、ワーケーションや2拠点居住といった新しいワーク&ライフスタイルの場としての可能性を模索しています。

YADOKARIではこの志摩市に、今回新たに開発した新オフグリッドタイニーハウスを設置し、ダイナミックな自然環境の中で「移動する暮らし」を実現する試みを、市と一緒に行っています。

ワーケーションに期待するものとは?

仕事場をいつもとは違う場所に変えることによって、私達が得られるものとは何でしょう?

一つは「インプットを変える」ことができます。たとえ仕事の内容は同じでも、単純に身を置く環境を変えることで、目に映る景色や聞こえてくる音、匂い、空気が変わり、周囲の人間関係が変わり、いつもの設備や道具が変わることで体の動きも変わります。こうしたあらゆる刺激がそれまでと変わることによって、私達の脳や心、肉体は新鮮さを感じることができます。

同時に、そこに積極的に体を動かしたくなるような環境があった場合はどうでしょう? 海での遊びや、森の中を思いっきり走ること、屋外での料理や食事なども、いつもとは違う発散・クリエイティビティであり「アウトプット」の形。きっとそれまでとは違う脳の回路や感覚、筋肉などを使っているに違いありません。

こうした「インプットとアウトプットが変わる」ことで、私達は思考も精神も肉体もリフレッシュし、通常の仕事に対する見方や取り組み方がより良いものに変化する可能性は大いにあります。

このような効用をワーケーションに期待する時、志摩の豊富な自然資源とアクティビティは大きな魅力と言えます。その志摩の代表的なアクティビティについてご紹介します。

海のアクティビティ

志摩で最も気軽に触れられる海のアクティビティと言えば、まずは海水浴です。志摩には数多くの美しいビーチがありますが、代表的な海水浴場を挙げると、

・阿児の松原海水浴場
・御座白浜海水浴場
・次郎六郎海水浴場
・浜島海浜公園
・わたかのパールビーチ

などがあります。(伊勢志摩観光ナビ/伊勢志摩観光コンベンション機構公式サイト https://www.iseshima-kanko.jp/feature/beach-pool/shima

いずれも水質が非常に良く、特に御座白浜海水浴場は、快水浴場百選や環境省の「日本の水浴場88選」にも選出されており、白い砂が美しい、波の穏やかな、東海地方有数の遠浅のビーチです。海水浴シーズンには海の家も立ち並び賑わいますが、オフシーズンも静かな海を味わいに訪れたくなりますね。

他にも、

・ウォーターボール
・シーカヤック
・サップ
・サーフィン
・体験ダイビング

などが楽しめます。志摩市観光協会のサイトから、さまざまな体験を選んでネット予約することもできます。(志摩市観光協会ウェブサイトhttps://www.kanko-shima.com/html/taiken/index.html

陸のアクティビティ

海と山が近い位置で接する志摩には、海を見ながら陸で楽しむアクティビティも豊富です。例えば、サイクリングやウォーキング、ランニングなど。

サイクリングは、サイクルコースも複数整備されている他、海岸線や森の中を気の向くままに走ることもでき、ビギナーから本格派まで楽しめます。市内のあちこちにサイクルラックを備えたお店もあり、愛車でのツーリングをサポートしてくれる他、中心地鵜方駅付近では電動自転車のレンタルもできます。

また、シューズさえあれば誰でもすぐにできるウォーキングやランニングも、志摩の自然を全身で感じる身近なアクティビティです。

加えて、2日間かけて伊勢志摩エリアを皆で歩く「伊勢志摩ツーデーウォーク http://www.shima2daywalk.jp/ 」というイベントや、「伊勢志摩里海トライアスロン http://shima-tri.com/ 」、「志摩ロードパーティーハーフマラソン https://shima.roadparty.jp/index.html 」などの大会も毎年開催されています。こうしたイベントをきっかけに訪れるのも良いかもしれません。

他にも、ゴルフや、初心者でも気軽に楽しめるパークゴルフ、キャンプなどのアクティビティがあります。

このように、手ぶらで現地に行っても体験できる多様なアクティビティのインフラがすでに豊富に整っているのは、志摩の優れた魅力と言えます。一年を通して温暖な気候であるため、季節を問わず楽しめるのもポイントかもしれません。

大自然の中で、その日のスケジュールやコンディションに合わせて、遊びと仕事を自由に行き来しながら過ごす。そんなワーク&ライフスタイルが、志摩ではさほど難しくなく実現できるのではないでしょうか。

空き家・遊休施設を活用したワーケーション拠点整備

志摩の観光資源・自然資源を活かしたアクティビティがすでに充実している片側で、ワーケーション可能な拠点の整備にも動きが出始めています。

志摩にある空き家や稼働が停滞している遊休施設に、リノベーションやWiFiの設置等を行い、企業のサテライトオフィスやコワーキングスペースとして活用していく試みです。

高齢化によって利用者数が少なくなった賢島の「阿児の松原スポーツセンター」や、少子化と防災の観点から統廃合・移転が進む小中学校の空き校舎において、施設内の一部のスペースをオフィス空間として利用してもらうことを目指した動きが始まり、都心のIT企業や不動産企業が視察に訪れているそうです。

最初の1歩は都心企業と共同で取り組む必要性も

ワーケーションの取り組みについて志摩市産業振興部観光商工課の鈴木さんに、この試みが前に進んでいくために大切なことを伺いました。

鈴木さん:「志摩は今まで観光メインでやって来ている所に、もう1本の柱としてワーケーションや2拠点居住、移動する暮らしをする方々にも利用していただきたいという市長の想いがあります。ワーケーションの拠点や、仕事ができる環境・インフラの整備に関してはこれから進めていく段階ではありますが、難しいのは拠点の整備が先か、利用したいと言ってくださるお客様が先かという問題です。拠点整備にも予算がかかるので、見込みの利用者がある程度見えて来るとこちらとしても進めやすい。特に初動期は、自然豊かな環境でのワーケーションに関心のある企業とタッグを組んで、一緒につくっていく、という取り組みが必要ではないかと感じています」

利用者にしてみると、都会では得られない自然の中に身を置きながら、仕事にも集中できる環境・設備がある、という両面がワーケーションの必須条件。その環境を、企業が受け入れ側の地域と共につくっていくというアプローチは、地方への貢献や、従業員へのより良い場・機会の提供という側面において新しい方法と言えます。ひと昔前の「保養所」が機能しなくなって来ている今、自社に長く貢献してほしい優秀な人材に対して、どんな環境を提供できるのか。働き方改革が声高に叫ばれる今、企業にとっても改めて働く場所の選択肢を広げる動きが望まれているのかもしれません。

気持ちのいい場所で遊ぶ、働く、暮らす幸せ

テクノロジーの進化で場所を選ばない働き方ができるようになってきた今、自分の身をどこに置いて仕事をするかは、人生の豊かさや幸せの実感にも大きな影響を与えそうです。G7伊勢志摩サミットで世界が魅了された一大リゾート地 志摩。「気持ちのいい場所、好きな場所で、遊びと共に仕事をする」という新たな視点で訪れてみませんか?

建設業と蔵元。業種は違えど家業を継承した松尾建設株式会社代表の青木隆一さんと、熊澤酒造株式会社代表の熊澤茂吉さんの対談を、前後編に渡ってお届けしています。

移り変わる時代の中、自分の代で新たなチャレンジを行い、事業を進化させながら、地元に人の集まる場を創出しているお2人。前半のお話では、お客さんに喜ばれるものをつくるという原点や、自分自身が描く未来の姿を見据えながらも、お客さんの声を聞き逃さずに少しずつ積み重ねていくことの大切さが話題に上りました。後半はどんなお話が聴けるのでしょうか?

 

熊澤茂吉(くまざわもきち)さん

湘南唯一の蔵元 熊澤酒造株式会社 代表取締役社長。茅ヶ崎市香川の地で約400年続く熊澤家の13代目。大学卒業後アメリカを放浪するも、蔵元廃業の危機的タイミングで帰国し24歳で家業を継ぐ。日本酒のブランディングやビール醸造の開始、レストラン、ベーカリー、ギャラリーの開設など新たな事業展開で、地域に活気のある生態系を生み出している。

青木隆一(あおきりゅういち)さん

松尾建設株式会社 代表取締役。地元茅ヶ崎で70年以上続く建設会社の3代目。湘南を中心に家族が幸せになる家づくりを提案している。2013年7月より「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」を立ち上げ、開催回数はもうすぐ40回を迎える。こだわりの品を集結させ、笑顔と会話が楽しめる、地域の方々に愛される朝市となるよう運営を行っている。

食事以外でも地域の人が集まる場所を

okeba gallery & shop  Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/okeba/

青木さん:日本酒から始まって、ビールやレストラン、ベーカリーなど食の方向に広がっていったのは自然な形だなと思います。その中で、敷地の中にギャラリーがあるのが不思議だったんですが、なぜなんですか?

