第7回:素人DIYから始まる限界集落のフロンティア|元新聞記者の、非日常生活。【上毛町みらいのシカケ編】
福岡の東端、大分との県境にある上毛町は地理的に見ても「辺境」です。その中でも、一際ひっそりとしているのが山の行き止まりにある有田地区。棚田の緑と石垣の対比が美しい11軒の民家からなる小さな集落です。数年前までは、住んでいる人以外ほとんど訪れることのなかった集落の古民家に、今では年間1200人が訪れています。
この古民家こそが、僕の職場、「ミラノシカ」です。築100年を超える日本家屋をリノベーションした施設です。移住の相談窓口であり、コワーキングスペース、住民や町外からのお客さんとの交流の場でもあります。
引き戸を開けると、ひび割れた土壁や細かな波模様のついた土間が広がっています。視線を上げた先には煙でいぶした黒い梁と藁葺き屋根。懐かしさを感じさせてくれます。フロアに上がると市松模様の板張り床が続き、その先の大きな窓からは、市街地、瀬戸内の海、天気のいい日には本州まで見渡せます。
人口7800人ちょっとの小さな町の山奥には飲食店すらありません。それでも絶えることなくお客さんがやって来ます。その理由を、なぜこうした施設ができた経緯から、ひも解いていきましょう。
きっかけは、人口減少や空き家の増加でした。危機感を抱いていた上毛町役場が、そうした課題を解決しようと、古民家改修プロジェクトを立ち上げました。移住をすすめる窓口であり、住人と移住者の交流、情報発信のシンボルとなる施設をつくるべく、山の上にある小さな集落が選ばれたのでした。
大学生が教育プログラムの一環で改修
古民家改修は、福岡R不動産と連携した教育プログラム「DesignBuildFUKUOKA」の一環として始まりました。プログラムの特色は、建築系の大学生が改修作業の全てを担当したことです。公募によって全国から学生を募り、生まれも育ちもバラバラな8人の学生が選ばれました。
半年にわたるプロジェクトは2013年10月にスタート。アイデア出しや模型作りに始まり、施工期間は翌年2月半ばからの1カ月半でした。僕は当時のことを知らないので、話を聞いただけなのですが、それだけでも刺激的でした。
ほぼ素人だけという不思議な現場
工期中のエピソードは数あれど、開始の時点から驚かされます。
建築系とはいえ、大学生は模型や図面を作ることはあっても、丸ノコやノミを持って作業することはそうありません。現場では素人同然です。しっかり教えられる人がいればいいのでしょうが、現場を監督するはずの大工さんが入れなくなりました。代わりに、ミラノシカの先輩スタッフである西塔大海くんや、DIYの得意な地元のおじさんたちが学生たちを指導することに。彼らも当然のごとく素人です。こうして素人が素人に教えるという不思議な図式が生まれたのでした。
怪しい雲行きそのままに、施工初日は角材の柱1本を立てるにも一苦労。プロにかかれば作業の1コマにすぎませんが、そこは何せ素人集団です。
柱を支える礎石をどうやって作るのかと言っては、DIYおじさんに電話で聞き、礎石が高くなりすぎたと言っては頭を抱え、柱を切って寸法を合わせるなど試行錯誤を繰り返します。ようやく1本の柱が立ったころには、あたりが暗くなっていたそうです。果たして工期に間に合うのか。完成まで一筋縄ではいかないと初日にして、誰もが実感したのでした。
それからというもの、毎日のように朝早くから日が暮れるまで作業は続けられました。不慣れな作業は体力も、神経もよけいに使います。ましてや季節は真冬。どこで作業をしていても寒さがこたえます。
心身ともにキツイ学生たち。しかも、1カ月半にわたる工期中は集落に泊まり込んでの共同生活でした。宿泊先は集落の木こり宅。木こりといっても、実は地元の森林組合で働くおじさんです。連日、木くずまみれの若者たちを温かく迎えてくれる父親のような存在でした。
ただ、このお父さんは家事が不得手。なので、作業と並行して自分たちで大人数の炊事、洗濯もこなします。仕事が終わってからも体力勝負。これは大学生の若さがないと、とてもじゃないができません。
真冬のハル騒動
工期後半には学生同士の衝突もありました。床板張りの作業中に「張り方が違う」「これでもいい」という押し問答が続きました。もはや意地の張り合いです。張るべきなのは床板ですが、なかなか冷静になれません。昼食時間になり騒動は終わったと思われましたが、作業を再開しても言い争っていた1人が戻ってきません。まさか脱走か、と不安が頭をよぎります。周辺の山は土地勘のない人間が迷い込むと、最悪の事態も考えられるからです。
緊張の糸が張りつめていたところに「発見」の知らせが入りました。見つかったのはコタツの中でした。食後にウトウトして寝てしまったとか。拍子抜けする結末ですが、無事と分かって何よりです。これで気持ちもほぐれたようで、その後は順調に床板を張り終え、完成を迎えるのでした。
受け継がれるDIYの精神
かつて、この古民家が100年以上前に建てられたときは、集落の住民が総出で屋根のワラを葺いたそうです。人口が増えていく、若い担い手がいて集落が自立できていた時代はそれでよかったのでしょう。しかし、人口減少、高齢化という局面を迎えたいま、昔ながらの閉じた集落は役割を果たせなくなりつつありました。
荒れていく宿命の地域に、古民家改修を通じて大学生や、町内外の協力者が加わったことで、人と人、人と集落に新しい関係ができたのです。協力してもらうことで自立する、それまでとは違った集落のあり方です。そして、新たに生まれた関係が口コミで伝わり、次の出会いを呼びこむというプラスの循環が生まれました。いまでは、ほかの集落にも広がりを見せつつあります。
過疎化の先には、荒れ地が広がるだけ。そう思っていた人たちに、1軒の古民家が教えてくれました。新しい出会い、新しい田舎暮らしの可能性を感じる者にとって、ここはフロンティアなのだと。