第7回:南アフリカ レインボーギャザリング(後編)|ニンゲンらしく、アフリカぐらし
南アフリカ トランスカイの大自然の中行われたレインボーギャザリング。息子と1歳の娘を連れて家族全員で参加することにした、川と森に囲まれたこの森の中のギャザリング。
水道も電気も携帯の電波も届かない。満月の夜の明るさ。火の暖かさ。土のにおい。火の食事。アコースティックな音楽。ケータイのない時間が必要な人はたくさんいるんじゃないかな。
今回は「南アフリカ レインボーギャザリング(前編)」の続きです。
この後編を書く前にアマンダというレインボーで出会ったノルウェー人の女性からフェイスブックを通してギャザリングの写真をポストされた。
その一枚一枚がとてもその空間ごと抜き撮っていて、あの時の気持ちにフィールドバックした。日本で少女時代を7年間過ごしたことがあるという彼女とはこのレインボーで一番初めに話を交わした。「昨夜日本人の女性がレインボーに来るって夢で見たところなの!」と満面の笑みで言うアマンダ。3.11の後、仙台にボランティアに来てくれたというから、彼女がどれだけ日本のことを大事に思ってくれているかが伝わる。
彼女の撮ったレインボーの写真を見たとたん、私は彼女にメッセージを送っていた。「こんなに美しい写真!ぜひ私の記事で紹介させて!」答えは即答だった。
トーキングサークル。トーキングスティック。
「トーキングサークル(話の輪)」はコミュニティに話し合いが必要な時に開かれる。この28日間のレインボーギャザリングの間、絶えず焚かれ続けているこの聖なる火を囲んでトーキングサークルは行われる。これは北米の先住民インディアンの文化だという。
まずは長老(もしくは経験者)がトーキングスティックを手にしてトーキングサークルを開く。話が終わったらスティックは隣の人に渡される。心の中や頭に浮かんだ言葉をそのままスティックが言葉にしていく。スティックを持っている間は誰に否定されることなく、自由に話しができるのだ。その話に周りの人は耳を傾ける。聞く側も話をじっと話をきくことで、「聞く」という行為を学ぶ。何も話すことが浮かばなければ次の人にスティックを渡す。そのスティックはよく磨かれた木の枝の先に大きなクリスタルが輝き、梟の羽、数珠玉などで飾られていた。
このギャザリングの間絶えず焚かれた聖なる火と満月の灯りで一人一人の顔ははっきりと見える。森の中の静けさも手伝い、一人一人の言葉がはっきりと聞こえる。この火に導かれ、この森に集まった私たち。その縁に何か特別なものを感じながら火を囲んだ。
このトーキングサークルを通して、私たちはお互いの心を言葉にし、交わすのだ。そうすることで誤解を解決し、知識を伝え、愛を育て、問題を見つけることができる。コミュニティに欠かせない行事だ。
私はいろんなことを学んでいた。何より「聞く」ということを実感する。そして安心して自分の心の声を語ることができるのだ。とてもよい話の場だと思った。
いつか村にゲストを迎えるような環境ができたら、是非火を囲んでミルキーウェイの下、トーキングサークルを開こう、そんなことを考えていた。一番初めのスティックが私の元へ渡ってきた時、私は心に耳を傾けた。少し目を閉じて浮かんでくる言葉を話した。
「私は東の果て(far east)の民族です。このトランスカイでコサ族に嫁ぎ、受け入れられ生活しています。そしてこのレインボーに足を踏み入れた瞬間、同じように受け入れられていることを感じました。そして周りを見て思ったのは、どこの国も、その民族も同じなんだってこと。ありがとう。」この自然の中で私の体は自然と本能を呼び覚まされる気がしていた。
レインボーという意味を考える
私はここでたった一人のアジア人だった。前編にも書いたが、このファミリーのほとんどがケープタウン周辺に住むイギリス系の南アフリカ人だったのだ。フィンランド人の白人が二人、そしてカラード(混血人種)の女性が一人とコサ族の女性と私の主人。「レインボー」とはいろんな色が混ざり合ってできるのだ。一つの色ではレインボーとは言えない。20年前に廃止されたアパルトヘイトの壁の深さを感じた。
開催された森の奥にもポンド族(ポンド族はコサ族に属する)の村人が生活していて、この地でギャザリングをするために村長に許可を得ていた。交渉をしたのはマタジーと呼ばれる女性で南米やインドで伝統的な薬を学ぶ彼女は少し感情的な性格の持ち主であった。彼女はどの民族に対しても瞳を見て敬意を示してくれるファミリーだった。彼女の目の色が虹色なのが印象的だった。
彼女とは滞在中チャイを作る火を囲み、いろんな話をした。
私は正直に、このレインボーに先住民であるコサ族がほとんど来ていないことが残念だと話した。彼女もそのことをレインボーの課題だと感じているようだった。彼女は村人を食事に招待する夜を作ったりと積極的に地元との距離を縮めていた。
毎日このギャザリングの様子を見にたくさんの村の子供たちが遊びに来ていた。もちろんサッカーボールや、レインボーファミリーの誰かが持ってきたカヌーで遊びたいのが目的だ。うちの息子を除くレインボーの子供たちは最後まで村の子供たちと遊ぶことはなかった。
それどころかある朝、一緒に歌を歌ったりと参加してくれたこの地のママたちにまでも「何か食べ物を持ってくるべきだ」という人もいた。レインボーファミリーの中には地元の村人とはあまり関わりたくないと思っている人も多いようだった。