茂吉さん:ギャラリーは2011年に、自分の好きな物を集めてオープンさせました。もともと古い物やインテリアが好きで気がつくと買っているので、実はストックがたくさんあるんですよ。

それと、もう一つの理由は、僕の祖父や祖母から聴いていた「酒蔵は元来、地元の人たちが集まる場所だった」という話です。この地域は今でこそ住宅街になっていますが、昔は辺り一面、田んぼだったんです。そこでみんな昼間は汗水垂らして働いて、日が暮れると徳利を持ってうちに酒を買いに来ていた。顔見知りと会えば話が始まって、その場で飲み出したりして。祖母はそういう人たちに、ちょっとした酒のつまみを出してあげたりしていたんです。年に1度はみんなでここでお祭りをしたりね。そういう話を聴いて、良いなぁと思っていました。

okeba gallery & shop  Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/okeba/

茂吉さん:レストランが軌道に乗って、いつの間にか「熊澤酒造さんは食事をしに行く所」というイメージが浸透していったんだけど、本来は食事以外でも地域の人が集まる場所にしたかった。そこで、地元のつくり手の作品を買えたり、ワークショップに参加できたりするギャラリーをつくりました。日本のあちこちにある酒蔵を歩くと、実は江戸時代に葛飾北斎が泊まっていた、なんていう史実があるんです。昔からアーティストと酒蔵は相性が良かった。それを現代に再現しているような感覚もあります。

青木さん:ギャラリーで取り扱うアーティストさんの選定も、ご自分でされているんですか?

茂吉さん:そうです。基本的には自分の好きな物を置きたいから。若い人でも良いつくり手がいますしね。

青木さん:うちの茅ヶ崎ストーリーマルシェも、新規で出会うお店の方とは、必ず僕がお会いしてお話を聴くようにしています。やはり想いのあるもの、ストーリーのあるものを一生懸命やっている人を応援したいので。

蔵元が蔵元としてちゃんと機能することが地域貢献

MOKICHI TRATTORIA  Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/trattoria/

青木さん:茂吉さんは、湘南エリアを今後どういうふうにしていきたい、などの想いはおありなんですか?

茂吉さん:僕が入社した時に社訓をつくったんですよ。「よっぱらいは日本を豊かにする。」っていう。当時、将来はこうしたい、ああしたいっていうのはいろいろあったけど、まずはこの言葉を会社の真ん中に置いた。そう信じてるからね。

湘南エリア全体をどうこうしたいというのは正直あまりピンと来ないんだけど、僕は「湘南×酒蔵」をこれからも表現していきたいと思っています。昔はたくさんあった蔵元も、今は湘南にうち1軒しかないんです。だから、その蔵元が蔵元としてちゃんと機能することが、いちばんの地元への貢献だし、地域が良くなることだと思います。

この地域が抱えている課題もあって、以前、養豚が地域からなくなりそうだと分かって、それを残していくためにソーセージづくりを始めたものの、数年前に結局廃業してしまいました。そうした経験から、早く本格的に取り組まないと、地域の食文化はなくなってしまうと危機感を持つようになりました。

次に危険なのは水田なんです。僕が生まれる前はこの一帯は田んぼだったんだけど、おそらくこのまま行くと、10年後には茅ヶ崎で田んぼをやる人がいなくなる。新潟などは酒蔵が農家を買い支えているんです。だとすると、寒川からこの一帯の田んぼは、うちが買い支えなきゃならないと思う。

春からは自社でも田んぼを始める予定です。田んぼをやるのに必要な農機具や倉庫を用意したり、必要な許認可を取ったりするのはお金もかかるし大変なんです。でも挑戦しようと思って。

地域を次世代へつないでいく

mokichi wurst cafe Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/mokichi-wurst-cafe/

青木さん:大工も同じかもしれないです。家をつくる、家を守る大工は、昔から地域で頼りにされる存在だったんですよね。まちづくりは、先代が残した良いものを、次の世代へまた残していくことが大切だと思います。もちろん時代に合わせて進化させないといけない部分もあるけど、受け継いでいくべきものもある。

茂吉さん:最近のプロジェクトとしては、うちの裏山の上に2019年の11月に保育園を開きました。熊澤酒造で働いている人の子どもと、地域の子どもが通う保育園。

青木さん:それは良いですね。子どもの頃からこの地域の自然、農業、お酒造りや熊澤酒造さんのいろんな事業、それに関わる人と人とのつながりを体感しながら育つと、この地域への愛着や感謝が大人になった時にきっと湧いてくる気がします。

<まとめ>

蔵元と大工。業種は全く異なりますが、地域の中で頼りにされたり、みんなが集まってくるような中心的存在だという共通点がありました。だからこそ、その土地に根差し事業をしっかり続けることが、地域を豊かにすることだという茂吉さんの言葉にハッとさせられた対談でした。先代が残した地域の資産を大事にしながら良い形で次の世代へ渡し、地域をつないでいく。茅ヶ崎ストーリーマルシェが、そのバトンを渡す良い中継地点になると良いですね!

>>前編はこちらから

茅ヶ崎ストーリーマルシェを運営している松尾建設株式会社の代表 青木隆一さんは、お祖父さんの代は植木屋さん、お父さんの代で建設業を始め、その会社を受け継ぎました。地域に根差して活動する青木さんが今回対談したのは、茅ヶ崎市の香川というエリアにある湘南唯一の蔵元 熊澤酒造株式会社代表の熊澤茂吉さん。先祖代々400年余りもその地域に暮らし、茂吉さんの代で、酒蔵は多角的な事業展開により大きな進化を遂げています。

地域コミュニティと共に生きる上で大事なこと、地元に人が集まる場所をつくる上で大切なこととは何でしょうか? 対談の内容を、前後編に渡ってお届けします!

 

熊澤茂吉(くまざわもきち)さん

湘南唯一の蔵元 熊澤酒造株式会社 代表取締役社長。茅ヶ崎市香川の地で約400年続く熊澤家の13代目。大学卒業後アメリカを放浪するも、蔵元廃業の危機的タイミングで帰国し24歳で家業を継ぐ。日本酒のブランディングやビール醸造の開始、レストラン、ベーカリー、ギャラリーの開設など新たな事業展開で、地域に活気のある生態系を生み出している。

青木隆一(あおきりゅういち)さん

松尾建設株式会社 代表取締役。地元茅ヶ崎で70年以上続く建設会社の3代目。湘南を中心に家族が幸せになる家づくりを提案している。2013年7月より「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」を立ち上げ、開催回数はもうすぐ40回を迎える。こだわりの品を集結させ、笑顔と会話が楽しめる、地域の方々に愛される朝市となるよう運営を行っている。

廃業寸前の蔵元を24歳で継ぐ

住宅街の中に突如として現れる石畳の敷地。シンボルツリーのある広場を囲むように日本酒の醸造所、ビールの醸造所、カフェ、レストラン、ベーカリー、和食屋、マーケット、ギャラリーが。平日でもたくさんの人で賑わう。

青木さん:茂吉さんは、若い頃から家業を継ぐと決まっていたんですか?

茂吉さん:いえ、そんなことはありません。若い頃は知っている人ばかりの地元が息苦しくて、大学で一人暮らしを経験し、アメリカに留学しました。そこで気の赴くままに放浪するという暮らしを数ヶ月。その頃は蔵元を継ぐというつもりも、父の跡を継ぐというつもりもなかったですね。父も蔵元を継いでいたわけではなく、違うビジネスをしていましたし。

ところがバブルが崩壊して蔵元の業績がどんどん悪化し、もう畳むかも、という話になったんです。それでアメリカで造り酒屋をやっている人に相談したら、「バブルの終わった日本で日本酒は衰退産業だから見込みがないよ」と言われたんですね。

でもそこで蔵元の遺伝子にスイッチが入った(笑)「じゃあ、やってやる」って。自分のルーツというか、アイデンティティに気づかされたんです。

5年後に良い酒をつくると決めて

蔵元料理 天青 Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/tensei/

青木さん:そうだったんですか。継いだ時の会社はとても厳しい状態だったと思いますが、どこから立て直していったんですか?

