ゴミを通して 都市とはなにか? を再定義する「Tom Fruin’s Stained Glass House」
今からおよそ70年前に画家ピエト・モンドリアンはニューヨークを抽象化してみせたが、21世紀の都会は相変わらず具象なもので満ちている。しかし、ある一定の価値を得て市場に流通し経済を動かすどんな事物も、やがて役目を終えると、その多くはゴミという一概念に吸収されることになる。
ロサンゼルスに生まれ、現在はブルックリンを拠点に活動しているトム・フルインは、街中で見つけたゴミから作品をつくりだすアーティストである。汚いものを美に昇華させる力が彼には宿っているようで、その手腕はまさに魔法だ。いってみれば、彼は、黒くてゴツゴツした隕石のカケラを寄せ集め、それらをもう一度宇宙へ放り投げては、夜空にキラキラした星屑を誕生させてくれる作家なのである。
ゴミを集める
2000年以降、アメリカやヨーロッパのギャラリーで個展を開いてきたフルインだが、活動初期のころから、作品制作はほとんどの場合、道端に落ちたゴミの回収作業から始まっている。実際、今まで何を拾ってきたのかというと、CDや煙草、ステッカー、トランプ、割れた空き瓶など実に多様だ。下の作品は、葉巻のシガーバンドからできている。
この他にも、過激ではあるが、ドラッグの包み紙を利用したシリーズなどがある。彼は何か月もかけて、ブルックリンの、主にブラックやラティーノが住む特定の公営住宅団地に足を運び、様々な柄の包みを拾い集め、スタジオに持ち帰っては色などでグルーピングをした。そして機械でジグザグ縫いをして、パッチワークキルトのようにつなぎあわせたのだ。
完成したのは、意外にも明るい抽象画のような作品ばかり。そこには反芸術的な喧騒さやグロテスクな感じは見受けらず、その点で彼はペシミストというよりオプティミストかもしれないと思わせるほどである。いずれにせよ、拾い上げたものが何であれ、フルインは色面を非常に大切に扱う。最近Mike Weiss Galleryで行われた個展タイトルが「Color Study」だったことからも、色彩の探求が彼の重要テーマの一つであることがうかがえる。
ゴミに光を与える
2010年には、倉庫や看板屋からいらなくなったプレキシガラスを集め、それらをステンドグラス風に再生するインスタレーションのシリーズを始める。有名なのは、ブルックリン・ブリッジ・パークやビルの屋上に置かれた、給水塔のような作品だ。特にパークの方に設置された給水塔は、円筒の下から上を見上げることもでき、そのゴージャスな万華鏡のようなビジョンは多くの市民を魅了した。
一般に給水塔はニューヨークのアイコンのようなものだが、他方では維持管理が行き届いておらず、健康被害の可能性があるなど衛生面の問題も生じており、対処すべき課題は多い。そうしたなかであえて給水塔をモティーフに選び、美しい作品をつくろうとしたのは、廃材と美の関係をテーマにしてきたフルインにとって自然といえば自然な流れだったのかもしれない。
2014年のDUMBO Arts Festivalには、家の形のインスタレーションを出展した。給水塔のシリーズと明らかに違うのは、人が完全にその中に入れるシステムであることと、CoreACTというデュオによるパフォーマンスが行われる点だったが、その第一印象はやはり美しい。彼は廃材に抽象的なデザイン性を与えるだけでなく、太陽光や照明を駆使して煌びやかな空間をつくりだし、観者の間にエモーショナルな感覚を湧き起こしていた。
ブルックリン・ブギウギ
今回のDUMBO Arts FestivalでAudience Awardを受賞したフルインだが、こうした近年のインスタレーションはモンドリアンテイストだと感じる人も多いようだ。もちろん、一方は20世紀を圧倒するほどエッジの効いた手法であったし、もう一方は21世紀のアートにしては職人技のようなアナログな面がある。神が上から見下ろしたような街の俯瞰図と、人類が地に捨てたゴミによるコラージュ。マンハッタンとブルックリン。視点はこうも違うのに、フルインの拾い集めたもののなかに一貫したデザイン性が見受けられるのは確かなようである。
おそらく彼の作品が人々を惹きつけるのは、それがただきれいだからではなく、都市生活から生み出される人間臭くて汚いものを丹念に拾い集め、磨き上げ、輝きを失った事物にもう一度希望を与えることを起点としているからだろう。そしてそれが、モンドリアン風な幾何学リズムに多少なりとも準じて街に活気を与えているとしたら、僕らはこれを「ブルックリン・ブギウギ」と呼ぶのが一番かもしれない。楽しいデザインは、その手法や時代に関係なく、人を魅了するものだ。今後もフルインは世界の各所に新たなブギウギを創り出してくれることだろう。