【特集コラム】第1回:生まれた国で全く違う私たちの暮らし|世界の豊かな暮らし方
45Lのバックパックにカメラと画材と少しの着替えを詰め、世界をヒッチハイクで駆け回った。それが私の20代。東南アジア、オセアニア、ユーラシア大陸、アフリカ大陸……実にたくさんの国を旅した。
風や鳥に運ばれた種のように、私は南アフリカのトランスカイと呼ばれる地に降り立ち芽を出した。そしてコサ族の主人ラスタと出会い、二人の子にも恵まれ、今もあの旅の延長線で暮らしている。
旅をしている時、私はいつも訪れる国の自然や文化、人間に感動を繰り返す。人間は生まれた場所でこんなにも人生が変わるのだ。想像を巡らせて、その国の人間になった気持ちで地球をあちこちと旅して回る。私は特に発展途上だと呼ばれる国を旅することが好きだ。経済発展という大きな波の影響を受けていない国を旅すると、それは何かタイムトリップに似た時空を越えた旅のような面白さ、一昔前の日本を旅しているような気持ちになることが多々あるのだ。
そして何より私はこの旅を通して「シンプルな暮らし」の素晴らしさを知った。
現代の私たちの暮らしは便利で快適である反面、自然との付き合い方や他国とのバランスが問題視されている。ゴミの量や、化石燃料に頼った暮らし、工業汚染、原発、貧困など、問題は山積みなのだ。もうそれは山積みになり過ぎて手のつけようがないような気にもなる。
旅を始めて驚くことの連続だった。その山積みの解決方法が石ころのように転がっているのだ。そこにはとてもバランスの取れた暮らし方があり、彼らの暮らしを通して私はもう一度「発展」という意味を考え始めた。
今回の連載では、私がこれまでに旅で訪れた世界の豊かな暮らし方を紹介していきたい。
この地球にはたくさんの民族が多様な暮らし方をしている。そこで「経済」「開発」「医療」「教育」など、私たちが日ごろ豊かさの計りにしているものから少し離れてみて欲しい。私たちがうすうす気が付いているように、それらが発展していたとしても問題は山積みであり、幸福だとも言いきれないのだ。
生まれた国で全く違った暮らし
人は生まれた場所で全く違った暮らし方をする。ドキュメンタリー映画「ベイビーズ ~いのちのちから~」を観たことがあるだろうか。舞台はモンゴル、東京、サンフランシスコ、ナミビア。映画はそれぞれの国の母親が出産するところから始まる。そしてその赤ん坊が一歳になるまで成長する姿がナレーションなしで淡々と流れる。生まれた4人の環境を対比した映画なのだがそこには「こちらの方がいい」という意見は一切なく、それは観る者に託されている。
大都会東京で生まれた赤ん坊。モンゴルの大草原で育つ遊牧民の赤ん坊。現代アフリカに残る数少ない伝統的な暮らしをするナミビアのヒンバ族の赤ん坊。そしてサンフランシスコで生まれた赤ん坊。私はその環境の違いに改めて驚かされる。
私たちの多くは日本で生まれ、世代ごとの違いもあるが衛生的で医療も整った環境で育った。大自然の中で育つモンゴル、ナミビアとは全く違う。近代化しているという意味では一番近いサンフランシスコだが、文化的な面では大きな違いがある。
その一方、どの国の両親も新しく生まれてきた命を大きな愛で受け入れる。生まれてきた子供はこの新しく飛び込んだ世界を五感で感じ、好奇心のままにいろんなことを吸収し、育っていく。そのことは世界中どの国も変わりはないのだ。
遊牧するモンゴルの暮らし
この映画の舞台の一つとなった国モンゴル。2006年、私はロシア製の四駆でモンゴル人のドライバー ビルケと、旅の道中で出会った欧米人4人と共に、首都ウランバートルから西部までモンゴル一周を大草原にキャンプしながら旅をしていた。
旅の途中ビルケに招待され、大草原で生活する彼の家族の家にホームステイさせてもらった。
彼らの暮らしは実にシンプルであった。壮大な自然の中にポツン、ポツンと立てられた組み立て式で移動できるゲルと呼ばれる家に住んでいるモンゴル人。彼らの必要な物はそのゲル一つに入るだけの物。そして財産である家畜。それだけだ。
遊牧民の彼らは家畜の食べる草を求めて移動する。水を確保できることも重要だ。
私が旅したのは快適な夏だったが、冬の気温はマイナス30度まで下がり、日照時間は短い。ゲルの外側はフェルトでできている。フェルトは熱の発散を防ぎ、空気をよく通し、湿気も吸うので彼らの生活にとても適している。厳しくも豊かな自然と共に生きる知恵だ。
自給自足の暮らし
彼らの暮らしは素晴らしい大自然の中、水道や電気を必要としない完全なオフグリッドな生活だ。食糧は乳製品と肉。家畜の子供が生まれる夏は乳製品を中心に、寒さの厳しい冬は、冬が越せそうにない家畜を屠り、雪の下に保存し、一冬中食べるというのだ。
そんな遊牧民も、最近ではソーラーパネルやサテライトを持つ人も増えてきたそうだ。それでも彼らの暮らしは今もとてもシンプルで、与えられたこの豊かな自然に育まれて生きているのだ。
移動する時は折りたたみ式のゲルを解体して、馬やヤクの荷台に乗せ移動する。モンゴル人は4歳ごろから馬に乗れるようになるので、普段の交通手段は馬だ。
馬やヤク、牛などの糞を乾燥させるとゲルの中心部にあるストーブの燃料となる。そしてそのストーブで湯を沸かしたり、料理をしたりするのだ。草食動物の糞はほとんどが草でできており、悪臭はなく、よく燃える。
自然と家畜と人間。彼らの暮らしはこんなにもシンプルに循環している。彼らと自然との間には壁がなく、母なる大地にただただ身を委ねているのだ。
それは長い歴史の中の先祖からの知恵の上に成り立っており、彼らは一度もその暮らしを手放したことがない民族なのだ。そんな彼らの生活が私の目にはとても豊かに映った。
日本の暮らしにも少しづつムーブメントが広がり始める
日本の暮らしはどうだろう。都市で生活している人は必要な物、つまり電力、水、食糧、洋服、家などをお金で買っている人がほとんどではないだろうか。それでも最近では多くの人がこの暮らしに疑問を感じ始め、自然との繋がりを求めたり、田舎に移り住んだりしている。
古民家を改装して暮らす人や、「農」を始める人、手作り味噌や豆腐などの日本の伝統食品などに目覚めた人、日本の昔からの暮らしに心を惹かれている人がだんだんと増えている。
私たちは発展という言葉とともに少し遠くまで来てしまったように思える。少しだけ後戻りをして、この母なる大地と循環していけるようなそんな社会をまた作り直すことはできないだろうか。モンゴルの遊牧民の暮らしに魅せられて私はそう思わずにはいられなかった。
「世界の豊かな暮らし方」、次回はアラブの商人に学ぶ社会の作り方を紹介します。
ローカルマーケット、地産地消、建築方法など彼らの暮らしには学ぶことがたくさん。ご期待ください。
Via:
http://www.travellersbook.net/
http://www.focusfeatures.com/babies
https://mongolamerican.wordpress.com/