茂吉さん:まず、当時つくっていたお酒が美味しくなかったんですよ。当時は地域の酒販組合の下請けのようなメーカーだったため、すべてのお店で売りやすい商材ということで、経済酒を中心につくっていました。しかし、そのままでは厳しいということで、独自ブランドを立ち上げて全国で通用する酒づくりを目指しました。全国の、優良地酒専門店に選ばれる酒蔵になろうとしたわけです。

蔵元料理 天青 Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/tensei/

茂吉さん:そして、自社でうまいお酒をつくるノウハウを蓄積していきました。昭和の時代は全国的に、山間部の集落の杜氏(とうじ)集団と契約して、出稼ぎで来てもらって酒づくりをお願いする仕組みが業界の常識。蔵元の社員は出来上がったお酒を瓶に詰めて売るのが仕事となっていました。それをいち早く廃止し、自社の杜氏を育てるために、杜氏1人に5年限定で来てもらって、酒づくりを教えてもらうことにしました。応援してくれている酒販店さんには「5年待ってくれ」と言って。

そうしてできたのが、2000年に発売した「天青」というお酒です。

お客さんの声を聞き逃さず、積み重ねていく

MOKICHI Baker & Sweets  Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/mokichi-baker-sweets/kagawa/

青木さん:お客さんに喜ばれる本当に美味しいお酒をつくる、という原点の所に取り組んだんですね。ビールやレストランなどは、もともと構想の中にあったんですか?

茂吉さん:日本酒の仕込みって冬にするでしょう。それが終わると杜氏や蔵人(醸造スタッフ)は、夏は基本的にはやることがないんですよ。でもお給料は発生する(笑)。それがなんとかならないかと夏はビールをつくることにしたんです。できたビールをどこで売ろうかと考えて、じゃあ自分の所で飲んでもらおうかということで、酒蔵を改造してレストランを始めました。ビールをつくる過程でロスする沈殿物を生かして、パンもつくることにしました。

MOKICHI Baker & Sweets  Via:https://www.kumazawa.jp/mokichi/mokichi-baker-sweets/kagawa/

青木さん:その積み重ねでこの場所ができてきたんですね。

茂吉さん:レストランも、もともとはビールを飲んでもらうための店だったから、最初は電子レンジで温めるソーセージとか適当なものを出していたんですよ。ところが湘南の人は食にうるさいからクレーム殺到(笑)。これはちゃんとやらなきゃってことで、料理人を雇ってやり始めました。

数年したら形になってきたんだけど、ある日、お客さんが「昔ここでお酒つくってたんだって」と言っているのが耳に入ったんです。いつの間にかお客さんに、ここはレストランだと認識されていて、蔵元だというのが忘れられていると。それは僕が目指していた形とは違うなと思って、酒蔵の前を通って入る和食屋をつくりました。「天青」の発売と同じ時期に。

青木さん:お客さんの声を聞き逃さないでやってこられたんですね。それから、意に反することは無理してやらない、というのも感じます。

僕の会社は、親父の代ではゼネコンやハウスメーカーからの請負いの仕事がほとんどだったんです。でもそれじゃあ面白くないので、自分はお客さんのご要望を聞いてつくる注文住宅をやり始めました。始める時には親父ともたくさん議論しましたが、やって良かったと思っています。先代からの地場を受け継ぎながらも、時代が変わる中で、新たにチャレンジしていく必要がありますね。

>>後編へ続く

茅ヶ崎の地で7年目を迎える「茅ヶ崎ストーリーマルシェ 」を運営している青木さんと、大磯で10年続く「大磯市」を運営する原大祐さんが、地域におけるマルシェの役割について対談。その内容を前後編に渡ってお届けしています。

前半のお話では、規模や町の背景は違えど、地域で何かをつくり出したい人・チャレンジしてみたい人を応援するマルシェであることが共通していました。さて、後半はどんなお話が展開するのでしょうか?

 

原大祐(はらだいすけ)さん

NPO法人「西湘をあそぶ会」代表。平塚市で小学校高学年〜中学生まで育ち、高校時代を大磯町で過ごして魅了される。東京の大学へ進学し、広告業界やまちづくり系の会社で社会人経験を積んだ後、2008年に大磯町に移住。開催回数110回を超える「大磯市」や、「大磯農園」などの地域活動に携わっている。神奈川県住宅供給公社の団地共生プロデューサーも務める。

青木隆一(あおきりゅういち)さん

松尾建設株式会社 代表取締役。地元茅ヶ崎で70年以上続く建設会社の3代目。湘南を中心に家族が幸せになる家づくりを提案している。2013年7月より「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」を立ち上げ、開催回数は39回を超える。こだわりの品を集結させ、笑顔と会話が楽しめる、地域の方々に愛される朝市となるよう運営を行っている。

マルシェを続けて、町に起こった変化

茅ヶ崎ストーリーマルシェ の風景 Via:http://www.matsuo-story.com/

青木さん:僕は茅ヶ崎で注文住宅をメインとした建設会社をやっているんですが、家づくりで大事にしているのが「家は建ててからが物語の始まり。施主さんと家と、長いお付き合いをしていく」ということなんです。その一環で、家のオーナーさんたちに集まっていただいて、会社の駐車場でBBQ会をしていたんですね。

そうすると、前を通る地元の人から「何してるの?」なんて聞かれる。そこで「もっと地域の人にも一緒に楽しんでもらえるような場所にしていきたいな」と思うようになったんです。その地域に住むご近所さんも含めて住環境だとすると、それは家を建てることの一部ですから。

そんなことから、茅ヶ崎ストーリーマルシェへ発展しました。今は20店舗ほどの出店者さんと2ヶ月に1度、奇数月の第2土曜日に開催しています。だんだんと茅ヶ崎の人には認知されるようになり、開催日には朝いちばんに買い物に来てくれる常連さんもできてきました。

原さんは大磯市を10年続けてきて、町に何か変化は見られますか?

実際に町にお店ができた

カフェの写真 Via:https://www.facebook.com/%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E7%94%BA%E8%B7%AF%E5%9C%B0-268115797026890/

原さん:7年目の時に一つのマイルストーンだなと感じたのは、大磯市から始まったお店が実店舗になったことです。大磯町の商工会の会長さんが空き家を提供してくれて、そこに大磯市でいちばん人気のあるパン屋さんがテナントで入りました。そしてそのパン屋さんは今度、独立して新たな店舗を持つまでに成長したんです。

この茶屋カフェでは、定期的に「大磯立ち飲み会議」という集まりも開かれています。大磯で何かやりたい人が発表し、それをみんなで後押しするような場です。みんな既に何かしら生業を持っているんだけど、それに加えて地域の仕事をやっている感じ。大磯にいると忙しい、なんて言う人もいます(笑)

月に一度のマルシェが町のコミュニケーションを生み出す

Via:https://www.oisoichi.info/

原さん:月に1回、町の人が大磯市で会うことで、自然なコミュニケーションが生まれているんですよね。電話して言うほどの用事でもないけれど、顔を見たら「そう言えば」という話が実は重要だったりします。

例えば、「今度うちの家が空くんだけど使いたい人いない?」とか、「こないだの大磯市だけどさ」みたいな共通の話題・共通のプラットフォームがあることで会話が生まれる。大磯市に行けば、誰かしら知り合いに会える。スーパー銭湯で毎日顔を合わせても、そこにはコミュニティは生まれにくいんですよね。

「コミュニティとは、ゆるやかなクラスメイトみたいなもの」だと思います。クラスメイトには、あの先生が、とか共通の前提があったことで成り立っていたゆるいつながりがあるんです。「あいつ嫌い」と思っていても、なんだかんだ顔を合わせているうちに、いつの間にか仲良くなったりする。大磯市があることで、そういう町内の関係性や空気ができてきたような気がします。

クォリティ・オブ・ローカルライフ

Via:https://www.oisoichi.info/

原さん:マイホームを買って、家電を買って、車を買ってという、物を買うことが豊かさだった時代があって、それが行き渡ると今度は、それらの物をパーソナル化していくことで日本の経済は今まで回ってきたんですが、果たしてそれは豊かさの実感があるのか?ということに皆がもう気づいているんですよね。消費者でいるだけでは、収奪されるばかりで幸せになれないことに。

