第3回:モヤイ像が見つめる新島の未来 

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いよいよ夏休みシーズンが始まりましたね。新島の観光は夏の2ヶ月がメインなので、港も空港も観光客で賑わってきました。島民はといえば、お客様をお迎えするために大忙しです。

島民と共に島の入り口でお出迎えするコーガ石でできたモヤイ像。第1回目の記事でもご紹介しました。モヤイ像は島内に100体以上あります。私は「島の特産品のコーガ石と、島の言葉を組み合わせたオブジェ」と認識していたのですが、先日このモヤイ像には大後友市さんと多くの観光客の情熱が込められているのだと知りました。

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石山展望台にあるモヤイ像は絶景の撮影スポット。奥に見えるのは式根島と神津島。

ある日、図書室で「モヤイ 新島・島おこし(吉岡攻 編)」という本に出会いました。モヤイ像について深く考えたことのない私にとって、モヤイの隣にある「島おこし」という文字は目から鱗でした。

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ゴロゴロとコーガ石が転がる採掘場

強い海風がたびたび吹き荒れる新島では、昔から何度も大火に見舞われてきました。そのため、村人は高温に耐えられるコーガ石を建築材料として使ってきました。

島のうんばあ(新島弁でおばあさんの意味。)に話を聞いてみると「昔、冬場は漁に出られないから石切りに行ったのよ。今みたいに道路も車も無くて背負って石を運んだの。1区、2区って場所が決められていて、同じ区画の人とモヤイ(新島弁で共同作業のこと)でやるのよ。何年もかかって石が集まると、誰かの家やぶた小屋を建てるの。」と教えてくれました。山から集落までは8kmの道のり。苦労が忍ばれます。現在はコーガ石で家を建てることはありませんが、路地を歩いていると風情のあるコーガ石作りの家や塀を見ることができます。

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コーガ石の塀が立ち並ぶ南国のような道

コーガ石は火薬の製造に使う容器や、科学肥料工場の硫酸製造装置として求められ、採掘事業は島の主産業でした。

しかし、日本経済を大きく変えた高度経済成長が始まると、海外から大量で安価で良質な製品がどんどん国内に広まり、コーガ石の需要は衰退してしまいます。高度経済成長の波は小さな離島の産業をあっという間に飲み込んでしまいました。安い海外製品ばかりを追い求めると、どこかに必ずしわ寄せはきます。この時代に多くの日本らしい製品、地産地消の心が失われてしまったのかもしれません。
そんな折、離島ブームがじわじわと押し寄せてきます。美しい白砂の海岸が広がる新島には若い海水浴客がどっと増え、観光業がコーガ石産業を追い越し、島の主産業となっていきました。

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採掘場の先は夕陽スポット。この景色は昔も今も変わらないだろう。

当時、石工をしながら新島で新聞記者をしていた大後友市さん。この方が「モヤイ像」の産みの親です。ローカル紙の東京経済新聞(現在の『東京七島新聞』)の新島通信員として島で唯一の新聞記者をされていました。大後さんは多くの記事を書くうちに、島の将来に思いを寄せるようになっていきます。ある時、石工をしていた経験から「特産品のコーガ石で土産物を作れないか?」と思いつき、試行錯誤の結果、モヤイ像が生まれました。

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渋谷駅前のモヤイ像を作った大後友市さん

モデルは、流人のうんじい(おじいさん)。新島はかつて、八丈島、三宅島と並ぶ島流しの地でした。流人は本土の政治や文化に異色を唱え政治犯になった者が多い。だが見方を変えれば、時代にそぐわない新しい知識や教養を持っていたということ。流人によって、島には教養や医療、芸能の文化が広まっていきました。

大後さんの島に対する想いと情熱はどんどんアイデアを広げていき、島おこしとしてこの像で島を埋め尽くそうと動き出します。ネーミングは島の言葉で共同作業の「モヤイ」。力を合わせて島おこしをしようという願いをこめて。

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新島港のすぐ近くにあるモヤイ像

ついに観光協会が動きだし、東海汽船とタイアップして観光客がモヤイ像を彫るという島おこしイベントが行われました。第1回目は昭和52年春。民宿1泊分(食事込みで当時¥3,200)と、往復の船代(2等片道¥1,680)が無料になるので、島へ来て思うがままに彫刻をしてみませんか?という企画。海岸沿いに並ぶ巨石彫刻の場合は、民宿3日間無料。約束事は「顔を彫る」「必ず仕上げる」ということ。
定員50名のツアーはあっという間に定員になり、20誌もの雑誌がモヤイの旅を取り上げマスコミを賑わすこととなりました。
延べ45日間もかけた彫刻大好き青年。女子大生グループ。親子4人で一週間という家族。結婚式の翌日に来て「子どもが出来たらその子の顔を彫りに来るから」と余白を残していった夫婦。モヤイ像がなぜこんなに個性豊かなのか、一冊の本と出会い初めてその理由を知りました。

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モヤイ物語と大後安子さん

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大後さんにお会いしてみたく、今でもモヤイ像を買える「モヤイ物語」というお土産屋さんへ足を運んでみました。しかし、お店は閉まっており「お店をご覧になりたい方は、母屋のおばあさんに声をかけてください。」と張り紙が。裏手の母屋にまわると、お昼寝中のおばあさんがいらっしゃいました。この方が大後友市さんの奥様の安子さん。「お父さんは、お先に失礼って4年前に旅立ってしまったのよ」とお店を開けながら教えてくれました。今はモヤイ像を彫る人もおらず、このお店に友市さんの遺作として残っている分が最後だそうです。

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モヤイ像と大後安子さん

モヤイ像が見つめる新島の未来は・・・

今はかつてのナンパ島の気配はなく、美しい海とサーフィンがメインの新島。観光業の衰退のみならず、人口減少で自治体が消滅の可能性も指摘されています。

「島おこし」に必要なことは、新しいモノ、外部からのモノを受け入れること。現実は空き家はたくさんあるのに不動産屋が無く、知り合いのツテで家を探さねばなりません。村社会に入っていくのは本当に難しいと感じています。でも新島のような場所を救うのは、YADOKARI的な暮らし方だと私は感じています。

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これからもモヤイ像と共に、この島の未来を見つめていこうと思います。