第1回:「移住を生活する」について|移住を生活する
未来住まい方会議読者のみなさま、はじめまして、美術家の村上慧といいます。
僕は2014年4月7日から、自分自身の生活に「移住を生活する」というタイトルをつけ、上の写真のように自作の発泡スチロール製の家を肩に背負って歩き、基本的にそこで寝泊りをして暮らす移動生活をしています。
この文章を書いている今日は2015年1月7日ですが、いま僕の家は大分県大分市にあるマンションの敷地を借りて、そこに建っています。
この生活を送る上での基本的なルールは
ルールその1.「夜寝る時に、家を路上や公園等に勝手に置いて寝ないで、誰かの敷地を交渉して借りること。」
道路に物を放置したりすると道路不法占拠で法律に抵触するようです。一度警察に注意されてから「敷地を借りる」という発想が生まれました。これまで下の写真のように、お寺の境内や個人宅の庭やショッピングセンターの駐車場などさまざまな敷地を交渉して借り、僕の家を建ててきました。
ルールその2.「日々『家の絵』を描き続けること。」
下の写真のように、各地で見つけた家の絵をA4画用紙にボールペンで描いています。有名な古民家とかではなく、普通に建っている家を描いています。
この移動生活をするうえで必要になる収入は、各地のアートプロジェクトに参加したり、絵を売ったり、取材を受けたり、学校で授業やワークショップをやったりしてつないでいます。この生活は、後に開く展覧会で発表するための作品作りとして行っているのですが、それとは別に、移動する中でたくさんの気づきが生まれました。それを伝えるためにこのような形で文章にしています。
今までの道のり
これまで僕が歩いてきた道のりを説明します。4月に東京から始めて、まずは夏に向けて、より涼しい場所を求めて北上しました。僕の家は電車やバスに乗るサイズじゃないので、ほとんどは徒歩で移動します。たまにトラックに載せてもらったりもします。
太平洋沿いを北上し、青森県の八戸まで行ってそこから西に進み、十和田湖を通って日本海側に移り、秋田県の能代市に来ました。そこから今度は冬に向けて日本海沿いを南下して、福井県まで来て、そこから関西に入りました。今年は寒くなるのが早かったので、神戸からフェリーで一気に大分まで行きました。
こうやって書くと膨大な距離を移動していますが、僕はかなりのんびりと歩いている感覚です。毎日家を動かしているわけではなく、動かしても1日に10~15キロくらいが平均移動距離です。少しずつ散歩しているような気持ちです。僕のウェブサイトでたくさん日記を書いているので見てください。
人の敷地を借りる
この生活の1番大きな仕事は「敷地を借りる交渉」です。分かりやすいのは、
「いきなりお寺のチャイムを押して住職さんに『家を置かせてください』とアタックする。」
というやつですが、これは未だに緊張します。交渉は連続で失敗することもありますが、成功した瞬間の喜びは何にも代え難いです。置く場所の許可さえもらえば、家を持ち運ぶ必要がなくなるからです。僕の家は目立つので、どこに置いても不審物扱いされます。しかも重いので移動するのにも足かせになります。
僕はいつも「家を目立たないところに置きたい」と思っています。「敷地の交渉に成功する」ということは「家を置いたまま行動できる状態になる」ということです。このときの開放感は最高です。そして身軽になった体で見知らぬ町を散歩するのが好きです。「家が歩く」姿はとても目立つので地方新聞やニュースでも何度もとりあげてもらいました。
僕の活動をテレビやインターネットで知った人が「○○県を通る時はぜひうちの敷地をお使いください。」なんてメールをくれることも最近は増えてきました。
次回は、この移動生活をする大きな動機となっている「原発事故と脱線事故」「日常の無限地獄」について書きます。
実は、この移住生活をする大きな動機となっている出来事があります。それは、福島の原発事故とある電車の脱線事故。またそれに伴う日常への違和感です。次回は、この移動生活をする大きな動機となっている「原発事故と脱線事故」「日常の無限地獄」についてお伝えします。