町は郊外化することで個性がなくなっていきます。郊外化というのは、日本の至る所でよく見る、大きなショッピングセンターがあって、バイパスがあって、その両脇にチェーン店が並んでいて…という、どこの町だか分からない景色。人が入り込みすぎると郊外化するんです。

地方は本当はいろんなものが保存されていて、ローカライズ、個性化されているはず。僕は大磯の、田舎ならではの豊かさ「クォリティ・オブ・ローカルライフ」が気に入っているし、守りたい。そのためには、地域につくり手・生産者を増やし、内貨をグルグル回すことだと思っています。

マルシェが地域をつなぎ直し、次の世代へ保存する

青木さん:茅ヶ崎も昔の別荘地で、ゆったりした暮らしが好きで住んでいる人が多いし、移住してくる人もそれが好きだから住み移ってきます。だからこそ、その良さが続いてほしいですよね。

大磯とは起きている問題が少し違うかもしれませんが、茅ヶ崎では建売住宅が町並みを変えてしまう所が怖い。大きなお屋敷がなくなると、その土地を細かく割って、画一的な建売があっという間に建ったりするんです。茅ヶ崎のゆったりとした町並みは残ってもらいたいから、僕らはそれができる家づくりをしていこうと思ってます。

原さん:茅ヶ崎はコミュニティ感が強いですよね。大磯に比べたらたくさんの人がいる市街地だと思いますが、ローカルの横のつながりが強い。地域性がちゃんと残っているんですよね。

青木さん:茅ヶ崎ストーリーマルシェも、大きくすることより、今の規模でできることがもっとあるはずだと思っています。

茅ヶ崎ストーリーマルシェでは最近、地域のおじいちゃんやおばあちゃんの待ち合わせ場所になっていたり、若者たちが幼馴染と再会していたり、そんな光景が生まれていて、いいなぁと思っているんです。僕の息子も会社に入って一緒に活動し始めました。

原さん:マルシェの目的は大きさじゃないですよ。マルシェがあることで、地域がつなぎ直されるというのが良いですよね。やはり多世代でごちゃごちゃしている地域は元気があります。

Via:http://www.matsuo-story.com/

<まとめ>

マルシェがあることで、地域につくり手・生産者が増え、地域の経済が循環し、コミュニティの人間関係や対話も活性化する。自分たちが好きで住んでいる町を、自分たちで楽しく豊かなものにし、世代を超えて守っていく風土ができる。マルシェにはそんな役割がありそうです。茅ヶ崎ストーリーマルシェ でも、既にそんな良い循環が生まれつつありますね! この景色をこれからも大事に続けていけたら良いなと思えた、今回の対談でした。

>>前編はこちらから

via: designboom.com

ウェルビーイングが注目されるなか、ストレスや逆境にしなやかに適応できる心の「レジリエンス」という言葉を耳にする機会が増えました。ネパールやスリランカ、ペルーなどの途上国では、大きな地震のたびにレンガ造りや石造りの建物やビルが一瞬にして崩壊しています。竹の持つ弾力性と復元力のレジリエンスに注目した、耐震構造のモジュール住宅「3modular」のアイデアを見てみましょう。

(さらに…)

2013年7月から始まった「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」も7年目を迎えています。想いの詰まったストーリーのあるお店だけを集めたこのマルシェには、地元茅ヶ崎を始め、広く湘南・西湘全域から出店者さんが集まってくださいます。中には、大磯で10年続く有名なマルシェ「大磯市」に出ている出店者さんも。

今後も茅ヶ崎ストーリーマルシェを続けていきたいと考えた時に、地域におけるマルシェの存在意義や、大切にしていきたいこととは何でしょうか? 

茅ヶ崎ストーリーマルシェの運営元である松尾建設株式会社の青木さんと、大磯市を運営している原大祐さんが対談しました。その内容を、前後編に渡ってお届けします!

 

原大祐(はらだいすけ)さん

NPO法人「西湘をあそぶ会」代表。平塚市で小学校高学年〜中学生まで育ち、高校時代を大磯町で過ごして魅了される。東京の大学へ進学し、広告業界やまちづくり系の会社で社会人経験を積んだ後、2008年に大磯町に移住。開催回数110回を超える「大磯市」や、「大磯農園」などの地域活動に携わっている。神奈川県住宅供給公社の団地共生プロデューサーも務める。

青木隆一(あおきりゅういち)さん

松尾建設株式会社 代表取締役。地元茅ヶ崎で70年以上続く建設会社の3代目。湘南を中心に家族が幸せになる家づくりを提案している。2013年7月より「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」を立ち上げ、開催回数は39回を超える。こだわりの品を集結させ、笑顔と会話が楽しめる、地域の方々に愛される朝市となるよう運営を行っている。

大磯市をなぜやっているのか

大磯市の風景  Via:https://www.oisoichi.info/

青木さん:原さんは、どうして大磯市を始めたんですか?

原さん:大磯市を始めたのは、この大磯の風景や暮らしをずっと守りたい、という動機からなんです。昔は別荘地だった大磯には、雰囲気の良い路地や古い屋敷、昔ながらの素朴な個人商店などが残っていて、東京とは違う暮らしがある。僕が好きなこの大磯の暮らしをずっと続けたいから、大磯市はその手段としてのマルシェなんです。

町の担い手を育てるマルシェ

Via:https://www.oisoichi.info/

原さん:大磯市は、漁港・県の所有地で開催する全国でも珍しい市場です。漁港の市場では、シケの時には漁ができないから魚が買えない日もあります。そういう時に、「魚だけじゃなく野菜も売っていたらいいのに」という思いが漁協の組合長にあることを知りました。

また、町の担い手を育てたいという背景もあります。少子高齢化している大磯は、いわゆる東京近郊のベッドタウンに代表される「郊外都市」でもなく、「地方都市」でもなく、「地方」の小さな町や村と同じ状況なんです。

僕は大磯で田んぼを9年ほどやっていますが、農業に従事している生産者も大磯にはまだいます。でも跡を継ごうという人は2割以下で、鳥獣被害も激しく商売になりにくいのもあって耕作放棄地が増えている。商業に関しても、個人商店はあるんだけど、息子の代に継がせるまでには至らない。

ただ、僕は地元の生活圏内にあるお店がなくなると非常に困る。放っておくとお店が自然に減っていってしまう地方の小さな地域を回していくには、お店をつくっていく必要があるんです。だから大磯市は「イベントで大磯の町を盛り上げたい! この町に人を呼びたい!」と思ってやっているのではなく、地域課題の解決のためのマルシェなんですね。

町の未来へつなげるため、大切にしたいことを出店基準に

Via:https://www.oisoichi.info/

青木さん:なるほど、そこは僕らの住んでいる茅ヶ崎とは、町の事情が少し違いますね。うちのマルシェは、自分の会社の駐車場を使って20店舗程の小さな規模でやっています。大磯市は、今ではすごく大規模になりましたが、始めた当初はどうだったんですか?

原さん:今は約200店ほどが出店していて、キッチンカーだけで20台くらいあるんですが、最初は19店舗、それもほとんど身内のお店から始まりました。

青木さん:規模が大きくなっていくと、ジャンルも考え方もさまざまなお店から出店希望をいただくと思うのですが、大磯市では何か出店基準のようなものはあるんですか?

原さん:出店基準は3つ設けています。1つ目はローカルであること。出店者の優先順位は、①町内の人、②茅ヶ崎~小田原エリア、③葉山逗子~真鶴エリアおよびその他、という順番で決めるようにしています。

基準の2つ目は、インディペンデント、独立した個人であること。企業や大手チェーン店ではないということですね。

原さん:基準の3つ目はハンドメイド、手づくりであることを重要視しています。その理由は、町につくり手をたくさん増やしたいからです。

日本の経済は今まで、消費者をつくり、消費地をつくることで発展してきました。人はつくり手でなくなった時、消費者でいることしかできなくなってしまう。町も同じです。地域に手を動かして何かをつくり出せる人がたくさんいて、それが地域内でうまく回っていけば生き残る町になり得るし、町の多様性や活気にもつながります。大磯市はそのための「インキュベーション(起業支援)」でもあるんです。

だから大磯市は、一過性のブームで盛り上がって、儲かって良かったね、みたいなイベントにしちゃいけない。大磯市で生まれた収益を、どう地域に還元・再投資していくかが大事だと思っています。

青木さん:大磯の町で何かをつくる人、お店を始めたいと挑戦する人を応援するために、3つの基準を設けているんですね。茅ヶ崎ストーリーマルシェも、例えば料理がすごく上手なのに、いきなり自分でお店を開くのはリスクが大きすぎて…と尻込みしている人が、初めの1歩を踏み出すための場所にしたいと思ってやっているので、すごく共感できます。まずはマルシェで知ってもらい、ファンをつくってもらって、いつかはお店を持てるようになってくれるといいなと。

>>後編に続く

▼イベント動画を視聴できます。レポートと合わせてお楽しみ下さい

https://www.facebook.com/yadokari.mobi/videos/1390463204465463/
Facebook動画で視聴できない方はYoutube動画(こちらをクリック)も視聴可能です。

あなたも、地域でマルシェを開催してみたいですか?

