ようこそ!アート列車のノマドな旅へ「Station to Station」

現代人はあらゆる疎外感のなかで生きている。出張先のビジネスホテル、実体のないスマートフォン、電子化したマネー。ツイッターの情報は、工場のラインを流れる部品のように膨大かつ断片的で、秒単位で忘却の彼方へ去っていく。そして、このつかみどころのない今を生きる自分の姿を、どこかの監視カメラが一日何回も捉えていたりする。

現代美術家ダグ・エイケンは、そんなデジタル社会で時に憂愁な孤独感に浸り、また時にささやかな自由を求め彷徨う現代人に焦点を当てて映像をつくるアーティストだ。《Song1》に代表されるエイケンの作品は、テクノロジーを駆使して、美しくも不穏な現代社会の有様を浮き彫りにするものが多いため、今回彼が主催したプロジェクトStation to Stationは、一見すると、とてもアナログで陽気に満ちた印象さえ与える。それは、あらゆるジャンルの芸術家を巻き込みながら、列車でアメリカ大陸を横断し、各所でハプニングを催すという、ローカルな移動式アートイベントなのだ。

確かに旅というものは、人を心なしかアナログな状態に戻してくれる。それは、デジタル社会がもたらす「電気的」なエネルギーから自分自身を解放するための、数少ない手段の一つである。そして、これら旅の軌跡がエイケンの手を通じて記録され、再びテクノロジーを介してグローバルに発信されるとき、私たちの日常に「新たなランドスケープ※」がもたらされるのである。

すべては列車から始まる

列車とアート。美術史を遡れば、19世紀にターナーやモネが蒸気機関車を描いたころから、鉄道は画家たちを魅了してきた。20世紀初頭には、未来派の列車が轟音をたてて美術界へ押し寄せることになる。その後、時代とともにアートの表現手法は混沌さを増し多様化したが、一方、鉄道が現実空間でそのキネティックさを存分にいかし、じかにアートと関わりを持てた機会は意外に少なかったように思う。

Station to Stationは、人間と列車との最も自然かつシンプルな関わり方を要としている。そう、当然のことながら、本来列車というのは画廊に鎮座する静物ではなく、線路を走るべき乗り物であり、だからこそ、そこには旅という新鮮かつ根源的なテーマがおのずと絡んでくる。

始まりは、ニューヨーク。そこから、ピッツバーグ、シカゴ、ミネソタ、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアまで。アメリカの各所で様々なアーティストやミュージシャンを総動員して繰り広げられるこのプロジェクトは、2013年9月6日から3週間の日程で行われた。BECK、 パティ・スミス、キャット・パワー、エルネスト・ネト、オラファー・エリアソンらが旅を豪華に盛り上げる。

キネティックであること

この旅で使用した列車は、一種の「キネティック・スカルプチャー」と呼ばれている。エイケンのクルーは列車側面にLEDスクリーンを設置したが、その光り方は、走行速度や周囲の明るさ、気温、風景に応じて変化するというから驚きだ。

参加者のなかには、列車のダイナミックな移動性にヒントを得て作品をつくったアーティストもいる。たとえばオラファー・エリアソンは、振動を視覚化するドローイング・マシンを車両に積んだ。列車とフラメンコのカットを紡いだ動画《Momentum》は、音でその運動量を伝えるものである。そしてなにより、トーマス・デマンドがこのプロジェクト用につくった以下のショートフィルムは、列車の躍動感を十分すぎるほど雄弁に物語っている。

Station to Stationはただのイベントではなく、列車のキネティックさ、そのエネルギッシュな活力から生み出される一種の「移動芸術祭」なのである。

ハプニングの軌跡

各地で行われたハプニングには、ドライブイン・シアターあり、フラメンコあり、ブラスバンドあり、ピーター・コフィンのUFOあり、エルネスト・ネトやウルス・フィッシャーによる遊牧民のゲルのようなテントありといった具合で、とても一言では言い尽くせない。オラフ・ブルーニングのスモーク・ボムはなかなかの存在感がある。

途中で合流した参加者は広範囲に及ぶため、開催場所によってイベントの雰囲気もがらりと変わる。たとえばウィンスローでのハプニングは、エド・ルシェのコンセプチュアルなオムレツ料理が、和気藹々とした空間づくりに一役買ったようだ。

旅を配信する

Station to Stationは、忘れられない一回限りのハプニングであると同時に、開かれた無料のロードムービーでもある。現地のプロジェクトに参加できずとも、その様子はクルーによって記録され、断片的にオンライン公開されているのだ。エイケンと彼のチームは9両編成の車両を改造し、特別仕様のレコーディング車までつくり上げたので、道中で自然発生的に生じたセッションまで見ることができる。それは、ありとあらゆる面でリレーショナル・アートなのであり、いつでも楽しめるオン・ザ・ロードなBGMでもある。

さらに面白いのは、旅の主体たるアーティストやミュージシャン自身が客体化され、文字通りただの乗客としても記録されている点だ。アーティストは作品を通じて、ミュージシャンはパフォーマンスを介して、確かな主体として存在する一方、旅のエネルギーに巻き込まれゆく一人の人間として捉えられる。彼らはアナログな風に身を任せ、流れゆく時間のなかで変化し続ける一個人であり、そのスローモーションな肖像に、我々は、現代の自分たちが望むべき自由を知覚するのである。

おわりに

YouTubeVimeoなどの配信サイトには、これら旅の軌跡や車窓からの風景のほか、参加者へのインタビューやエイケンとの対談映像《The Source》もアップされている。そこでは様々な視点が有機的に錯綜し、一種のカオスと化している。エイケンは言う。自分がしたいのは、「多種多様な瞬間を取り出して、動き続けるもの、変化し続けるもののなかに放り込む※」ことだと。

エイケンのつくる映像作品が触覚的かつ流動的であり、常に固定したカタチというものが存在しないのと同様、Station to Stationの記録も一方向から全容がつかめるわけではない。彼はただ、旅の各場面において、あらゆるレベルで事物がつながり得るような映像を、開かれた世界への鍵として、一つのヒントとして差し出しているにすぎない。

しかし我々が、これらのノマドで「リキッド」テイストな記録から自分なりのモンタージュを構成し、そこから自由への新たな手がかりを見出すことも不可能ではないはずだ。ぜひ、そうであってほしいと思う。アメリカの秋風と光る列車のほとばしりが、皆さんの部屋にも爽快に流れこむことを願いつつ。

Via:
http://stationtostation.com/
https://vimeo.com/stntostn
https://www.youtube.com/user/StnToStn
http://www.anothermag.com/current/view/3092/Station_to_Station_Doug_Aitken_on_Film

[※]  WIRED VOL.10 (GQ JAPAN.2014年1月号増刊)より引用。