第2回:一番スゴイのは誰? 最下位のススメ|元新聞記者の、非日常生活。<ジャングルを走る編>
身体がふわりと宙を舞った。一瞬遅れて衝撃がやってきた。何が起きたのか。時間を巻き戻すと、何のことはない。飛んだわけではなく、木の根につまずき、派手に転んだだけだ。木の根、ツタ、動物の掘った穴。ジャングルには天然のトラップがあちこちに待ち構えている。
すぐさま立ち上がり、再び走り出す。1秒でも時間が惜しい。もっともタイムや順位はどうでもよかった。約束を果たさなければいけないのだ。
「医者を呼んでくれ」
しゃがれた声だった。一歩も動けずに座り込んだブラジル人選手。顔色はよく分からなかった。疲労困憊でうなだれていた。絞り出すような一言が胸に刺さった。お互いにつたない英語で約束を交わした。
寝ている場合じゃない。早く助けを。飛べないのが、もどかしかった。
初回に続き、書き出しは回想です。救助を呼びに走った顛末は、到着した休憩地点でスタッフに助けを求めることに成功しました。
そこまではよかったのですが、医師が現場にたどり着く前に、ブラジル選手は体力を取り戻し、自力で休憩地点までたどり着いたのです。休憩していた僕が、後から彼に見つけられ、「助けが来なかった」と怒られる始末でした。その場で誤解は解けて勘違いと分かり、笑い話で済んで何よりでした。
過酷さを物語る完走率
ブラジル選手のように倒れるのは特別なわけではありません。各ランナーが過酷な環境下で限界と向き合うからです。
大会はステージ制のため、毎日、スタートからゴールまで決められたコースを走ります。距離は最長で105km。体力的な負担に加え、得体の知れない原生林の縦断、川泳ぎ、沢渡りなどがコースに組み込まれており、精神力も大幅にすり減らされます。
同種の大会であるサハラマラソンの完走率が93%(2015年)なのに対して、ジャングルマラソンは約50%(同年)。数字も過酷さを物語っています。
ゴール後のキャンプ地でハチに襲われたり、スタッフが川で淡水エイに刺されたり、と毎日のように起きる「事件」も心身の消耗に拍車をかけます。選手は頭に浮かぶリタイアの文字をかき消し、走り続けることを選択して足を前に運びます。
普通とは違う基準の「物差し」
限界に近い状態で走るこうした大会には、通常のマラソンやロードレースとは違った独自の価値基準があります。言い換えれば、順位以外の「物差し」です。
もちろん、レースである以上、タイムや勝ち負けは重要です。それどころか、早くジャングルを抜け出したい。ゴールしたい、と考えるのは全選手に共通の思いです。
なにせコースは、水の中にいるかのような蒸し暑さや沼地、深い森が連続する悪条件ですから。加えて、ジャングルを彩るのは、生物多様性といえば聞こえはいいですが、見え隠れする野生動物と得体の知れない無数の昆虫たち。すらすら挙げられます。
アスリートとしては当然、1位がエラい。でも、独自の「物差し」ではかると、最もたたえられるのは最下位。
日が暮れて最後のランナーが戻ってくると、スタッフのほかに、休んでいた選手もぞろぞろと集まり、拍手で迎え入れます。
「よくやった」「おめでとう」
祝福の言葉が飛び交います。そして薄暗い照明灯の下で抱き合い、ハイタッチを交わすのが恒例でした。
なぜ、最下位なのか。それは誰よりも長くジャングルに居続けるからです。逃げ出したくなる状況で踏みとどまり、前進を止めない。弱音を吐きながらも進んでいく。心が折れていないからできることです。
ジャングルの物差しで測定するのは、そんな挑み続ける精神です。同じコースを走り、つらさを知っている分、選手からの賞賛が大きくなります。
僕自身、ランナー間にある理念にとても共感を覚えました。
新聞記者という仕事を辞め、次なる道を模索していた時期に参加したからです。何をしようかと、密林の中で、足踏みを続けているようなものです。
そんな時に、早く先に行くことだけが正解じゃない。
道に迷い苦しみながらでも、考えること、そして歩みを止めずに前進する。
その先に見えてくるものがあります。
1位にならなくてもいい、わけじゃなく、優勝者も最下位も、挑戦をやめないことにおいては同等。敬意の対象です。
その上で過酷なジャングルに最も長く滞在したのは誰か。
薄暮れ時に送られる惜しみない声援は、本当の勝者を物語っていました。
次回は「魅惑のハンモックライフ」(仮)です。ジャングルで生活した1週間によって、もたらされたものは何か、をご紹介します。