世界でも日本でも、今やいたる所でさまざまな「地域のマルシェ」が開かれています。テクノロジーの発達や、働き方・暮らし方の価値観の変化を背景に、DIYやものづくりは私たちの日常にずいぶんと身近なものになり、自分がつくったものをマルシェで人と交流しながら販売することを、生きがいや仕事にする人々も増えています。

今回のイベントは、そんなマルシェを自ら主催し、地域とつながりながらまちの暮らしを豊かにしている青木隆一さんと鈴木美央さんがゲスト。茅ヶ崎市の工務店 松尾建設株式会社 の代表取締役である青木さんは、自社の敷地で「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」を2013年から開催。一方、建築を学んだ工学博士であり、マーケット研究の第一人者でもある鈴木さんは、お住まいの志木市で「Yanesegawa Market(柳瀬川マーケット)」を2016年から開催しています。

イベントでは、マルシェ実践者であるお2人に、運営し続けているからこそ感じている地域へのプラスの影響や、開催・継続にあたっての現実的なポイントなどをお話しいただきました!

建築会社がなぜマルシェを?

青木隆一(あおきりゅういち)さんは、茅ヶ崎で70年以上続く工務店 松尾建設株式会社の3代目。湘南を中心に家族が幸せになる家づくりを提案している。2013年7月より「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」を始め、開催回数は40回を超える。これから活躍を目指す人たちのための、コンテナハウスを利用したトライアルキッチンなど新たな展開にも挑戦中。

青木さんは、茅ヶ崎で地元に密着した建築会社を営んでいます。「家は建ててからが物語の始まり。オーナーさんと家と、末長いお付き合いをする」というのが青木さんの家づくりのモットー。昔から海辺の別荘地として人々がゆったりとした暮らしを楽しんできた茅ヶ崎に生まれ育った青木さんは、そのまち並みやライフスタイルが失われないように、長く愛していただける注文住宅をメインに事業を行っています。

そんな青木さんが、なぜマルシェを始めたのでしょう?

青木さん:「もともとは、家を建ててくださったオーナーさんとの関係を大事にするために、会社の駐車場でBBQなどをしていたんです。そしたら前を通る近所の人が『何してるの?』なんて聞いてくる。それで、地域の人たちと何か一緒に楽しめたらなと思っていたある日、奈良の工務店がマルシェをやっていることを知ったんです。すぐに見に行きアレンジをして、2013年7月に第1回を開催しました。『体と心がよろこぶ小さな朝市』がコンセプトです」

1店1店、丁寧に面談。ストーリーのあるお店を

Via:http://www.matsuo-story.com/

青木さんは「やり続けることにコミットしよう」と決意して、このマルシェを始めました。一過性の催しにはしたくなかったからこそ、始めた当初から今も変えずに貫いているポリシーがあります。

開催月は奇数月の第2土曜日。始めた頃は9:00〜12:00の3時間の開催でしたが、出店者やお客さんの要望に応えて、現在は9:00〜14:00で行っています。地域の他のイベントと重なる時もありますが、開催日時は変えずに行っているそうです。

茅ヶ崎ストーリーマルシェが始まってから現在7年目、開催回数は40回を超えました。2、3年目くらいから自ら問い合わせてくる出店希望者が現れ、最近は出店者を募集するというより、希望者でブースが埋まってしまうようになりました。しかし、やたらとお店を増やすのではなく、いまだに青木さん自身が1店1店、丁寧に面談して出店者を決めています。

青木さん:「やはり儲け第一主義じゃなくて、想いやこだわり、ストーリーがあるお店かどうかを大事にしています。マルシェで1日を共にする他の出店者の方々とも仲良くして、今後の良いつながりをつくっていただける方が良いなと思ってます」

コンテナキッチンとウッドデッキを新設

Via:http://www.matsuo-story.com/

そんな青木さんのマルシェでは、2018年1月に車両の付いたトレーラー型のコンテナキッチンとウッドデッキを新設しました。

青木さんが以前からチェックしていたという、可動産の可能性を提案しているYADOKARI との出会いがあり、コラボレーションしてコンテナキッチンでマルシェをさらに盛り上げようという動きになりました。

コンテナキッチンのメインの対象者は、料理の腕前は抜群なのに自分でお店を始めるのを尻込みしている人や、飲食店をやりたいけれど店舗を持つには資金や経験値が少なくまだ難しいという人。そういった「これからの人」をサポートしたいという想いが青木さんにはあります。

このコンテナキッチンとウッドデッキによって、茅ヶ崎ストーリーマルシェ には、新たな機能と独自の景色が誕生しました。また、今後まちを楽しくするであろう人たちに光を当てて成長を応援するという、まちづくりへの連動性も生まれました。

青木さん:「このコンテナキッチンは、マルシェ開催日以外でも、土日などにいろいろな人に使ってもらいたいと考えています。思えば、このコンテナキッチンとウッドデッキは、うちのマルシェの転機だったかもしれないですね」

マルシェがもたらした変化

Via:http://www.matsuo-story.com/

茅ヶ崎ストーリーマルシェの規模はどちらかと言うと大きくはありません。今までの最高出店数は24店舗、平均20店舗でやっています。規模を大きくすることよりも、マルシェのクォリティやアットホームな雰囲気を保つことを大事に考え、続けることを第一にしています。

そんなストーリーと温度感のあるこのマルシェは、次第に茅ヶ崎の人々に知られるようになり、第1回は100人ほどの集客しかなかったのが、人が人を呼び、今では何倍ものお客さんで賑わうようになりました。

青木さん:「マルシェに来るお客さんに、『地元でこういうことをやってくれてありがとう』と言っていただけた時はうれしかったですね。この規模だからこその良さもあるんだと思います。最近、マルシェでいろんな人が再会しているシーンをよく見かけるんですよ。お年寄りがマルシェで待ち合わせしていたり、息子の同級生が来てくれたり」

茅ヶ崎ストーリーマルシェが地域をつなぎ、多世代の交流が生まれ、それはやがて未来のこのまちの豊かな活気へと続いていきそうです。

まちの幸福へ、建築からアプローチ

鈴木美央(すずきみお)さんは早稲田大学理工学部建築学科卒業後、ロンドンの建築設計事務所Foreign Office Architects ltdにて世界各国で大規模プロジェクトを担当。帰国後、慶應義塾大学理工学研究科勤務を経て、同大学博士(工学)取得。現在は建築や都市の在り方に関わる業務を多岐に行う。2児の母でもあり親子の居場所としてのまちの在り方も専門とする。著書『マーケットでまちを変える~人が集まる公共空間のつくり方~』(学芸出版社) が、第9回不動産協会賞受賞。

鈴木美央さんは、大学で建築を学んだ後、横浜の大桟橋の設計で知られるロンドンの建築設計事務所「エフ・オー・アーキテクツ」で活躍していました。この事務所を選んだ理由は、大桟橋で思い思いに寛ぐ幸せそうな人々を見て胸を打たれ、「都市はこんなふうに、もっと人が使いこなして良いはずだ。建築は人を幸せにする力がある」と思い、その可能性を追求してみたかったからです。

ところが渡英中に起きた経済危機によって、設計プロジェクトが次々と頓挫する事態に直面。まちの幸福に対して建築だけでアプローチすることの難しさも感じ、再び学術的な研究をしたいと帰国しました。