南アフリカの先住民から学ぶ
レインボーギャザリングに参加してみてわかったのは、彼らの多くがその知恵を北米の先住民、インディアンやヒンドゥ教から学んでいた。歌もサンスクリット語の歌も多く、哲学的なことも多くが北米やインドから来ていた。
私をとても歓迎してくれていたこのレインボーギャザリングの長老の一人と、二人でチャイを飲みながら話していた。私は遥か向こうに見える村を指差し「あそこの村もこのレインボーと同じ暮らしをしているんです。」と言った。
レインボーファミリーのほとんどがこのトランスカイの地へ来るのは初めてだと言ったので、自然の中でたくましく、スピリチュアルに生活しているトランスカイのポンド族たちのことを知って欲しかった。トランスカイは南アフリカの中でもアフリカ文化が今も強く残っている地なのだ。
薬草を使い、儀式を重んじ、文化を大切にする。村には仕事がないから消費社会なんてとんでもない。彼らの仕事そんな彼らの生活は徐々に近代化しているのは否めないが、先祖から今の暮らしまで一度も火を断ったことがないのだ。そんな彼らは貧しくとも誇り高い。インディアンやインドの文化も素晴らしいけど、ここはアフリカなのだ。この地の先住民に学ぶことがたくさんあるはずだ。
彼はこのレインボーに二つの民族の混ざり合う私の家族が参加したのはとても大きな意味があると言ってくれた。彼もまたレインボーの課題を感じていた一人なのだ。「またこのトランスカイでギャザリングをしたい、その時は君たちに頼めるかね?」
彼からそういわれると私と主人ラスタは素直に頷いていた。
文化のエクスチェンジ
私は何か先住民の文化をこの場で伝えられないかと考えていた。
このレインボーに参加するとき、「マヘウ」というとうもろこし粉を発酵させたコサ族の天然炭酸飲料を10L持ってきていた。
マヘウの発酵が最高の状態になった日の夜、食事の後に私はみんなを聖なる火の回りに集め、マヘウをみんなで飲もうと提案した。
「これはコサ族の伝統的なとうもろこしを発酵させた飲み物です。彼らは大きなジョッキにこの飲み物を入れみんなで回して飲むのです。是非このギャザリングにこの伝統的な飲み物を知ってもらいたいと思って持ってきました。また、日本では発酵製品は免疫力を高めるのにとても良いともいわれています。是非みんなで飲みましょう!」
数人が「回し飲み」ということに疑問を持ったようでザワザワとしていた。だが結果ほとんどの人がジョッキを回して飲んでくれた。いろいろ料理の知恵を交換しあったフリッパは作り方が知りたいというので、翌日一緒に作った。
主人ラスタは川辺に生えたムジという植物を見つけ、ンゴボジというコサ族の伝統のカゴを作るワークショップを開いた。
ネイティブインディアンのドリームキャッチャーのワークショップも行われた。
別れの時
濃厚な時間はあっという間に過ぎ、満月の後私たちを含むたくさんの人がこのレインボーギャザリングを去った。時間でいうととても短い時間ではあったが、心はとても深く繋がっていた。
仲間割れをした者の話を聞く夜もあった。チャイを作る火を囲み、カイルという素晴らしいギターリストのギターに合わせて歌った夜もあった。日本のこの原発事故の話を涙ながらに伝えた夜もあった。偶然迎えた私の誕生日の前の晩、イノックとドリアンがケーキを即席のオーブンで作ってくれた。何より息子と1歳2ヶ月になる娘が大自然の中で楽しそうにしていた。私とラスタにとっても忘れられない滞在となった。
濃厚な時間を過ごしたファミリーと別れる時、私たちはお互いを強く抱きしめ合った。
クリスタルを売るマタジーが、「モモ!これをアナタにあげたいの。」と私の手のひらに光り輝くクリスタルの原石をくれた。「このクリスタルは変わってるの。金色でしょ。13番目のチャクラの色と同じ。人の話を聞いてあげる時に相手の手に握らせて話を聞いて。クリスタルが力になってくれるから。」と言うのだ。
「クリスタルっておもしろくて、自分の行きたい場所に行くことができるの。たくさんのクリスタルが私のところに集まってくるの。そして今このクリスタルがアナタのもとへ行きたいって言って声が聞こえたのよ。」私はもらったクリスタルを大切に握り締めた。マタジーとの特別な出会いに感謝して・・・・。
こうして私たちはお互いを熱く抱きしめ、レインボーギャザリングを後にした。
広がれ!レインボーの心
レインボーギャザリングに参加して感じたこと。それは誰でもレインボーになれるんだということ。ギャザリングに行ったことがあっても、なくても。隣の人の国籍が日本であれ、韓国であれ、中国であれ、ブラジルであれ、イギリスであれ、南アフリカであれ、私たちは同じ人間なんだということ。違いがあるのは当たり前。国籍や肌の色、生まれた場所だけで相手のことを本当に知ることなんてできないのだ。
日本に帰国するたびに外国人が増えていて驚く。島国日本にも新しい人種が混ざってきているようだ。そして簡単に海外へアクセスできるこの時代。レインボーの心を持つことが必要なのは何も南アフリカだけではない。世界中の誰もが必要な心だ。
他の民族を自分と同じように思えたら私たちは誰でもレインボーファミリーになれるのだ。
Thank you Amanda for all these beautiful and soulful pics. Hope to see you again in Japan one day. Love you sister.