そんな鈴木さんが、博士課程で選んだ研究テーマが「マーケット」でした。

街の景色を変えるマーケットに嫉妬

鈴木さんが滞在していたロンドンには、昔からマーケットの文化があります。ふだんは何の変哲もない住宅街の通りが、マーケットの日にはまるで魔法がかかったように華やぎ、人々で賑わって、がらりと様子が変わります。それを体験した鈴木さんは、大きな建築物に引けを取らないくらいまちの雰囲気や人の動きを変えてしまう「マーケット」に、建築家として嫉妬を覚えたそうです。

こうして鈴木さんは「個の集合体によってまちが変わっていくこと」に興味を持ち、研究し始めました。

マーケットは都市のインフラ

Via:https://www.w-tokyodo.com/neostall/about/

鈴木さんによると、そもそもマーケット/マルシェは西洋からの輸入ではなく、日本にも昔から「朝市」や戦後の「闇市」などの市場があったのですが、高度経済成長期に一気に進んだモータリゼーション(自動車化)によって一掃され、日本の市は衰退してしまったという特殊な事情があるそうです。

そんな時代の流れの中、2003年に大手町に「ネオ屋台村」が発足します。都心のビルで働くオフィスワーカーたちに、気持ちの良い屋外で専門店の手づくりの温かいランチをと始まったこの動きは、都会のビル群の中に新たな景色と賑わいを創り出し、いまや多くの場所で展開されるようになっています。

鈴木さん:「マーケットは日常の営みなんですよね。ロンドンのマーケットは行政が主催して行なっているんです。ということは、そもそもまちに必要なもの、都市のインフラストラクチャー(基盤)なのではないかと思います。

マーケットはまちの日常を豊かにするためのツールとも言えます。それを使いこなすには、マーケットが生み出す効果を知ること。私がロンドンと東京で100のマーケットの事例を調査した結果から言うと、主に、地域の生活の質の向上、経済の活性化、環境負荷の削減といった効果が期待できます」

志木市で「柳瀬川マーケット」を始める

写真提供:鈴木美央さん

鈴木さんが、研究成果の証明も兼ねて「自分でもやってみよう!」と、お住まいの志木市でママ友達の1人と始めたのが「Yanasegawa Market(柳瀬川マーケット)」です。

志木ニュータウンは、1970年代〜1980年代にかけて開発された、大規模住宅団地のまちです。時代と共に住民の高齢化が進んでいるのはこの団地に限ったことではありませんが、志木ニュータウンには近年、子育て世代も流入し始め、新たな住人による活性化の兆しも感じられます。

鈴木さんは「このまちにくらすよろこびをつくる」という思いを起点に、2016年から柳瀬川マーケットを年に2回のペースで開催し始め、現在の開催回数は10回を超えました。マーケットを年に2回以上行うと、まちの店舗や人を知るきっかけとなり、マーケットのあるまちとしてマーケットがまちの日常になるという手応えがあるそうです。

「このまちにくらすよろこび」をつくる3つのコンセプト

写真提供:鈴木美央さん

鈴木さんが柳瀬川マーケットで中心に据えた「このまちにくらすよろこび」をつくるための3つのコンセプトは、これからマーケット開催に挑戦したいと考えている他の地域の人にも大きなヒントとなるものです。

①場所の魅力を引き出す
②余白を設計する(関与する余地を残す)
③日常と非日常を楽しむ

資料提供:鈴木美央さん、写真:Googleマップより

①場所の魅力を引き出す

鈴木さんは、柳瀬川マーケットの会場となっている団地の中の公園(中央に芝生の広場があり、周囲を樹々に囲まれている)に、お店をどう配置するかを工夫しています。ふつうなら中央の広場を埋めるようにお店を並べたくなりますが、鈴木さんはこの広場こそお客さんが好きなように振る舞える居場所だと考え、広場の縁に一列にお店を配置しています。

樹々を生かし、かつ出店者間の関係性やお客さんの流動性も鑑みながら、「景色として」印象的になるような配置を毎回苦心しているそうです。

②余白を設計する(関与する余地を残す)

柳瀬川マーケットでは、あまりいろんな物を用意しすぎないようにしているそうです。もちろん主催者として必要不可欠な設備などは手配しますが、あくまで出店者の工夫やお客さんの使いこなしの余地を残すようにしているそう。そのおかげで、各店が個性を生かして思い思いのディスプレイで会場を彩り、多彩で楽しげな雰囲気になります。

また、ベンチなどを用意しなくても、花壇の縁にクッションを並べておくだけで人が座ったり、お客さん自らャンプ用の椅子を持ってきてくつろいでいたりします。こうした自由な空気感も、心地よい居場所・コミュニティを感じさせてくれます。

③日常と非日常を楽しむ

柳瀬川マーケットは、野菜などを買える日常的な体験と、D Jの音楽を聴けるなどの非日常な体験の両方ができる場所です。年に2回という開催回数から考えてもある種のイベント性(非日常性)があり、地域の人もそれを楽しみにしています。また、出店者にとってはマーケットは「舞台」であり、自己表現の場でもあります。

こうした非日常性に対する欲求も満たしながら、買い物や近所の人とのコミュニケーションもできるという日常性も同居させることで、幅広い世代・志向の人々が無理なく、何度も参加したくなる場所になると言えます。

マーケットがまちの魅力を発見させ、シビックプライドを育む

写真提供:鈴木美央さん

柳瀬川マーケットでは、回を重ねるうちに、今まで見かけなかったおしゃれな人やファミリーの姿をたくさん見かけるようになったそうです。参加者が思い思いにマーケットを使いこなすようになり、1回目と10回目では明らかに集客数も増えました。

鈴木さん:「マーケットに来てくれた中学生の男の子や、子育て世代の女性、男性からも『この街に住みたい』という声が聞こえてくるようになり、まちが変わり始めていると感じています。

マーケットを開催することによって、みんなが地域の魅力を発見し、魅力がビジュアル化され、人が集まって交流・体験が生まれ、地域が自分ごと化されて、やがてシビックプライド(まちへの誇り)を育んでいく。まちの担い手づくりへもつながっていきます。

この流れはマーケットに限ったことではなく、公共空間を使いこなしていくこと全般において当てはまるのではないかと思います」

鈴木さんの研究成果が確かなものであることは、柳瀬川マーケットが志木のまちに創り出したこの景色によって、証明されているのではないでしょうか。

第2部 パネルディスカッションと質疑応答

第2部では、提示されたお題の下、会場の参加者と青木さん、鈴木さんとでディスカッションを行いました。そのハイライトをご紹介します。

地域の巻き込み方について

青木さん:「巻き込んでいる感覚はないですね、巻き込まれた人がかわいそう(笑)。自分たちが無理をしないでやっていくうちに、自然と人が集まってくるようになったという感じです」

鈴木さん:「それがいちばん良い形ですよね。私が柳瀬川マーケットでまず気を付けたのは、怒られないこと。駐車禁止区域に参加者が車を停めていないか、という類のことです。マーケットを続けるうちに、まちの重鎮も来てくれるようになったんですが、その方から『地域の祭りもあるのに何やってんだ、と最初は思った』と言われたんです。こちらはそんなつもりはなくても地元の人は構えてしまうんですよね。最初から無理に巻き込もうとするのは危険なのかなと思います」

会場レイアウトのコツについて

Via:http://www.matsuo-story.com/

鈴木さん:「どういう空間づくりをするかは重要な考え所です。あの公園の魅力を生かすために、マーケットの手前は花や野菜などテントを使わず樹々を見せるようにしています。例えば女性のお店ばかりになりそうな時は、特定の界隈性が出ないように男の子のコーヒーのお店を挟んだり。農家とレストランなど、仲良くなってほしいお店を隣同士にしたり。毎回悩んで、その都度やり切ることですね」

青木さん:「初めての出店者を前面でアピールします。発電機など設備が必要なお店は必然的に位置が決まります。中には行列のできるお店がありますが、会場全体のお客さんの流れが滞らないように、心地よく回遊してもらえるように、行列の位置も考慮して決めます」

行政への根回しや許可について

Via:http://www.matsuo-story.com/

鈴木さん:「市が管理している公園であれば、まず使えるのか使えないのかを確認ですね、自治体によって違うので。志木市の場合は使用料は1㎡あたりいくら、という形で貸してくれて、やがて無料にしてくれました。

お酒はOKだけど火気はNGとか、発電機も使用できる所とできない所があります。保健所にも申請が必要ですね。イベント保険にも入っています。個人でやっているのでリスクヘッジはしておきますが、役所の規定よりも主催者のポリシーの方を厳しく設定します。そもそも自由にやりたくて始めたので、根回しやスポンサー、後援などは一切取っていません。」

青木さん:「キッチンカーなら保健所の許可が車に対して降りているので、それを確認します。また、出店者と主催者の間で誓約書を交わします。コンテナは運営側が許可を取っています。出店する方や近隣の方と日頃からコミュニケーションを取って信頼関係を築いておくのが大事かもしれません」

鈴木さん:「そうですね、苦情は関係性に起因している場合も多いですよね。音にしても、音の大きさじゃなくて信頼関係ができていないから、ということが多いんです」

お金について

写真提供:鈴木美央さん

鈴木さん:「柳瀬川マーケットは出店料700円プラス売上による歩合ですが、上限3000円で、それ以上は頂いていません。儲けが目的でやっているわけではないので。収益はフライヤーの印刷代や、発電機のレンタル料、手伝ってくれる人へのお礼などに使っています」

青木さん:「うちの出店料は売り上げの10%です。そのお金はフライヤーの印刷代などに充てます。建築の本業があるので、マルシェで利益を取ろうとは思っていないんです。テントなどは全部貸し出ししています。最初の3年間はまちの補助金でスタートしたので、その時に必要な備品を購入し、その後は自走しています。マルシェの場では家を売ろうとはしていませんが、マルシェを通じて出会った人から、いずれ紹介などにつながれば」

1人1人の活躍の機会を増やすために

最後に、青木さんと鈴木さんに、今後チャレンジしていきたいことを尋ねた所、お2人とも、個人の力を自分の立場から応援・サポートしていきたいという点が一致していました。

鈴木さんは、設計という立場から1人1人の力を生かせるサポートをしつつ、行政と共にマーケット推進都市の活動もスタートさせるそうです。また、日本のマーケットの仕組みを、これからまちづくりをしていく海外の国々に輸出していきたい、と語りました。

青木さんは、マルシェの規模はそのままに開催回数を増やし、新規出店者への機会をつくりたいと考えています。また、3〜4店ほどの小規模な出張マルシェを茅ヶ崎のいろいろな場所で行い、まちの中に人の居場所をつくっていきたいそうです。

マルシェ/マーケットは、個人の自発的な活動を触発するきっかけにもなっているようです。賑わい創出、とはよく言われることですが、そのもう一層深い所にある1人1人の幸せに生きたいという欲求やクリエイティビティをいかに活性化し、発露させていくか。マルシェ/マーケットは、1人1人が自分らしく、自分ごととして人生を生きる喜びを知る、始まりの場所なのかもしれません。

(取材・執筆/角舞子)

◎今回のスペシャルゲスト

ゲスト:鈴木美央
博士(工学)、建築家、マーケット(市・マルシェ)専門家

O+Architecture(オープラスアーキテクチャー合同会社)代表社員。早稲田大学理工学部建築学科卒業。卒業後渡英、Foreign Office Architects ltdにてコンセプトステージから竣工まで世界各国で大規模プロジェクトを担当。帰国後、慶應義塾大学理工学研究科勤務を経て、同大学博士後期課程、博士(工学)取得。現在は建築意匠設計から行政・企業のコンサルティング、公共空間の利活用まで、建築や都市の在り方に関わる業務を多岐に行う。二児の母でもあり親子の居場所としてのまちの在り方も専門とする。著書「マーケットでまちを変える~人が集まる公共空間のつくり方~」(学芸出版社)、第九回不動産協会賞受賞。

ゲスト:青木隆一(あおきりゅういち)

1974年4月15日。茅ヶ崎市生まれ茅ヶ崎育ち。地元茅ヶ崎で70年以上続く小さな工務店の三代目 湘南を中心に家族が幸せになる家づくりを提案しています。2013年7月より「茅ヶ崎ストーリーマルシェ」を立ち上げ開催回数は40回を超えました。規模は小さい朝市ですがこだわりの品を集結させ笑顔と会話が楽しめる地域の方々に愛される朝市の運営も行っております。
http://www.matsuo-story.com/

© Jin Weiqi via: dezeen.com

ものづくりと廃棄物。子供のためのものづくりワークショップで、廃棄物について考えることは、持続可能な未来を模索するための有効なアプローチです。「共有テントウムシ(Shared Lady Beetle)」と名付けられた自転車のマイクロ図書館は、中国の放棄されたシェアサイクルをアップサイクルしたものです。

(さらに…)

via: https://www.wallpaper.com/

インド洋に浮かぶ小さな島々から構成される国、モルディブ。インドの落とした涙と呼ばれるスリランカからさらに南西に位置する。

一つ一つの島が、白砂と透き通った真っ青な海に囲まれてまるで楽園のよう。ダイビングはもちろん、新婚旅行・ハネムーン先としても、世界的に人気の高いリゾート地になっている。

そんな、世界有数の海の綺麗さを誇る国に、ラグジュアリーな水中ホテル「The Muraka (ザ・マルカ)」が誕生した。

プライベートのホリデービラである Conrad Maldives Rangali Island (コンラッド・モルディブ・ランガリ・アイランド ) リゾート内にあるこの水中ホテル、建設したのは現地モルディブ出身の建築家Ahmed Saleem(アハメド・サレーム)。

(さらに…)

via: https://www.dezeen.com/

Daniel Moreno Flores (ダニエル・モレノ・フローレス)という建築家が、イラストレーターEmilia Andrade (エミリア・アンドラデ )のために建築した、非常に個性的なスモールハウス、名前は「Casa de las Tejas Voladoras (カザ・デ・ラス・テハス・ボラドーラス) 」。英訳すれば、「House of Flying Tiles (ハウス・オブ・フライング・タイルス)」、日本語に訳すとすれば、「空飛ぶタイルの家」となる。

場所は赤道直下の国、南米・エクアドルの首都キトの郊外に位置するのPifo (ピフォ)という町。

(さらに…)

https://www.facebook.com/yadokari.mobi/videos/2207155289588499/
Facebook動画で視聴できない方はYouTube動画(こちらをクリック)も視聴可能です。

「移動する暮らし」に憧れる人も多いのではないでしょうか。

海外ではすでにバンライフがライフスタイル・住まい方の一つとなっていますし、日本でも、旅や週末のアクティビティという観点で言えば、キャンピングカーで周遊したり、アウトドアを楽しんだりする人が大勢います。

建物に捉われず、生活に必要な設備と居住空間ごと自由に移動できるモビリティは、近い将来、IoTや自動運転の発達と共に、ますます私達にとって身近なものになると予想されています。

2019年秋、次世代移動サービス「MaaS」先行モデル都市としての実証実験も始まった三重県志摩市とYADOKARIがタイアップし、移動する暮らしを豊かにする「新タイニーハウス」を開発。その1号機を、志摩市にある「志摩オートキャンプ場」に設置することになりました。

タイニーハウスで毎日違う景色を選べるとしたら、あなたはどこへ行きますか? 志摩市の雄大な自然の中でタイニーハウスを体験できる、「志摩オートキャンプ場 新タイニーハウス宿泊棟」の様子をご紹介します。

国立公園ならではの大自然の中で

写真提供:志摩市

三重県の東南部に位置する志摩市は、市全域が伊勢志摩国立公園に含まれているという、類稀な環境にあります。太平洋と英虞湾に面し、長い年月をかけて形成されたリアス式海岸の湾内には、約60もの島々が点在し、ここでしか見られない独特の美しい景観となっています。

湾内は、世界屈指の高品質を誇る真珠の養殖が盛んであるほか、古来より「御食国(みけつくに)」と称され朝廷に海産物を納めていた歴史が物語る通り、伊勢エビやアワビの他にも的矢かき、あのりふぐ、カツオ、海藻など、新鮮な海の幸の宝庫でもあります。

写真提供:志摩市

多くの岬に設置されている灯台も景勝スポットであり、市内に点在する高台の展望台からはさまざまな絶景が見渡せます。豊かな海と緑の島々を舞台背景に、日の出や夕陽、満天の星空などが四季を通じて繰り広げる大自然のドラマは、志摩のダイナミックな魅力の最たるものと言えます。

志摩のあちこちをタイニーハウスで巡りながら、気に入った景色の中で時を過ごし、眠り、目覚める。そんな暮らしを想像しながら新タイニーハウスに滞在できるのが、「志摩オートキャンプ場」です。

志摩の最も端にあるキャンプ場

アウトドアブランド「snow peak」が提供しているテントやシュラフ、テーブルチェア、調理器具など、キャンプに必要な道具一式をレンタルで楽しめる「スノーピーク手ぶらCAMP」プランも利用できる。

志摩オートキャンプ場は、2004年に5つの町が合併して誕生した志摩市の最も端(志摩町)、太平洋に面した半島の突端付近にあります。

志摩市へのアクセスは名古屋や関西方面からは近鉄特急が便利であるほか、高速道路や、国立公園の景色を楽しみながらドライブできる道路も整備されているので、車での気ままな旅も人気です。

志摩オートキャンプ場はその志摩市の端にあるとは言え、伊勢神宮や鳥羽水族館などの人気スポットからも車で1時間余り。三重県内をはじめ愛知や岐阜、滋賀、関西エリア、北陸エリア、連休ともなると関東エリアからも、年間を通じて多くのキャンパーが来場します。

志摩町に生まれ育ち、志摩オートキャンプ場の運営責任者を務める磯和さんにお話を伺いました。

再びの自然回帰ブーム

志摩オートキャンプ場オープン当初からスタッフとして勤務し、現場の運営責任者を務めている磯和雅志さん(阿津里浜リゾート開発株式会社)。

磯和さん:「志摩オートキャンプ場は1996年に開業し、現在24年目を迎えます。開業当時もアウトドアブームで、たくさんのお客さんに利用していただきました。景気の後退と共に一旦ピークが過ぎて落ち着いた時期もありましたが、ここ数年は再びアウトドアの人気が出てきて、リピーターのお客さんも含めコンスタントにご来場いただいています」

キャンプ場の目の前にはあづり浜というビーチもあり、夏は海水浴を楽しむ家族連れで賑わうのはもちろんのこと、最近は秋冬でもアウトドアを楽しむ方が増えているそうです。

磯和さん:「昔のアウトドアブームの時と大きく変わったのは『冬キャンプ』。アウトドア用品メーカーからの提案やメディアの影響もあると思いますが、やはり焚き火など、冬だからこそ楽しみたいコンテンツもありますよね。雪の降らない志摩では冬でも快適にキャンプをしていただけるので、クリスマスシーズンから年末年始にかけては予約がいっぱいになるほど人気なんです」

野外に、「宿」感覚で泊まれる気軽さ

志摩オートキャンプ場には、テントを張れるスペースが46区画あり、その内36区画には電源も完備。場内では無料WiFiも利用できます。清潔に保たれた共有施設にトイレ、シャワー、ランドリー、キッチンなどがあるので、小さな子どもがいるファミリーや女性でも安心して楽しむことができます。

また、道具を持っていない人でも気軽にキャンプを体験できるようにと、テントやランタン等各種アウトドア用品の貸し出しも充実。テントの設営・撤収をしてくれるサービスがあるため、アウトドアに馴染みのない初心者でも、まるで宿に泊まるような感覚で利用できます。

約6畳のバンガロー5棟、6畳+3畳のロフトおよびデッキ付きバンガロー3棟、水回りを備えたキャンピングハウス5棟がある。

テント以外にも、バンガローや、水回りを完備したキャンピングハウスの宿泊棟があり、人数や好みに合わせてキャンプスタイルを選ぶことができるのも志摩オートキャンプ場の大きな魅力。ペット同伴で泊まれるキャンプサイトも設けられています。

志摩の現地で新鮮な海の幸を調達し、思い思いのキャンプスタイルでくつろぎながらBBQに舌鼓を打つ。家族やカップル、仲間、あるいはソロでも訪れる人が後を絶たない理由は、このキャンプ場の、野趣と快適さの良いバランスなのかもしれません。

自然との一体感を感じるイベントも豊富

写真提供:宮本秀明さん(星のソムリエ志摩 https://www.facebook.com/sommelier.of.stars.shima/)

志摩オートキャンプ場では、年間を通じてさまざまなイベントも企画しています。徒歩3分の所にあるあづり浜でのシーカヤック体験会や、その日にキャンプ場に居合わせたキャンパー同士で楽しむ焚き火、お月見、星のソムリエによる星空観察会など、志摩の自然のリズムやエネルギーを全身で感じるような機会が用意されています。

空の広さ、風、潮の匂い、鳥や虫の声、木の葉の音など、都会では微かにしか感じられない五感への刺激が、ここではダイレクトに響いてきます。こうした体感こそが、私達がそこに身を置くいちばんの価値と言っても過言ではありません。

移動する生活空間 新タイニーハウス「Tinys.mobi」

普通車で牽引できる「新タイニーハウス」。室内にはオフグリッドのシャワー・トイレ・ミニキッチンを備え、大人4人が寝ることができる空間も確保した。設計:加藤匡毅氏/Puddle

この志摩オートキャンプ場に新たに加わったのが、志摩市とYADOKARIが開発した新タイニーハウス「Tinys.mobi」です。単に車輪がついた建築物の代替としてのタイニーハウスではなく、リアルに移動可能なタイニーハウスを目指し、建築家 加藤匡毅さんと一緒に設計・制作しました。

今回、神奈川県から志摩市までの約600kmの移動を経て志摩オートキャンプ場に設置された新タイニーハウスは、総重量を750kg以下に抑え、普通車でも牽引することが可能です。オフグリッドの水回りとミニキッチンを備え、日中はテーブル、夜はベッドとして使える可変式の室内では、寝食はもちろん仕事をすることも想定しています。

好きな景色の中で眠り、目覚める暮らし

新タイニーハウスの中では、まるでコクーンの内部にいるかのように、静かな安心感に包まれる。ハッチバックを開ければ瞬時に外界とつながり、居住空間は無限に広がっていく。その体感のギャップが面白い。

大人4人、もしくは夫婦+子どもが泊まれるこの新しいタイニーハウスは、志摩オートキャンプ場でのキャンプの際の宿泊施設の一つとして使用できるのは当然のことながら、視点を少し変えると、例えば移動する暮らしや2拠点生活・多拠点生活を体感してみるためのトライアルステイ先としても有効です。

車で牽引して移動しながら、心惹かれた景色の中にタイニーハウスを停め、そこをひとときの家に定める。日中はインターネットをつないで世界中のどことでも仕事をし、夕陽を見ながら1杯飲んで、家族と夕食を囲むうちに頭上の空は星でいっぱいになる。微かな潮騒に包まれて目を閉じ、自然の懐に抱かれながら深く眠って、朝日と共に目覚めハッチバックを開けると、緑と潮の香りが室内いっぱいに流れ込んでくる。

そんな暮らしは、今はまだ非日常的に思えるかもしれませんが、近い未来、テクノロジーがこれを日常にする可能性は十分にあります。

志摩町で生まれ育った磯和さんは、志摩オートキャンプ場のある奥志摩エリアまで人を呼び寄せることをとても大切に考えています。

磯和さん:「志摩を訪れてくださる多くの人が、賢島や志摩中心地で足を止めてしまい、その先まではなかなか来ていただけないのが現状です。私は外へ出ることを考えたことがないくらい、ここでの暮らしが好きなので、この町がやはり未来にも良い形で続いていってほしい。

タイニーハウスのいちばんの魅力は、時間を気にせず、自分のペースで、好きな時に好きな所へ行けることです。いろんな所へ行く人が増えれば、地方の経済も潤い、地域での雇用も生まれます。地元で仕事があれば、少ない人口が流出しなくなります。『移動する暮らし』は、受け入れる側にとっても大きな可能性があると思いますね。

志摩オートキャンプ場のタイニーハウスは、志摩に興味を持った方が、いきなり移住・定住する前のお試しとして泊まっていただくのにも良いと考えています。平日は都会で暮らし、週末だけ志摩に来てタイニーハウスで2拠点のお試しをしてみる。そんな使い方をしてくれるお客さんも増えるといいなと思っています」

移動する家を手に入れた時、現代人が本能的にまず行ってみたいのは、志摩のような、圧倒的に自然豊かな場所ではないでしょうか。

都会の人混みと喧騒から離れ、大自然の中に好きな場所を見つけて、しかも文化的に暮らす。ハッチバックを開けるだけで、外に広がる大自然が自分の部屋になる。そんな「移動する暮らし」の醍醐味の一端を、志摩オートキャンプ場の新タイニーハウスで、一足早く体感してみてはいかがでしょう。

志摩オートキャンプ場
http://www.azuri.jp/

TINY HOUSE JOURNALタイニーハウスの“現在”を知る

記事一覧へ